義定の調略通り、観音寺城は俺たちの軍を確認すると無血開城した。
城内に義治の姿はない。おそらく調略に気づいて脱出したのだろう。
「ようやく帰ってこれたか……」
思えば京に出陣して以来、かれこれ半年は帰っていない。懐かしさを感じるのも無理はない。
帰ってきて初めにしたことは、人事の刷新だった。
義治方や長政についていた国人や豪族の領地を削減し、俺たちの側についていた者に振り分ける。
ただまあ、思ったよりも多くの豪族が長政についていたため、彼らの力はかなり落ちた。例外で言えば、終始承禎様についていた蒲生家ぐらいか。六角六宿老は蒲生を除いて完全に没落した形となる。
あと、今までは流動的な動きをしていた山岡殿が完全に六角の被官になった。これは別に強いた訳ではないが、山岡殿自ら「貴方の影となって働きたく存じまする」と臣下の礼を取ってきたのだ。
理由を聞いたら「謀略で閉塞した畿内の情勢を武力でねじ伏せた貴方には逆らえない」と返されて、俺は思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「さて、人事配置は大まかは終わったけど承禎様をどうするかだな……」
帰ってきてすぐの評定で承禎様の扱いだけは決まらなかった。
どうにも、政治に口を出したくて仕方がないらしい。これは俺の能力云々ではなく、承禎様の性分に依るところが大きいのだろう。
俺としてはもう承禎様に完全に隠居してもらって欲しい。
縁戚関係を含めて考えると承禎様の影響力は凄まじく、国内の求心力はないものの本猫寺とのパイプがあり、さらに手を伸ばせば武田にすらその手は届く。ここまで顔が広いと正直、義治が排除したくなるのもわかる気がする。
「ただ、追放してしまえばこちらの世間体が悪くなる。すでに家督を武力で奪っているから今更感があるが、それでも必要以上に悪名を広める意味もないよな……」
評定を終わらせ、屋敷に戻って考えても妙案は出てこない。力づくで押し込めて蟄居させようとしたら承禎様は抵抗するだろう。それではまた観音寺の二の舞になる。
「どうしたの、新十郎?」
うんうん部屋で唸っていると、義定が部屋に訪れて来ていた。
「いやなに、承禎様の扱いに困ってるんだよ。無駄に国外への影響力があるからな、あの人。無闇に扱うと外交に支障をきたす」
「なら、わたしに任せてよ」
義定が言う。だが、承禎様を仇としている義定のことだから多分穏便に済む予感がしない。
「一応、聞いとこうか」
「普通にお酒と女の子を与えて満足させるだけだよ? 父上は目先のことしか考えてないから、毎日が楽しければそのまま何も考えなくなるんじゃないかな?」
義定の案は思ったよりも穏便だったが、えげつないものだった。
事実上廃人にするって言ってるようなものである。下手したら死ぬ方が救いがあるかもしれない。
「……まあ、追放したり処刑するよりかはマシか。わかった、承禎様に関してはお前に任せるよ」
とりあえず承禎様に関してはこれで一区切りをつけることにする。
国内の回復に、対三好の外交。あと織田がちょっと北伊勢にちょっかいをかけてきてるから、そちらの対応もしなくてはならない。
やるべきことが多すぎて、今更家中問題に関わりたくはなかった。
*
高村が六角家の当主になって2ヶ月が過ぎた頃、新しく観音寺城の本丸の近くに一軒の館が建てられていた。
その館の落成式を終えた高村はぽつりと呟いた。
「いや、義定に任せるとは言ったけどさあ……。これはやりすぎじゃね?」
館の名前は快楽亭。
割と大金を注ぎ込み、六角の持ちうる文化を徹底的に注ぎ込んだ大豪邸である。
館の目玉は能登の大絵師・長谷川等伯を2ヶ月丸々逗留させて描かせた5枚の障壁画でそれぞれ『天山汗血馬図』、『湖底大鯰図』、『六角姫武将立姿像』、『深閑竹林図』、『匂梅図』と名付けられていた。
「いやー、あの欲深い父上を満足させるってなるとこれぐらいじゃないとダメかなって。一応、父上の隠居だけじゃなくて外交の使者の応対とかできるようにしたから許して?」
可愛らしげに義定が言うが、高村のため息は尽きない。
高村は否定的だが、快楽亭は高村の武勇と共に六角の誇る威信材として機能していくことになる。
特に長谷川等伯が描いた5枚の障壁画は『六角の秘宝』として後世に伝えられていく。
そのことを高村は未だ知らない。
*
「うむ、女を抱く生活も悪くはないが、さすがに飽きてきたな……」
快楽亭が建てられてから一ヶ月。
承禎は寝台の上でひとりごちた。
朝に女を2人抱き、昼は酒を呑んで眠り、夜は5人の女を抱く。
快楽亭ができてからはそんな爛れたルーティンが構築されていた。
だが、人間は欲深いものでその酒池肉林にも浸り続ければ、満足出来なくなる。承禎もその例には漏れなかった。
「最近の女も悪くはないのだがなぁ……、今まで抱いてきた女に比べると一段劣るか。阿古も大谷の後家が恋しくなる。いや、それでもまだ足りぬな」
呟いて、酒に手を伸ばす。あまりに飽いたためか、今や酒に酔わないと意図的に勃たせることができない。
「嗚呼、双葉のような女が今一度現れてくれれば、この無聊は慰められるやもしれん。求め続けて10年経つが、未だに逢えてはおらんがな」
数多の女を抱いてきたが、双葉ほど承禎を執着させた女はいない。
そのあまりに優れた美貌と退廃的な雰囲気は傾国の美女といって差し支えなかった。
しかし、彼女は承禎の腰の上で果てた。
「さて、そろそろ次の女の番か……。もう少し酒を足しとくか」
気怠げに酒をあおる承禎。
しかし、その女の姿を見てその器を取り落とした。
年の頃は15、6だろうか。長い栗色の髪にあどけなくも精緻に整った顔立ち。彼女は物憂げな眼差しを承禎に向けていた。
(なんということだ。まるで若かりし頃の双葉に瓜二つではないか……!)
イチモツに熱が滾るのを感じる。
この少女を犯して鳴かせと魂が叫ぶ。
酒に酔っていたこともあるのだろう。
熱に浮かされたように、承禎は彼女を組み敷くべく飛びかかった。
「……なぬ?」
.
しかし、組み敷かれていたのは承禎の方だった。
力点を巧みに押さえつけられ、力が出ない。
「ようやく、ですね。父上」
少女が耳元でささやくと同時に心の臓に脇差を突き立てられる。
途方もない激痛が承禎の身体を嬲る。この痛みのおかげでやっと承禎は状況を理解した。
「義定か……」
双葉が唯一この世に残した名残。そして、自身の罪の象徴、それが六角次郎義定だった。
「……そうか、お前にならば殺されても文句は言えまい……。なあ、義定。少しいいか……」
残された力で承禎は義定の頬に手を伸ばし、撫でる。その乾いた手触りに義定は身動ぎするが、振り払うことはしない。
「お前はわしのことを嫌っておったが、わしはお前を愛していたぞ。双葉の娘ということもあるが、何よりわしの娘だからな……。そのことだけは、心に留めておいてくれ……。しかし、それにしても……」
承禎は目を細める。それはまるで太陽でも見ているかのようだった。
「恐ろしいほど美しく育ったものよな……」
ここまで口にしたところで承禎の手がだらりと落ちる。
不思議と義定は確かめずとも自らの父が逝ったことを理解していた。
「ありがとうございます。父上。そして、さようなら」
一礼して、義定は去る。
振り返ることはなかった。
*
義定が快楽亭に向かった。
そう聞いた俺は胸騒ぎが止まず、本丸に駆け出していた。
(無事でいてくれよ……!)
義定の個人の武勇は弱くはないが、馬術の達人でもある承禎様を上回るものではない。返り討ちにされることだって十分考えられた。
夜の山道を駆けることしばし、本丸で彼女は立っていた。
「あ、新十郎。来たんだね」
満月の下で義定は笑う。艶やかな小袖にはべったりと血がついている。
その姿はさながら幽鬼のようで、浮世離れしていた。
「無事か?」
「血を見て言ってるなら大丈夫。これは返り血だから。わたし自身はどこも傷ついていないよ」
「……そうか。なら、終わったんだな」
俺が問いかけると、義定はうなずいた。
ついに今晩、彼女の10年にわたる仇討ちは終わった。
俺としては喜ぶべきかは迷うところだ。
承禎様は義定やお市、氏郷達にとっては明確に敵だった。しかし、俺に限ってはそうではない。
承禎様は普通に俺の力を評価し、用いてくれた恩人という側面がある。
「新十郎の言う通り仇討ちは終わったよ。……でも、それに値する報いをわたしは受けなくてはならない」
「報い?」
「うん。新十郎、わたしを殺して。父を討った不孝の娘として、わたしを処罰して」
俺は義定の言っている意味がわからず、立ち竦む。その様子を見た義定はさらに続けた。
「新十郎の評判を落としたくないんだよ。邪魔だから父上を追い落とした。そんな風に諸国に伝わったら、新十郎は武力はあるけど人品は義治と同じだと思われちゃう。でも全ての悪事をわたしに載せて葬れば、それは避けられる」
義定が言っていることはわかる。この悪評が伝われば、外交でも家臣の掌握にも不利になる。……けれども、義定がこんなことを言い出したのはそれだけが理由じゃない気がした。
「……なあ、義定。お前はもしかして死にたいのか?」
ふと、思いついた可能性を口に出してみる。すると、義定はうなずき、力のない笑みを浮かべた。
「……やっぱり、新十郎はずるいや。こうも簡単に当てられるなんて。……わたし、そこまでわかりやすい女だったかな?」
「まあ、過ごした時間は長いからな。うっすらと血が繋がってる分、それこそ兄妹みたいなもんだし。それに、なんだかんだでお前の内心が傷つきやすいのも知ってる」
「ここまできたら隠しても意味ないね。うん、わたしは結局のところ罪悪感で満たされてる。けれども、憎悪もまだ消えないんだ。わたし自身が死ぬことで、父上から続く穢れた血筋を断絶させたいっていう気持ちもあるんだよね。……だから」
わたしを殺して。
結局、こいつはそう言おうとしたのだろう。
それは、許さない。
俺は踏み出して距離を詰め、義定の両肩を掴んだ。
「新十郎……?」
驚いた義定が目を見開く。その目を見据えて、俺は語りかけた。
「言わせないぞ、絶対にだ……! 評判とか知ったことか。京でお前が「新十郎がいなくなったら困る」と言ってくれたように、俺もお前がいなくなったら困るんだよ。だから、生きてくれ」
半ば祈りながら俺は義定に語りかけていた。語りかけ終わってもなお、この手は放してやらない。放したら最後、この夜闇の中に義定が消えていくような気がした。
俺は、もうあの新月の夜のような喪失感は経験したくはない。
「……ふぅ、わかったよ。新十郎がそこまで言うんなら、仕方ない。わかったら肩から手を外してよ、普通に痛いから」
「悪いな」
急に素に戻られて困惑する。
ただ、それができるってことは悪い兆候ではないのだろう。
「あーあ、頑張って覚悟を決めてたんだけど、これじゃ台無しだよ。……責任取ってね、新十郎?」
そう義定はいたずらに笑って本丸から去る。
追いかけようとしたが、その足取りの軽さを見て止めた。
きっと彼女はもう大丈夫だろう。根拠はなくともそう思えた。
「やれやれ……」
手持ち無沙汰になって空を見上げる。
月が綺麗な夜だった。