北伊勢で六角高村と滝川一益がしのぎを削る争いを繰り広げていた頃、京でも新たな動きがあった。
「うむ、重畳重畳。さすがは丹波の赤鬼といったところか」
二条御所にてその男は破顔した。
巌のような体躯に鷹のような鋭い目つき。豪奢な着物を着ていてもなおその鍛え上げられた身体が溢れんばかりの武威を放っている。
この男こそが、当代の室町幕府将軍・足利義輝であった。
「丹波にて松永久秀が弟・長頼は散った。かの者は十河一存なき三好では貴重な武人であった。三好・松永の落胆たるやいかほどばかりか」
「……喜びになる気持ちは分かります。かねて仰せの通り、ひとまずは丹波の赤井家へ守護の補任の手続きは致します。されど、三好に敵するものへの補任、三好三人衆は荒れるでしょうな」
義輝の横で、藤孝が言う。見目麗しい少女にしか見えないが、れっきとした竿が生えている男である。
名こそ細川藤孝と名乗っているが、実際は第12代将軍・義晴の私生児で義輝の異父弟である。彼は武勇を極めた兄とは異なり、知略と文化の方に冠絶した適正を示していた。
「うむ、三好か。三人衆が喚き散らすのは不快だが、捨ておけ」
三好三人衆と義輝の間には溝がある。三人衆側は阿波にいる十代将軍義稙の孫娘である義栄を将軍とするべく、朝廷に掛け合っているからだ。
三好家は、というか阿波の武家は元来義稙派を支援してきた家が多い。だというのに、長慶はなぜか義輝を将軍とし、関係を保とうとしてきた。
「なぁ、藤孝。今になって思うのだが、長慶殿は畿内のことをしかと考えていたのではないか? 結局のところ、我が座を追おうと思えばあの女はそれができる力はあった。しかし、ついぞ一度もなかった。手元に義維と義栄、意のままになる将軍候補を抱えていながらな……。おそらく、そうすれば畿内は乱れてしまうと分かっていたのだろう」
義輝の呟きに藤孝は首肯する。そして苦笑しながら口を開いた。
「かの者のような人物を賢人というのでしょう。……されど、多くの人間は力を与えられれば、それを使いたくて仕方がなくなるのです。ましてや、おのが一存で国が変わるとなれば、その誘惑に抗える者はどれほどいるでしょうか?」
言外に藤孝は三好三人衆とはもはや和解できないだろう、そう義輝に伝えていた。
「あの小物どもには無理であろうな。しかして、どうする? 松永は手を結ぶにしては弱くなりすぎたぞ? 赤井はこちらについてくれるだろうが、それだけでは三好には足りぬ」
「越後の上杉はこちらについてくれますが、遠い。西国の毛利と大友は互いに相争っている。となると尾張の織田信奈か、越前の朝倉義景か……」
「三好を討つならば、六角はどうだ? 石山崩れを成した男ならば不足はあるまい。まあ、今は織田と睨み合っているがな」
「ともあれ、その辺りの大名に声を掛けてはいかがでしょうか? 二家ついてくれれば、太刀打ちは出来ましょう」
藤孝の言に頷き、義輝は御内書を書き記し始める。
その一言一句が、乱世を回天させる一助になるだろう。
義輝はそう信じてやまなかった。
*
西濃・菩提山城に一人の武将が赴いていた。
「いよいよ、かの者に頼らねばならぬとはな……」
肩を抑えながら、武将は登場する。
安藤守就。
美濃三人衆の一人で、かつて斎藤道三の片腕だった男である。
(道三様がご健在ならば、このような国難など如何様にも出来たものの……)
悔しさに守就は歯噛みする。
現在、美濃は北は朝倉景鏡に、南は織田信奈に、西は浅井長政に攻められていた。
このうち北の情勢がもっともよく朝倉景鏡は郡上郡の小城を二つ奪っただけに留まっている。反面、もっとも芳しくないのは、守就ら美濃三人衆が防戦を務める西濃で浅井長政は美濃の赤坂まで進出してきていた。
「このまま大垣城まで落とされれば、稲葉山城は喉元に刃を突きつけられたも同然。なんとしてでも守り抜かねばならぬ」
国難の危機に守就は先日、ついに決断する。己が姪で軍師としての才覚を見せ始めている竹中半兵衛を戦場に連れ出すことを。
(すまぬな、半兵衛。しかし、こうでもしないと我らはもう保たぬのだ)
竹中半兵衛は、病弱で臆病で人見知り。
才覚を抜きにすれば、到底戦さ場で戦えるような少女ではない。
だから、守就は半兵衛を菩提山城に逃した。この乱世の荒波に巻き込まれぬようにと。長くその命を繋いでくれるように、と。
しかし、もはやそのような甘い夢を見ていられるような情勢ではなかった。
「伯父様、何か御用ですか?」
守就の求めに応じて、すぐ彼の元へ一人の姫武将が姿を現した。
栗鼠のような小柄な身体に憂いを帯びた瞳。短命の者特有の儚さを持ったその美貌は傾国と表現しても大袈裟にはならない。
「さっきに言っておく。すまぬ、半兵衛。もうわしらはそなたを守れぬ。……戦さ場に出て、わしらを導いてくれ」
半兵衛の姿を見た守就は、申し訳なくて頭を地に擦りつける。もはや、その姿を直視できなかった。
「伯父様、顔をあげてください。わたしはもう十分に守られました。たくさんの義を伯父様から頂きました。なればこそ、今この時に報いずしてなんとするのです。不肖、竹中半兵衛重虎。この身を以て、外敵と戦います」
凛とした声が守就の耳朶を打つ。
(かようなまでに、勇ましく育っておったのだな、半兵衛……)
申し訳なさか、あるいは嬉しさか、はたまた安堵からか、守就の双眸から涙が流れ出でる。
半兵衛は静かに守就の頭を撫でていた。
*
半兵衛が加わってからの美濃三人衆は人が変わったように強くなっていた。赤坂まで進出していた長政に逆撃を食らわせ、関ヶ原の西に追いやると、十面埋伏の計で一度、石兵八陣と水計の合わせ技でもう一度、都合二度織田信奈を撃破した。
北の朝倉義鏡はこの報を受けて撤退。
美濃は平穏を取り戻したのだった。
「竹中半兵衛をなんとかしねえと、信奈が長政の野郎と結婚させられちまう……!」
ただ、その状況を座して見ることをよしとしない者もいた。
相良良晴。
織田信奈に仕えることになったもう一人の未来人である。
彼は配下の忍びである蜂須賀五右衛門から伝えられた報を便りに一つのアクションを起こすことにした。
「俺が、半兵衛を誘降する。そうすれば、美濃は信奈のものにできるはずだ!」
意気揚々と良晴は美濃へ旅立つ。
そこで様々な波乱や思惑が待ち受けていることなど、知る由もなかった。