「さて、坊主。この戦に勝てば、俺たちを侍にしてくれるんだろうな?」
「ああ、約束する。俺様が全員まとめて召し抱えてやらぁ。木曽川の急流を降り、義龍の前で城を建てる。命がいくらあっても足りない仕事だが、受けてくれるか?」
「おうともよ。だが、坊主もしくじるなよ」
木曽川の中流。信濃と美濃の国境の渓谷にて相良良晴は川並衆と共に策の準備を進めていた。
(この山間で砦の部品を作っておき、川を降り墨俣で組み上げる。未来でいうツーバイフォー工法だ。義龍が来る前に城を建てるならば、このやり方しかない)
良晴の描いた大まかなスケジュールは山間に前もって入り、数日かけて部品を製造し、その後、夜に紛れて墨俣に下り突貫工事で城を作り上げるというものだ。
思案を巡らせながら、木挽きをしているとすっと五右衛門が後ろに回ってくる。
「うむむ、しかしながら実に忙しい行程でござるな」
「川を降り、城を作る。これを日没から夜明けまでに行えないと、百にも満たない俺たちはおじゃんだ。だから今回はスピード、いや手際の良さが命だな」
「川下りに関しては心配無用にござる。拙者たちは川賊。この辺りはもはや庭じぇごじゃりゅよ」
ばりばりに噛みまくる五右衛門を見て良晴は思わず吹き出してしまう。
「そういえば、守就のおじさんは見つかったのか?」
「中村殿が見つけたでござる。今は半兵衛殿の居城の菩提山城にいりゅでごじゃるよ」
「そっか、なら安心だな」
「しかし、相良氏。良いのでござるか? せっかく引き入れた半兵衛殿を墨俣に用いにゅなど」
問われた良晴は「良いんだよ」と笑いかける。
「あまり仲が良くなかったとはいえ、斎藤家は半兵衛ちゃんの旧主だからな。顔見知り同士で戦わせるなんて真似はしたくなかったんだ」
「そうでござったか……。ふふ、やはり相良氏はいい男でござるな」
軽口を叩きながら、良晴と川並衆は部品を作り上げていく。
これから先に死地が待っていると分かっていてなお、現場に悲壮な空気はない。
手際よく作業が進み、一日半で部品が整い、ついにその時が来た。
良晴が大号令をかけ、百人余りの川並衆が木曽川を降り、墨俣にたどり着く。
「ここからが正念場だ! ここで城を建てなきゃ、俺たちに未来はない!」
良晴はそう力強く叫ぶと同時に右手に持っていた櫂を地面に叩きつけてへし折った。
「城が建つまでは、俺さまは帰らねえ! ここで戦い抜き、義龍の脚を止める! そうすれば、必ず信奈は手薄になった稲葉山城を落としてくれるはずだ!」
「よく言った坊主! 俺たちもやってやるぜええええっ!」
ここぞという時に見せた良晴の不退転の決意は、川並衆を大いに魅せた。
それからは、良晴たちはせっせと夜の闇に紛れて築城を進めていく。
しかし、彼らは川賊であり大工ではない。人足たちも普段とは違う工法のためいまいち勝手が掴めない。
意気込みとは裏腹に作業は若干遅滞し、おおよそ八割ほど組み上げたところで、ついに陽が昇ってしまった。
「なんということだっ! 墨俣に城ができかけているだとっ? 至急義龍様に伝えねば!」
朝日と共に義龍側の斥候が稲葉山城へと走る。
すると、わずか一刻ばかりで義龍軍四千が墨俣に出現していた。
「あと少しで完成だってのに……! いや、俺は諦めねーぞ!」
義龍軍を見た良晴はすぐに川並衆達の配役を振り替えて義龍軍に応戦を始めた。
この対応こそは迅速だが、やはり守備兵をほぼ連れてきていないことが仇となる。
川並衆は精強だが、どうにも数十倍の数の差には抵抗し切ることはできない。じりじりと義龍軍は城へと迫ってくる。
「まだだ! 持ち堪えてれば、美濃は落ちるんだ!」
この段になると、良晴も自ら種子島を片手に義龍軍を迎撃しなければならない事態となっていた。未来人らしく人を殺めることに抵抗はあるのだが、最早そんなことを言ってられる状況ではない。が、そんな良晴の奮闘も空しく墨俣は落ちようとしている。
折悪く火矢が刺さり、櫓が燃える。炭になったそれはがらがらと焼け落ちようとしていた。
城門の目と鼻の先。すでに肉眼で捉えられる範囲に義龍軍が満ち満ちている。
だが、それでも良晴は頑張った。
声を枯らし、銃を取って川並衆達を鼓舞した。
あと少しで倒しきれそうなのに、倒せない。この良晴の粘り腰は義龍を唸らせた。
「どうやらあの川賊どもの士気の源はあのサルらしい。ならば、話は速い。あのサルを討ち取ってしまえばよいのだ」
言ったのち、義龍は腕利きの種子島撃ちを二人招集して下知を与えた。
「あの珍妙な黒羽織を纏う少年を撃て。さすれば、大いに褒賞を与える」
下知に従ってまずは一人が撃つ。しかし、良晴は天性の逃げ上手。狙った場所から意図せずに離れ、ことなきを得た。
だが、もう一人が撃った方は完璧な射線で良晴に迫る。
(取った!)
射手はそう確信した。
……蜂須賀五右衛門が身を挺して良晴を庇うまでは。
「……うにゅう、相良氏……」
「五右衛門ッ!」
咄嗟に五右衛門の元に良晴は駆け込む。
「……相良氏……ご無事でござるか……。やはり……すべての実を拾うのは、無理でござったな……」
「無理して喋らないでくれ、五右衛門……! 身体に悪いだろう……!」
「……おのこは、いずれ……選ばねばなりませぬ。……選ぶ勇気を持たれよ、ちゃがらうぢ……」
五右衛門の意識が保ったのはそこまでだった。
良晴は五右衛門を静かに寝かせてから、つぶやく。
「……これじゃ、話が違うじゃねえか……!」
墨俣に城を建てる方法を知っていながら、今や墨俣は落ちようとしている。
やはり、自分では豊臣秀吉の代わりなど無理があったのだろうか? 思わず良晴は自問してしまう。
「だけど、それでも」
戦わなければ、少しでも長くこの場に踏み留まらなくては五右衛門をはじめ、この戦に命を懸けてくれた者たちの意味がなくなってしまう。
だから、良晴は再び種子島を取った。
その時だった。
墨俣の西岸から千の軍勢が城に向かって駆け出してきたのは。
「た、竹中半兵衛重虎ッ! 義によって……いえっ、義より大切なもののために良晴さんに助太刀します……!」
「西美濃三人衆筆頭、安藤守就も仕方なく相良の坊主にお味方いたす……!」
半兵衛と救出された守就が戦場に割り込んで来る。
「なっ、今孔明が敵方にっ!」
「西美濃三人衆の筆頭も敵方だぞ!」
半兵衛と守就が良晴についたことは義龍軍に強烈な衝撃を与えた。
「おうおう……! あの半兵衛が、自ら戦場に参ずるとは……!」
「ついに仕えるべき主君を得たのだな、半兵衛……!」
西美濃三人衆の残りの二人、稲葉一鉄と氏家卜全もまたかねてより半兵衛の将来を嘱望していた。ゆえに彼らは半兵衛が良晴の加勢するやいなや義龍側から良晴方に寝返ったのだった。
「ええい、この期に及んで裏切りおって……」
マンガみたいな顔を歪めて義龍は歯噛みする。稲葉と氏家の離反は手痛かった。西美濃への影響力もそうだが、渡河中に隊列の統制が取れなくなったのも大きい。
そして、義龍への災難は続いた。
「駆けに駆けてようやく間に合ったわ! 全軍、突撃よ!」
東方から織田信奈が六千の兵を率いて墨俣に急行してきたのである。
これには、戦場にいた誰もが度肝を抜かれた。
織田軍が来る可能性は義龍軍の誰しもが頭の片隅に入れていた。ただ、六千……織田家が招集をかけて即座に集まる最大人数を率いてくるなど、夢にも思わなかったのである。
「まごついている義龍軍を討つわ! 鉄砲隊撃て!」
到着した織田軍の行動は迅速だった。
すぐに渡河して墨俣に攻めかかる義龍軍を囲み、種子島や弓で集中砲火を浴びせたのである。
これにはたまらず、義龍軍は潰走。
逃げようとした義龍は柴田勝家に捕らえられ、長く続いた織田軍の美濃侵攻は一夜にして完了したのであった。
*
「……やられたな……っ!」
桑名城にて、織田軍の戦勝を耳にした俺は歯噛みしていた。
墨俣一夜城と竹中半兵衛の参戦。
この二つが美濃攻めを加速させるのは分かりきっていたことだ。
だが、稲葉山城を攻めることなく、美濃を取るとは。
「墨俣一夜城で義龍勢の数千を堅牢な稲葉山城から吊り出し、西美濃三人衆を離反させることで統制を乱す。それに加えて墨俣は川の中洲にあるから、必然義龍側は渡河の必要があり、無防備な状況が生まれる……」
「それを、急行させた本隊で囲んで袋叩きにする……。どこかの誰かがやりそうな戦術だよね?」
揶揄う義定の台詞に俺は返す言葉はなかった。
まさしく、俺が織田信奈の立場だったら取り得る戦術だからだ。
「それで、準備は足りてるの?」
「いや、あんまり。やりたかったことの七割しかできてない」
問いかけへの答えもいささか歯切れが悪くなる。思ったよりも若干織田側の動きが早い。
美濃取りが終わったならば、次は織田との全面戦争が待っているのは明白だ。それだけ六角領は織田にとって邪魔な位置にある。
だというのに未だ伊勢方面の準備しか終わらず、まだ完全に謀略の網を張り切れてはいない。
「まあ、いい。嘆く暇があるなら働こう。とりあえず嘉明を呼んでくれ。あいつには三河方面を任せるから。あと水軍のまとめ役もあいつかな? 小浜氏だけでは多分足らん。それに、山岡殿には悪いけどちょっと急いでくれと伝えてほしい」
「わたしが言えたことじゃないけど、忙しそうだね新十郎」
「相手は百万石を越える超大国。それに明確に敵視されてるんだ。いくら警戒してもしたりないさ。今のままではせいぜい勝率は二割かな?」
「二割って少ないね……」
「いやいや、これでもだいぶこっちびいきな数字だぞ? 浅井や松平まで含めれば、それだけ国力の差がある」
割と手は尽くしたはずなのだが、そもそも外交が死んでいる。結局、六角対他の洛東諸国みたいな構図になってしまった。
「はぁ……。敵が尽きないのはいつものことだが、今回ばかりはちょっと、な」
書状を記す手を止め、ため息をつく。
六角の存亡をかけた綱渡りがまた始まろうとしていた。