時は戦国。
六角家が治めるここ南近江でも、戦乱は絶えない。
西に目を向ければ、三好長慶が優秀な姉妹を率いて版図を拡大。将軍の足利義輝を圧迫している。
東では美濃で下克上を果たした斎藤道三が国内を切り従え、織田信秀は尾張で着々と力を蓄えていた。
「新十郎。これからは四方で戦が起こる。南近江で繰り広げられる些細な戦とは比べ物にならない大戦がな。北の浅井はわしが屈させたが、長くはあるまい。ゆめゆめ忘れるな、新十郎。六角はこれからの十年が、勝負よ」
ある日の夕暮れのこと。
大叔父の定頼様が屋敷の縁側で語りかけてくる。
今は当主の座から退いているが、六角家の最盛期を築いたまぎれもない英傑だ。父母を失った俺を哀れに思い、金子などの支援をしてくれた徳人でもある。
「なにゆえに十年なのですか?」
「わしの寿命がそこまで保たないのが一つ。まあ、これは越前の朝倉宗滴にも言えることだがな。……言葉は悪いが、朝倉義景も義賢も並以上を出ることはない。先代のわしらが蓄えてきたモノを浪費しているようにしか思えん」
定頼様の実子への評価は辛辣だった。
事実、義賢は上り調子の三好家に対し、中央介入を目論んでは失敗を重ねている。
「猿夜叉丸には酷な話ではあるが、六角はいたずらに中央に関わるよりも、北の浅井を徹底的に叩き、滅した方が良い」
「確かに、今の六角には中央に介入する力はないですね。頑張っても京をいっとき取れるかどうか。天下人にはなれない」
「左様。その点、浅井久政は賢い。世間的には愚将とされるが、それは形から入る者の目に過ぎぬ。あやつは領国を整えて捲土重来を企んでおる。名を捨て、南北の安全を確保することでな」
ここまで話されたら、俺にも定頼様が何を言わんとしているのか分かる。
「十年以内に力を溜めた浅井が攻めてくる、ということですか」
「左様。だが、それが分かっていて手をこまねいているほど、わしは愚かではないつもりだ」
言うと、定頼様は傍らに置いていた太刀を俺に手渡してきた。
「受け取れ、新十郎。我が愛刀と共に六角の命運はお前に託したぞ。この十年、わしはお前をみっちり鍛えてきたつもりだ。わしが居なくなった後、六角を守れるようにな」
「ありがたく存じます。こんな貴重なモノを……。しかし、俺で良いのですか?」
定頼様には、よくしてもらっているが、俺はせいぜい定頼様の兄の孫に過ぎない。本来ならば、義賢様や義治様が受け取って然るべきものだろう。
「あやつらには家督をやった。それで充分ぞ。……そうだ、新十郎。少し頭を撫でてもいいか?」
「別に構いませんが、何故?」
「家族を慈しむのに理由がいるのか? まぁわしのわがままじゃ、大人しく撫でられておれ」
渇ききって、しわがれた手が頭に伸びる。ごつごつした感触に思わず身動ぎしてしまう。
(これが、長く戦ってきた武将の掌か……)
この掌でこの人はどれだけのモノを掴んできたのか、はたまた切り捨ててきたのか。それはもう数えきれないほどだろう。
「……大きくなったのう。今や目一杯腕を伸ばさねば届かぬほどだ。お前ならきっと大丈夫じゃろうて」
ボソリと言った定頼様の呟きが俺には嬉しかった。
この日から十日後、定頼様は亡くなった。
俺は最も頼れる大人を失ったのである。
*
14歳になった。
この頃になると、戦国ならば元服して成人になる。
俺は六角高村と名乗るようになった。高は前世の高広と、数代前の六角家の当主から拝借した。村は真田幸村が好きだったからだ。
お市は浅井賢政と名乗らされるようになった。
なぜ浅井長政ではないのかって? それは偏諱という慣習があるからだ。
端的に言えば、主君が自分の名前の一字を家臣に与えるというものであり、偏諱を受けるのは家臣にとっては名誉あることである。
だが、お市に関してはそれは当てはまらない。
知っての通り、お市は浅井家の嫡子。それが、偏諱を受けさせられたということは浅井家は六角家よりも下だと対外的に示されてしまったことになる。
「お市、やはり悔しいか」
「ああ、悔しいぞ。新十郎、まだ浅井家は滅びてはいない。六角の家臣に成り下がったつもりはないんだっ!」
元服した次の日の夜。
俺とお市は、城下の店で管を巻いていた。
この日のお市はかなり荒れている。無理もない、六角家は元服してもお市を返すつもりはなく、観音寺城に留め置いていた。
「……私は小谷に帰らなければならない。帰って家督を継ぎ、浅井家を再興させねば……」
お市が呟くが、そうなった場合は六角家にとってはあまりよろしくない。
お市、いや浅井長政は文武両道の武将に育った。あとは経験さえ補えればかなりの名将となり、北近江の脅威になるだろう。
(だから六角家のことだけを思うならば、ここでお市を殺して、浅井を叩き、義定なり俺なりを養子に食い込ませればいい。事後統治にやや難があるが、一応北近江は手に入る)
一瞬、恐ろしい策謀が脳裏をよぎるが振り払う。
だが、さりとてお市が観音寺に留め置かれた結果、好色な義賢様の手にかかるのも見たくはない。
「俺は、どうしたいんだろうな……」
元服してもなお、未だに俺個人には夢や野望はない。
定頼様に六角家を頼まれた身の上ではあるのだが、それは半ば義務付けられたものである。「自分で選んだ道か?」と問われたら首を横に振らざるを得ない。
とはいえ、お市との友情もまた断ち難い。
つまるところ、俺の心は未だに定まってはいないのだ。
ただ、一つだけ分かることがある。
(……もう、迷っていられる時間は限られている気がするんだよなぁ)
この世界の時代の流れ方は俺の知る歴史と比べると異様に早い気がする。
武田信玄が父の信虎から家督を奪ってから数年で川中島で上杉謙信と対峙していたりするからなぁ。
となると、何年も悠長に待てるとは到底思えないのだ。
それでも、やはりすぐに答えは出せない。
これは俺の在り方に関わる問題だから、まだ時間が欲しいと思ってしまう。
「さて、遅ればせながら俺も呑むとするか。元服まで、成人までたどり着いた祝い酒としよう。……乾杯は、もう遅いか」
元服して早々にヤケ酒に走る友を見やりながら、一献呷る。
何気に初めての酒だ。前世は二十歳までたどり着かなかったからなぁ。
「ははは、出来上がるのが早いじゃないかお市」
すでに仕上がっているお市の姿を見ると思わず笑ってしまう。
半ば現実逃避気味だが許して欲しい。
別れが来るのは分かっている。
ならば、せめて限られた日々を俺は大事にしたいのだ。