とある秋の日の早朝。
私が住まわされている観音寺城下の浅井家の屋敷に文が届けられていた。
「この書状の内容は真か? 直経」
小谷城との連絡を任せている家臣・遠藤直経に問うと、直経は首を縦に振った。
「浅井家中にて反六角の機運が高まっております。先んじては、猿夜叉丸様の御身を奪還せんと息巻いております」
「反六角派の暴走という訳か……。父上はこの動きについては何と申された?」
「久政様は何も仰せになりませなんだ。……まだ、機を待っておられましょう」
「……そうか。もう良いぞ直経。伝令、大儀であった」
言うと、私は直経を下がらせる。
そして、壁を殴りつけた。鈍い音が屋敷内に響く。
「……いつまで、私は観音寺にいなくてはならないのだ……!」
父上の目的は分かる。未だ収まらない領地を整えることだ。だが、あまりに時間がかかり過ぎている。このままでは浅井は完全に六角の風下に立つことになってしまう。
そして、さらに悪いことにいよいよ義賢が私が女であることに気づき始めた。
今までは母上や新十郎がなんとか誤魔化してくれていたが、ここまで身体が女性として成熟してくると厳しい。
まるで舐め回すような義賢の好色な目つきが目に焼き付いて離れない。
(このまま、観音寺にいては私は近いうちに操を義賢に奪われる)
聞いたところによると義賢に呼び出された女は強引に押し倒されて、痛がっても顧みられることもなく、一晩中子種を注ぎ込まれるのだと言う。
母も、呼び出された翌日は疲れ果てて丸一日寝込んでいた。
この観音寺は女にとってはもはや地獄に等しい。
私もいつ母と同じ目に遭わされるのかと思うと、恐ろしくて仕方なかった。
*
翌朝。
目が覚める。そして、私は安堵した。
昨夜を無事に乗り切れた、と。
義賢の情欲の昂りは唐突だ。丑三時だろうと女を叩き起こし、自分の寝屋に連れ込むのだ。
幸いなことに昨夜の対象は私ではなかった。
「こんな夜は、いつまで続くのだろうか」
観音寺にいる限り、この恐怖は女の盛りを過ぎるまで続く。
果てしない恐怖の夜が何年も続くのだ。
「さて、新十郎に挨拶でもしに行くかな。……いや、今はいないのか」
口にして、ようやく気づいた。
今日、新十郎はいない。昨日に重臣の蒲生家の与力として伊勢方面の経略へ出立したのだった。
新十郎が一門として働き始める一方で私は敵国の人質である以上、特に役を与えられることはない。生かさず殺さず、監視を受けるだけだ。
(最近、新十郎と会えていないな……)
そのためか、新十郎と会うことは減った。きっとこれからはもっと減っていくだろう。
新十郎は優秀だから、すぐに知勇兼備の将として家中に名を売り、より多くの役を果たすことになる。そうなると、敵方の人質の女に会う時間など確保できるわけもない。
「初めは同じ机を並べて、学びに励んでいたのだがな……。それが今となってはこうも違うのか」
敵地の中でただ一人得た心の拠り所。
それが私にとっての新十郎だ。
破廉恥な話もするし、がさつなところもある下品な男だが、なにより彼といるときだけは私は一人の少女・お市としていられるのだ。
*
冬の日の深夜のことだ。
母の部屋から話し声が聞こえた。
気になった私はいざという時のために開けておいた覗き穴で様子を見ることにする。
「猿夜叉丸もそろそろ年頃の娘。男を知った方がよいであろうよ。なぁ阿古よ」
「お戯れを、義賢様。猿夜叉丸はおぼこい娘ゆえ、まだ耐えられませぬ」
察するに義賢と母上だ。
どうやら、いよいよその夜が来てしまったらしい。
「左様か? 猿夜叉丸の肢体はいよいよ家中のどの娘より艶かしく育っておるぞ? あの恵体でおぼこい訳がなかろう。すでに、高村と寝ているのではないか?」
「我が娘に対する侮辱はそこまでに致したく存じます」
「まぁ、お前の口から真偽など期待しておらぬ。初めから欺くために猿夜叉丸と男名を偽ってつけるほどだしな。……あやつの身体に聞いてみるのが、早かろうて」
言うと、義賢は私の部屋につながる襖に手をかけた。
しかし、逃げようと思っても身体が恐怖で震えていうことを聞かない。
(嫌だ……。助けてくれ、新十郎!)
助けを求めても、もう喉から声が出なかった。
(ああ、私はあの男に汚されてしまうのか……。恋も知らず、ただあの男の肉欲を果たすためだけに私の純潔は散らされるのか……!)
絶望に苛まれながら、私はあの汚らわしい男に蹂躙される未来を見た。
……しかし、そうはならなかった。
母が、義賢の足にしがみついて止めていたのだ。
「おやめくだされッ! 私は如何様にされても構いませぬが、娘だけは! 娘だけはお頼み申す!」
泣きながら義賢に懇願する母上。
「阿古、邪魔をするな! ええい! まずはお前から組み敷いてやろうぞ!」
あまりにしつこい母上に業を煮やしたのだろう。
義賢は母上を蹴り転がし、馬なりになった。そして流れるように着物を剥ぎ取り、自らも裸になる。
それからは一方的だった。
ひたすら義賢は餓狼のように母上の体をむさぼるばかり。
母上は自慢にしていた長い黒髪を振り乱して、泣き叫びながら義賢の乱暴を一身に受け続けた。
その姿はさながら未来の私そのものだ。
私は見ていられなくて、覗き穴から離れて布団を頭から被る。
それでも、母上の泣き声と喘ぎ声、義賢の狂ったような笑いは耳に届く。私は寝ることも出来ず、じっと耐え続けた。
結局のところ、義賢が母上を解放したの朝日が昇ってからであった。
「よくこらえた、阿古。お前の頑張りに免じて今晩は猿夜叉丸を見逃してやろう」
意識を失い、倒れ伏す母上に対して偉そうに義賢は言う。
が、義賢自身はすでに朝が来ていることに気づいていない。恐ろしいほど狂っていた。
*
「母上っ!」
義賢が屋敷を去ったのを見計らって私は母上に駆け寄った。
「……猿夜叉丸、ですね。……見られてしまいましたか」
母上の着衣はぐちょぐちょに乱れ、部屋は散らかり放題。まるで妖怪が暴れた後のような有様だった。
「……怖い思いをさせてしまいましたね。……けれど、大丈夫です。猿夜叉丸、貴女だけは私が何としてでも守りますから」
そう微笑む母上の顔は美しくて、そして悲しかった。
胸のうちから途方もない罪悪感がこみ上げてくる。
(もう、待てない。母上にこのような苦しみを与えたくない)
私はついに、決意した。