京に入った俺たちは手始めに清水寺の救援に当たった。
守将の明智光秀はぼろぼろになっていたが、今川義元は無事らしい。
三好三人衆は俺たちが入ると同時に退却することを決めたらしく、摂津方面に逃げていく。
「清水寺はなんとかなったけどさ。三好を阿波に逃すと面倒だよ? 追撃した方がいいと思うんだけど」
「まあ、それは思うわ。じゃあ、追撃するか」
義定の献策に従い、俺たちは追撃を仕掛けることにした。
駆けることしばし、洛西の桂川の辺りで三好軍に追いつく。三好軍は現在進行形で渡河しており、惜しげもなく隙を晒していた。
「敵勢が見えた。吉継、敵の将についての情報はあるか?」
「三好三人衆に松永久秀。阿波衆をまとめるのは篠原長房の弟・自遁と伝わっております。こちら側に関して付け加えるならば、丹波の荻野直正殿が援軍を承諾しました」
「そうか、丹波の赤鬼がこちらについたのは大きいな」
当主の三好義継は幼少のため、戦力としては数えない。ただ、それでも阿波衆をまとめる篠原長房がいないことを除けば、現存している三好軍のオールスターとも言える。
ここで打撃を与えることができれば、もはや三好は畿内のキャスティングボードを握ることは難しいだろう。
「五千でどれだけやれるかは分からん。だが、三好を叩くにはいい好機である、か……」
こうなれば、迷う余地はない。
荻野直正の到着を待つのが一番いいだろうが、多分それじゃ逃げられる。雌雄を決するかはともかく、足を止める必要はあるだろう。
「六角軍! このまま三好を追い立てよ。畿内の秩序をより磐石なものにするのだ!」
号令をかけて三好軍を襲わせる。
兵数差は二倍はあるのだが、実のところそれはあんまり感じられない。
兵の練度はこちらが上ではあるが、長政によって虎の子の部隊が半壊したためピークに比べれば劣る。
だが、それ以上に渡河中とはいえ三好軍が脆弱だった。それこそ石山崩れで戦った時の方が手強いかもしれない。
(強さの差の理由は士気、か? かつての三好は長慶の下で天下を統べるという気概があった。しかし、今は三好三人衆と松永久秀、篠原長房の三極に分かれている。心の分断が、軍としての結合を緩めたか……)
疑問に思いながら、俺は敵を屠っていく。
そして、斬り進めていくうちにほのかに花の香りがした。
「うふ、やはり六角高村は侮れませんわね、あれだけの戦をしてなお、まだそれだけの力を残している」
ふらり、と見知った顔が姿を現す。
松永久秀。
観音寺騒動を煽り、将軍を討ち、東大寺を焼いた畿内の魔境ぶりを体現したような姫武将であった。
彼女が率いる軍は桂川を渡ろうとする俺たちに横撃を仕掛け、無理やりその足を止めさせる。兵数は三千ぐらいだが、その統率ぶりは今の三好軍に中では頭抜けており、やりづらい相手だ。
「まったく不本意ではございますが、このわたくしが殿を務めさせていただきますわ」
そう嫋やかに笑って松永久秀は得物の十文字槍を構える。
本質的には格下なんだろうが、久秀の感性は確かでこちらの目線や息遣いだけで動きを見切り、ひらりひらりと攻撃を交わしていく。
「うふ、相変わらずの刀の冴え。されど、軍勢はそうではありませんわね」
「長慶を失って弱体化した三好家には言われたくねえよ。もう完全に落ち目じゃねえか」
「そうですわね、義継様はもはや三好三人衆や篠原長房の意に逆らうことはできない。とはいえ、わたくしが戦う理由には変わりはございません」
言ったのち、久秀が槍を振るう。俺はそれを受けたが、思ったより勢いがあったためかややのけぞってしまう。
「変われない畿内への怒り。心が荒み、不寛容になった天下。ええ、わたくしは打ち砕きたいのです。今も昔も」
継いだ出た久秀の言葉に思わず俺は気圧されてしまう、それだけ言葉に力がある以上、きっとこれは彼女の本心なのだろう。
そして、なんとなく分かった。求め方の過激さに違いはあれど、久秀と俺の夢は同じ方向を向いている、と。
(とはいえ、彼女では畿内に新秩序は作れない。秩序を壊して混沌が生まれるだけだ。それでは、畿内の戦は終わらない)
しがらみだとか、怨讐だとか畿内に渦巻く呪いを軒並壊して更地にする。そして、その更地に新しい世を築いていく。
そうして初めて俺の、いや俺たちの夢は叶うのだ。
その新しい世を築く者こそが、織田信奈であり徳川家康である。あるいは在りし日の三好長慶もそうだったかもしれない。
「気持ちは同じ畿内の将として分かる。分かるが、天下が待っているのはお前たちじゃない。だから、ここで討ち滅ぼすまでだ」
「うふ、やれるものならばお好きにどうぞ。まあ、ただでやられるつもりはないですけれど」
再度、馳せ違う。
松永久秀はまたもしっかりとした手応えで受け止めてくる。
なんとしても松永軍を抜き、三好の本軍を捕捉しなくてはならないという状況でこの事態はあまりよろしくはない。
畿内を早期に盤石にしなければ、遠州の統治を終えた武田が再び攻め上ってきた時にいよいよ織田は窮地に陥るのは明らか。だから、戦略的には松永久秀がらしくもなく殿をする価値はある。
(ただ、いかんせん久秀が何がしたいかが分からん。三好に従ったとしても、家中の主流から外れる。領国の大和に関しては信奈公から安堵をもらっているから、久秀個人としては織田に残ったままの方がよかったのではないか?)
言動、行動からして松永久秀は忠臣って柄ではない。三好長慶には大人しく従ってはいるが、三好三人衆と阿波の方針に賛同しているとは思えないのだ。
それに清水寺をあっさりと放り投げたのも気になる。俺の追撃を恐れたのもあるだろうが、あの守備隊の疲弊ぶりからして今川義元にかなり迫れていたはずだ。
疑問に思いながら、俺は刀を振るい続ける。対して久秀はただただ微笑んでいた。
*
「うふ、やはり手強いですわね。ここでお暇するとしましょう」
だいたい朝から昼ぐらいまでやり合っていただろうか。
久秀が踵を返すと同時に松永軍は桂川を渡っていく。俺たちは追撃を仕掛けてその兵を減らしたが、三好の本軍は山崎の辺りまで逃げてしまっている。こうなってしまうと追いつくのは難しい。
「ちっ、やられたか……。いや、せめて久秀だけでもここで仕留める」
松永軍には数百の被害を与えたが、久秀はしっかり逃げている。
三好の本軍が健在である限りは西の脅威が絶えることはないが、畿内で屈指の実力者を葬れば少しはマシになるはずだ。
「義定、荻野直正はどうしている?」
「桂川から三好が退いたと聞いて山城から摂津に軍を転進させてるよ。けれど、やっぱりまだ時間がかかるみたい」
「なら仕方ない。このまま進んで、久秀を追いかつ摂津で離反した連中を叩く。三好がいる以上、摂津に不穏な奴を残しておくわけにはいかないからな」
幸いなことにこちらの損害はあまりない。このまま摂津再平定に目標を変えて進むことにした。
だが、摂津に入ってしばし。高槻の辺りで俺たちは逃したと思った三好軍を捕捉していた。
「高槻を素通りさせるわけにはいかぬなぁ。逆臣どもよ、覚悟すると良いわ」
「三好を逃してはならぬ! それがでうす様の御為となる!」
「これが立身の好機ぞ! かかれ!」
高槻城主で足利義輝の側近だった和田惟政。それに加えてキリシタン武将の高山友照。摂津池田家から派遣された武勇に優れる中川清秀。
この三将が摂津の織田方の国人を糾合して、三好軍の足止めを図っていた。
(幕府旧臣に、キリシタン、摂津の大勢力。いずれも利害が対立する者ばかり。それがこぞって織田に味方するとは……)
思わぬ織田信奈の求心力に舌を巻く久秀。
特にキリシタンが多く加勢していることが久秀には衝撃的だった。
彼女にはあずかり知らぬことだが、今回のキリシタンの集結には宣教師のルイズフロイスが噛んでいる。
堺で相良良晴と交流を深めた彼女は今川幕府にキリスト教の布教を許可してもらうべく、自主的に織田家の危機に立ち上がる事を決めていた。
(このキリシタンの数は異常。おそらく宣教師が声を掛けねば集まらない。今まで国内の世情に関わろうとはしなかった彼らを動かすとは、どうやら織田信奈は今までの畿内の覇者とは違うようですわね)
波斯と西欧という違いこそあれど、自身と同様に外国にルーツを持つキリシタンに久秀は親近感を覚えている。奇しくも両者とも畿内の旧勢力からは迫害を受けていた。
『久秀、ありがとう。貴女のおかげで私は父の無念を晴らすことができました。だから、お礼代わりに誓います。これからの私は貴女のような人を爪弾きにしない新しい畿内を作る、と』
必死に戦うキリシタンの姿を見て、ふと久秀の脳裏によぎった記憶がある。
かつて江口の戦いで細川晴元と三好宗三を打ち砕いた後に長慶が口にした誓いの言葉。今はもう遠い、夢の始まりの言葉だった。
(長慶様。どうやら、待ち人はすでに来ていたようです。わたくしたちが夢見た新しい畿内を引き継ぐ者は、尾張にいましたわ)
目の前で戦うキリシタンがかつての自分に重なる。こうなってしまっては戦意など湧いてこようもなかった。
この時、久秀は自分の敗北を認めた。
戦ではなく、心が完全に織田信奈に屈したのである。
ある程度戦い、自軍から敵兵を引き離すと久秀は戦場から離脱する。この無断行動は三好本軍を大いに動揺させた。
「これは僥倖。畳み掛けるぞ!」
そこに、六角高村が颯爽と攻めかかる。
戦いの最中に荻野直正も到着し、徹底的に三好本軍は痛めつけられた。
結果として三好三人衆の内、岩成友通が義定に頭蓋を撃ち抜かれて討ち死に。阿波衆を率いていた篠原自遁も荻野直正に討ち取られる事態で、三好本軍は這々の体で阿波に逃げ帰ることとなった。
この一連の戦いは桂川高槻合戦と呼ばれ、織田政権が畿内の地盤を固めたものだと後世の歴史家に評されることになる。