第54話 発火点
越前国一乗谷。
谷戸の中に歴代の朝倉当主が作り上げてきた城下町は今や『北の京』と呼ばれるまでに発展していた。京や堺からは多くの文化人が集い、今は長谷川等伯もまた一乗谷に許を構えている。
その一乗谷の中心、朝倉館に三人の武将が集っていた。
「今、やらねばならぬようだな。やれやれ、余にとっては迷惑極まりない。都の争いに介入せねばならぬとは」
「ええ、義兄さまには興味ないだろうけれど、現状で朝倉が安寧を手に入れる方法は畿内の影響力を強める、これしかないわ」
朝倉義景と朝倉景鏡。越前を差配する紫髪の一族が薄暮の中で笑う。一方、来客の浅井久政は固唾を飲んで二人の挙動を見守っていた。
浅井と六角三代の確執。朝倉の石高の百万石。そして、織田と六角を主敵にする周辺の大名達。そして、浅井長政の未来。
全てを秤にかけた末に久政が導き出した答え。
「それにしてもよく考えたものだ。浅井と朝倉、それに北畠と六角、斎藤の残党。全ての歩調を合わせて織田と六角にあたるなど、と」
「愚鈍な貴方らしくないじゃない、久政殿。誰の入れ知恵かしら?」
「言えぬ。無用な混乱を招くゆえな。ただ、大元を考えたのはわしよ。あやつはわしの素案に少しばかり修正と加筆をしただけにすぎぬ」
周りの大名全てを敵にまわして勝ち切れる武将はそこまで多くない。六角高村ですら織田と浅井と北畠の三家を敵に回してしまっては最終的には及ばなかった。
ただ、そこまでの勢力を外交で束ねられる存在は稀有だ。前回は北畠を除けば、織田と外交的に通じている勢力だったからまだ難易度が低かった。しかし、久政の構想では武田に三好などさらに多くの大名を巻き込もうとしている。
「答えて下され、義景殿。包囲網を作るか否か。やらねばならぬことが多いゆえ手早くお頼み申す。織田信奈の軍勢も今や敦賀を抜いていよう、後手を踏んでもわしは知りませぬぞ」
「まあ、急くな久政殿。参加は致そう。この一乗谷に織田の軍勢を入れるわけには行かぬからな」
詰め寄る久政に義景は悠然と笑う。
ここに信奈包囲網は成立し、久政らの外交努力で浅井朝倉の秘密同盟の枠を超えてさらに拡大していく。
*
一乗谷からの帰路。刀根坂の辺りで久政は待たせていた一人の男と落ち合う。男は老いてはいるものの、肉体は頑健で眼光はまるで虎のように鋭かった。
「待たせて申し訳ない。して無人斎殿、これでよいか?」
「ああ、愚鈍なうぬらしからぬ手際よ。どうやらうぬも己の心のうちに獣を飼っていたらしいな」
「獣の方がまだ可愛げがありましょうな。わしの腹に巣食うは情念の鬼。ままならぬ荒れ狂う心よ」
「鬼にしろ獣にしろ、腹に一物がある者は侮れぬ。儂がかつて学んだことよ」
そういって無人斎は傲岸不遜に笑う。それをしらけた様子で眺めた後、久政は告げた。
「ひとまず手勢を集めてくれ、無人斎殿。敵は小谷城にあり。長政に悪いが、これよりはわしの戦じゃ。しばらく引っ込んでいてもらう」
「承知した。しかし、儂が親が子を逐う手助けをするなど、皮肉なものよな」
久政と無人斎は二千の手勢を率いて小谷城に押し寄せた。
長政の近臣が異変を感じて押し留めようとしたものの、時すでに遅し。長政の元にたどり着かせてしまう。
「父上ッ! これはどういうことですかッ!?」
裏切った近臣に拘束されながら、長政は実父に言い募る。
「長政。これが答えよ。いかなる理由があったとしても、浅井と六角は共に天を戴けぬ。わしについた家臣の多さがそれの裏付けよ。ましてや織田は浅井と朝倉を引き離すことで北近江を乗っ取ろうとしておる。こうなっては最早、戦う他ないのだ」
言い聞かせたのち、久政は指示を出して長政を竹生島に護送させる。
「許せ、長政。お主のためぞ。わしは三代に渡る因縁を終わらせてくる。それまでは黙って見ているのじゃな」
「黙って見てなどいられませぬ! いがみあっていてはまとまるものもまとまらず、終わるものも終わらない! 父上は両細川の乱や京極騒乱をお忘れか!」
「無論覚えておる。されど、わしはそこまで忍耐できるほどできた人間ではないのだ」
なおも言い募る長政を一瞥して久政は小谷城の本丸を後にする。
語るべき相手を失った長政はただ項垂れるばかりであった。
*
久政が家督を奪取した後の浅井の動きは滑らかだった。
湖西では新庄直頼を大将に、宮部継潤を副将に据えた八千の兵を今津に向かわせ、越前から京に至る最短経路を閉鎖。湖東には無人斎経由で連絡を取り合っていた六角義治を蜂起させて鎌刃城に入れ、京と美濃も閉鎖。
残った近江と伊勢を繋ぐ鈴鹿峠も北畠を北上させたことで安全圏ではなくなった。
「わかっていたとは手際がいいな。そして、的確に嫌なところを抑えてくる」
俺の耳にも北畠の北上の報は届いていた。敵の数は九千。今までの北畠では最大の動員数である。いよいよ本気で亀山城を抜いて伊勢を統一しようと意気込んでいるのが、ありありとわかった。
「山岡殿。織田軍の動きはどうだ?」
「相良良晴殿を殿にして西近江を南下しております」
「西近江? あっちに浅井軍が向かっていたのでは?」
「どうやら会敵する前にすり抜けたようです。敵がいない事を察した浅井軍はさらに南下。坂本と堅田を抑えに回りました」
「そうか。なら織田軍が壊滅することはないな。ただ、坂本と堅田になると瀬田は近い。山岡殿は居城に戻って織田の在京組と連絡を取って警戒をしてくれ」
報告を聞き終えた俺は息をふぅ、と吐く。
流石は織田信奈というところか、引き際は心得ている。もしも少しでも浅井の寝返りの報に動揺して軍が止まったのなら今津の辺りで浅井軍に阻まれていたに違いない。
「だが、問題は湖東だな……」
六角義治が復活し、鎌刃城から日野方面に向かって三千ぐらいで軍を進めている。これだけなら問題はないが、亀山に早急に万近くの兵を入れなくてはならず、一応瀬田方面にも多少の兵力を残しておかなくてはならない。
(やはり、この前の損害が戻ってないな。こちらが最大で出せるのは一万四千ぐらい。とはいえ、無邪気に全部をぶち込めねえから若干兵が足りない).
だが、今回は前とは違って味方がいる。自分だけで抱え込む事もないのだ。
「一氏。斎藤道三殿に鎌刃城に出てきてもらうように頼んでくれ」
これでひとまず湖東における処置は終わった。とはいえ、これは対症療法でしかなく、第一歩に過ぎない。
(おそらく包囲網の大本命は武田だろう。武田が再び上洛軍を興す前に可能な限り、戦線を潰しておかなくてはならない)
松平元康がこっそり浜松城を再奪取したとはいえ、遠州の過半は武田の手の中にある。東濃もまだ武田領だ。その時が来れば、瞬く間に松平は蹴散らされて美濃も岐阜を残して切り取られる。
そうなってしまえば、武田を追い返したとしても織田は数年は内政の回復で足を止めざるを得ない。天下を取るにしても厳しくなる。
幸いな事は久政が突貫的に作り上げたからか、未だに連携にタイムラグがあることか。このラグがあるからこそ、まだこちらは手を打つことができる。
「やれやれ、これから忙しくなるぞ……」
これからの仕事量と締め切りを考えると憂鬱になる。
けれども、やるしかなかった。