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曇り空の下、六角軍は中伊勢を駆けていく。
その軍旅の中に俺はいた。
今回の戦は中伊勢の神戸氏の家督が具盛に変わって具盛が地理的な近さから六角についたことから始まる。今まで伊勢では関氏ぐらいしか影響力を持たなかった六角はこれを快く受け入れた。
ただ、元々の主人である北畠家がそれを許すはずもなく、すぐに神戸氏に軍を差し向けた。これを聞いた神戸具盛は早速六角に救援を要請。せっかく新たに得た伊勢への足掛かりを失いたくない六角もまた軍を差し向けたという次第だ。
「北畠かー。大した武将もいない紀勢の辺りで暴れ散らしているだけだろ? 大して強くないんじゃないのか?」
「かもなー。当主も晴具から具教に変わったばかりだし。この戦は勝てるでしょ」
軽口を叩きながら俺たちは南進していく。すでに神戸氏を攻めていた軍は撃退し、今は少しでも北畠の領土を切り取ろうとしていた。
「新十郎もそう思うだろ、な?」
「まあな」
馬上で笑う俺。この時の俺は初陣ながら兜首を三つ取っており、正直言って浮かれていた。今はあまり感じないがこの当時は『中身が現代人の俺が果たして戦国時代に通じるのか?』 という不安に苛まれていた。兜首三つという戦果はそれを慰めるに足るものだったのだ。
軍が雲出川に差し掛かる。おおよそこの川を境に神戸氏と北畠の領土が分かれており、これからは敵地である。
意気揚々と川を渡ろうとしたところ、六角軍は側面から強襲を受けた。
どうやら川縁の茂みや林に伏せていたらしい。数は千はいかないようだが、かなりの精兵だった。
「目賀田掃部様、討ち死に!」
「平井備前様も同じく!」
次々と六角の大身が討ち取られていく。こっちの軍は五千を超えているにもかかわらず、この千にも足らない軍勢にひたすら後手後手に回っていた。
「なんだよっ! こっちは五千だぞ? なのに、なんで……!」
仲間の一人が問いかける、その声音はどこか悲鳴に似ていた。
得体の知れない恐怖に俺たちは震えている。無理もない、多少は腕に覚えもあり、僅かばかりの戦果を得ていたとしても、俺たちは所詮は初陣の若者に過ぎないのだから。
とはいえ、ここで怖がってばかりではただ命を落とすばかりのような気がして、俺は一つ口にしていた。
「……立ち向かうしかない。怖くとも挑めば、何かが変わるはずだ……」
俺の言葉に周りは怯えて抗議の声を出す。しかし、俺は聞く耳を持たなかった。
「死にたくない奴はついてこい! 怯えた奴は知らん! 勝手に死ね!」
俺が一喝すると、周りの奴らは渋々ついてくる。彼ら自身に腹案があるわけでもない。良くも悪くも俺の選択に乗るか、一人で命を運に任せるかしか選択肢はなかったのだ。
俺たちは意を決して蒲生定秀殿を襲っている敵軍に側面から襲い掛かる。
やぶれかぶれの突撃。意思の統一が薄い軍勢。力はあれど、心が伴わない若造たち。
これでは、側面という有利を取ってもさして意味はなかった。
「助けてくれ、新十郎! ……ぐわぁッ!」
「だから、僕は逃げようって言ったんだ! うわあ!」
「やめ……、やめて、助けて……」
目の前には惨憺たる光景が広がっていた。
ある者は斬り倒され、ある者は怯えて逃げようとしたところを容赦なく矢で射抜かれ、ある者は姫武将の宿業か捕らえられて攫われていく。
俺はその一つ一つを止めようとし、刀を振るったが九割は届かない。
「……くそ、届かねえ」
最早、兜首を三つ取ったことなどどうでもよかった。
今の俺では、皆を助けられない。伸ばせる腕はそこまで長くはない。そのことを、痛いほど突きつけられた。自分が生還することすらももう覚束ない。
ならば、せめて一人でも敵を討つ。そうしないでは、気が晴れなかった。
覚悟を決めたというか、やけになった俺はひたすらに敵を斬り続ける。累計で六十は斬り捨てていたと思う。
ここまで来ると、流石に北畠側も看過できないのか包囲を強めてくる。
そして、ついに俺は失血と疲労で倒れた。
(不甲斐ねえし、申し訳ない。俺は恐怖を紛らわせるために、皆を駆り立ててそして殺したのか……!)
悔いても悔やみ切れない。身体ももう動きはしない。
ああ、なんという無駄な転生なのだろうか。
俺はただ、自分の愚かさを呪っていた。
視界の端に白刃が見える。
どうやらここまでらしい。
しかし、その白刃が振り下ろされることはなかった。
「……いえ。このような狂犬を斬るまでもありません。せっかくの名刀を汚したくないですから。このまま放って野犬にでも食わせておきましょう」
北畠側の部隊長が吐き捨てる。
処女雪のように白い長髪は血に塗れ、元は艶やかだったであろう装束は返り血で赤く染まっている。顔もまた返り血を浴びているが、それでも整っているのは分かる。
雪の妖精のような絵になる美少女。義賢様なら迷わず鼻の下を伸ばしただろう。俺にはもうそんな余裕などなかったが。
「さてと……。生かしたのはいいですが、助かるんですかね、これ」
兵を引かせたのち、少女が俺の方に歩み寄りつんつんと頭を鞘で小突いてくる。
俺はどうしようもなく腹を立て、あらんかぎりの眼力で彼女を睨んだ。
「わお、その身体でその眼ができるなら心配は無用でしたね」
「……俺を、助けてどうするつもりだ……訳がわからん……」
息も絶え絶えに問いかけると、彼女は雪あかりのような淡い笑みを浮かべて言った。
「待ちます。わたしを脅かしうる武勇の芽が育つまで。そして、戦場で再度雌雄を決する。そうなれば、とても楽しいと思うのです」
「……そうかよ。なら、好きにしろ」
自分の道楽のためにどうやら俺は生かされたらしい。呆れて乾いた笑いしか出てこない。ただまぁ、命を拾えるならそれはそれで御の字だ。
その後、彼女は最低限の応急処置だけして去っていった。
美しくもどこか残酷で、なおかつ超常的な振る舞い。
まさしく雪の妖精のような少女だった。
…………。
「いつ見てもいい気分はしねえな、これ……」
背中がべたつく不快さで俺は目を覚ました。
夢を見た。俺が武将としてはまだ幼かった時代の頃を。
この後、俺は生存者を探していた定秀様の隊が見つけてくれたため、命を拾った。ただ、友のほとんどは帰ってきていない。
俺はこの戦で自分一人が強くてもどうにもならないことと、軍の力を束ねることの意味を知った。意思なき軍は弱く、謀少なきは負けるのだ。
この日を境に俺はまた軍略を学び直し、隊の訓練も見直した。一人だけが強くならずに皆の力を引き出せるようにする。そうすればきっと仲間を失うことは減っていくと信じて。
学び舎での友をほとんど失うという手痛い代価を払って、俺はようやく武将という生き物になれたのだ。
「北畠具教か……」
あれから月日は流れ、何度か彼女の軍を撃退し戦績ならばとうに俺が勝ち越している。
しかしそれでもさっきの夢を見るたびに、まだ俺は本当の意味では彼女に勝ててはいない。
そう、思わされるのだ。
*
最大の敵は時間で、敵の落ち度こそが最良の味方。
今の戦況をざっくりと表すならば、これが適当だろうか。
浅井の離反を受けてから高村がしたことは、まず北畠の牽制だった。亀山城外の野戦で軽く戦い、籠ると見せかけて夜襲。退くほどではないが、これで北畠は警戒して手が止まった。
その時間を使って次に六角義治の討伐。北畠方面軍から二千を抽出し、足りない分は織田から斎藤道三を呼び込んで補った。
予期しない挟撃の前に義治は何もできない。義治はあっさり逃げ、主戦力となっていた旧六宿老の目賀田氏は根絶やしにした。
「聞きしに勝る快速ぶり。これが、江南の天馬と呼ばれた者の力量か……」
合流した先で高村の一連の軍事行動を聞かされた道三は震撼する。
時間差を作り出しての各個撃破。近江と伊勢の間を疾く駆け抜ける行軍速度。織田とはまた一味違った率先即決の手法で高村の巧みさを如実に示していた。
「急げるなら急ぐ。今回はそういう戦だからな。幸いな事に義治の馬鹿が南下してくれたから敵の狙いが北畠方面軍の挟撃だとわかった。なら、後はそれを逆算して行動すればいい」
こともなげに高村は言うが、「口にするには容易いが、行動するとなると別」という真理を道三とて知らないわけではない。
「さて、道三殿。俺は亀山城に戻り、本格的に北畠を押し返してきます。このまま湖東に留まり、浅井への警戒をお願いしたい」
「承知した。北畠具教は剣豪将軍亡き後の畿内に於いては高村殿に並ぶ武勇を持つと噂されておる。気をつけることじゃな」
「そのことはとうに知っています。なにせ、かつて俺を完膚なきまでに負かした相手なので」
高村の言葉に道三は目を丸くする。口にした本人はそれを意にも介さず、南に目を向けていた。
読んで下さりありがとうございます。
回想の時系列は第4話と第5話の間ぐらいです。挿入しようかと一度考えましたが、あの近辺の話と字数が釣り合わないのでそのまま最新話投稿にした次第です。