第60話 ふっかけ
北畠具教、戦死。
この報は北畠家の戦意を完全に砕いた。
戦が終わってから一日も立たぬうちに鳥屋尾石見守をはじめとした北畠の家臣団は降伏を打診。
俺はこれを受け入れて、大河内城に入城して戦後処理を行った。
主な内容としては、具教の妹……北畠具房の助命。具房は尼刈りをしたのち、室生寺に幽閉。家老たちも助命され、田丸城に幽閉。
幽閉された者たちの監督は氏郷に任せた。他の家臣団は所領を削減され、あるいは召し上げさせたが、処刑は誰一人行ってはいない。
少しでも早く療養に回りたかったから大急ぎで色々取り決めたが、ただ一つ決まらなかったものがある。
それは伊勢の帰属だ。暫定的に俺たちが統治に当たっているが、信奈公からの許可は得ていない。送った質問状が未だ返ってきていないのだ。
(まぁ、返って来ない理由は察しがつく。伊勢よりも叡山を焼くか焼かないか。そっちで揉めてるのだろう)
山岡景隆からの情報によると、織田信奈は目覚めたはいいものの相良良晴と明智光秀が未帰還と知らされたショックで半ば錯乱状態にあるという。
松永久秀が使嗾して叡山を焼かせようとし、丹羽長秀をはじめとする織田の重臣は反対している。俺もまた反対側だ。
(内実はどうあれ、叡山は京の鬼門を守る要で文化的な象徴だ。それを焼いたとあれば、畿内の人心は織田信奈について来なくなる。それこそ、定頼様が天文法華の乱で京を焼いた時と変わらない)
少し時代を遡るが、第6代の室町幕府将軍・足利義教も叡山を焼いている。彼は強権的に力を振るったが、最後は赤松満祐に暗殺されて戦国時代の遠因となった。そして、同じく叡山を焼いた織田信長もまた明智光秀に暗殺されている……。
(天下を焼く魔王になるか、はたまた麒麟を呼べる為政者になれるか。ここが運命の分かれ目だぞ、信奈公。選択を違えた時は、こちらも覚悟を決めよう)
織田信奈だからこそ、俺は麒麟を呼べると思ったからこそ膝を屈した。だが、織田信長はそうではない。魔王とは同じ天を戴くつもりはないのだ。
(相良良晴、この重要な時になぜいない。ここで彼女を支えられなければ、お前がこの戦国に来た意味はないだろうに)
苛立ち紛れに文机をコンコンと叩く。
そして戯れに試算してみる。
幸い今の織田なら三好辺りと手を組めば、討てるだろう。
一度手を切ったから武田信玄との宥和が厳しいが、最悪は国力差で凌ぐしかない。その場合、上に戴くのは毛利輝元になるのだろうか。うん、ピンとこない。
「やはり、今更切るのはやはり悪手か……。だが、魔王になった織田の下につくのは覚束ない。俺が明智光秀の立場になりかねんしな……」
ふと、めまいがする。
気力で戦後処理をしてきたが、いいかげんキツい。
失った血は戻らず、絶えず頭が痛む。
……なんとか義定への引き継ぎを終わらせておかないと……。
「頼むぞ、信奈公……。俺を過労死させんでくれ……。国力はともかく体力が保たんぞ……」
パタリと文机に倒れ込む。
デコが痛いが、もう動く元気がない。
いいや、とりあえず寝よ。寝てる間のことは起きたら考えればいい。
完全に投げやりになって俺は意識を手放した。
*
「……朝か。それにしてはやけに長く寝た気がするが……」
寝ぼけ眼で辺りを見回す。
義定、山岡殿、京極高次、そして竹中半兵衛。
俺の布団の周りを四人の姫武将が取り囲んでいた。
え、なんで?
思わず頭の中が疑問符に支配される。眠気は秒で覚めた。
義定はわかる。部屋が隣だから、たまに起こしにくることがある。高次も今は旗本に取り立てるから割といつも近しい立場にいる。
山岡殿。基本的に彼女は自領にいるが、家臣だからここにいてもおかしくはない。
竹中半兵衛。いや、なんで?
なんで織田家臣が俺の寝所におるん?
「やっと起きたね、新十郎。まったくいいご身分だよね。天下の一大事だというのに、三日間まるまる寝てるなんてさ」
ニコニコと嫌味たっぷりに義定が言う。
山岡殿に竹中半兵衛。……ああ、なるほど。なんとなく叡山方面で何かあったのは分かった。山岡殿の所領は琵琶湖を挟んで叡山の対岸にある。その影響は計り知れない。
「信奈公は叡山を焼いたか?」
俺が問いかけると、半兵衛はふるふると首を横に振る。
「柴田様と前田様にお願いして信奈様は京の妙覚寺に押し込めました。直ちに焼き討ちが行われることはありませんが、お考えは変わっていません」
「そうか。……で、何の用で来た? 叡山が女人禁制で入れないから俺に代わりに交渉に行って欲しいってことか?」
「それだけならば、京都所司代をなさってる村井様に出ていただければ、事足ります。しかし、それだけでは浅井と朝倉の勢いを落とすところまでは行きません。佐和山表への派兵を何卒お願いします」
「確かに俺らが浅井領に入れば、浅井は帰らざるを得ない。叡山籠城の意味がなくなるな」
浅井朝倉の叡山籠城はそれぞれの本国の安全が担保されているのが前提だ。自分たちは安全なところで待ち、三好か武田が織田を攻めるのを待つ。それこそ大戦の時の俺の戦略と近しいからわかる。
「条件次第なら考えよう。ただ、こちとら東の包囲網を崩したばかりで余力がねえ。俺だってまともに動けんぞ」
正直キツいが、織田から利益を引き出す好機ではある。
浅井を叡山から下ろすだけなら別に本気で浅井を攻めつぶすような真似をしなくてもいい、大軍で小さい城を二つ三つ落として脅かせば足りるだろう。
「どうする? 半兵衛? そっちの口ぶりからして時間はそこまでないんだろう? こっちもキツいからな。確約がないと動きたくないんだ」
揺さぶりをかけてみる。どうせ半兵衛のことだ。俺が北畠の遺領の加増を狙っているのは知っているだろう。
織田家的には避けたい事態なんだろうが、さりとて俺が動かねば織田は交渉に時間を食い、叡山を焼いて天下の声望を失う可能性が高まる。
知力ではさすがに半兵衛には勝てない。けれども、彼女の人見知りという面を突いた小細工でデバフをかけることはできる。
これはそこそこ効いたようで、半兵衛は長考していた。
感覚的に4、5分といったところか。半兵衛は毅然とした面持ちになって口を開いた。
「北畠遺領の加増など、私の権限では出来ないので即答は致しかねます。しかし……」
「しかし?」
「……それで、高村さんはいいんですか。一番叡山を焼かせたくないのは、高村さんなんじゃないんですか? そうでなければ、定頼様が焼いてしまった京の再建などなさらないはずです」
思わず口に詰まる。
痛いところを突かれた自覚はある。
定頼様は畿内の安定を目指していたが、天文法華の乱でその資格を失った。
俺は六角を生きながらえさせつつ、定頼様の目標を継ぐつもりでいる。そのために叡山を鎮めこそすれども、焼き払うなんて真似はしたくもないし、させたくもないのだ。
「私からもお願いします。叡山が焼かれ、坂本の町が打ち壊されると私の領内の統治が立ち行かなくなります。何卒、宜しくお願いします」
最後に山岡殿から締めの一撃を撃ち込まれる。家臣の中で一番不利益を被る人物から言われてしまえば、どうにもならない。当主である以上は可能な限り家臣は守らなくてはならないのだから。
「はぁ、致し方ない。とりあえず攻める。ただ、北畠遺領の加増に関しては考えといてくれ」
やはり、半兵衛の洞察力には勝てない。
早々に俺は観念し、俺は彼女の要求を飲むことにしたのだった。