第7話 代償
二晩で観音寺から小谷城まで駆け抜けた。
かなりの強行軍となったが、それは一晩で六角領を抜けたかったからだ。
私だけならともかく、母上もいる。直経と二人だけで母上を守りながら追っ手を防ぐ自信はなかった。
「ああ、ようやく帰ってきたのですね……!」
感嘆する母上。
聞けば、十年以上も帰っていなかったとのこと。
私の場合は、小谷城にいたのは物心つく前だったから、深い感慨はない。ただ、母上を安全なところまでお連れできたことに安堵していた。
「よう帰ってきたな。阿古、猿夜叉丸」
本丸御殿で父上から労われる。久方ぶりに見る父上はかなり老けて見えた。
「勝手に帰ってきたことに関しては何も言わぬ。起きてしまったものは致し方ない。……しかし、家督は渡さぬぞ」
「それは、何故ですか」
「武家とは男がやるものよ。当世はやりの姫武将は認めぬ。あやつらは本分を履き違えておる」
父上の言うようにかつては男は武器を取り、女は祭祀を司ると役割が分かれていた。だが、今となってはあまりに時代遅れの理屈だった。
「猿夜叉丸よ。そなたの才覚が優れていることは知っている。だが、決まりは決まりだ。家督は越前か六角から養子を取る。そうよな、高村殿辺りを養子に取って継がせようか」
しかし、頑なに父上は譲らない。だから、私は食ってかかった。
「それでは駄目なのです父上、朝倉義景は文弱で頼れない。六角もただ北近江を奪われて浅井の名跡が残るだけ。そのようにして名を継いでも誉はありませぬ!」
父上のやり方では、結局のところ浅井は変わらなかった。十年かけても領内がまとまられず、国人の寄り合い所帯の頭のままだ。
だが、それが許される時は過ぎた。
たとえば美濃の斎藤家は美濃をまとめきって尾張の織田信奈と手を組んで虎視眈々と近江を狙っている。
六角では新十郎、いや六角高村が武将としての資質を開花させ始めた。
敵が強くなっている今、浅井が近江の主権を握れなくては浅井家はただ滅ぼされる存在になるだろう。
(なんとしても浅井は変わらねばならない。さもなくば、忍従の日々は続く。恐怖の夜も続く。そうなってしまっては帰ってきた意味がない)
私は母上を守るために帰ってきただけではない、
浅井を変えに来たのだから。
そのためならば、私はあらゆる手を用いる覚悟がある。
「……失礼します。それと、名を賢政から長政に改めます。もう私には不要な名ゆえ」
もう、父上との交渉の余地はない。
そう見た私は母上と直経を残して本丸御殿を去った。
その後は、先に書状を渡してきた反六角派の諸将と渡りをつける。その数は思ったよりも多く、かなりの数がすぐに集った。
(浅井のためとはいえ、父上から家督を奪おうなどと。私はいったい何をしようとしているのだろうか)
胸のうちに虚しさが去来する。
しかし、それでもやらなくてはならなかった。
*
小谷城の制圧は容易かった。
門番すらも私に味方したため、本丸御殿まで誰にも妨げられることなくたどり着く。
簡単に事が運ぶのはよいが、それだけ父上の信望が失われていたことが分かって悲しかった。
「……そうか。止められなんだか。致し方あるまい」
居並ぶ諸将の前で父上は容易に屈した。
「だが、代価としてお前は女としての幸せを諦めろ。姫武将は認めぬ。それだけは譲れん。お前は浅井長政として、北近江の1人の男として立て」
異様なほど父上は姫武将を認めない。だが、それで家督を継げるなら構わなかった。もとより覚悟をしているし、未練は余さず観音寺に置いてきたつもりだ。
なにより、怯えて震える夜を過ごすよりはずっと良かった。
「心得ました、父上。では、しばらくお休みください」
言って直経に父上を連れて行かせる。
家督を奪った以上、城に父上を置いてはおけない。ほとぼりが覚めるまでは琵琶湖中に浮かぶ竹生島に居ていただく。
「ついに、私はここまで来てしまったのだな」
事が終わり、誰もいなくなった本丸御殿で私は呟く。
家督を継ぐまでにすでに私は2つ大事なものを捨ててしまった。
この代償を無駄にしてはならない。
必ずや浅井の旗を天下に誉高く翻さなくてはならない。
そう決意する私がいる。
しかして、どこかで泣いている私もいる。
ただ、ここまで来てしまったからには最早足を止めることは出来ない。