長く長く戦いは続いていく。
戦乱の世とはいえ、最近の畿内……六角を巡る動静は目まぐるしい。
織田との大戦以降、戦乱は止まず。摂津、姉川と来て尾張を武田から解放するべく動いている。
「多分、新十郎は尾張を取ることで武田の戦略上の有利を除こうとしてると思うんだよね。成持くんはどう思う?」
僕直属の上役……義定様が戯れに話しかけてくる。おそらくはそうなのだとは思う。高村様は迂遠ながらも真実を見抜く神通力というべきものがある。今回もおそらくそれだろう。
「……私にはそんな大それたことは分かりませぬ。ただ、やるべきことをやるのみ」
ただ、僕は緊張してそんなことしか言えなかった。
情けない? 致し方ないだろう、なにせ僕は取り柄が六宿老の家に産まれてきたこと、性格が破綻していないこと、今までなんとか生きて来れていることの三つしかない凡庸な男だ。
三雲の嫡男の座だって野良田の戦いで姉が討ち死にしたから転がり込んで来たものにすぎず、ただ家格と性格が扱いやすいだけで用いられているだけで元来は義定様と轡を並べられるような男ではないのだ。
だから、こうしているだけで満足なのだ。満足するべきなのだ。決して言えない、認めてはいけない。こんな木っ端のような自分が、義定様に恋を。劣情を抱いているなどと。
(……それでも、近くで見るとより綺麗だなぁ……)
片想いしている分、公正な見立てではないだろうが義定様は美しい人だった。栗色の長い髪に程よく肉付きの良い肢体、太陽のような笑顔も合わさり傾国とはかくやとばかりの美貌を持つ。美男で有名な江北の浅井長政を今蘭陵とするならば、義定様はそれこそ今西施と比定して差し支えない。
義定様の幕僚などと分不相応な役目を負うているが、彼女の玉のような美貌を拝むことができる。こればかりは役得だった。
閑話休題。
高村様たちに引き連れられて、尾張を西から北へと横切っていく。津島という商いの要地を奪還し、信奈公が拠点とし守護所も置かれていた清須城を武田の攻囲から解放した。
まさに破竹の勢いで、いよいよ本格的に退路を断つべく六角軍は武田信玄が依っている小牧山城に向かうのだった。
だが、良かったのはそこまでだったと思う。
小牧山城の手前の街道で迎え撃ってきた武田軍は強かった。
高村様の攻めをあしらい続け、踏み込んだ高村様も一度退けられて下がらざるを得ないほどだ。
僕はなんとか命を拾って帰陣したが、思わぬ停滞に六角の陣営は動揺している。僕もまた知らずひとりごちる。
「信玄も四天王も岐阜城にいるはず……。ここまでの将がまだ武田にいたなんて……」
「いや、成持くん。その前提は見直した方がいいかも。……多分、あの軍は武田信玄が指揮してる」
「え? 武田信玄が美濃から尾張に来てる? いや、流石にそれは何かの間違いではないかと……」
いかに義定様の言葉といえど、信じがたかった。
確かに尾張は重要な地だとは思う。しかし、武田側にとってはもう役割を終えた土地だ。抑えに誰がしかを回しはしても、織田の本隊が岐阜城にいる以上は主力をこちらに向けることはない。そのはずだ。
けど、道理では難しいはずなのに、義定様はどこか確信めいた予感があるらしい。
わからない。僕はどこまで行っても普通の武将だ。義定様や高村様、武田信玄と同じような視座を持つことが叶わない。こういう時に自分の凡人ぶりが悲しくなってくる。
ちょっとばかり、悲嘆に暮れていると高村様が刀を肩に担いだままこちらにやってくる。
「義定の言う通りだ、成持。相手は武田信玄に違いない。なにせ、この俺自身が直で見たのだからな」
「ということは、相手は本当に武田信玄なのですか……!」
僕が震えながら問うと、高村様は淡白に「ああ」と頷いた。
それと同時に僕は膝から崩れ落ちる。
敵地で戦国最強武田信玄と予期せぬ遭遇戦をする?
駄目だよ、流石に死んじゃう。
半ば諦めた僕は密かに決意した。
遺書でも書いておこう、と。
*
崩れ落ちたいのは、俺もだよ。
そう思いつつ、明らかになった現状を整理する。
美濃竹が鼻城を獲った俺は津島から清須、そして小牧山城と尾張を西から北に攻めていった。
理由としては、美濃にいる武田本隊と尾張を分断して補給線と物資を減らすこと。折しも織田軍と分かれる前に半兵衛と練っていた水軍による三河入りによって馬場信春が退き、松平軍を北に回せるようになって尾張を占領する目処が立つようになったからだ。
(だが、今になってようやく分かった。多分、俺は信玄公にそう仕向けられていたんだろうな)
竹が鼻城の山県昌景は囮。とはいえ、対処しなければ赤備えが縦横無尽に動けるため、ここはどちらにしても手を出さなくてはならない。
そうして竹が鼻城が落ちた頃合いで馬場信春を三河から尾張入りさせて松平の北上を誘発させる。まるで、岐阜城で武田本隊と決戦するよりも、尾張奪還が狙い目であるかのように。そして、俺はまんまと釣り出されたわけだ。
(こうもしてやられたのは、初陣の具教公の時以来か……。武田信玄と面と向かってやり合うにはまだ俺には足りないらしい。完敗だ)
かつて俺は桑名の大戦で総力戦を厭って降伏した。おそらく、その時に信玄公は理解したのだろう。俺が極力被害を避けるように立ち回る癖があることを。それを、ここぞという時に信玄公は活用した。
(おそらく呼んだ松平軍は奇襲で処理されている気がする。かといって即座に逃げようにも、すでに手は回しているんだろう。山県昌景と道中で出くわさなかったのはそういうわけだろうから)
他にも南の馬場信春、おそらくは内藤昌豊。この辺りも俺に襲いかかってくるだろう。
完全に掴めてはいないが、もはや四方を包囲されているものと思った方がいい。
東は武田信玄の本陣。
兵数はこちらよりやや少なく、武田四天王は高坂昌信がいるのみ。割と岐阜城から移ってきて間もないから、やや疲れと浮つきがあるようにみえる。
もしさっきみたいな探るような攻め方ではなく一気呵成に攻め立てたなら、もしかしたらがあるかもしれない。……だがまぁ、正直なところ誘っているようにしか見えない。包囲を極められてからはなおさらにそう思えてしまう。
「はてさて、どうしたものかな……」
散らしていた軍勢を回収しながら思案を重ねる。
作り上げた武田信玄の虚像が手ぐすね引いて決断を待っている。そんな気がした。