第81話 やはり織田信奈は持っている。
多治見会議からはや半年。
信奈公、ひいては六角領国には平和が訪れていた。
浅井と朝倉には痛撃を与え、武田に関しては蓄えをかなり放出しただろう。しばらくは動けまい。
織田もまぁかなり損耗していたがここは領国の地力か、数ヶ月で平時の体制に戻していた。
東が大人しくなれば、西に備えを厚くする余地が生まれる。
織田は摂河泉三国への圧を強めて三好の色を消していた。また明智光秀を主将にして丹波国を治める赤井直正、あと在京していた義定を使って丹後に侵攻。一色氏を降伏させたのち、亀山に畿北方分として光秀を置いていた。
「さて、今日も京に行くとするかね……」
愛馬にハミを噛ませて跨り、手綱を握る。
俺自身はというと京の六角屋敷と観音寺、自領の栗東の間を行ったり来たりしていた。京の街の再建や自領での馬の繁殖に観音寺での決裁とやることが多い。……なぜや、なぜ平時なのにこんなにやることが多いんや……。まあ、平時にやるべきことが溜まるほど緊急時が長かったというのが正解だろうけど。
今回は信奈公に呼び出された形だ。……彼女に呼び出される時って身の危険はないけどあんまりいいことが起きたためしがないんだよなぁ、ふええ行きたくないよぉ……。
京に着いたらそのまま信奈公が常宿にしている本能寺に向かった。
「さすが、早いわね」
「まぁ近いからな」
本能寺に設けられた茶室で信奈公と光秀が待ち構えていた。他の重臣の姿は見当たらず、どうやらこの三人で話すらしい。
「揃ったなら始めましょ。あんたら2人に今後の畿内をどうするか伝えるわ」
信奈公の話としては今後の畿内経略についてだった。
今回の丹後平定の後に信奈公は方分として畿北に明智光秀を置いた。畿北方分になったことで光秀には畿内の中規模(ギリギリ万を超えないぐらい)の軍の進退の自由を与え、自領外の知行宛行などの諸権利も後で信奈公の検閲があれば認められる。
まさしくのちの方面軍の原型となるようなシステムだろう。まぁ俺はそこら辺が奪われていない従属大名だから今までと変わらないわけだが。
一応、俺の扱いは特別方分ということになっていて、畿内においては信奈公の検閲なしで兵数制限なく軍権は行使できる。他は光秀と基本的に変わらない。管轄は伊勢と伊賀と大和と紀伊の四か国で与力というか監視に松永久秀をつけるらしい。
摂河泉三国と山城は今のところ織田の直轄にするとのことだ。
(なんだかなぁ……。やはり、いささか効率に寄り過ぎているように思う)
信奈公たちに気づかれないように俺は眉を顰める。
正直、俺はこのシステムについては否定的だ。
この手法は効率的に平定を進められる分、上に立つ者の格が求められる。なにせ、軍政両面を担う軍閥をみずから生み出してしまうのだから。
一度当主が力を失う、あるいは次代の器量が足りなければ、野心あるものは信奈公の検閲など歯牙にかけずに嬉々として己の利権を広げにかかるはずだ。
近い例だと羽柴秀吉も徳川家康もそうして天下を奪った。古代を紐解けばアレクサンダー大王のディアドコイたちがいる。彼らのような傑物がいない場合でもこの手法は軍閥間のパワーバランスを当主が調整しなくてはならず、代々の当主のバランス感覚に左右される。一度致命的に過てば、すぐに戦乱の世に舞い戻る脆弱な国家権力を作りかねない。
……それでは、天下を統一したところで麒麟は来ない。意味がないのだ。
まぁ信奈公も信長もそこはわかっていそうだが、分権というのは割とデリケートな問題なのである。
*
方分について話された後は、今後の戦略について知らされた。
浅井朝倉は停戦が明け次第攻撃を開始し、武田の畿内へのとっかかりを取り除く。
西に関しては明智光秀を通して播磨と但馬因幡の山名に働きかけて対毛利の下準備。
「問題は石山本猫寺よね……」
広げられた地図の一点を指差して信奈公は溜息をつく。
石山本猫寺。おそらくは史実における石山本願寺にあたる寺院は大坂の地に堅固な要害を築き、信仰王国を作り上げていた。
仏教の一宗派ではあるが加賀一国を門徒が丸ごと領国化し、三河では家中の半分を占めて内乱を起こし、長島でも門徒が織田と六角の介入を受け付けないでいる。紀伊の雑賀衆も大半は門徒だから勢力の中に加えてもいいかもしれない。
下手をしたら、どこの大名家よりも強大な兵力を抱えているのが本猫寺なのだ。
「猫を崇め奉る邪宗は排斥すべきです。なんですかにゃむあみにゃぶつなど……ふざけてるんですか?」
光秀が口を尖らせる。正直、俺もこの世界で本猫寺を知った時は俺はぽかんとアホみたいに口を開いたものだ。それこそ宇宙猫になっていた。
「だが、なおさら訳が分からないことにその邪宗こそが今もっとも人心を得ている訳だ。下手に手を出すとこちらが危ない」
「その邪宗が武装して石山とかいう要衝にして要害に陣取っているのが問題なんですう。紀伊の片隅で念仏を唱えてりゃこうも悩まされることはなかったんですが……」
普通なら触らぬ神になんとやらだが、本猫寺においては触らなければならない理由がある。なぜならば、彼らが本拠を置く石山は極めて重大な交通と経済の要衝だからだ。ここを宗教勢力に持たれるのはあまりに厳しい。
それにどうやら俺が観音寺に居座るせいで、信奈公は安土ではなく石山を最終的な本拠に見立てているらしい。
政教分離に地政学的な理由、しかも織田信奈の国家体制のグランドデザインといった諸々の理由から石山本猫寺は信奈公の大きな悩みの種になっている。
(最終的には相容れない両者。だが、だからといって無闇に仕掛けるには厳しい相手だ)
実のところ、石山本猫寺の取り扱いは難しい。特にキリスト教を受容した織田政権にとっては。
一歩間違えれば泥沼の宗教戦争になってしまい、それは大体長期化する。十字軍は8回も行われたし、未来にあたるが三十年戦争では神聖ローマ帝国の領地が荒廃し切るほどまでに戦った。
仮にこのレベルの宗教戦争が日ノ本で起きたのならキリスト教徒保護の名目で南蛮諸国が介入し、最悪は植民地になってしまうだろう。それだけは避けなくてはならない。
「石山本猫寺を取れれば西国への海路が開けるわ。九州には明やイスパニアだけじゃなくてカンボジアとか琉球からも商人たちが来るそうよ。あそこまで行けば、世界が見えるわ」
瞳を輝かせて信奈公は海外への憧れを募らせるが、俺はどうも素直に首肯できない。
未知の可能性より安定択。
彼女には悪いが、俺にはどうも海外志向が地獄の釜を開けることになりかねない気がするのだ。そんな後ろ向きな危惧を抱いてしまうあたり、俺は時に自分の器量の底が見えて憂鬱になる。
結局のところ、当座の方策は三好に備えつつ浅井朝倉を一飲みにできるように国力を蓄えることになった。段階を踏んで着実に敵を潰していく理想的な方策ではある。
だが、信奈公は持ってるからな……。そんな上手いこといく気がしねえんだよなぁ……。
*
京で信奈公らと会談した後、俺は堺に赴く。
目的は今井宗久との商談である。平和裏に半年間溜め込み、しかも丹後征伐の時に信奈公に恩賞として強請った金銭のおかげで六角の金庫はまた潤いを取り戻していた。
「けったいな買い物*1をされはったな、高村はん。巷ではケチな男と呼ばれているのが嘘みたいやわ」
「こんな時じゃないと、軍拡はできない。……正家にはまた文句を言われそうな気がするが」
見た目だけはゆるふわな鬼の金庫番の顔を思い浮かべて苦笑いを浮かべてしまう。
あとは和やかに茶と菓子を楽しんで帰ろうとした時。後ろで静かに佇んでいた一氏が進み出てきた。
「御歓談のところ申し訳ありませぬ、お館様と宗久殿。私の手のものから『淡路にて三好の水軍が大規模な演習を行った』とのことです」
「なんやて一氏はん。それは三好が出陣する前に行う慣習や。ならば、間違いなく奴らは畿内に攻めてきはるで!」
動揺する今井宗久。堺で何年も商人として情報の最先端にいた男だ。ならば、その推測に否やを唱える意義は薄い。
「一氏、その報は信奈公にも教えてやれ。……俺らも観音寺に帰るか」
半ばため息をつきながら一氏に指示を出す。
やはり信奈公は持っている。悪運だけではなく、どうしても敵を集めてしまう宿命を。
まあ、知ってたから驚くべきことではないのだが。