織田家と石山本猫寺の和睦は成ったとの報せが届いたのは長島を焼いた翌日だった。和睦自体は焼き討ちの前日にはなっていたらしい。しかし、大坂と長島の物理的な距離の差で報は二日遅れて俺は伝えられることになる。
「織田家と石山本猫寺の和睦が二日前になったでござる。しかち、ちょきしゅでにおしょしだっちゃよーにごじゃるにゃ……」
水計を使わざるを得ない状況に追い込まれていたのは上方の信奈公や相良にも知れていたのだろう。止めるべく相良の忍びである蜂須賀五右衛門が遣わされて来ていた。だが、五右衛門が急いでも間に合わなかった。
「後、二日早ければな……。いや、言うまい。先走ったのは俺だからな」
無意識に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてしまう。
あと二日だけ水計に切り替えるのが遅ければ、長島を焼き払い門徒を虐殺するようなことはなかっただろう。そう思うとやるせなかった。
「いずれ、信奈公から詰問の使者が来るだろう。……それが、相良だったら面倒くさいな」
五右衛門を帰した後、ひとりごちる。
長島を攻め滅ぼしたことによる利は確かにあった。だが、代わりに俺は人心を失ったのだ。畿内の秩序を守る者の手は焦げ付き血塗られ、もはや虐殺者の誹りは免れないだろう。
「高村様、私は……」
堤を作らせた氏郷もまた顔色を悪くしていた。無理もない、自らが長島を滅ぼす片棒を担ったわけだ。そりゃあ落ち込む。
「氏郷……、いや鶴千代。お前は自分を責めなくていい。責を負うのは俺の仕事だ。悔やむなら門徒たちの御魂を弔ってやれ。それに此度のお前は門徒たちをひどく苦しめたが、ああも見事に川の水の流れを操れた。ならば、今度は洪水を防ぐのもできるだろう? 結局のところ技術は道具に過ぎん、使い所次第で結果は変わる。だから、責められるべきは使い方を誤った俺に他ならない」
鶴千代の頭に手を伸ばして撫でようとするが、俺はすぐに手を引っ込める。どうにもこの癖ばかりは治る気配がない。もう昔の妹分としての鶴千代はいないというのに。
「慰めてもらって悪いわね。……けれど、本当は新十郎様が慰められたかったんじゃないかしら?」
「それぐらいは自分自身で折り合いをつけるさ。家のために必要……おそらくそう言い聞かせれば、なんとかなるだろ」
「中途半端に楽観的よね、新十郎さまって」
呆れたように笑う鶴千代。何やら言い草はひどいが、まぁ元気が戻って何よりだということで。
信奈公から詰問の使者が着いたのは観音寺城に帰ってすぐのことだ。
その使者がまさかの明智光秀。
俺は快楽亭の茶室で義定と並んで茶を点てながら彼女を出迎えていた。
「使者の行き違いこそあったとはいえ、何をしてくれてやがるんです高村殿ォ! おかげでまたにゃんこう宗の反対派が勢いづきやがったんですよ? せっかく結んだ停戦なのにいつまで保つか分からないですぅ〜!」
両手でバンと畳を叩いて身を乗り出してくる光秀。うむ、でこが広い。
「悪いとは思ってるが、理念がハナから合わない連中だ。停戦できたのは重畳。が、その場しのぎ以上にはならんぞ。やっちまったもんは仕方ねえ、大事なのはこの僅かな間を使って何をするかだ」
散々反省して自己嫌悪したため、もはやこの件に関しては開き直っていた。掘り返すのも億劫なので、光秀に話題の転換を促す。
(……俺の格を考慮しても、ただの叱責のためにわざわざ明智光秀を使う意味はない。おそらく信奈公は戦略の聞き取りも兼ねさせている)
どうやら俺の投げたボールはちゃんと光秀に届いていたらしい。居住まいを正し、咳払いをしてから話し始める。
「こほん、ともあれ長島一揆が潰れてにゃんこう宗が停戦に入ったことは畿内に大きな影響を与えましたです。摂津に籠っていた三好勢は阿波に退き、堅田にいた朝倉軍は小谷城に移動。領国に篭りがちな義景ですが、あまり軍勢に被害が出ておらずまだ降雪には早い季節だからか畿内に残る選択をしやがったようです」
「驚いた。まだそんなやる気あるんだ、長夜叉お兄ちゃん」
「俺はやる気だけではないと思うがな」
義定が目を丸くする。確かに朝倉義景にとっては異常な行動だろう。だが、逆に朝倉が放って置けるほど浅井の勢力は残っていないという線もある。
つい先日、浅井でそこそこの武名を誇っていた宮部継潤や小川祐忠が寝返ってきたばかりだ。
「上杉は足利義輝を弑殺した三好陣営には組さないと表明しているし、毛利の動きは鈍い。……武田はまぁ動かんな。浅井朝倉だけではもうあの女の重い腰は上がらんだろう」
言っていて気づく。
おそらくは今こそが浅井朝倉を除く千載一遇の好機なわけで。
その俺が気づけるようなことを目の前のキンカン頭が気づけないわけがない。言動こそやや三下噛ませが混じっているが、明智光秀は確かな実力で新参でありながら俺と並ぶ方分にまでのし上がってきた才女なのだから。
「ならば、浅井朝倉を片付けるです。高村どの、その軍才をお貸し願うですう」
だから、辿り着いてしまう。
出来ることならば、俺が無視していたかった結論に。
「……ああ、そうだな」
真摯に頼み込む光秀を前にして俺は首を横に振れなかった。
そうすると不自然だということもある。が、なによりもあいつとの決着に自分が介在しないということもそれはそれで嫌だった。
それからは術策の出し合いになった。
俺と義定は浅井長政と朝倉義景の古い知己であり、光秀は美濃から落ち延びて足利義輝の奉公衆になるまでの繋ぎで朝倉家に仕えていた過去を持つ。敵将の性質や敵国の地理まで知悉したこの三人は織田家中の中でも対浅井朝倉のプロフェッショナルと言っていい。割とすぐに戦略の雛形はできた。
「流石は高村どの。この戦略で浅井朝倉も一網打尽ですう。私は岐阜に戻って信奈様に掛け合ってみるです。これで私の出世は間違いなし。相良先輩も私にひれ伏して私との結婚を乞い願うはずですう」
「是非ともそうしてくれ。おそらくは通るだろうよ」
機嫌を良くして妄想を垂れ流す光秀を見送りながら、俺はまた茶を点ててこれをぐいと飲み干した。
そんな俺を見て義定が声をかけてくる。
「思ったより落ち着いてるね、新十郎」
「落ち着いてるというよりかは諦めたが近いがな」
迫り来る運命からは逃れることはできない。今までは未然に防ごうとする方向で動いてきたが叶わなかった。どうやら何がなんでも俺たちの決着の場所は小谷城でなくてはならないらしい。
だから、俺は諦めて運命を直視した。
運命と真っ向からやり合う覚悟をした。
その果てに彼女が何を思うのか。おそらく全てはそれ次第だ。
あらかじめ布石として藤堂高虎に手紙を届けさせてある。
「あいつがまだお市でもあるならば、一縷の望みはある。それに約束したしな」
もっともあいつがあれを真に受けているかはわからん。少なくとも俺は真に受けてるけども。
「そう。なら、わたしは別にいいけど」
「むしろお前はどうだ? かなり義景と仲が良かっただろう」
「ああ、それね……」
逆に問われて義定は言い淀む。
風流狂いの義景だったが、義定とはかなり波長が合っていたように思う。祖父である定頼さまにすら少し隔意があった彼女が素直に懐いた稀有な存在であり、今の彼女の風流趣味の源流には間違いなく義景がいた。一種の師弟関係と言っていいかもしれない。
「長夜叉お兄ちゃんと戦うこと自体は別になんとも思わないよ。正直、その辺りの割り切りは新十郎より上手いし」
地味に毒を吐いてきやがりながら、義定は「ただ」と続ける。
「わたしは新十郎を得られたけど、長夜叉お兄ちゃんは最後まで得られなかったんだなって。隣にいてくれるだけで満たされるようなそんな人をついぞあの人は得られなかったんだなって。そう思うと可哀そうに思えてくる」
ただただ義定は義景を憐れんでいた。
かつて家中に居場所を得られなかった同類として互いの傷を舐め合うような関係性だったからこそ、彼の痛みもまた理解し共感していたのだろう。
「ねえ、新十郎。十兵衛と話していた時はわたしは小谷城の担当だったけど、やっぱり越前に移っていい? ……たぶん、あの人はこのままだと一人で死んでしまう。まぁ自業自得なところはあるけれど、それでもやっぱり寂しい」
「それは別にいいぞ。互いに悔いなくやるべきだ。……それがどんな結果になろうとも、な」
互いに頷き合って、お茶を流し込む。
茶室に辛気臭い空気が漂う。だが、致し方ない。
おそらく互いにこれが最後の機会になることを予感していた。
親しい人との別れを覚悟した時というのはだいたいこんなもんだ。
*
小谷城の向かいの山に位置する虎御前山に木瓜と隅立て四つ目の旗がひしめく。よくよく見れば、織田信奈と六角高村両名の馬印が窺えた。
推定二万の織田六角連合軍が着陣するやいなや、小谷城内の空気が変わる。
「見たか、長政。織田信奈の馬印があるぞ! 本猫寺が停戦に合意したと聞いた時は諦めていたが、どうやらまだ余にも天運があったらしい。この度を逃せば余が織田信奈を得る機会は無い! 戦うのは今ぞ!」
朝倉義景が一人狂喜乱舞する一方、久政や浅井家臣団はだんまりを決めていた。
口は悪いが彼らは義景の信奈狂いを遊びとしか思っていない。義景はまた領国を攻められていないからまだ遊んでいられる暇があるのだと。
一方で浅井はもう後がない。家臣団もかなりの数がすでに降伏している。助けは朝倉義景が連れてきた一万二千のみ。武田を待つとなるとかなり長く耐えなくてはならないだろう。あるいはもう武田信玄すら浅井を見限っていてもおかしくはなかった。
「義景殿はともかくとして、殿はどうされます?」
沈黙する家臣団を代表して高虎が長政に問いかける。
「……決まってる。抗うほかないであろう。抗って生きるほかないであろう。……それがどんなにか薄い光明の先にあるものだとしても、私は自分から歩みを止めることはしない。死にたくない気持ちもあるが、なによりもここで戦うことを止めたら私は私を許せそうにない」
淡々と告げる長政。
その確かな戦意に家臣団達は湧き立った。
ただ、誰も気づかない。
密かに袴の袖の裏に隠した高村が送ってきた書状を握りしめていたことを。
(待っているぞ、新十郎。必ずやこの小谷城の本丸に来い。そして、この書状に自ら書いたことをしかと果たせ)
長政は、猿夜叉丸はとうに決めていた。最後まで戦い抜いて、それでいて新十郎を本丸で待つ。自分が斃れた時はその時だと。
(どちらが先かだなんて、まるで鬼ごっこみたいだな)
家臣団や義景が軍議で白熱する中で。
不意に長政はそんなことを思った。