やっぱり戦うよりも、後片付けの方が大変だという話です。後、書いておきたいことが多かったのもあり、初期の3話分はあるかもです。
本能寺での祝宴への準備は日に日に整っていった。
小谷城が落ちた時点で開催を決意したため、日程はあまりなかったが丹羽長秀や村井貞勝らが遺漏なく諸々の手続きを済ませていくあたりかなり信奈の無茶振りに慣れている。
そんな事務方とは対照的に信奈は珍しく自室でのひとり管を巻いていた。
「……やっぱり取り扱いに困るわね、あいつは」
期日まであと二日と迫った時点でも高村の処遇が決まらない。
正確に言えば、茶器などの副賞に当たるものはいくらでも思いつくのだ。だが、これらを並べたところで派手さに欠ける。
今回の祝宴では帰順したばかりの畿内の国人や公家、豪商が参列する。だからこそこの場であえて大盤振る舞いして見せることで信奈は織田家の勢威を示したかった。だが、高村に限ってはそうもいきそうもないし、そもそも名馬以外に高村が欲しがりそうなものがわからなかった。
「……高村に関しては恩賞自由にしてあいつの要望を聞いた方が良さそうね……」
現代で言えばプレゼントに困ってア○ゾンギフト券を渡すような結論だったが、これが安牌だった。高村もわざわざ自分から勢力均衡を崩しにいくような要求はしないだろう。その辺りの嫌らしい高村のバランス感覚については信奈も信頼はしている。
「さて、後は祐筆に書状を書かせればいいだけね! さて、わたしも休憩しようかしら……」
悩み事を解決というか放り投げて一息つこうとした信奈の元に新しく取り立てた小姓の万見仙千代がやってくる。
「何よ、これから休もうとしていたところなのに……」
「お休みのところ、申し訳ございませぬ。高村公の使者が取次を求めてきておりますれば」
「なんですって、高村が? 今すぐに通しなさい」
まさしく渦中の人物からの使いである。これには信奈も迅速に対応せざるを得ない。
仙千代に引き連れられてきたのは、山岡景隆。六角家の家老として義定と共に京都で外交事務にあたっていた武将であった。
「高村様から打診したきことがあって参りました」
「デアルカ。聞かせなさい」
「では、恐れながら話させていただきます。……我が殿の婚儀について」
恬淡に口にする景隆に対し、信奈は何も言えなかった。
あまりのことに腰を抜かしてしまったのである。だが、呆けていては話が進まないので平静を装って続きを促す。
「……それで、相手は?」
「鄒月院と申す尼御前です。ただの女子ならば側室に入れればよいのですが、それが私生児とはいえ以前に関白をされていた九条稙通卿の娘御でございますれば、流石に信奈様に許可をと……」
「……デアルカ」
予想以上の大物の名前が出てきて困惑する信奈。
九条家といえば五摂家の一つであり、さらに言えば稙通は三好義継の母の父であるなど反信奈側に近い位置にもいる。そんな彼が縁組を通じて織田政権に歩み寄るなど思いもよらなかった。
(この機に高村を三好側に取り込むつもり……? いえ、そこまで彼も馬鹿ではないわ、今更落ち目の三好に奔る訳がない。ならなぜ……と考えたくなるけれど、これはこれで使い出があるわ。けれども、危ういわね……)
現在、織田政権と公家衆との関係性はあまりいいものではなかった。よくて中立で大概の公家は越前の神官上がりである織田家を見下してすらいる。何より今の関白である近衛前久がひどく非協力的だった。そんな近衛家に並ぶ五摂家の九条家が織田政権に接近したならば、近衛前久にも圧をかけられるようになるであろう。
だが、これはやはり諸刃の剣であった。
織田政権が公家衆に影響力を持つ代わりに、六角高村が五摂家の一員になってしまう。ただでさえ佐々木源氏嫡流という確かな血統を持つ彼に公家衆屈指の権威を与えてしまえば、いよいよ取り返しのつかないことになりかねない。事と次第によれば、日ノ本は二つに割れるだろう。
前触れなしに訪れた織田政権のあり方を問われる難題。即断即決を尊しとする信奈でもじっくり考えたい問題だった。
けれどもこれは祝宴で出す恩賞についての話でもある。つまり期日は二日しかない。なんなら関係各所と連携することも考えれば、事実上この場で決めるしかなかった。
これには信奈は悩みに悩んだ。
(高村の奴……! 急にこんな難題をふっかけてくるなんて……! いつか必ずぎゃふんと言わせてやる……!)
焦りと知恵熱と怒りが混じって頭が茹だりそうになりながら、信奈はついに決断する。
「……いいわ。認めてあげるわよ。けれど、わたしとの相談なしに九条家の家督やわたしより上の官位や官職を授からないこと。この内容であいつに起請文を書かせなさい。それが条件よ」
もしかすると、これが六角高村に天下を奪われる遠因になるかもしれない。
……それでも、今まで打つ手がなかった公家衆に対しては大きな奇貨でもある。この機を手放すのは惜しかった。
迷ったら進む。その手を打てる果断さがあるからこそ織田信奈は天下人になれたのだから。
(高村がどれだけ大きくなろうと、要は最後にわたしが勝てばいいだけの話じゃない。わたしは何を弱気になっていたのかしら。だったら、ここは賭ける価値はある。それに日ノ本の争いを長引かせる訳にはいかない。今こうしているうちにも世界は動いている)
景隆を帰らせた後、信奈はおもむろに地球儀を弄ぶ。
今は亡きザビエルからもらった世界への標。
信奈の目はあくまで海の外に向けられていた。
*
「え? あれ通ったの? 嘘だろ……。まぁいいけどさぁ……」
書状で景隆からの報告を聞いた俺は白目を剥いていた。
なにせ蹴られて当然の案件だと思っていたのだから。流石に五摂家との縁談は事が大きすぎる。
そもそもの話、この縁談はこちらにとっても事故のようなものだ。当初は連れ帰ってきたお市に適当な名家の養女になってもらって嫁いできてもらう事が目的だったのだから。
はじめはお市の希望を汲んで浅井の傍系ということにしたかったが、浅井の名はまだ天下をざわつかせるから断念した。次に京極家の養女にしようとしたが、そんなことをせずとも高次を娶ればいいと彼女の父の高吉殿に嫌がられて終わる。
以後は一色や若狭武田、義定や景隆が伝手のある公家に話を持っていった。その中に源氏物語研究で義定と親しくしていた九条稙通がいたという訳である。
義定と稙通卿は入魂の仲だが、反信奈の摂関家ということもあり可能な限り俺個人は九条家とのつながりを避けていた。しかし、俺よりも長く畿内の政争に身を置き、本猫寺にすら影響力を持つ稙通卿は老獪だった。
長らく着いていた足利義栄と三好三人衆に見切りをつけ、畿内の名族に圧力をかけて九条家以外がこの話を受けれないようにしてしまったのだ。こうなってしまえば九条家にお市を預けざるを得ない。
だが、お陰で稙通卿から織田包囲網の黒幕が足利義栄であるという情報をを引き出せた。これからは西面を厚くして対応することになるであろう。
「……それにしても、長かったなぁ……」
あの新月の夜から何年経っただろうか。
あの日からずっと手を伸ばし続けて、ようやくその手が月に届いた。
最後の仕上げも今、終わる。
お市と結ばれる。そんな日が来ることをあの日々の俺は夢見ることは出来ても、信じ切ることはできなかった。
こんな日が来るとは思わなかった。
こんなに嬉しさで涙が落ちるような夜が、訪れるなんて思わなかったんだ。
*
いよいよ織田家の祝宴の日が訪れた。
本能寺には織田政権の諸将だけではなく、公家衆や豪商に果ては宣教師まで参列している。
「すげえ人出だ。畿内の偉い人はみんな来てるんじゃないか?」
「だいたいその認識で合ってる。物珍しいのは分かるが、あまりきょろきょろと辺りを見回すなよ、相良」
俺は相良良晴を引率しながら本能寺の庭園を歩いていた。
今や俺は畿内では織田信奈に次ぐ権勢を持つ武家であり、良晴もまた織田信奈の寵臣として著名である。なんとかつながりを求めて話しかけてくる者は多い。
「六角高村公か。顔を合わせるのは初めてだな」
その中にひときわ目を惹く姫武将がいた。
戦国時代で長身の部類に入る俺や高虎、良晴と肩を並べられるほどの背丈を持ち、艶やかな黒髪は腰まで伸びる。
すでに酒を飲んでいたのだろう、酔いが回っていよいよそのきめ細やかな肌が桜色に染まり、えもいわれぬ色香を放っている。
間違いなくかなりの美女だが、どことなく粗野さを感じさせる。背に無骨な鉄棍をひさげているのが、何より彼女が単純な姫君ではなく武勇を売りにする者だと物語っていた。
「なんという美女ッ! お姉さん、名前は……」
興奮した良晴が問いかけると、彼女は笑いながら名乗る。
「荻野直正。そうさな、最近は赤井直正と言った方が通りが良いかもしれんなぁ……」
「あの赤井直正だって! こんな美女があの赤鬼と呼ばれたあのっ?」
「ははっ、おおはしゃぎじゃないか。美女と言われて悪い気はしないねえ……。相良良晴、あんたもサルだと言われちゃいるが、ガキっぽくも精悍な顔をしている。いいねぇ、いい男を二人も見れてあたしゃ眼福だよ」
カラカラと笑う直正殿。まさしく豪放磊落といった風情だった。
丹波に住まい、松永長頼を討ち取った姫武将にして史実では明智光秀を最も苦しめた武将である。
(そんな彼女だからこそ畿内鎮定の助けにした。彼女は戦は好きだが、中央に出てどうこうとは考えていない。組むには最適な人種だった)
世間には織田と松平の同盟が律儀と称えられているが、六角と赤井直正の同盟もそれに並ぶと思う。
彼女は俺と手を組んで丹波の最大勢力となり、俺が織田政権に組み込まれてからは丹波第一の武将として織田の西部戦線を支え、明智光秀の畿北方分にも主力として戦力を供出している。直正殿が後方を守ってくれたからこそ、俺は浅井や武田相手に好き勝手に戦える、いわば背中を預けた相手というべき存在だった。
「直正殿、丹波の様子はどうだ?」
「うん、まずまず。波多野の奴らはきんかんを気に入ってはないだろうけど。まだ抑えられる範囲かねぇ」
「ならよかった。丹波が西国の要だからなぁ。まとめられそうなら全然いい」
直正殿もまた連れ合いに加えて、近況を語らいながら本堂に進む。
互いにタメ口で話しても指摘する者はいない。それだけ六角と赤井の蜜月は畿内では有名な話だった。
本堂に入ると三人は別れて俺は上座にもっとも近い次席に、直正は中座あたりにある国衆の席に、良晴は末席に向かった。
俺の隣には義定と九条稙通がいる。二人は先に入っていて源氏物語談義を始めていた。
「遅れてすまない、稙通卿」
「別によい婿……いや、まだ内緒だったかの、すまぬすまぬ」
わざとらしく言い間違える稙通に白い目を向ける。
俺の前では稙通は源氏物語をはじめとする古典の研究者として顔を前面に出し、義定と接していた。それこそかつて長夜叉殿と結んでいた同好の士としての繋がりだ。だが、ここへ来て一気に馬脚を表したのだから油断ならない老爺だった。
「疑われるのは分かるが、義定ちゃんと源氏物語談義をするのが楽しいのは本当じゃよ。まぁ下心はあったがな」
「大丈夫だよ。稙通おじいちゃんに下心があったのはあたしも知ってるから。あたしもあたしで実はこっそりうまく反織田から切り離せないかなーと思ってたり」
「ほっほー! これは義定ちゃんにしてやられたのう! いやはや、これはしたり」
これは一本取られたとばかりに顔を覆ってみせる稙通。
どうも清濁混ぜ込んで両者はつるんでいたらしい。
もう呆れて何も言えず、先に出されたお通しをちびちびと口にしながら主役を待つ他なかった。
そして、その主役は前田犬千代を伴って現れた。
南蛮渡りの赤いピロードのマントにフリルの飾り襟が印象的なブラウス。いつもの虎皮は外せない。頭にはお気に入りの羽帽子を被っていて日ノ本の姫武将というよりかは、西欧の姫君のような格好だった。
「どうもどうも。みんな、わたしのために集まってくれてありがとう!」
そんな信奈の前に典型的な麻呂姿の関白・近衛前久が並ぶと違和感がすごい。……さて、俺も確か一緒に官位をもらうんだった。前に出ないといけない。
信奈公と一緒に近衛前久の前に並ぶ。よくよく見れば、わなわなと震えていた。そんなに俺らに官位を渡したくないのか……。
「本日は、やまと御所より信奈どのに右近衛大将を、高村どのに権中納言の位を授けに来たでおじゃる」
「デアルカ」
「ははっ」
信奈公は官位には興味ないからかそっけない。俺は一応は敬う姿勢を見せた。
……それにしても、やってくれたな前久卿。信奈公が与えられた右近衛大将も俺が与えられた権中納言も従三位。どちらも武家では破格の高位であり、特に信奈公が与えられた右近衛大将は四代足利将軍義持以降には代々任官されてきた官職であった。
つまり、これは朝廷が織田信奈をひいては織田政権を足利将軍と同格だと認めたことに他ならない。この事実は古い権威を信じる者には効く。
だが、いやらしいのは俺をも信奈公と同じ位階に引き上げたことだ。おかげでまたも政権内での信奈公の突出は防がれることになる。
前久卿による官位授与の後は、織田家諸将の論功行賞が行われていく。
まずは史実通りに丹羽長秀が若狭一国を任じられ、明智光秀は坂本に加え丹波丹後を正式に知行地として与えられた。
柴田勝家は越前一国なのには変わりないが、与力に前田犬千代、佐々成政、不破光治に加えて朝倉景鏡もつけられている。滝川一益は桑名と長島に加え知多半島を含む尾張半国が与えられた。
「サルには北近江二十万石を与えるわ!」
一番参列者の反応が大きかったのは、相良良晴の国持ち大名化だろう。
功績で言えばむしろ妥当なのだが、武家ですらないそもそも身元不明の男がここまで成り上がることに周囲は困惑を隠せないでいた。
「どうしよう高村。俺、内政の経験なんてしたことないぞ……」
与えられた相良自体も困惑している。どうやら転生者らしからず彼は内政チート知識なんざ持ち合わせていなかったらしい。……まあ、そこは俺も強くは言えない。日本史よりかは世界史の方が得意な高校生だっただけだからなぁ俺……。
「隣国だから本当にまずそうだったら人手を出してやるよ。領国統治に関しては俺の方が先輩だからな」
「ありがてえ……」
見かねて助け舟をやると、相良が拝みはじめてくる。
いい加減うっとうしいので、俺はその後はそっけない態度で流すことにした。
長かった論功行賞も終わり、宴もたけなわになってくる。
そんな中、信奈公はぽんぽんと手を叩いて注目をまた集めた。
「さてみんな、宴ももう終わりに近くなってきたけれどまだ伝えていないことがあるわ! 稙通卿、お願い!」
信奈公の後ろの襖が開く。
開いた襖の先にはいつの間に座敷から姿を消していた稙通卿とルイズフロイスと「彼女」がいた。
わかっちゃいたが、俺は目を見開かずにはいられない。
まさか、この時代の日ノ本でアレを見るとは思わなかったのだから。
純白のウェディングドレス。
南蛮かぶれの信奈公らしいと言えばらしいが、まさかこの場でお披露目してくるとは思うまい。
驚く俺を見て、信奈公と相良がしたり笑いを浮かべる。腹立つがしてやられたのは確かだ。
「拙の息女たる市と六角高村は此度婚姻する儀となり申した。高村は拙の猶子とする。皆の衆、以後は我が九条家と六角家をお頼み申す」
稙通卿……いや義父上が一礼するや否や、会場がざわめいた。それこそ相良良晴の国持ち大名化よりももっと大きい。
「稙通卿、いかなる考えでおじゃるか! 猶子とはいえ、藤原氏以外のものを摂関家に入れるなど! 耄碌されたでおじゃるか!」
特に関白の前久卿は義父上に食いかかるほどだった。だが、これに義父上は動じずに「ほっほ〜」と笑い飛ばす。
「知れたこと。拙が関白に返り咲くためよ。それに幕府も公家も軍を持たず、今までのように守護や国司に兵を募るようでは天下は治められぬと知った。顕家公のような公家でも旧来の将軍のような武家でも構わぬ。強い軍を直接握る者が上に立たねば、天下は抑えられぬ。前久よ、そちが昔に捨てた公武合体の志。あれは間違いではなかろうよ。ただ公家が武家のように振る舞うだけではなく、武家が公家のようになってもよいと拙は思うのだ。公武関係なく国士として日ノ本を支える、これからはそんな世にしていかねば」
「結論を変えるつもりはないでおじゃるか」
「ああ」
「ゆめゆめ思い知るでおじゃるよ、稙通卿。武家と公家は相容れない。麻呂は上杉謙信と行った関東遠征で嫌というほど思い知ったでおじゃる。……後悔しても知らぬでおじゃりますよ」
吐き捨てるように言って前久卿が座敷を去っていく。
その言葉にはどうにも動かしがたい現実の重みがあった。
「やれやれ、前久よ。一応は晴れの席でなんと見苦しいことを……。まあよい、仕切り直しをすると致そう。これ、お市。お前からも名乗りを。これよりは高村公の妻となりて彼の覇業を支えるのだ。諸将に顔合わせはしておかねば」
「はい、義父様」
凛とした声が水面に雫を落としたかのように響く。白けた空気は一瞬にして遠くなり、座敷の全ての視線が彼女に向けられる。
ヴェールに隠された顔が露わになり、誰かが思わず息を呑む。
清冽な佇まいの彼女は込み上げるナニカをこらえながら、花のような笑みで名乗りをあげた。
「市に、ございます」
何人かは何かに気づいたようではっとして目を見開く。
俺はというと、もうこらえきれなくて泣いていた。
お市と結ばれた喜びもある。運命に打ち勝った歓喜も全部混ざってもうよくわからない。
ただただ、これでよかったのだと静かに噛み締めていた。