「ウマ娘」の世界観が曖昧なことをいいことに、いろいろと適当な設定を捏造しています。アニメやアプリ版の描写と矛盾するところもありますが、ご容赦願います。
“剣客先生”こと剣崎 覚馬(けんざき かくま)が、ウマ娘のグラスワンダーと出会ったのは、彼がトレセン学園に赴任した直後のことだった。
男一人の身軽な引っ越しを終えた剣崎が、これから自分が暮らす街を見ておこう思い立ち、ふらりと散歩に出かけた先でのできごとだった。
春の陽気が心地よい昼下がりだった。
引っ越してきたばかりとあって土地勘も無いまま適当に歩き回っていたので、気づいたときには帰り道を見失っていた。剣崎は自分が迷子になってしまったことに気づいて、ふふっと笑みを漏らした。
「いい歳をして迷子とは、都会暮らしに浮かれ過ぎたか。……ま、これも一興」
剣崎は名も知らぬ大きな川のほとりに佇み、その川沿いに広がる公園を眺めた。休日の昼下がりということもあって、公園には多くの人々が思い思いに過ごしていた。
人々といってもその内訳は様々だ。老若男女は言うに及ばず、ヒト耳にウマ娘、その他、その身に様々なソウルを宿した人々が分け隔てなく、和気あいあいと、同じ時間と空間を共有して過ごしている。
剣崎はしばしの間、目を細めてその光景を眺めていた。とりわけ、その視線は公園に併設されたウマ娘専用のトラックコースに向けられていた。
数あるソウル憑依者の中でもトップクラスの走力を誇り、何よりも走ることに本能的な喜びを見出すウマ娘たち。そのために作られた専用トラックでは、数人のウマ娘たちが、その身に宿したソウルの赴くままに風を切って疾走していた。
いずれもレーサーではない一般のウマ娘だ。走行フォームは洗練されておらず、その優れた脚力を速度へ変換しきれていなかったが、しかし彼女たちの姿からは、走ることを純粋に喜び、楽しんでいるさまが手に取るように感じられた。それくらい、彼女たちの姿は輝いてみえた。
古来よりヒトは、その輝きに魅了されてきたという。剣崎もまたその一人だった。走ることで輝くウマ娘たちを、さらに輝かせたい。それが、剣崎がトレーナーを志した原点だった。
とはいえ、今この場であのウマ娘たちに声をかけ指導をしようという気はさらさら無かった。彼女たちはレーサーではないのだ。遊びを邪魔するのは野暮というものである。
そんな思いで景色を眺め続けていたとき、ふと、視線を感じた。
その方向へ首を向けると、十数メートルほど離れた先に居た人物と目が合った。
年若いウマ娘だった。頭頂部の尖った耳をこちらに向け、栗色のストレートの長髪と同じ色をした尻尾をゆらゆらと大きくゆっくり揺らしている。
ヒトの感情は目の動きによく表れるが、ウマ娘はそれに加えて耳や尻尾にも無意識の感情がよく表れる。そのウマ娘は物静かな表情をしていたが、しかし明らかに剣崎に好奇心を抱いていた。
(さては不審者と思われたかな?)
と、剣崎は一瞬だけ身構えたが、すぐにそのウマ娘から警戒心が感じられないことに気が付いた。
ウマ娘の方はと言えば、彼女は剣崎と目が合った瞬間、かすかに耳を震わせたが、しかし目を逸らすこともなく、落ち着いた足取りで彼の方へと歩み寄ってきた。
「あの~すみません。もしかして、学園所属のトレーナーさんではありませんか?」
おっとりとした、落ち着いた声と口調での問いかけに、剣崎は「ええ、そうです」と頷きながら真っ直ぐに向き直った。彼の胸にはトレセン学園所属のトレーナーであることを示すバッヂが光っている。
ウマ娘はそれを目にして「やっぱり」と微笑んだ。
「剣崎 覚馬と申します。もしかして君も?」
「はい、トレセン学園の生徒です。申し遅れました。私はグラスワンダーと申します」
どうぞよろしくおねがいします、と流れるような所作で深々とお辞儀してみせた彼女の姿に、剣崎はすぅと目を細めた。
乱れの無い丁寧な所作だ。しかも隙が無い。
内心で感心しつつ剣崎も頭を下げた。
「こちらこそよろしく。……しかしなぜ俺がトレーナーと分かったのかね? 君の位置からでは胸のバッヂは見えなかったと思うが」
「ウマ娘たちを真剣に眺めていらしたので」
「ウマ娘の走る姿には誰しも目を惹かれるものだ」
「あらまあ~、嬉しいことをおっしゃるのですね」
グラスワンダーはクスクスとひそやかに、淑やかに笑い声をこぼした。
「けれど、あなたの眼差しはそんな軽薄なようには思えませんでした」
「はて?」
「何と言いましょうか、トレーナーさんたち特有の目をしていたので……」
グラスワンダーからそう告げられ、剣崎は思わず苦笑いをせざるえなかった。
自分ではそんなつもりはなかったのだが、やはり職業病か、無意識に値踏みするような目にでもなっていたのだろう。長い耳や尻尾を持たずとも、ヒトは目だけで無意識を雄弁に語ってしまうものらしい。
とはいえそれだけでトレーナーと見抜いたこのグラスワンダーは大したウマ娘だ、と剣崎は感心した。なにしろ剣崎はつい先日、赴任手続きを済ませたばかりで、学園内のウマ娘たちとはまだ一度も面識が無いのだから。
そのことにはグラスワンダー自身も思い至ったようで、彼女はこう言った。
「失礼ですが、トレーナーさんを学園内でお見かけした覚えが無い気がします。もしかして、新しく来られた方でしょうか?」
「そのとおり。昨日赴任届を出したばかりだ。中央の免許を取得したばかりの新人トレーナーでね」
「あらまあ~。……ですが、新人さんというには落ち着きと貫禄があるように見受けられますね。まるでベテランのよう」
「はっはっは、地方で十年ほどくすぶった末の遅咲きデビューだからな。大した経歴も金も無いが、心に余裕だけはたっぷりある」
「ふふ、頼もしそうなトレーナーさんですね~。……私も未だデビューに至らぬ若輩の身。もしご縁あらば、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。……ああ、そうだ」
「どうかしましたか?」
「実は散歩でここまで来たはいいが、帰り道を見失ってな」
「まあまあ、迷子ですか」
「恥ずかしい限りだが、学園までの道を教えてくれないか?」
「それでしたら、共に参りましょうか。私もちょうど帰るところでしたので」
「それは助かる」
「旅は道連れ、世は情け。です♪」
気遣いを感じさせぬ自然な笑み。剣崎はグラスワンダーの好意に甘えることにして、共に歩き出した。
ウマ娘の走力は人の比ではないが、意外と歩く速度はそう変わらない。まして体格で言えば成人男性に比べ小柄で歩幅も狭い分、“歩行”という分野ではヒト耳の方が勝っていた。
剣崎は長身だったので、グラスの歩幅に合わせゆっくりとした歩みで帰路に就いた。もっとも、その歩みの遅さは歩幅だけに起因するものでは無かった。
グラスワンダーは出会った時からずっと、両手で30センチメートル四方の箱を入れた大きめの巾着袋を両手で下げていた。彼女があまり大きく歩幅を取れなかったのはこの手荷物のせいである。
結構な重量がありそうにも見えたので、剣崎は当初、自分が持とうかと申し出た。ウマ娘は膂力にも秀でるが、持久力はヒト耳の方が上だ。重い荷物をもって長時間、長距離を移動できるのがヒト耳の身体的強さである。
しかし、その申し出はグラスワンダーからやんわりと断られた。
「お気持ちはありがたいのですけど、中には割れ物が入っておりますので。…それに競技者たるもの、日々の生活もまたトレーニングであると心得ております」
「常在戦場、か。よい心構えだ」
「ええ」
いかめしい言葉だが、グラスワンダーは正しくそのとおりと言いたげに頷いてくれた。
ただ、彼女は荷物があっても無くても、ゆっくり歩きそうな、そんなおっとりとした雰囲気を纏っているのもまた事実だった。
「私、大和撫子というものに憧れがあるんです」
と、道すがらグラスワンダーは語った。
「私、生まれは一応アメリカなのですが、両親がどちらも根っからの日本好きでして。折に触れ、日本文化の素晴らしさを説いてくれました。それで、自然と興味が湧いてきたんです。茶道や、華道、書道に日本舞踊……お稽古の先生はアメリカにもいらっしゃいましたから、両親に頼んで、いろいろと習わせてもらったんですよ~」
「なるほど。どおりで君の所作振る舞いが見事な訳だ。よい先生たちと巡り合ったのだな」
「ええ、本当に感謝しています。皆さん親身になって教えてくださり、テクニックだけではない、その奥にある大切なものを学ばせていただきました」
「それが分かる君も凄いのだよ」
「恐縮です」
「ところで、君が持っているその手荷物。ずっと気になっていたのだが、もしやそれは茶道具じゃないかな?」
「あら、よくお分かりで」
「茶道を習っていると聞いてな。確か野点用に持ち運びできるセットがあると聞いたことがある」
「ええ、ええ、そのとおりです」
グラスワンダーは嬉しそうに、弾んだ声で頷いた。
「今日ここまで散歩に来たのも、この辺りにあるお気に入りのお茶屋さんで買ったお抹茶を、野点で楽しもうと思っていたからなんですよ~」
「野外のお茶か。それは風雅だな」
「風雅。ええ、そのとおりです。お外で、日差しや空気の匂いを感じながらいただくお茶は、お茶室とはまた違った雅がありますよね~」
趣味に理解ある相手と話せることが嬉しいのだろう。グラスワンダーの声も表情も抑え気味ではあるものの、尻尾は上機嫌にぶんぶん揺れていた。
剣崎はそれを微笑ましく眺めつつも、ふと、あることが気になった。
「野点をするつもりだったなら、俺は君の予定を狂わせてしまったことになる。すまないことをした」
「あらまあ~、謝らないでください。困っている人を見過ごしては至誠に悖(もと)ります。そんな心で点てる茶など、何が風雅か……。ふふっ、そうだ、トレーナーさん。ひとつお願いを聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
「なんなりと」
「よろしければ、トレーナーさんを野点でおもてなしさせてください」
「有難い申し出だが、しかし君のお気に入りの抹茶だろう? それをいただくのは恐縮ものだな」
「お気になさる必要はありません。茶道の本懐はおもてなしの心。一期一会の相手に心を尽くして振る舞い、味わってもらうためにお茶はあるのです。…それに、トレーナーさんは“もののあはれ”を楽しめる方とお見受けしましたので」
「君に見込まれた、ということかな。では遠慮なく楽しませていただこう」
「それでは、もう少し先にある公園まで行きましょう。そこにちょうどいい東屋があるんです。もともとその場所で野点をしようと思っていたんですよ~。私のお気に入りの場所です♪」
グラスワンダーの案内で訪れたのは、川沿いのまた別の公園だった。遊具などは無く、庭園風に手入れされた樹木が立ち並ぶ落ち着いた散歩道の途中に東屋があり、そこからは庭園越しに川向うに開けた景色を楽しむことができた。
グラスワンダーの巾着袋から出てきたのは、漆塗りの桐箱だった。中には茶碗、茶筅、茶杓、小さなお盆と、そしてお抹茶が入った棗(なつめ)。
そして小さな水筒。中のお湯は、先ほど近くのコンビニでもらってきたポットのお湯だった。
「野点は、“格式張らない”ことが醍醐味ですから」
グラスが水筒から注いだお湯でお茶を点てるのを、剣崎は同じくコンビニで買った和菓子を味わいながら眺めた。
無駄のない洗練された所作だ。最初に目にしたお辞儀と同じく、彼女の所作には隙が無い。それでいて肩ひじ張っている訳でも無く、程よく力が抜けていて、あらゆる振る舞いを自然にこなしていた。
グラスワンダーの所作振る舞いは、見ているこちらの背筋が伸びそうな凛とした気配を湛えつつも、同時にいつまでも見ていたい心地よさがあった。ついでにコンビニスイーツもバカにできるものでは無い。値段相応に美味い。
「どうぞ」
差し出された茶碗は薄桃色の釉薬で染められており、その内側には一羽の小鳥が飛び立とうとする図柄が描かれていた。春先らしく軽やかな趣の茶碗だ。茶碗に湛えられた若草色の薄茶が、まるで草原のようである。
剣崎は茶碗を手の内でゆるりとまわしながら鑑賞し、周りの景色との調和を楽しみながら数度に分けて飲み干した。
グラスワンダーはその様を見つめ、微かな吐息を漏らした。
「結構なお点前で」
「ありがとうございます。トレーナーさんのようなお方をおもてなしできて、光栄です」
「それは言い過ぎじゃないか?」
「そのように隙のない所作で悠然とお茶を楽しまれて……やはりトレーナーさんはお茶の心得がおありでしたのね」
「心得というほどのものは無いさ。何度か知人に招かれたことがあって、そこで見様見真似で覚えた程度だ。だから野点と聞いて最初は身構えていたが……君が肩の力を抜かせてくれたんだ」
敢えてコンビニでお菓子とお湯を入手したのも、野点を気軽に楽しんでもらいたいという、グラスなりの心遣いである。
「それに気づいてくださるトレーナーさんは、やはり心得がおありです。さすがは剣客――」
「うん?」
「ああ、いえ。……あの、トレーナーさんはもしや剣術を修めていらっしゃるのではないかと……」
「まあな。居合を少々といったところだ。よくわかったな」
「ええ、そのような雰囲気とでも言いましょうか……」
「俺をトレーナーと見抜いた事といい、つくづく大したものだ。やはり君も武道をやっているからわかってしまうのかな」
断定的な口調に、グラスワンダーは「おや?」と耳を傾げた。
「私、武道については言ってなかったと思いますが?」
「隠さなくてもいいだろう。その腰の配り、足の配りは、着物、とりわけ袴に慣れた者の身のこなしだ」
「……おみそれしました。薙刀を修めております」
「なぜさっき言わなかったんだ?」
「その道の名人を前にしてひけらかせませんよ~。……最初にお見かけした時から、只者では無いと思っておりましたから」
「ははは、これはたいそう見込まれたものだ。しかし、トレーナーとしては駆け出しもいいところだ」
「あの……なぜトレーナーを目指されたのですか?」
「ウマ娘が走る姿に魅了されてな。君たちをもっと輝かせるほうが、剣を振るうよりも面白くなった。……グラスワンダー、君こそなぜレーサーを目指しているんだ? 風流も武道も、君は当に遊びを超えた域にある。相当に打ち込んできたであろうに、さらにレーサーまで目指そうとする君を、俺はもっと知りたくなってきた」
「それは……トレーナーさんに見込まれた、ということでしょうか」
「そう受け取ってくれて構わない」
「あら、まぁ~」
グラスワンダーは嬉しそうに顔をほころばせたが、すぐに表情を引き締めた。
「デビューすら迎えていない若輩者には身に余る光栄。しかし、その理由を言葉で訴えるのは無粋というもの……」
微かに空気をひりつかせながら、彼女は言った。
「……私もレーサーの端くれなれば、レースをもって示すのが筋と心得ます」
「来週の選抜レースに、君も出るということか」
グラスは頷いた。選抜レースとは、ウマ娘がトレーナーに実力を示すための学内レースだ。
国内レースは規定によりトレーナーが付いていないとウマ娘は出場できないことになっている。そのため、デビューを控えた者や、新たなトレーナーを捜す者などが数多く参加しており、それゆえ非公式ながらレベルの高いレースが楽しめるとして、学内のみならず、学外からの注目度も高かった。
「トレーナーさんも、見に来てくださいますか?」
「無論だとも」
覚悟を秘めた強い瞳で見つめるグラスワンダーに、剣崎は真っ直ぐに向き合って頷き返した。
グラスの瞳からふと力が抜け、また柔らかな空気が彼女を包んだ。
二人が学園の近くまで帰ってきたのは、もう日が暮れかけた時分だった。
「すっかり日が暮れてしまいましたね~。私、ついついのんびり歩いてしまって、すみませんでした」
「いや、君と景色を楽しみながら歩くのは楽しかったよ。日常に潜む風流を色々と教えてもらった」
「私も、トレーナーさんのような風流を解される方と過ごせて楽しかったです」
沈みゆく夕陽が二人を照らし、道に長い影を伸ばしていた。そよ風が二人の間を吹き抜け、道端の草を揺らし葉擦れの音が微かに立った。
「“夕されば”、ですね。茜色の空と、風の音。とても美しいです」
「“門田の稲葉 おとづれて”…か」
「“葦のまろやに 秋風ぞ吹く”――あらまぁ~、今は春だというのに、私としたことが秋の訪れを引き合いに出してしまいましたね」
「ならば、春風に変えて詠んでもよかろう。若草のおとづれを聞き、待ちわびるのもまた一興というもの」
その剣崎の言葉に、グラスワンダーは足を止めた。夕空を眺めていたその瞳が、剣崎に向けられ、彼をまっすぐに見つめていた。
剣崎もまた足を止め、目を細めてグラスワンダーを見つめ返していた。
二人の間に沈黙が降りた。これ以上、語り合う必要は無かった。しばしの後、陽が沈み、見つめ合うお互いの顔に夜が影を落とした頃。
「では、また」
「……はい」
短い挨拶を残して、剣崎は学外にある彼の住まいの方向へと立ち去って行った。グラスワンダーはその姿が見えなくなるまで、その場で見送り続けた後、ようやく学園の門を潜った。
学内の学生寮へと向かう道すがら、彼女はポツリと呟いた。
「“剣客先生”……あれが噂の……」
理事長が地方から敏腕トレーナーをスカウトした。学園内で噂になっていたその話題を、グラスももちろん聞き及んでいた。
「あの人となら――」
口に出しかけたその想いを、グラスは胸の奥に仕舞い込んだ。
【捏造設定その1】
・ウマ娘以外にもソウル憑依者は多数いる。(多分ニンジャソウルもある)
・ソウルを持っていない人間は【ヒト耳】と呼ばれる。