ワルウララ 作:負けヒロイン
春は名のみのなんとやら、とは有名な日本の歌の出だしであったが、なるほど確かにそう唄うにふさわしい冷え込みであると、冬野は上着を首元にかきよせた。
時計は十八時をすぎ、そろそろ日もその顔を地平に隠す頃で、びゅうと吹く風の冷たさは、日中の朗らかな暖かさを忘れさせる程度には涼やかに過ぎるものだった。
「もう4月なのに……」
ぼやきつつも、ポケットに手を突っ込む。
今日は、チーフトレーナーの業務処理の手伝いが思いのほか長引いてしまった。
寮の部屋に戻ったら、ひとまずは温かいお茶でも淹れるか、そんなか細い楽しみを見出しながらも、学舎をでて帰り道をとぼとぼと歩く。
そんな冬野の視界の端に、不意に桜色が舞った。
「うん……?」
薄暗い景色に不意に横切ったピンクを目で追うと、しかしそれは跡形もなく消えていた。
その方向が、何やら無性に気になる。
それは確かに桜の花びらであったのだが、桜はつい先日すっかり花を落としていたはず、地面に横たわった花びらがこの風に舞い上げられたのだろうか。
冬野は、特にこの後はやることもないと言い訳を胸の内に転がしながら、花びらが確かに飛んでいった方に靴先を向けた。
なんてこともない気まぐれだ。
しばらく進むと、そこはトレセン学園に設けられているレース場だった。
実戦形式のトレーニングだったり、実力を披露するための模擬レースだったりで普段は賑わっているし居残り練習をするものも多いのだが、今日はこの寒風がやる気あふれる若者たちの熱意すら冷ましているらしく、驚くほど静かだった。
なんともなしに、あの桜色が向かったほうであるレース場内に踏み入れるが、当然のごとく、だれもいない。
これだけ静かなら、考え事をするならさぞや適しているだろうが、何につけても今日ばかりはこの寒い風が何事もやる気を失わせてしまう。
今更になっていい大人が何をしているのかと馬鹿馬鹿しくなってきた冬野は、踵を返してそこから立ち去ろうとした。
しかし再び視界を桜色が横切った気がして、またかと思いつつそちらへと視線を向けると今度はそれは花びらではなかった。
観客席の一角に、鮮やかな桃色があった。
髪色が桜色のウマ娘が、ポツンと一人腰掛けている。
なんとも珍しい色合いの頭髪を
冬野は、惹かれるようにそれに近づいて声をかけた。
「こんな時間に何をしているんだ」
「ぁ」
突然浴びせられた声に少女は驚いたようだった。
みればその少女は冬用の制服こそ着ているもののそれっきりで、薄手の上着すらない有様だ。
もう、見ているだけで寒い。
「……ごめんなさい」
「いや、謝らなくてもいい、立ち入り禁止というわけでもないからな。 だがその格好では、いかんせん寒いだろうに」
「少し、考え事をしたくって」
「ふむ」
その言葉に少しだけ考えて、冬野はチラリと辺りに視線を走らせた。
中央トレセン学園の設備は極めて充実しており、こういった模擬戦用のコースにもそこらに自販機が設けられている。
少し待ってなさいと言って、冬野はその温かいココアと、ブラックのコーヒーを一本ずつ購入した。
「どちらがいい?」
「……ブラックの、ください」
戻ってから、購入した缶飲料を差し出して問うと、意外にも真っ黒なブラックコーヒーを所望された。
少し戸惑いながらもそれを手渡すと、少女はほぉっと息を吐きながら、その温かいスチール缶で指先を温めているようだった。
「ありがとうございます」
「いや、なに」
そう言って冬野も、甘いにすぎるココアを喉奥にと流し込んだ。
冷えた体に、じんわりと染みる。
「何か、悩みでもあるのかね」
「まぁ、はい」
「明日の模擬レースか?」
「……はい」
落ち込んだように首を垂れる姿を見て、冬野は内心嘆息した。
こう言ってナーバスになる子は実のところめずらしくない。
そも中央に入学できる時点で凡百とは一線を画する優秀なウマ娘なのだが、入学してはい終わりではない。
全校生徒二千人を誇るこの中央トレセンではそんな優秀なウマ娘たちがそこかしこに蔓延り、さらにその中には優秀の一言では片付けられない、まさに優駿と賞賛すべき綺羅星のような生徒もいるのだ。
意気揚々と受験を受けて、合格して人生の絶頂のような気分の中やってきた中央で現実に打ちのめされる、そんな賢いウマ娘は、毎年一人や二人はいる。
彼女らの共通点は「勝つ意欲に欠けている」ということである。
この子も、その口なのだろう。
ちびちびと啄むように缶の中身を口つけている様子をチラリとみるも、制服の上からでは体つき、ひいては筋肉のつき方などを確認することはできない、体格はそう悪くはなさそうだが、体格だけで強いか弱いかが大まかにも判断できないのがウマ娘の不思議なところだ。
「まぁ、俺は気の利く方の人間ではないけれど」
冬野は、あらかじめ前置きをした。
冬野が話し始める時の癖だった。
「走ってみないと、わからないことがある。 ウマ娘は特にな。 走るのが好きだからと入学したら、それは自分一人で走るのが好きなだけで競い合うことに意欲を持てなかった、という生徒を見たことがある。 ここに来る前にもレースをしたことがあるかないか、俺にはそれすらもわからないけれど……すくなくとも、悩むのはこの寒空の下ではなく、明日のレースを走り切った後の、温かい自室の中でもいいんじゃあないのかな」
「……」
そんなことを言うと、彼女はぼんやりとこちらを見上げてきた。
その瞳に、僅かな輝きと困惑を冬野は感じた。
「お兄さん、トレーナーじゃないの?」
「サブトレーナーさ。 いまだに誰かを本格的に育てる気が起きない中途半端な野郎さ」
「……トレーナーの人って、もっとガツガツ走ることの楽しさを押し付けてくるかと思ってた」
「別にそれは間違いじゃないからな。 ただ、間違ってなくて多数派の意見だからってみんなに当てはまるわけじゃあない」
「ふーん、そっか」
彼女はそう言うと立ち上がって、こちらにペコリと頭を下げた。
少しばかり気が紛れたようで、憂鬱とした雰囲気は薄くなって、愛らしい顔立ちに似合う優しい笑顔を浮かべていた。
「ありがとう、おにーさん」
「どういたしまして。 缶、捨てておこうか?」
「……お願いします」
ペコリと頭を下げた彼女から、すっかり空っぽになった缶を受け取った。
今更冷えを感じ取ったのかブルリと体を震わせた彼女は早足気味に模擬レース場を去っていく。
その背中に、冬野は最後に言葉を投げかけた。
「明日のレース、応援に行くよ。 何時のレースに出るんだい?」
その言葉に、くるりと彼女は振り返った。
「明日の3時、芝の2000m。 名前はハルウララ!」
「そうか、じゃあハルウララ。 トレーナーとして忠告。 しっかり風呂で温まること!」
「うん! ありがとーございました!」
パタパタと駆けて行くハルウララの背中を見送った冬野は、自分もまた随分と体を冷やしていたことに気がついた。
足先の冷たさに身を震わせながら、自分も帰るかと模擬レース場の出口へと足を向ける。
その時不意に、自分をここに導いた桜色が飛んできた方向へと目を向けた。
確かあっちは、三女神の像が建つところだったか。
***
「冬野くん、準備はできてるかい?」
「はい、ばっちりですよ」
模擬レースが始まろうとする30分前。
チーフトレーナーに声をかけられた冬野は機材の入った鞄を持ち上げて返事を返した。
「よし、それじゃあ早速前の席を確保しないとね。 行こうか」
「はい」
チーフの背中を追いかけて、冬野もチームの部室を出た。
トレセン所属のトレーナーたちにとって、模擬レースは非常に重要な意味を持っている。
全国から集った未来の優駿の原石たちの中から、さらにひときわ輝く才能、あるいは自分の手で育て上げたいと思うような子たちを見出し、そしてスカウトをかける。
数々の実績あるウマ娘たちを育て上げてきたベテランのチーフトレーナーであっても、毎年行われるこのレースを見逃すことはできないのだ。
「それにしても冬野くんも今年で二年目か。 どうだい、今年はいい子を見つけたらいよいよ専属トレーナーとして育ててみると言うのは」
「いや、俺なんかではまだまだ早いですよ」
「そんなことはないと思うんだがねぇ。 うちの子たちもみんな君を高く評価しているよ」
「そうだとしても、まだまだチーフから学びたいことがたくさん有りますから」
「うーん、まぁ無理にとは言わないけれど」
実のところ冬野の言ってることは、嘘でもないけど本当でもない、と言った塩梅である。
時に有マ記念すら勝利できるウマ娘を育成してきたチーフトレーナーのことを、冬野は心から尊敬していて、まだまだ学ぶことがたくさんあると言うのも嘘ではない。
しかし同時に今まで見てきたウマ娘の中でも、本気で自分の手で育ててみたいと思える子には、一度しか出会うことができなかったのが一番の原因であった。
冬野が中央のトレーナーになった時、一人のウマ娘が世間を騒がせていた。
『マルゼンスキー』。 多くのトレーナーが注目していた空前絶後のスピードをもつ存在であったが、数多くのベテランたちのスカウトを振り切り、奇妙なことにとある新人トレーナーと契約を結び、そして出場したすべてのレースを『楽しそうに』圧勝していった。
その姿を見て、端的に言って冬野の脳は焼かれた。
自分も、あんな楽しそうに走るウマ娘を支えて、その姿を間近で眺めたい。
そんな理想が脳裏こびりついた冬野は、勝つためにギラギラと滾るウマ娘たちをみるとどうしても気後れをしてしまっていた。
自分では、勝つために走る彼女たちに相応しくないという想いだ。
わかりやすく言えば冬野はおもいっきり拗らせていた、それだけの話だった。
***
模擬レース場の中でも絶好の席を確保したチーフと冬野は、カメラなどの機材やメモ帳などを取り出して、レース前のウォームアップに励むウマ娘たちを眺めていた。
徐々に人が集まり始めて多くのチームトレーナーたちや学園関係者、それに未来のスクープを求めてやってきた報道陣によって席が埋められていく中で、カメラの設定をチェックしながら冬野はチーフに尋ねてみた。
「今年、チーフが注目してる子たちはいるんですか?」
「あぁ」
チーフは楽しそうに口元を緩めると、しかし普段は優しげに細められている目をぎらりと光らせた。
「今年は豊作中の豊作と言っても過言ではないと思うよ」
「そんなに」
「あぁ、短距離にも、ダートにも注目するべき子がいるのは確かだが……」
そこでチーフは言葉を区切って、コースの方へと視線走らせた。
「なんと言っても今年は、彼女たちがいるからね」
「彼女たち?」
「そうさ、抜群の成績で少し話題になった、知ってるだろう?」
『まもなく、芝、2000の模擬レースを開始します。 生徒の皆さんは準備をお願いします』
「む、始まるか」
「そうですね」
アナウンスによって話を中断された二人はいよいよかと、ターフのうえに注目をした。
ステイヤーの子たちが多く集まる、芝2000の模擬レース。
かのシンボリルドルフなど数々の優駿がその素質を遺憾なく見せつけたこのレースは、特に注目が集まるものだった。
「話の続きだが、我々はとある六人の生徒に目を向けている」
「六人……」
「あぁ、君も聞いたことがあるはずだ。 スペシャルウィーク、エルコンドルパサー、グラスワンダー、セイウンスカイ、それにあの名バの実の娘、キングヘイロー……そして」
「一枠3番ハルウララ」
「高知からやってきた怪物、今から走るハルウララだよ」
「……あの子が?」
昨日話したあの子が、ハルウララが?
冬野は混乱した。
昨日の様子から、走ることに自信がないと思っていた。
それが、今はチーフが特に注目する期待のウマ娘として情報を塗りつぶされていく。
「始まるぞ」
チーフの言葉にハッとした冬野はカメラを構えて、レースを見る。
レース場が一瞬沈黙に包まれて、その刹那にゲートが開かれた。
そして、春一番の風が吹き抜けた。
『さぁ最初に立ち上がったのはハルウララ! みるみるうちに他のウマ娘たちを引き離し先頭へと躍り出た!』
『1000メートルを通過! トップは以前ハルウララ! その差は10バ身にも及んでいるぞ!!』
『強い強い! 最終コーナーもハルウララが1番に駆け抜けてくる! これはセーフティーリードだ!!』
『ハルウララ! 圧倒的な速さを見せつけて今ゴールイン!!』
「これは……想像以上だったな」
「……」
茫然とするチーフの横で、冬野もまた余りのショックに困惑しながら、走り抜けたハルウララを見つめていた。
(なんだよこれ)
走り抜けたハルウララは、荒げた息を整えながら、適度に体を動かしつつクールダウンをおこなっている。
その周りに後から追いついてきた他の出走者たちがチラチラと見え始めたが、皆一様にハルウララに対して畏怖とも取れるような視線を注いでいた。
だが、それよりも、何よりも。
(なぜ君はそんなに辛そうな顔をしている、ハルウララ)
気の早いトレーナーたちがコース脇に移動したハルウララを早速取り囲み始める中で、冬野はじっと、ハルウララの顔を見ていた。
その顔は、勝った喜びも走り抜けた楽しさも感じられない陰鬱な表情で染まっていた。
冬野の視界を、枯れた桜の花びらが通り抜けた気がした。
ワルウララ概念の説明
ダート→芝
スプリンター→ステイヤー
差し→先行、逃げ
走るの大好き→走るの怖い
元気いっぱい→陰鬱
おバカ→頭がいい
とびっきり優しい→ひねくれてる
だいたいこの辺りですが性格に関しては自分好みにいじってますので純粋な反転とは言い難いです。