あの人の背中を追い駆けて-沈黙の栄光外伝-   作:ノービス

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新しいSSなので初投稿です。


第1話「ラスカルスズカ」

 その日曜日、アタシことラスカルスズカは寮の食堂に置いてあるテレビの前に居た。

 何故かと言えば、大好きな姉さんが出走する秋の天皇賞を見る為だった。

 本当なら現地に行って応援したかったのだが、不幸な事に、月曜日に補習とテストをする羽目になってしまい、その為に勉強をする時間を作る必要があったからだ。

 なので、本当なら勉強していなければならない時間ではあるが、姉の勇姿を見る為に休憩中という訳である。

 

 さて、そんな中でテレビに齧り付いているのは、アタシと同期のメイショウドトウとナリタトップロード、そしてアドマイヤベガだ。

 同じく同期のテイエムオペラオーは、視察の為に『リギル』の面々と現地入りしているらしい。全く、羨ましい話だ。

 

「はぁ……アタシも見に行きたかったな……」

「貴方がちゃんと勉強していれば、何も問題無かったと思うんだけれど……」

「アヤベさん? それ言う? 今言っちゃう? 確かにその通りだけどさぁ!」

「あのぅ、ラスカルさん……。勉強は、した方が良いと思いますぅ……」

「そうですよ。ラスカルちゃんは普段からもっと勉強しましょうね……」

「ドトウとトップロードさんまで! 少しぐらい慰めてくれてもいいじゃん!」

 

 うがー、と食堂の床でジタバタするアタシ。この同期達、容赦が無い。

 ひとしきり駄々を捏ねた後、パドックの中継の始まりが告げられたので、がばり、と起き上がる。

 1枠1番の姉さんは1番最初に紹介された。相変わらず綺麗な姿だった。

 何処か儚げに見えて、それでいて強い意志を感じさせる瞳に、アタシは思わず黄色い声を上げる。

 

「きゃー! やっぱり姉さんはいつ見ても綺麗だし、格好良い!」

「そうね。それに綺麗なだけじゃなくて、走りも凄い。私達なんか、足元にも及ばないぐらいに」

「そうですねぇ……あんな走り方に勝てる気がしません……」

「でも、いつか越えなきゃいけない相手ですよ。少なくとも、これから数年は走り続けてるだろうし……」

 

 普段は表情が硬いアヤベさんでさえも少しだけうっとりとしたような表情を見せ、ドトウはいつもみたいに自信なさげに言うが目の奥には確かな闘志があり、トップロードさんに至っては最初からやる気満々である。

 それ程までにアタシの姉──サイレンススズカは大きな存在だった。

 サイレンススズカ。ありとあらゆる人とウマ娘に夢と希望を与えるウマ娘。

 “逃げて差す”とまで言われたその驚異的な大逃げ戦法で、金鯱賞からこっちは負け無しだ。

 あのウマ娘なら、きっと自分達も知らない様な景色を見せてくれる。世間ではそんな評価が多く見られた。

 ああ、自慢の姉さん。アタシなんかじゃ、きっと届かないだろうけど、いつか届きたいと思わせてくれる最高の姉さん。

 今日はどんな走りを見せてくれるのだろう。どんな勝ち方を見せてくれるのだろう。

 いつもと同じ大逃げでも、見る度に新鮮でワクワクする。

 

 夢見心地で考えている間にもパドックの紹介が終わり、ゲート前での準備運動が終わってゲートに入り、そして、開いた。

 最内に居た姉さんはポン、と飛び出すと、みるみるうちに後続を突き放して大逃げの体勢に入る。

 その瞬間、スタンドの方から、わぁっ、と歓声が上がった。みんな、姉さんの走りを見たくて集まっているのだと良く分かる。

 自分の事じゃないのに、それが自分の事のように嬉しい。

 

『サイレンススズカ、今日も逃げ逃げる! 後続は4バ身、5バ身と離れていく!』

 

 すごい、あんなに後ろのウマ娘達を置いてきぼりにしていく。あの子達だってあのレースに出られるぐらいの凄い子達のはずなのに。

 姉さんは周りに誰も居ない世界で1人走っていく。勝負とか、駆け引きとか、そんなの一切気にしないで。

 同期の3人も黙って食い入るようにテレビの画面を見ていた。

 けれど、口に出さないだけで、誰もが心の中で姉さんの事を考えているのが分かる。

 姉さんの一挙一動を残らず目に焼き付けて自分の糧にしようとしている。

 そんな不思議な静寂が食堂の中を包んでいた。

 姉さんは丁度1000mの標識を過ぎた所だった。

 

『サイレンススズカ、今1000mの標識を通過しました! 通過タイムは、54秒7! これは本当に2000mのペースなのでしょうか! 全く信じられません!』

 

「……速過ぎる……」

「ひょぇ~……来年に私達がデビューして、それからシニアに行ったら為す術無く蹂躙されちゃいますぅ……」

「かも知れないですね。だからこそ、燃えるんです。乗り越えられれば、きっとその先の景色は輝いてるから」

 

 3人が思い思いの感想を呟いている間にも、姉さんはさらに加速していく。

 もうすぐレースも終盤。あの大欅を越えるまでに影が踏めないなら、いよいよ後ろの子達は追い付けなくなるだろう。

 あそこから更に伸びる姉さんの末脚はそれ程までに恐ろしい切れ味なのだから。

 “逃げて差す”、“異次元の逃亡者”とは良く言ったものだ。思い付いた人には拍手を送りたい。

 

『サイレンススズカ、後続を8バ身突き放したまま第3コーナー、大欅に差し掛かります! このまま最後まで行ってしまうのか!』

 

 実況の言葉通り、大きく突き離した状態で姉さんが大欅の向こう側へ消えていく。

 その時までアタシは姉さんがそのままの勢いで出てくるって信じていた。

 あんな事になるなんて、思ってもいなかったのだ。

 

 勢い良く飛び出してきた姉さん。わっ、と上がるスタンドの歓声。

 だけど、出てきた姉さんはどこか様子がおかしかった。

 さっきまでの綺麗な走りではなく、まるで左脚を庇うかのような──。

 上がっていた歓声も、その姿を見てにわかに騒めき出す。

 

「──え?」

 

 その声は一体誰の物だったのだろうか。もしかすると、その場に居た全員か、あるいは実況の声だったのかもしれない。

 だって、だって、あんな走りになるという事の意味が示すのは──。

 

『──さ、サイレンススズカ、どうした事でしょうか!? 大欅の向こう側で何が起こったのか!? サイレンススズカに故障発生! 後続が次々追い抜いていく! 何という事でしょう! 第4コーナーを迎える事無く、サイレンススズカ競争中止──』

 

「ッ、姉さん!」

 

 姉さんに起こった事を実況の声で漸く理解出来たアタシは、椅子を蹴るように立ち上がってテレビに飛び付こうとする。

 それを脇から同期3人が飛び付いて押さえ込んできた。

 

「ラスカルちゃん! 落ち着いてください!」

「落ち着いてられるかぁ! 姉さん、姉さん!」

「ここで取り乱してもしょうがないでしょう! 気持ちは分かるけど落ち着いて……!」

「だって! だって、姉さんが!」

「だ、駄目ですぅ! 暴れないでくださいぃ!」

 

 流石のアタシも同期3人に押さえ付けられてしまえばどうしようもない。

 なんて割り切れたら良かったのだろうが、その時のアタシはそこまで冷静になるなんて出来なかった。

 無駄だと分かっていても暴れに暴れ、同期の顔や身体に腕と脚をぶつけて逃げようとする。

 暴れている間にレースは終わっており、中継のカメラは姉さんの様子を映していて、アタシはそれを見た。

 見てしまった。

 

 ──転倒していたらしい姉さんが、それでも立って走ろうとしていた姿を。

 ──それを救急隊員らしき人達が押さえ込み、無理やり担架に乗せて救急車に乗せて行く所を。

 

 あ、と口から息が漏れる。目を見開いてその映像をじっと見てしまう。

 動きが止まったアタシを見て安心したのか、3人が安堵の溜息を吐き、そしてアタシが見ていた物を見た。

 その時のアタシには分からない事だけど、きっと3人とも顔を青くしたのだろう。

 アタシが動かなくなったのは正しく嵐の前の静けさだったのだから。

 その異常にいち早く対応したのはトップロードさんだった。

 ここに居ないオペラオーさんを除けば、彼女が一番のリーダー気質であった事が幸いした。彼女が真っ先に声を上げる。

 

「あ……や、ば。アヤベさん、ドトウちゃん! 絶対離しちゃダメ! 良い!?」

「分かってる……分かってるけど、こんなことって……!」

「救いはぁ……救いはぁ……!」

 

「あ、ああああぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 暴れる。暴れる。暴れる。

 今まで出した事も無いような力でアタシは暴れた。周りの事なんか全く見えていなかった。

 自分や同期が傷だらけになるぐらいに暴れ、同期だけでは押さえられそうに無くなってきた所で、騒ぎを聞き付けて駆け付けてきた寮生達が加わってきた。

 そうなってしまえば、もう動く事すら出来ない。アタシはただ嗚咽を上げて泣き叫ぶ事しか出来なかった。

 

 

 ⏱ ⏱ ⏱ ⏱ ⏱

 

 

 結果から言うと、姉さんは左脚の足首を砕いていた。

 あの大欅の向こう側に入った所で姉さんの速さに身体が付いてこられなかったらしい。

 復帰は、絶望的だと聞いた。

 まだ公式に発表はしていないという事だが、スズカの容体が落ち着いたら発表するとの事だ。

 

 アタシはお見舞いには、行けなかった。

 目の前の現実が受け入れ難くて、姉さんに会ったら否応無くそれを受け入れなくちゃいけなくて。

 それがどうしても耐えられなかった。

 そうした自分勝手な想いで姉さんへ会いに行かなかったのを後悔したのは、随分経ったある日の事だった。

 

 ──サイレンススズカが昏睡状態に陥った。

 

 たづなさんにそう聞かされたアタシは、一瞬、彼女が何を言っているのか理解できなかった。

 いや、理解したくなかったのだ。そんな事があって良い筈が無いと。

 ただでさえ現状が受け入れ難いのに、それ以上の事が起こって良いのか。

 姉さんは。姉さんは、アタシの、みんなの夢だったのに……。

 目の前が真っ暗になり、足元が覚束なくなる。

 そのまま倒れそうになった所をたづなさんが支えてくれた。

 けれど、いつもなら温かいと思うであろう手の感触も、今のアタシには何も感じられなかった。

 アタシの世界からは既に色が抜け落ちてしまっていたから。

 

 その後、アタシがどうしたのか良く覚えていない。

 多分、たづなさんに言われるまま、ふらふらと姉さんの所へ向かった、のだと思う。

 そして、部屋に入って安らかな顔のまま眠っている姉さんを見て、そこでまた泣き崩れたのは覚えている。

 泣いて。泣いて。泣き疲れて。

 気が付いたら、消灯の見回りに来たナースさんが起こしてくれていた所だった。どうやら、そのまま寝てしまっていたらしい。

 眠っている姉さんに別れを告げて、病院を後にする。

 すっかり色褪せた世界を1人歩く。夜だからではなく、本当に色褪せたモノクロの世界。

 

 アタシの視覚は、あの日曜日から()()()()()()()()()()()

 お医者さんによると、大きなショックを受けた事による色覚異常という事らしい。

 正直な所、そんな話に興味は無かった。……いや、どうでも良かったと言い換えるべきだろうか。

 姉さんがあんな事になっているのに、アタシの色覚の事なんか本当にどうでも良い話だった。

 そのうち、食事も味がしなくなっていた。味覚障害も発生したらしい。

 一時は食べる事すらどうでも良かったが、流石にそれは同期が泣きついてきた。

 

『スズカさんはまだ生きてるのに、1人だけ人生どうでも良いみたいな顔して死のうとしないで。──わがままなのは分かってる。でも、お願い。私に、二度とあんな思いをさせないで』

『私もぉ……ラスカルさんが死んじゃったら、悲しくて穴の中に入りたくなっちゃいますぅ……』

『ラスカルちゃんが一番辛いのはみんな分かってます。けれど、1人で全部背負い込んじゃダメですよ。私達は同期でありライバルであり──友達でしょ?』

『起こってしまった悲劇は、この世紀末覇王たるボクであってもどうする事も出来ない! ──けれど、まだ起こっていない悲劇は止められる。そうだろう? ラスカル君』

 

 そんなに揃いも揃って言われてしまえば、如何なアタシとて非道ではない。

 砂のような味しかない食事であっても、無理やり食べる事にしていた。

 全く。アタシには過ぎたお人好し……いやおウマ好し達だ。

 ……姉さんは、もう食べる事や走る事すらもできないのに。

 

 病院から寮へ戻って自室に入ると、同室のトップロードさんが心配そうに待っていてくれた。

 声を掛けてきたトップロードさんへの返事もそこそこにお風呂に向かう。

 お風呂は時間が遅い事もあって、今は誰も居なかった。

 シャワーだけさっさと浴びて終わろうと思った時、ふと目の前の鏡を見る。

 

 ──()()()()()()()()()()

 

「姉さんっ!?」

 

 思わず声を上げてから冷静になる。

 姉さんはさっき病院で顔を見たばかりだ。ここに居るはずが無い。

 じゃあ、この姉さんにそっくりなのは誰……? 

 そんなの、決まっている。

 

「アタシか……」

 

 アタシと姉さんは、胸以外は顔立ちも、身長も、声も殆ど同じだ。

 初めての相手であるなら、声だけを聞けば聞き間違えるかもしれない。

 だけど、アタシの髪は暗めの鹿毛だ。だから、普段なら姉さんと間違える筈がない。

 それに色覚がおかしくなってからの顔だって何度も見てきた。やっぱり間違える筈が無い。

 それでもその時、確かにアタシには鏡に映っている顔が姉さんに見えていた。

 

 ぼうっと鏡の中のアタシを見ていると、ある考えが頭を過ぎった。

 思い返せば、明らかに正気の沙汰ではない考え。

 でも、その時のアタシは禁忌にも等しいその考えをまるで素晴らしい物のように感じていた。

 姉さんが見せてくれた夢を、夢で終わらせたくなかったから。

 早速この考えを実行に移したかったのだが、部屋に戻ったところでトップロードさんに無理やり寝かし付けられてしまった。

 だから、決行は明日になってからする事にした。

 ……まあ、あの日からずっとあの日の夢を見続けていて、碌に眠れてすらいないのだけど。

 

 

 ⏱ ⏱ ⏱ ⏱ ⏱

 

 

 翌日。アタシはまずある事をやってから、理事長室へ向かった。

 ノックして入ると、中にはちょうど秋川やよい理事長と秘書のたづなさんが居た。

 

「おや! ラスカルスズカか! ……その、無理はしていないか? 随分隈が出来ているようだが……」

「もう慣れましたから」

「……慣れてはいけないと、私は思うのだが」

 

 理事長はアタシを一目見るなり、即座にアタシの名前を出す。

 なるほど、全てのウマ娘達が輝けるようにとURAファイナルズを提案するだけの事はある。こんなアタシでも、ちゃんと見てくれているんだ、と思うと少し嬉しいようであり、気恥ずかしようであり。

 姉さんの事を知っているからか、心配してくれているのも温かく感じた。

 けれど、アタシの用事はそれではない。少し真面目な顔をして小さな理事長の方を見る。

 

「理事長、折り入ってお願いがあるのですが」

「承知ッ! 我がトレセン学園の生徒の頼みとあるならば、是非聞かせてもらおうッ!」

「ありがとうございます。それでは──」

 

 お願いがある、と伝えるだけで、即座に頷いてくれる理事長。

 きっと、アタシが言おうとしている事なんか想像もしていないんだろうな、と思う。

 若干の申し訳無さを覚えつつ、アタシは口を開いた。

 

「──アタシを“()()()()()()()()”として出走登録させてください」

 

 そう言い放った途端、部屋の空気が凍り付いた。

 理事長も、たづなさんも、みんな目を丸くしてアタシを見ていた。

 ……正直、そういう反応になるのは目に見えていた。

 デビュー前の小娘がいきなり自分ではなく、姉とはいえ他人の名前を使って走ろうと言うのだ。そんな事、前代未聞どころか、本来あってはならない事だろう。

 暫しの沈黙の後、漸く言葉の意図を飲み込んだ理事長が再起動を果たした。

 ゆっくり、ゆっくりと何かを確かめる様に口を開く。

 

「疑問。……正気か?」

「ええ、アタシは至って正気です。アタシが()()()()()()()()トゥインクル・シリーズを走ります」

「む、無理ですよ、そんな事! 貴方は、サイレンススズカさんではありませんし、彼女のような走りが他の人にも出来るとは──」

「アタシは姉さんの妹です。だから、多少なりは出来る筈です。姉さんが目を覚ますまでで良いんです。お願いします」

 

 たづなさんの言葉を遮り、強く言い切ると深々と頭を下げる。

 確かにアタシじゃ、姉さんの様には走れないだろう。だけど、だからと言ってそれで引き下がっては来た意味が無い。

 一向に引きさがる様子を見せないアタシに、理事長は帽子を深めに被り小さく俯いた。

 

「……確認。通る筈が無いと分かっていて、なぜその話をした?」

「姉さんはみんなの夢でした。……”()()()”、で終わらせたくないんです。アタシは」

「仮定ッ! 君の意見が通ったとして、君はそれで本当に良いのか!? その夢を終わらせないという願いは、君を、“ラスカルスズカ”を捨ててまでやるべき事なのか!?」

「少なくとも、アタシにとってはそうです」

「……」

 

 アタシの言葉に黙りこくる理事長。その表情は深く被られた帽子によって窺う事は出来ないが、きっと感情が抜け落ちた顔をしているんだろうな、とアタシは思った。

 理事長の頭の上に乗っている猫も、心なしか怒っている様に見える。

 また暫くの沈黙の後、理事長は首を横に振った。

 

「……却下。それを認める事は、全てのウマ娘達が平等に輝ける場所を作るという私の理念に反する。それは勿論、君にも当てはまるものだ。ラスカルスズカよ」

「……そうですか。分かりました、次を当たる事にします」

「制止ッ! 次、とはどこの事だ!?」

「決まってるじゃないですか。──URAですよ」

「なっ──!?」

 

 驚愕のあまりか、理事長の手から扇子が落ちる。そして、それを拾う事もしないまま、一歩後退った。

 たづなさんも顔を青くして口に手を当てている。

 2人の様子を見て、アタシはしてやったりと笑みを浮かべた。

 どうせ理事長に言っても通らないだろうという事は予想していた。だから、本命はURAに決めていた。

 姉さんの走りは皆に夢を見せた。それはURAも同じだ。

 来場者数の増加とそれに伴う興行収入の増加。それはURAにとって、とても魅力的だろう。

 勿論、理事長の様に、最初は渋るか反対するかもしれない。それでも、一瞬でも見えた夢を諦める事は出来ない筈だ。

 そこを攻めれば、アタシの提案が通る可能性はある。

 さて、理事長には拒否された事だし、早くURAに──。

 

「待て。待ってくれ、ラスカルスズカ」

 

 漸く動ける様になったらしい理事長が慌てた様子で駆け寄ってきて肩を掴んでくる。

 帽子の下から見えた瞳からは、絶対に行かせないという意志を感じさせた。

 アタシは面倒臭そうに理事長を冷たい目で見下ろす。

 

「なんですか、理事長。アタシのお願いは駄目なんですよね?」

「勿論ッ! しかし、君をそのまま行かせるわけにはいかない!」

「どうしてですか。姉さんの夢が走れば、きっとみんな喜びますよ?」

「拒否ッ! それでは“()”の夢はどうするのだ!」

「アタシは姉さんの夢が走れるなら、それで充分です」

 

 これ以上のやり取りは不要と思い、理事長の手を払おうとする。

 しかし、肩を掴んでいる手の力はびっくりするぐらいに強くて、いくら払おうとしても払えなかった。

 ウマ娘の力に勝てるなんて、理事長のどこにそんな力があるのかと思って理事長の方を向いて。

 

「り、じちょう……その耳……」

「ラスカルスズカ。私の理念はさっきも言った通りだ」

 

 振り向いた先に居た理事長の頭からは帽子と猫が落ちていた。

 それだけなら驚きはしなかっただろうが、その頭には普段から馴染みのあるものがあったのだ。

 それは、頭の上から伸びる2つの耳。

 

「だからこそ、“理事長”では無く、1()()()()()()──“()()()()()()()()”として、君を止める」

 

 ──ウマ娘の証たるウマ耳だった。

 アタシは訳が分からなかった。尻尾とか出てなかったじゃないか。

 あれだろうか、隠す為にいろいろしているのだろうか? まずどうして隠しているのか分からないが。

 いや、そんな事はどうでもいい。何とかして抜け出さなければ。

 アタシは深呼吸を1つして、理事長の方に顔を向けると務めて冷静に質問した。

 

「止める? どうやって止めるというんです。監禁でもしますか? それこそ、理事長の理念に反すると思いますが」

「否定ッ! 君が折れるまでここで説得させてもらう!」

「それって監禁とどう違うんですか。違うって言うなら、夜になったら帰してもらえるんですよね?」

「む……」

 

 困ったような顔をする理事長。一度でもアタシを手放せば、そのままURAに乗り込むであろう事は分かっているはずだ。

 尤も、それに関しては既に手を打ってあるから心配は要らないだろう。

 ここへ来る前に済ませた仕込みがそろそろ……と、思った所に理事長室の電話が鳴る。

 理事長はアタシを掴んだままだったから、たづなさんが代わりになって電話に出た。

 

「はい、トレセン学園です。……はい、お世話になっております。……はい、はい……え?」

 

 暫く応答を繰り返していたたづなさんの顔が段々青くなっていった。

 それから、不安そうな表情で理事長の方へ顔を向けた。

 理事長は手を放してもアタシが出て行かない事を確認してから、たづなさんの方へ行き、受話器を受け取る。

 

「代わりました、秋川です。……はい? いや、そんなバカな事が罷り通るなんて……」

 

 応対を続ける理事長の顔も段々青くなっていくので、アタシは少しおかしくなって笑った。

 理事長は笑う私を横目で睨み付けてから、受話器に向かってがなり立て始める。

 

「ですが! 彼女は“()()()()()()()”です! “()()()()()()()()”ではありません! それを貴方がたは……!」

 

 そこまで捲し立てた所で先方に何かを言われたのか、黙りこくる理事長。

 ギリィ、という歯軋りの音が少し離れているアタシの耳にさえ聞こえてくる。

 あそこまで恐ろしい形相をする理事長は見た事が無い。

 しかし、そこまで怒りに震えた所で無駄な事なのだ。何せ、話を持っていったら、実際は渋るどころか、二つ返事だったのだから。

 つまり、アタシが姉さんとして走る事は既に確定している。

 権限もURAの理事会の方が上だ。理事長にURAからの要請を断る事は出来ない。

 

 ──成った……! 計画通り……! 

 

 唇を噛み過ぎて血を垂らしてしまった理事長が、最後に1つ頷いて何事か答えると受話器を置く。

 それからゆっくりとアタシの方を見た。分かってはいたが、改めてその表情で睨まれると流石に怖かった。

 理事長は何を言うべきか悩むように手を握ったり開いたりしていたが、漸く一言だけ絞り出した。

 

「……失態。謀ったな、ラスカルスズカ」

「理事長が反対するのは目に見えていましたので。それで、どうします?」

「分かっていて、それを聞くのか。……非常に業腹だが、URAからの要請と言う形ならば、認めるしかあるまい」

「ええ。ありがとうございます」

「……質問。後悔、しないのか?」

 

 理事長のその質問に、アタシは扉のノブに手を掛けながら答える。

 後悔しないか? そんな問いに意味は無い。答えも決まっている。

 

「する訳が無いじゃないですか」

 

 アタシは、姉さんの見せてくれた夢を終わらせたくないだけなのだから。

 

「……ッ!」

 

 理事長はまだ何か言いたげにしていたが、アタシの目を見て黙り込んだ。

 きっと見た事も無いような目をしていたんだろうな、と、どこか他人事に思いながら、アタシは理事長室を出ていった。




姉の見せた走りは、全てのウマ娘達への福音だった。
それは勿論彼女にとってもそうであり。
だからこそ、諦めたくなかったのだ。



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