岸辺露伴の回想録   作:ゼルダ・エルリッチ

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思い出屋敷

「君、思い出は大事にする方かい?」

 

 

「どうしたんですか? 先生。急に」 

 

 

「いや、ちょっと思い出したことがあってね。大したことじゃあない。忘れてくれ」

 

 

 

 いつもの昼下がり。僕はカフェ・ドゥマゴでお茶を飲みながら、編集者との打ち合わせをしている所だった。

 

 

 いつもと違うのは、やってきた編集者が僕の知らない顔だったということだ。いつもの担当が別口の仕事に回っているということだったので急遽というわけだったのだが、別にそんなことはどうでもいい。

 

 

 だが、その男とのやり取りの中で、何となく思い出したことがある。あれは、二年前だったか。僕は取材中、とある体験をした。人の心の中にある「思い出」というものに対する姿勢を考えさせられる、不思議な体験だった。やってきた新顔の編集がやたらに自分の家族のことを話したがるので、今そのことを思い出して、そんな質問をぶつけてみたくなったのだが……。

 

 

 

「それで先生、うちの娘がですね、あ、ちなみにこないだ、3歳になったんですよ。その娘が言うんですがね、『ねえパパ、なんでスリッパでお外に行っちゃいけないの?』ですって。靴とスリッパの違いって、なんなんですかね? 外国じゃ、家の中でも靴を履いたままだっていうし。なんだかよく分からなくなっちゃいましてねえ」

 

 …………

 

「先生、聞いてます?」

 

 

「……ああ、聞いてるよ。スリッパだろ? 靴もスリッパも、どっちも足を守るものに違いはないだろうね。それより君、今度の企画の打ち合わせはもういいのか?」

 

 

「ああー、そうでしたねえ。いやー、ボクも入り込むっていうか、つい周りが見えなくなっちまって。悪い癖ですよねえ。あははは」

 

 

 

 

 僕は岸辺露伴。漫画家だ。

 

 

 週刊少年ジャンプで『ピンクダークの少年』という漫画を連載している。

 

 

 僕は職業柄、取材のために各地を回ることが良くある。そして、その中で色々と奇妙な体験をすることもしばしばだった。なぜだかは分からないが、僕のささやかな能力が色々と不思議なものを引き寄せちまうみたいだ。その結果として生まれた体験はノートに記録して保管してあるのだが、今日ふと思い出したのは、それらの体験の一つ。

 

 記録のタイトルは、

 

 

 

 思い出屋敷――

 

 

 

 ざっと目を通し、ノートを閉じる。あの屋敷は、今でもあの場所に建っているのだろう。そしてあの少女は、今でもあの屋敷と共にいるのだろう。

 

 

 思い出を守り、思い出に包まれたまま―― 

 

 

 

 

 あれは冬も深まった、ある冷え込んだ日のことだった。

 

 僕は漫画の取材で、Y県のとある温泉地を訪れていた。この地にある老舗旅館を舞台にしたシーンを描くための参考として、いつものバイクでやってきたというわけなのだが……、

 

 

「おやぁ? あんた、漫画家の岸辺露伴先生じゃあありませんかい?」

 

 

 …………

 

 目的地への途中で立ち寄ったガソリンスタンドで、店主らしき中年のオヤジが話しかけてくる。背が極端に低く、ずんぐりむっくりとした体形。禿げかかった頭には、白いものが混じり始めている。長いアゴ鬚まで生やしていて、まるで、おとぎ話に出てくるドワーフかノームみたいだった。

 

 

「ああ、そうだが。おたくも読者なのかい?」

 

 

 一応質問してみる。

 

 

「うんにゃー、あっしは読まんのですがね、中学生の息子がファンなんでして」

 

 

 そう言って、汚れた歯を剥き出して笑う。まあ確かに、このオヤジが僕の作品を理解できるとは思えないからな。納得だ。

 

 

「ところで今日は、どちらへお出かけで? お泊りですかい?」

 

 

「ああ、温泉地を見て回ろうと思ってね」

 

 

 なんだか面倒になってきたので、適当に流す。さっさと給油して、さっさと行こう。

 

 

「ああ、そうそう。そういえば先生、あっしも最近、ちょいと変わった体験をしましてね。いわゆる、不思議体験っていうんですか? そういう話って、先生の漫画のネタになるんじゃあないですかねえ?」 

 

 

 バイクのタンクにガソリンを注ぎながら、オヤジが持ちかけてきた。変わった体験だって? 

 

 大方、大した話でもないだろうとは思ったが、一応話を聞いてみることにする。読者の家族ではあるし、そうそう邪険にするのも悪いからな。

 

 

「朝起きたら、身体の向きが180度逆になってた、とかかい? それは単に、寝相が悪いだけの問題なんじゃあないのかな?」

 

 

「違いますよ先生。ガソリンなんです」

 

 

「ガソリン?」

 

 

「ええ、この近くの山の上に小さな湖があって、地元の釣り人が車で行くことがあるんですが、この3か月で、あっしの所に4回も連絡があったんです。誰かにガソリンを抜かれて車が動かないから、すぐに来てほしいって」

 

 

「ガソリンを抜かれただって? 盗まれたってことか?」

 

 

「ええ、恐らく。でも、なんでわざわざあんな辺鄙な場所でガソリンなんか盗むんです? それに、誰も犯人の姿を見てないっていうし。あのあたりには人家は全く無いから、あそこで盗みを働いたんなら、山の下まで降りてこないといけないんですよ。それなのに、車やバイクを見たって者もいない。自転車っていうのも変ですよ。なんでわざわざ、自転車で山の上まで行って、そんな面倒なことするんです?」

 

 

 …………

 

「……確かに、妙な話だな」

 

 

 興味はある。だが……、

 

 ちょっと考えれば、大体推測は付く話だ。

 

 

「単に、嫌がらせをしたいから、ってことなんじゃあないのか? 迷惑な釣り人が気に入らないから困らせてやろうっていう、浅い考えで」

 

 

 そしてそのためだったら、登山の苦労もいとわないってことなのだろう。

 

 

「そんな奴がいますかね?」

 

 

「ああ、世の中にはおかしな思考のやつがごまんと居るからな。可能性は高いんじゃあないのか?」

 

 

「そうなんですかねぇ。うん、多分そうなんでしょうねぇ」

 

 

 

 

 結局、話はそこで終わったのだが……、

 

 

 何だか妙に、引っ掛かるものがあった。嫌がらせ……、本当に嫌がらせで、そんなことをしたのだろうか? それに、「ガソリンを盗む」という行為に、僕はそのとき、何だか不思議と謎めいた意志を感じてならなかった。

 

 

 考え過ぎか……。

 

 

 

 

 バイクで走り出す。ほどなくして、道の途中に、山道を登って行く細い脇道が見えた。ここが、あのオヤジの言っていた湖へ続く道らしい。

 

 

 看板も何も出ていない。地元民だけが知る、隠れたスポットという所か。

 

 

 …………

 

 腕時計を確認する。

 

 

 まだ時間はあるな……。

 

 

 ちょっとした話のネタくらいにはなるかもしれない。

 

 

 

 気付けばそのまま、僕はバイクを走らせてその脇道を進んでいた。

 

 

 

 

 周りはどこも、鬱蒼とした木々。道の整備など全くされてなく、枯れ枝や石などが道の上に散乱している。中にはアスファルトがすっかり剥がれてしまって、草に浸食されている箇所まであった。まるで、世界が崩壊してしまった後みたいだ。なるほど、こんな所に来る者なんて、地元の釣り好きくらいなもんだろう。

 

 

 10分ほど、荒れた道を登って行く。そしてそれは、唐突に現れた。

 

 

 

 舗装された道が突然途切れ、代わりに土の地面が広がる。その先に、くだんの湖が静かに横たわっていた。

 

 

 人工物の全くない、どこまでも自然のままの姿。一体いつからこの湖はここにあったのか?悠久の歴史めいたものを感じずにはいられない。

 

 

 

 バイクを停め、カメラを手に歩き出す。風が湖面に波を走らせる音だけが、この場所に唯一の変化を生み出していた。

 

 

「確かに、こんな所に人家なんてありそうもないな……」

 

 

 登ってきた道を振り返って、思わず漏らす。道は麓に続くその一本きりで、他には獣道の一つも見受けられない。周囲はボウボウの草と木々に囲まれていて、人が立ち入っていくような場所などは全く無かった。もちろん電線も通ってないし、外灯の一つも存在しない。つまりは、ここは完全に周囲から孤立した極地だってことだ。

 

 

 水際まで歩いていって、もう一度振り返る。昇ってきた道は、この場所からよく見ることができる。もし泥棒が車やバイクで登って来たのなら、すぐに気付くだろう。

 

 

「釣り人は、犯人がガソリンを抜いたことに気付かなかったらしいが……」

 

 

 よっぽど釣りに夢中になっていればそれも有り得ない話ではないが、この距離でそんな大胆な盗みをされて気付かないなんてことが、本当にあるのだろうか? 

 

 

 …………

 

 ふう。

 

 

 最後に出たのは、溜め息だった。

 

 

「まあ、それだけの間抜けだったってことだろうな。人の注意力なんて、元々、当てになるようなもんじゃあない」

 

 

 落胆して、再び湖を眺める。この景色とマイナスイオンをしばし堪能できただけでも、収穫だったということにしよう。

 

 

 そう思って踵を返そうとした、そのとき……、

 

 

 

 ゴポッ! ゴポッ! ゴポッ! 

 

 

 

 突然の物音に、驚いて振り返る。見ると、 

 

 

 

「お……、おいおいおいおい……! これは一体、どういうことなんだ?」

 

 

 

 僕のバイクの側に、一人の少女が立っていた。薄い桃色のワンピースを着て、髪をツインテールにした、8歳くらいの子供だった。どこかの良家の娘かといった、そんな感じの品格を備えている。一体、どこから出てきたのか? 今さっきまで、僕はバイクの方を見ていたはずだった。木々の茂みに隠れていたのだとしても、そんなに短時間でここまで出てこられるものなのか?

 

 

 いや、そんなことはこの際どうでもいい。問題なのは、その少女の行動だ。その少女は、手にした給油ポンプを僕のバイクの給油口に差し込んで、地面に置いたポリタンクにガソリンを移している所だったのだ。

 

 

 

 つまりは、ガソリン泥棒だ。

 

 

 

「お、おいっ、お前っ! 何のつもりだ! 人の目の前で盗みを働くなんて、いい度胸してるじゃあないか!」

 

 

 指を突き付けて指摘してやる。しかし……、

 

 

 少女は黙ったまま、こちらに興味も無いといった感じだった。目線を合わせるどころか、こっちを見るようなそぶりすらない。

 

 

 

 ますますいい度胸だな。ちょっと闘志が湧いてきたぞ。

 

 

 

 その歳でもう盗みを覚えたというのなら、ここは大人として、ちょっと懲らしめてやる必要があるんじゃあないか? 

 

 

 僕のヘブンズ・ドアーで……、そう思っていたら、

 

 

 

 くるぅーっ! たったったった!

 

 

 

 少女がポリタンクを手に、踵を返して駆け出した。

 

 

「逃がすか!」

 

 

 全力で後を追い掛ける。その首根っこをフン捕まえて、ちょいとばっかり痛い目に合わせてやるつもりだった。

 

 

 子供相手に、ちょっと大人気ないんじゃあないかって? とんでもないね! 悪い芽は早めに摘んでやった方が、本人のためにもなるってもんだ。むしろ、感謝してほしいね。

 

 

 だが……、

 

 

 

「お、おいおい……! なんだって!? 相手は、小さな子供だぞ?」  

 

 

 

 追い付けない! とんでもないほどのスピードだった。脱兎のごとく、とは、まさにこのことだ。

 

 

 そのまま少女は、茂みの中へ突っ込んでいく。草葉をかき分けるガサガサという大きな音が、後に続いた。 

 

 

 逃げすわけにはいかないという気持ちで、後を追い掛ける。そこで僕が見たものは……、

 

 

 

「これは……!?」

 

 

 

 茂みの向こうに、敷石で舗装された小道が続いていた。こんな所にこんな道があるなんて、全く分からなかった。いや、道というよりも、ほとんど草木に埋もれた遺構といった所だろう。しかしそれにしても、なんでこんな所にこんなものがあるんだ? 

 

 

 道の先の曲がり角を少女が曲がっていくのが映る。取り敢えず、今は考えるのは後だ。逃がすものか。

 

 

 草木を掻き分け、走る。そして、曲がり角を曲がった所で……、 

 

 

 

「門……?」

 

 

 

 目の前に、朽ち果てた鉄柵の門が現われた。大きな錆びた錠前が掛けられ、しかも、鎖でグルグル巻きにされている。しかし……、

 

 

 門は既に、本来の役目を果たしていなかった。つまり、傾いて隙間だらけで、誰でも簡単に通れるからだ。

 

 

 門をくぐる。そして、その先に現れたそれに、僕は思わず息を呑んだ。

 

 

 

 そこには、ボロボロに朽ちた洋館が建っていた。

 

 

 

 窓は割れ、屋根も所々剥がれ落ちている。草木が容赦なく邸内にはびこり、この過去の遺物を飲み込もうとしていた。一体、この屋敷は……?

 

 

 

 その時、視界の端に動くものを捕らえる。見ると、あの少女が建物の一角のドアをくぐり、中に飛び込んでいく所だった。

 

 

「あいつ……、この屋敷から来たってことか? 一体何者なんだ?」

 

 

 疑問を抱きつつ、後を追う。ドアの先は、下り階段になっていた。どうやら、地下の倉庫のような場所へと続いているらしい。

 

 

 不法侵入になるか? いいや、僕は今、窃盗の被害者なんだ。被害者が犯人を追い立てて何が悪い? 

 

 

 階段を降りていく。ほどなくして、地下倉庫の中に出た。

 

 

 ボロボロに朽ちた木箱や、シャベルなどの道具類が散乱している。しかし、ここで目を引くものは、そんなものじゃあなかった。

 

 

 大きな機械装置のようなものが、床の上にデンと置かれていた。錆びて、一部は苔むしてしまってはいるものの、見た感じ、まだ使えそうに見える。

 

 

 観察していた、その時、

 

 

 

 ぶおんっ! ぶおんっ! ぶおんっ!

 

 

「うおっ!」

 

 

 

 急に、その機械が轟音を上げて動き出した! 

 

 

 

 そして、僕は理解する。この機械が、何なのか? 

 

 

 

「これは……、発電機だ」

 

 

 

 昔のこういう大きな屋敷には、こういった発電機が備えられているものだと聞いたことがある。そして、その発電機を動かすためには……、

 

 

 

「ガソリンが必要……」

 

 

 

 …………

 

「そういうことか。なあ、お嬢ちゃん」

 

 

 

 声を掛けると、その大きな機械の影から、先ほどの少女が姿を現す。影に隠れているのは、分かっていた。その手には、空になったポリタンクが握られている。盗んだガソリンを、この発電機に注ぎ終えた所だった。

 

 

「どういう事情があるのかは知らないが、盗みは盗みだからな。きっちりと、償いはしてもらうぜ」

 

 

 今度は逃がすものかっ! 

 

 

 

「ヘブンズ・ドアー!」

 

 

 

 僕のささやかな能力を発動させる。

 

 

 途端に、少女の顔がパラパラとめくれあがり、地面に倒れた。

 

 

 一丁上がりってわけだ。

 

 

 

「さて……、まずは、こいつが何者なのか? なぜこんな真似をしているのか? そいつを読ませてもらおうか」

 

 

 しゃがみこんで、少女のページに目を通す。

 

 

 名前は、安堂寺 沙耶。8歳。

 

 

 貿易で財を成した安堂寺家の一人娘で、何不自由のない暮らしを送っている。

 

 

 6歳のころ、館の執事とメイドが仕事中によろしくやっている所をカメラで隠し撮りし、その執事とメイドをクビに追い込んだ経験がある。

 

 

 去年、気に入らないクラスメイトの給食に大量の金魚のフンを混ぜてやって、そのクラスメイトを病院送りにしてやった。

 

 

 

 まあ、何てことはない……、ごく普通の子供のようだな――

 

 

 

 そして、次のページをめくる。そこには、

 

 

 

『今日は私の誕生日。思い出の日だ』

 

 

 

 今日が誕生日? まあ、奇遇ではあるが、不思議ではない。

 

 

 しかし……、

 

 

 

「な……なんだ? これは、一体……?」

 

 

 

 次のページに書かれていた言葉を見て、僕は驚きを隠せなかった。

 

 

 

『今日はお父様の誕生日。思い出の日だ』

 

『今日はお母様の誕生日。思い出の日だ』

 

『今日はお父様とお母様の結婚記念日。思い出の日だ』

 

『今日はお父様の会社の設立記念日。思い出の日だ』

 

 

『今日は犬のジョージが家にやってきた日。思い出の日だ』

 

『今日はおじい様が亡くなった日。思い出の日だ』

 

『今日はおばあ様が亡くなった日。思い出の日だ』

 

『今日は犬のジョージが死んだ日。思い出の日だ』

 

 …………

 

 

 

 ページを埋め尽くすほどの言葉が、延々と連なっている。

 

 

 何なんだ、これは……!?

 

 

 こいつの誕生日だけなら有り得るが、こんなにもたくさんの記念日めいたものが、今日一日に全て重なるものなのか? 

 

 

 

 いや、そんなことは有り得ない……

 

 

 

「何かある……、こいつには……、いや、この屋敷には、何かがある……」 

 

 

 

 背筋に冷たいものが走る。

 

 

 

 

 とにかく、この屋敷の中を調べてみた方が良さそうだ。謎の手がかりは、きっとこの屋敷の中にあるはず。 

 

 

「取り敢えず、こいつにはしばらく再起不能になっていてもらうとするか。これ以上、僕の仕事の邪魔をされないようにな」

 

 

 ペンを取り出し、少女のページに書き込もうとする、しかし……、

 

 

 

「な、何だ?」

 

 

 

 僕の目の前で、信じられないことが起こった。少女の身体が、まるで泥人形のように崩れ出し、見る間に、土と瓦礫の山になってしまったのだ!

 

 

 もはや、本のページはおろか、人としての存在すら消え失せていた。

 

 

 

「こいつは、人間じゃあない……。じゃあ、一体こいつは、どうやって動いていたんだ?」

 

 

 

 スタンド能力か……? それが最も、考えられそうなことだが……。

 

 

 

 その時だった、

 

 

 

 屋敷の中の方から、音楽が鳴り出した。どうやら、レコードの音らしい。クラシック音楽……、これは……モーツァルトか?

 

 

 導かれるように、屋敷の中へ進んでいく。地下室から階段を昇った廊下の先に、大きなホールがあるみたいだった。

 

 

 そこは、食堂のようだった。20人は掛けられるくらいの大きな長テーブルが中央に鎮座し、周囲を椅子が取り囲んでいる。テーブルの上には白いテーブルクロスが掛けられ、その上に、銀の食器類やグラス、キャンドルスタンドなどが整然と並んでいた。

 

 

 しかし……、それらのものは全て、時間という現実に浸食され、朽ち果て汚れ果てた、残骸のようなものに過ぎなかった。食器の上には何も乗っておらず、グラスにも何も注がれていない。煤だらけになった空のワインボトルが、空しく並べられているばかりだった。

 

 

 

「……記念日の祝宴というわけか……」

 

 

 

 今日は私の誕生日……、お父様の誕生日……。

 

 

 先ほどの言葉の羅列が思い起こされる。

 

 

 この宴がそのどれに該当するものなのかは不明だが、何かの記念日のために準備されたものに違いは無かった。 

 

 

 

 周囲を見渡してみる。壁にはガラスのカバーに覆われた照明が並んでいて、電球の灯りが明々と室内を照らしていた。そして壁際には、マホガニー製と思われるチェストの上に年代物のレコードプレーヤーが据えられていて、音楽を奏でている。聞こえてきた音楽は、ここからだった。

 

 

 

「このために発電機を回していたらしいな……」

 

 

 

 照明……、レコードプレーヤー……、なるほど、電気が無ければ、役に立たないものばかりだ。

 

 

 そして、電気が必要だった一番の理由と思われるものが、そこにはあった。それに比べれば、照明も、音楽も、ただの演出に過ぎないものだった。 

 

 

 

 食堂の壁に白いスクリーンが掛けられていて、その前に、古びた映写機が備わっている。その映写機からスクリーンに向かって投影されていたのは……、

 

 

 

 家族の思い出の映像……。

 

 

 

 さっきの少女の家族と思われる人物たちの、日常を切り取ったホームビデオらしき映像が映し出されていく。シルクハットを被った紳士……、華やかなドレスを着た婦人……、これは、あの少女の両親だろうか? 

 

 

 誕生日のパーティ……、初めて愛犬がやって来た日の記録……。

 

 

 あの少女が盗みを働いてまで発電機を回していた理由は、やはりこのためだったのだ。この映写機から写し出される、回顧録のため。それを見て思い出に浸り、心に焼き付け続けておきたいために――

 

 

 

 映写機の隣に、一冊のアルバムが置かれていた。中を見ると、たくさんの写真が収められている。あの少女の写った写真も多くあった。しかし、驚いたのは、

 

 

 

「19、63年だと……?」

 

 

 

 写真の日付は皆、今から50年以上前のものだった。その事実を知って、僕は理解する。この屋敷のことも、あの少女の存在の訳も。

 

 

 

 ここは、とっくの昔に放棄された空き家で、あの少女の家族はすでに離散してしまっているのだ。状況から推測するに、恐らくは不幸な運命を辿ったのかもしれない。

 

 

 そして、あの少女は……、

 

 

 

 その時、急に辺りの景色が歪み始める。

 

 

 

 一瞬の後、僕は過去の虚像の中に囚われていた。

 

 

 

 豪華な調度品に囲まれた、贅沢な屋敷。スーツ姿の紳士が手を広げ、愛娘を迎え入れる。側には、夫人が穏やかな微笑を浮かべて見守っている。

 

 

 見る間にシーンが変わり、窓の外には雪が降っている。ベッドの上に横たわった老婆が、娘である夫人の手を握って微笑んでいる。老婆は、臨終の時を迎えようとしている所だった。孫であろう少女はポロポロと泣き続け、父親に抱きついている。

 

 

 愛犬との思い出……、

 

 家族旅行の記録……、

 

 

 過去の記憶は続き、

 

 そして、しだいに薄れていく――

 

 

 

 

 景色が再び、元に戻り始める。

 

 

 気付けば僕は、元のボロボロの屋敷の中に立っていた。

 

 

 

「今のは……、この屋敷そのものの記憶か……?」

 

 

 

 

 良い時も、悪い時もあったのだろう。

 

 しかしこの屋敷は、彼らのその全ての思い出を記憶し続けていたのだ。

 

 

 そしてあの少女は、この屋敷が作り出した偶像のようなものだったのだろう。屋敷の思念があの少女の形を作り出し、そして、ガソリンをここまで運ばせた。

 

 

 全ては、過去の思い出に浸る、その一点のために。

 

 

 

 この屋敷にとって、彼らとの思い出は、全てなのだ。だから屋敷は今でも、自らの思念を持つ存在となって、昔日の思い出をこうして振り返っている。

 

 

 そしてこの屋敷にとっては、その思い出の歳月すらも超越されているようだった。もはや、日付の概念も無い。屋敷にとっては、今日はお嬢様の誕生日であり、主人の誕生日であり、夫人の誕生日でもある。先代夫人が亡くなった日であり、愛犬が亡くなった日でもある。

 

 

 毎日が、思い出の記念日というわけだ。

 

 

 

「僕の読み取ったあの少女の記憶も、この屋敷の思念の一部だったということらしいな……」 

 

 

 この屋敷は、屋敷の住人の様々な言葉や歴史を記憶しているらしい。僕のヘブンズ・ドアーは、意志や思念を読み取れる。この屋敷が思念を持っているというのなら、それを読み取ることも可能だったということだ。

 

 

 

 アルバムを置く。その時、ふと気配を感じて振り返る。すると、

 

 

 さっきの少女が、柱の影からこちらを覗いていた。その目はジッと、僕を見つめている。

 

 

 ここは、彼らの思い出に浸る場所……、僕がこれ以上居座るのは、無粋ってもんだな。

 

(それに、あまり長居するのは危険でもある。僕はここでは、彼らの思い出を汚しかねない「異物」に他ならないのだ。この屋敷が、その異物を排除しないとも限らない。)

 

 

「どうやら、邪魔したみたいだな。僕は人の思い出をけなすほど、野暮じゃあない。盗みのことは大目に見てやる。じゃあな」

 

 

 

 

 屋敷を出て、門をくぐる。そして、もう一度振り返ってみた時、僕は言葉を失った。

 

 

 屋敷の姿が、影も形も無くなっていた。今くぐったボロボロに朽ち果てた鉄柵の門だけが、そこに立っていた。

 

 

 

「時間も空間も超越した、思い出屋敷ということか……。相応しいと言えば、相応しいんだろうな」

 

 

 

 草木を掻き分け、ようやく湖まで戻ってきた時には、もうすっかり日も暮れかかっていた。そんなに時間が経ったはずは無かったのだが、これも、思い出屋敷に滞在したそのためなのだろう。 

 

 

 腕時計を見る。やれやれ、時間までに旅館に辿りつけると思っていたが、これは随分と遅れてしまいそうだ。

 

 

 その理由の一助となる目線の先の光景を見て、思わず溜め息をつく。そこには、タンクが空になった、ガス欠のバイクがあった。

 

 

「ガソリンスタンドのオヤジに連絡して、ガソリンを持ってきてもらうしかないな」  

 

 

 貰った領収書に書かれた電話番号を見て、諦めたようにつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

 今日も僕は、漫画を描く。今描いているのは、人の持つ「思い出」をネタにした話だ。人の心の中にある、思い出という存在……。その存在が、当人にとって益となるのか害になるのか? それは知りようもない――

 

 

 

 思い出の中に生き続ける、か……。それは果たして、本当に幸せなことなのか……。

 

 

 

 一つだけ言えることは、人は皆、前を向いて進んでいかなくっちゃあいけないってことだ。どんな思い出を抱えていようと、それに縛られてしまっていては意味が無い。僕はそう思う。前を向いて、全てを自分の糧にしていかなければ、毎日だってつまらないだろう?

 

 

 

 ふと思い立って、机の上の受話器を取り、番号を押す。しばらくして、担当の編集者に繋がった。

 

 

「ああ、泉君か? こないだ言われたあの企画、乗ってみようと思うんだが、どうかな? オーケイ? よし。ああ、今描いてる原稿なら、もうじき上がるよ。僕もちょいとばっかり、仕事の幅を広げてみようかと思ってね。なに、たんなる気まぐれさ。前を向いて進んでいかなくっちゃあ、人は成長しないからな」

 

 

                                        

                                   終

 





ご覧いただき、ありがとうございます。


次話以降につきましては、1話完成毎に投稿の予定です。

不定期投稿にはなりますが、是非ご愛顧のほどを。



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