岸辺露伴の回想録   作:ゼルダ・エルリッチ

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みのむし村

 手にしたカップから温かい紅茶をすすり、仕事場の窓から外を眺める。もう春も近くなってはいたが、まだまだ寒い日が続いていた。

 

 

 そのまま椅子に座り、机の引き出しから1冊のノートを取り出す。僕の体験したささやかな出来事がまとめられた、回想録だった。

 

 

 ページを繰って行き、そして、ある記録に目を通す。今振り返っていたのは、僕の体験したこれらの記録の中でも、その不気味さが際立っているものの一つだった。

 

 

 記録のタイトルは、

 

 

 

 みのむし村――

 

 

 

 あの体験のことを振り返ると、今でも身の毛のよだつ思いがする。あの村の住人達は、確かに今も元気に過ごしているし、それなりに楽しくやっているのだろう。だが、それと引き換えにした代償に彼らは気付いていないし、今後も気付くことはない。なぜならそれは、彼等の意志ではどうにもならないことだからだ。願わくば、彼等がこのまま、その生涯を終えるその時まで、この恐ろしい事実を知らないままでいてくれることを望んでやまない――

 

 

 

 あれは、春も近づいた、去年の2月下旬のことだった。

 

 

 

「気に入らない――」 

 

 

 描きかけの漫画のページを眺め、つぶやく。そのまま、そのページをクシャクシャに潰してゴミ箱へ放り投げた。

 

 

 今描いているのは、病院のシーン。物語の鍵を握る男が入院している病院に、主人公達が訪れるという場面なのだが――

 

 

 

 病院の廊下で主人公達とすれ違う老人の表情が、どうにも上手く表現できない。

 

 

 

 老人に名前の設定は無い。セリフも無い。

 

 

 ただ、この老人は最近、山奥の過疎村からこの病院に救急搬送され、ようやく回復してきたという想定にしてある。元々の過疎村は、言わば「限界集落」のようなイメージだ。住人のほとんどが65歳以上で、学校に通う児童もいなければ、若年層もいない。医療も買い物もままならない。そんな、周囲から取り残されたような集落のことをそう呼ぶ。

 

 

 参考までに、限界集落のことは僕も色々と調べた。だが実際に行ったことは無いし、そこで実際、どのような暮らしが行われているのか? リアルな体験というものに僕はまだ触れたことが無かった。

 

 

 それが、作品に影響を及ぼしてしまっている。僕が描いた老人の顔は、僕が想像しただけの産物に過ぎない。わずか1コマだけの登場人物ではあるが、そういうキャラにこそ、作品に奥行きを与える存在となり得るものだ。活きたリアリティ―― 僕はそれが欲しい。

 

 

 それにはやはり、実際に限界集落という場所に行って、そこで何日かを過ごしてみる必要があるだろう。それまで、原稿の方はストップだ。なに、次の原稿はすでに仕上がっている。今描いているのは、140ページほど後のシーンだからな。問題は無い。早速、この週末にでも出かけてみるか。

 

 

 

 どこを訪れるか? まずは調べてみなくてはな――

 

 

 そう思い立ち、ノートパソコンを広げた時だった。

 

 

 

 ピィ~ンポォ~~ン!

 

 

 玄関の呼び鈴が、けたたましく鳴り響く。

 

 

 続いて……、

 

 

 

「露伴せんせ~い! 居ますか~? 泉ですけどォ~~?」

 

 

 

 …………

 

 

 ちっ!

 

 

 出鼻をくじく奴だ……!

 

 

 

 いつもの編集の、頓狂な声。大方また、差し入れとか言って、くだらない有名店のケーキでも持って来たんだろう。

 

 

 相手にする気にもならない。放っておこう。どうせまた、放っておいても勝手に上がり込んでくるんだからな。

 

 

 

「入りますよォ~? おじゃましま~あす」 

 

 

 

 …………

 

 

 ドタバタと騒々しい足音が近づいてきて、仕事場のドアが開く。 

 

 

「あっ、いたいた先生。もーう、いくら呼んでもいっつも出てこないんだからぁ。病気で倒れてるのかと思われちゃいますよォー?」

 

 

「いっそのこと、そっちの方がいいな。入院でもできたら、ぶしつけな編集に邪魔されず、ゆっくり過ごすことができそうだ」

 

 

「まーた、そんな悪態ついちゃってぇ。あっ、これ差し入れです。ここのケーキ、超有名でぇ、いっつも売り切れちゃうんですけどォ、今日はたまたま残ってて、超ラッキー、みたいな?」

 

 

 …………

 

 無視してパソコンを立ち上げ、検索を始める。

 

 

 いくつか、候補地の目星は付いていた。

 

 

 

「あれぇ? 先生、何見てるんですかぁ?」

 

 

 

 後ろから覗き込んでくる。

 

 

 全く……、無遠慮もここまでくると、逆に清々しいくらいだな。

 

 

 

「……今度の取材地の下調べだよ。この週末に、行ってみるつもりでね」

 

 

 

「へえー。あっ、これって、いわゆる『限界集落』ってやつですよね? 大変なんですよねぇ、こういうトコに住むのって。あたしの知りあいが、住んでるんですけどォー」

 

 

 知りあいだと?

 

 

「……知ってる奴がいるのか?」

 

 

「ええ。っていうかぁ、友達の知りあいなんですけどね。それが、ちょっと変なんですよ。その友達って、訪問介護の仕事してるんですけどォ、前は良く、その村のおばあちゃんの所まで介護に行ってたんですって。でも半年くらい前に、『もう介護の必要は無いから大丈夫』って、突然連絡があったそうなんですよォ。もう90になるおばあちゃんだし、一人暮らしだし、心配だったんですけど、『問題無し』の一点張りで。それでも心配だから何度か様子を見に行ってみたらしいんですけど、すっごく元気になっちゃってて。いわゆる、元気ハツラツってやつですかぁ? 凄いですよねぇ、その歳でそんなに元気なんて。ちょっと、うらやましいですよォ」

 

 

 ……何だそれは? 

 

 

 なにか、違和感を感じる……。

 

 

 

「急に、元気になったってことか?」

 

 

 

「ええ、急に。それまでそのおばあちゃん、足が悪くて、立って歩くことも大変だったんですって。でも、今じゃすっかり良くなって、テニスまで始めたらしいんです。凄くないですかぁ?  90歳で、テニスですよォ?」 

 

 

 

 ……おいおいおいおい。凄いとかのレベルじゃあないぞ、それは。

 

 

 

 介護が必要なほどだった老人が、たった半年で、何でいきなりテニスまで始めてしまえるんだ? 何か、特別な治療でも施されたのか?

 

 

 

 いや、あるいは……。

 

 

 墳上裕也のハイウェイスターや、クソったれ仗助のクレイジー・ダイヤモンド……、あの辺りの能力に似た能力者が、治療に関与しているのかもしれない。可能性はある。

 

 

 

 それとも……、その老人自身が、何かのきっかけで能力者になったのか……。

 

 

 

 考えれば考えるほど、興味が湧いてくる。

 

 

 ちょうど取材に行こうと思っていた所だし、そのついでに、その老人のことを調査してみるのも悪くない。

 

 

 

「……泉君、その老人なんだが……、取材のアポが取れないか?」

 

 

 

「えっ? 露伴先生、興味あるんですかぁ? お年寄りはドン臭いから嫌いだって言ってたのにー」

 

 

 

 ……ちっ、つまらない指摘をする奴だ。

 

 

 

「それとこれとは、話が別だよ。ちょうど限界集落の取材に行こうと思ってた所だし、ツテがあった方が、何かと便利だろうからな」

 

 

「まあ、頼めば大丈夫だと思いますけどォ。そのおばあちゃん、寂しがり屋だし。介護は別として、友達が訪問してくれるの凄く喜んでくれるっていうしー。あっ、でも、露伴先生かー。露伴先生、お年寄り相手、ホントに務まりますぅ?」

 

 

 …………

 

「おい、人を何だと思ってる。それに、言っとくが僕は、ホームヘルパーに行くんじゃあないんだからな。あくまでも取材のためだ。それより、ちゃんとアポが取れるのか?」

 

 

「分っかりましたよォ。聞いてみます。それよりぃ、ケーキ、早く食べましょうよォ。あっ、私、お茶淹れますねー」

 

 

 …………

 

 いい加減、こいつの調子に合わせるのは、うんざりだ。もう用も済んだし、さっさと帰らせちまおう――

 

 

「ここはカフェじゃあないんだぞ。そんなに食いたければ自分の家でゆっくり食べろ。じゃあ、アポの件は頼んだぞ。分かったら早く帰れ」

 

 

 

 いつものように腕をつかんで、玄関まで引っ張っていく。

 

 

 

「ちょっとォ~! 露伴先生~~!」

 

 

 

 放り出して、玄関のドアを閉める。ついでに、忘れ物のバッグも突き付けてやった。

 

 

 

 

 そして週末。僕は最寄駅からタクシーに乗って、その集落に向かっていた。集落があるのは周囲を山に囲まれた谷間で、外界へと通じる道は北と南にそれぞれ一本ずつしかない。しかもどちらも、舗装もされていない田舎道。当然、鉄道など通ってなく、唯一残っていたバス会社も数年前に廃業して、いよいよ孤立無援の様相を呈するようになってしまっていた。

 

 

 調べた所によると、住んでいるのは17世帯、27人のみ。そして限界集落の御多分に漏れず、そのほとんどが高齢者だった。一人暮らしの者も多く、僕がこれから向かうその婆さんも一人暮らしだ。

 

 

 しかし、僕にとってはまさに理想的だと言える。僕が取材したかったのは、まさしくそういう場所なんだからな。周囲から孤立したその環境の中で、人々はどのように暮らし、何を考え、自らの待遇をどのように受け止めているのか? その活きたリアリティを取材できれば、僕にとってこれ以上の収穫はないだろう。

 

 

 まあ、実際住んでいる者達にとっては、過酷なのかもしれないがな――

 

 

 

「おいおいおいおい、何て所なんだ。外灯の一本も立ってないじゃあないか。現代日本に、まだこんな場所があったとはな」

 

 

 集落に入ってすぐに、その生活ぶりが窺えてくる。それは、僕の想像をも超える環境だった。

 

 

 外灯も無ければ、電柱すら少ない。しかも電柱は皆、木製で、その表面は剥がれて腐り始めている。田畑が広がっているが、農家の人手が足りないために作物が作られている箇所はごくわずかで、後は手つかずのまま野ざらしにされているような有様だった。

 

 

「私も、ここへ来たのは久しぶりですよ。なにせ今じゃあ、住人の身寄りも全く居ないっていいますし、誰もこんな寂れた所になんか来ようとする人は居ませんからねえ。それこそ、よっぽどの物好きでもなければ……、おっと失礼」

 

 

 

 タクシーの運転手が話しかけてくる。その言葉の通り、こんな辺鄙な所にわざわざやってくる者なんて、余程の物好きか変わり者くらいのものだろう。

 

 

 

 その時、道の向こうから二人の人物がやってくるのが見えた。どうやら、ジョギングをしているらしい。派手な蛍光カラーのランニングウェアを着こんでいて、若々しく見えた。

 

 

 住人の全てが高齢者というわけではないし、まあ、中にはジョギングくらいする者もいるのだろう。別段、不思議ではない。しかし――

 

 

 

「な、何だって?」

 

 

 

 すれ違いざまに見たその二人組の様子を見て、驚いた。二人とも老人。しかも、かなりの高齢者だった。少なくとも、80歳以上。

 

 

 しかし、本当に驚いたのは、彼等のその体躯だ。

 

 

 彼らの身体は、どう見ても老人のそれではなかった。まるで、現役20代のスポーツ選手か、ボディービルダーか、そんな筋骨隆々といった身体をしていたのだ。しかも、走る速さもずば抜けている。まるで、正月の駅伝ランナー並みだった。

 

 

 

「なんなんだ、この村は……、やはり、何かがおかしいぞ……」

 

 

 

 

 村自体の大きさは、たかが知れている。車でしばらく走ったら、ほどなくして目的の婆さんの家まで辿り着いた。

 

 

 いかにもな田舎の民家。屋根は瓦ぶきで、壁は年季の入った漆喰と木で造られている。田舎にはありがちの広い庭があるが、手入れはされていないようで、鉢植えやガラクタといった品物類が散乱していた。車や自転車といった乗り物の類は無い。

 

 

 表札を確認して、呼び鈴のブザーを押す。するとすぐに、ガラスの引き戸の向こう側で、動きがあった。

 

 

 引き戸が開く。そこに居たのは、例の婆さん……なのか?

 

 

 

「おんやまあー! あんた、岸馬五郎しゃんだね? まあまあ、こんな遠くまで、良く来てくだしゃって! しゃっ、中へお入り。ゆっくりしていって下しゃいましねぇ!」

 

 

 

 その姿を一目見て、思わず息を呑む。

 

 

 婆さんの身体は、さきほど見たジョギングの老人と同じく、筋骨隆々としていたのだ。一応、泉君から写真の提供があったので容姿は知っていたのだが、明らかに写真の婆さんとは様相が異なっている……。

 

 

 

「岸辺露伴です。お世話になります」

 

 

 

 名前の間違いは指摘せず、丁寧に挨拶する。この週末、僕はこの婆さんの家に厄介になる段取りだった。村には宿泊施設などは全く無いため、泊まり込みでリアルな体験を取材するとなれば、それが一番適していたからだ。

 

 

 そのまま、居間に通される。オレンジ色のくたびれたカーペットの上にこたつがあって、周囲にはタンスやキャビネットといった家具が置かれている。未だにブラウン管のテレビがあって、いかにも時代に取り残された空間といった感じだった。

 

 

 

「まあまあ、お茶でもしばいて、ゆっくりしていってくだしゃいましねぇ。ミカンもあるで」

 

 

 

 お茶を持って来た婆さんの動きはスムーズで、全く年齢を感じさせない。到底、足が悪くて介護が必要だったほどの老人には見えなかった。

 

 

 

「それ、テニスラケットですよね? テニスを始められたと聞きましたが?」 

 

 

 

 部屋の隅に、ケースに収められたテニスラケットと、スポーツバッグが置いてあった。話題のネタを引き出すために、尋ねてみる。

 

 

 

「しょうなんでしゅよぉぉ。何だか急に元気になっちまって。しぇっかくだから、運動でも始めてみようかと思いましてねぇ。ひょっひょっひょ」

 

 

 

 婆さんが歯を剥き出して笑う。入れ歯であるのは明確だった。それにもかかわらず、婆さんはガムをクチャクチャと噛んでいる。おいおい、ガムって、入れ歯の老人が噛めるものなのか?

 

 

 

「僕もちょいとばっかり、テニスをやってましてね。学生の頃ですが」

 

 

 

 立ち上がり、ラケットの方へ向かう。そして……、

 

 

 

「ヘブンズ・ドアー」

 

 

 

 婆さんの顔がめくれ、倒れる。

 

 

 回りくどいことは無しだ。どう見ても異常なこの状況。読ませてもらうぞ。

 

 

 

 

 そして、婆さんのページに目を通したその瞬間、僕の背筋は凍りついた。

 

 

 

「な、何だ……これは……!?」

 

 

 

 婆さんのページの半分ほどの部分……正確には、各ページにおけるその半分ほどの部分が、異様な配色によって歪められ、ウネウネと蠢いていたのだ。そこはもはや、文字を読むことも不可能な状態だった。黒と黄色の不気味な輝きが、その異質さを際立たせている。

 

 

 しかし、それ以外の部分……、残りの半分の部分については、各ページとも問題なく機能しているようだった。婆さんの記憶、思考について読み取ることができる。

 

 

 

『夏の終わり頃から、やけに身体の調子がいい。これも日頃の信心のおかげだねぇ』 

 

 

『テニスを始めた。はす向かいの野村さんトコの修平くんとは、今の所、互角の対戦成績じゃ』

 

 

『やっぱりガムは、へリックスガムに限るわい』

 

 

 

 …………

 

 やはり、こちらの部分に異常は無さそうだ。半年ほど前から身体が元気になったという事実とも、符合している。しかし……。

 

 

 ページの残りの部分……、これは一体何なんだ? こんなものは、この岸辺露伴でさえも見たことも聞いたこともない……。

 

 

 試しに、異常なページの方にペンで書き込もうとしてみる。しかし、

 

 

 

 ズバッッヒュウウンッ!!

 

 

 

「うおっ!」

 

 

 

 ページから触手のようなエネルギーがほとばしり、僕の手を打ち据えた! 電気ショックのような衝撃を受け、思わず後ろにのけ反る。

 

 

 

「これは……何かの意志のようなものなのか……?」

 

 

 

 異質なページ、それ自体に、何か生物めいた意志を感じる……。半年前までは、この婆さんの身体には何の変化も無かったはずだ。それは、正常な方のページの情報からも読み取れる。

 

 

 つまり、半年前、夏の終わりに何かがあって、この婆さんはこんな状態になったということだ。恐らく、この肉体の変化もそのためだろう。

 

 

 そしてこの変化は、この婆さんに限ったことではないようだ。この村の、他の住人……つまり、この村全体に何かが起こったのだ。半年前に……。

 

 

 

 一体、何が起こったというんだ……?

 

 

 

 

 結局、それ以上は婆さんのページから情報を読み取ることはできなかった。半年前の記憶を読んでも、そこで特に変わった体験をしたという事実も無かった。

 

 

 そしてやはり、異常な部分のページに対して僕が干渉することは不可能なようだった。何度か書き込みを試みようとはしたが、その都度、何ともいえない不気味なエネルギーに弾き返されてしまうだけだった。

 

 

 しかもそのエネルギーは、正常なページの方にも影響を与えてしまうようだ。正常なページに書き込みをしても、書いた文字が途端にブスブスという鈍い音を上げ、異常な配色によって飲みこまれてしまうだけだった。もはや、ヘブンズ・ドアーによる命令を書き込むことも、不可能だった。

 

 

 となれば、後は、この婆さんの生活に異常な所が無いかどうか? 僕自身の目でそれを調べてみるしかない――

 

 

 

 

 夜になる。外灯も無い村はいよいよ真っ暗となり、それぞれの住宅に頼りない明かりが灯るだけとなった。

 

 

 僕が観察したところ、これまでの婆さんの様子に、おかしな所は何も無かった。いや、その肉体からしてすでに異常なのだが、この際それは置いておく。

 

 

 昼間の内に、村の他の住人達のことも尋ねて回ってみたのだが、引き出せた情報はこの婆さんと同じ様なものだった。三人の住人にヘブンズ・ドアーを試したが、彼らのページも婆さんと同じく、その半分が異様なエネルギーによって歪められていた。恐らく、この村の住人のほとんど……あるいは全てが、この様な状態になっているのだと思われる。しかし分かるのはそこまでで、その原因については結局もって謎のまま、調べる手立てすら無かった。

 

 

 

 深夜0時を回り、僕は一人、割り当てられた和室で休んでいた。畳の上に、布団が直接しいてある。正直、布団の衛生状態に疑問はあったのだが、それは我慢するしかない。

 

 

 部屋の外は庭に面していて、縁側に続くガラス戸越しに外を眺めることができた。庭の向こうは真の闇に包まれていて、物音一つしていない。その闇の中に、得体の知れない化け物でも潜んでいそうな、そんな恐ろしさを内包していた。

 

 

 その時だった。僕はその暗闇の中に、動くものを見たのだ。思わず立ち上がり、息を潜めて外を眺める。次第にその輪郭がはっきりしてきて、僕はその動くものの正体を知った。

 

 

 あの婆さんだった。薄い寝間着一枚の姿で、素足にサンダルといった軽装のまま、ふらふらと歩いていく。一体全体、こんな夜更けに、しかもこの気温の中を薄着のまま、どこへ行こうというのか? 興味を抱かずにはいられなかった。

 

 

 そして僕は、この闇の中へ身を躍らせる。婆さんの跡をつけて、何をするのか見届けてやるつもりだった。

 

 

 

 婆さんは暗闇の中を、ひたひたと歩き続けている。家の敷地はとっくに越えて、寂れたあぜ道のような土の道を歩いていく。外灯も無いため、辺りは真っ暗だった。それなのに、婆さんは明かりも持たずに、一心に闇の中を進んでいる。まるで、暗闇の中を見通しているかのように……。

 

 

 

 いよいよもって、こいつは普通じゃあないぞ――

 

 

 

 婆さんの様子は、やはりおかしかった。歩き方も、どこか、ぎこちない。まるで、何者かに操られているかのようだった。そして、その予感は的中する。

 

 

 婆さんの横顔が見える所に差し掛かって、僕は恐ろしい物を見た。婆さんの顔から何本もの黒い触手のようなものが伸びて、ウネウネと蠢いていたのだ。

 

 

 

 あれは……、婆さんのページから伸びてきた、あの触手のようなエネルギーと同じだ……。

 

 

 

 やはり婆さんは、あのエネルギーのようなものに支配されている。そして今、婆さんはあのエネルギー体によって、意識も無いまま、身体を突き動かされているに違いない。

 

 

 それを証明するかのように、婆さんの顔に生気は全く無く、その目は虚ろだった。やはり意識は無いようだ。

 

 

 

 そして、真の恐怖はここからだった。

 

 

 

 

 10分ほども歩き続けて、道はそのまま、真っ黒なトンネルへと続いていた。かなり古いもので、老朽化も激しかったが、かなりの広さのあるトンネルだった。そして、婆さんはそのまま、そのトンネルの中へと進んでいく。

 

 

 トンネルの中は、いよいよもっての暗闇で、全く見通すことはできない。今まで使わずにいたが、これでは仕方が無かった。ズボンのポケットに突っこんでいた懐中電灯を取り出し、トンネルの中を照らす。そして、そこで僕が見たものは……。

 

 

 

 トンネルの天井から、異様な物がぶら下がっているのが見えた。しかも、いくつも。

 

 

 

 始めは、木の根が飛び出しているのかと思った。しかし、その正体を知った時。僕は恐ろしさのあまり、声を上げることすらできなかった。

 

 

 

 天井から下がっていた、それらの物体。それは全て、木の皮や枝によってグルグル巻きにされた、人間の身体だったのだ……。

 

 

 

 身体のほとんどは木の皮や枝に隠れて見えなかったが、頭のてっぺんと、つま先だけが見て取れる。それが、天井から伸びた木のツルの先に、だらん、とぶら下がっていた。

 

 

 

 これは……、まるで、みのむしだ……。

 

 

 

 その時、道の向こうにあの婆さんが立っているのが見えた。懐中電灯の光に照らされているというのに、全く動じる気配すらない。やはり、婆さんの意識は無いようだった。そして……。

 

 

 僕の目の前で、恐ろしいことが起きた。天井から木のツルがスルスルと伸びてきて、婆さんの身体にクルクルと巻き付いていったのだ。見る間に、婆さんの身体は、まるで捕えられた得物のように、グルグル巻きにされて天井へと向かって吊るされていく。

 

 

 もはや、僕の力では彼らを助け出すことは無理だった。ヘブンズ・ドアーで婆さんのページに書き込もうとしても、あの意志を持ったエネルギーにかき消されてしまうだけだ。かといって、僕の能力は直接の物理攻撃に使えるようなものではない。僕自身の生身の身体で婆さんを救おうと尽力したとしても、たかが知れている。このトンネルの天井にぶら下がった彼らの所まで、一体どうやって辿り着けばいいんだ? それにヘタをすれば、僕まで彼らの仲間入りになってしまうのは目に見えている。

 

 

 その時、

 

 

 

 オオおおオォォォおおおオオおおォォ……!!!

 

 

 

 なんとも寒気のする雄叫びと共に、トンネルの壁からあの触手のようなエネルギー体が伸びてきて、僕の身体を捕らえようとしてきた! 思わずヘブンズ・ドアーを発現させたが、やはりダメだった。この得体の知れないエネルギー体を、本にすることは不可能だ。僕はエネルギーに弾き飛ばされたが、すんでの所で触手をかわすと、そのままトンネルの外まで飛び出していった。

 

 

 

 …………

 

 しばらく様子を見る。あのエネルギー体は、トンネルの外までは出てこないようだ――

 

 

 ここは、このままここで朝を待つのが一番の良策なのだろう。いささか冷えるが、我慢するしかない――

 

 

 

 

 数時間が経っていた。トンネルの中は静まり返っていて、何の変化も感じられない。僕は木の陰にジッと身を隠しながら、考えを巡らせ続けていた。

 

 

 あの婆さんも含め、村の住人達は皆、あの得体の知れないエネルギー体に寄生されている。それは間違いのないことだ。エネルギー体は住人の身体の半分に棲みつき、半ば融合してしまっている。そのため、住人たちはそのエネルギー体から活力を得るような形になった。それが、彼らの肉体の変化という結果をもたらしたのだ。

 

 

 そして……エネルギー体は、ただ住人の身体に融合するだけでは、その存在を維持していくことができないのだろう。定期的に、「本体」の方からエネルギーを注入する必要があるようだった。あのおぞましい光景は、まさしくそのためのものなのだろう――

 

 

 

 

 住人達がトンネルの中から歩き出てきたのは、朝になり、日が昇り始めた頃のことだった。例によって住人達に生気は無く、未だに操られている状態だった。このまま彼らは、それぞれの自分の家へと向かっていくのだろう。

 

 

 彼らの人数を数える。あの婆さんも含めて、27人だった。この村の住人は、17世帯、27人のみ。つまり、この村の全ての住人が、このトンネルの中にいたことになる……。やはり、村の住人全てが寄生されていたのだ――

 

 

 

 婆さんの姿を見つけ、後をついていく。婆さんはまっすぐ自分の家に辿り着くと、玄関から靴を脱いで中へ入り、そのまま自室の布団の中へと潜りこんだ。

 

 

 時刻は、午前5時。婆さんはそのまま眠っていたが、朝7時近くになって目を覚ます。婆さんの様子は昨日の昼間と同様、快活そのものといった感じだった。

 

 

 

「おやまあ、岸馬しゃん、お早いこと。どうかね? 早起きちゅいでに、わしと一丁、朝のスカッシュ対戦といかないかい? まだまだ、若いモンには負けられんからのう。ひょっひょっひょ」

 

 

 

 僕の姿を見るなり、婆さんがテニスラケットを手にして誘ってくる。本当に、昨夜のことはまるで覚えていないようだった。婆さんはそのまま、ポケットから駄菓子のガムを取り出すと、それを口に放り込んでクチャクチャと噛み始めた。

 

 

 

 

 恐怖の体験が終わり、杜王町に戻ってきた僕は、さっそくあの村のことをもっと詳しく調べ始めた。半年前……、そう、その頃に、あの村にとっての何かが起こったはずなのだ。

 

 

 調べを進めると、ある小さな出来事に行き当たる。

 

 

 

 去年の8月27日、あの村の土地の買収に動いた企業の社員3名が、現地で行方不明になった。その社員たちは、村を囲む山の土地を切り開いてヘリコプターの教習場を作る計画の立案者だったらしい。そしてその土地の中には、あの古びたトンネルも含まれていた。

 

 

 警察や自衛隊の捜索も空しく、社員たちはついに見つからなかった。結局、三人は山で遭難したものとして処理され、それ以上世間が騒ぐことも無かった。土地開発の計画は頓挫し、そして、忘れ去られていった――

 

 

 

 これはあくまでも推測だが……、あるいはその時、彼らがあの土地に根付いた「何か」を発現させてしまったのかもしれない――

 

 

 

 そしてその何かが今、あの村の住人達を取り込み始めたのだ――

 

 

 

 このような行方不明事件があったにも関わらず、僕が読み取った村の住人達のページには、この出来事のことは一切触れられていなかった。あるいは……あのエネルギー体が、住人達の記憶をも操作していたのかもしれない――

 

 

 

 何が真実なのかは知りようもない。結局の所は、未解決。

 

 

 

 そう、この事件は、未だに未解決のまま。そして、未だに「進行中」のままなのだ――

 

 

 

 僕がこれ以上、どうこうできるような問題でもなかった――

 

 

 

 

 

 あのエネルギー体に寄生された住人達がこれからどうなっていくのか? それは全く分からない。今の所、住人達はかえって活力を与えられている形にはなっているが、それがいつまで続くのか? どこにも保障などは無いのだ。

 

 

 かといって、もし住人達の身体からあのエネルギー体を取り除く手段があったとしても、それを行うのはもはや無理だろう。あのエネルギー体は、住人達の身体に半分「融合」してしまっているのだ。それを取り除いてしまうということは、肉体を半分取り除くことに等しい。

 

 

 肉体を半分失えば、人は当然、死ぬ。

 

 

 つまり彼らはこの先、あの身体のままで一生を終えなければならないのだ。あのエネルギー体が自らの意志によって住人達の身体を解放しないかぎり、そのままだろう。

 

 

 幸いなのは、彼らが自身の身体の真実に気付いていないということだ。あるいは、あのエネルギー体が住人達の意識に働きかけて、気付かせないようにしているのかもしれない。どっちにせよ、あんな事実をもし知ってしまったのなら、住人達の精神は間違いなく破綻するだろう……。

 

 

 

 

 何とも言えない気持ちを蘇えらせつつ、ノートを閉じる。しばらく、この体験のことは忘れていたい。2年先か、5年先か、あの村の住人達の身体にまた新たな変化が起こったというのなら、その時また、あの村の調査を行ってみることにしよう。それまで僕は、このささやかな平穏を満喫したいと思っている――

 

 

 

 机に向かい、ストックされていた過去の原稿を取り出して、眺める。描かれているのは、例の病院のシーンだった。あのささやかな体験のあと、早速それを元に、くだんの老人の姿を描いたのだが……、

 

 

 

「いささか、力が入り過ぎてしまったかもしれないな。だが、読者は興味を持ってくれたようだ――」

 

 

 

 このシーンが誌面に掲載された時、編集部には僕宛の質問のハガキや電話が殺到したそうだ。あの老人は一体何者なのか? この先の展開に関係があるのか?

 

 

 

 正直な所、この老人をこの先のストーリーに登場させるつもりはない。本当に只の、1コマだけの脇役なのだ。しかし……、

 

 

 

「そういったキャラにこそ、作品に奥行きを与える活きたリアリティになる―― だが、そのリアリティの根源を知らない方がいい場合も、時にはあるってことだ」

 

 

 

 無限の奥行きをはらんだその老人の表情に思いを馳せつつ、僕は大きく息をついた。

 

 

 

                                              

                                 終

 

 

 

 

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