三千屋敷と人々と   作:Y-K4183

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彼岸の影─千桜四石

 息を吐く。その行動にすら心の底から恐怖が湧きあがる。

 コンクリートの壁に隠れ、私は一人恐怖と戦っていた。

 最初は単なる肝試しのつもりだったのだ。友人数人と共に来た、いわくつきの廃墟。夏休みの思い出作りに訪れたそこは、これと言って何か出る事も無くあっさりと探検し終えてしまった。

 正直拍子抜けではあった。だからと言ってその後あんなことをしたのは我ながら間抜けだと思う。

 

 百物語をした。

 

 蝋燭は持ち込んでいた準備の良すぎるやつが居た。百個の話は酒の勢いで(完全に未成年飲酒だが)吹き飛ばした。結果として……私たちは百物語を語り終えてしまった。

 何が起こったかは酒とパニックもあり正確には覚えていない。数少ない記憶に有る物は、女の顔。完全に表情が抜け落ち、ここではないどこかを見ているとしか思えないその顔は、明らかに私たちとは違うモノであった。

 あれは駄目だ。特に知識があるわけでも無い私でも分かる。あれは、駄目な物だ。

 

(他の皆はどこに行ったんだろう)

 

 恐怖に喘ぐ私の脳内をそんな考えがよぎる。今の自分が安全と言う保障も無いのに随分と悠長な脳みそだ。頭を振ってその考えを追い出し、ゆっくりと移動を開始する。目的は一つ、この廃墟から逃げる事だ。

 そろり、そろりと物陰に身を隠しながら歩みを進める。ここが廃墟のどこかは分からない、がそこまでここは広くない。出来るだけ真っすぐ進んで行けばすぐに出られるはずだ。

 そんな私の考えを、聞こえてきた話し声が打ち砕いた。

 

「だから……皆殺し……全滅」

「面倒……手早く……」

 

 音源は遠く、途切れ途切れの様に聞こえてきた声だったが、どう考えても平和的な内容ではない。おまけに聞こえてくるのは進行方向からだ。

 私は慌てて引き返し、真反対の方へと逃げ出した。

 

 ……おかしい、既に五分は進んでいるのに廃墟から出られない。どう考えてもそんなに広いはずが無いのに。それに、この廃墟は探索しきったはずだ。なのに、この辺りには見覚えが無い。

 

「っ……どうなってるの!」

 

 声を抑えて悪態を吐く。そうでもしないと理不尽さで叫びだしそうだ。当然、そうするわけにはいかない。

 とにかく今は逃げる事が先決だ。例えこの先どんな場所に行ったとしても、あの女よりはマシだろう。

 

 歩く。見覚えの無いコンクリートの通路を。

 走る。出来るだけ音を立てないように、幾つも連なる部屋を。

 走る。音は立っていないと信じて。最早端が見えない程広い空間を。

 

「何で……どうして……」

 

 絶対におかしい。この廃墟にこんな空間は……こんな柱だけが立っているだだっ広い空間は無かったはずだ。

 あり得ない。あり得ない事が起きている。百物語をしてからずっと。

 後ろから足音が聞こえてくる。振り返っている暇はない、とにかく走る。もう音なんて気にしていられない。

 息が切れる。足がふらつく。視界が狭まってくる……色々と限界が近い。だと言うのに、背後からの足音だけは鮮明に聞こえてくる。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 拒絶の感情に突き動かされ、足を進める。もうどこかも分からない。少しでもあの足音から距離を取らないと。

 

 

「はあっ、はあっ、はあっ……」

 

 最早自分がどこに居るのかはさっぱり分からない。だが、ようやく足音が聞こえなくなって私は一息つくことができた。

 辺りは相変わらずコンクリート造りの謎の空間だ。正直言って、絶対にありえない場所に私は居る。帰れるかは分からない。

 今更ながらのしかかって来たその事実に泣き出したくなる。だが、その感情よりアレに見つかる恐怖の方が強かった。

 涙を堪え、立ち上がる。いつまでもここにいる訳にはいかない。少しでも外に近い場所へ……

 

「ぁ」

 

 息が止まる。振り返った場所には、無表情な女の顔。

 立ち上がろうとしていた足がかくりと落ちる。

 あ、駄目だ。

 私の頭がそんな答えを出力する。這って逃げようにも仰向けのこの姿勢じゃ無理、立ち上がろうにも足は言う事を聞いてくれない。

 いや、でも、なんで、もっと、えっと。

 何も出来ない。何をしようにもパニックと混乱が頭を支配する。どうにかしようともがく私の姿は、相当無様に移っただろう。

そんな私を更なる混乱が襲う。

 

「立てますか?」

 

 女がこちらに手を差し伸べてきた。その時点で私は完全にフリーズする。

 何かを思考する余裕も無く、空白になった頭から出た言葉は

 

「はぇ」

 

 という間抜けな物だった。

 

 

 

「ご、ごめんなさい。てっきりお化けか何かかと思って……」

 

 この女性、別にお化けや妖怪などではなく単に表情が薄いだけの生身の人間だったようだ。……失礼な態度を取ってしまった。

 

「大丈夫ですよ。よく間違えられますので」

 

 ……無表情な上声も一切抑揚が無いせいで何を考えているのか全く分からない。気にしてないと言ってくれてはいるが……。

 

「まーまー、気にしなくていーよっ、悪いのはこいつだし」

 

 もう一人の女性がやたらと明るい調子で言う。こちらは表情も声も大げさで、考えも分かりやすい……のだが、妙にずれているような気がする。

 

「んー、なんか用事?」

「あ、いえ、何でも……」

 

 慌てて彼女から視線を外す。見たことに気付かれていたらしい。

 

 

 ……それから簡単な自己紹介を終え、私たちはこの広い空間を歩いていた。この二人はこの心霊スポットを除霊するために来た、霊能者ということらしい。

 正直な所、この無表情な女性──千桜四石さん――は兎も角、快活な方──睦美(むつみ)と名乗った──にそう言った能力があるようには全く見えない。ただ、この異様な場所を平然と歩いている辺り、人は見かけによらないのだろう。

 

「あの……お二人はこういう事に慣れてるんですか?」

「ええ、まあ」

「正直余裕だねー。目を閉じててもどうにでもなるよー」

 

 そう言って睦美さんが目を閉じ……前に有った柱に衝突して転倒した。

 

「馬鹿やってないでさっさと行きますよ」

 

 そう言って千桜さんがさっさと歩みを進めていく。……一見不機嫌そうな言葉だが、声自体には一切感情が含まれていない。やっぱり幽霊じゃないだろうか。

 

 そこからは特に何か起こることは無く──睦美さんがひたすら色々喋り続けていた──私たちは謎の空間を進み、そして今、巨大な扉の前にたどり着いていた。

 

「──さんはここの噂はご存じですか?」

「えッ、と……確か……別世界の自分が見えるとかなんとか……」

 

 ここにどんな曰くが有ったかなんてまともに考えていなかった。そもそも信じていなかったのだし。

 

「それだけ知っているなら十分ですね。進みますよ」

 

 そう言って千桜さんが扉を押し開けていく。ギリギリと錆びついた音を立てながら重厚な扉が引き開いて行く様子は、何処か荘厳な雰囲気を感じさせていた。

 ──そんな感覚に浸っていると、背後から奇妙な音が轟いた。

 人の声とも鳥の声とも取れるような奇妙な音。悲鳴のような、それでいて歓喜の声の様な正体不明の音に驚いて背後を振り返る。

 

 ()()はいた。

 

 概ね人型ではあるが、明らかに人間ではない。

 大きすぎる頭、左右非対称の腕、グニャグニャと曲がった足。おまけに顔らしき部分には目も鼻も無く、歯の見える巨大な口しかついていない。

 

「ひっ」

 

 息がつまる。悲鳴なんて出てこない。恐ろしい速度で迫ってくるそれに、目を閉じる事すらできずただ立ち尽くす。

 妙にゆっくりとした視界の中、それが私の眼前で大口を開け──睦美さんが蹴りの一撃でそれを爆散させた。

 

「うわ、きったね」

 

 ……腰を抜かしてへたり込む。一瞬の間に起こった事が衝撃的すぎて、何かを考える余裕が無い。

 

「先、行きますよ」

「え、あっ」

 

 へたり込む私の手を引き、千桜さんが扉の向こうへと足を踏み入れる。

 ……何も見えない。

 開いた扉の先には、只暗闇だけがあった。

 

「あの、ちょっと」

 

 私の声も無視して千桜さんは先へ先へと進んで行く。この人に恐怖心は無いのだろうか。私は今絶叫すらできない程の恐怖に襲われていると言うのに。

 何も見えない。何も感じない。何もない。足に伝わる感覚さえおぼつかない暗黒を、千桜さんはすいすいと進んで行く。

 引かれる手に任せて千桜さんの後を付いて行く。この闇の中でも何故か彼女の姿ははっきりと見えている。やはり幽霊なのかもしれない。

 

 闇の中にぼんやりと何かが浮かび上がった。

 

 びくりと体がこわばる。

 そちらを見る勇気が無い。しかし、目を閉じる事は出来なかった。不思議とそれを視ようとしてしまう。

 手をひかれるまま、それへと近づいて行く。千桜さんの顔にはやっぱり何の表情も浮かんでいない。

 あっという間にそれが見える距離へと私たちはたどり着き……

 

「え……私?」

 

 姿は違う。身なりも違う。髪型も、化粧も、雰囲気も何もかも違う。だと言うのに闇に浮かぶその女性は、私だと確信できてしまう。

 辺りを見渡せば、闇の中に無数の女性が浮かび上がっている。その全てが姿形の違いにも関わらず、何故か私だと確信が持ててしまう。

 ああ……どうやらこれが噂の正体の様だ。

 今見えている『私』は別世界の私なのだろう。あり得たかもしれない可能性、もしもの私。

 そんな無数の『私』が少しずつ遠ざかっていく。千桜さんが足を止めていないからだ。いや、それどころか増々足早になっている。

 

「あのっ、もう少しゆっくり……」

 

 そう言った瞬間足を止め、千桜さんが振り向く。その顔にはどこか驚いたような表情が浮かんでいた。

 

「……私は、まだ……」

 

 そう呟くと、千桜さんは再び前を向いて歩き出す。今度はさっきまでと違い普通のペースだ。そして、私たちの前に先ほども見た光が見えてきた。

 先ほどは私。なら、次は千桜さんだろう。

 少しの興味と共に、私はそれを視ようと目を凝らし……

 

 死体があった。

 首を吊った。石で潰れた。火で焼かれた。水に沈んだ。喉を掻き切った。雷に打たれた。毒で、銃で、ナイフで、ロープで、自分の手で……

 

 ありとあらゆる()()()()がそこにはあった。

 

「何……これ」

 

 余りの光景に息を呑む私を他所に、千桜さんは何の感慨も無しに先へ進んで行く。この死体が誰なのか分かっているはずなのに。

 ふと、一つの死体が目に入る。毒を飲んだのか、体には一つの傷も無い。

 その死体は一つの表情を浮かべていた。

 慌てて周囲の死体の顔を見る。全ての死体は、全く同じ表情を浮かべていた。

 

 諦めだ。

 

 この死体は諦めている。この死体たちは諦めている。だから、死んだ。諦めて、死を選んだのだ。

 一体、何を諦めた?

 分からない。私には分からない。だが、本人なら?

 そう思って千桜さんを見た私を、()()()()()()()()()()()出迎えた。

 

「先、行きますよ」

「はい……」

 

 何も言えない。それ程に異様な圧があった。

 重苦しい雰囲気のまま、手を引かれ続けているといつのまにやら先ほどの扉の前に立っていた。但し今度は扉を背にする格好で。

 

「……え?」

 

 何の気なしに振り向いて驚愕する。私たちが今まで通ってきたはずの場所には巨大な鏡が張られていたのだ。触って確認してみるが、硬質な感触からは通り抜けられそうな余地など一切感じられない。

 

「今、いた場所は……」

 

 疑問に思う間もなく、硬質な破砕音が響き渡る。音源を見れば、千桜さんが石を鏡に叩きつけていた。

 

「え、な、何してるんですか」

 

 私の問いに千桜さんは答えない。ただ、ここに入る前と変わらない、普通の無表情のまま沈黙している。そして、何事も無かったかのようにスタスタと歩き始めた。

 

「666、帰りますよ」

「あれ、用事終わったの?」

「はい」

 

 そう声を掛けて千桜さんは来た時の反対へと足を進める。睦美さんも、その後を追って歩き始めた。

 おいて行かれないように、慌てて追いかける。ここに一人は絶対に嫌だ。

 

「あの……帰れるんですか? 閉じ込められたりとかは……」

「大丈夫です。道は把握していますので」

 

 その言葉通り、千桜さんの歩みに迷いは無い。右へ左へ迷路のように広がる廃墟を淀みなく進んで行く。覚えると言う行為が無為に思えてくるほどの回数を曲がった末、私たちは元の廃墟へとたどり着いていた。

 

「あ……外だ!」

 

 矢も楯もたまらずに駆け出す。待ち望み続けた光景だ。暖かな光が私を照らしている。ほら、あと四歩、三歩、二歩、一歩……!

 

 

 

 

 

 

「いやー、初めて見たなー」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()女性から向き直り、666は呟いた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 666の軽口に応えず、千桜は廃墟の出口へと歩いて行く。

 

「そーいやさー、今回って何だったの? 私は変なのぶっ飛ばしてただけだったけど」

「雲外鏡です」

 

 足を止めず、表情も変えないまま千桜が答える。

 

「かなり古い大鏡が変わった物でしたので、相当な力を持っていました。それこそ並行世界を写すほどに」

「へー。この鬱陶しい連中もそれの所為?」

 

 666は、自身に縋りつく無数の手を吹き飛ばした。

 

「力が有る物は色々と引き寄せてしまいます。私たちの住んでいる街も、貴女達三体が来るまでは普通の街でしたよ」

 

 何の感情も浮かんでいない声で千桜は答える。666はその説明で気が済んだのか、何も尋ねようとはしてこない。

 

「真っ暗だねー」

 

 今夜は新月、この辺りには街灯も無い。何年も前に放棄された廃墟区画。その建物の一つに二人はいた。

 

「帰りはさっさとしてくださいよ」

「はーい」

 

 気の無い返事と共に千桜を乗せた666が飛び上がる。圧倒的な速度で666は上昇を続け、あっという間に二つの人影は新月の闇へと姿を消した。

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