「クソっ、まだ追って来てやがる!」
「どうするんですか!? あいつ何なんですか!?」
「二人とも前見てください! 今ここで転んだら終わりですよ!」
絶叫しながら和風づくりの廃墟を駆け抜ける。否、逃げ惑う。
逃げているという事は追う者が居るのだが……私たちはこの追う者が、何なのかを把握していない。そして、それこそが追う者から逃げ続ける理由でもあった。
一体、どうしてこうなった。
私の脳裏に、つい一週間前の記憶が蘇る……
「人が首を吊る、ね」
事務所にて受けた相談はそのような物であった。
曰く、管理している廃屋が自殺のスポットになっている、と。
「それなら来るのはうちでは無く、その場所の自治体や警察じゃあないですか?」
当然そう答える。
自殺者が多発する場所など珍しくも無い。ただ、依頼人の様子を見る限りそう言った手合いでもないようだ。
「それはもう試したんです。あの場所に入れないように柵を立てて、張り紙を貼って、巡回の警備員も雇ったんです。なのに……」
何故かそこで人が首を吊る。
特に何かがある場所ではない、人目に付く場所でも、付かない場所でも無く、有名な自殺スポットという訳でもない。
「だから、不気味に思えてきたんです。あの廃屋には何かがあるんじゃないかって」
それを聞いて、私は足を組み替えた。
「何か、ね。……聞きますが、あなたは、その場所に何があると思っているんですか?」
唐突に聞き返された依頼人は少し動揺したようだ。
「え……と、それは……お墓……だったとか……」
「その程度で何かは起きませんよ」
すっぱりと切り捨てる。そう言った浅慮は、今後の為にも排しておきたい。
「そもそも、世界で人が死んでいない場所なんて無いんです。この事務所も百年ほど遡れば空襲で死んだ人がいた場所でしょうし、あなたの住んでいる所も戦国時代にはどこかの武将が腹を切った所かもしれない。人が死んだ、程度で何かは起きません」
「なら、何が……」
「思いです」
「思い?」
「はい。どんな人間が、どんな場所で、なんて物は関係ない。どんな人間であろうと、強い思いがあれば何かを引き起こす。それが良い事であれ、悪い事であれ……」
つまり、と言葉を区切る。
「除霊する、という事はその思いを落とすという事です。良い思いであれ、悪い思いであれ……もしかすると、落とす事で、更に悪い事が起きる事もあります。それでもあなたは除霊を頼むのですか?」
私の問いに依頼人はたっぷりと長考し──
お願いします、と言葉を返したのだった。
さて、依頼は受けた。となると、出向かなければならない。
別にその場に行かないといけない……という事は無い。やり方によっては、受けたその場だけで解決する事もある。だが、私は必ずその"場"まで出向く事を信条としていた。
さて、貰った地図曰く、件の廃墟はこの辺りらしいが……
「……これだな」
私の前に現れたのは和風作りの家であった。
知識が無いため、どの年代に作られた物だ、という事は分からないが……少なくとも、百年近くは立っているのでは無いか、との異様は漂わせている。
「遠いな……」
門をくぐって最初に現れた物は、縁石と庭だ。それは、二十メートル近く離れた場所の家へと繋がっていた。
距離だけで言うならばたいしたことは無いのだが、自殺者というのは大抵楽な方を選ぶ。この距離をわざわざ家の中まで歩いて行くよりは、そこらの崖から飛び降りる人間の方が多いだろう。
それに、家の扉までたどり着いて気付いた事だが……
「閉まっているな」
しっかりと閉ざされている。廃屋ではあるが、新しくつけられたのか扉には近代的な鍵が取り付けられていた。
依頼人から預かった鍵を使い扉を開ける。中からは埃っぽい空気……ではなく、少し木の香りを漂わせた家独特の空気が漂ってきた。
手入れ自体はしっかりしている、との事だったがその言葉に間違いはないようだ。
増々おかしい。
わざわざ知らない場所の、それも一見して廃屋と分かる家ではなく、中々に手入れされ、施錠もされた家に侵入して、首を吊る。
……そう言った精神状態の人間には何度か会ったことが有るが、彼彼女らは大抵追い詰められている。その為思考が自殺に傾いているのだが……一般的な良識は残って居る人物は多い。
まず間違いなく不法侵入をやらかしてまで首を吊ろう、とする人間はいなかった。
「何か、がある、か……」
依頼人の感じた何かは真実だろう。つまり、対応に間違いは無かったという事になる。
「もう少し先を見ておく必要がありそうだ」
靴を脱ぎ、上がればすぐに来客を迎える部屋に出る。襖を開ければ、いたって普通の和室が存在した。
……そこに、輪の付いた縄が垂れさがっている以外は。
「……人は……いないな」
一瞬予感した人の死体は無かったが、それならば縄だけがあると言う状況に強い違和感が生まれてしまう。辺りを見渡してみるが、小奇麗に整えられており人が入ったような痕跡は見当たらなかった。
だからといってこの縄が人間以外の手によって用意された物と考えるのは早計だ。痕跡こそ見当たらないが、プロの鑑識でも無い私が調べた所でそういった痕跡を見つけられるとは思えない。素人に発見されない程度に縄だけを用意するのなら、一般の人間に出来ないこともないだろう。
しかし、これがこの家の怪現象に由来する物である事はまあ確実だろう。
これを用意した者が人間であれそれ以外であれ、起きている現象──首吊り──には関わっているのだから。
そう思い、縄を外して持っていた鞄の中に入れる。出来るだけ手を触れないように、だ。
「帰ったら調べてもらうか」
知り合いにそう言った事が得意な人間がいる。
それから一通り見渡してみたが、この部屋には例の縄以外の物は見当たらなかった。襖を開けて、廊下に戻る。更に奥を見ておかねば。
一部屋、二部屋、三部屋。
次々と襖を開けていくが、最初の部屋のような物は無い。当然、自殺した人間なんて物は影も形も無かった。
「……しかし、本当にきれいだな」
辺りを見ても埃のような物は見えない。へたをすると、私の事務所よりきれいにされているかもしれないな。
そう思っていたからこそ、その部屋を開いた瞬間の驚きはひとしおであった。
「うっ……これは……」
埃が舞う。
同時に、何かが腐ったような匂いが私の鼻を刺激した。
廊下の最奥にあったその部屋は、見て分かるほどに埃が積もり、襖を開けた風に白煙のように舞い上がったのだった。
「……掃除はしている、と言っていたが」
依頼人が嘘を付いている、という可能性は除外だ。そこを疑っては調査にならない。
そして、掃除をしているという範囲には当然この部屋も含まれているだろう。ならば。
「……人の仕業では無いな」
散らかった部屋を一日で片付ける事もできるだろう。逆に、整った部屋を滅茶苦茶に荒らすことも出来る。
だが、埃を積もらせるとなるとそうはいかない。
余程そう言う事の専門の人間がやった、とかいうのならともかく、ここに立ち入っている人間がこんな事を出来るはずも無いし、するはずも無い。
つまり、これは人間の仕業では無いのだろう。
「……一旦、帰っておこう」
何かがいる、或いはおきている事は確定した。なら、不要に居続ける必要も無い。
私は足早に廊下を戻り、玄関から家を出た。
「閉じ込められるような事は無し、と」
今まで受けた依頼の中にはそのような事もあった。
玄関が開かなくなった、どれだけ廊下を進んでも同じところに出る、扉をいくら開けても元居た部屋に戻ってしまう……そういった案件に比べれば、この廃屋は随分良心的だ。
「とはいえ安全だと決まったわけじゃ無い」
自分に言い聞かせるように口に出す。突如として危険になる事例なんて今までも腐るほどあった。この家がそういったケースだとはまだ判断が付かない。
「本格的な調査はあいつらとだな」
そう呟き、私は頼りになる連中を呼びに事務所へと足を進めたのだった。
「……ここまでが今回の依頼の情報だ。何か質問は?」
ハイ! と子気味の良い返事が響き、真っ先に手を上げたのは黒髪をポニーテールに束ねた女。
末藤 朝子と言えばこの界隈の人間には大体通じる程、名の知れた巫女だ。
「具体的にどのあたりがまずい、とかは分かったんですか?」
「俺はお前たち程強い訳じゃ無いからな……それでも、例の埃塗れの部屋は少しまずいように感じた」
成程ー、と手を顎に当てる末藤。一見するとオーバーリアクションなだけに見えるが、その実、頭の中では色々なパターンを考察している……らしい。本人申告なせいで真偽は不明だ。
と、もう一人が手を上げた。
「有崎さん、拾った縄はどうしたんですか?」
「それなら末藤に聞いてくれ。既に渡している」
そう言うと、チェック柄のコートを着た男──天霧 夕が末藤に向き直る。
この男、大体なぜか初対面の人間から胡散臭いと言う印象を受けてしまう以外は大体の事をそつなくこなす優秀な人物だ。
「末藤さん、どうでした?」
「えーっとですね。……この縄、人が用意した物じゃないです」
ピクリ、と天霧の眉が動く。恐らく俺の眉も動いているだろう。
「何と言うか、何も無いんですよ。触っても、視ても、ちょっと降ろしても見たんですけど、人の触れてた、持ってたとかは全く感じられなかったですね」
お化けでもちょっとおかしい気もしますけどね、と天霧が締めくくった。
……何も感じない、か。俺の経験では、そんな物があった場合、その依頼は極めて楽か、非常に困難な物かの二択になる。
末藤ですら分からないほど微弱な思念か、完全に隠蔽してしまえる程の怪物か。
前者であれば楽だが……後者の場合、下手をすると俺たちだけでは対応できない事もある。
「どうします、有崎さん」
「一旦当たる。……取りあえずはそれしか無いな」
何が起きるか、件の家に実際に行って判断するしか無い。当然、できる限りの用意はしていくが……
「末藤、なるべく守りの用意を固めておけよ」
「分かりましたー、昼間さん」
そう言って、末藤が何やらお札を取り出し唱え始める。
……正直不安だ。この末藤、腕に一切問題は無いのだが、よくミスをする。そこを俺と天霧でカバーするのだが、その頻度が多い。
一回の依頼で二回は必ずミスをしている。そして、そんなことを知らない連中は末藤を凄腕だ何だと崇める訳だ。実際こいつは俺達がカバーしなければ今までで三桁は死んでいる。
「そんな不安そうな顔しないでくださいよー、昼間さん。私が付いてますから!」
そう言う末藤を見て、俺は大きく溜息を吐いた。
末藤 朝子
有崎 昼間
天霧 夕
この三人からなる
「ここですかー。……昼間さん、ここで本当に合ってます?」
「ああ、合っている。何かあるのか?」
何か有るというか……と末藤が言いよどむ。珍しいな。
「少しでも思った事があったら言ってくれ。どんな事も重要だ」
「……あのですね、ここ、何にも感じないんです」
「何?」
「本当に、何にも感じなくて……何かあるんだったら、こう、何と言うか、ぞわってする事があるんですけど……」
うまく説明できなくて、と言う末藤。
その一方、俺は少しまずいかもしれない、と考えていた。
末藤の力は一級品だ。はっきり言って、今まで見て来た中でも並ぶ者はいない。その末藤が、何も感じないと言った。これは……
「天霧、どう思う?」
「そうですね……本当にいるのかはちょっと疑わしくなってきましたが……ただ、これは直ぐ判断が付きます」
末藤さん、と天霧が話しかけた。
「幽霊とかじゃなくて、もっと別の……思念や意思、流れとかを見ることは出来ますか?」
「え、はい」
事も無げに末藤は言う。本当に力は凄いな、コイツ。
しかし、探査を始めて数秒、末藤は驚愕の声を上げた。
「ええ!? こんな事ってあるんですか!?」
「どうした!?」
慌てる末藤を落ち着かせ話を聞く。言葉にすればそれだけだが、末藤の慌てようは尋常でなく、たっぷり五分程時間を使った。
「あのですね……ここ、
「それは、さっきも……」
「違うんです。幽霊とかが無いんじゃ無くて、何にも……この家を作った人の意思とか、入った人とか……それどころか、流れてるはずの地脈まで全部、この家からは何にも感じないんです」
それは……
「……まずいな。予想外に大物かもしれんぞ」
「僕もそう思います。……どうします? 有崎さん」
……流れる地脈すら隠す何か。正直、そこまでの存在となると下手をすれば古い神にすら匹敵しかねない。流石に、そこまでを相手取るには準備不足だ。
だが、依頼は既に引き受けている。そして、俺達では無理だと判断するにはまだ調査不足だ。他の所へ依頼を回すにしろ、ここを対処不能とするにしろ、まだまだ分からない事が多い。
……不安は残る、普段よりも警戒を高め、守りに入り、ほんの少しでも危ないと判断すれば即座に撤退。その辺りが現実的か?
その旨を二人に伝えると、二人とも自信満々に頷いて来た。
「それでは、正体不明のお化け屋敷に踏み込みましょう!」
「……いの一番に突っ込もうとする意欲は良いが、まずは護符を身に着けてからだ」
あ、と声を上げた末藤に天霧が苦笑交じりの溜息を吐く。しかしその顔にはしっかりと笑みが浮かんでいた。多分、俺にも浮かんでいる。全く、いつもと変わらん光景だ。
一部屋。何も無し。
二部屋。何も無し。
三部屋。何も無し。
…………埃の部屋。
「……末藤、何か感じるか?」
「……いえ」
「天霧は?」
「僕も反応は。ただ、別の……嫌な予感、みたいなのは」
天霧の反応に顔を見合わせ、一層警戒を高める。
末藤は護符を更に用意し、天霧は数珠を構え経文を唱える。俺も、簡素ではあるが聖水を取り出した。
「……開けるぞ」
二人の首肯を確認し、襖をゆっくりと開いて行く。
部屋は、以前と何も変わっていなかった。
積もった埃、中央の丸テーブル、端のタンス。
……ただ、部屋の中に吊られた女の死体を除いて。
「……これは」
「昼間さん、用意してください」
あれは、本物じゃありません!
末藤の叫びと共に、死体が動く。
腐り落ちた眼窩からこちらを見ている雰囲気が飛び、吊られ伸びた首がぐわんと動く。垂れ下がっていた手が何かを求めるように空を掻いた。
そして、その体はこちらへと向かっていた。
「どうだ、末藤!」
「強いです!」
「有崎さん、ちょっと下がってください!」
天霧の叫びに大人しく下がる。俺はこいつ等程強くは無い。役割は、別にあるのだ。
視る。
俺に出来る数少ない事の一つ。
末藤の霊視ともまた違う、幽霊或いはそれらを直に見る事で出来る、思念の読み取り。
それを持って見た女の思念は……
『オソロシイ』
「っ!?」
恐怖が伝わる。一瞬同調した事により、俺の背に氷柱を入れられたかのような冷気が走った。
何だ、今のは。
あんまりな思念こちらの思考が止まる。だが、一瞬。驚愕に長く囚われはしない。
この幽霊は恐れている。何を? 分からない。だが、それならば
「末藤、天霧、一旦そいつを抑えろ!」
「分かりましたぁ!」
パン! と柏手が鳴り、末藤から力が走る。それは動いた霊を弾き、下がらせた。
その瞬間に合掌していた天霧が片手を降ろす。それに合わせたように霊は地へ叩きつけられ、そのまま動きを止めた。
「有崎さん、一応抑えましたが……」
「分かってる、手早く済ます」
一歩、幽霊の元へ足を進める。
この視る力は距離が近ければ近い程、より深く、精確に視る事が出来る。当然近付けばその分危険ではあるし、深く視れば最悪飲まれる事もある。
だが、そのリスクを抱えてもこの霊は視なければならない。
俺の勘はそう伝えていた。
「末藤、もしもの時は任せるぞ」
「はい。飲まれた場合、責任を持って引っ張り上げます」
大幣を構える末藤に安心感を感じながら、俺は霊を視た──
闇だ。
視界に広がるのは無間の闇。
おかしい、普段の物と明らかに違う。
普通はその霊の、最も残った物が視える。それが死の寸前であれ、幸福な光景であれ……闇は、無かった。
「これが……恐怖の原因か?」
この霊は恐怖を残していた。ならば、この闇がその理由の筈だが……
「阿」
「!?」
闇の中で声が響く。同時に、俺の勘が全力で警鐘を鳴らした。
まずい、まずい、まずい!
「っはあ、はあ……」
「大丈夫ですか!?」
慌てて抜ければ、視界に末藤の顔が広がる。……俺は、何を視た?
「……天霧、何分経った?」
「
「十秒だ。……予想以上にまずいぞ、何かが居る」
俺の言葉に末藤が即座に護符を取り出し、辺りを見渡す。……頼もしい。
「とにかく、一旦引く。末藤、そいつは──」
祓ってくれ。
そう言おうとした矢先に、抑えていた霊がぐちゃり、と音を立て、崩れ落ちた。
依頼を受けてから二日後の事だった。