三千屋敷と人々と   作:Y-K4183

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過去話─恐(2)

 例の家の調査の翌日、俺達は再び事務所で顔を突き合わせていた。

 時間を空けた理由は単純、俺があの後高熱を出したからだ。病院に行ったが原因は不明、末藤に祓って貰った上で部屋の四方に盛り塩を置いたら少しマシに成ったが……それでも未だに37度は有る。

 だが、動けない程では無い。

 

「それじゃあ、一人ずつ言っていくぞ。……どうだった」

「……何かは確実にいました。あの首を吊っていた霊とは違う、何かが」

 

 それ以上はあの場では……と首を振る末藤。だが、確証は得られた。

 

「僕も、末藤さん程では無いですけど何かが居たのは分かりました。ただ、それがあの家に"在る"のかは少し疑問が……」

「……元凶は家にいないかもしれない、と」

 

 俺の言葉に天霧が頷く。間違いなく強力な力を持ちながら、姿を見せない。それは、そもそもあの家にいないのが理由では無いか。

 天霧の考えはそれだ。しかし、俺の考えは真逆だ。

 

「……俺は家にいると思っている」

 

 あの時聞いた声。そして、見た闇。元凶は想像を絶するほど強大な力を持っている。そして、俺の知る限りではあるが、それに類似する案件は起きていない。

 大元が別の場所にいるのなら、そちらでも何か起きていないとおかしいのだ。

 俺は確信の根拠を、出来る限り丁寧に二人へ伝えた。

 

「成程。確かに、それ程の存在が他の場所にいるのなら何かあってもおかしくは無いですね……」

「私も、どこかから繋がっているなら多分分かると思います」

 

 今回の相手だと、本当に多分、ですけど。

 末藤が自信なさげに俯いた。

 ただ、その態度も仕方がない物があるだろう。

 

 自分の存在を過剰な程に覆い隠し、見て分かるほど強力な霊を用意、或いは使役し、それを除いても手掛かりは無し。

 箇条書きにするだけで冗談のような力だとよく分かる。

 

 だが、その上で俺は末藤に心配するな、と言う。

 

「次は更に用意をしていく。……たとえ、分からなくても心配するな。作戦は立てておく。お前が存分に力を発揮できるようなものを」

「……はい!」

 

 やる気を燃やし始める末藤。しかし今から燃やされても再突入にはまだ先だ。

 とはいえ、このやる気を消すのも忍びない。俺は末藤に聞こえないよう、天霧に話しかけた。

 

「天霧、()()()()()()お前も用意しておけ」

「本山ですか? なぜ……」

「……万が一、だ。俺達の後のな」

 

 その言葉に、天霧が目を見開く。

 

「……全滅想定ですか」

「万が一だ。……だが、あり得ない、では無い」

 

 今回の一件、事前の想定を遥かに上回っている。既に手は出してしまった以上、俺達は最後までやる予定ではあるが……もし、できなくなってしまったのなら、その時の保険が必要だ。

 

 

 

 翌日、俺は天霧と共に本山へと赴いた。

 顔パスで門を通り、質素な……それでもなお、力を感じる、寺へと入る。

 

「……久しいですな、有崎さん」

「お久しぶりです、空和尚」

 

 酸いも甘いもかみ分けた、と言わんばかりの皺に埋まった顔に、目の前の小柄な体から放たれているとは信じがたい程の強い力。

 天眼通の異名を取り、老いて尚力を増す……界隈の重鎮、空和尚。

 今日この人物に尋ねた理由はただ一つ。

 

「……後始末、ですか」

 

 徐に和尚が呟いた。まだ、こちらは何も言っていない。

 

「恐ろしい力の持ち主です。それでも、行くのですかな」

「……はい。私の、選んだ道です」

 

 私の言葉に、眼前の力が動く。

 頭を下げたまま、いや、下げているからこそより分かる、まるで霊山と相対したかの如き、非現実的な迄の威圧感。だが、そこに敵意のような物は感じない。ただ、雄大な自然を目にした時の恐れのような物が己の内に湧きあがったのだ。

 

「うん……任されましょう。あなた方が失敗した後は、()()が責任を持って対処します」

 

 我々。

 その言葉に下げていた頭を上げる。

 和尚の隣に、二人の人が佇んでいた。

 

「あなた方は……!」

 

「あの子がお世話になっております」

 

 すい、と頭を下げる巫女服を纏った妖艶な気を纏った女性。

 界隈の人間なら誰もが知る、鬼封じ、とまで言われた伝説。

 

「三珠さん……」

 

 思わず声が漏れる。

 ただ、これは仕方がないだろう。

 空和尚に勝るとも劣らず、若い身にて偉業を打ち立てた雲の上の存在。同じ場所で修業をした、と末藤が言っていたのを羨ましく思うのは、俺だけではないはずだ。

 

 そして、もう一人……こちらは俺よりも天霧が呆然としているようだった。

 

「……父さん、どうして」

「なーに、バカ息子がとんでもないのに手を出すって和尚に言われてな、飛んで来た」.

 

 天霧 銀

 僧にして悟りの頂へ行き、そして人を救うと言う極地へ踏み入ったとされる超人。

 ただ、天霧曰く酒のんで騒ぐおっさんでしかない、との事だ。

 しかし、それも照れが半分、やっかみ半分で言ったのだろう。

 今目の前に居るどこにでもいそうな中年の男性からは、不可思議な程清浄な力が放たれている。

 

 

「まあ、そう言う訳じゃ。……気負わんでよい、あなた方が失敗しても心配はいらない。気負わず、自然体で行きなされ……」

 

 和尚の言葉に、気遣いを感じる。同時に、体の内から安心が湧きあがった。

 不安だったのだ。未曽有の何か、全容さえ見通せない怪物……対処できるのか、そして、出来なかった時、どうなるのか……

 それらの不安が晴れていく。

 俺達が寺に来る前と後で、顔つきは違っていただろう。

 

 

「さて、これで不安は無くなった。……次は」

「突入ですね!」

「準備だ」

 

 ええー、という末藤を制し、俺は本を取り出した。

 

「あの家にまつわる資料だ。歴史、建築技法、住民、年代……俺の調べられる限りを纏めてある」

「……つまり、()()()()()()()()()()()()

「察しが良いな、天霧」

 

 にやり、と口元が上がる。優秀な同僚だ。

 その一方で、末藤は既に本を読み始めている。こちらも優秀だ。

 

「再突入は三日後。それまでに調べられるだけ調べ、少しでも有効な情報を集めてくれ。聞き込みでも、図書館でも、インターネットでも、何でもいい」

 

 ハイ! と返事をする二人。よし、やる気十分、俺も負けてはいられないな。

 

 

「……あの家、慰霊碑を潰して建てられているのか?」

 

 図書館で古書を調べていた所、一つの文献を見つけた。間違いなくあの家の事なのだが……潰した慰霊碑とは何なのか。

 

「百年以上前となると文献自体が少ないな」

 

 慰霊碑の名前も、何を鎮めていたのかも書いていない。

 あの家の性質も、作業を難しくする理由の一つだ。

 

「あの家、名前が無いんだよな……」

 

 どの文献にもあの家が特定の名前で呼ばれていたと言う記述は無く、そして特定の誰かが住んでいたという事も無い。

 これが厄介だ。

 名前が有るなら出てくる物を調べればいいし、一族が住んでいるならその一族について調べればいい。

 しかし、あの家は特定の名前では呼ばれず、定住した一族は無く、用途すら年代ごとに分かれている。

 

「……こっちの本では宿屋で……こっちでは、八百屋か。場所的に同じ家だとは思うんだが」

 

 年代によりあの家は何もかもが変わっている。建っていた場所を除けば、下手をすれば作りさえ増設などで変化しているのだ。

 

「調べるのも一苦労だな……」

 

 

 

「ええと、これがアレでアレがコレで……」

 

 駄目だー。昼間さんよくこんなに纏めたなあ。

 積まれた本の山を前に私は頭を抱えた。

 昼間さんの纏めた本は、無駄な事が無い。書くべき事、調べた事実、それだけをしっかり書いている。その内容も、十分な量だ。私が今から探しても新しい物なんて見つからないんじゃ無いかってくらいには。

 

「……駄目駄目! しっかり頑張らないと!」

 

 一瞬、何もしなくて良いんじゃ無いかと思った自分を叱り、私は作業を再開した。何が重要かは分からない。こんな仕事をしていると、ふとしたことが糸口になっているのはよくある事なんだから。

 

 

 

 カタカタとキーボードを叩く音が響く。その音が響く度に新しい検索結果が画面に表示され、消えていく。

 

「あの家の噂はかなり多い、と」

 

 独り言が口から漏れる。それ程に多かったのだ。

 SNSで調べただけでそれらしき物が百件近く、加えてあの家の現象を調べれば、それに倍する数の結果が返って来た。

 

「自殺者の数が多い以外にも、声を聞いた、呼ばれた、等が多数。……一部界隈では有名な心霊スポットか」

 

 行きついた先の掲示板では、あの家の話が当たり前のように語られていた。

 真偽さえ怪しい、閲覧者もそれを気にしない無数の話の中に紛れ込む本物の話。それを見て、物好きが試し、そして死ぬ。

 

「自殺した人は大体ここに来た人か……?」

 

 今度は検索対象を変える。心霊スポットから、自殺スポットへ。

 するとその結果は驚くほど減少した。

 人の多く死んでいる場所として二、三度名前は挙げられているのだが、実際に自殺しに行った人間はまずいないだろう。

 

「心霊スポットではあるが、自殺スポットでは無い、と」

 

 この差は何なのか。抱いた違和感を探るべく、自分は更に広いインターネットの海へ探索を開始した。

 

 

 

「……それで、どうだった?」

 

 あれから二日、二度目の除霊の前日。俺達は事務所にて最後の情報共有を行っていた。

 

「頑張ったんですけで……その、あんまり……」

 

 しょんぼりとした様子で末藤が差し出してきた冊子は、カレンダーより少ない枚数で作られていた。

 

「いや、よく頑張った。……内容も十分だ」

 

 そう言っても余り末藤の顔は晴れない。しかし、本当によく頑張っている。二日という短い期間で集めたにしては十分すぎる程だ。

 ……その隣で受験生のノートのような物を持っている天霧と比較しなければ、だが。

 

「……天霧は、どうだった」

「はい、インターネットで調べた物から残って居る資料を当たってみましたが……」

「……よくできている」

 

 そう言うと、心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。隣では末藤が少し口を尖らせている。

 そんな二人を視界から外し、ノートに目を落とす。

 ……一つの事が、目に留まった。

 

「……慰霊碑、か」

「……有崎さんでも分かりませんでしたか?」

 

 天霧のノートにも俺の調べた慰霊碑の事は書かれていた。しかし、そこまでだ。

 この慰霊碑が誰を祀った物なのか、何のための物なのかまでは分かっていない。

 百年前となると大正の時代、江戸時代と知られる年代の人間が生きていても何らおかしく無かった時代だ。その時代の資料となるとまるで見つからない。

 

「これがあの家の原因な可能性は高いが……そうなると言われだしたのが最近だと言うのが納得がいかないな」

 

 天霧の情報では、この家が噂に上りだしたのは精々ここ二三年からとの事だ。百年前に潰された慰霊碑の元が動き出すには、年月が経ち過ぎている。

 

「それに、何か、その……多分、そういうのじゃ無い気もします」

「どういう事だ?」

 

 末藤の言葉に疑問をぶつければ、言い淀みながらではあるが、それでも結論に確信は持っている様子で話し始める。

 

「あの家なんですけど……多分、慰霊碑を壊されたとかじゃなくて、もっとこう……、あれです、何も無いんです」

「何も無い?」

 

 その事であれば一度目の突入の時にも言っていた。まだ、何か有るのだろうか。

 

「何となく何ですけど、そういうないがしろにされたって言う霊は、怒ってますし、その事を伝えてくるんですよ。でも、あの家は何にもなかったんです」

「そうなると……何だ?」

 

 考えてみれば、隠すと言うのがよく分からない。

 途轍もない力を残す程思いがあるのなら、それを確実に伝えてくるだろう。

 なら、それを何故隠すのか。

 浮かんだ疑問の答えは、天霧の一言により形を持った。

 

「悪意……とかですかね」

「悪意だと?」

「はい。父がよく言っていたのですが……悪意は、隠そうとする物だ、と」

 

 そうなると、あの家にいる何かは悪意を持っている事になる。

 ……良くない、いや、悪い。

 最悪に近い。

 悪意を頼りに残った霊など聞いた事も無い。だが、もしそうであった場合、これ程厄介な事は無いのだ。

 思いを晴らそうにも、悪意を晴らせば碌な事にはならず、悪意故にそれを隠し続ける。

 ……あの家は、想像を絶するほどに危険な状態なのかもしれない。素早い対処が必要だろう。

 弱点や有効な手段は分からず、ただ悪い予想だけが積み重なる。だがそれでも、俺達に引くという選択肢は存在しない。

 

「二人とも、今日は体を休め、明日に備えてくれ」

「はい!」

 

 響く返事に身を引き締め、俺は再度決意を固めたのだった。

 

 

 

 

「……末藤、どうだ」

「この前と変わりません、何にも読めないです」

 

 再び──俺にとっては三度──あの家に来た俺達は、以前にもまして慎重に調査を進めていた。

 聖水、十字架、大蒜に柊、加えてお札に塩。特に特定の宗教などを持たない俺は、ごちゃまぜに有効そうなものを用意し、末藤は本格的な巫女服に身を包み清涼な気を漂わせ、天霧に至っては服の裏にはびっしりと経が書き込まれている。

 

「行くぞ」

「「はい!」」

 

 そうして俺達は扉を開き、家へと突入した。

 瞬間、肌に張り付くような危機感が湧く。

 以前とは違う、何か、危険な物がある! 

 

「昼間さん! います!」

 

 末藤の絶叫に合わせたかの如く、前方の空間を塗りつぶしてそれが現れる。

 

 死体だ。

 

 首を吊った女の死体、そうとしか見えない。

 だが、それは確かな存在感と圧力を持ってこちらへ襲い掛かってこようとしている。

 

「はっ!」

 

 末藤の一喝。それは見て分かるほどの力を持って、近寄ろうとしていた死体を弾き飛ばした。

 

「縛!」

 

 天霧の言霊が形を成し、弾かれた死体の動きを止める。

 次は、俺の番だ。

 

「天霧、周囲を警戒してくれ」

「……また、見るんですか」

 

 ああ、と答え縛られた霊へと意識を集中させる。

 再び、俺の視界全てを闇が覆った。前回の霊と全く同じだ。何の手掛かりも掴めない。

 それを確認して、俺は直ぐに意識を引き戻す。

 

「……どうだった」

「三十秒です」

「今回は大丈夫だったか……」

 

 視ている間の時間のズレ。これは自分の意識がどれ程深い場所へ入ってしまっているのかの基準となる。

 ズレが大きければ、それだけ深く潜っている事になり、その分危険が増す。今ここで前のように倒れる訳にはいかない。

 

「末藤は?」

「……駄目です、その方からはただ恐怖心しか感じません」

 

 俺も末藤も感じる物は同じ、深く視てもただ闇しか視えない。

 ……余りに異様だ。

 

「この間の部屋へ行って見るか」

 

 こくり、と頷く二人を確認して俺は足を進める。

 危険は多い、だが進まないと何も出来ないのだ。

 

 精神を整え油断なく扉を開く。その先には以前と何ら変わらない光景──埃塗れの部屋──が広がっていた。

 

「末藤、四方に札を貼ってくれ」

「結界ですね。分かりました」

 

 手早く末藤が部屋の四方に御札を貼り祝詞を唱えていく。この部屋が原因なら、確実に何かの反応が有るはずだ。

 俺と天霧は油断なく神経を尖らせ、周囲を警戒する。

 しかしその予想に反して末藤が結界を張っている間も、張ってからも何も起きることは無かった。

 

「おかしいですね。この部屋、絶対何かあるはずなんですけど……」

 

 天霧が首を捻るが、俺も同じ気持ちだ。

 この部屋に居るのなら出られなくなった事に気付いて暴れる筈、そうでなくとも力の元であるのなら即座に気付いて戻ってきても良いはずだが。

 

「もしかするとここが大元では無い、という可能性もあるが……」

 

 この家の調査を行った時、何かを感じたのはこの部屋だけだ。もしそれ以外の場所に大元があるというのなら……いや、待て。

 地脈を隠す程の隠蔽能力を持つ相手がいたとして、こんな分かりやすい痕跡を残すのか? もし、残したとするなら……それは、ここを囮に使ったという事では無いのか? 

 

「……末藤、天霧、一旦部屋の外に出るぞ」

「え? な、何でですか?」

「時間が惜しい」

 

 動揺する末藤とは対照的に、天霧は即座に扉を開けた。

 それを見て末藤も即座に動く。結局言い出した俺が残されてしまった。

 

「末藤、どう……」

 

 呼びかけた声は途中で消える。それ程に気配が充満していた。

 

「……やられた」

 

 思わず言葉が口から零れる。

 予想は出来た筈だ。

 末藤でさえ何も測れない隠蔽能力、それに反したようなあからさまな痕跡。全てこの部屋を大元と誤認させる相手の作戦だ。

 

「有崎さん、予想があるのでしたら言って下さい」

「……済まん、俺のミスだ。

 相手は俺達をこの部屋に押し込め、結界を張った所で纏めてこの家に閉じ込める気だ」

 

 結界を張れば俺達がこの部屋から暫く出なくなる事を読まれていた。

 俺の説明に末藤が愕然とし、天霧も眉間に皺を寄せた。

 

「予想以上……なんて言葉で片付けられない相手ですね」

 

 天霧の言葉に首肯する。試しに外へ繋がる窓に手を掛けてみるが、まるで動く様子が無い。万全の用意をされている。

 

「脱出には、この元凶を祓う必要がありますね……」

 

 末藤の当たり前の言葉も、この状況では絶望の上塗りだ。

 しかし、この程度で止まっている暇は無い。

 

「再度この家を調べる。閉じ込められた、と言う事は向こうのホームグラウンドに引き込まれたという事。それなら何か変化が起こっている可能性は高い」

 

 そこから脱出の手掛かり、ひいては祓う術を探す。することは普段と変わらないのだ。

 

「はい!」

 

 二人の返事が廊下に響く。さあ、お化け屋敷の探索だ。

 

 

「玄関扉は……駄目か」

 

 開きはした。したが、その先に廊下が見えている。恐らく廊下先の勝手口からの光景だ。ループさせられている。

 試しに、扉をくぐって廊下を進めば、直ぐに玄関で待機している二人の背が目に入った。

 

「どうでした?」

「ここは駄目だな。通っても何も無い」

 

 ここまで来る途中で窓や庭への扉などを試してみたが、悉く閉ざされている。そして、玄関もこの有様だ。

 

「状況としては、廊下の延長にある経路のみループと言う形で残され、それ以外は開かないと言う形で閉ざされている。破壊も不可能だ」

 

 一本道だけなら無限に進めるぞ、と言えばランニングに使えますね、と末藤が返してきた。……本気で言っていそうな所が心強い。

 

 本格的に霊或いはこの世ならざる何かと戦う時に、重要なのは活力だ。

 気が滅入れば付け込まれやすくなり、術も、経文も効果を落とす。出来るだけ明るく、前向きでいるのが最適である。

 しかし、無理に明るくしようとし続けると今度は精神の本質と表層のズレから全体を歪ませてしまう。有り体に言えば、気がおかしくなるのだ。この業界でそうなった人間は多い。

 そんな環境で自然体に明るく出来る末藤は、貴重な人材だ。

 

「何か見覚えの無い物があれば分かりやすいが」

「一部屋ずつ確認していきましょう」

 

 天霧の言葉に首肯し、まず手近な部屋の扉を開いた。

 最初に来た時と変化は無い。何の変哲もない和室。今度は縄もぶら下がっていない。

 

「次だ」

 

 次の部屋も変化は無い。次も、その次も。

 最後の部屋を見た所で、探索は終了した。

 

「……変化は無し、か」

 

 空間に満ちる気配とは裏腹に、どの部屋にも変化が見られない。

 予想が外れた……本来ならそれだけで済む、普段から偶にある事だ。だが、今の状況となると事情が違う。

 

「末藤、何か感じるような事は有ったか?」

「無いです。それに、この嫌な気配で色々分かり辛くされてます」

「気配の大元は?」

「それもよく分からないんです……どこに行っても直ぐ後ろに居るような……」

 

 末藤でもこの気配の元は分からない、か。

 姿は見せない、閉じ込めておきながら何かをする様子もない。……一体、元凶は何がしたいんだ? 

 悪意、という想定はしているが……それにしても何も行動を起こさない、というのは余りに変である。

 だが、何もしてこないならそれはそれでやりようが有るのだ。

 

「末藤、祈祷を行ってくれ。()()()()()

「分かりました!」

 

 祈祷と聞くと穏やかそうな印象がある、そして、それは間違っていない。

 本来は神に、神職が願いを伝え、祈る儀式であるからだ。

 だが、今回行う物は神に祈り、今の状況の打破、そしてその為の加護を頂く物……恐らく相手は妨害を行ってくる。

 だが、今回持ち込んだ物の中には、祭壇の材料もある。末藤の実力であれば妨害があっても十分以上の物が行えるだろう。当然、俺達もサポートを行う。成功の確率は更に上がる。

 そして、万が一失敗……何らかの手段で遮られたり、儀式自体が妨害されたとしても向こうの反応が伺える。そうすれば、何かやりようが見えてくる可能性は有るのだ。

 そう考えて俺達は祈祷の準備を進めていた。……その見通しの甘さも知らないまま。

 

「それでは、始めます」

 

 普段のどこか抜けた雰囲気とは一転して、頼りがいのある、清涼な雰囲気を漂わせた末藤が機敏な動作で儀式を進めていく。

 そこには一部の間違いも無く、傍から見ていても分かる神への敬意と感謝の念が存在した。このままであれば、何の問題も無く祈祷は終了するだろう。

 ……このままであれば。

 

「天霧!」

「分かってます!」

 

 例の埃の部屋を掃除し据え付けられた祭壇。その周囲に、縄に吊られた人型が浮かび上がる。

 男、女、子供に老人。統一感の無い亡霊の集団だ。

 

「破!」

「戒!」

 

 一喝で以て吹き飛ばす。が、どの個体も距離こそ離れたが堪えた様子が無い。かなり強力だ。

 しかし目的は最初から時間稼ぎ、距離を離せるなら十分だ。

 

「吽!」

 

 前方へ手を突き出し、叫ぶ。本来はもう少し正しいやり方が有るのだが、今は時間が惜しい。略式で行かせてもらう。

 視界の端では、天霧も数珠を突き出し念を飛ばしている。青筋が浮かんでいるであろう俺と違って、穏やかな顔だ。

 それでいい。自分を乱さない事が重要なのだから。

 近づく幽霊を吹き飛ばし、縛り、末藤が祈祷する祭壇へ近づかないよう対処する。

 言葉にすればそれだけであり、実際それしかしていないのだが……予想以上に長く感じた物だ。

 だからこそ、その言葉が響いた時は安堵した。

 

「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸給え」

 

 厳かに紡がれるその言葉は、末藤が祈祷の締めに使う、決まり文句だ。本来は参拝等で言う言葉だが……あいつはそれを、必ず祈祷の終わりに言うようにしている。

 

 と、今まで視界に映っていた亡霊達の姿がゆっくりと薄れていく。一様に浮かべた表情は、何かから解き放たれたような安堵感。……やはり何かがこの家に居るのだ。

 

「天霧、警戒しろ。向こうが来るなら今だ」

「はい」

 

 末藤も祭壇に礼を行い、こちらへと近づいて来る。

 先ほどの祈祷は状況の打破や力を願う物だが……直接的な排除は願っていない。しかし、霊は姿を消した。

 あの祈祷によって、あの霊達を縛っていた何かが解かれたのだ。あの表情は、そう言う事だろう。実際に、辺りにはこのような場だと言うのに神聖な気配が満ちている。……相手が動くなら、間違いなく今だ。

 

「末藤、何か感じるか?」

「今の所は何も。ただ、ずっとあった何かが間近にいるような気配は薄れたような……」

「天霧は?」

「僕の方も概ね同じです。ただ、何か、寄り集まっているような予感がしています」

 

 それを聞いて、一層警戒に身が入る。やはり何かが動こうとしているのだ。

 一分。何も起きない。警戒を解かずに祭壇を然るべき手順で片付ける。単に動く場合は邪魔になるからだ。

 二分。何も起きない。札等を使って結界をより強固かつ柔軟に用意する。

 三分。何も起きない。持っていた有効そうな物をしっかりと用意し、構える。

 四分。五分。六分……

 十五分、警戒が少し、緩んでしまった。一瞬、今の事から思考が逸れたのだ。

 

 ()()は、現れた。

 

 

「荒」

 

 

 白装束を、左前に来た女であった。

 顔をボロボロの札が覆い隠し、表情は伺えない。

 袖から覗く両腕はやせ細り、五寸釘が貫いている。

 足は意識しても見えづらく、どうしてもぼやけてしまう。

 不自然な程風景から浮かび上がり、暗がりにあって尚はっきりと姿が見えた。

 

 肌が泡立つ。背筋が凍り付いたような冷たさだ。一瞬遅れて、自分が呼吸出来ていない事に気付いた。

 

「なん……だ……」

 

 必死で開いた口から漏れたのは、何の意味も無いその言葉。ただ目の前のそれに疑問を投げかけただけだ。

 

「亜」

 

 その瞬間、女が眼前に近付いていた。

 いつ動いたのか全く分からない。いつの間にかとしか答えようが無い。

 足が竦む。何も分からない。何だ、俺は、どうなって──

 

 ガチ、と音が響いた。何の音だ? 

 そんな疑問は直ぐに解けた。

 歯だ。

 俺の歯が、打ち合って鳴っている。

 歯の根が合わない。

 俺は、今……恐怖しているのだ。

 

「っ! 逃げろ!」

 

 その事に気付いた瞬間、体が動いた。

 何か切っ掛けが有った訳では無い。ただ気付いたのだ。

 相手が、恐怖してしまう程恐ろしい存在だと言う事に。

 

 末藤……硬直している、手を引いて無理矢理走らせる。

 天霧……反応はしているが、足が竦んでいた。引きずってでも連れて行く。

 逃げなければ。アレは、駄目だ。……でも、何処へ? 

 

 今、この家から出る事は出来ないのに。

 

 その事から目を逸らして走る。直視すれば気が狂ってしまいそうだから。

 

 必死で逃げる俺が、多少正気に戻ったのは末藤の手から重みが消えた時だ。

 まさか? 最悪の想像がよぎって振り向いた俺の目に、何とか自分の足で走っている末藤が映る。

 そして引きずっていた天霧も立ち上がり、走り出した。

 アレから離れた影響か、それとも二人が起きたお陰か。俺は、正気を取り戻しつつあった。

 

「末藤! 分かるか!」

「分かります! 駄目です! アレ!」

「天霧は!」

「絶対駄目な奴です!」

 

 全員の結論が一致する。アレは、駄目だ。

 対処できる出来ないでは無い、駄目なのだ。

 一瞬視えたアレから読み取れた物……それは、無い。

 何も無い。空洞よりも何も無い、圧倒的な虚無だけがアレにあった。

 

「昼間さん! どう逃げるんです!?」

「空間の起点を探す! 絶対に近くにある筈だ!」

 

 既にアレと正面からやり合う事は投げ捨てた末藤の言葉。だが、現状の最適解だ。

 見た瞬間、悍ましい程の恐怖に襲われた。

 完全な空洞、闇。それがここまで恐ろしいとは。

 

「兎も角、今はアレから距離を──」

 

 そう言おうとして、足が止まり掛ける。

 この廊下はループしているのだ、どうやって距離を取る? 

 思考する時間が惜しい、一々検証も出来はしない。なら、取れる手段を! 

 

「末藤! 限界まで感知してくれ! 天霧はそれの補助を!」

 

 そう叫んで、俺は()()()()()

 

「俺は……アレを、足止めする」

「っ! 正気ですか!? 無理ですよ!」

「有崎さん!」

 

 悲痛な叫びが響くが、考えを変えるつもりは無い。

 これが、最適解なのだ。

 俺では末藤程精確な感知は出来ず、天霧のような万能性も無い。

 その代わり、万が一の有効打を出せる力はある。

 

「行ってくれ! 頼む!」

「……! 分かりました! 必ず戻ってきて下さい!」

 

 末藤の叫びが曲がり角の向こうへ消えると同時、俺は振り返った。

 ゆらり、と白装束が揺らめく。

 風に揺れる柳のように、体を揺らして女は近付いてきていた。

 希薄な存在感とは裏腹に異様な程視界にはっきりと映る。霊としては良く有る事だが……今、目の前の存在はそれですら恐ろしい。

 一歩、一歩女が距離を詰めてくる。

 だがそれは見かけ通りの物では無く、不気味に無作為な距離を進んで来ているのだ。

 大股の一歩が僅か半身、指先程の歩みが二メートル以上。

 だが、それでも距離は確実に縮まっていた。

 

「……臨・兵・闘・者 皆・陣・列・前・行・縛!」

 

 十字を切り、叫ぶ。

 相手を縛る事だけに集中した、渾身の十字。

 一瞬意識が飛びかける程の念を込め、放ったそれは……女を半歩、下がらせた。

 

「逢」

 

 ゆらゆらと左右に揺れたまま、女はその場に立ち止まる。

 ……到底、効いたようには見えない。

 だが、女は足を止めた。

 何故だ。

 謎だ。分からない。分からないから怖い、恐ろしい。

 だから、視る。

 

 ……‥虚無、空洞、暗黒。

 最初に一瞬視えた物と何も変わらない。何処までも、何もかも永遠に昏い。

 闇だ。闇が形を成している。この女は闇その物だ。

 

「っ!」

 

 その場を飛びのき、再度見据える。

 一瞬、引きずり込まれかけた。

 何も分からない。ただ恐怖だけが黴のように広がっていく。

 

 ゆらり、と女がこちらに迫って来た。

 俺は、駆け出した。

 

 

 

「昼間さん、無事ですか!?」

「無事だ。……だが、駄目だ。何も分からない」

 

 あの女、闇しか視えなかった。

 打開策、対抗策、何一つ分からない。クソ! 

 

「天霧、そっちはどうだ!?」

「末藤さんが何か見つけたと!」

 

 その言葉に俺は末藤の方を振り向いた。

 ぐっ、と親指を立ててくるその姿がこれ以上ない程頼もしい。

 

「玄関です! 玄関の、外! 目に見えませんし場所的に触れませんけど、時間が有るなら感知して解除できます!」

「よくやった!」

 

 予想外の事例を相手にここまで対処してのけた! 矢張り末藤は凄まじい。

 だが、まだ到底油断は出来ない。なにせ俺達はあの女に対処する手段が無いのだから──

 

「荒」

 

 唐突に。

 唐突に女が俺達の目の前へと出現した。

 咄嗟に気付いて俺はスライディングで女を躱し、末藤がその後へ続き……女の手が、天霧の額に触れた。

 

「ひっ」

 

 息を吸い込み損ねたような、悲鳴すら上がらない状態の声。

 まずい、まずい、まずい! 

 

「っ! 天霧!」

 

 ぐらり、と倒れかけた天霧の背を支え女から一気に引きはがす。背後では末藤が大きく気を練り上げる気配がしていた。

 

「退!」

 

 一喝と共に放たれた気が、女を背後へと押しのける。

 その瞬間に俺は天霧を支えたまま走り出した。

 

 背後で、ゆらり、と気配が揺らめいた。

 

「クソっ、まだ追って来てやがる!」

「どうするんですか!? あいつ何なんですか!?」

「二人とも前見てください! 今ここで転んだら終わりですよ!」

 

 普段の冷静さを失い喚く天霧を抑え、全力で走る。

 こいつがここまで錯乱するのは只事じゃ無い。一体、何をされた? 

 

「天霧、何があった!」

「……闇です。闇が、闇が!!」

 

 悲鳴を上げて何かを払いのけるように天霧の手が動く。……俺の視た物より、酷い物を見たようだ。もしや、引きずり込まれたのか? だとしても、ここで天霧を欠く訳にはいかない。

 

「一旦落ち着け。今は走るぞ」

 

 少しずつ天霧に掛けられていた重心を戻し、自分の足で走らせるようにする。パニックになりかけている人間には何かをさせておけばマシになりやすい。

 徐々にだが自分の足で走り始めた天霧を確認し、末藤にさっきの事……あの女に気を飛ばした時の事を聞く。

 

「末藤、どんな感覚だった!?」

「何というか、風船をぶん殴った感じでした!」

 

 風船を……それは、つまり。

 

「空洞? いや、手ごたえの無い……本体じゃ無い?」

「そうなんですか!?」

「お前の直感からの推測だ! だが可能性は高い!」

 

 アレが本体でない……虚像や案山子のような物であれば先ほどから感じている妙な手ごたえの無さにも説明が付く。

 別に本体を見せない怪異は珍しくも無い。民話の山姥等は本体が行燈と言う事も有るのだから。

 ならば、本体は? 

 

「家の内部……起きている現象的にもその可能性は高いが……」

 

 空間を閉じる程の結界。外からそれを張るとなると難しいが……内部からであればやりようもあるだろう。

 とはいえ、あくまで希望的な可能性の一つに留めておく。今の目標はここからの脱出だ。

 

「……もう一度時間を稼ぐ必要が有る。……末藤、空間の解除に何分掛かる?」

「……五……いえ、三分で!」

「三分か……分かった」

 

 そう言って俺は再度足を止め、女を見据える。

 と、隣で気配がした。見れば、天霧が立っている。

 

「……大丈夫なのか?」

 

 確かに天霧が協力してくれるならばそれだけ可能性は高くなる。だが、あの怯えようからして直ぐの復帰は難しいと思っていたが……

 

「大丈夫、では無いです。……だからこそ」

「死ぬつもりなら止めておけ。生きる気の無い人間がどれ程弱いかは知っているだろう」

 

 天霧はここで自分を切り捨てるつもりだ。確かに恐怖で足が竦んでいるような人間がこの状況で役に立つ事は無いだろう。

 それでも、生きるつもりの無い人間よりは遥かにマシだ。生きようとするからこそ、人に力は宿るのだから。

 

「天霧、お前は末藤と合流しろ。向こうでも何かが起きるかもしれん」

「……分かりました」

 

 遠ざかって行く足音だけを聞きながら、俺は女を見据える。

 が、内心では天霧の事を多く考えていた。

 

 天霧は本来中々に図太い人間だ。末藤のように堂々としたタイプでは無いが、柳のように折れず状況へ適応していく。

 それがあそこまで追い込まれる。それも、僅かに一瞬で。

 一体何を見せられたのか……それが恐怖となって俺の体を縛って行く。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

「恐怖を忘れる事は愚策。恐怖を乗り越えるからこそ強くなる、か」

 

 何かの本で読んだ一節を呟き、俺は女の真正面へと立った。

 その瞬間、女の手が伸びる。

 

「……なら今、俺はお前より強い」

 

 正しく恐れる。言葉では易く、行うのは難しい。

 未知を手当たり次第に恐れるのではなく、未知を見据え、そこにある物を恐れる。

 難しく、決して簡単な事では無いが……今、この女であればそれが出来る。

 

「お前は恐ろしい、どうしようも無い程に。……だからこそ、()()()()()()()()()()()()

 

 女の行動は何処までも周到で、徹底的だった。

 違和感を作り出し、配下を従え、罠にかけ、閉じ込め、弱った所を襲う。

 その徹底は……恐怖の現れだ。

 

「恐ろしいから対処する。恐ろしいから、油断無く。……まるで狩りだな」

 

 野生動物を最も恐れるのは狩人だとどこかで聞いた。曰く、出来る事を知っているから恐れ、対策を取るのだと。

 この女のしている事も同じだ。

 恐いから、恐ろしいから徹底的に俺達を倒そうとする。

 

「だが……それを乗り越えなければ強くは成れない」

 

 再び繰り出された手を身を逸らして回避する。しっかりと見据えれば動き自体は遅い。反撃等考えず、回避にだけ専念すれば簡単に避けられるだろう。

 

「本体はこの空間の中か? それとも外か、或いはそもそもその推測が的外れか……それは分からない。だが、お前は臆病だ」

 

 臆病で、慎重で……それは正しい事なのだろう。だが殆ど姿も見せず、閉じ込め、有利な状況でしか動かず、そのくせ有利になれば途端に姿を見せる……それはただ、恐がりなだけだ。

 ゆらり、と首に絡みつこうとしてきた縄を避ける。女から視線は外さない。恐怖から逃げては駄目だ。見なければ。見続けなければ飲み込まれる。

 と、声が響いた。同時に何かが割れるような音が響き……周囲の雰囲気が一転する。

 

「……やったか、末藤」

 

 遠くで聞こえる歓声と、急激に明るくなっていく雰囲気に成功を確信する。

 見れば、眼前の女は揺らぎ、今にも消えていきそうだ。

 しかし、油断は出来ない。

 

「なら合流しないとな」

 

 今にも消えそうな女には近づかず、末藤の元へと走り出す。玄関の外で手を振る二人の姿がどこか光り輝いて見えた。

 

 

「どうだった?」

「外に有った以外は特に変わった物じゃあ無かったです。天霧さんも手伝ってくれましたし……」

「末藤さんだけだとミスをしそうだったので」

 

 もー、と呟く末藤と笑みを浮かべた天霧の表情からすっかり普段の調子に戻った事を実感する。

 しかし、まだ油断禁物だ。

 

「二人とも、まだ気は抜くな。何も解決はしていない」

「そうでした!」

「……そうですね」

 

 まだ屋敷から脱出しただけ。相手への打開策を見つけた訳でも、何か解明した訳でも無いのだ。

 ……だが収穫は存在した。ここからは反撃の時間だ。

 

「末藤、出来る限り感知を限界まで行ってくれ。あの女が近づけば直ぐに離れる。

 天霧、お前は安全の確保を。道中は結界を張りながら進んでくれ」

「了解です!」

「分かりました」

 

 パン、と手を叩き気を引き締め、俺達は再び家へと踏み入るのだった。

 

 今度は女は姿を見せず、異様な気配に襲われる事も無い。しかし気を緩める事はせずに俺達は家の中を調べ回る。

 一度目は撤退、先ほどの二度目では対処に気を取られて家の捜索は満足に行えていない。外で調べて手掛かりは得られなかったが、家の内になら何か有る可能性は高いだろう。

 そう考えて俺達は……天井裏を漁っていた。

 

「……天霧、何か手掛かりになりそうな物は見つかったか?」

「今の所は……ただ、見つかる物全部かなり古いです。これなんて江戸時代の本ですよ」

 

 天霧がカビと虫が巣食った本をバタバタとはためかせる。その度に埃が舞い思わず俺は口を覆った。

 と、同時に一つの違和感が浮かび上がる。

 

「……幾ら何でも綺麗過ぎやしないか? 江戸時代の本だろう?」

 

 流石に本の保存期間などのような知識は持たないが……江戸時代となると200年以上は前だ。紙の本が原型を留めているとは思えない。

 

「確かにそうですね……そうなると、この家は結界になっているのかもしれません」

「時間の流れを遮る程の物か? 例えそうだとしても、何でわざわざそんな物を……」

「もしかしたら、執着が有ったのかも」

 

 ドタバタと埃を立てながら末藤が近寄ってくる。……良くここまで真っ白で平気だな。

 

「執着?」

「はい。家に在る物……それか、家自体に執着していて形を残そうとしている、とか」

「可能性としてはあり得ますね。この家、相当古い筈ですし補修もそれ程されていないようなのに、壊れている場所とか殆ど無いですから」

 

 言われて辺りを見渡せば、埃こそ積もりに積もっているものの屋根裏の床にはヒビ一つ無い。持ち主が手入れをした痕跡すら無いと言うのは明らかに異常だ。

 

「となると、この家を相当大事にしている事になるが……その場合何故人を呼び込んで殺しているんだ?」

 

 入った者を殺す、ならまだ分かる。解せないのはわざわざ呼び込んでいる事だ。大事にしているのに外部の人間を呼び、首を吊って殺す。……矛盾している。

 しかしその疑問は末藤の言葉で解ける事となった。

 

「……もしかして、人を、食べてる、とかですかね」

「……あり得るな。あの力だ、相当取り込んでいる可能性が高い」

 

 怪異が人を食べる、或いは取り込む。

 本来どんな形であれ死者よりも生者の方が強い。にも関わらず霊障等が起きるのは……一重に、そんな事を起こす霊が強大だから、という事に尽きる。

 その場合他の霊を取り込む事や何らかの儀式、或いは末藤の言ったように人を取り込む事で力を増している場合が多い。

 

「ただ、活動が二三年前から何ですよね。人を取り込むような事をするには唐突な気が……」

「不足分だけ補えれば良かった、としたらどうだ? 元々家の守護以外に頓着が無いとして、力が無くなった時だけ活動していたとしたら……」

 

 記録に残る限りでこの家が噂に上って来たものが二、三年前。では、もっと前はどうだろう。二十年も前なら噂が記録に残る事は無いだろう。以前も家を維持する力が無くなる度に人を食っていたとしたら辻褄が合う。

 

「けど、そうなると何も見えないのが引っかかりますよね。そんなに執着しているなら何か感じる筈なんですけど……」

「確かにそうだな……他の幽霊からも、あの女からもまともな思考が一切読めなかった」

 

 これが何か、大きなヒントになっている気がする。

 現状としては、家には保存の結界が存在する。ここの霊は人を食って力を付けているが、その割に活動は消極的。そして、人間らしい考えが見えない。

 何か、何か歯車が合えば一瞬で答えに辿り着くことが出来そうな気がするのだが……

 

「まともな思考が読めない……つまり相手は考えを持ってないって事ですかね?」

「そんな物居るのか? どんな形であれそこに形として残って居る以上、何かしらの意思のような物は有る筈だが」

「長い年月が経ち過ぎてすり切れた、と言う可能性はあり得ますが……」

 

 恐らく答えは今までの情報の中にあるのだ。だが、それだけがピントがズレたように見えない。一体何が足りない? 何を思い違えている? 

 

「うーん……それじゃあ、そもそも人間じゃ無い、とかはどうです?」

「人間じゃ、無い……」

 

 末藤の言葉に意識に何かが浮かぶ。何だ? 何が引っかかった? 

 焦燥だけが鮮明に表出する。肝心の確信に辿り着かない。既に真実は見えていると言うのに! 

 人間では無い何か、長い年月、考えを持たない──

 

「……付喪神?」

「それだ!」

 

 天霧の言葉に思わず声が出る。

 付喪神。長く使われた道具等が意思を持ち、動き出した物。怪現象を引き起こす事も有れば、御利益を齎す事もある。

 そして、今回付喪神に成った物は……家だ。

 

「……この家自体が、付喪神?」

「そんな例あるんですか?」

「無い。俺の知っている限りでは。……ただ、可能性は高い」

 

 この家は古い、それも尋常でなく。だが持ち主である依頼人はその事を余り認識していなかった。精々、やや古い家と言う程度だ。だが実際には江戸時代の書物が屋根裏から見つかる程古い家だ。

 その認識の差は、この家に古びている、と言う印象が無いからだろう。

 壁や天井に汚れや埃は有っても破損は無い。床も軽く掃除しただけで新品同然、造りの古さや汚れを除けば新築と言っても過言では無いだろう。その理由は一つ、この家自体がその状態を維持していたのだ。

 

「人を誘い込んでいたのもこの家でしょうか?」

「恐らく。首を吊る、と言う死に方限定なのは……この家が学習した人の死に方がそれだったんじゃ無いか?」

 

 家の中で死ぬ方法等限られる。増してや今より古い時代の平屋だ。人が死ぬと言えば、老衰や病死、そうでないなら……自殺、それも首吊り位だろう。

 

「あの人達は……家の犠牲者ですかね」

「首を吊られた状態の方はそうだろうな。……そしてあの女は、元の持ち主だ」

 

 この家が記憶している人間。それはこの家を長く使った者であり、それは持ち主以外あり得ない。

 

「……なら、ここからは」

「この家自体を祓う。大仕事になるが……出来ない事じゃ──」

 

 ない。そう続けようとした言葉は、末藤の叫びに遮られた。

 

「来ます!」

「天霧!」

「開けてます!」

 

 確認と同時、揺らめくように出現した女から飛び退り、天井裏に入った時の扉に飛び込んだ。

 どすん、と着地の音が鳴るがもたもたしている暇は無い。天霧が飛び降り、その後ろから末藤が。見事に着地した天霧は良いとして、尻から落ちてのたうち回りかけた末藤を引き起こしその場を走る。

 

「どうします!?」

「核を探す! 家自体を見てな!」

「見れるんですか!」

「相手が分かっていればやりようはある!」

 

 止まっていた歯車が回りだした感覚がある。いつも通りだ。なら、話は速い。いつも通り、視るだけだ。

 視界を切り替える。視る対象は、家その物。途端、周囲を暗黒に包まれた……

 

 

「……やはりここか」

 

 暗い。一寸先は闇、と言うが……これは違う。単に、俺が視る物を間違えているだけなのだ。

 

「生命が有った物を視るのと感覚が違う……当たり前の事だな」

 

 この暗闇も三度目だ。そこまで視れば、慣れる。

 一歩、足を踏み出す。ここは暗闇だ。だが、同時に家の中でもある。間取りは把握した、なら……

 

「あった」

 

 光が見えた。それは、この家の核……最も大事にしている場所だろう。それを確認して、元の視界に戻る──

 

「……何分だ?」

「五分程です!」

「女は?」

「ゆっくりと……でも、しっかりと追ってきています!」

「そうか……こっちだ!」

「「はい!」」

 

 二人を先導して走り出す。光の視えた場所は、庭。そこにこの家の核が有る! 

 辿り着いたの飛び石の一つ、確かにそれは暗闇の中で光り輝いていた。

 

「これを掘り出す、天霧、手伝ってくれ」

「分かりました」

「じゃあ私は警戒しておきます」

 

 そうして俺達は埋まった飛び石を掘り出しにかかる。道具等は持っていないが、元々体力に自信はある。加えて天霧等は術で簡易的に身体能力を上げられる。余り苦労せずに作業は進む──

 

「来ました!」

 

 末藤が叫ぶ。間に合うか? 間に合ったとして、この家を祓うだけの時間は有るか? ……不安は場の勢いで押し流す、一瞬の気後れが命取りだ! 

 既に八割が露出した石を、渾身の力で引き抜き……強引に地上へ転がしたそれは、確かな存在感を俺達に伝えて来た。

 

「要石?」

 

 天霧が呟く。俺も脳内にその言葉が浮かんだ。

 要石──地震を鎮め、日本を支えると言われる幾つかの神社にて祀られている霊石だ。当然、この家にそれその物がある筈は無い。ならば、俺達が感じたのは……役割だろう。

 この石には、この家に降り注ぐ災いを鎮める願いが込められている。由来は分からないが、何処かの霊山から持ち込まれた物かもしれない。

 そして、今起きている事はその暴走だ。祀られず、家に住む者もおらず、ただ家を守ると言う願いだけが一人歩きしている。

 

「末藤、来れるか!?」

「はい!」

「この石だ! この石が核になっている! 鎮めてくれ!」

「分かりました!」

 

 こちらに駆け寄る末藤と入れ替わりに、俺は女の前に出る。……近い。

 ゆらり、ゆらりと大げさな挙動でこちらに近付いて来る。だが、歩みは遅い。そして、俺の目の前で、止まった。

 それを見る。……恐ろしい筈だ。

 単なる空洞、単なる再現。感じる恐怖は、精巧な人形の物にも似ている。……だが、分かれば恐れる事は無い。

 背後で末藤が祝詞を唱え、石に触れた直後、周囲一帯の重苦しい気配が急激に霧散した──

 

 

「……終わったな」

「そうですね……末藤さん、大丈夫ですか?」

「はい! 夕さんも、昼間さんも大丈夫そうで良かったです!」

 

 ははは、と俺達は笑いあう。……そこに、ピシ、と音が響いた。

 

「何だ!?」

「まだ何か!?」

「……いえ、家です!」

 

 ピシ、ピシ、と音が続く。それは家が軋む音であり……崩れる音だ。

 ガタガタと屋根瓦が剥がれ落ち、バキ、と柱が折れ粉塵が舞う。それどころか一部では風化が始まっている。

 

「……この家、一体いつから建っていたんだ?」

「分かりません。江戸時代も、残って居た記録で一番古い、というだけだったのかと……」

 

 幾ら手入れをしていないと言っても二百年程度で石は風化しない。それこそ、ここまでになるのは千年は必要なのでは無いか。

 

「この家、それだけ大事にしてたんですね」

「だな。……ただ弱ったな、依頼人にどう言えば良いんだか」

「……素直に言えばどうです?」

「除霊の結果家が消えましたって? 誰だって怒り散らすと思うけどなあ」

 

 少々、今後の事に頭を悩ませながら俺達は帰路への一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 ばたんと天霧が倒れた。

 

「? 天霧、どうし──」

 

 

 

 

「在」

 

 白装束を左前に着た、女が目の前に居た。

 

「は?」

 

 いや、待て。

 

「何が、おい」

 

 どうなっている? 何故コイツが? 家は祓ったぞ? 

 

「阿」

 

 理解の追いつかない俺の前で、女は倒れた天霧に近付いた。待て、止めろ……そんな常識的な行動さえ取れない。

 ぐちゃり、と嫌な音。そして鮮血が飛び散った。

 

「あ?」

 

 ぐら、と視界が傾く。何が起きた? 何が……天霧はどうなった? 

 

「っ! 昼間さん!!!」

 

 どんと体が突き飛ばされる。見れば、目の前に女が来ていた。

 気付かなかった。理解できなかった。理解したくなかった。

 

「末……藤……」

「昼間さん! 間違えました! コイツは、コイツは……違う!!」

 

 違う。何が……推測が? 

 家の作り上げた家主の幻では無かった? いや、そもそも()()()()()()()()()? ()

 何だ、それは。

 何も関係の無い、強大な霊がたまたまあの場に居たとでも言うのか? 

 それは、もう……悪意、としか……

 

「昼間さん! 本山へ行ってください! ここは、抑えます!!」

 

 末藤が叫ぶ。それは……つまり。

 

「っ! 必ず戻るぞ!」

 

 そう叫んで、走る。

 想定は全滅。だが、今、俺が逃げれば……一人だけは生き残れる。

 末藤はそう判断したのだ。そして、あの場で残るのは祓いが不得手な俺では無く、得意な自分である、とも。

 本来それは俺が下すべき判断だ。死も、覚悟していなかった訳では無いのに、乱れてしまった。

 走る。背後に気配は無い。

 本山は遠い。だが、遅くとも一時間とかからない。

 電車を乗り継ぎ、バスとタクシーを使い……俺は本山に辿り着いた。その間、ずっと経文を唱えていた俺は相当奇異に見られた事だろう。

 門を駆け抜け、扉を開き……赤が出迎えた。

 

「……」

 

 赤、赤、赤。一面の赤。

 空和尚の居た部屋は血みどろであった。

 部屋の中央には、肉塊。一人分では無い。少なく見ても、三人は……

 

「……誰か、誰か! 居ないのか!」

 

 返事は無い。質素な寺ではあるのだが、界隈では有名な場所だ。修行僧等が常に出入りしている筈なのに。

 ……いや、そもそも、先ほどの門で止められたか? 幾ら顔だけで通れるとは言え、いきなり走ってきた人間を素通りさせるのか? 

 辺りは不気味な程静かだ。誰もいないかのように。

 

「冗談だろ? 全、員?」

 

 俺では到底及ばない力を持っている人達の筈だ。そんな人が数多く居た。それが? 

 

 唐突に、ごとんと音が響いた。何かが落ちてきていた。

 末藤の、頭だった。

 

 そこで記憶は途切れている。

 

 

 

 どこをどう走ったのか分からない。交通機関を利用できるような精神状態では無かった筈だ。

 だが、気が付けば、俺は……無表情な女の前に座り込んでいた。

 

「事情は把握しました、こちらで引き受けます。代金は……三千円で」

 

 言われるがまま、財布を開き女──千桜四石と名乗っていた筈だ──に金を渡す。

 

「それではお帰り戴いて結構です。さようなら」

 

 その言葉を背に、扉がしまる。

 ……数年前から界隈の噂に上る事がある。

 曰く、何処もが匙を投げた依頼を安々解決した。曰く、女一人。曰く、料金が余りに安い。曰く、三つの名前を持つ。

 

「……三千屋敷」

 

 気力無く、俺は、家を、出る、の、だった。

 

 

 

 

「……ふむ」

 

 千桜四石は考える。

 今回持ち込まれた依頼は相当に厄介な代物だからだ。

 

「……悩むなんて珍しいわね。ヤバい相手なのかしら?」

「ええ、まあ。ただ悩んでいる理由ですが……」

 

 そう言って、千桜は姿を見せた姦へ向き直る。

 

「今回私一人でやってみます。貴女達二人は手出し無用と言う事で」

「……良いけれど、死ぬと思うわよ?」

「私が死んで不都合が?」

「無いわ。それじゃあ、引っ込んでおくわね」

 

 ズルズルと蛇体をのたくらせ姦は部屋の奥へ消える。その一方で、666が虚空より出現した。

 

「えー? お休み? 折角準備したのに!」

「良い機会だと思ったらどうです? 私との契約履行のチャンスでしょう?」

「千桜を殺すのは私が良かったなー」

 

 そう言って666は消失した。

 後に残された千桜は椅子に座り、背もたれに体を投げ出して考える──ゴボ、と彼女は血を吐き出した。

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