One-way Spiral Staircase   作:まりも@tks55kk

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19-Role【役割】

 ミノトに傷の手当てを受けるアヤメの目前で、リオレウスに破壊され尽くした通路を忙しなく埋めていく里守達。これで泣いても笑っても、拠点と砦を繋ぐ出入口は一本になってしまった。控え目に言っても不安しかない。再度モンスターに拠点への侵攻を許してしまえばもう凌ぎ切れないので致し方ないが、ここへリオレウスを呼び込んでしまったのは他でもない自分だ。もう少し上手くやれなかったものかと振り返りはしてみるものの、より良い案は危機を退けた今も何一つ思い浮かばない。

 

 徐々に狭くなっていく通路の外からは、戦闘の音が絶え間なく聞こえる。ヌシ・ディアブロスの咆哮、速射砲の射撃音、ラージャンの気光ブレスが地を抉る音、里守の悲鳴、風を斬る剣の音。拠点を揺るがす轟音の数々は、過ぎた事を悔やむアヤメを、「戦争に最善など在るものか」と嘲笑っているようだった。

 

「……ありがと、ミノトさん。あとは自分でやるよ」

 

 何かしていなければ気が紛れない。後頭部から背中にかけて負った傷の応急処置が済んだところで、アヤメは居ても立ってもいられず、ミノトにそう申し出た。

 

「大丈夫ですか」

「うん。外の応援に行ってやって」

「……」

 

 手際良く包帯をパチリと裁断しつつ、ミノトが外の様子とアヤメの手当て、そしてヒノエの見守りを天秤に掛けて沈黙する。

 本人の談通り、今日のヒノエは落ち着いているようだが、一度あの荒れ狂う共鳴を目にしてしまっては、ミノトが姉から離れることを躊躇うのも無理はない。共鳴の元凶は確実にこの砦へ接近している最中、「共鳴の強さと物理的な距離は比例する」というゴコクの仮説を信じるならば、いつまたヒノエは自我を失って自他を見境無く傷付ける龍の傀儡となってもおかしくないのである。無論、アヤメもそのリスクは承知しているが、今は、貴重な戦闘要員を悠長に留保してはおけない。

 それは、人一倍責任感の強いミノトも理解していることだ。里を守る使命と姉への敬愛の狭間で揺れ動くミノトを、側で見守っていたヒノエがじっと見つめた。

 

「ミノト」

「……」

 

 凪いだ湖面のように柔らかく落ち着いたヒノエの声。その一言でようやく、ミノトは傍らに備えていたランス一式をゆっくりと手に取って立ち上がり、アヤメに深々と頭を下げた。

 

「――姉様を、お願いします」

「うん」

 

 迷いを振り切って顔を上げたミノトの瞳は、悲痛なまでの決意を滲ませていた。代わってやれればどれだけ良いだろうかと胸が痛む。が、己の得物を己で叩き壊してしまったアヤメには、小さく頷いて力強く駆け出したミノトの後ろ姿を見送ることしかできない。

 

「ミノトの背中を押してくださって、ありがとうございます」

「いや……アタシが行ければいいんだけどね、申し訳ない」

「ふふふ。私もミノトも、里の皆さんも、アヤメさんの勇ましいお姿に励まされて、奮い立っているのですよ。そうご自分を責めないでくださいな」

 

 ヒノエが申し出てくれた治療を丁重に断り、自分で腕の火傷を手当てしながら、無意識に耳を欹てる。徐々にではあるが、モンスター達の騒乱は鎮圧されつつあるようだ。

 片っ端から倒しているのか撃退したのか、何れにせよ、砦内に留まるモンスターが減っているのは間違いない。ヌシ・ディアブロスだけが勢いを落とすことなく暴れ続けているのは、拠点の壁や地面から伝わる振動や怒りに狂った咆哮から察しが付くが、表にはカムラの里の安寧を背負って立つに相応しい、錚々たる面子が揃っている。決して悲観的になる必要などない。その、はずだ。

 

「……?」

 

 しかし、アヤメは眉をギュッと固く顰めた。

 何かがおかしい。胸が不穏な緊張に騒ぎ、迫り来る危機を感知した全身が総毛立つ。

 

 程なくして、拠点の中を通る空気の音と匂いが変わった。一本だけになった通路を鋭い風が吹き抜け、警笛のようにキリキリと鳴く。微細な小石や砂が崖壁から剥がれ落ち、砦に張り巡らされた櫓が軋む音が、洞窟状の拠点にまで響く。ヌシが起こす地響きとは明らかに別種の異変。アヤメの胸に押し寄せた不安と緊張は、弓を携えたままアヤメの背後で沈黙していたヒノエが苦しげに呻く声で、一挙に大きく膨れ上がった。

 

「……ううっ……」

「――ヒノエさん!? 大丈夫!?」

 

 立っていることすら叶わず膝を突くヒノエに、慌てて駆け寄る。彼女の自宅で起きた共鳴と乱闘を頭より先に身体が思い出し、アヤメは思わず身構えたが、ヒノエはなんとか持ち堪え、途切れ途切れながらも自分の意思で言葉を発した。

 

「怪我を、されている方を……急いでここへ」

「――!!」

 

 その言葉が意味する事を理解した瞬間、鳥肌が全身を駆け抜けた。考えている暇は、ない。

 

「……レイ、ヒノエさんのことお願い」

 

 一時も主から離れることなく傍らに控えていたレイメイの肩を叩いて短く告げると、レイメイはいつも通りに胸を張り、フンと鼻を鳴らして了解した。賢いこの子なら、何かあっても自分で状況を判断して、誰よりも早く呼びに来てくれるだろう。ミノトに託された傍からヒノエを放り出していくのは心苦しいが、彼女を守るためにアヤメがここへ留まるのは、ヒノエが望む事ではない。頼もしいボディーガードをヒノエの元に残し、アヤメは遮二無二拠点を飛び出した。

 

 通路から表へ出ると、砦に残っていたのはアヤメの想定通り、依然として荒ぶるヌシ・ディアブロスのみ。遺骸が見当たらないことから、他のモンスターはどうやら討伐される前に撤退したようだ。フゲン、ミノト、ウツシ、そしてイブキの四人がかりでディアブロスに応戦しているが、角竜の巨体が駆けずり回る度に巻き込まれる里守達を庇いながらの戦いに、苦慮している様子が見て取れる。その戦闘の狭間を、先程までは全く感じなかった、禍々しい暴風が吹き荒れていた。

 砦に押し寄せていたモンスター達は、本能で理解して退いたのだ。ここに留まっていては、無事では済まない、と。

 

「こりゃあ……ホントに急がないとマズそうだね……」

 

 足元にひっくり返っていた里守を助け起こしながら、アヤメは一瞬の逡巡の後、意を決して高らかに指笛を吹いた。丸腰の自分がわざわざ注目を集める行為が如何に危険かは分かっているけれど、一人では到底間に合わない。

 

 真っ先にウツシが、続いて音に敏感なディアブロスが反応してアヤメを振り返る。真っ赤に血走った角竜の視線に射抜かれて不覚にも一瞬足が竦んだが、ウツシがこちらへ飛んでくる背後で、すかさずミノトがアヤメ達とディアブロスの間に盾を構えて立ち塞がり、注意を引いてくれた。

 

「怪我人みんな連れて帰るよ。大将が来るってさ」

「……ついにか。了解!」

 

 合流するや否や、目も合わせず最低限の言葉のみを交わし、即座に二手に散る。自力で動ける者には避難を呼びかけながら、目に付いた負傷者を強引に小脇に抱えて、疾翔けで拠点へとんぼ返り。

 一人ずつしか運べないことに焦りを感じながら、ふと視界の端に入ったウツシに目を遣れば、彼はなんと一度に三人担いで平然と疾翔けしている。鉄蟲糸で自分の身体に里守を括りつけているようだ。一瞬なるほどその手があったかと思ったが、ウツシに縛り上げられたまま人の域を遥かに超越した高速で引っ張り回される里守達は漏れなく泡を吹き、揃いも揃って死んだような顔をしていたので、真似するのは止めた。

 

「はいっ! 手荒で済まないねぇ! よぉし次ィー!」

 

 拠点に戻るなり鉄蟲糸を解き、里守達を乱暴に放り出して再び救助へ向かうウツシ。気色を失った哀れな里守達は、投げ出されたままの姿で地面にへばりついてしまった。現状の救護要員としてはこれ以上ないほどに頼れる男だが、イブキに課していた訓練の過酷さと言いこれと言い、やはり彼には何か大切な物が欠けているのではないかと疑わざるを得ない。人を何だと思っているのか。

 ウツシに打ち棄てられた里守達の傍らに、アヤメも自分が助けた里守をそっと座らせる。疾風怒濤の運搬で白目を剥きかけていたウツシサイドの里守の一人が、目を回しながら露骨にぶーたれた。

 

「アンタはいいねぇ、大事に扱ってもらって……あーあ、私もアヤメさんがよかったわ」

「死ぬかと思いましたよ。ウツシさん、ホント加減がないなぁ……」

「日頃の行いだよ、なぁアヤメさん! ありがとな!」

「あ、うん……どういたしまして……」

 

 ウツシと共に息つく間もなく砦と拠点を数往復する内に、アヤメは里守の間で完全に当たりクジのような扱いになってしまった。里守を助ける度に株を暴落させていくウツシ、相対的に急上昇していくアヤメの人気。働きとしてはウツシの方が上なのになんだか気まずいので、里守回収の合間ですれ違う度にチクチクと説教を垂れて、状況の改善を試みる。

 

「ちょっとウツシさん、助けに行って殺してちゃ何してんだか分かんないじゃないか。もっと丁寧にさぁ」

「ははは! 大丈夫、里の皆だってこの日のためにしっかり鍛えてるんだ。あれくらいで音を上げたりしないさ!」

「上げてたよ」

「ウソ!?」

 

 本当だが、一人でも多く退避させたい今は、あまり強く責めるわけにもいかないのがもどかしい。無駄口を叩いている暇も本当はないのだが、ウツシの底抜けの明るさと強さには救われる気もして、アヤメは彼と行き違う度に嫌味を投げかけ、もっと優しく扱えと諌め、彼が担ぐ里守の意識が霧散していることをマメに伝え続けた。気は少し紛れたが、残念ながら、里守の待遇はあまり変わらなかった。

 

 何度目かの送迎を終えて大方の要救護者を引き揚げさせ、最終確認のために砦に戻ろうとしたところで、ついにレイメイがアヤメの防具の裾にかぶり付いて引き留めた。

 

「っ、どうした?……!」

 

 先に再出発したウツシの後ろ姿を見送りながら振り返ると、ヒノエが虚ろな表情で中空を見つめているのが目に入った。彼女が纏う感情の匂いが、重く、荒々しくなりつつあるのを、レイメイは敏感に嗅ぎ取ったのだ。今となっては最早、ガルクのような嗅覚を持たないアヤメにも、はっきりとそれは感じられる。思わず、ヒノエを力任せに抱き締めた。

 

『――対よ……対よ……』

 

 ヒノエの屋敷で聞いた、脳に直接語りかけてくるような、龍の声。共鳴。

 ついに、来た。

 

「……アヤメさん」

「んっ? ヒノエ……さん?」

「はい。私です、ヒノエです。申し訳ありません、混乱させてしまって」

 

 かと思えば今度はヒノエの声だ。以前と違い、共鳴が起きてもある程度は抑えることができるようになっているらしい。苦しげに顔を歪めながらも取り落としていた弓を拾い上げようとしているのを察し、アヤメが肩を抱いていた拘束を解いて弓を手渡すと、ヒノエはふらりと立ち上がり、一本残った砦への通路へと足を向けた。なんと外に出るつもりのようだ。一応ミノトからヒノエを託されている立場であるアヤメは、目を白黒させて慌てふためいた。

 

「行くならついてくけど……大丈夫なの? ヒノエさんは無理しなくても」

「ゼンチ先生のお薬でなんとか。皆さんと同じには難しいと思いますが、私も可能な限り加勢致します」

「お薬……? ま、マジ……?」

 

 いや待てどんなお薬だ。ゼンチは「策は考えている」と言っていたのでそれなのだろうが、効き過ぎではないか。ヒノエがヒノエでなくならないのは大変素晴らしいけれど、ここまで効果があると逆に怖い。

 

 でも――有り難かった。

 

「……分かった」

 

 自分でも笑えるくらいに、声が上擦った。不安定なヒノエを伴って戦線に戻ることについての不安や緊張も当然あるが、それ以上に、震える程の興奮で。

 

 新たに与えられた戦う術、ライトボウガンを破壊してしまった時点で、諦めるつもりだった。不器用なりにも精一杯役割は果たしたのだから、後は里の仲間達を信じて託し、自分は裏方での支援に徹するしかないだろうと思っていた。

 しかし本当は、自らの目で確かめたかったのだ。かつて故郷を壊滅に追いやり、今もまさにカムラの里を危機に陥れているその元凶。未知の古龍、『風神龍』イブシマキヒコの姿を。

 

「レイも。行こう」

 

 昂る胸を無意識にぎゅうっと抑え、前を行くヒノエの後を、相棒と共に追う。通路を出る寸前、泥濘とも粘膜ともつかぬ、ぬるりと強烈な生臭さが鼻腔を刺した。

 未だ見ぬ龍が確かにそこにいる。緊張と興奮で、心臓が出鱈目に暴れ狂った。

 

『対よ 疾く行合はむ 対は何処なりや』

『対よ 対よ何処』

『我 楽土が辻の淵とならむ』

 

 通路の出口に立ち尽くしたヒノエの口から、彼女の物ではない言葉がはらはらと溢れ出る。彼女をそっと押し退けて更に一歩前へ。開けたアヤメの視界一杯に、その異形は鎮座していた。

 

 違う。座しているとは言い難い。

 荒々しい狂飆を帯び、無数の歪な棘と鰭に覆われた全身をゆらりゆらりと揺らすそれは、逆さで宙に浮いていた。

 

「あれが……風神龍……!」

 

 アヤメが独り言ちた次の瞬間、神の名を冠した龍がその異形の口を張り裂けんばかりに開き、吼えた。生物の発する声と一線を画すその咆哮は、音に姿を変えた狂飆。常軌を逸した音圧と吹き荒ぶ威風に、アヤメは苦悶の表情を浮かべ、白銀の髪を掻き乱して耳を塞いだ。

 

『対は何処 対は何処――』

 

「……っ……」

「ヒノエさん!」

「大丈夫……大丈夫です……!」

 

 風神龍の声を代弁したヒノエが、身を折ってその場にくず折れた。嫋やかな手にギチリと筋を浮かべ、カムラの鉄で設えた弓を聢と握り締めたまま。駆け寄ったアヤメの耳に、血反吐を絞り出すが如きヒノエの呟きが、訥々と響く。

 

「……負けて、なるものですか……里を……護らねば……!!」

 

 流れ込むイブシマキヒコの意識に翻弄されながらも、強靭な意志でそれを抑え込んで自我を保ち続けるヒノエ。彼女の背を支えながら、アヤメは人智を遥かに超える『禍群の息吹』、そして奇しくもその異名と同じ名を持って彼に対峙するハンターの横顔を、只々無心でじっと見つめていた。

 

◇◇◇◇

 

 イブシマキヒコの咆哮を真正面から全身で受け止め、その音圧に踏鞴を踏んでよろめいたイブキを、すんでのところで隣に降り立ったウツシが抱き止める。一刻を争う状況下でウツシを愛弟子の元へと駆り立てたのは、彼女が思考の時間を必要としているに違いないという、師としての直感。それは極めて正しかった。

 

 支えてもらった礼も言わず、イブキは栗色の目を見開いて真っ直ぐにイブシマキヒコと向き合ったまま、何かを考えている。人間と自然の狭間に立つ小さな頭がフル回転する音が、今にも聞こえてきそうだ。

 ウツシは待った。頭より先に身体が動くタイプだと見られがちな愛弟子だが、実際には彼女が誰よりも物事を真摯に観察し、心を尽くして考え抜く人間であることを、ウツシは誰よりもよく知っている。故に、里に仇為す災いを前にして武器を取ることもせず佇む最愛の弟子を、ウツシは根気強く待った。

 

「ねぇ、教官」

 

 ようやく口を開いたイブキの声色には、僅かながら己を頼るような響きが混じっている。独立して以降、目覚ましい速度で成長を続けるイブキが、ウツシに直接的な狩りの手法以外について教えを請うのは久方ぶりのことだ。興味深いものを見つける度に何もかもを知りたがり、「教官、教官」と自分の後をつけ回していた幼い弟子の姿が脳裏に甦る。ウツシは思わず、隠した口許を綻ばせて答えた。

 

「何だい? 気に懸かる事があるならキミが納得するまで聞くよ。俺に教えられる事なら何でも教えるさ。なんたって俺はキミのきょ」

「人間もああなる?」

「……」

 

 いつもなら心底面倒臭そうな顔で吐かれる「要点だけ話せ」の一言すら省かれた。イブキが話の長い人間の扱いに長けたのは、他でもないウツシの功績である。

 

「……ははは。そう言えば、キミとそういう話をした事はなかったねぇ。うん、里に帰ったら話そうか」

 

 烈風が巻き起こす鎌鼬が肌をピシピシと刻む。それにも構わず考え続ける愛弟子の肩を抱きながら、ウツシは思い付く限り、里の仲間の名を並べた。

 ハモン。ワカナ。センナリ、スズカリ。ミハバ。もしかしたら、セイハクも。

 

「俺も、皆も、アイツの気持ちが少しだけ分かる。少しだけね。きっとキミにも、いつか分かるよ」

 

 全ての生物に――そして勿論人間にも備わる、『対』を求める本能。身を焦がすような恋、時に温かく、時に苛烈な愛、理性をいとも容易く押し流す狂おしい劣情。その一片を知るであろう里の家族達の名を連ねて、ウツシは微笑む。まだそのどれも知らないまっさらな愛弟子の心にも、それが宿る日が来ることを願いながら。

 

「アヤメさんはどうかな」

 

 イブキが唯一自分から挙げたのは、休業中ながらも未だ彼女の心の一歩先に立つ、上位ハンターの名だった。

 師としては少々悔しいが、おそらく今、イブキの心に最も近い人物が彼女であろうことは、ウツシも認めざるを得ないところだ。故にここでアヤメの名が出たことは納得できるものの、彼女が『どう』なのかは見当も付かない。勝手に想像するのも憚られるので、ウツシはくしゃっと目を細め、軽率に本人へ丸投げした。

 

「聞いてみればいい。キミが知りたいと言えば、アヤメさんはちゃんと答えてくれるよ。そうだろ?」

「うん」

 

 即答。いつの間にやら二人の間に育まれているらしい強い信頼に、ほんの少し妬けてしまう。しかしそれと同時に、なかなか他者と分かり合うことのできなかった不器用なイブキにもやっと『同類』の仲間ができたことを喜ぶ気持ちが、ウツシの胸を俄に満たした。

 それを心から喜べる師であるからこそ、ウツシはまたも人知れず微笑んだ。アヤメは確かにイブキの心を捉えている。彼女はイブキの数少ない理解者であり、イブキにとって最早かけがえの無い存在だろう。でも――たとえイブキ本人からはそう思われていなくとも、この子のことを一番分かっているのはきっと、俺だ。だって俺は教官だから。彼女の成長や進歩をこの世で最も喜べる、師なのだから、と。

 

「さて、愛弟子よ。アヤメさんの前に……まずはアイツと、一人で話してくるかい」

「いいの?」

 

 絶対的な余裕と自信を以てウツシがそう問い掛けると、イブキが初めてこちらを見た。子供のように輝いた瞳は、立場上言い出せなかった我儘を汲み取ってもらえた喜びと、純粋な好奇心で溢れ返っている。――嗚呼、可愛くて可愛くて仕方がない。

 これまで数々の弟子をハンターとして世に送り出して来たウツシが、彼女だけを今も『愛弟子』と呼んで憚らない理由。ウツシは、未知と対峙した時に最もキラキラと光り輝くイブキのこの瞳を、何にも代え難く愛して止まないのだった。

 

「ハハッ、最高に良い目をしてるね! 勿論だよ。キミなりのやり方で、アイツに聞きたい事はぜーんぶ聞いておいで。なぁに、他は何にも気にしなくていい。キミの後ろには、俺達がついてるんだから!」

「……!」

 

 にっこりと、ついにイブキが笑った。初めて翔蟲で空を駆けた時も、初めて狩り場で大型モンスターを見た時も、今よりもずっと幼かったこの子は、全く同じ顔で笑った。

 この笑顔のためなら、死んだって構わない。ウツシは半ば本気でそう思っている。

 

「……ありがと、教官!」

 

 弾かれたように駆け出した最愛の弟子が、背中に担いだ大剣の柄にようやく手をかけたのを見届け、ウツシは踵を返して、再び里守達の救助へ向かった。一刻も早く皆を避難させて、ヌシ・ディアブロスを抑えているフゲン達に加勢しなければならない。師として絶対に、愛弟子と龍の対話を邪魔させるわけにはいかないのだ。

 

◇◇◇◇

 

 地に崩れて共鳴の負担に耐えるヒノエを、荒れ狂う風から身を呈して庇いつつ、アヤメも考えていた。あの龍は今、どんな心情でいるのだろうか。きっとイブキもそれを考えているのだろうな、と。

 

 さすがに歳も歳なので、それなりの人生経験はあるつもりだが、あれほど異性に恋い焦がれたことはないような気がする。いや、モンスターなのだから、恋をしているわけではないのではないか。ヒノエはイブシマキヒコから流れ込む強い感情を「焦燥感」とも表現していたが、何だそれは。恋よりは欲情の方が近いだろうか。だとしたら、男の方がその辺はもう少し分かるのかもしれない。アイツも雄らしいし。ああ、いっそモンスターの言葉が分かればいいのに。不謹慎かもしれないけれど、ヒノエさんがちょっと羨ましいや――

 

 全く纏まらない思考を一通り巡らせた結果、無事に帰れたらとりあえず適当に里の男衆を捕まえて聞いてみようと決め、アヤメは龍の気持ちを考えることを一旦止めた。後々、大真面目な顔をしたイブキに「アイツみたいになったことあるか」と詰め寄られることになるとは、今のアヤメには知る由もない。が、アヤメも根本はイブキと似たり寄ったり、僅かに違うのは状況に応じた切り替えの早さだけなのである。

 

 不意に、ヒノエの口から声が漏れた。

 

『――散れ』

 

 あまりに明白で強い殺意に当てられ、全身の血が沸騰する錯覚に襲われた。

 ヒノエの精神からこんな言葉が出るわけがない。これは間違いなくイブシマキヒコの声だ。

 

「!!」

 

 攻撃が来る――そう考えた次の瞬間、何もない地表から複数の嵐が出現した。一つ、二つ、三つまでは見えたが、逆巻く暴風の洗礼を受けて砕け散った設備の残骸と砂埃で視界は遮られ、それ以上は数えられない。

 嵐は地面から生えてくるものではないだろう。アヤメは思わずひくりと唇を歪めて引き攣り笑いを浮かべた。めちゃくちゃだ。笑いでもしなければやっていられない。

 

「……ヒノエさん、ちょっと離れるよ。聞こえてる? ヒノエさん」

「は……はい……大丈夫です……!」

「ついてられなくてごめん。すぐ戻るよ」

 

 ピイッ!

 指笛を鳴らし、素早く馳せ参じたレイメイに飛び乗って駆け出した。砦のほぼ中央で紙切れのように瓦礫を舞い上げた竜巻の狭間に、ミハバとフクラが巻き込まれているのがチラリと見えたからだ。彼らは設備台の内側に潜り込んで修繕作業をしていたため、ウツシとアヤメが避難を呼びかける声が届いていなかったのかもしれない。

 縦横無尽に飛び交う木材の破片や岩盤の欠片を躱しながら疾風の如く駆け抜け、アヤメはミハバを、レイメイはフクラをそれぞれ瓦礫の下敷きになる寸前で拾い上げて、一目散に拠点へ駆け戻る。負傷しているらしいミハバ達は感謝の言葉を述べる間もなく先に悲鳴を上げたが、扱いが乱暴になった詫びは後回しだ。とにかく早く、速く、彼らを安全地帯へ運ばなければ。

 

 通路入口が目と鼻の先に迫った瞬間、ゾクリと、アヤメの背筋を強烈な寒気が走った。突如地面から風の柱が噴き出し、通路横の設備が粉々に砕け散る。ブレスの類いが飛んできた様子もないのに、何が何だか分からない。また地面から生えてきたのか?

 ふざけるなと憤りながら振り返ると、頭を下にした奇妙な姿勢のまま、イブシマキヒコが大きく背を反らしているのが見えた。胸部に備わった袋のような器官、『風袋』がみるみる膨らんでいく。あれは、息を吸っているのだろうか。だとすれば――マズい。

 

「翔んで!!」

 

 無我夢中で叫びながら、ミハバを抱えたままレイメイの背から飛び降りた。小柄なフクラだけならレイメイに任せられる。裏を返せば、人間二人が搭乗する状態での回避は不可能だという判断。何が来るかも定かではない中でのそれは、アヤメの経験則から引き出された勘でしかなかったが、オロミドロの時には外してしまったその勘も、今回は正解だった。

 

「伏せるよ!!」

「ぐああぁぁっ!!」

 

 アヤメに覆い被さられる形で地面に叩き付けられたミハバが、悶絶して再び痛苦の絶叫を上げる。傷の箇所や軽重を確かめるより先に、アヤメは痛がるミハバを力ずくで更にぐいと押さえ込んだ。直後、イブシマキヒコの口から吐かれた風のブレスが地に伏せたアヤメとミハバの頭上すれすれを薙ぎ払い、それをレイメイがギリギリのところで飛び越して躱す。まさに間一髪。

 

「ひぃっ……うっ、痛ェ……くそぉ……!!」

「……ごめん……あと少しだから、頑張って」

 

 息も絶え絶えに苦しむミハバに励ましの声をかけながら肩を貸し、レイメイが戻るのを待たずに彼をずるずると引き摺って拠点へ向かう。自力で動けない彼をどうにか通路に投げ込んだ頃には、身体的な疲労と冷や汗で、アヤメの背はぐっしょりと濡れていた。

 

 避けるのに精一杯で、ミハバの負傷に配慮してやることもできなかった。ブレスが通過した軌跡は見事な更地と化し、そこに在ったはずの設備や台は跡形もなく砕けて方々に散らばっている。もしもあのブレスが直撃していれば、防具を着けているアヤメはともかく、生身のミハバはあれらの設備同様、粉々になっていたかもしれない。一瞬でも気を抜けば自他の命が塵となる修羅場。アヤメも心身共にもうボロボロだが、極限まで高まった緊張は限界の線を押し上げ、痛みなどとうに麻痺させていた。

 

◇◇◇◇

 

 砦の中を隈無く薙ぎ払った神の風巻は、恐怖と憤怒に理性を支配されたヌシにも平等に襲いかかり、その破壊力を以て一層の狂気を誘発した。己が何と戦っているのかさえもとっくの昔に見失っているヌシ・ディアブロスは、つんざくような絶叫を上げながら闇雲に角と尾を振り回す。ディアブロスの巨体を盾にしてなんとかイブシマキヒコの攻撃をやり過ごしていたフゲンとウツシは、猛り狂うディアブロスの癇癪じみた暴走に巻き込まれ、風に舞う枯葉の如く、二人まとめて軽々と弾き飛ばされた。

 

「ぐうっ!!」

「ぬああァーっしまったぁぁーッ!!」

「里長、教官!?」

 

 下から上へ振り上げられたイブシマキヒコの尾を躱したイブキが、フゲンとウツシの窮地を察し、後ろを振り返る。助けに行こうかと一瞬迷ってしまったイブキの隙を、非情な風神龍の赤く血走った目は見逃さない。尾を振った勢いでそのままぐるりと縦に一回転したイブシマキヒコは、逆さに浮いた頭部を、己から注意を外したイブキのすぐ後ろで静かに止める。風神が「愚か者め」と破顔したことにイブキが気付いた時には、ぐわりと開いたその大口から圧縮された風の塊が射出され、咄嗟に大剣の刀身でガードしたイブキの身体を、遥か後方まで吹き飛ばしていた。

 

「うわあぁぁっ!!」

「イブキさん!!」

 

 どんがらがっしゃんと瓦礫の山に突っ込んだイブキの元へ、血相を変えたミノトが飛んできた。

 

「いっててて……油断したぁ……」

 

 助け出される前にイブキは自力で瓦礫を跳ね退けて起き上がったが、すぐには立ち上がれない。木々の破片や石で全身に細かな傷を負い、この一瞬で見るも無惨なボロ雑巾のようになってしまった。

 

「振り向くな!! 前だけを見ろ、イブキ!!」

 

 ヌシの相手をしながらフゲンが叫ぶ。

 

「集中だァ愛弟子!! 集中!! 集中!!」

 

 フゲンに続いてディアブロスに取り付こうとするウツシも、割れんばかりの大声を張った。二人とも、声はかけるがイブキには目線一つ寄越さない。

 

「里長とウツシ教官はわたくしが必ずお守りします。伝統と秩序を守るのは、わたくし達年長者の務めです」

 

 彼女らしからぬ早口で捲し立て、ミノトは鋭くも静かな瞳で真っ直ぐに、膝を突くイブキを貫いた。

 

「ですからイブキさん。あなた方の若い力でどうか、里の未来を切り拓いてください。お願いします」

「……分かった」

 

 同時に頷き、互いの役割を果たすべく散る二人。ミノトは後ろへ、イブキは前へ。それぞれが、今と未来を守る為に宙を駆けた。

 

「――待ぁぁてぇぇーっ!!」

 

 叫ぶイブキの声にはもう一片の迷いもない。関門を破壊しようと一心不乱に前進するイブシマキヒコ、それを追って上空へ疾翔けしたイブキが、飛翔の勢いそのままに、高々と掲げた大剣をイブシマキヒコの背中に叩き付ける。弾力性のあるゴム質の背鰭がばっさりと引き裂かれ、その切れ端が鮮やかな青い花弁となって砦に舞い散った。

 

「無視すんなっての!! まだ話は終わってないんだからね!!」

 

 着地してフンッと胸を張ったイブキが、鼻の頭に皺を寄せて無礼に怒鳴り散らす。

 ぎょろり。どこか無機質なイブシマキヒコの目が、神に楯突く恐れ知らずの若者を睨み付けた。

 

◇◇◇◇

 

 ミノトは前後から、フゲンとウツシに包囲されたディアブロスへ向かって翔蟲を放つ。すかさず鉄蟲糸を引いて槍を勢い良く突き出しつつ、後方に控えたウツシとディアブロスの間へ素早く割って入った。ミノトの槍の一撃はディアブロスの脚の側面をごっそりと削り取ったが当たりが浅く、ディアブロスは全く動じない。振り返りもせずに尻尾を一振り、ウツシ達が立つ後方を薙ぎ払う。衝撃に細い足を地面にめり込ませながらも、ミノトは盾でその攻撃を防いだ。

 

「ありがとうミノトさん!! ッしゃあいくぞォォー!!」

 

 ミノトが構えた鉄壁の陰からウツシがライゴウを蹴って飛び、空中でくるりと身を翻して、目にも留まらぬ速さでディアブロスの背に無数の斬撃を叩き込みながら、頭部へ向かって転がるように駆け抜ける。ミノトもそれを追って再びディアブロスの足元を翔蟲ですり抜け、二人はほぼ同時に、頭部側で単身陣取って太刀を振るい続けるフゲンの元へ集合した。

 

「ウツシ、ミノト!! 補佐を頼む!!」

「御意!!」

「お任せを!!」

 

 右へ左へと二本の角を振り回し、ちょこまかと邪魔をする矮小な生物達の抵抗をまとめて振り払わんとするディアブロス。フゲンはその軌道を正確に見切りながら流れるように太刀を振るい続け、一心に気を練り上げる。先端が掠めるだけでも人間の肉体を容易く粉砕する巨角を紙一重で躱し、鉄蟲糸でいなし、太刀筋で弾き、隙あらば力強い斬撃を繰り出し、集中力を研ぎ澄ます。要所要所でミノトの盾がディアブロスの猛攻を防ぎ、ウツシの双剣とオトモ達が足下を掻き回すことで足止めして、フゲンを全力でサポートし続けた。

 フゲンの燃えるような練気をその刀身に写した宝刀が、黄金色に輝く。極限に達するまで、あと二太刀、あと一太刀――

 

「ぬうぅんっ!!」 

「グルルルッ!!」

 

 フゲンが一際大きく太刀を縦に二振り。強力な攻撃と得物に練気を伝える型を兼ねる、気刃無双斬りがディアブロスの腹に容赦なく叩き込まれる。刀身がついに練気の臨界を表す深紅に染まった瞬間、カエンが放った大手裏剣が、厳重に弱点を守る頭殻と角を器用にすり抜けて、ディアブロスの眼球を直撃した。しかし片目を潰されても尚ディアブロスは怯まない。一際大きな怒りの咆哮を上げたかと思いきや、ぐいっと頭を下げた。フゲンは既に後方へ飛び退いている。

 

「退け!!」

 

 納刀して構えたフゲンの号令から、彼がディアブロスの突進を正面から迎え撃とうとしていることを察したウツシとミノトは、即座に左右へ分かれて距離を取った。

 突進とフゲンの迎撃、どちらに巻き込まれても無事では済まないことを、彼らは熟知しているから。

 

「――ゆくぞ」

 

 静かにフゲンが呟いた瞬間に土煙が上がり、フゲンとディアブロスの姿が一瞬、消失した。

 

 弾丸よりも迅く突き進むディアブロスと交差する刹那に放たれた、前方の空間全てを斬り払う一閃。それと同時に誰の目にも映らぬ速さで繰り出された数多の斬撃がディアブロスの全身を余す所なく斬り付け、ついにディアブロスはその巨体をぐらりと大きく傾けた。

 ようやく訪れた好機。決して逃すまいと、即座にウツシが独自に鍛え抜いた翔蟲達を一斉に放ち、ありったけの鉄蟲糸で以てディアブロスを拘束しにかかる。ウツシとディアブロスを囲む一帯の空間が、翠色に光る鉄蟲糸でびっしりと埋め尽くされた。しかし――

 

「捕まえたぞおぉ!! うおおぉぉぉーー……ぉぉおお!?」

 

 素っ頓狂な悲鳴を上げたウツシだけでなく、ミノト、そしてフゲンも、信じられないといった表情で目を見開く。

 

「そんな……!!」

「馬鹿な!? ウツシの操竜から逃れるだと!?」

 

 無理もない。時に複数の大型モンスターをも一挙に拘束する強靭な鉄蟲糸の網が、まるで蜘蛛の巣でも払い除けるかのように、ディアブロスの身震い一つで易々と引き千切られてしまったのだ。ウツシの群を抜いた操竜技術を知る者には俄に信じ難い光景だが、どれだけ目を疑おうとも、ディアブロスがそれをやってのけたという事実は変わらない。操竜に失敗して弾き飛ばされたウツシは、空中で受身を取ってひらりとミノトの傍らへ着地し、逆立てた髪をくしゃくしゃと掻き混ぜて苦笑した。

 

「お怪我は!?」

「大丈夫! ……いやはや、やるねぇ。さすがはヌシと呼ばれるだけある」

「……ウツシ教官?」

 

 妙に口調が軽い。ウツシの隠れた口許に笑みが浮かんでいる気がして、ミノトは思わず違和感に眉を潜め、彼の横顔を凝視する。

 ミノトの勘は正しい。ウツシは己の秘技を破られた直後にも拘わらず、不敵に微笑んでいた。

 

 教官の座に就いてからのウツシは、弟子達に成長の機会を与えるため、可能な限り補佐に回り、常に一歩退いて戦ってきた。しかし今この砦にいる最愛の弟子は、何人たりとも絶対に妨げてはならない重要な対話の最中である。ならば誰に遠慮する必要もない。教官の面を外したウツシの心は、久し振りに一介の狩人として全力で戦える絶好の機会に、激しく昂っているのだった。

 

「ふはははは!! 相手に取って不足なしだ!!」

 

 自由を取り戻したウツシとディアブロスが高らかに吠える。砦の空気をビリビリと震わす覇気を全身に浴び、フゲンも太刀を構え直してにこやかに笑った。

 

「いいぞウツシ、その意気だ!!」

 

 ドンッ! ドンッ! ドン、ドン、ドン!

 強敵を前に笑う猛者達の背を、太鼓の音とアイルーの雄叫びが更に押す。

 

「ニャアアァーーッ! みんなぁぁっ! イケイケ攻めるのニャァァァーーッ!!」

 

 ドドドドド……ドンッ!!

 

「さあ! もう一回行くぞォォッ!!」

「ミノト! 遅れを取るなよ!!」

「はい!!」

 

 デンコウが打ち鳴らす強化太鼓の音に鼓舞され、災厄を祓わんとする里の守護神達は、再び一斉に武器を掲げてディアブロスへと飛びかかっていった。

 

◇◇◇◇

 

 一方、アヤメが戻った拠点では、ハモンとナカゴが里守達に詰め寄られていた。

 

「バリスタさえ直してくれればまだやれるわ!」

「もう壁際だけでいい! 一基二基でもないよりマシだ!」

「お願いします! 俺達も里を守りたいんです!」

 

 少しでも設備を修復してほしいと誰かが言い出したのを皮切りに、皆が一斉に「戦わせてくれ」と大合唱し始めたのである。この日のために幼少期から鍛練を積んできた彼らの闘志は、絶大な力を持つ古龍を前にしても衰えることなく燃え続けていた。燃えるを通り越して大炎上の様相を呈し始めた里守達に気圧されつつ、ハモンが険しい表情でムンムンと唸る。

 

「むぅ……しかしな……」

 

 戦力は多いに越したことはない。それは司令塔であるハモンも心得ているところだ。里守達の悲痛な叫びの奥底にある「里を守りたい」という強い想いも十分に理解しているし、できることならばそうさせてやりたいのは山々。

 しかし、設備を直すのならば、戦う術を持たないナカゴを戦場に連れ出さねばならない。そしてそれにあたっては、無視できない大問題があった。

 

「あの……は、ハモンさん……アタシの武器は……」

「……見るか?」

「いや大丈夫、分かった。ごめん」

 

 里守の隙間からおずおずと顔を出して申し訳なさそうに尋ねたアヤメは、砦の地図の脇でハモンの手によってバラバラに分解されたままのライトボウガンをチラリと見遣り、即座に質問を取り下げて項垂れた。

 

 ハモンは直す努力はすると言ってくれたが、加工の道具も物資もロクにない状況で、あれだけ壊した物がそう簡単に直るわけがない。なにせ、元大物使いの膂力で以て先端をリオレウスの鼻先に叩き付けられたライトボウガンは、装甲の内側を通る銃身ごと捻じ曲がったのである。素人考えにも一から新たに造る方が早いのではないかと思う。いくら文字通りの火事場だったとは言え、何という馬鹿力だ。全力を尽くして職人・拠点・そこにいた全員を守り抜いたアヤメを責める者は誰一人としていないが、アヤメは自分で自分に呆れ果てていた。

 

 本来ナカゴの護衛役であるアヤメは完全な丸腰。代わりにその役割を引き受けられるだけの力量を持つ者達は、ヌシ・ディアブロスとイブシマキヒコの対処に出払っている。ヒノエはまだ拠点の入口外で通路を警備しているが、彼女はイブシマキヒコとの共鳴で不安定極まりなく、自我を保ち続けているだけでも称賛に値するという状態なので、とてもではないが他人を守りながら動き回るのは不可能だ。これでは、ナカゴを外に出すことはできない。アヤメもハモンも、そして実際には多くの里守も当然そう考えているのだが、当のナカゴは妙にゆったりと構え、唐突にぽつりと切り出した。

 

「ミハバもやられちゃいましたし、僕が死ぬわけにはいきませんよねぇ。だって……まだ『次』があるんでしょう? アヤメさん」

 

 アヤメとハモンの眉がぴくりと動き、里守達は息を飲んで黙りこくった。皆が一様に反応したのは、ナカゴの言葉に含まれる「次」という単語だ。

 

「……なんで?」

「アヤメさんの顔にそう書いてあります」

「……」

 

 自信満々に言い切るナカゴ。アヤメは考えが顔に出るタイプではないと自分でも思っているし、ほとんどの他人からもそのように見られているはずだが、レイメイとこの男の前ではそうでもないらしい。優れた鼻を持つガルクはともかく、人間に心を見透かされるのはどうにも癪だ。しかし、つまらないプライドで事を誤魔化している場合ではない。観念して一つ溜息を吐き、アヤメは里守達をぐるりと見回しながら、自身の見解を述べた。

 

「……少なくともアタシはそう思ってる。今いるアレを倒しても、『対』ってヤツがまだいるから……おそらく、次はそれが来る」

 

 シン、と、息巻いていた里守達は完全に静まり返ってしまった。外の荒れ狂い具合を考えればぞっとする話であるから、当然の反応である。

 既に砦は満身創痍、里の民も多くが傷付いた。目の前のヌシとイブシマキヒコを押し留めることにこれだけの犠牲を払っているにも拘わらず、まだ『次』があるなど考えたくもないと思うのは、アヤメも同じだ。沈黙しているハモンもきっとそうだろう。戦いたい、しかし戦う術がない、何もできぬまま里の危機を眺めているしかできない。誰もが絶望しかけている。

 只一人、ナカゴを除いては。

 

「でも、ここを切り抜けないと次も何もあったもんじゃありません。やりましょう、アヤメさん」

「……え」

 

 先程の「死ぬわけにはいかない」というナカゴの台詞が『次』を想定したものであることは明らかである。無論、それに異を唱える者などいない。にも拘わらずそれを平然と自らひっくり返すナカゴに、アヤメだけでなく、拠点内にいる全員が目を剥いた。

 

「やりましょうって……え、本気?」

「だって僕とアヤメさんしかやれる人いないじゃないですか」

「今のアタシを『やれる人』にカウントするの、色んな意味で大分ヤバいと思うんだけど」

「さっきみたいに危険を冒して僕を待ってくれとは言いませんよ。退却の判断は全面的に、アヤメさんにお任せします」

「……」

 

 つくづく呆れた男だ。皆が先の不安に囚われている中、ナカゴは今できる事だけを考えている。彼が語りかけている相手は最早アヤメ一人。アヤメと共にあの地獄へ再び乗り込む前提で話をしている。『行くか行かないか』などという頭は、端からこの男にはないのである。

 

「僕は作業に入ったら周りが見えなくなるので、退却の必要を感じたら、躊躇わずにブン殴っちゃってください。腕以外なら骨を折ってくれても構いません。アヤメさんなら、それくらいは素手でもできるでしょう?」

 

 相変わらずの呑気な表情で、ナカゴはサラリとそう言ってのけた。うっすらと細めた瞳の奥には、イブキやウツシ達、そしてアヤメ自身の中にも煌々と燃えるのと同じ、確固たるカムラの焔。その静謐な熱と光はアヤメにも飛び火し、萎えかけていた心に再び明かりを灯した。

 

「……さっき素手でライトボウガンぶち壊した人間にそれ言って、後悔しない?」

「しませんよ。ただ、命だけは助けてくださいね」

「腕もでしょ。……了解」

 

 ヘラッと笑うナカゴに向かっておもむろに拳を突き出したアヤメの唇も、自然と笑みを形取る。ナカゴがそこに己の拳をぐいと押し当て、特攻組の二人の合意形成は終了だ。呆れ気味にその様子を眺めていたハモンも、釣られるように笑みを溢して口を開いた。

 

「まったく、カムラの若者は揃いも揃ってとんだ酔狂者ばかり……ははは、頼もしい限りよ。さあ、そうと決まれば作戦会議だ。皆の衆、外の状況は」

「よっしゃあ! そう来なくっちゃ! さすが師匠!」

「うるさいよ。はしゃがないの」

 

 元気良く両手を挙げて喜び勇むナカゴを小突きながら、もう一度苦笑して頭を切り替え、早速具体的な計画作りに取りかかる。里守達も加わってハモンを中心に円陣を組み、各々が砦の中で見てきた光景を矢継ぎ早に報告していった。

 

「ヌシは闇雲に暴れてるだけだ。里長達が無事でいてくれる限り、わざわざ他を狙って攻撃はしてこないだろう」

「どこも狙ってない分、逆に動きが読み辛いのよね。やる事なす事とにかく速すぎるし、私は攻撃の範囲内にいたらガードできる気がしないわ」

「風神龍は関門の先へ進むことしか考えていない様子でした。私が見た時は、一人で相手をしているイブキさんさえ無視して関門に体当たりしていましたし」

「さっきはまだこの辺りの設備台は無事でしたよ!」

「ここのバリスタも多分まだ生きてた。端だから攻撃を受けにくいんじゃねぇか」

 

「こっち側には地上の設備台だけは残ってたけど、退避用の櫓が吹っ飛ばされてなくなっちゃったから、ナカゴくんは連れて行けない。リスクが高すぎる」

「仮に無理やり兵器を置いても、担当した人がいざと言う時にパッと逃げられないんじゃマズいですしね。じゃあとりあえず……最優先はこの辺からでどうでしょう?」

「うむ。動ける者はいつでも出られるよう、備えておいてくれ」

 

 情報を集約してバリスタを設置することが可能な設備台を洗い出し、それぞれの場所からの避難先を入念に確認する。誰がどこに付くかは立候補制。設備台下の通路はいつ破壊されるか分からず危険なので使用せず、外に出るのは自力で疾翔けによる移動や退避が可能な里守に限ることとなった。アヤメは自分が一人で全員を守り切るのは無理だと念を押したが、それでも戦いたい、それが自分達の役割だからと、手を挙げた里守達は力強く笑った。

 

 方針が決まり、若輩であることを理由に拠点へ残るよう指示されたヨモギに見送られながら、いざ出陣。ナカゴを連れて飛び出す前に、アヤメは懸念せざるを得ない存在であるヒノエに声をかけた。

 

「ごめんね、まだ当分は動き回らなきゃいけないみたい。もちそう?」

「設備の修復ですか。大丈夫です、慣れてきましたから。イブシマキヒコの挙動を直接見ていれば、少しは安定するようです」

 

 アヤメの後ろに控えたナカゴの姿を一目見て状況を理解したらしいヒノエは、構えていた弓を下ろしてにっこりと微笑んだ。

 

「共鳴が抑えられなくなりそうになったら、ヨモギちゃんに撃ってもらいます。私のことは心配要りませんよ」

 

 作戦の説明が必要ないことに感謝したのも束の間、ナカゴの「骨を折ってくれてもいい」を上回るヒノエの気狂いじみた言い分にアヤメは呆然とし、ヨモギは目を見開いて顎が外れる程あんぐりと口を開け、ナカゴは顔を背けてブーッと吹き出した。若者は酔狂者ばかりらしいが、竜人も大概ではないか。この里にはマトモなのはいないのか。

 

「……いやいやヒノエさん、冗談キツいって。そんな事させたらアタシがミノトさんにぶっ殺されちゃうよ。お願いしますって言われたのを置いてくだけでも肩身狭いのにさ」

「私ヒノエさんを撃つなんてできないからね!? お気を確かにお願いしますっ!!」

「麻痺弾や睡眠弾でしたら大丈夫ではないですか?」

「僅かではありますけど、状態異常弾も大型モンスターに物理ダメージを与えられる物ですから、ヘビィでヒノエさんを撃ったら身体に大穴が空くと思いますよ」

「あらまぁ、それはちょっと困りますね……」

「ぎゃーーっ!! ダメーーッ!! むりーーっ!!」

 

 大穴が空いたヒノエを想像して半泣きになってしまったヨモギを「撃たなくていい」と宥めつつ、アヤメはヒノエの肩をぽんと叩く。色々ツッコみたいが時間がない。ナカゴを自分の身体に掴まらせて翔蟲を取り出しながら、苦笑して言葉短にヒノエを励ました。

 

「……頼むから正気でいてね」

「ええ。アヤメさん達も、どうかご無事で」

 

◇◇◇◇

 

 イブシマキヒコとヌシの注意がイブキ達に向いている隙を突き、疾翔けで近場の壁際に残った櫓へ移動して、そこからは息を潜めて徒歩で目標の地点へ急ぐ。気配を消し、音を立てず、「ここには誰もいませんよ」と心の中で繰り返し呟きながら設備台を目指して歩く時間は、永遠にも感じられるほどに長い。しかし焦りは禁物。イブシマキヒコやディアブロスに敵と看做されれば、丸腰のアヤメとナカゴの命はない。

 気が遠くなりそうなくらいにゆっくり、ゆっくりと進んでようやく、拠点の通路とは砦を挟んで反対側の壁近く、地表に埋め込まれる形で設えられた設備台へ到着した。

 

「うぅーん、結構派手にやられてるなぁ……連射機構まで直すとなると、ちょっと時間がかかりそうです」

 

 空席のまま捨て置かれたバリスタの状態を確認したナカゴが、少し困ったように眉を垂らす。目的のバリスタはまだ原型こそ留めているものの、細かな故障を複数抱えているようだ。

 

「徹甲榴弾だけでも十分だと思うよ。イブキ達もバリスタの弾にまで気ぃ遣ってらんないだろうし……それならどう?」

 

 戦況を見ての判断はアヤメの方が長けている。お守り代わりの閃光玉とけむり玉を握り締め、イブシマキヒコ達の動向を観察しながらアヤメがそう言うと、ナカゴはその横顔を見つめてすぐに頷き、手早く修理道具を取り出した。

 

「分かりました、それでいきましょう。……では、よろしくお願いします」

「はいよ」

 

 ナカゴが纏う空気が再びスッと静かになり、一瞬にして極限の集中モードに入る。こうなれば彼はもう、多少声をかけたくらいでは一切動じない。モンスター達の目がこちらに向いた瞬間に、ナカゴの骨を叩き割ってでも退却するのがアヤメの役割。閃光玉を握る手に力が入り、額にじわりと脂汗が滲んだ。意図的に、しかも親しい人間に暴力を振るったことなど一度たりともないが、できるかできないかではなく、やるしかない。

 

「徹甲榴弾ね。ここに弾置いとくわ」

「ありがとう。無理しない範囲でいいから、他の所もお願い」

「俺はあっちの大砲に弾を詰めてくる。いいか?」

「うん、気を付けて」

 

 里守達も沈黙を守りながら、ナカゴの手を止めないよう、彼の退却と同時に戦い始められるよう、時折慎重にアヤメの判断を仰いでは粛々と準備を進める。ハンターでこそないけれど、彼らもまた里の精鋭であることに変わりはない。むしろ、全面的に庇護してやらねば秒で殉職するであろうナカゴよりも、戦闘面のみで見ればよほど頼りになる。一人ではないことが、今はとても心強い。

 

 そうこうしている間にナカゴが顔を上げた。その表情は明るい。どうやら無事、一基目のバリスタが修復できたようだ。

 

「次はあっちですね」

「ん。今なら行けるよ」

「もし余裕があれば、ついでにあそこの大砲も直します。あれならすぐ使えるようになると思うので」

「分かった。急ごう」

 

 ひたすら移動、修理、移動、修理の繰り返し。ナカゴの妙技によって凄まじい早さで甦るバリスタに意気揚々と里守が乗り込む。大砲の歪みを調整すると言ってナカゴが金槌で景気良く砲身をぶっ叩き始めた時には、砦中に甲高い金属音が響き渡って心臓が口から飛び出すかと思ったが、幸い、異常者の異常行動に気付いたウツシとオトモ達がモンスター達の注意を引いてくれたので、どうにか命拾いした。

 作業中のナカゴが周りを全く見ないことは承知していたが、いくらなんでも限度がある。さすがのアヤメも頭に来て、修理を終えたナカゴが次の移動のために仕事道具をまとめ始めた瞬間、遠慮なくボディーブローをかましてしまった。

 

「うぐぇっ!!」

「はぁー、やっと言える……ねぇ、馬鹿なの? アタシまで殺す気?」

「ずみまぜん、も、もうじまぜん」

「謝らなくていいから静かにして。……ったく……」

 

 まだ骨は折れていないようだ。耐久力が確認できてよかった。腹を押さえてダンゴムシになりかけたナカゴの尻をぺしんと叩いて「これくらいで痛がるな」と無茶を押し付けつつ、生き残っているバリスタへ向かう。作戦上はこれが最後。最も危険が伴う、イブキとイブシマキヒコが陣取る関門付近での作業だ。

 

「! ……こっちだよイブシマキヒコォ!! おぉーいこっち!! ほらほらァ!!」

 

 限界まで息を殺してそろりそろりと物陰を進み、関門の手前地表に位置する設備台へ接近するナカゴとアヤメに、イブキが気付いてすかさず声を上げた。

 

「ガウ! ガウッ!!」

「ニャンニャン! ピーピー! 龍さんこちらニャアー!」

 

 聞き分けのない子犬よろしく鳴き喚くカシワ、花吹雪を撒き散らして踊り狂うカガミと共に、不自然なほどのどんちゃん騒ぎをしながら、イブシマキヒコを可能な限り砦の奥まで誘導していく。気が利く後輩を持って助かった。関門に近付き過ぎてイブシマキヒコが暴れる度にその巨体の一部が関門を容赦なく打ち据えているが、今はやむを得ない。

 

 到着するなり、ナカゴがバリスタの部品を取り外し始めた。至近距離に荒ぶる風神を臨むこの場所は、此処彼処の強烈な旋風が砂や土石を巻き上げ続け、視界は極めて劣悪、呼吸にすら難を感じるほどの過酷な環境だ。それでも己の役割を果たし切るべく、ナカゴは細い目を更にぎゅうっと細めて、猛烈なスピードで作業を展開している。

 アヤメは彼の道具類が風に飛ばされぬように抑えながら、ひたすらじっと作業の終わりを待つ。このバリスタに搭乗する予定の里守が、徹甲弾を山と抱えて近くの櫓に身を潜めたのが気配で分かった。先頭に立って戦うイブキ同様、ここにいる誰もが、各々の戦いに必死で身を投じている。

 

 ――カシャン。

 

 ナカゴが取り替えた部品をバリスタに嵌め込む際に漏れた、小さな音。それに反応したイブシマキヒコが、イブキを叩き潰そうと振り上げていた前足をぴたりと止め、こちらを振り返った。アヤメがヒュッと喉を鳴らす。彼の挙動を凝視するあまり――目が、合ってしまった。

 

「ヤバ……っ!」

 

 ナカゴの襟首を引っ掴んで疾翔けしようとしたが、ナカゴは色を失ったアヤメの顔をちらりとも見ず、無言でガシッとバリスタを掴んで抵抗した。無意識だろう。この大馬鹿者。

 

「させるかあぁっ!!」

 

 ナカゴの骨を粉砕すべく、アヤメが全力で拳を握り締めた瞬間、イブキが間に割って入ってくれた。今の力み具合で殴れば勢い余って殺していたかもしれない。ナカゴは人知れず命拾いをした。

 

 かつてアヤメと共に狩り場を駆け抜け、今はイブキの手に渡った大剣が、アヤメ達に向けて放たれた風塊を華麗に斬り払う。それを見たイブシマキヒコはゆらりと宙で身をくねらせ、悉く邪魔を続けるイブキを咬み砕こうと、大型モンスターをも丸呑みできそうな口を一杯に開いて、がぶりと頭を突き出した。が、イブキは既にそこにはいない。翔蟲の力を借りて移動と納刀を同時に済ませ、アヤメの眼前で空振りに歯噛みする異形の咽頭顎が引っ込むよりも疾く、背後からイブシマキヒコの尾の先端を目掛けて飛び込む。その勢いで身体ごと振り回した薙ぎ払いで、尾を守る固い甲殻を見事に叩き割った。

 

「!」

 

 割れた尾の先端は宙を舞い、アヤメの視界の先でドスリと地面に突き刺さった。

 突如、最後にあの大剣と共に戦った夜、あの大剣でナルガクルガの尾を一刀両断に附した瞬間の記憶が、アヤメの脳裏に甦る。

 あの時の自分が繰り出したのも、薙ぎ払いだった。

 

「アンタの相手は! わたし!!」

 

 そう叫びながら、イブキはどっしりと両の脚をその場に踏ん張り、高々と大剣を振り上げた。尾を切断され、そこに備えていた風袋をも同時に破壊されたイブシマキヒコは、浮遊のバランスを崩して墜落しかけたが、腕を地面に引き摺りながらも堪えて持ち直す。己の背後に回ったイブキへ向き直ったイブシマキヒコの表情はアヤメからは見えないが、アヤメの視界を埋め尽くす異形の背鰭は、怒りに燃えて赤く染まっていた。

 憤怒に駆られた風神が身を翻し、反逆者へ向かって一直線に突進する。イブキは避けない。大剣を掲げたままギリギリと全身を逸らし、正面からその突進を受け止めようと待ち構える。イブキの目は、神の力を司る右腕の風袋、その一点を見据えている。

 あの夜のアヤメが命を懸けて、ナルガクルガの刃翼だけを見つめて構えたのと、全く同じように。

 

「うぉらあァッ!!」

 

 イブキの全身を満たす数限りない『意志』が乗った初撃が、風の権化の頭部を真っ直ぐに打ち据える。一切の迷いない剣閃に、イブシマキヒコが怯んだ。イブキは手を止めることなく、振り抜いて地に叩き付けた切っ先を支点に、ぐるりと身体を宙で捻る。

 

「パワー……全開っ!!!!」

 

 更に回転の勢いを利用して遠心力と全体重をフルに乗せた、重い重いとびきりの強力な斬撃。

 かつてのアヤメにも繰り出すことのできなかったその一撃は、狙った頭部中央を直撃し、奇妙に捻くれた頭角を粉砕して、ついに、風神の名を冠する巨龍を、その巨体に似合わぬ甲高い悲鳴と共に地へ沈めた。

 

「……っは……はは……」

 

 後輩が過去の己を超えた瞬間を食い入るように見つめていたアヤメの口から、笑いにも似た感嘆の溜息が零れた。胸が、身体が、どうしようもなく震えて止まらない。

 

 地に伏して踠く風神龍を堂々と見下ろすイブキの背中が、そこに背負われたかつての相棒が、輝いて見えた。

 あの子に託して、本当によかった。

 

「終わりましたぁ!!」

 

 任務完了の宣言をしたナカゴを振り返る。半ば無意識に彼の身体を引っ掴み、イブシマキヒコが倒れている間に疾翔けで退却しようと翔蟲を取り出すと、職人スイッチが入りっぱなしになっているらしいナカゴは、勢い良くアヤメの顔を覗き込んで、鼻息荒く早口で捲し立てた。

 

「イブキさんやりましたね!! チャンスですよアヤメさん!! せっかくなんで、アイツがひっくり返ってるうちにあっちの大砲も……あれっ? アヤメさんなんで泣いて」

「馬鹿言わないで」

「へぶッ」

 

 ナカゴの後頭部に鋭い手刀を打ち込んだのもほぼ無意識だった。私情が混じったのは認めるけれど、状況が状況なので言い訳の必要はないだろう。意識を刈り取られてくたばったナカゴが、自分の涙の記憶もついでに綺麗さっぱり失っていてくれることを願いながら、アヤメはナカゴの脱け殻を抱え、翔蟲を放ってその場を離脱した。

 イブキに「貴方の勇姿を見てアヤメさんが涙を流していましたよ」なんて告げ口されては困るのだ。短期間で成し遂げた素晴らしい成長への称賛も、アヤメが託した相棒を見事に鍛え上げてくれた感謝も、自分の口から伝えたかったから。

 

◇◇◇◇

 

 拠点の入口に着いて目を回したままのナカゴを放り出すと、ヒノエとヨモギが転がるように駆け寄ってきた。イブシマキヒコにあれだけのダメージを与えたにも拘わらず、彼の精神の昂りに心身の内側から掻き乱されているはずのヒノエは、未だしっかりと自我を保っている。安堵すると同時になんという意志の強さだろうかと舌を巻きかけたが、彼女の片手に食べかけのうさ団子が握られているのを認め、どうやらヨモギが機転を利かせたらしいことを察して、少し脱力してしまった。龍の共鳴すらも捩じ伏せるとは、恐るべしヒノエのうさ団子愛。初めからこうしていれば、ゼンチの怪しいお薬は必要なかったのかもしれない。

 

「ナカゴさぁぁん!? 起きて!! 死なないでナカゴさん!!」

「まだやるって言うからブン殴っちゃった。大丈夫だよ、死んでないから」

「あらまぁ……目を覚まされる前に、どこかに閉じ込めておいた方がよいでしょうか……――っ、う、……っ」

 

 ボトッ。

 うさ団子の串がほろりとヒノエの手から滑り落ちた。前言撤回。

 

「! ……また共鳴!?」

「うううっ……はぁ……はぁっ……」

「大丈夫! さっきから何回もしてるけどヒノエさん踏ん張ってるからっ! ヒノエさん! しっかり!」

 

 うさ団子だけで乗り切れるほど甘くはなかった。ヨモギに支えられ、押し寄せてきたイブシマキヒコの思念を追い払うように頭を振りかぶりながら、ヒノエが叫ぶ。イブシマキヒコではなく、自分自身の意志と声で。

 

「……凄まじい……破壊衝動が……!!」

「!!」

 

 ヒノエの言葉が終わらぬうちに、砦全体が揺れた。足下が大きくぐらつき、一同が一斉に膝を突く。続いて響いた奇天烈かつ暴力的なまでの轟音に耳を塞ぎながらアヤメが顔を上げると、関門前に信じられない光景が広がっていた。

 

 今まで逆立ちのような格好で浮いていたイブシマキヒコが、頭部を上にして天を仰ぎ、イブキに深く傷付けられた全身から血と殺意を撒き散らして絶叫している。その周囲には竜巻が立ち昇り、一つ一つが大型モンスターの体躯程もあろうかという無数の岩石を、地盤から削り取って巻き上げていた。

 アヤメの顔から血の気が引く。イブキは、どこへ行った?

 

 必死に暴風の向こうへ目を凝らすとようやく、地面に膝を突いて憎々しげにイブシマキヒコを見上げるイブキの姿が見えた。先程まではなかった傷が増え、遠目にも分かるほど大きく肩で息をしている。竜巻か岩石に巻き込まれて負傷したのかもしれない。

 それでも、イブキの瞳は燃えていた。果敢にも竜巻の隙間からイブシマキヒコに向かって翔蟲を飛ばし、浮遊する岩々の間を縫って接近しようとする。あまりに無謀だ。案の定、出鱈目に吹き荒れる烈風と神を護る巨石の壁に阻まれ、イブキはあえなく撃墜されてしまった。墜落地点にカシワが滑り込んでいなければ、地面に叩き付けられて無事では済まなかっただろう。

 

「アヤメさん!! 行ってください!!」

 

 呆然とその光景を見つめていたアヤメに向かって、ヒノエが再び叫んだ。

 

「――」

 

 一瞬、固まってしまった。

 行って、何ができる? 満身創痍で武器も持たない自分に、何ができる? 一体何が――できる事を探してぐるぐると高速で巡る思考は、答えを出す前に、脛を走った激痛で塞き止められた。

 

「痛ッ!」

 

 見れば、いつの間にか足下に控えていたレイメイが、鼻の頭にくっきりと皺を寄せ、アヤメの脛に齧り付いている。

 この顔は、極めて機嫌が悪い時の顔。「いいから走れ」、彼女はそう言っているのだ。

 

「……はは、オトモに喝入れられてちゃ世話ないね。ありがと、目が覚めた」

 

 牙を納め、「分かればいい」と言わんばかりにフンスと一際大きく鼻を鳴らしたレイメイの背に飛び乗り、次の瞬間には無我夢中で駆け出していた。

 

 何ができるかなど分からない。何もできないかもしれない。それでもとにかく走る。「走りたい」と叫ぶ心は確かにまだ生きている。その心を汲むように、レイメイの疾走はぐんぐん速度を上げる。何もできないと決めつけて、涙も流せずに泣くのは、もう嫌だ。

 

「今度こそ……逃がさないぞぉぉ!!」

 

 ウツシが展開した鉄蟲糸の閃光が、砦を駆け抜けるアヤメの視界の端で鮮やかに煌めく。カムラの里屈指の強者三人を相手に暴虐の限りを尽くして疲労が限界に達していたヌシ・ディアブロスは、強靭な鉄蟲糸に四肢を絡め取られてやっと脚を止めた。しかし、止まったのはほんの僅かな時間。拘束を振り解こうと再び暴れ出すディアブロスを抑え込むウツシの表情は、すぐに獣じみた様相を呈し始めた。

 

「ミノト!!」

「はい、姉様!!」

 

 拠点の入口付近から、麻痺属性の弓を構えたヒノエがミノトを呼んだ。共鳴に晒され続けている姉には一撃が精一杯であることを妹は即座に察し、大地を聢と踏み締めて、姉と同じ属性のランスをギリリと引き絞る。

 ドクン。一瞬、イブシマキヒコの思念を鉄の意志で振り祓ったヒノエの精神がミノトのそれと共鳴し、二人は一つの焔となった。

 

「気焔!!」

「万丈!!」

 

 一心同体となった姉妹最大の大技。離れた位置に立つ二人がディアブロスの前後から寸分の狂いなく放った光の矢とランスの剣閃に貫かれ、ウツシの鉄蟲糸を再び引き千切ったディアブロスはその場から歩を進めること叶わず、強力な麻痺に陥って身体を引き攣らせた。

 

「よくやった! オマエ達はカムラの里の……俺の誇りだ!!」

 

 里長フゲンが地を蹴って跳躍し、更に動きを封じられたディアブロスの翼を足がかりに、遥か上空へと舞い上がった。

 

「我らが焔の前にひれ伏せ!!」

 

 天から落ちる雷鳴の如く一直線に振り下ろされた継伝の刃は、ディアブロスの脳天ど真ん中を捉え、夥しい数の斬撃をそこへ叩き込む。

 里に仇為す百竜夜行、その群れを率いたヌシが、ついに力なく断末魔の呻きを上げて、ばったりとその場に倒れ臥した。

 

 ようやく終幕を迎えた激戦の傍らを脇目も振らず通り抜け、アヤメは未だ一人戦い続けるイブキの元へ。足下から吹き上がった旋風に巻き上げられて高々と空中へ放り出されたイブキの小さな身体を見据え、声も上げずにひた走る。

 

 何ができるかなど分からない。何もできないかもしれない。

 それでも、焔が胸の内にある限り、燃やせ。燃やせ。燃やせ燃やせ燃やせ。

 

 アヤメが熱に滾った全身に力を込めた瞬間、レイメイが跳んだ。初めてアヤメを乗せた日に見せた、オトモ広場の大木を易々と駆け上がる軽やかな跳躍、それよりもずっとずっと、遥かに高く。あの時に感じたレイメイとの縁に揺るぎない確からしさを覚えながら、彼女の背を踏み締めて、アヤメが更に跳ぶ。受身も取れず宙を舞うイブキに向かって、無心で疾翔けした。

 まだ走れる。まだ跳べる。できる事がそれしかないならば、それに賭ける。

 

 イブキの身体の向こうから、こちらに向かって岩が飛んでくるのが見えた。同時に、アヤメの耳許を小さな飛行物体が後ろから高速ですり抜けていく。風を切り裂く鋭い羽音は、操虫棍使いが操る猟虫のもの。名は確か、ドルンキータだったか?

 

「行けェェーーッ!!」

 

 折れた足の痛みごと吐き散らすようなハネナガの絶叫が何処か後方から聞こえ、迫る岩石をドルンキータの突撃が粉砕した。間違いなく飼い主より虫の方が強い。ドルンキータ最高。アヤメの胸が更に昂った。

 

 視界が拓けた。まだ跳べる。もう一匹の翔蟲をイブキに向けて放つ。ナカゴが命を懸けて修理したバリスタの徹甲榴弾が、里守達の想いを代弁するように低い唸りを上げて飛び、アヤメの行く手を阻む岩を爆砕する。里守達の声援を受けながら、鉄蟲糸を引いて風煙が立ち込める虚空を疾る。

 まだやれる。少しでも高く、僅かでも近く。

 

「――ワォォォーーーーーン!!」

 

 地表から主の動向を見上げていたレイメイが、吠えた。身体中の空気を、傷付いた己の過去を、繊細な鼻で嗅ぎ取ったアヤメの想いを、全て吐き出し切ろうとするように、長く長く吠えた。彼女が声を上げたのは、アヤメの元へ来て以来、初めてのことだ。その力強く美しい遠吠えが、空中で制御を失って為す術もなく自由落下するイブキに、ようやく互いの身体が触れるほどの至近距離まで到達した、アヤメの存在を知らせた。

 

 イブキが振り返る。目が合った。言葉など必要ない。

 互いが、役割を果たすのみ。

 

 イブキに肩を向け、限界まで速度を上げた疾翔けの勢いを利用して、空中タックルをぶちかますアヤメ。イブキは身を翻し、微塵の躊躇いもなくアヤメが突き出した肩を力一杯真下に踏み抜いて、跳んだ。

 

 グシャアッ!!

 

 己の肩をイブキの踏み台として提供したアヤメは、勢い良く頭から地面に墜落した。

 やり切った。衝撃も痛みも感じなかった。

 

「――ッああああああァァァァーーーー!!」

 

 アヤメを蹴落として、浮遊する巨龍よりも更に高く高く舞ったイブキが、大剣を頭上へ掲げてしなやかな身体を引き千切る勢いで捻り、渾身の溜め斬りを風神の脳天へ叩き込もうとする姿を、急激に暗くなっていく視界の先にうっすらと見たのが最後。

 地に倒れ臥したアヤメは心底満足して意識を手放し、ゆっくりと瞼を閉じた。

 




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◇◇◇◇

やりたい事を全て詰め込みました
おせち料理だと思ってください

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