One-way Spiral Staircase 作:まりも@tks55kk
夢を見た。
辺境の街の集会所で、ハンター達の喧騒に包まれて、アヤメはナルガクルガのクエスト受注書を片手に、食事を取っていた。未知の脅威に胸を躍らせ、逸る気持ちを抑えながら。
『アヤメさん』
後ろから、よく知った声に名前を呼ばれた。
はて? この街で会うはずはないのに。振り返ろうとしたら、もう一度。
「アヤメさん!」
「……んぁ?」
些か気の抜けた吐息と共にアヤメが目を覚ますと、ぺちゃぺちゃと温かく濡れた、柔らかい物が頬に触れた。レイメイの舌だ。続いて、夢で自分の名を呼んだ若き英雄の声と、熱烈な抱擁。
「……アヤメさん!! 起きた!! おはよう!!」
「!? いてっ、ちょっ痛いイブキ、いたたたた!」
「こら愛弟子! 嬉しいのは分かるけど離れなさい、怪我人なんだから!」
負傷した里守を糸で括り付けて振り回していた人間の言だとは思えない真っ当な説教をしながら、ウツシがアヤメに覆い被さってはしゃぐイブキを引っぺがしてくれた。
全身が激痛に苛まれている。横たえたままの身体は疲れ果てていて、起き上がる気力もすぐには湧かない。特に頭と肩が猛烈に痛んだ。水袋を包帯で括り付けられた頭は物理的にも重いし、意識も瞼もまだ重い。どうやら折れるだか砕けるだかしているらしい肩にはガッチリと添え木がされていて、上半身は自由に動かすことすらままなかった。
背中にゴトゴトと固い振動を感じる。自分は動いていないのに、周囲の風景はゆっくりと後ろへ流れていく。何がなんだか分からないままぼんやりしていたら、イブキとウツシが騒ぐ声に気付き、見知った顔がわらわらとアヤメの傍へ集まってきた。まだ頭がぼうっとして、状況が飲み込めない。
「おお、思ったより早かったな」
いつもの仏頂面に、明らかな喜色を滲ませたハモン。
「ゼンチ先生に診ていただくまではどうか安静に」
「ゆっくりしていてくださって大丈夫ですよ。このまま里までお連れしますからね」
身を起こそうとするアヤメを優しく押し留め、安堵の息をつくミノトとヒノエ。ミノトの目は僅かに潤んでいる。
「お腹空いてない? アヤメさんの分のうさ団子はちゃんととってあるから、食べられるようになったら言ってね!」
ぴょこぴょことウサギのように跳び跳ねながら、既にいくらか泣き腫らしたらしい赤い目を、にっこりと細めるヨモギ。
彼らは、アヤメがいる所よりも低い地面を自分の足で歩いていた。周りを目だけで見回せば、傷付いた兵器の残骸に取り囲まれている。ようやく、ポポが引く荷車の後部に自分が乗せられていることを理解した。
「えっと……?」
起きるなと言われたので、素直に寝転がったまま思考を巡らせる。何がどうしてこうなったんだっけ。百竜夜行の群れと戦って、なんかすごい走って――
「ごめんねぇー、思いっ切り踏んづけちゃって」
まるで反省していないのが丸分かりのイブキに謝られて、ようやく全ての記憶が繋がった。そうだ。空中に舞い上げられたイブキの足場になって、高空から蹴落とされたのだった。繋がりはしたが、記憶はそこで途切れている。激しく地面に激突して、意識を失ったから。それも思い出した。
つまり自分には空白の時間が、見ていない物がある。身を挺してイブキを送り出した先にいたアレは、どうなった?
「イブシマキヒコは?」
痛む頭を持ち上げてイブキに尋ねると、イブキは少しバツが悪そうに眉を顰めて目を逸らし、ぼそりと呟いた。
「逃げちゃった」
「……逃げた?」
シイカに肩を借りてやって来たハネナガが、おっかなびっくりと言った様子で天を指差し、肩を竦める。
「イブキに頭カチ割られて、悲鳴上げて飛んでったぜ」
「すーっと浮いたかと思ったら、あっと言う間に雲の上。それっきり、影も形も見えなくなってしまったわ」
「はぁ……? まだそんな元気あったのアイツ……?」
足が折れたと言っていたハネナガまでもが歩いているのに自分だけ寝ているのも落ち着かないので、イブキの手を借りながら、やっとゆっくり上半身だけを起こした。視界が広くなり、自分達の後ろをついて歩く別のポポ車の荷台に、青く透き通ったイブシマキヒコの鰭や歪な角の欠片が積まれているのが目に入る。今回の直接的な戦利品はあれだけのようだ。半ば反射的に「あれっぽっちか」と思ったが、すぐに考えを改めた。
今回の戦いは素材を得るための『狩り』ではなく、里の歴史と暮らしを守るための『防衛』だったのだ。周りの者の顔を見る限り、負傷者こそ大勢出したものの、誰一人として欠けた様子はない。ならば、それ以上の収穫を望むのは強欲というものだろう。
里の皆の表情は総じて明るかった。長年にわたって里を苦しめてきた百竜夜行の元凶の正体が判明し、更にはそれを討伐には至らずとも撃退できたとあらば、当然の事だ。まだ抗える。自分達の代で災禍の歴史に決着を。確固たる自信と熱気が、緩く隊列を組んで里へ向かう皆の表情や足取りには満ち満ちている。
その中でも特に、フゲンとハモンは明らかに上機嫌だ。それはイブシマキヒコ撃退の快挙だけが理由ではないようだった。ハモンの目論見通り、フゲンは既にアヤメの拠点での勇姿を見逃したことをしきりに悔しがっている。帰ったらアヤメの慰労会と称した小規模の酒宴をやると言って聞かない。そういう趣旨ならば主役は割と重傷の怪我人なのだが、彼らはそれをすっかり忘れる勢いで、アヤメの再起を心から喜んでいた。
里守達からも代わる代わる礼を言われた。お前がいなかったら三回は死んでた、貴女の戦う姿に勇気を貰った、あんなに強いだなんて知らなかったぞ、等々。身に余るといくら固辞し続けても、アヤメにお礼参りをする里守はなかなか途切れない。目立つことがあまり得意でないアヤメはなんともむず痒い気持ちになったが、逃げ出そうにも痛みで動けないので、ただただ嬉しいやら居心地が悪いやら、落ち着きなく視線を泳がせるしかできなかった。
一通りの騒ぎが落ち着いたところで、ナカゴが荷台に積まれた兵器の陰からひょっこり顔を出した。その手には工具が握られている。既に次を見越して、荷台に積まれた兵器の修理をしていたようだ。ボロボロの手拭いに包まれた頭をぺこんと下げた彼も、真っ先に口にしたのはアヤメへの謝意だった。
「アヤメさんのお陰で、自分にやれる事はやり尽くせました。改めて、ありがとうございます」
「ナカゴくんもお疲れさん。アタシもやれる事やっただけだから、お互い様だよ」
いかにも「礼には及ばない」といった顔でぴらぴらと手を振り、さりげなくナカゴから目を逸らす。首ごと意識を刈り取った件について謝ろうかと思ったが、その直前の出来事を思い出されては都合が悪いのである。幸い、ナカゴが続ける会話は全くそこに触れない内容だったので、彼が己に加えられた少々理不尽な暴力を覚えているかどうかを確認するのは止めにした。
「どうでした? 初めてのライトボウガンは」
アヤメが傍らの大砲に背を預けてふぅと一息つくと、ナカゴはその大砲の砲座を何やらガチャガチャと弄りながら、そう尋ねてきた。
上位にまで認められるハンターでありながら、初めて実戦で引き金を引いたライトボウガン。これまで親しんだ大物武器とは全く違う戦い方。どうだったか? ――最高に決まっている。
「……アタシもまだやれるって教えてもらって……感謝してもしきれないよ。不謹慎かもしんないけど、楽しかった」
興奮気味にそう答えて微笑んだアヤメの横顔を見つめ、嬉しそうに破顔するナカゴ。
「そうですか、よかった! 師匠、里に帰ったらアヤメさん用に新しいライトボウガンを造るんだって張り切ってましたから」
「え」
熱したばかりの心に、バシャッと水をかけられたような気がした。
ハモンの心遣いは嬉しい。本当に心底ありがたい。だが、ナカゴの言葉のある一点が猛烈に引っかかる。
「『新しい』? 今回使ったアレは? え、もう直んないの?」
「いえいえ! あ? いや、あれは直らないんですけど、あっえっとそうじゃなくて」
「……そっか……直んないんだ……そっかぁ……」
噓が吐けない男だ。ナカゴのトドメの一言で、ガンナーとしての初陣を共に戦った相棒を再起不能の鉄屑にしてしまったことが確定し、アヤメは頭を抱えて自分の膝に突っ伏した。ライトボウガンの装甲が己の手中で砕け散った瞬間の感触が、自責の念に姿を変えて襲いかかってくる。いくら切羽詰まっていたとは言え、あんなに叩き付けなくてもよかったのではないか。せっかく造ってくれたのに。これだから脳筋大物使いは。
「ちゃんと採寸や打ち合わせをして、アヤメさん専用のを造ろうって話です! どの武器も普通はそうやって造るでしょう? あれはアヤメさん抜きで造った試作品ですから、そんなに落ち込まなくて大丈夫ですよ。師匠も本当に全然気にしてませんから、ね!?」
ナカゴが慌ててフォローしてくれたが、今は何を言われても慰めの方便にしか聞こえないのである。負傷した身体の痛みさえも忘れて打ち拉がれるアヤメが立ち直るには、少し時間が必要だった。
目を逸らしたまま、暫しの沈黙。ガタゴトと揺れる荷車の音に耳を傾けながら、壊してしまったものは仕方がない、素直にハモンの好意に甘えようと自分に言い聞かせ、アヤメがようやく頭を切り替えかけた頃になって、またしてもナカゴが口を開いた。
「……あの、アヤメさん」
「何……?」
まだ幾分か萎れた顔でアヤメが振り向くと、ナカゴはいつの間にか大砲を弄る作業の手を完全に止め、妙に真剣な表情で、じっとこちらを見つめていた。
「アヤメさんの武器は今後も、師匠が手がけることになりますよね」
「ハモンさんがそう言ってくれてるんでしょ。だったらそうなると思うけど」
「……」
何の気なしに返したアヤメの言葉を受け、一瞬ナカゴの目がふわふわと不規則に泳ぐ。言いたい事があるけれど、躊躇っている――そのような印象を受けた。
筋は通っていると思うが、何かおかしな事を言っただろうか。なにぶんこちらは頭部を強打して先程まで気絶していた身、理論的な思考には自信が持てないのである。不安になってきたアヤメは、ナカゴの意図を問い質そうとした。
――が、一息早く二の句を継いだナカゴに先手を取られ、その必要はなくなった。
「防具は、僕にやらせてくれませんか」
「……防具?」
防具。言われるまで何も考えていなかった。
今アヤメの身を包んでいるナルガクルガの防具は、訣別した仲間達が当時のアヤメに合わせて造ってくれた、ある意味形見にも近い品だ。戦う術を完全に見失ってなお唯一手放せなかった大切な装備ではあるけれど、当然ながら、具体的な戦闘を想定した細かい調整は一切していない。今回は勢いで強引に押し切ったが、本格的にガンナーに転向するとあらば、かなりあちこちを見直す必要があるだろう。別の物に替えた方がよいパーツも、もしかすればあるかもしれない。
調整や新調の必要性にナカゴが気付いたのは、「彼が加工屋だから」で納得できる。しかし、わざわざハモンが武器を手がけることを確認までした上で、防具だけを自分に担当させろと言い出す真意は、やはり謎だ。
「……何、どうしたの急に」
露骨に怪訝な表情を浮かべてアヤメが問うと、ナカゴはまたしても眉をハの字にして言葉に詰まる。絞り出すような声で紡がれた続きを聞いたアヤメは、目を丸くして固まった。
「僕は、アヤメさんみたいにモンスターと戦うことはできませんけど……なんかこう、その……ま、守られっぱなしでは、男が廃ると言いますか……」
「……え?」
彼の歯切れがいつになく悪い理由が、ようやく少しだけ分かったような気がする。それと同時に、耳の先がカッと熱くなるのを感じた。
「あーいやまぁ、と、とにかくですね」
俯いてむにゃむにゃと呟いていたナカゴが、不意に頭の手拭いを外し、乱れた短い髪をぐしゃぐしゃと掻く。しかし、やがて覚悟を決めたように顔を上げた彼の瞳からは、もう迷いは消えていた。真っ直ぐな目に射抜かれて、耳に帯びた熱が頬に飛び火してくる。
「僕の技術全部を懸けて、世界で一番アヤメさんに合う防具を拵えて見せますから……次は、僕にもアヤメさんを守らせてください」
「……」
――僕も言ってみたいなぁ。「絶対、あなたを守ります!」……こんな感じですかねぇ。
――適当にそれっぽい感じに繕って、惚れた女にでも言ってやれば?
とうとう、砦で交わしたやり取りも鮮明に甦ってしまった。混乱するので思い出したくなかった。
「けけけっ」
「!?」
小猿のような笑い声が聞こえた方向へ視線を遣ると、ウツシにアヤメへの抱擁を止められた後も荷台の上に居残って歩くのをサボッていたイブキが、明らかに面白がってニヤついている。そういえばコイツ、いたんだった。忘れていたのはこちらの勝手だが、なんだか無性に腹が立ったので、動かせる左手の付近にちょうど落ちていた石ころを投げ付けて撃退した。
お陰で僅かだが頭が冷えた。ナカゴはハンター二人の小さな漫才を気にも留めず、黙ってアヤメの返答を待っている。なんなら、イブキの存在は認識すらしていないかもしれない。狂気じみた集中力で設備の修繕に取り組んでいた時と、同じ目をしている。――これは、加工屋の目だ。
アヤメは痛みを堪えながら大きく一つ深呼吸をして自分を精一杯落ち着かせ、念のため、鎌をかけてみた。
「ナカゴくん。自分が何言ってるか、分かってる?」
「えっ? あ……やっぱり……僕じゃ不安ですか……?」
「……いや……」
ナカゴの眼と眉がしょぼんと垂れたのを見て、アヤメは安堵した。この男の頭はおそらく今、再スタートを切ろうとするハンターに最強最適の防具を提供することで一杯なのだ。同僚からも呆れられる武具オタクには、アヤメの言葉の意図はまるで通じていないようだった。
そうと分かれば、何も問題はない。変に身構えていた自分が可笑しくなって、アヤメは無意識に強張っていた頬と心をふっと緩めた。
「……覚えてないならいいや」
「えっ? えっ?」
「何でもない。……アタシ、注文多いよ?」
「!」
今度は通じたらしい。曇っていたナカゴの表情に、ぱあっと爽やかな光明が差した。
「……望むところです! ありがとうございます!!」
◇◇◇◇
交渉成立後、別の荷車に積まれている兵器を直しに行くと言って、ナカゴは意気揚々と立ち去っていった。未だこの荷車に乗っているのはアヤメとレイメイ、そしてアヤメが暇になったと見るや否や舞い戻ってきたイブキだけ。故郷までの旅路の連れ合い、自分によく懐いた後輩を、アヤメは白い目でギロリと睨んだ。ナカゴとはハンターと加工屋のごく自然な話で終わったのに、イブキは相変わらず、好奇に満ちた目をしてニタニタしているのである。
「……で? アンタのその顔は何なの」
「いやぁ、いい物見せてもらっちゃったなぁ~って……あいたっ!」
イブキの小振りな頭を引っ叩いたら、ペンッと小気味良い音がした。が――
「いっ……!」
「!」
そのごくごく軽い張り手の衝撃は、アヤメの身体のそこかしこに激痛を走らせる。思わずぎゅっと顔を顰めて苦悶の呻き声を漏らし、すぐに、声を上げてしまったことを後悔した。オロミドロやリオレウスにも手酷くやられはしたが、アヤメに最も重い傷を負わせたのは他でもない、イブキなのだ。
見れば案の定、さすがの彼女も野次馬モードを引っ込め、少し申し訳なさそうな顔をしている。アヤメはすかさずフンとわざとらしく鼻を鳴らし、コツンとイブキの頭を小突いた。
「そんなツラされる筋合いなんかないよ。アンタがもしあそこでヘタれてたら、今頃アタシがアンタを蹴っ飛ばしてるから。あれでよかったんだ」
「まぁそうかなとは思ったけど」
「何も考えてなかったでしょうが」
「……えへへ、バレた」
「ったく……ちょっと分けてほしいわ、その能天気な所」
本当に少ししか申し訳ないと思っていなかった無礼者を痛まない方の左手でもう一度引っ叩き、それで全てチャラにした。不必要な謝罪などよりも、もっと聞きたい事があるのだ。
里の仲間、特にフゲンやハモンが皆ある程度離れた所を歩いているのを横目で確認して、アヤメは小声でイブキに尋ねた。
「で? スッキリした?」
「うーん」
勿論、アヤメを足蹴にして会心の一撃をぶち込んだ事についてではない。『見てから決める』についてだ。それは皆まで言わずとも伝わっているようだった。
群れの先頭を走ってきたティガレックスと対峙した時に、モンスター達と真っ向から縄張り争いをする腹を決めたことは、イブキの言葉と後ろ姿に聢と表れていた。では、彼らを追い立てていたイブシマキヒコについては? 百竜を脅かす古龍とさえも縄張り争いをすることにしたのか、それが聞きたかった。常識的に考えれば「そうでなければ何なのだ」と思うところだが、生半可な常識ではイブキの思考は測れないことを、アヤメは既に十分知っている。
「話が通じる感じじゃなかったね、残念だけど。最後なんかもうわたし『このわからず屋ー!!』ってなっちゃったし」
「……話、ねぇ」
開口一番、おそらく大半の人間には理解し難いであろう事をぼやいて、イブキはどこか名残惜しそうに口を尖らせた。相変わらず発想が狂っている。彼女は繁殖期の興奮状態にある超大型古龍種と、殴り合いをもって『対話』しようとしていたらしい。互いの生息域について妥協点を探ろうとでもしたのだろうか。
「『対』ってヤツへの……執着? えーと、何て言うんだっけそういうの」
「生殖本能じゃないの、端的に言えば」
「それそれ! そんなのでどうして周り巻き込むほどぶちキレるのか、話だけ聞いてもいまいちピンと来てなくてさ。実物見たらなんとなくでも分かるかなって思ってたんだけど、その執着がむちゃくちゃ凄まじいことしか分かんなかったよ」
苦笑混じりに呆れるアヤメを置き去りにして、イブキは暫しぶつぶつと「分からない、分からない」を繰り返す。しかし、やがて彼女は思考と共に胡座を掻いていた四肢を荷台にポイと投げ出し、大の字に寝転がった。荷車を引くポポの歩行速度で後ろへ流れていく晴れた空を眺めながら、大きな大きな溜息を吐く。
「あーあ、ヒノエさんはいいなぁ、共鳴できて。ちょっとだけヒノエさんと交代するとかできればいいのに」
「……ふっ」
アヤメは思わず小さく吹き出してしまった。砦でイブシマキヒコを目の当たりにした時の自分と、全く同じ事を言っているのである。同じ穴の狢ではないかと今度は自分自身に些か呆れつつも、それは決して不愉快ではなかった。
「……アンタ、繁殖期のモンスター見たことないの」
「あるけど、あそこまでじゃなかったよ」
「この辺ならタマミツネとか? じゃあ……ディアブロスのはまだ見てないわけね」
「見てない! 繁殖期の雌は亜種に分類されるくらい暴れるって、本で読んだことあるだけ」
「そう。ホントえげつないよ。全身真っ黒になっちゃって、頭イカれたのかってくらい暴れるんだ。あれ見たらまたちょっと考え方変わるかも」
「ほう!? そんなに!?」
ちょっと未知の情報で興味を引いてやれば、たちまち好奇心に煌々と燃え上がるイブキの栗色の瞳。きっともうディアブロス亜種が所狭しと暴れ回る光景を思い浮かべて、胸を躍らせていることだろう。
カムラの里の英雄とまで呼ばれながら、ここに至るまで「里を守る」などという英雄的な観点が一切出ないのが、いかにも彼女らしいと思う。初めからその意識は驚くほど薄かったから、もう綺麗さっぱり忘れているのかもしれない。つくづく天晴れな、天性のハンターだ。
「じゃあまぁ、見てから決めるって方針は保留のまんまか。アンタはおそらくアイツとも、アイツの『対』ともまた近いうちに会うことになるだろうし、それでいいんじゃない」
「え……アヤメさんは?」
アヤメの言葉に違和感を覚えたらしいイブキが、驚きに目を丸くした。当然のように次も共に戦うつもりでいたらしい彼女が何を気にしたのかは、アヤメには分かっている。――「アンタは」の部分だろう。
イブキを責めるつもりはない。より強大な未知のモンスターから逃げ出したいわけでもない。でも、現実は望む通りに運んではくれないのだ。
「……次にアイツらがいつ動き出すかと、これ次第」
小さく苦笑いしながら、がちがちに固定された右肩の怪我をアヤメが指し示すと、イブキがハッと目を見開き、口を噤んだ。
「自分でもどうなってんのか分かんないけど……まぁ、今日と同じ事を明日やれって言われても無理そうなのはさすがに分かるからね。治るまで向こうが待っててくれたらいいんだけど」
「……うん」
頷いたきり、黙り込むイブキ。急に大人しくなってしまった英雄の淋しげな顔が、可愛くて、切なくて仕方がない。アヤメはイブキの小さな頭を左手でぐしゃぐしゃと乱暴に撫でてから、静かに「里に着くまで少し寝る」と告げ、ゆっくりと目を閉じた。
◇◇◇◇
里に帰った後のアヤメは、多忙であった。
まず逃げる間もなくフゲン、ハモン、そしてゴコクに捕らえられ、復帰祝いだと称して本当に信じられないほど飲まされた。酔い潰れて診療所へ担ぎ込まれれば、怪我人なのに何をしているのかとゼンチに彼ら共々こっぴどく叱られ、表へ出れば武勇伝を聞かせてくれとせがむ子供達に追いかけ回されて、しばらくは落ち着いて休むこともできなかった。怪我人なのに。重傷なのに。カムラの里の人間はハンターの肉体の耐久性を過信しすぎである。この里でハンターと言えば、もはや人類かどうかも疑わしい驚異的なフィジカルの持ち主ばかりであるので、致し方ないのかもしれないが。
絶対安静の命が解除されればすぐに加工屋の二人のもとへ通い詰め、新しい武器と防具の打ち合わせに勤しんだ。再び狩り場に立つことを『叶わぬ夢』から『実現する未来』に変換していく作業。年甲斐もなく、それが楽しくて嬉しくて堪らない。無意識に笑う機会が増え、里の皆から「表情が明るくなった」と誉められることも多くなった。
防具については、ナルガクルガの物を身に付けている経緯を改めてナカゴに伝えたところ、可能な限りこれを活かして造りましょうと言ってくれた。ガンナーに向いた装備への新調を勧められることも覚悟していただけに、そう伝えられた時は喜びと安堵でほんの少し目が潤んだが、これはアヤメ本人と、アヤメの表情に目敏く気付いたコジリだけが知る秘密である。
新生ライトボウガンの方も概ね順調だ。ハンターとしては上位でありながらガンナー初心者であるアヤメの能力を十分に勘案し、ハモンが細やかに性能を調整してくれている。彼も元はライトボウガン使いであるため、アヤメはいつしか武器そのものだけでなく、それを使った立ち回りについても彼へ頻繁に助言を求めるようになった。もはや第二の師匠と言ってもいい。
ただし、ハモンに全幅の信頼を置いているのはあくまでも戦闘面の話。特に拘りがなかったので軽い気持ちで「怖いヤツ」とだけ依頼したデザインは目下、修練場のからくり蛙を模した物になる予定である。図面を見た時には想定とのあまりのギャップに絶句したが、試作品をたった一戦で叩き潰した負い目もあり、ついぞ言い出せないまま本格的な製作が始まってしまった。言えないのならば諦めるしかない。アヤメは数日間の深い懊悩を経て、今後のハンター人生をからくり蛙と共に駆け抜ける覚悟を決めた。
この里に戻って以来もっとも充実した日々が、時の流れを早くする。カムラの里に「イブシマキヒコが探し求めた『対』――雷神龍ナルハタタヒメが発見された」という報せがもたらされた頃には、アヤメが初めてライトボウガンを手にした日から、二月以上が経過していた。
「ギルドから派遣され、ナルハタタヒメに挑んだハンター達は……いずれも、壊滅状態とのこと」
「そこで、イブシマキヒコを撃退したハンター宛てに、ギルドから討伐依頼が届きました」
里の衆を一同に集めて開かれた決起集会。それは実質、拒否する選択肢のない雷神龍討伐の任を与えられたイブキの激励会と称すべきものである。
アヤメはいつもの露台の端で、その光景をただただ黙って見つめていた。里長から「やれるか?」と問われて二つ返事で依頼を了承したイブキが、にわかに沸いた里の衆にもみくちゃにされながら、チラリとこちらへ視線を投げて寄越す。しかし、アヤメが小さく首を振ったのを見て、察したようだった。
あの日の百竜夜行でアヤメが負った怪我は、やはり非常に重かった。やけに痛いとは思ったがそれもそのはず。右の肩甲骨は一部が砕け、二の腕は見事にぽっきりと折れ、背骨や腰にまで細かいヒビが数多走っているという惨状だったのである。幸い予後は良く、現在は既に大方回復して単身での鍛練も再開しているが、大型モンスターとの戦闘については、主治医たるゼンチからも所属するギルドからも、未だ許可が下りていない。
――間に合わなかった。
◇◇◇◇
イブキの出立前日、深夜の修練場。
アヤメは巨大なからくり蛙の御前で一人、観客のいない演武に没頭していた。
両足は地を踏み抜き、繰り出した裏拳で敵の顔面を鋭く打ち据えた。その拳を素早く引き、寸分違わず再び同じ部位へ叩き込む。
今宵の修練場は貸切である。お供は物言わぬ漆黒のガルク、レイメイだけ。日に日に活動的になっていくアヤメに釣られるかの如く、三次元に駆け回ることをより一層楽しむようになった彼女も、この場所はお気に入りだ。船着き場へ到着するや否や、嬉々として小舟を飛び出していき、今は滝の遥か上方で勝手に遊んでいる。
ガンナー用設備の操作方法や的の取り替え方をセキエイに習い、必要があれば自分でやるから大丈夫だと、修練場を取り仕切るアイルー達にも帰ってもらった。最近は百竜夜行が落ち着いているので、他にここを訪れる者もそういないだろう。
足を僅かに踏み替えながら腰を落とし、両腕を胴の前で引き絞って防御、すかさず身を翻して反転。受け流す動作をそのまま構えに転じ、突き出した手刀で敵を穿ち抜く。
里ではイブキの壮行会が開かれているはずだが、アヤメは参加しなかった。彼女がこれからたった一人で赴く決戦の地は、誰がどれだけ励ましの言葉をかけようと、数多のハンターを葬った死地であることに変わりはない。ならばせめて自由であってほしいと願い、余計な口出しをしてしまう前にと、修練場へ向けて舟を出した。
かつての己を支え続けてきたこの演武は、アヤメにとって慣れ親しんだ鍛練であると同時に『祈り』だ。流れる滝の音とレイメイが地を蹴る小さな足音が響く中、アヤメはただただ愚直に同じ動作を繰り返し続けた。密やかに、身勝手に、イブキの無事を祈るためだけに。
コン。
不意に、アヤメが立てたのではない固い音が、誰もいないはずの修練場にこだました。船着き場の足場に新たな小舟が小さくぶつかった音だ。続いて舟を軽快に飛び降りる音、そしてこちらへ向かってくる足音。アヤメはこの歩き方に聞き覚えがあった。
背後で足音が止まったのを察し、振り返る。そこに立っていたのはアヤメの予想通り、イブキだった。全身から沸き立つ程に気力を漲らせ、いかにも雷神龍討伐の準備は万端といった様子だ。壮行会は終わったのだろう。出立前の挨拶にでも来たのか、それとも、見送りにすら来ない薄情な先輩に、文句の一つでも言いに来たのか――
「アヤメさん。組手に付き合って」
「は?」
どちらも違った。
ポカンとするアヤメを他所に、イブキは至って上機嫌である。両手を後ろ手に組んだ彼女の顔に浮かんでいるのは、親に甘える子供のように無邪気な微笑みと、極めて挑戦的、且つ好戦的な興奮。どうやら、冗談ではなさそうだ。
「アンタ、もう出るんじゃないの」
「ちょっとなら平気。……ねぇ、やろうよ。なるべく当てないようにするからさ」
「……ふぅん?」
アヤメは片眉をふいと持ち上げて、睨め付けるようにイブキを見遣った。五歩分ほど離れた位置で静止してアヤメの瞳を覗き込んでいるイブキは尚も、笑顔を崩さない。生意気な口を叩きながら、全身で「構って」と訴えるその姿が、とても意地らしい。
「手ェ抜いて対等にやれるつもりでいるわけか。アタシもすっかりナメられたモンだねぇ」
良い度胸だ。アヤメは笑いながらこきこきと首を鳴らし、イブキの方へ半身で向き直った。じり、と足を開き、静かに腰を落として、戦闘の構えを取る。刹那、周囲の空気がピンと張り詰め、イブキの表情から甘えだけが即座に消失した。
ともすれば死にに行くと言っても過言ではない狩りを前にした、可愛い可愛い後輩。それが求めているとあらば、安い挑発の一つや二つ、喜んで乗ってやろうではないか。そう腹を括ったアヤメは不敵に唇の片方を釣り上げ、全身全霊の覇気を以て、イブキに宣告した。
「やるなら本気で来な」
「……うん!!」
イブキの足下に土煙が上がるのと元気いっぱいの返事は、ほぼ同時だった。
肩口から勢い良く突っ込んできたイブキの初撃は、直線的な裏拳。瞬き一つせず僅かに身を後ろへ退いてそれを躱したアヤメの前髪を、全く同じ軌道で飛んできた二撃目の裏拳がちりっと掠める。そこにあったはずの一度突き出した拳を引く動作は、速すぎて捉えられなかった。イブキが更に大きく一歩踏み込み、体勢を崩しかけたアヤメの懐へ飛び込む。アヤメは素早く重心を後ろへ移動させて踏み留まり、その場でくるりと一回転。イブキの猛追を受け流すと同時に、回転からの反動を付けた手刀の一太刀を、イブキの首筋へ向けて容赦なく振り下ろした。しかしそこには既にイブキの姿はなく、アヤメの腕は風切り音を立てて空を切る。アヤメと同じく半身を翻して手刀を避けたイブキは地を這うほどの低姿勢から流れるような下段回し蹴りを放ったが、アヤメは軽妙な宙返りで易々とそれを飛び越し、着地ざまに脳天目掛けて踵落とし。これもまた紙一重で躱され、今度は地面を蹴り抜いたアヤメの足下に、激しい土埃が舞い上がった。
イブキの猛攻を悉く紙一重で往なし、そして繰り出す攻撃の悉くを華麗に往なされながら、アヤメは心底惚れ惚れした。ハネナガとの争いから逃げるために披露した演武の一部に目を輝かせていたのが、まだついこの間の事のような気がするのに。目覚ましい進歩だ。しかもイブキはまだ若く、スポンジのように触れるもの全てを柔軟に吸収する、素直の権化のようなハンターである。既にこれだけの強さを誇りながら、彼女の伸び代はまだまだ果てが見えない。獣のように生き生きと躍動する身体に詰まった無限大の可能性に思いを馳せれば、アヤメの心までが広大な世界へ飛び出していくような錯覚にさえ襲われた。
ぶっつけ本番の二人演武。どれほどの時間、続けただろうか。
パシン!!
ついに、互いが互いの拳を顔の横で受け止めた音が二つ、刹那の狂いもなくぴったりと重なった。
「……やるね」
「そっちこそ」
合わせ鏡のような姿で額を突き合わせ、一時の膠着。互いにふうふうと肩で息をして睨み合っていたが、どうやら、満足してくれたようだ。イブキはふっと腕に込めていた力を抜いたかと思いきや、勢い余って振り抜きかけたアヤメの拳をひらりと躱し、そのまま地面に大の字で寝転がった。
「……はぁー! やっぱ強いや」
突然一方的に幕を引かれて少し呆気に取られたが、イブキがこれから対人戦とは比するべくもない激戦に身を投じる予定であることを思い出し、アヤメも昂る闘気を治めて傍らに腰を下ろす。正直、途中からは無我の境地で、加減することも適度に切り上げることも完全に忘れていた。
勝負は全くの互角。生身の人間相手の戦闘をこれほど純粋に楽しいと感じたのは、生まれて初めてだったかもしれない。しかし、先に吹っかけてきたイブキの方が自制心に優れていた可能性を思えば、夢中になっていた自分が気恥ずかしい。アヤメは少しだけわざとらしく不機嫌な表情を作って、柄にもなく嫌味を吐いた。
「もうアンタの方が強いでしょ。そのつもりで声かけてきたんじゃないの」
「そんな事ないって。アヤメさんは、強いよ」
組手の攻撃と同じく、さらりと受け流されてしまった。だらしなく四肢を投げ出して空を眺めるイブキの目には、曇った所など一片もない。
「……そりゃどーも」
素直の権化を相手にこれ以上食い下がるのも馬鹿らしくなり、アヤメも彼女に倣って、隣にぱたりと仰向けで身を倒した。
二人が口を閉じれば、修練場は穏やかな環境音だけが流れる静止した空間となった。崖上で跳ね回っていたレイメイの足音も、いつの間にか聞こえなくなっている。休憩でもしているのだろうか。夜はまだ長いので、好きに過ごしてくれればいい。
今日は雲一つない晴天だ。切り立った断崖の隙間から流れ込んでは星空へ吹き上がってゆく風が、火照った心身に優しく沁みわたる。これも、風。翡葉の砦で設備を巻き上げては地に叩き付け、破壊の限りを尽くした風神龍が司るのも、同じ、風。同じ現象だとはにわかに信じ難いほど、今日の風はゆるやかで柔らかい。
ふと気付けば、随分長いことそうしていた。イブキがあまりに喋らないので寝たのかと思い、声をかけようと目線を隣に遣る。しかし、イブキの瞼は先程と変わらず、ぱっちりと開いていた。崖に囲まれた狭く四角い空、そこに所狭しと詰め込まれた満天の星を真っ直ぐに見上げたまま、アヤメが言葉を発するより早く、ぽつり、ぽつりと口を開き始める。
「雷神龍。神だって」
「……うん」
「神だけど、繁殖したいんだよね」
「そうらしいね」
「倒しちゃっていいのかな」
「その気になったら倒せるみたいな口ぶりじゃないか。イブシマキヒコにはまんまと逃げられたのに」
「……」
姿をくらました風神龍の名に触れた途端、イブキの顔がひょいとこちらを向き、眉が僅かに跳ねた。――いや、彼女が反応したのはそこではない……かもしれない。まさか、もしや。アヤメの心に、確信に限りなく近い疑念が巻き起こった。
その疑いを隠しもせずにアヤメがじっと見つめると、イブキのきょろっとした栗色の瞳が、スゥーッとあらぬ方向へ泳いでいく。口許はへらへらとした薄ら笑い。注意して目を凝らさずとも、頬がほんの少し引き攣っているのが丸分かりである。イブキの不審すぎる挙動と表情を見て、アヤメは全てを察した。
「逃がしたね?」
「……えへっ」
質問ではなく、確認。その作業は、あっさり降参したイブキがぺろっと舌を出して笑った瞬間に終了した。
喰えば喰うほど強くなるマガイマガドにたっぷり食事の時間を与えたのと、理屈は全く同じ。対と邂逅した風神龍の変化に興味があった、神と呼ばれる龍の番を見てみたかったとでも言うのだろう。彼女は、龍の子を見たい衝動に駆られて現場でいきなり討伐を投げ出しても何らおかしくない狂人なのである。
ほとほと呆れ果てはすれど、アヤメには既に新鮮な驚きはなかった。こんな狂人の言動に慣れてしまって大丈夫かと、自分自身の良識が少し不安になった程度だ。
「……あれは『撃退』。うん、そういうことにしとこう。それがいい」
「ありがとう! アヤメさん大好き!」
「調子に乗るな」
構われたいようだったので、アヤメは寝転がったままイブキの横っ腹を蹴り飛ばした。溜息も出ない。組手の時とはまた別の、無我の境地である。
「大好きなのはホントだよぉ~? ……ちぇー、アヤメさんも来れたらよかったのになー」
さすがに叱られ案件である自覚はあるようで、イブキはさっさと風神龍『撃退』の話を切り上げ、戯けながらごく自然に話題を転換した。前半には多少のおべっかも混じっていそうだが、後半は本音だろう。
「仕方ないね。ギルドからの要請もアタシ宛てには来てないし……何より、お医者の言い付け無視したら今度こそバラバラにされちゃう。全身バキバキで飲んだくれた時に釘刺されたよ」
「あははは! そういや里長達と一緒にえらく怒られてたよねぇ。ゼンチ先生ホントにやりそう」
「……」
イブキはケラケラと笑っているが、アヤメが置かれている状況は、説明せずとも初めから分かっているはずだ。だからこそ、アヤメはこれを尋ねずにはいられない。
「……一人じゃ不安?」
「ううん、そうじゃなくて」
潔いまでの即答、即否定。そうじゃないのは異常だと脊髄反射で返しそうになった口は根性で閉じた。
続くイブキの言葉と屈託のない笑顔に触れて、自分がこの狂人の真髄をまだまだ正しく理解できていないことを、アヤメはつくづく思い知らされた。そして、到底理解できそうもない彼女と自分が、やはり同じ穴の狢であることも。
「アヤメさんも見たかったでしょ? ナルハタタヒメ」
「……っはは」
思わず笑ってしまった。図星だったからだ。
しかし、アヤメにはイブキと決定的に違うと自信を持って言える点が、二つだけある。一つは、託す側の心情を既に知っていること。もう一つは、まだこの里と周辺の世界しか知らない彼女よりも、ほんの少しだけ広い視野。
「あの大剣担いでってくれりゃあ十分だよ。……大体、『雷神』なんて仰々しい名前で呼んでるのはこっちの勝手だもの。生物なんだから、アンタが今から見に行くヤツ以外の個体もどこかにはいるでしょ。見たくなったら自分でそれ探すから、今はいい」
偽りでも強がりでもない、心からの本音だ。
カムラの里を襲った大規模な百竜夜行は、今回を除けば直近は五十年前。更にはその数十年前、ひいては百年以上前にも発生した記録が残っている。しかも、同じような現象は他地域でも稀に見られるらしい。古龍種に分類される生物達が軒並み常識外れの長い寿命を持つことを考慮しても、百竜夜行が風神龍・雷神龍の繁殖活動に影響されて起こるものだと定義するならば、全てがたった一組の番によるものだと断じるのは無理がある。
また、どこもかしこもがカムラの里のように飛び抜けた軍事力や防衛に有利な地形を有しているわけではないこと、ナルハタタヒメを討伐しに赴いたハンター達が一人残らず返り討ちに遭っていることなどを鑑みるに、そもそも繁殖期の彼らは、人間に太刀打ちできるような強さではないと考える方が自然だ。これからそんな生物のもとへたった一人で向かう後輩を思えば、非常に複雑ではあるが。
つまり、この広い世界のどこかには、人間に妨げられることなく繁殖に成功した個体や、彼らの子孫が存在するに違いない。それがこれまでに得た情報を総括したアヤメの持論であり、それ故、少なくとも個人としては、焦る必要はないと考えていた。古龍種の寿命には遠く及ばないけれど、自身のハンター人生も当分終わる予定はないのだから、と。
大人しくアヤメの言葉に耳を傾けていたイブキは、一通りアヤメが語り終えたと見るや、どこか少し安心したように、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
「アヤメさんらしいねぇ」
「あ? 何、いきなり知った風な口聞いて」
「わたしと似てるって自分で言ってたじゃん。わたしがアヤメさんの立場なら、絶対同じ事言うからさ。……ほっ!」
不意にイブキが両足を揃えてひょいと跳ね上げ、全身のバネで反動を付けて元気良く立ち上がる。こちらはまだ足下にいるのに、イブキが身体に付いた埃を景気良くパンパンと払うので、アヤメは煙たさに顔を顰めてのそりと上体だけを起こした。
「行くの?」
「うん。ここからちょっと遠いんだ、雷神龍の巣。会う前に逃げられちゃったら堪ったモンじゃないからね」
「そっか」
ついに、この時が来た。あまりにあっさりと踵を返し、足取り軽く死地へ向かう後輩を引き留める理由も、その権利もアヤメにはない。祈るしかできないから一人でここに来たのだ。
でも、本人が目の前に現れてしまっては、やはり何も言わずには居れない。言わせてほしい、これだけは。
「絶対無事で帰ってきてよ。アタシが復帰したら、一緒に狩りに行くんでしょ」
初めて顔を合わせた時に、半ば一方的に取り付けられた約束。それをアヤメから改めて提示すると、イブキは本日一番の光り輝く笑顔で振り返った。
「ナルハタタヒメの別個体、探しに行っちゃう?」
「馬鹿、殺す気? どんだけブランクあると思ってんの。絶好調の猛き炎には悪いけど、最初は簡単なヤツからだよ」
「えへへ、はぁい」
全くもって普段通り、緊張している様子も、不安や畏れも一切合切見当たらない。カムラの里の英雄と呼ばれて久しい若きハンターは、初めて出会った日と何一つ変わらず、未知への期待と好奇心で猛々しく燃え盛っている。アヤメの胸に、はちきれんばかりの懐かしさが込み上げた。
イブキが踵を返して歩き出す。もう一言だけ。アヤメも敢えて、あの日かけたのと同じ旨の言葉を、小さくなっていくイブキの後ろ頭に向かって投げかけた。
「……怪我、しないようにね」
船着き場へ歩を進めながら腕を真横に伸ばし、力強く親指を天に衝き立てるイブキ。背中を向けているのに、「ふふん、余裕」と笑う顔が見えた気がした。
「……さて、と」
イブキが小舟の櫂を漕ぎ始めたのを見送ってアヤメも立ち上がり、からくり蛙に立てかけていたライトボウガンを手に取る。このからくりに酷似した例のアレはまだ試作中なので、今日の得物はまだ訓練用の貸出品だ。
ストン。登場のタイミングを見計らっていたかのように、黒い影が空から降ってきた。レイメイである。空気の読める相棒にありがとうの頬擦りをして、アヤメがライトボウガンを構えれば、レイメイは阿吽の呼吸でぴたりと脚側に着いて、主の視線が示すターゲットを苦無で狙った。
イブキは絶対に帰ってくると、堂々たる背中で宣言して出て行った。もう祈る必要もないだろう。あの後ろ姿だけを信じていればいい。
修練場と里を隔てる豊かな大河は、今日も穏やかに流れている。昨夜も集会所には爛漫の桜が咲き乱れていたし、いつの間にか白み始めた空には早起きのフクズクの声が響いて、里から離れた小島に佇むアヤメにも朝の訪れを知らせている。
何も変わらない。奔放な英雄が護るカムラの里の民は、日々を力強く生きている。それはアヤメも同じこと。今日も明日もその先も、自分は自分のやるべき事をやるだけだ。
◇◇◇◇
数日後。
「アーヤーメーさぁぁん!!」
アヤメに職場を追い出されて暇を持て余していた修練場管理者のセキエイが、集会所の面々から託されたアヤメ宛ての『便り』を片手に、絶叫しながら修練場へやって来た。この報せを待ち望んでいたであろうアヤメに一刻も早く内容を伝えねばと、転がるように舟を降りて大門へ駆け込む。
しかし、使命感に燃えるセキエイの目に映ったのは、黙してそこに鎮座するからくり蛙のみ。アヤメも、彼女と共に渡ってきているはずのレイメイも、姿が見えない。
「あれ? どこ行っ……ニャ!? あっ、アヤメさん!!」
きょろきょろと辺りを見回してようやく、からくり蛙の左足の陰から、ナルガクルガの防具に包まれたアヤメの足先だけが覗いているのを発見する。かつて何度も同じ光景を目撃し、その度にゼンチを呼びに里へ走っていたセキエイは色を失って、地面に倒れているらしいアヤメに慌てて駆け寄った。
「まーた無茶したニャか!? おぉーい、アヤメさ……ん……?」
近寄ったら、ふさふさの毛に覆われた、黒くて長い物も見えた。レイメイの尾だ。時折ゆらゆらと先端だけが機嫌良く揺れてはいるが、力は抜け切っているようだ。
「……あらまぁ」
アヤメはからくり蛙の裏で、横倒しに寝そべるレイメイの腹を枕に、遊び疲れた子供の如くちんまりと丸まって爆睡していた。セキエイがいくら声をかけても、肩を叩いても全く反応がなく、落ち着いた呼吸に合わせてゆっくりと上下する胸部の動きがなければ、死体と見紛うほどの寝入りっぷりである。レイメイも同じく熟睡していて、ちょっとやそっとの刺激では目を覚ます気配すら感じられなかった。
「はぁ。加減を知らんヤツらだニャあ、ったく……」
相当疲れ果てているらしい。あまりに気持ち良さそうなので、起こすのは一旦諦めた。持ち込んだ報せは早く伝えたいけれど、受取人が熟睡しているのならば急ぐ必要はないのだ。幸い今日は暖かい。しばらく寝かせておいても風邪を引くことはなかろう。
安らかに眠る一人と一頭をひとまず放置し、預かった『便り』をそっとアヤメの片手に握らせて、彼女が使用した設備の点検にかかろうとするセキエイ。――が、すぐさま未曾有の異常事態に気付き、またしても頭を抱えた。
「えっ、うそぉ!? あんなにいっぱい用意しといたのに!」
ガンナーが射撃訓練に使うからくりのレール上を、ガタゴトと回っている的。からくりから下ろされ、地面に山と積まれた使用済みの的。全てが一つ残らず徹底的に撃ち抜かれ、ほとんど原型すら留めていないのである。仰天して足下に転がっているアヤメを見下ろす。この大惨事の容疑者はセキエイの悲鳴にも気付かず、呑気にスースーと寝息を立てている。
無造作に放り出された訓練用のライトボウガン。これが犯行の凶器だろう。どれだけ乱射したのかと呆れながら両手で持ち上げようとしたら、軽すぎて逆にバランスを崩し、尻餅をついてしまった。セキエイが修練場の管理を担当するようになってしばらく経つが、装填できる全ての弾種を完全に撃ち切り、弾倉がすっかり空になってしまったライトボウガンになど、一度も触れた事がなかったのだ。
「やりたい放題やってくれたニャ、こりゃあ片付けもちょっと骨ニャよ……んもー。起きたら手伝ってもらうからニャ」
装填可能数の数倍はあろうかと思われる薬莢の海の中でこんこんと眠りこけるアヤメに向かって、セキエイは苦笑混じりにそう告げた。もちろん聞こえてはいないだろうけれど、構わない。
とても妙齢の女性だとは思えないほどに汗と硝煙と土埃で薄汚れたアヤメの寝顔はとても満足気で、そこに過去の呪縛に苦しんでいた時の面影は微塵もないのだ。傷付いた身体には重すぎる大剣を振るおうとしては取り落とし、その度に失意と絶望で震える彼女の後ろ姿を見守るしかできなかったセキエイには、それがとても嬉しかった。
繰り返し引いた引き金の痕がくっきりと残るアヤメの手にセキエイが握らせた、集会所で彼女を待つハナモリ達からの『便り』――例年よりも随分と早く咲いた一輪の菖蒲(あやめ)が、穏やかな寝息に吹かれてふわり、ふわりと規則正しく揺れる。己と同じ名を持つその花が意味する事を知ったアヤメが、後片付けを放り出して小舟に飛び乗るまで、あと少し。
****
【Iris/菖蒲(あやめ)】
花言葉:朗報・希望
これにて完結です
最後までお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました
【里のNPC全員を登場させるサブ任務 達成 】
(抜けてるのがいたら教えてください、いないはず……!)
◇◇◇◇
当作品は物理本にもしています
章の再編成と細かい誤字脱字などの修正のみで、内容はweb掲載分と同じです
書き下ろし等も特にございませんので、あくまでも保存用として、もしご入り用でしたらご覧ください
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◇◇◇◇
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