One-way Spiral Staircase   作:まりも@tks55kk

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4-prop【支柱】

「……。……」

「……? ……!」

 

 疲れ切っていたせいか、二度寝の後は泥のように眠りこけていたアヤメは、家の外から漏れてきた珍しい来客の気配でようやく目を覚ました。普段ならこんな里の端には足を運ばないコミツとセイハクが、家の前で何やらコソコソ話をしているようだ。

 元々が納屋であるアヤメの居宅は戸も薄く、内側からかけられる鍵の類も備えていない。対人間という観点ならば一切の警戒が必要ないこの里では、雨風さえ凌げれば困らないので気にしていなかったが、今日になって初めて、自分ではなく小さな来訪者たちのために、もう少し頑丈な扉があればよかったと思った。

 

 そういえば昨夜は服を脱ぎ散らかしたまま、着替えもせずに寝てしまったのだった。いくら子供だとは言え、流石にこんなあられもない姿で出迎えるわけにはいかない。寝惚け眼を擦りながら慌てて立ち上がり、取り急ぎ手近にあった浴衣をひっ掴んで羽織ると、戸口の方から何やら不吉な音がする。

 

 ミシッ……ミシミシ……

 

「……ん?」

 

 どうやら、中の様子を窺おうとする子供達がもたれ掛かっているせいで、戸が軋んでいるようだ。何をしに来たのかは知らないが、普段あまり接点のない大人の家を訪ねるとなれば、それなりに緊張などしているのかもしれない。早く出て、用を済ましてやろう。

 しかしそう考えて一歩踏み出した瞬間、不意にゾクッと寒気がした。眠りに落ちる前に着替えなかっただけでなく、濡れたままだったのを思い出す。いくらなんでも横着しすぎた。風邪でも引いたか――

 

「ッ、くしゅっ」

 

 バキ、ガシャア!!

 

「うっうわあぁぁぁぁ!!」

「キャーーッ!!」

「え、えぇ……」

 

 アヤメのくしゃみに驚いて、足を滑らせでもしたのだろう。引き戸であるはずの古びた扉は上枠から外れてタテに開き、一緒に雪崩れ込んできたセイハクとコミツの腹の下で、バキバキに砕け散った。遮蔽物を失った室内が太陽の光で急激に照らされる。外はもうすっかり昼のようだ。暗がりで今しがた起きたばかりのアヤメには、少々刺激が強い。

 眩しさに眉を顰めながらその光景を呆然と見下ろす家主と目が合うなり、二人は滑稽なほどに取り乱して口々に謝罪を始めた。アヤメの顔が険しかったもので叱られるとでも思ったのか、随分な慌てようである。

 

「あわっ、ちがっ、ごっ、ごめ……ごめんマジ……」

「ごごごごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! あの、な、中にいるのかな、寝てるかなって、あの、それで、なにか音がするかなって、えっとその、そしたらなんかこわっ、こわれちゃって」

「いや、あー、うん、オッケー、大丈夫。とりあえず二人とも、怪我はない?」

 

 あまりの錯乱ぶりに可笑しくなって笑いを堪えつつ、可愛い来訪者たちの目線に合わせて屈み込み、二人の柔らかい膝小僧や小さな掌を確認しながら尋ねる。目が明るさに慣れてきたので、もう顔も怖くはないはず。完璧な優しいお姉さんだ。多分上手くやれている。

 

「……う、うん、どこも痛くないよ。ありがとうアヤメさん」

「オレもない! これくらいどうってことねぇし!」

「それならよかった。扉はまぁ、何とかするから気にしなくていいよ、ホントに。……で、どうしたの。何か用?」

 

 ハッとしたようにコミツとセイハクは顔を見合わせ、そしてセイハクは目を白黒させて脱兎のごとく飛び出した。いつもの事である。本当に何をしに来たんだ。

 ……と思ったら、色とりどりの新鮮な野菜や魚、何やら湯気の立った包みなどが満載された背負い籠を、表からズルズルと引っ張ってすぐに戻ってきた。そこにコミツが特大のりんご飴を一つ乗せてにっこり笑い、アヤメにズイと差し出す。経緯も出所も不明な大量の食材を前に、アヤメは困惑した。

 

「えっ、何? くれるの?」

「おう。ゼンチ先生が朝からずっとカゲロウさんの店で『アヤメはうさ団子しか食っとらんニャ~うさ団子食いすぎニャ~』って妙ちきりんな歌うたいながら踊っててな、母ちゃんがそれ聞いて、これアヤメに持ってけって」

「このあったかいのはセイハクくんのおにぎりで、お魚はカジカさんがくれたの。りんご飴はコミツのね。センナリさんとこのお米と、イブキさんの米粉もあるんだよ。あとねぇ~」

「待って待って、情報量が多い」

 

 思い思いにぺらぺらと捲し立てる二人を制止し、一旦整理しようと試みる。

 

「ゼンチ先生の……歌? は、……色々と言いたいことはあるけど……とりあえず分かった。で、それを聞いたワカナさんと、セイハクくんと、コミツちゃんまでは分かる、うん、ありがと」

「うん、うん」

「そこからなんで、カムラの名産品詰め合わせになった? この辺りで穫れる物、ここに今ほぼ全部あるんじゃないの」

 

 コミツが不思議そうにちょんと首を傾げる。セイハクも露骨に怪訝そうな顔をした。一体何が分からんのかとでも言いたげな表情である。

 

「うさ団子しか食ってないって聞いたら、そりゃみんな心配するに決まってんだろ。ヒノエ姉ちゃんだって、団子と別でちゃんと飯食ってるのにさ」

「食べてるんだ……嘘でしょ……」

「いや今そこの話じゃねーし」

「あはは、ほんとだよ。ミノトさんがね、食べないと怒るんだって! だからアヤメさんも、ふつうのご飯もいっぱい食べないと。ミノトさんに怒られちゃうよ」

「……は、はい……」

 

 アヤメがしどろもどろに返事をすると、さて用は済んだとばかりに、先程からもじもじしていたセイハクがくるりと方向転換し、唐突に外へ飛び出した。お使いを完遂するために相当無理をしていたらしく、遠目に見える後ろ頭は耳まで真っ赤だ。コミツに追い付かれないように猛ダッシュしながら、こちらに手を振って叫ぶ。

 

「それめっちゃ重かったんだからなー! ちゃんと食わねーとダメだぞー! じゃーなー!!」

「あーっコミツも帰るー、待ってよセイハクくーん! あっ、アヤメさんまたね!」

 

 コミツにも手を振られて、思わず振り返した。戸の無くなった戸口に立ちすくんで二つの小さな後ろ姿を見送りながら、脳内では、セイハクがさも当然と言わんばかりに述べた「心配するに決まってんだろ」という言葉が、くるくるとリピートする。

 足元には、『みんなの心配』が盛りに盛られて溢れかけた籠。とりあえず中身を確認して、皆に礼を言わねば。そう思って籠を持ち上げようとした瞬間、昨夜痛めた左半身が悲鳴を上げた。

 

「ッつぅ……ッ!!」

 

 喉が詰まる程の激痛に、思わず籠から手を放して膝を着いた。確かに子供二人では引きずるしかなかったのも頷けるくらいには重いが、普段のアヤメなら、もうこの程度の物を抱え上げることは苦でもない。それだけ昨夜の無茶が響いているのだろう。起床から今までは異常は感じなかったので、歩くしゃがむ、着替える等の軽い動作は問題ないようだが、しばらくは日常の何気ない行動にも気を抜けなさそうだ。痛いやら情けないやらで、アヤメは大きく肩を落として溜め息をついた。

 ゼンチが歌っていたという『アヤメうさ団子食いすぎの歌』は、この状況を見越してのものだったのかもしれない、とようやく思い至る。「大人しく飯食って寝とれニャ」、眠そうな顔をしてそんな事を呟くゼンチの姿が目に浮かんだ。

 

「……はぁーあ、何でもお見通しか。さすが名医サマ」

 

 籠ごと動かすことを早々に諦めて一言ぼやいたら、クルル、と小さく腹の虫が鳴いた。

 

 アヤメの怪我の具合だけでなく、心優しいカムラの民の思考まで完璧に読み切り、妙ちきりんな歌ひとつでそれらをまとめて休息のお膳立てをしてくれたゼンチの粋な計らいには、素直に感謝せざるを得まい。事実ありがたいので、「うさ団子しか食っとらん」という不名誉な流言を拡散した件については、抗議するのは止めにした。よく考えればあながち嘘でもないのだが、よく考えなかったので気付かなかった。

 

 まずは魚を焼こう。おにぎりはまだ温かい、ならばこれも頂こうか。米も、野菜も、空腹を満たして有り余るほどある。料理は大して得意ではないが、食材をひとつひとつ取り出しながら湯気の立つ食事を思い浮かべると、心なしか胸が弾む気がする。狩りには出ずとも腹は減る。そんな情けない自分を、本当に食べて遊んで寝るしか能のなかった幼子の頃と変わらず見守ってくれる、故郷の人々。

 帰ってきてよかった、とアヤメは思う。あの怪我がなければ、今もどこか遠くの狩り場を駆け回っていた。でも、あの怪我がなければ、自分は今この心安らぐ里には帰っていなかった。もしも誰かに「どちらがよかったか」と問われたら、今は少し答えに悩むかもしれない。

 

 穏やかな時間の中で、錘を失って天秤の片側で不安げに揺れていた空の皿は少しずつ少しずつ満たされ、傾いた秤が均衡を取り戻し始めている。しかし、アヤメはまだそれに気付いてはいない。

 

◇◇◇◇

 

 どうせ派手には動けないからと半ば開き直り、久しぶりに、防具を壁に吊るしたままで一週間ほど過ごした。

 歩くことはできるので、本来の意味通りの普段着で、食材の礼(と、決してうさ団子しか食べていないわけではないこと)を伝えに里を回った。出会う誰しもが物珍しさに目をひん剥いて二度見してくるのは多少気に懸かったが、それを除けば当然防具よりもずっと涼しく身軽で、快適だ。そうこうしているうちに身体の痛みも徐々に軽くなり、今ではすっかり全快した。

 

 ついでに、普段着の持ち合わせがロクにないことが里の女性衆にバレてしまい、比較的体格の近いシイカから、お下がりの服まで貰った。木綿の着物に裁着袴という、カムラ女性独特のスタイル。実は密かになかなか機動的で良さそうだと思っていたので、早速今日はそれを使わせていただいている。他の者のように袖の襷は掛けていないが、それでも十分に動きやすい。かつてここに暮らしていた幼少期はこれの子供用を着ていたこともあり、故郷に帰ってきたのだという実感が一層強くなった。

 

 数日をかけて、一通りの御礼参りは済んだ。あとはイブキに米粉の礼を言えば完了である。しかし如何せん、ハンターとして走り出したばかりの彼女は、以前にも増して不在にしていることが多い。時間帯を変えて何度か自宅や集会所を訪ねはしたけれど、集会所で見かけたのはちらほらと集まり始めた里外からの応援ハンターだけ。自宅の方も、ルームサービスのアイルーに「いつお戻りになるか分かりませんのニャ、お会いできず淋しいのですニャ~」としゃぼん液まみれの手で泣きつかれるばかりで、一向に会える気配がなかったのだが――

 

「ここはひろーい心で後輩に譲るところでしょ、センパイ」

「そっちこそ先輩の顔立てろや、コーハイ」

 

 空振り覚悟で再度訪れようとした水車小屋の前で、何故かパーフェクトなペアルックをしたイブキとハネナガが、青筋の浮いた額を突き合わせ、不気味な薄ら笑いを浮かべながらバチバチと火花を散らしているのが、少し離れた所から目に入った。お互い一歩も退かぬという意地と気迫に満ち、イブキの方は、組んだ腕の下でこっそり中指まで立てている。

 直感がアヤメの脳内にけたたましい警告音を鳴らした。これはめんどくさいやつです。今すぐ退避してください。

 

「……あーっ! 誰かと思ったらアヤメさんじゃん! おぉーいちょっと! 聞いて聞いてー!!」

「……」

 

 思わず両手で顔を覆って項垂れた。しばらくハンター装備を身に付けていなかったせいで気が緩んで、気配を消すのが下手くそになったのだろうか。ぴょんこぴょんこと飛び跳ねて大手を振りながら、里中に響き渡るような大音量で呼ばれてしまっては、見えなかったも聞こえなかったも通じない。通りすがる里の皆がイブキとアヤメを交互に見比べながら、クスクスと笑っている。

 盛大に溜め息をついたアヤメは、死んだ魚の目をしてダラダラと二人の側へ歩み寄り、立ち止まるなり投げやりに口を開いた。

 

「夫婦喧嘩は犬も食わないって言うじゃない?」

「はァァーー!?」

「だァれが夫婦だ誰が! ちっげーよ!!」

 

 知ったことか。しかし、事情は何一つ分からないが、なんとなく元々血の気が多そうなイブキはともかく、普段は緊張感の欠片もなくヘラヘラしている印象のハネナガまでもがこんなに荒ぶっている点は、気に懸からなくもない。意外と深刻な揉め事なのだろうか。

 

「お揃いの装備までする仲で、何がそんなに気に入らないのさ。仲良くしなよ」

「違うの! そこが最大の問題なのよ!」

「は?」

「こいつ、自分が気に入ったからって、ペアルックなんか絶対イヤだから俺に脱げとか言うんだぜ? 横暴すぎるだろ、俺が先に着てたんだっつーの!」

「……帰るわ。またね」

「ダメー!!」

 

 背を向けて去ろうとしたアヤメの腰にすがり付き、足を踏んじばって抵抗するイブキ。諦めるまで里中を引きずり回してやろうかとも思ったが、お気に入りらしい下ろしたての装備が泥だらけになるのは少し気の毒だ。よく目を引く橙基調のマフラーと、所々を飾る滑らかな白い羽毛、薄くも堅牢な紺碧の鎧が織り成す鮮やかなコントラストは、確かにイブキの底抜けに明るい雰囲気によく似合っている。ハネナガとペアルックだが。

 

 この装備の元となったモンスターを、アヤメは知らない。休暇で他の地域から訪れたというハネナガが身に付けている物しか見たことがなかったので、てっきりどこか遠方のモンスターなのかと思っていたが、イブキが同じ物を手に入れたということは、この近隣にも生息しているようだ。二人の子供じみたファッションバトルには金輪際関わりたくないが、そちらには少し興味が湧いた。

 

「初めて一人で狩った中型モンスターの防具がこんなにイケてたら、そりゃ着たいでしょ! アヤメさんからも言ってやってよー、『アタシに免じて譲ってやって』とかさぁ」

「一人でとはまた、デビューして間もないってのになかなかやるね。ところでさ、その中型モンスターってやつ、どんななの? アタシ見たことないんだ」

「鎌鼬竜オサイズチ。統率の取れた子分を引き連れて襲ってくる、頭のキレる鳥竜種だよ。シューッと細身でな、見た目の色味はこの装備の印象そのまんま。器用にブン回してくる鋭い刃尾にばっかり目が行きがちだけど……なんたって顔がカッコいいんだ。まるでこの俺のように! ハハハッ」

「……」

「……」

「……何だよその目は。感じ悪ィぞアンタ達」

 

 流暢な解説と共に謎のポーズを決めたハネナガ、その彼に向けられたアヤメとイブキの目は、俗に言う『可哀想な人を見る目』。

 

「いや……まぁ……似てるかどうかなんてアタシは知らないけどさ……見たことないし……」

「オサイズチに失礼だわ。謝って」

「んなっ! なんでだ! 見ろよこの流麗な身のこなし! まさに風を斬って舞うオサイズチそのものだろ!?」

 

 憤慨しながら間の抜けた掛け声を上げ、ハネナガはジタバタと四方に手足を振り回し始めた。いつも里の大通りで得意気に披露しているその不審な動作が、里の子供達から陰で『ハネナガダンス』と名付けられ、密かなブームになりつつあることを、彼は果たして知っているのだろうか。

 

「アンタのそれ、前から気にはなってたんだけど……もしかして、東の方だかどこだかの『演武』ってやつ?」

 

 彼の踊りからオサイズチなるモンスターの戦いぶりを想像するのは不可能だと断定し、だったらもう用はないのでどうにか話題を逸らして逃げ出そうと画策し始めていたアヤメは、とうとう現役時代の記憶まで引っ張り出してきて尋ねた。まだアヤメが駆け出しだった頃、縁あって何度かパーティを組んだ東方出身のハンターが、狩り場へ向かう船の中で似たようなことをしていたのを不意に思い出したのだ。パッと明るくなったハネナガの表情とイブキの好奇心で輝く目に、作戦成功の僅かな希望を見出だす。

 

「おー、そうそう。博識だなぁ、あっちの人間でも知らない奴の方が多いのに」

「アタシが知ってるのとは似ても似つかないから、当たってるんなら誉めてくれてもいいよ」

「エンブ? って何?」

 

 食い付いた。その調子だ。そのままいい感じに忘れてくれ、本題を。

 

「格闘技の型を演じることを、どっかの地域ではそう言うんだって。人に修行の成果を見せるとか、修めた武を神に捧げるとか、その時々で色んな意味があるらしいよ。受け売りだから、アタシも詳しくは分かんないけど」

「へぇー、格闘技! あの変な踊りからはぜんっぜん想像つかなかった!」

「単独での演武でも極めればな、見ている者の目にまで闘ってる相手の姿が浮かび上がってくるんだぜ」

「だとしたらアンタの相手はきっと藁巻か何かだね。……ったく」

 

 小さく一つ息をつき、おもむろに姿勢を正したアヤメの周辺に突如、ビリリと痺れるような空気が走る。思わずすくみ上がったオサイズチコンビが固唾を飲んで見守る中、アヤメは静かに両の掌を合わせた。

 

 かのハンターが行った『演武』を初めて目にした時のアヤメも、その流れるように美しく鋭い動きに心奪われ、目を輝かせて詳細を尋ねたものだ。軽い鍛練に良いからと、彼は移動の間中、同じ動作を丁寧に繰り返して見せてくれた。夢中になって真似をした一連の型は驚くほどすんなりと身体に馴染み、今でも自然になぞることができる。

 教わった当時の記憶が甦ったのは、本当に久方ぶりだ。怒濤の如く過ぎたその後の濃密な時間に押し流され、いつの間にか顔を合わせる機会のなくなった東方の彼の名前すら、今はもう思い出せない。しかし、狩りの前に不安で押し潰されそうになった時、悪夢に心が飲み込まれそうになった夜、様々な場面で、祈りにも似た構えで始まるこの演武は、無意識に幾度となく身体から流れ出して来た。

 

 深呼吸。閉じた腕と胸をゆっくりと開きながら瞼を閉じ、闘う相手の輪郭を鮮明にイメージする。両腕に携えた鋭い刃。闇夜に溶け込む漆黒の身体。煌々と光る紅の視線――

 

「――ハッ!!」

 

 極めて短く強い呼吸と同時、乾いた音を立てて両足は地を踏み抜き、繰り出した裏拳は敵の顔面を鋭く打ち据えた。その拳を素早く引き、寸分違わず再び同じ部位へ叩き込む。足を僅かに踏み替えながら腰を落とし、両腕を胴の前で引き絞って防御、すかさず身を翻して反転。受け流す動作をそのまま構えに転じ、突き出した手刀で敵を穿ち抜く。

 

 ベースはハネナガダンスと全く同じ。要した時間、瞬き二つか三つ分ほど。しばらくダラけて過ごしていたにしては上出来か。

 フゥと一息ついてアヤメが空想の世界から戻ると、イブキとハネナガは豆鉄砲の速射を喰らったフクズクのような顔で、呆然とこちらを見ていた。

 

◇◇◇◇

 

「……怪我人じゃなかったのかって顔に書いてあるよ、お二人さん」

「う、うん……え、治ったの……?」

 

 困惑を隠し切れないといった様子で問うイブキ、開いた口を閉じるのも忘れっぱなしのハネナガ。二人の頭は今見た光景でいっぱいだろう。日頃から人前では大人しくしておいてよかった。これで逃げられる。アヤメは心の中で小さくガッツポーズをした。

 

「いーや、全然。これくらいは怪我人でもできるってだけ。……ねぇ、ハネナガ」

「は、はいッ!?」

「アンタ、一応現役でしょ。休暇もいいけどちょっとは鍛練しなよ、怪我したくなかったらさ」

「ハハ……返す言葉もございません……」

「アヤメさん!!」

 

 決まり悪そうに頭を掻いて苦笑するハネナガを押し退けて、イブキがずいっとにじり寄ってきた。もうその目に惑いはなく、初めて顔を合わせた時とまるきり同じ顔だ。もっと知りたい、何でも喰らって血肉にしたいという貪欲さに満ちた視線が、アヤメを真っ直ぐに貫いている。きっとこの子は狩りの時もこんな顔をしているのだろう、と、根拠もなく思う。

 

「ホントに……ホントに凄かったわ。ありがとう、良い刺激になった」

「どういたしまして」

「ちょっとだけど、見えた気がしたの。……アヤメさんが闘ってた相手」

 

 そう述べた終わり際の一瞬、イブキの纏う気配が変わった。会話の相手であるアヤメの顔をしっかりと見据えながら、その視線はまるで、アヤメの脳裏に浮かぶあの原生林までを見渡しているように、遠く、深い。

 ドキリとした。

 

「そう? 気がするだけだよ多分。極めないとそうはならないって話だし。アタシのはただ、昔見たのを意味も知らずに真似してるだけだから」

 

 思わず目を逸らす。涼しい態度を装いつつも、心なしか早口になっているのが自分でも分かった。

 気付けば、イブキはいつも通りの無邪気で明るい表情に戻っている。……気のせいだったのだろうか?

 

「見えたんだってマジで! わたしがまだ見たこともないような、なんかすっごいやつ! アヤメさんはずっと、あんなのと闘ってきたのね」

「……何もない所にアンタが何を見たのか、アタシには分かんないからなぁ。ま、それっぽいの狩ったら教えて。答え合わせには付き合うよ、覚えてたらね」

 

 イブキはまだ何か言いたげだが、あまり長居すると、何かの拍子にまた喧嘩の種を思い出すかもしれない。それはごめんだ。何より、緊張を悟られたくなかった。

 じゃあねと強引に話を切り上げ、オサイズチコンビに背を向けて歩き出す。追ってくる様子はない。勝った。

 

 まだ日は高い。帰って寝るには早すぎるが、もう特に用事もない。のんびりとした風に吹かれてぷらぷらと家路を歩きながら、イブキの言葉を思い返す。

 

『ずっと、あんなのと闘ってきたのね』

 

 彼女は、アヤメが闘っている相手が見えた、と言った。嘘を吐いている人間の目ではなかった……と思う。アヤメが虚空に思い描いていたのは人間ですらなく、まだ新人ハンターであるイブキが立ち会ったことなどあるはずもない生き物だが、彼女はそれもなんとなく理解しているようだった。所詮猿真似でしかない演武の相手方に、彼女は一体何を見たのだろうか。

 もし現時点で、仮にそれがぼやけた輪郭の一部だけであっても、アヤメのイメージと重なるものだったのだとしたら――イブキはきっと、とんでもないハンターになるだろう。『答え合わせ』の日は、案外近いかもしれない。そう思うと、妙に胸がざわついた。

 

 彼女について考える時は、いつもそうだ。なんだかソワソワと落ち着きがなくなり、鼓動が少し速くなる。血液がより力強く全身を巡り、身体が火照るような気さえしてくる。

 彼女は、何も知らない子供のような顔で笑ったかと思えば、時々ふと、この世の全てを悟ったような目をする。そう、あの時の目。気のせいなんかじゃない。つくづく不思議な子だ。

 

 いつの間にか自宅をほんの少し通り過ぎて、防護柵の切れ目まで来ていた。人々に忘れられた小さな船着き場。少々歩き疲れた足にパシャリと、透き通った川の水が跳ねる。その傍らでは、今朝から笊に入れて晒しておいたキュウリがよく冷えている。

 昂った身体と頭を冷やすのにはちょうど良い、と、一本手に取って無造作に齧った。

 




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◇◇◇◇

ハネナガダンス、実際にやるとあのスピードでも常人には意外とキツい

【NPC全登場チャレンジ:残り33人】
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