One-way Spiral Staircase   作:まりも@tks55kk

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5-burn【燃焼】

 シッ、シッ、シッ、シッ――

 金属と石の擦れる規則正しく凛と澄んだ音が、今日もカムラの里の空を研ぐ。自分も数え切れないほど同じ行為をしてきたが、こんな音色は一度たりとも奏でられたことがないと思う。目を閉じてこの音に耳を傾けていると背筋が伸び、どんなに荒れた心の波も凪いでいくような気がする。達人の業、ここに極まれり。

 

「ハモンさん。この間頼んだやつ、出来てるかな」

「おお、アヤメか。昨日上がったぞ。ミハバが保管しておるから持って行け」

 

 アヤメは、里の中央に位置する加工屋を訪れていた。後輩への贈り物として依頼していた、弓を受け取りに来たのだ。自身は弓に明るくないので出来の良し悪しは判別できないが、この地方で随一の武具職人と称されるハモンの作であれば、間違いなどあるはずもないだろう。

 会話の間も、刃を研ぐ彼の手が止まることはない。自然に言葉を交わしながらなお一寸も狂わないリズムは、武具を鍛える彼の動作が無我の境地に達していることの表れだ。

 

「ありがとう。さすが、仕事が早い」

「イブキにも礼を言っておけよ。あれが調達してきた臣蜘蛛の糸のお陰で、一つ上の段階まで鍛えられたのだからな」

「うん、分かってる。とは言っても、全然捕まらないけどね……最近はますます忙しそうで」

 

 弓の製作に必要な素材の大半はアヤメが現役時代に自分で入手した物で賄えたが、あとほんの少しがどうしても足りなかった。そこで、偶然顔を合わせた機会に『自分の仕事のついででいいから』とイブキにその不足分の調達を頼んだところ、製作だけでなく、強化に必要な素材まで集めてきてくれたのだった。

 盛大に酒でも振る舞って礼をしたいところだが、ミノトを通して「後輩さんオメデトー☆」という伝言と素材を寄越してきたきり、最近は影すら見かけない。狩猟にのめり込み過ぎて、大社跡あたりに穴でも掘って暮らしているのではないかと、一部の者から心配の声が上がり始めているほどだ。

 ちなみに、怒り狂っていたハネナガとのペアルックについては、胴の一部を違う色に染め直し、他部位は別のモンスターの装備と組み合わせることで妥協できたらしい。最後にちらりと姿を見た時には随分と印象が変わっており、上手くやったものだと感心した。メキメキと成長する様子がその装いからも伺い知れ、またしても、アヤメの心をチリリと灼いた。

 

「イブキの奴め、ここに寄る時も、焦らんでよいと言うのにまるで嵐よ。まだ武器が定まっとらんようでな、毎度毎度あれもこれもと捲し立てて……あまり他人の懐具合を詮索するわけにもいかぬから放っておるが、ちゃんと金の勘定ができておるのか、些か心配になるわ」

「あはは、あんまり計画性とかなさそうだよねあの子。アタシも新人の頃は防具とか作りすぎて、サシミウオ一匹買えなくなってそこら辺の草食べたりしてたから、人のこと言えないけど」

「……こやつもコジリに面倒を見させるべきか……?」

「え、何?」

「独り言だ」

 

 刃の鈍い輝きを一点に見定めるハモンの目が一瞬どんよりと暗くなった気がしたが、下手に突っ込むとなんだか都合の悪い話になりそうなので、見なかったことにした。今は、先の見えない長い療養期間にあっても不自由なく生活できるだけの貯金があって、うさ団子を買いすぎた翌日に草しか食べられなくなることもないから、別にいいのだ。残高を最後に確認したのがいつだったかは忘れたが、多分まだまだ大丈夫。

 

「ところで、おぬしはの方はどうなんだ。身体の具合は」

 

 刃を研ぐ手を止めて顔を上げたハモンからの問いに、胸がチクリとした。

 

 高齢であるハモンは、三つでこの里を出たアヤメの幼少期をよく知る人物の一人だ。当時のアヤメは厳格な雰囲気を纏う彼を怖がって近寄らず、時には顔を見ただけで泣いて親にすがる始末だったので、ニ十年以上を経た再会の時には色んな意味で少し気後れした。しかしハモンはそんな事は気にも留めず、身も心も傷付いて帰郷したアヤメを心底案じて、加工屋としての立場からさりげなくあれこれと気を遣ってくれている。

 今回の弓を依頼しに来た際は『復帰するのか』とその険しい顔を僅かに綻ばせ、ぬか喜びだったと知ると小さく小さく肩を落とした。ハモンが無愛想な仮面の下に深い慈愛を湛える男であることを痛いほど理解した今は、情けない姿を見せるのがとても心苦しい。しかし、強がって嘘を吐く姿など見せようものならもっと悲しませてしまうことも、アヤメはよく知っている。

 

「残念ながら相変わらず。一般人としては十分元気だけど……武器は、まだ」

 

 肩を竦めて短くそう答えると、ハモンは腕を組み、落胆と悔しさの混じる溜め息をついた。

 

「そうか……なんとか軽量化できぬかと試行錯誤はしておるのだが、大剣はやはり、強度や攻撃力との両立が難しくてな」

「ハモンさんも忙しいのに、そうやって気を回してくれるだけでも嬉しいよ。ありがとうね」

「他の武器種を使うことは考えておらんのか? 双剣のように小型の武器ならば、切れ味を多少削って取り回しを良くすることはできるぞ」

「ウツシ教官のがそうだって聞いたよ。……だから、試してはみたんだ。でも無理だった。重さにはギリギリ耐えられても、鬼人化がね」

 

 ギルドからハンター認定を受けるには、対モンスター用武具に関わる全般的な知識や、それぞれの武器の基礎的な取り扱いを身に付けることも求められる。もちろん全ての武器種を完璧に使いこなす必要はないが、他人の武器を借りて戦わざるを得ない状況に置かれることすらあるハンターにとっては、少しでも生存率を上げるための最低ラインがそこなのだ。

 アヤメも、狩り場に持ち出せる練度を保っていたのは大剣などの大型武器だけだが、ハンターの資格を持つ者として当然その最低ラインはクリアしており、一通りの武器を動かす程度のことできる。

 

 重量級の武器では抜刀することすら難しいという現実に打ちのめされてしばらくの後、藁にもすがる思いで次に手に取ったのが双剣だった。数ある対モンスター武器の中で最も軽く、大きな衝撃に晒されるガードという行為も使わない。疾風のように走り、迅雷のような怒濤の速さで敵を切り刻む、超攻撃特化型の武器。これならば――

 持ち上げることはできた。抜くことも、振ることもなんとかできた。しかし、希望を持ったのも束の間、その数分後にはまた絶望した。

 

 防御という概念を捨て去った双剣独特の立ち回りに必要不可欠な『鬼人化』は、強引に全ての身体能力を本来の限界以上まで引き上げる特殊技術だ。学んでさえいれば発動すること自体はそう難しくないのだが、当然、そんな反則のような技がノーリスクであるわけがない。

 未だ癒えぬ傷を抱えるアヤメの身体は、リミッターを外すことによって爆発的に増大する運動負荷に耐えられなかった。鬼人化を保った状態でほんのいくつか簡単な技を繰り出しただけで、ゼンチに救助されたあの夜と同じかそれ以上に、悶絶して修練場の地面をのたうち回る羽目になってしまい――

 

「ゼンチ先生にバレてめちゃくちゃ怒られたよ、下手すりゃ大剣ブン回すより悪いって。昔は一応できてたから、得物が軽ければいけるかなって思ったんだけど」 

「成程……確かにあれは、使うだけで命を縮めるとも言われる技だからな……そうか……」

 

 かつてはハンターとして鳴らしたハモンも、鬼人化が使用者の身体に及ぼす影響は身をもって熟知している。それゆえ、激痛に喘ぐアヤメの姿を想像して胸を痛めたのかもしれない。眉間に深く皺を寄せたハモンは口をへの字に結び、俯いて黙りこんでしまった。

 こうならないように、可能な限り軽めのトーンで、具体的な表現は避けて話したつもりだったが、人の思いやりや優しさは、そんな小細工では誤魔化せない。分かってはいても、誤魔化さずにはいられない。今や祖父のような存在となったハモンの沈んだ顔を見るのが辛くて、アヤメはわざと明るい笑顔を浮かべた。

 

「やだな、そんなに落ち込まないでよハモンさん。ハンターやらなきゃ死ぬってわけでもなし、身の振り方はのんびり考えるから。……じゃ、ハモンさんが作ってくれた弓、交易船に出してくるね。ホントありがと、きっと後輩も喜ぶよ」

「おう……また寄れ」

 

 すぐ隣のミハバに声をかけて荷物を受け取り、視線を戻すと、ハモンはもうこちらに背を向け、武具の手入れ作業に戻っていた。その寡黙な背中は広く逞しいのにどことなく悲しげだが、アヤメにはこれ以上、誤魔化す言葉も術もない。今は武器を持てないことよりも、それが堪らなく悔しかった。

 

◇◇◇◇

 

 歯痒さを胸に押し殺しながら、次の目的地へ。

 もうこの里に帰ってきて随分経つが、深夜に修練場への移動で通過するだけで、人や設備が稼働している時間帯にオトモ広場へ足を踏み入れたことは、まだ一度もなかった。特に理由はない。オトモがいないアヤメには縁のない場所だったというだけだ。

 

 珍しい来客に驚いたらしいイオリが、わさわざ入口まで駆けてきて出迎えてくれた。この彼もまた実の祖父であるハモンに似て、とても心優しい少年だ。あまり暗い顔をしているのも気を遣わせるだろうと、なるべく平常心で軽く手を上げて挨拶をした。

 

「わぁ、こんにちは! ここで会うのは初めて……だよね? 来てくれて嬉しいよ。もしかして、復帰のためにオトモを?」

「違う違う。仮に復帰するとしても、イオリくんのお世話になることはないかな。現役の時もオトモは雇ってなかったんだ。狩り場になんか連れてったら、怪我しやしないかって気が気じゃなくなっちゃうもんでさ」

 

 嘘偽りない事実である。

 アヤメがハンター業に勤しんでいた地域で雇用できたのはアイルーだけだったが、彼らは、アヤメの目にはあまりに小柄で無邪気で、忠誠心が強すぎると映った。主人のためならと我先に危険へ飛び込んでしまう彼らを見ていると、率直に言って心配で仕方ない。

 極めつけが、とあるパーティでの狩猟時。まだ未熟だった他ハンターのオトモのために回復用の粉塵を早々と使い切ってしまい、自身を含む人間の分が不足して危うく死にかけた。そのやらかし以来、オトモを伴わないハンターとしかパーティは組まなくなった。

 他人のオトモに対してですらそうなのだから、自分の相棒として行動を共にし、自分に身を捧げようとするオトモなど、危険な狩りに連れて行けるわけがない。連れて行かないのでは雇われる側も気の毒なので、ずっと一人で狩り場を走ってきた。

 

「そうなんだ! 優しいなぁ……そんなハンターさんに付いたら、オトモ達も逆に張り切っちゃいそうだよ」

「それが怖いんだって。アタシのために張り切ったせいで怪我でもされたら、アタシ死んじゃうよ悲しくて」

 

 軽くもない軽口を叩いて泣き真似などしてみながら、改めてオトモ広場の全容を眺める。中央に設置されたアイルー操作のからくり蛙を使って、沢山のオトモ達が自主的に特訓していた。アイルー達は思い思いに気合いを叫んで突撃したり、たまに休憩して疲れた腹減ったとぼやいたりしている。からくりに向かって尻を向け、ぺんぺんと打ち鳴らして挑発している者もいるが……あれも一応真面目にやっているのだろうか。

 

 アヤメがアイルーをオトモとすることを苦手としている理由はもう一つある。彼らは人間と全く別種の『小型モンスター』でありながら、人間の言葉を理解して使いこなし、人間となんら遜色ない知能も持ち合わせて、人間社会に完璧に適応している。要は姿形が違うだけで、人間とほとんど変わらないのだ。そして性格の違いこそあれ彼らは非常に愛情深く、オトモともなれば全身全霊で主人となったハンターを愛してくれる。

 人間もアイルーも、嫌いなわけでは決してない。しかし、生来パーソナルスペースが少し広めで、べたべたと馴れ合うような人付き合いをあまり好まないアヤメにとって、ハンターとオトモアイルー達が築く蜜月の関係は、少々近すぎるのだった。

 

 鬱蒼とした木々に囲まれたオトモ広場の昼下がりは、柔らかい木漏れ日と緑の風が肌にとても心地良い。そこらにあった大きめの石ころに腰を下ろすと、イオリもその隣にちょこんと座り込んだ。

 用があるのは交易船だが、今日は停泊している日だと聞いたので、急ぐ必要はないだろう。ここに大人しく掛けている分には邪魔にもならなさそうだし、しばらくのんびりして行っても……

 

 そんな事を考えていると、脚にふわりと温かい毛の塊が。見れば、一頭のガルクがアヤメに寄り添って行儀よく伏せ、顎をアヤメの足の甲に預けて目を閉じくつろいでいた。黒地にグレーがうっすらと混じり合うしっとりした毛並みは、薄雲のかかった夜空のような美しさと繊細さを兼ね備えている。よく手入れされているだけでなく、佇まいが綺麗な子だ。

 

「はは、優しい人のことは分かる? やっぱり凄いね、キミ達の鼻は」

 

 イオリが微笑みながらガルクの傍らにひざまずいてその背中をゆっくり撫でると、ガルクが静かに顔を上げた。黒目がちな切れ長の目でちらりとイオリを見やったかと思えば、スンスンと鼻を鳴らしてアヤメのボディチェックを始める。

 

「鼻?」

「うん。感情を持つ生き物は、心の動きに合わせて色んな物質を脳とか身体から無意識に出してるんだって。人間だけじゃなくて、動物も、モンスターもみんな。僕たちには感じ取れないその僅かな物質の匂いを、ガルクは嗅ぎ分けられるんだよ」

「ほー。大したもんだ、知らなかったよ。じゃあ、嘘つけないね」

 

 そう聞いてしまうと、なんだか心まで探られているようで、少し照れ臭い。そろそろ勘弁してくれ、と苦笑いしながらガルクの頭をポンポンと撫でると、ガルクはアヤメを見上げて「なんでだ」とでも言うように、一つ小さく鼻をフンと鳴らした。

 

「そうだね、隠し事にもすぐ気付かれちゃうよ。だからこそ、ガルクの側にいるとすごく正直な自分でいられて、心が安らぐんだ。ひとたび狩りに出掛ければ、すごく頼もしいパートナーだけどね」

 

 アヤメは宥めるようにガルクの頭を撫で続けながら、無言で頷く。

 

 一般的には『牙獣種の小型モンスター』としか認知されていないガルクだが、ガルクと共に生きるこの里で幼少期を過ごしたアヤメは、彼らは子供達の良き守り手であり、頼れる貴重な労働力でもある『人間の仲間』だという感覚を、ごく自然に身に付けていた。この里を引っ越してしばらく経った頃、通っていた学校の近くで野生のガルクが討伐されたと聞いた時は、どうしてそんな酷い事をするのかと夜通し泣いたものだ。アイルーのように言葉を交わすことができないからこそ、人間やアイルーとは違う距離感で接することのできるガルクは確かに、側にいると心安らぐ存在だった。

 

 足元のガルクが、ぷるぷると頭を振ってアヤメの手を振り払う。驚いて手を放すと、ガルクは再びチラリとアヤメを見やり、自分の頭上で所在なさげに浮いた掌を何度か嗅ぐと、今度はプイとそっぽを向いてまた目を閉じてしまった。身体はアヤメの足に寄り添ったままだが、何か気に入らなかったのか。気難しいタイプというやつなのか。

 アヤメの小さな困惑を感じ取ったらしいイオリが、何故か少し悲しげな目で笑って言った。

 

「この子は、ここにいるガルク達の中でも特に繊細なんだ。以前雇われてたハンターさんとの狩りで怪我をして出戻ってきた、まだ若い子なんだけど……それ以来、必要以上に人の顔色を伺うようになっちゃって。初めて会う人にこんなに懐くなんて、今まで一度もなかったかも」

「懐かれてるのこれ? そっぽ向かれたけど」

「あはは、知らなかったらそう思うよね。でも、ガルクが人の身体に触れて休むのは、その人を信頼してる証拠なんだよ」

 

 今度はにっこりと、心底嬉しそうに笑う。傷付いたガルクがアヤメの存在によってリラックスしているらしいことが純粋に嬉しいのだろう。自分ではない他者に注がれる愛情に横から触れるだけでも、人の心は温かさを感じる。アヤメの胸にも、甘いホットミルクのような心地よさが広がった。

 

「元々の気性もちょっと優しすぎるみたいだし、怪我の予後もあまり良くないから、この子はもうずっと僕がここでお世話するつもりでいるんだ。ハンターさんのオトモとして働けなくても、大事な家族だからね」

「そっか。……よかったねぇ、家族だって。嬉しいね」

 

 知らん顔をして狸寝入りをするガルクの頭を再びポンポンと撫でて語りかける。無関心を装いながら、耳だけはしっかりこちらを向いているのが可愛らしい。身体をぐっと折って嘘がつけないその耳に口許を寄せ、イオリに聞こえないように、小声でそっと囁く。

 

「でもさ……嬉しいけど、ちょっと肩身が狭いとか思ってたり……しない?」

 

 ハッとしたように、ガルクが目を見開いて顔を上げた。至近距離で覗き込んだガルクの瞳は、黒玉のように柔らかい光沢を放ちながら、じっとアヤメの奥深くの何かを見定めようとしている。微笑んで鼻先をちょんと合わせると、冷たく湿ったそこがヒクッと震えた。

 

「アンタには分かるのかな……似た者同士の匂い」

 

 ガルクは何も言わない。その沈黙が心を穏やかにさせる。言葉のない二人きりの世界は、とても、とても居心地が良い。

 

「……アヤメさん?」

「ふふ、ちょっと内緒話してただけ。……ね」

 

 悪戯っぽく笑ってガルクにそう目配せしつつ、頭をくしゃっと撫でて姿勢を戻す。ガルクはしばらく何かを思案しながら座ってこちらを見つめていたが、やがて立ち上がり、トコトコとその場を離れて行った。この子はイオリの家族なのだから、あまり情が移ってはいけない。少し淋しい気はするが、これで良い。

 アヤメは立ち上がり、一つ背伸びをして、傍らに置いた大荷物を担いだ。なんだか不思議そうな顔をしているイオリに、さっきの『内緒話』の内容を教えてやるつもりは毛頭ない。勝手にその境遇を己と重ね合わせた、繊細なガルクとの永遠の秘密だ。

 

「……さて、長居しちゃったね。今日は、交易のロンディーネって人に用があって来たんだ。からくりの向こうのアレだよね?」

 

 オトモ達が集るからくり蛙の奥に見える船を指して確認する。様々な物資や絵が積まれたそこ一帯だけがまるで異国のような独特の雰囲気を形成しているので、まあ間違いはないだろう。里から出たことのない者達は珍しがっているようだが、交易船に護衛として随伴した経験もあるアヤメには、少し懐かしさを感じさせる趣もある。

 

「あっ、そうだったんだ。うん、あれが交易船だよ。じゃあ……あっ、アヤメさんそうだ、ちょっと」

 

 突然、イオリが何か思い出したように立ち上がり、アヤメの袖口を掴んで木陰に引っ張り込んだ。急な動きと彼の見た目からは想定していなかった力強さに思わずよろめきながら、おいおい強引だな少年よまだ昼だぞ、などと一瞬思ったが、当然ながらそういうことではなく。

 イオリはちらちらと交易船の方を伺いながら、彼の背丈に合わせて少し腰を屈めたアヤメに小声で耳打ちした。

 

「おじいちゃんが、ロンディーネさんは商人じゃないって言ってたんだ。でも悪い人じゃなさそうだから、とりあえずそっとしておこうって。里の皆の間でもそういうことになってるから、アヤメさんも、そんな感じでお願い」

「……アタシの用件が根本から吹っ飛ぶ話なんだけど。え、商人じゃないの?」

「あ、いや、交易はちゃんとやってくれてるみたいだから、そこは大丈夫だと思うよ。あとは僕もよく分からないけど……いや……なんとなく分かるような……うーん、でも、ロンディーネさんが良い人なのは本当だから」

「?」

 

 何者かは分からないけど、身分を偽っている疑いが濃厚な人。それは『怪しい人』であって『良い人』ではないとアヤメは思っていたが、少なくともここでは違うらしい。まだ世間を知らないイオリだけがそう言っているのならともかく、里の皆も同意見であるらしいことに、少し頭がクラッとした。

 この里のそういうところはとても好きだが、よくこれまで他国に奸計を仕掛けられて滅んだりしなかったものだと思う。まあ、いざそのような事態となれば、里総出で大型モンスターの群れをも撃退する結束力と武力でもって、返り討ちにするのかもしれないが。

 

◇◇◇◇

 

「アヤメさんが見ればなんとなく分かるかも」と曖昧かつ無責任極まりない言葉でイオリに送り出され、内心少しビクビクしながら交易船を訪れたアヤメは、その船の主と従者の姿を一目見て、全知全能の神よろしく全てを理解した。

 

「やあやあ! 初めてお目にかかるね。貴殿もカムラの住民かい? ようこそ、ロマン溢れる我が交易船へ!」

 

 上品でフォーマルな装いの上からでも丸分かりの鍛え上げられた肉体。誇らしげな歓迎の言葉と共に掲げた美しく嫋やかな掌に、うっすらと残る古い剣胼胝の数々。演技じみた笑顔の下にみなぎる異様な覇気。そして、商いには微塵も必要もないのに、堂々と『防具』を装備したアイルー。

 どこからどう見ても歴戦のハンターとオトモです。お疲れ様でした。

 

 身に付けている服飾品や船の質は確かなので、おそらくどこか豊かな大国の王族から遣わされた使者だろう。さすがに表から一見しただけでは国籍や彼女らの真意までは分からないが、ウツシ辺りがちょっと本気を出して調べれば、半刻とかからず何もかも丸裸になりそうなポンコツ偽装だ。「怪しい奴ではなかろうか」より「本当に隠す気があるのか」と疑う方が、よほど失礼がないかもしれない。里の皆が泳がせているのも合点がいった。

 

 イオリや里の者曰く、交易は特に支障なく行えるらしい。ならば問題ない。アヤメは里の皆と同じく、彼女の正体について考えるのをやめた。

 

「さあ、取引開始といこうじゃないか。今回はドンドルマ地方の品が豊富だよ。どうだい、たとえばこの……」

「あーいやいや、悪いけどそうじゃなくて、ちょっと遠方に届けてもらいたい物があるんだ。里の郵便屋じゃあ対応地域外らしくて……お願いできるかな、手間賃はちゃんと払うから」

「ふむ?」

 

 積み荷から取り出した立派なドンドルマリンを片手に算盤を弾きかけていたロンディーネだったが、アヤメの申し出を聞くとすぐにそれらを下げ、地図と送り状の宛先を照らし合わせ始めた。普通に話の通じる人物ではあるらしい。

 黙っていれば落ち着いた知性を感じさせるその横顔からは、本能だけで走り回る脳筋ハンターとは全く違う気品のようなものが漂っている。同じハンターと言っても(本人は言ってないが)やっぱりお偉いさんのお付き(推定)は違うねぇ、と、イブキやハネナガの顔を思い浮かべながらアヤメは思った。かつて金勘定に失敗してそこら辺の草を食べていた、自分自身のことは棚に上げて。

 

「定期交易で必ず寄港する国だね。問題ないよ。お届け先は内陸だから、港であちらの郵便屋に引き継ぐという形になるが、それでいいかな?」

「ありがとう、助かるよ。じゃあこれ、頼みたい荷物」

 

 順調に話が進むことに安堵しながら、ハモンお手製の弓を包んだ荷物を差し出す。手紙と緩衝材を入れて布で丁寧に梱包はしてあるが、そこは手練のハンター、外見と形状ですぐに中身を把握したようだ。分からないフリはどうしてもできないらしい。ハンターとしては極めて有能そうな目をしているが、残念ながら隠密の才には恵まれなかったようだ。

 

「狩猟用の弓か。大きさからして……小型モンスター素材の物かな? ということは、送り先は新人ハンターかい」

「そう。就任一年記念のお祝い品なんだ」

「それは素晴らしい。この里が誇る技術の粋が詰まった武具とあらば、先方もさぞ喜ぶことだろうね。いやはや何ともうらやま」

「……」

「ここの裏の山はいつも大変美しい。見ているだけで心が洗われるような裏山だ、ウム」

「島だけどここ」

「おや? 貴殿には見えないのかい?」

「悪いね、ちょっと疲れてるみたいで」

 

 不自然な高笑いをしながら、伝票や書類を取り出してテキパキと手続きの準備を始めるロンディーネ。さっきから目を合わせてくれない。誰に何を言われてカムラの里へ来たのか知らないが、もしその命を出した人物に謁見する機会があれば、人選の理由を尋ねてみたいものだと強く思う。ちょっと失敗したかなって思ったことありません? とか。

 

 書類に必要事項の記入を求められ、テーブルに掛けて手渡された羽ペンを紙にすらすらと走らせる。この里で使われる筆記具はもっぱら墨と筆だが、都会育ちのアヤメにとってはこちらの方が手に馴染む。モンスターの狩猟に使用する武器は危険物扱いであるため、海を越えて輸送するとなると、色々と手続きが面倒だ。しかし何はともあれ、これを終えればここでの用は済む。

 さて、その後は残った今日をどうやって過ごそうか。あと三行。あと二行。

 

「ところで貴殿も、狩猟では弓を?」

 

 ピタリ。不意に投げかけられたロンディーネからの問いに、淀みなく文字を綴っていたアヤメの手が止まり、ペン先からインクが一滴、ぽとりと落ちた。

 

「違うよ。アタシは……モンスターとなんか、戦えないし」

 

 再びペンが走り出す。滲んだインクを引きずって強引に文字を綴る。最後の一行は不格好になったが、読めないことはないだろう。

 ペンをインク壺に挿しながら目も合わせずに出来上がった書類を渡すと、ロンディーネは空欄に手早く判を押し、大仰な口調で言った。

 

「ほう。それは意外だね」

 

 表情を失った顔を上げる。ロンディーネはいつの間にか向かいの席で、悠々と脚を組んでアヤメの瞳をじっと見つめている。息が止まった。

 

「貴殿の瞳の奥には、美しい炎が見えるよ。度重なる災禍に抗いながら連綿と受け継がれてきた、勇ましいカムラのたたら場と同じ色だ。何があろうとも決して消すことのできない熱が、燃え上がる時を今か今かと待ちながら燻っている。……私にはそう見えるが、違うかな」

 

 半身を乗り出して頬杖をつき、余裕と自信に満ちた挑戦的な笑みを浮かべて、瞬きもせずアヤメを射抜く視線。炎を擁する瞳なるものが今ここにあると言うのなら、それは自分の側ではなくそちらではないか――そう思ったが、自称商人のそこはかとない迫力に圧され、言葉にならなかった。

 

「……アンタ……」

「ふふ。しがない商人の、ただの勘さ。人を見る目には、少しばかり自信はあるがね」

 

 言葉に詰まってしまったアヤメに何を思ったか、ロンディーネは先程の圧が嘘のように消え失せた柔らかな笑顔で、細い指に挟んだ小さな紙切れをピラリとアヤメの眼前にはためかせた。輸送料の請求書だ。

 

「ブスブス煙上げて燻ってるだけの物を、炎なんて呼べるもんかな」

 

 思わず口から零れた自虐的な言葉に、少し嫌気が差した。示された料金を過不足なくテーブルに置き、アヤメが席を立つ。

 

「燻るという現象は、そこに火種があるから起きるんだ。条件さえ整えば、たちまち炎が噴き出して渦を巻く。それなら初めからそこにあるのと同じさ」

「……」

 

 領収書をアヤメの胸元にトンと押し付けて受け取らせると、ロンディーネはくるりと踵を返し、預けた荷物に送り状を景気よくペシッと貼り付けた。

 

「よし、準備完了! 大切なお届け物の件、確かに承った。交易の方も、興味を持ったらいつでも声をかけてくれたまえ。――では、また会おう!」

 

 初対面の人間に何もかもを見透かされたようで、癪に触ることこの上ないが、ロンディーネの爽やかな別れの挨拶と笑顔は、そんな苛立ちを吹き飛ばすほどに明るく溌剌としていた。確かに『悪い人じゃなさそうだから』、また会うこともあるだろう。

 アヤメは来た時にイオリにしたのと同じように片手を上げて応え、オトモ達の活気で溢れる広場を後にする。その後ろ姿を、木陰からあの漆黒のガルクがじっと見つめていた。

 




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◇◇◇◇

うちのアヤメさんは常識人だけど、私生活はけっこう雑

【NPC全登場チャレンジ:残り29人】
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