One-way Spiral Staircase 作:まりも@tks55kk
アヤメは怒っていた。
「……来ない」
集会所の一角に朝から晩まで陣取り、ウツシを待ち伏せ始めて早一週間近くが過ぎようとしていた。
しかし待てど暮らせど、ウツシは一度たりとも来やしない。これから会う機会が増えるだろうとか言っていたのはどの口だ。用のない時には散々騒いでやかましい癖に、肝心な時には姿どころか髪の毛一本見えないではないか。何のためにあんなに目立つトゲ頭をしているのだ。
待っている間に漫然とうさ団子を食べ過ぎて、ちょっとだけ身体が重くなったような気がする。それに関しては間違いなく誰がどこからどう見ても完全にアヤメが悪いのだが、ここから動けないのもうさ団子が美味し過ぎるのも、全部引っくるめてウツシに責任を擦り付けたいくらい、アヤメは極めて身勝手に苛ついていた。初めのうちこそ、待っているのはこちらの都合、相手も忙しいのだからと自分に言い聞かせていたが、今となってはそれも忘れた。
アヤメが苛ついている理由はもう一つある。イブキの方は死体事件の翌日から、平然と集会所に姿を見せるようになったからである。
彼女はいつも背中に堂々と、アヤメから奪い取った大剣を担いでやってくる。その点についてイブキを一方的に責めるつもりは、今のアヤメにはなかった。取り返したところで自分がそれを使えるわけでもないので、ただただ、自分と別れた後に何をしていたのか、一体何を考えているのかを聞きたいだけだ。
しかしイブキは、アヤメの姿を見るなり猛烈な勢いで二階に駆け込み、しばらくすると上の窓から飛び降りて出ていく――というのを繰り返している。あの調子では、モンスター用の罠で捕獲しようが拷問にかけようが、死んだフリをしてでも黙秘を貫き通すに決まっている。訳も分からず無視され続けて気分の良い人間などいない。一体自分が何をしたというのか。
彼女が携える大剣が日を追うごとに昔の鋭さと輝きを取り戻していること、それとは裏腹に、イブキが毎日どこかしらに新しい傷をこさえてどんどん包帯と絆創膏だらけになっていることは、遠目に見ていても分かった。
ミノトから聞いた話によれば、最近はクエストには出掛けず、修練場で何かの訓練をしているらしい。ここにアヤメがいることを知りながらも集会所に通ってくるのは、訓練で使用した大剣を、二階の加工屋で逐一メンテナンスしているからだと思われる。
アヤメとイブキの関係が何やら異様な状態であることは、集会所の面々にもとっくに知れている。ここ数日のイブキが真っ当に過ごしているらしいことは分かるが、彼女が何故あんなにもアヤメを避けるのか、その理由だけは誰一人として分からなかった。「イブキの頭の中身と動向はウツシから聞くしかない」という判断が正しいことだけは証明されたけれど、その証明の結果として得られる物がなさすぎる。それが尚更、アヤメの苛立ちを増幅させていた。
例の死体事件は相変わらず、モンスターの仕業ということになっている。しかし、当該モンスターを発見したという報告は一向に上がらないまま、目下完全に迷宮入りしていた。あのウツシがこれだけ調べてモンスターの一体も見つけられないとはどういうことだ。ちゃんとやっているのかおいウツシ。愛弟子と遊んでるんじゃないのか。ああ、ますます腹が立つ。
カムラ最強の仏頂面を誇るミノトには遠く及ばないものの、アヤメも強い感情を露にすることは少ない人物だと周りから認識されており、自身も概ねそう自覚している。感情の抑揚自体がそんなに大きい方ではないし、その感情を表現するのも決して得意ではない。
しかしだからと言って、怒らないわけではないのだ。そしてまた、本人の預かり知らぬ所でミノトが暴露した通り、彼女の性根は人並みを大きく外れた頑固者でもあった。黙してひたすらテラスでウツシを待つアヤメの背中が放つ暗黒オーラと、初めて公に披露したあまりの頑なさには、皆が若干引いて距離を置いているほどだ。
ちょうど一週間経ったところで、鬱憤を溜め込み過ぎて魂が闇に飲まれ始めたアヤメを見かねたゴコクから、ついに「とりあえず何でもいいからそこにいる以外の事をするでゲコ」と命じられた。
ウツシが来たらちゃんと引き合わせてやるからと説得され、渋々従うことにはしたが、パッと頭を切り替えて遊びに出掛けられるほど器用でもない。端的に言えばストレス発散がド下手くそなのである。苛立ちと食べ過ぎたうさ団子が詰まって鬱血した頭に残る僅かな理性を総動員し、自分にできる事を考え、かろうじて一つだけ閃いた案に縋るしかなかった。
◇◇◇◇
案というのは、集会所の二階、最近のイブキがいつも逃げるように転がり込んでいる、加工屋のナカゴを訪ねることだ。イブキの大剣を整備しているらしいナカゴに聞けば何か分かるかもしれないという、一縷の望みに賭けての行動だった。
一階にはいつもいるし、なんなら最近は住んでいるのかというくらいいたが、不本意ながら武具には縁のない生活を送っているので、二階に上がるのは初めてだ。ここを職場としているナカゴやコジリとも、彼らが仕事を終えて降りてきた時に居合わせれば軽く挨拶をする顔見知りといった程度で、面と向かって会話をしたことはなかった。
入口から中を覗くと、コジリは仕事道具の手入れを、ナカゴは帳面の記入をしながら、仲良く一緒に身を揺らしてフンフンと歌っているところだった。彼らが寝食を共にするほど親しい仲だとはハモンから聞いていたが、よもや里一番のバカップルである米屋夫婦をも凌ごうかという勢いの睦まじさである。二人が時たま用もないのに顔を見合わせながら楽しそうに働く姿を目にしただけで、ささくれ立った心が少し癒された気がした。
「はいはい。直近のは確かに、僕がやらせてもらってますよ」
アヤメからの「最近イブキが大剣持ってきてないか」という問いに対し、ナカゴはあっさりそう答えた。
命や商売に直結する物であることから、ハンター個人の装備情報は機密として扱うのがこの業界の常識なのだが、こんなにペラペラ喋って大丈夫なのだろうか。自分で尋ねておきながら、会話を始めて五秒で饒舌なこの男のことが少し心配になった。しかし今のアヤメにとってはその方が好都合なので、黙っておいて引き続き話を聞く。
「初めに持ってこられた時は大分傷んでいましたけど、刀身や柄にしっかりと残った闘いの跡が、凄まじい気迫を放っていて……手に取った時に、なんだかずっしり来ましたねぇ。重かったです、うん」
心配した次の瞬間、今度はドキリとさせられた。彼は加工屋、様々な武具をゼロから創り出すことを生業としているのだから、大剣という武器の重量は十二分に承知しているはずである。その彼があの夜のイブキと似たような表現をしたことに、少し驚いた。改めて、彼らの言う『重い』という単語の意味に思いを巡らせる。
そんなアヤメの逡巡などいざ知らず、ナカゴはおもむろに筆を置き、腕を組んで首を傾げた。
「しかし……ちょっと不思議なんですよ」
「?」
アヤメもつられて首を傾げる。
「イブキさんね、今までも僕に依頼とか相談とか持ってきてくれることは沢山ありましたけど、本当にしっかり使い込むつもりの物だけは、必ず師匠に頼んでたんです。僕としてはちょっと悔しいですが……まぁそれだけ、師匠の腕を信頼してるってことじゃないですか」
ナカゴの加工屋としての技量を全く知らないこともあり、少々反応に困る。しかし事実がそうであったのならそうなのだろう、と、曖昧に頷いてお茶を濁した。ナカゴは依頼にやって来た時のイブキを思い返すような顔をしながら、ぼやくような口調で本題を口にする。
「なのに、今回はなんで通常より難しい依頼を、わざわざ僕に持ってきたのかなぁって」
「……難しい依頼?」
素材から新しく作るのでもないのに難しいとは、どういうことなのだろうか。現役時代は信頼する腕の良い加工屋に何もかも任せ切りにしており、細かい加工作業についての話を聞いたことのなかったアヤメには、想像がつかない。自分が使う物なのだからちゃんと聞いておけばよかったと、後悔しても後の祭りである。
ふと隣を見ると、いつの間にかコジリも手を止めて、ナカゴと全く同じポーズで首を傾げている。真似をしたわけではなく素でそうなったようだ。やはり夫婦なのではないかこの二人。
「人のお下がり持ってくるハンターなんてのがそもそも珍しいのニャよ。ナカゴが珍しく四苦八苦してたニャ」
――お下がりにしてやったつもりは、一応まだないのだが? 言いたかったがギリギリ堪えた。
歯は随分零れていたし、埃も被っていただろう。さすがに戦闘で付着した血や脂などはきちんと洗浄してあったが、長く使っていなかったので、錆の一つや二つも浮いていたかもしれない。その辺りが原因なのだろうか。
「お下がり……中古を使えるようにするのって、そんなに難しいの? 研ぐだけじゃダメなんだ」
「そりゃあ、長さや重さなんかをご本人に合わせる必要がありますからね」
「あ、そっか」
中古を使ったことはないが、新品を作る度に自分も細かく採寸をされていたことを思い出す。しかし裏を返せば、それは武具作成の際にハンター・加工屋双方が必ず行っているはずの作業だ。それに何の問題が?
武具の加工行程に興味を引かれるうちに、抱えていた苛立ちは少しずつ紛れてきた。「何でもいいからどっか行け」という雑なゴコクの指示が、いかに適切であったかを思い知らされる。
「既にある物を改造する方が、素材持ってきて一から作るより難しいってこと? ごめん、恥ずかしながら、その辺ホント全然知らなくてさ」
「いえいえ。現在の持ち主のために調整するだけなら、まぁ要は目の前にいるその人に合うようにいじればいいので、全然難しくはないんです。……でも、今回はそうじゃありませんからねぇ」
「?」
ナカゴは手元の帳面をペラペラとめくりながら、小さく苦笑した。
「『借り物だから、なるだけ原型は変えずに上手いことしてくれ』って。いやはや、あれには参りました」
「……え……」
全く予想していなかった展開に、吐息混じりの掠れた声が漏れた。あの子が、そんな事を。真っ白になった心の端で、また火花が一つパチリと弾けた音だけが脳内に響く。鋭く痛むような、それが発した熱が心地よいような、不思議な感覚がアヤメの神経を走った。
これまたナカゴと同じタイミングで腕組みを解き、先程いじっていた金槌の具合を片目で確かめながら、コジリが呆れたように続ける。
「武具は持ち主の体格や力量に照らして、ドンピシャになるように調整するもんだニャ。なのにイブキさん、ただ自分に合わせるんじゃダメって言うもんニャから」
「……」
自分が想像できる世界観に置き換えてみた。目の前にいるモンスターを狩りながら、別の場所にいる見たこともない未知のモンスターも同時に狩れと言われるようなものか。微妙に違う気もするが大体そんな感じか。自分がそんな依頼を受けたら、モンスターより先に依頼者を叩き斬る自信がある。
「……細かい事はよく分かんないけど、アイツが無茶苦茶を言ってるってのはなんとなく分かる」
「うん、無茶苦茶ニャ」
「無茶苦茶ですねぇ、ははは。……そうそう、これだ」
帳面をめくるナカゴの手が止まる。なんとなくそこに目をやってみると、開かれていたのはあの大剣の採寸表だった。
アヤメも自分が通っていた加工屋で採寸表をちらっと見たことくらいはあるが、そこに書き込まれた無数の直線や破線、専門用語が何を意味するのかを読み取ることは、知識のないアヤメにはできない。ただ、自分が知っている物に比べて、やたらとその書き込みの量が多いような印象は受けた。実際のところは、イブキと『元の持ち主』双方の情報を詰め込まれているのがその理由だ。
「まあ無茶苦茶でも何でも、ハンターさんのご希望にとことんまで添い遂げるのが僕らの仕事ですから。イブキさんが使っても、元の持ち主にお返ししても大丈夫なようには仕上げてるつもりですけど……上手くできてるといいなぁ」
何故か最後は独り言のように、どこか遠くを見ながらナカゴが言う。もしかして、いやもしかしなくても、サラッと物凄い事を言っている。アヤメは耳を疑った。
ここまでの話を聞く限り、イブキが『元の持ち主』をナカゴに伝えていないことは明らかだ。盗んできたと言っても過言ではない状況なのだから、ある意味当然と言えば当然である。しかしこの一見ヘラヘラした男は、『元の持ち主』を知らないままでそんな芸当ができるらしい。あの厳しいハモンの下で研鑽を積み、おそらくアヤメよりも若くして既に独立を認められている実力は、伊達ではないということか。
素直に感心しつつ、普段目にする機会のない武具の採寸表に好奇心をそそられて、分からないなりにも真剣に眺めていたら、ふと、つむじの辺りに視線を感じた。アヤメが顔を上げると、先程まであらぬ方角を向いていたはずのナカゴがいつの間にかこちらへ向き直り、カウンター越しに自分をまじまじと見つめている。
顔、首、肩、胸、上腕――少し眠たげなナカゴの細い視線が、上半身を蝸牛のようにゆっくりと通過していく。その動きをしばし呆然と追っていたアヤメは、我に返って思わず後退りしようとした。
「……あの……な、ナカゴさん……何……?」
「……すみません、ちょっと失礼します」
「!?」
退がろうとしたら、突然立ち上がったナカゴに素早く右の手首を掴まれ、驚きで肩と心臓が跳び跳ねた。
柔和な顔に似合わぬゴツゴツとした大きな掌の感触は、アヤメの薄い皮膚を通して、彼が数々の武具と共に、ハンターとは全く違った方向で心身共に鍛え上げられてきた歴史を伝えてくる。その力強い手が優しくアヤメの手の甲を取り上げ、さらにそっと両手で包み込んで、丹念にその感触を吟味し始めた。
いくら相手は男性、こちらは故障を抱えた女だとは言え、アヤメは大型モンスターと渡り合ってきたハンターだ。あくまでも一般人であるナカゴの手など、その気になれば振り解くに留まらず、一息に捻り潰すことさえ、本気を出さずとも容易くできる。
分かっているのに、何故かできない。それどころか気付いた時には、されるがままに右腕を丸ごとナカゴに差し出していた。
身体の主に断りもなくゆっくりと曲げ伸ばしされる手首や肘の関節、その動きに合わせて従順に形を変える前腕や上腕の筋肉、それらが折り重なる筋の隙間まで、ナカゴの手指は丁寧に丁寧に確認してゆく。まるでこの一本の腕を通して、身体の内側に至るまで全てを調べ上げられているようだ。しかし、これだけ好き勝手に触れられているにも関わらず、不思議と嫌な感じは全くしない。先日の集会所での胸糞悪い出来事を思い出すことすらなかった。
アヤメの肉体を念入りに調べるナカゴの目は、研いだ太刀の仕上がりを光に照らして確認する時のハモンと全く同じだ。達人に手入れされている時の武器もこんな気持ちなのだろうか――そんな荒唐無稽な考えなどをぼんやりと巡らせながら、ただ黙って身を委ねる。
指先から順に調べを進め、上腕をも通過してきたナカゴの手がグッとアヤメの肩を一度掴んだところで、ようやく解放された。カウンターを挟んだ目と鼻の先で軽く頭を下げて礼を述べるナカゴの声が、遠く霞んだようにしか聴こえない。完全に放心して棒立ちになってしまったアヤメに、コジリが横から大声で呼びかけた。
「おーい。息してるかニャー」
「……はっ」
「はぁ~。……ったくナカゴ、いきなりあんな事したら誰でもビックリするニャ。確かめるんだったら先に言えニャ。可哀想にアヤメさん、地蔵になっちゃったニャ」
「あ、いや……大丈夫。戻った、多分もう人間」
「あっはは、すみませんすみません! 武具のこととなると、つい周りが見えなくなってしまって」
ナカゴは頭を掻きながら何の屈託もなく笑い、そのままの笑顔でパッとアヤメの顔を見る。目が合った瞬間に何故か小さく一つ頷くと、再び腰を下ろし、手元の採寸表に何やら追記し始めた。
手慣れた様子で紙面にスッと線を引きながら、彼は無造作に言う。
「……あの大剣、元はアヤメさんのでしょ」
「へっ!?」
身体の力が抜け切っていたせいか、変な引き笑いみたいな声が出た。
「え、な、なんで」
「……っはは、意外と分かりやすいタイプなんですね」
「!? !?」
顔を上げたナカゴの細い目が悪戯っ子のような笑みでさらに細まり、ついに無くなった。
隠す理由も必要もないので、あの大剣の出所を言い当てられたのは構わないが、些細な動揺に少々弱い性分を見抜かれてしまったことは、なんだか訳が分からないくらい恥ずかしい。顔から火が出そうだ。いや既に大分出ている。これではまるきりナカゴの言う通りではないか。腹が立ってきてますます頬が熱くなり、それにまた狼狽える。
とても静かに『意外と分かりやすく』あたふたするアヤメの様子にまた笑い、仕切り直すように一つ咳払いをすると、ナカゴは千里眼の種明かしを始めた。
「職業柄、武具の作りとハンターさんの身体つきを見れば、どれが誰の物なのかは大体察しがつくんです。イブキさんにお預かりした時から、そうじゃないかなとは薄々思ってまし……てっ」
コジリが突然ナカゴに丸めた紙を投げつけて、口を尖らせた。
「職業柄なんて言葉で気安く括ってもらっちゃ堪らんニャ! そんなモン遠目に見ただけで分かるのなんて師匠とナカゴだけニャよ、この武具オタク」
種明かしも何もあったものではなく千里眼そのものなので、そう言われても仕方ない。
アヤメにも、同種で群れているモンスターを個体ごとに見分けることができるとハンターでない一般人に言ったら、なんで分かるんだ、どれも同じに見えると驚かれた経験くらいはある。しかし、同業者であるコジリから『武具オタク』と揶揄されるナカゴの洞察力は、アヤメのそれとは比べ物にもならないように思われた。
彼の師であるハモンも同じ目を持っているとの言で、ナカゴが呈していた疑問も解決した。イブキは彼らの卓越した観察眼と技量を理解しているからこそ、『元の持ち主』であるアヤメとほとんど交流のないナカゴに依頼を持ち込んだのだろう。しかし所詮は素人の浅知恵、達人の超能力はイブキの理解をさらに上回っていたということである。
「えへへ……まあ、アヤメさんご自身を間近で見たことがなかったので、結構な博打だったんですけどね。はぁーよかった。そういうつもりであの大剣の調整しちゃったんで、違ったらどうしようかと思いました」
採寸表の更新を終えて筆を置いた超能力者は、背伸びをしながら頭の後ろで手を組み、少しいじけたような顔を作ってアヤメを詰った。
「二人とも教えてくれないんですもん。今日も、何か試されてるのかと思ってすごく緊張してたんですよ? 意地悪だなぁ」
「えっごめん、そんなつもりは全然」
あの大剣はイブキの物として扱われていると思い込んでいたのだから、試すも何もない。自分の物だと教える必要性を理解していなかっただけである。
慌てふためいてアヤメが否定すると、ナカゴはわざとらしい膨れっ面をくしゃっと崩して、朗らかに笑った。
「あははは! 嘘です嘘です。いいんですよ、何か事情がおありなんでしょう? 聞いたら正直に答えてくれましたし、さっきので細かい所も色々分かりましたから、十分です。お陰様で、今後の調整が大分気楽にできます」
イブキが大剣を『借りた』相手が判明し、正しい身体的特徴も把握できたから、イブキの希望を叶えやすくなったという意味だ。アヤメが一階で悶々としながらうさ団子を貪り食うだけで一週間も過ごしていたせいで、ナカゴの仕事の難度を無駄に上げてしまっていたらしい。何も知らなかったとは言え申し訳ない。イブキが出入りしていたのは分かっていたのだから、もっと早くここに来ればよかった。
決まり悪そうに頬を掻くアヤメを軽く宥めて微笑むと、ナカゴがおもむろに姿勢を正してアヤメを見つめた。僅かに張った空気につられ、アヤメも少し背筋を伸ばす。
「その様子だと、ただ単に譲った譲られたという簡単なお話ではなさそうですけど……当面は、イブキさんが使うんですよね? あれ」
「あー……うーん、まぁ、うん……そうなるんじゃないかな……」
返してくれないし。アタシは使えないし。現状ではそれが全てである。襲い来る無力感。一度張った表情筋が急速に死んでいくのが自分でも分かる。
「……やっぱり、結構ややこしい感じなんですねぇ」
「……そうですねぇ……」
なんだか無性に遣る瀬なくなってきて、困惑するナカゴの顔を特に何の理由もなく眺め、大仰に溜め息をついた。こんな事をしても困らせるだけなのは分かっているが、戦うことが叶わない身になってもなお手放せなかった相棒がいきなり誘拐されたのだから、それくらい許されたい。
ナカゴはそんなアヤメの様子を見てしばらく何か考え込んでいたが、やがてアヤメの溜め息とは違う、覚悟のような物を滲ませた息を一つ吐いた。そして、明るくおどけていた時とはまるで別人のように引き締まった声で、自らの見解を述べ始める。
「……イブキさんはあの大剣を、自分の得物ではなく、あくまでもあなたから預かった物として、背負いたいんです。そうするんだという強い意志を、イブキさんからも、イブキさんが振ってきた後の剣からも、ビシビシ感じます」
「……」
武具の加工を極めた男の言葉に黙って耳を傾けながら、考えた。
イブキはここでナカゴに、あの大剣を「借りている」と言った。アヤメの前からあれを持ち去る時にも「借りる」と言った。ならば彼女はそういうつもりなのだ。その意志だけは、様々な疑念だらけになっていたアヤメの心にも確かに届いた。イブキはただ、言った通りにしているだけだ。
「武器を鍛えるのに一番必要なのは、希少な素材でも、僕ら加工屋の技術でもありません。それを握る人が持つ、何らかの強い意志です。もちろん、中身は人それぞれでしょうけど……それが乗れば乗るほど武器は強くなり、そこから繰り出される一撃は、重くなります」
「……意志」
ナカゴの静かな声がじわじわと染み込んでくる脳裏に、どうしてだろうか、人生が暗転した夜の光景が突然ふわりと甦った。
自分の半身と引き換えに、強大な一つの命を一撃で叩き壊した瞬間。死に物狂いで振り下ろしたあの刃にも『強い意志』なるものはあったのだろうか。もしもあったのならば、その中身は一体何だっただろう。イブキは、ナカゴは、何故自分の相棒を「重い」と言うのだろう。――
止めどなく流れ始めた脈絡のない思考は、絡まって収拾がつかなくなる寸前で、続くナカゴのらしくもなく力強い言葉にピタリと塞き止められた。
「あの人になら、安心して預けて大丈夫ですよ。これからもっともっと鍛え上げられて、きっと唯一無二の素晴らしい大剣に育つでしょう。僕が、保証します」
無意識に俯きかけていた顔をハッと上げると、真っ直ぐにこちらを見つめるナカゴの、自信に溢れた笑顔と目が合う。やはり少し眠たげな瞼の奥で爛々と輝く、武具とそれを手にする者の未来を見据える瞳に、青空の下で刃を鍛える彼の師の面影が重なった。
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◇◇◇◇
虚空にナカアヤが見える身体にしてやろうか~(当シリーズにはカップリング要素はありません)
【NPC全登場チャレンジ:残り24人】