その一 姉、デートに行く
アメリカ競バ界にその名を轟かせる名門チーム・カルメットの本部は、フロリダ州ハランデール、ガルスストリームパークレース場の近辺に存在する。
ケンタッキー州レキシントンにある旧本部より現オーナーであるアリス・ダーウィンの就任の際に移転されており、オーナーの邸宅を中心として練習場、所属するウマ娘やチームスタッフが滞在時に使用するチーム寮に、下部チームのクラブハウスまで網羅された大きな施設である。希望者はオーナー所有の住宅地の空家を格安で借りることもできる。
その住宅地の一件──
「んじゃ行ってくるから。あんた達今日はどうすんの?トムは留守番ね」
「まあいいけど……姉貴、日付変わる前に帰ってこいよ?」
「アタイは今日は下部の子見に行くッス!姐御、お気をつけて!」
七分丈のスキニージーンズとキャミソールの上に着込んだジャケットというラフな出で立ちで外出の準備を整え、ちょうど出かけるところと言った様子の姉を同居人の二人、智哉とロードがリビングで見送る。
この家は担当ウマ娘のロードの次走である、1月のガルフストリームパークレース場でのG3ハルズホープステークス、そしてその次の本番とも言うべき同レース場の2月開催であるG1ドンハンデキャップの為に智哉がオーナーから借りている。
同居している理由は簡単である。シンデレラクレーミングの騒動から帰国後すぐに、ロードより三人とも怪人の正体をもう知っていると告白された為だった。
バレているならもう隠す必要もないと考え、現在担当している二人と話し合った結果、トレーナーとして生活面のフォローも行うことに至ったのである。
同居して気付いたこともある。ロードは家事能力が高く、そして三人で一番常識的な性格の持ち主だった。
姉の女子力は生誕時に既に死んでおりもうすぐ22年忌である。ロードもあの様子では死んでいるであろうと考えた智哉が、家事を受け持つつもりで三人分の洗濯をしようとした時に事件は起きた。
『お、オイ!!!トレーナー!!洗濯はアタイがやっから!!!』
『……へ?できるのか?洗濯だぜ?』
『あああ当たり前だろォ!!いいからよこせよ!!』
『え?マジでできんの!?姉貴できねえぞ!!!』
『できるに決まってンだろ!!!姐御できねぇの!!?』
こうしてこの共同生活中はロードが洗濯を受け持ち、可能な限り厨房にも立つと立候補したのである。
家事をロードに任せっぱなしのクオは脳内でハンカチを噛んで暴れた。
智哉はこのロードの家事能力に感動した。女子力リビングデッドの姉の世話は一人では大変すぎるのだ。
そんなロードが、窓から姉の後ろ姿を見届け、智哉に報告する。
本日、姉の外出に当たり智哉はロードともう一人に協力を要請している。
理由は今日の姉の外出、その目的のためだった。
「トレーナー、行ったぜ」
「よし、連絡するぞ………ヤッタさん、姉貴が今出ました」
*****
ハランデールより南に30km、フロリダ州の主要都市マイアミは全米でもトップクラスの港湾都市である。
市の東端、ビスケーン湾を挟んだ先はマイアミビーチ市と呼ばれ、全米でも屈指の観光都市として知られている。
そのマイアミビーチ市を東西に分ける大動脈、リンカーンロードの待ち合わせ場所で姉は途方に暮れていた。
この原因は、姉が到着したタイミングでの親友からの連絡だった。
『ごめーんミッちゃん!急にマイキーが離れたくないって〜も〜マイキーったらあ』
『ヤッタ、その理由はちょっと……ぐへえ!?ヤッタ折れる!折れるから!!』
『だから行けなくなっちゃった!ごめんねーじゃあね!!』
久しぶりに会える親友と飲み明かせるのを楽しみにしていた姉は、電話の向こうでの親友の惚気と哀れな恋人のうめき声を聞いて少しだけ荒れた。
親友がずっと探していた意中の人物と再会できたのは喜ぶべきことである。しかしそれでも自分の現状と比べて寂しく感じたのだ。
(あーもう、ヤッちゃんにのろけられるなんてねえ、あたしはあいつの世話で彼氏も作る暇ないってのに)
逆である。姉はむしろ弟に世話を焼き倒されている。
待ち合わせ場所の繁華街の、ヤシの木の噴水の縁に座りながら、姉がため息を吐く。
(ヤッちゃんのせいじゃないけど、何か思い出しちゃったわ。帰ろっかな……)
親友にのろけられた際に、過去の元担当トレーナーとのやりとりを思い出してしまっていた。
姉は英国で一度、弟のトレーナー試験を阻止するために競走バを引退している。しかも元担当に相談せずに、である。
交際を約束していた二人だったが、当然この件は喧嘩の火種となった。
決裂は、元担当の一言だった。
『そんなに弟が大事なら弟と付き合ってろよ!!いつもいつも比べやがって!!』
この言葉に動揺した姉は去りゆく元担当を追いかけられず、それ以来会っていない。
言われて気付いたのだ。自分が常に弟と担当を比べていたことに。
姉は幼い頃より弟を身近に見ていたために、無意識ではあるがその理想は高い。
姉と契約してようやく芽が出た元担当にとっては残酷な話である。
弟を無理矢理アメリカに連れてきて自らの担当に据えたのは、それを確かめるためでもあった。
(……やっぱりあいつのせいじゃん。あんなの身近にいたらそりゃ比べちゃうわよ)
弟には絶対言えない、捻くれた確信。
容姿、知能を兼ね揃え、超人の身体能力まで有した弟は実際に優秀なトレーナーで、既にアメリカで重賞のトロフィーを荒稼ぎしている。
アメリカで怪人として多大な名声を得ており、もし素顔を晒せばアメリカ競バ界のトップスターとしてその名声は更に増すだろう。
そんな弟にお節介を焼こうと帰郷した際に起きた、一度だけの本気の姉弟喧嘩も姉の心に影を落としていた。
あの時、弟に言われた言葉が耳から離れない。
(あーあ、帰ろう。家で飲もっと)
「あれ…?ミッドデイさん?」
嫌な事は忘れようと首を振り、姉が立ち上がった時である。
目の前に、茶髪をいつもと違いオールバックにまとめ、品のいいレザージャケットにスラックス姿の弟の友人が立っていた。
姉はこの姿にピン、と来た。
この弟の友人、チーム・クールモア所属トレーナーのライエン・モアは、世界にもその名を広めつつある有能なトレーナーである。
容姿もなかなか整っており、なおかつ有望な若手。彼に想いを寄せるウマ娘や女性は多い。
そんな男が身なりを整えてこんな繁華街にいる。デートの待ち合わせで間違いないだろう。
「ライエンさんじゃない。奇遇ねー、マイアミまでどうしたの?」
「英国に帰る前にちょっと友人と会っておこうと思ったんだけどね。すっぽかされちゃったみたいで……」
「友人ってまたまたー、デートでしょ?ライエンさんすっぽかす子なんているのねえ」
「ははは……そういうミッドデイさんは?」
「んー?あたしもね、友達にドタキャンされたのよね。こっちは何にも色気が無い話だけどねー」
親友は自分より彼氏を選び、目の前の弟の友人は袖にされたらしいが逢い引き。
姉は少し惨めな気持ちになり、けらけらと笑ってそれを隠した。
どいつもこいつも色気かと、若干理不尽な怒りも覚えていた。
このまま帰ったら弟は八つ当たりの被害に遭うであろう。
しかし、次のライエンの発言で状況は変わった。
「……それなら、ミッドデイさん。すっぽかされた同士でどこか行かない?」
「……え?あたしと?」
「そう、ミッドデイさんとだよ」
姉がぽかんと口を開け、ライエンの言葉を咀嚼する。
そして、思い当たった事を思わず口に出した。
「えっ!?あたし今ナンパされてる!?ライエンさんに!!?」
「ああ…そうなっちゃう、かな?」
(……あっ、この人かなり遊んでるわね)
ナンパ呼ばわりされても意に介さず、爽やかに笑ってみせる弟の友人。
姉はこの対応に女性の扱いの上手さと自信、そして場慣れした雰囲気を感じた。
実際にライエンは無名時代から人間の女性限定で遊び慣れており、女の敵と呼ばれた時期もあった程である。
競走一筋の女子力ノーライフキングの姉とはその戦力に過大な差があるのだ。
「えっ、ええー……参っちゃったなあ、ライエンさんにはお世話になってるし……」
「予約してた店があるんだけど、このままキャンセルするのも勿体ないからね。今日は俺が色々手伝ったご褒美って事で、どうかな?」
「ご褒美……あたしが?やだライエンさん上手いこと言うー!」
「ッ!!!!は、ははは……」
照れた姉がぺちんと軽く目の前の相手の肩を叩き、それを受けたライエンが衝撃でよろめきかけるも、気合で耐えて笑う。
怪人の代理を務める内に、取り繕って平静を装うのが上手くなっていた。言葉に窮しても笑って誤魔化せる、大人の男に成長したのだ。
姉が世話になったと言う通り、弟の怪人に扮した二重生活は彼の協力無くしては、どこかで破綻していた可能性があった。
ちょうど暇になった姉は、そんなここ二年間の協力者の顔を立ててやろうと、ニヤリと笑って言葉に応じる。
それに弟の友人と思って意識はしていなかったが、これ程の才能溢れる話題のトレーナーに言外に興味があると言われているのも悪い気はしない。
「うーん、まあいっか。G1六勝の名ウマ娘のエスコートは安くないわよ、ライエンさん?」
「ああ、勿論。決まりだね」
二人で待ち合わせ場所から離れる。
そんな二人を、遠くから監視する一団。
ウマ娘二人に、男が二人。全員サングラスにマスク姿の異様な集団である。
ウマ娘二人は有名なプロ競走バ、そして男の片割れは近年復帰したかつての天才トレーナーであるために顔を隠していた。顔を晒せば監視どころではない。
そして男のもう片割れは、監視している二人の肉親であるために顔を隠している。
なおウマ娘の片割れは、その身長と黒鹿毛により既に周囲の通行者にバレていた。彼女の奔放振りは全米に知れ渡っているのでまた何か始めたのかと見て見ぬ振りをされている。
その大きい方のウマ娘が、満足気に同行している男に感想を訊ねる。
「出だしはいいんじゃない?マイキー?」
「そうだねヤッタ。何というか、その気にさせるのが上手いね、彼……」
「ねー!上手だよねぇ。トムちゃん、ああいうのお手本にした方がいいよ?」
同行者の返事を聞いた長身のウマ娘、アメリカ現役最強ウマ娘のゼニヤッタが今度はもう一人の男の同行者、智哉に矛先を向けた。
当の本人は全力で眉間に皺を寄せた。こういったやりとりは苦手分野である。
「いや、俺はああいうのはちょっと……」
「ヤッタ姐さんの言う通り、トレーナーはもうちょっとそのクソボケなんとかしろよ……そのうち刺されるぜ?マジで。インディ先輩にもやられかけてるしよォ」
「んだよクソボケって……ロードまで姉貴みたいな事言うなよ」
「実際クソボケでしょ、トムちゃん」
同行している小さい方のウマ娘、ロードにまで非難を浴びる四面楚歌の状況に智哉が頭を掻き、もう一人の同行者に助けを求めるように目を向ける。
かつて、怪人の姿で会ったことがある男だった。
やや強面だが人好きのする笑みをたたえた、ブロンドの髪の男、マイケル・スマイス。
ヤッタの幼馴染兼恋人にして、近年復帰したかつての最年少エクリプス賞最優秀専属トレーナーである。
現在はチーム・ウィンスター所属として復帰。既に重賞も勝利している。
彼の加入にチーム・ウィンスターの面々は沸き立ち、立役者であるファラの株は鰻登りである。
ビリーも先達として慕い、彼にトレーナーとしての在り方を相談する機会も多い。
そんな西海岸の大物トレーナーがデートの出歯亀である。ヤッタに振り回され続ける毎日の彼は体重が数キロ落ちた。
「トモヤ君は確かにその様子だと苦労しそうだね。いやあ、あの完璧超人にしか見えない彼にこんな一面があるなんてね」
「マイケルさんまでそんな事言うんすか……ジャスティ、元気にしてますか?」
「元気だよ。最近は外で遊ぶことも増えた」
怪人の正体を彼も知っている。信頼できる人物としてヤッタから教えていいか聞かれ、快諾したのだ。
あの美容院での一件そのままの、穏やかで優しい人柄の人物である。ヤッタが追いかけ続けた人物だけある、と智哉は考えた。
そして少しだけ負い目もあった。異様に勘の鋭いヤッタに問い詰められて彼の居所をバラしたのは智哉である。
「……ところで、何でヤッタにすぐ言ったの?あれから数日で言うのは酷くない?」
「ああ〜、いや、ヤッタさんかわいそうだなって……」
少しやつれた様子でのマイケルの耳打ちに、智哉が目を逸らしながら弁明する。
チーフに全幅の信頼を寄せられ、多数の管理ウマ娘を預かる彼は多忙な身である。
こんなところで出歯亀する時間ははっきり言って無いが、ヤッタのおねだりで何とか時間を捻出してここに来ている。
「これが終わったらすぐ帰ってレース資料集めて、それから徹夜で担当数人分のレースプラン仕上げてみんなとミーティングかな。飛行機で寝れるからまだ大丈夫、大丈夫……」と頬を痩けさせながら語るマイケルに智哉は心底同情した。一年目の怪人より多忙だった。
「さ、追うよー?どうしたの?」
「い、行こうぜ?マイケルさん」
「そうだね、うん、行こう……」
出歯亀カルテットが、距離を一定に保ちながら尾行を開始する。
今回の一件の発端は、ライエンが智哉と結んだ、姉と二人で会わせてほしいという約束によるものだった。
上手く姉を引き合わせる方法が思いつかなかった智哉は、ヤッタに協力を依頼したのだった。
『え?あのライエン・モアちゃん?なにそれ面白そう。手伝うから見物させて!』
こうしてロードとマイケルも巻き込み、この出歯亀カルテットは組まれたのだ。
デートは、始まったばかりである。
*****
「よっ!よし、一本もらいっ!」
「やるねミッドデイさん。今のはやられたよ」
「でしょー?コツは掴んだわよ」
二人がやってきたのは市内の射撃場である。ここでスコアを競い合い、負けた方が夜の飲み代を持つというちょっとした勝負を行っている。
体が動かせるか勝負事のできる場所がいい、というヤッタと智哉の提案によりこの場所が選ばれた。
今回のデートプランは姉とよく遊ぶヤッタと姉の嗜好をよく知る智哉の全面協力で組まれている。
その際に智哉は、一つアドバイスを送った。
姉のその勝負事好きかつ、負けず嫌いな性格についてである。
『あー……ライエンさん、上手く負けてやるってできます?姉貴、すげえ負けず嫌いなんで負けが込むと機嫌悪くなるんすよね……』
『ああ、それなら得意だよ』
難しい要求だったが、ライエンはあっさりと出来ると言ってのけた。
実際にライエンは相手に花を持たせるのが抜群に上手く、姉の相手をよく務める智哉ですら唸るほどであった。
智哉は知らない事だが、ライエンも気性難の身内を持つ身である。その境遇はよく似ている。
その身内と勘違いしたチーフの好意に嵌められ、ライエンは本格化した身内の担当になる事が内定していた。
日本の短期免許の審査を受けたのもその為である。日本贔屓の身内はいつか日本で走りたいと希望をチーフに伝えたのだ。
「ライエンさん、構え方が様になっててすごいわねー、撃ったことあるの?」
「英国でクレー射撃を少し、ね。所持免許も取ってるよ」
ライエンはこの射撃場で一番古い型のライフルを得物に選んだ。無名時代にストレス解消にクレー射撃に没頭していた頃に使用していた、ロシア製の狙撃銃である。
対して姉はアメリカ軍で制式採用されていたアサルトライフルの民間用モデルを使用している。伝説の殺し屋が使っている小銃の兄弟に当たる。
高精度の狙撃銃とアサルトライフル、命中精度には差があるはずだがそこはウマ娘。強靭な足腰で銃身をしっかり固定し、照準器で狙った通りの位置に姉が当てていく。
姉がある程度確実にスコアを重ねるので、ライエンとしては逆算して上手く負けるのは楽な仕事だった。
「よっし!次もいただき!ライエンさん、お金下ろしてきたらー?」
「大丈夫だよ。それよりミッドデイさん、随分上手くなったね」
にこやかに笑うライエンを見て、何故か姉は動悸が早くなるのを感じた。
(ん……あれー?いや、流石に気のせいでしょ……あたしそんな惚れっぽくないはずだし)
姉は、姉である。弟を引っ張り、競走バとしても先輩の立場である事が多い。
つまり、こうやって包容力を向けられる事が少ないのだ。ダンを気に入っているのも世話を焼いてくれるからである。
本人も気付かない内に、身内に妹を持つライエンの兄気質を好ましく思っていた。
和気藹々といい雰囲気の二人、その一方──
「俺が撃つと毎回ジャムるんだけど……どうなってんだよ……」
「トモ君、おかしくない?まともに撃ててないじゃん……」
まず智哉は撃つ度に弾詰まりを起こして唸っていた。
ここに来ていつもの謎の運の無さを発揮していた。銃に良い思い出も無いので、二度と銃なんて持たねえと心に誓っている。
ロードはクオに代わった。射撃はクオの得意分野である。
「射撃は10%の才能と20%の努力、そして30%の臆病さ。残る40%は、運だろう……な」
「ヤッタ、様子おかしくない?」
「背後に立つな!」
「ぶへえ!!?」
そしてヤッタは姉と同じモデルの小銃を握るやその様子を大きく変え、背後に立ったマイケルに手刀を叩き込んでいた。
大惨事である。片やまともに撃てず、片やのめりこみすぎて人格まで変えていた。
「いてて……あ、あっち終わりみたいだよ」
「行こう……」
「そのキャラまだ続けるの……」
*****
「というわけで!後はここで様子を監視しまーす!音声はライエンちゃんに持たせたマイクで聞けるよー!」
「いいんすかこれ……なんで警備室に通してもらえるんだよ……」
その後も二人はデートを楽しみ、一行の出歯亀は続いた。
そして最後の地、マイアミビーチ市の高級ホテルのシックな雰囲気のスカイラウンジに到着した。
ヤッタの根回しにより何故か警備室の監視カメラを使い、一行は監視している。
そんな映像の向こう、姉は腕を組んで何やら考え事をしていた。
競走一筋で色恋には疎い姉だが、そんな姉でも感じる違和感があった。今日のデートが楽しすぎたのだ。
本来の相手に袖にされたライエンとの同行、本来はその相手用に組まれたデートプランだったと姉は思っている。
自分は代役のはずなのだ、しかし時間を忘れるほどに楽しく、ライエンの気合を感じるデートだった。
(……これ、本当の相手の子、ライエンさんの本命だったのかなあ)
鈍い姉はまだ気付いていない。弟の事を言えない鈍さである。あの弟にしてこの姉である。
「ねえ、ライエンさん」
「どうしたの?今日は俺が払うから好きに頼んでいいよ」
にこやかに楽しそうにする弟の友人、一本気で駆け引きが嫌いな姉は直球で聞いてみることにした。
「今日の本当のデートの相手の子ってさ、本命だった?」
ライエンは、にこりと笑って一言だけ返す。
「……ああ、本命だよ」
返答は過去形ではなく、現在形だった。言外に目の前の君だよ、と伝えたのだ。
この返事に警備室は大盛りあがりである。
行ったー!とヤッタが叫び、マイケルは拍手し、ロードがガッツポーズを決め、智哉は全力で顔を顰める。
「ふーん、そっかあ、ライエンさんそれなのにすっぽかされちゃったのねー、かわいそー!うりうり」
「……へ?はは、ははは!そうなんだよ!すっぽかされたからね……はあ」
しかしこの姉はあの弟の姉である。自分の色恋にはてんで疎いのだ。
警備室の面々は全力でずっこけ、ブーイングの嵐を姉に送った。
姉に肘で突付かれながら、ライエンが小さくため息を溢す。
彼の姉さんだったなこの娘と内心考えていた。
(……ンン??いや、あたし??いや無いわ、無い無い。それは自意識過剰ってやつでしょ)
姉は一瞬言葉の意味を考えたがすぐに頭の片隅にその考えを追いやった。
元担当に振られて以来色恋沙汰から身を置いていた弊害があった。
「いよっし!飲むわよ!!ライエンさんも何か頼んだら?」
「そうだね、飲もうか……」
悩んでもわからない事は忘れようと、姉が次々と注文を出しては、次々にグラスを空にしていく。
ウマ娘は毒に強い耐性がある種族である。勿論アルコールにもその効果を発揮する。
つまりザルである。ウマ娘を家族に持ち、ウマ娘の専門家とも言えるトレーナーであるライエンは当然その事を知っていた。
それでも姉のペースは異常であった。慣れないデートで完全に普段のペースを忘れて飲み倒したのだ。
その結果──
「あははは!!たのしーわねー!ライエンさん飲んでるー!!?」
「ははは…飲み過ぎじゃないかな?」
完全に出来上がってしまっていた。飲み過ぎである。ダンに折檻されてもまだ懲りていない女子力ゾンビがそこにいた。
姉が突っ伏して顔をテーブルに付けながら、ふとライエンに問いかける。
「ねー?ライエンさん?」
「何かな?」
姉は、今日ライエンと同行して気になっていたことがあった。
酔った勢いで、それを聞いておきたくなったのだ。
もしそうだったら、相談したいこともあった。
「ライエンさん、弟か妹っている?」
「………ああ、いるよ。弟も妹も」
「やっぱりそうだったのねー。お兄ちゃんなのね、ライエンさん」
「情けない兄貴だけどね。弟には随分心配されたよ」
ライエンは敢えて妹には言及しなかった。ここで妹の話になると自然と愚痴が溢れるからだった。
英国で障害競走トレーナーの資格を取った、優等生の弟の事だけに留める。
姉がその様子には気付かず、言葉を続ける。
「ライエンさんちはさ、喧嘩したことある?弟と妹、どっちでもいいから」
「うーん、無いかな?弟は優等生だし、妹は俺が折れてるからね……」
姉が突っ伏したまま、声のトーンを落とす。
今のテンションだと愚痴になってしまうかもしれない。
しかし、どうしても弟を持つ身同士で聞いてほしい話があった。
「うちはね、あるの。一回だけ」
「……そうなの?仲良いよね、トモヤ君と」
「うん、でもねー、あたしがお節介焼きすぎてね……その時……」
警備室で、智哉はライエンのマイクを切る。
「……トムちゃん?」
「すいません、ヤッタさん、ここから先は……」
ここから先は、聞きたくない話、そして周囲にも聞かせるべきではない話だった。
過去の姉との大喧嘩。お互いのエゴをぶつけ合い、今も少しだけ心のしこりとして後悔している言葉。
智哉は立ち上がり、警備室の扉に手をかけた。
「今日はここまでっすね。姉貴迎えに行ってきます」
「……いってらっしゃい。でもね、トムちゃん」
「……なんすか?」
そんな智哉をヤッタが止めた。
いつもの奔放で陽気なヤッタとは違う、真剣な表情だった。
「よく考えてね?今日見て思ったけど、ミッちゃんにあれ以上の相手、絶対に現れないよ?」
「……わかってるんすよ。俺も」
そう言い、智哉は警備室を後にした。
今日一日を監視して、智哉もライエンの真摯な気持ちはわかっていた。
最初はプレイボーイの火遊びに姉を巻き込むなと憤った。
俺と仲良くなったのもそれが狙いかよ、とも思っていた。
しかし、今日一日ライエンは姉を楽しませる為に尽力していた。
そこに下心は無かった。ただ姉と楽しむための行動だった、そう色恋に疎い智哉にも実感できていた。
一方、ラウンジでは姉が相談を終え、すっきりとした表情をしていた。
ライエンは真摯に相談に答えてくれた。話を聞いてくれた。
姉はこの人いいな、と何となく感じていた。しかし自分は本命ではない、と首を振ってその考えは捨てていたが。鈍いにも程がある女である。
「ライエンさん、ありがとね。うん、すっきりした」
「役に立ててよかったよ。きっとトモヤ君も本心じゃないから」
「うん……」
ライエンは姉を見ながら、これは長い戦いになるな、と感じていた。
あの日、目を奪われた時の思いは色褪せていない。諦めるつもりはない。
しかし相手はこの女子力アンデッド、そして手強い弟もいる。
(俺の事も覚えてないだろうなあ……何年も前だし)
じっくり行こうと誓ったその時、姉がふと何かを思い出したように、何気なく言った。
「あ、そーだ、ライエンさん?」
「ああ、何かな?」
「──トレーナー、向いてたでしょ?お兄さん」
ライエンの目が見開き、肩が震える。
完全な不意打ちだった。
「……覚えてたの?」
「えー?そりゃー覚えてるでしょ。あんな事あったんだし」
手で口を抑える。今にも叫び出してしまいそうだった。
ライエンは無名時代にやけになった結果として、彼女をとっかえひっかえしていた百戦錬磨のプレイボーイである。
そんな彼は、当然女性の扱いに長けており心を取り繕うのも上手い。
だが、これは効いた。女子力リッチキングの何気ない一言が、クリティカルヒットしてしまっていた。
「………ミッドデイさん!」
「え?どうしたのライエンさん?」
「聞いてほしいことがあるんだ!!今すぐ!!!」
「えっ、なになに?」
じっくり攻めるプランをかなぐり捨てたライエンが、決定的な一言を言おうと意を決する。
すぐにでも彼女に想いを伝えたい、その一心だった。
「俺は!君が──」
「姉貴、帰るぜ」
「おー我が弟!出迎えご苦労!!おぶってー」
「おう」
しかしここで邪魔者が乱入する。当然最も警戒すべき弟である。
やり場を無くしたライエンの手が震え、邪魔者を呆然と見つめる。
「……………トモヤ君?」
「おっ、ライエンさん、奇遇っすね。姉貴の相手させてすいません」
「お前……お前ぇ………!!!!」
怒りのあまり口をぱくぱくとさせながら、ライエンは怒りの形相で智哉を睨みつけた。
約束が違う、と言いたげであった。智哉はその視線を平然と受け止め、姉を背負う。
「じゃ、俺達帰るんで。支払い任せていいっすか?」
「ああ!良いとも……やっぱり君が一番の敵だよ」
「……何の事っすかね?じゃ、そういうことで」
警備室でこの様子を眺めるヤッタが、頬杖をついて呆れた声を上げた。
「トムちゃん、ほんとにお姉ちゃん離れできないねえ」
「トレーナー、このタイミングはねえよ……」
「まあ、いいんじゃないかな」
マイケルの言葉に、ヤッタが頷く。
「そうだねえ、時間の問題だと思うよ?トムちゃん」
酔っ払い、良い気分の背中の姉にチョークスリーパーをかけられるその弟。
それを見つめ、敵認定をするライエン。
攻防は、始まったばかりである──
割とマジで美容師さんの紹介するの忘れてた(これ書いてて気付いた)から後で追記しますやで…。
トッムがアッネになんて言ったかは日本編で明らかになるやで。
ライエン妹は日本で出ます。つまりあのレースを書くやで。
次はケッカちゃん回やで。名前だけは一部から出てるあの子の初登場になります。
神様回はとあるキャラの紹介回にできるから書くやで。その時にちょっとタグ増やします。