トムとフラン   作:AC新作はよ

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というわけで神様回やで。
あ、えく殿のかっこいいターンはもう終わってるやで。
だってこの人、あの一族の大元だし……。


その三 ただ、愛しき我が子のために

フランスの片田舎。小さなレストランの一つのテーブルで、トレーナーの男とヘロド教のシスター見習の少女が向き合う。

その目から光は失われつつあるが、美しい少女だった。

ゆるくウェーブのかかった輝く鹿毛の髪に、透き通った白い肌。

この容姿とその穏やかな気性、信心深さにより地元では評判の少女である。

そんな評判の少女に付き纏う飄々とした、口を開けば口説き文句ばかりの陽気な男。当然地元の者からはよく思われていない。

 

「はい、ご注文!食べたら帰ってね!!」

 

男の前に、がちゃんと音を立てて食事が配膳される。

 

「おっとお、厳しいこと言うねえウェイトレスちゃん!今日は髪を上げてるんだね、似合ってるよ。綺麗だ」

「またそんな事言って……シリュスちゃん、この女たらしに何かされたら言ってね?ぶちのめしちゃうから!」

「いえ、大丈夫ですよ?シメオンさんはそんな事する人じゃありませんから」

「またそうやってシリュスちゃんが甘いから調子に乗るのよ?この男は……」

「ウェイトレスさんは褒めても、私にはあまりそんな事言ってくれませんもの、シメオンさんは。ねえ、シメオンさん?」

 

目を薄く開き、圧を込めた目をシリュスと呼ばれた少女がシメオンに向ける。

この男は本命や入れ込んだ相手にはなぜか素直に言葉が出てこない癖があった。要するにヘタレである。

 

「へ、へへへ……まあいいじゃねえか、マイガール。話があるんだ、聞いてくれよ」

 

目を逸らしてその追求を回避しながら、シメオンが本題に入ろうと話を変える。

逃げたいだけである。とある男によく似たヘタレぶりだった。

 

「話……ですか?シメオンさん、私はもう走ることは……」

「違うんだ、マイガール。走ることじゃねえ」

 

シメオンが少女の顔を真っ直ぐ見つめる。

この二人の付き合いは長い。その出会いは少女シリュスが六歳の時に遡る。

トレーナーを目指しフランス留学中の10代のシメオンが、ある日片田舎の野良レースで彼女を見たのが始まりだった。

 

『嬢ちゃん、速えーなあ。名前、聞いてもいいかい?』

『わたし、シリュスです!おにいさん、どこからきたんですか?』

 

フランスでは、ポニースクール制度が無い代わりにアマチュアのクラブマッチや野良レースが非常に盛んに行われている。

フランス革命以来、トレーナーとの接触も自由である。

決起した気性難達により監獄とも呼ばれた旧バスティーユウマ娘管理委員会本部が全壊し、王族が気性難の恫喝に折れて以来トレーナーとウマ娘の自主性を重んじる気風が育まれてきた。

このシステムを取り入れ、発展させたのがアメリカのクレーミング競走である。

 

こうして出会い、いつか二人で夢の舞台を走ろうと約束して、シメオンはシリュスを常に見守ってきた。

その先に、悲劇が待っていると知らずに。

 

『目が、目が見えないのシメオンさん!私、私の目が………』

『なんでだよ、どうしてマイガールが…俺の夢が……神様、こんなのってねえよ……!!』

 

10歳の誕生日にシリュスは視力を、夢を失った。

原因不明の極端な、矯正不可の視力低下。敬虔なシリュスは聖書すらまともに読めなくなるほどの近視に陥った。

シメオンは彼女の目を治そうと名医を訪ねて回り、そして絶望した。誰も、彼女の目を治せなかった。

神を呪った。誕生日のプレゼントがこれかよ、と。

それから二年が経ち、夢を諦めたシリュスは立ち直った。今はシスター見習として神に縋る日々を過ごしている。

シメオンはせめて、少しでも見れるようにしてやりたいと今も彼女を治す方法を探した。

そして、ようやく手がかりを得たのだ。

 

「……審査がようやく通った。再来年、短期免許がようやく取れるんだ」

「まあ、日本の?おめでとう!シメオンさん」

「……だからよ、マイガール。俺と来ないか?」

「え?私も……?」

「ああ、順番もその頃に回ってくる」

「順番……?」

 

自らの目を指差し、意を決してシメオンは言った。

 

「日本のトレセン学園の医者……そいつなら、君の目を少しは見れるようにできるかもしれないんだ」

「私の目が……?でもシメオンさん、どんなお医者様でも、私の目は……」

「もう一人、ウマソウルの著名な学者にも依頼してある。アイルランド大公の姉とかいうすげえ人だぜ?医学的に無理でも、何か手がかりが得られるかもしれない」

「でも、シメオンさん……」

「マイガール、もう一度勇気を出してくれ。例え走れなくても、俺は君の傍にいるから」

 

身を乗り出し、不安そうなシリュスの手に、自らの手を乗せる。

ずっと守ってくれて、頭を撫でてくれた優しい手。シリュスは、その上にもう片方の自分の手を乗せた。

勇気が湧いてくる。この手が触れてくれるなら、きっとまた自分は頑張れる。

この様子を見て、ウェイトレスはため息をついた。何故か苦いコーヒーが飲みたくて堪らない。

 

(この男、シリュスちゃんへの想いは本物なのよね……文句言えないじゃない)

 

「わかりました、シメオンさん……日本へ、あなたと行きます」

「っし!決まりだなマイガール!……大丈夫さ、今度こそは」

 

微笑み合う二人、それを天から眺める一つの視線。

 

『ダメ、それじゃ治らない……私の、せいだから』

『待っていて、すぐにでもそっちに行くから』

『そのためには、あの女から──』

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

空の向こう、次元を更に超えた場所──

光り輝く空間がそこにあった。いくつもの城が立ち並び、そこでは地上で偉業を成して神に至ったウマ娘達が暮らし、地上を見守っている。

そんな城の中の一つ、最高神である三女神にも匹敵するその神威に見合わぬ、居城と呼ぶには小さな、いや小さすぎる民家。

1LDKの狭く、みすぼらしい家である。ベッドだけはダブルベッドで大きい。貧乏性のこの家に住む女神は大きな城だと落ち着かないのだ。

女神の夫の手製である立て札には、手書きでこう書かれている。

 

──クイルじょうのすけ えく殿 愛の巣──

 

クイルと愛の巣は明らかに筆跡が違い、別の者によって追加で書かれたものだった。

ぶっちゃけ書いたのは女神である。そしてこの等の女神はと言うと──

 

「だる……ジョン、何か面白い事無いかしら?」

 

床に寝転がり、全力でだらけていた。

普段気を張って威厳を持った姿の彼女であるが、こちらが本当の姿である。

怠け者で、守銭奴で、楽して暮らしたい女である。おまけにすぐに保身に走るし肝心な時に役に立たないし調子に乗るとすぐやらかす女である。更に言うと超気性難だった。どうしようもない女である。

しかしそんな彼女だが、世界中で信仰される一大宗教の主神として、全米を含む世界各地で篤く信仰を集める偉大な女神なのだ。

光り輝くその神体。金髪の美しい髪。そして整った美しい顔に青い目。

──女神エクリプス。

かつては世界最強のウマ娘として欧州に名を轟かせ、現在も彼女の影を追うものは多い。

 

「えく殿……天使殿達が来たらズボラがバレるから、せめて寝転がるのはやめてほしいでござる。地上の件も落ち着いたでござるからなあ、サイモンでも呼んで茶でも飲むでござるか?」

「この間来た時、壁に穴開けて帰ったじゃない。またジョンが直すことになるわよ?」

「……やっぱりやめるでござる。あの者、上手く引き伸ばせたようでござるな。巨神殿はしつこいでござるから……」

 

女神の夫、ジョンと呼ばれた男が女神と縁が深い友人の来訪を思い出して眉間に皺を作る。伝説の超気性難であるその女神は、常に何かを破壊して帰るのだ。地上ではエクリプス教の従属神ならびに破壊神として、古くからセントサイモン教というカルト集団より信仰を集めている。

 

しかめっ面も絵になる端正な顔立ちの美丈夫で、黒髪のちょんまげと、着流しがトレードマークの男。

女神エクリプスの唯一の執行官、久居留丈之助。旧姓は小栗。現在も名乗る時は旧姓を使っていた。

生前、彼女のトレーナー施設の開業に伴い所属トレーナーとしての契約書にサインしたつもりが、婚姻届だった過去によるものである。

今は諦め、妻をなんだかんだ言いながら愛している。

女神は各自、配下として天使ウマ娘と地上から連れてきた縁者を執行官に選び、その手足として天界での他の女神との折衝及び、自分達が出張る必要がない程度の事件の対応を任せている。

以前彼は本気モードの三女神の相手をさせられた事がある。彼は荒ウマ娘馴らしと呼ばれた地上最強の超人で、同時に三つの斬撃を放つ武の極みに到達した達人だがいくらなんでも無理があった。その時には一つ一つが聖遺物に匹敵する蹄鉄で蜂の巣にされ、人間チーズと化している。哀れである。

 

「そう、それよ。その件で言うことがあったわ」

「……なんでござるか?」

 

女神が、抗議の視線を夫に送る。

 

「なんでうちの子孫!!日本に行く事になってるのよ!!!?ジョンあなた、見てたのに何もしなかったの!!?」

「仕方ないでござる!!えく殿肝心な時に寝てたでござろう!!?」

 

女神の戸籍上の名前は、エリス・クイルという。

すなわち、久居留家の開祖であり智哉の遠い先祖に当たる。

三女神の寵児のために女神ゴドルフィンが行ったある行為によりめちゃくちゃになった世界だったが、それでも二人は子孫を守るために行動していた。全ては久居留家を繋ぎ、可愛い自分達の子孫を後世にまで残すために。

女神が立ち上がり、夫のちょんまげを握って引っ張った。折檻の時によくやる行為だった。

 

「いだだだだ!?やめるでござるえく殿!!殿中でござる!!!」

「この年代の日本に行ったら!!カナちゃんと会っちゃうでしょ!!!助けたらどうするのよ!!!運命がこんがらがってウチが断絶するじゃない!!?姉弟どっちかは家を継がせたいのよ!!」

「だから拙者は地上に何もできないでござるから!!起こしてもえく殿起きないから!!」

 

女神が怒りの声を上げる。なお原因は当の本神が寝ていたからである。肝心な時にいない女だった。

仕方なく三女神が手を貸して、最悪の事態だけは回避させている。

貸し一つとニヤニヤ笑いながら三女神のリーダー格に言われたのにも、女神は腹が立っていた。要するに八つ当たりである。

 

「大丈夫でござるよきっと!!あの者、どうしようもない時ほど本気出すでござるから!えく殿に似なくてよかったでござる!!!」

「誰が肝心な時に役に立たないですって!!?気にしてることを!!!」

「言葉の綾でござる!!ちぎれる!!拙者の髷がちぎれる!!!」

「ゴドルフィンがやらかしたおかげであなたに似てよかったわねえ!!一言多い所とかあのクソボケな所とかほんとにそっくり!!!!!」

「ぎゃああああ!!!ちぎれるうううううう!!!!」

 

ちょんまげが限界まで引っ張られ、いよいよ千切れようとした所で、女神が手を放した。

許したわけではない。入り口に何者かが近づく気配を感じたのだ。

 

「誰か来たわ。応対の準備をして頂戴」

「いててて……畏まりましてござる。とほほ……」

 

ちょんまげを撫でながら、丈之助が扉を開く。そこにいたのは小さな幼女だった。

鹿毛のツインテールに、綺麗な紫色の目。女神エクリプスと比べたらやや光量の少ない神体。

かつて栄華を誇ったヘロド教、その名を冠す女神ヘロド。

現在は権勢を失いつつあるが、天界で暴れ封印刑という一種の懲役を課された超気性難の管理など、重責を担う立場である。

天界を代表する女神の一柱は、にこりと神好きのする笑顔を丈之助に向けた。

 

「お邪魔するわよ、ジョン君。エクリプス、お茶でもどう?」

「おお、へろ殿」

「……お茶?あなたが?」

 

このヘロドの申し出に女神が疑惑の視線を向けた。

この二人、犬猿の仲である。同じテーブルで茶を飲み談笑するような関係ではない。

かつて、神として駆け出し中の時期にはよくヘロドにマウントを取られ、根に持っていた。根に持つとしつこい女である。

この意趣返しとして、戒律を適当にした自らの宗派でヘロドの宗派から信徒を奪いその力を削いでいる。やり口が陰湿な女である。

 

「たまにはね、まあいいじゃない?あなたと喧嘩ばっかりもと思ったワケよ」

「……ふうん。いいわ、入りなさい。ジョン、お茶の支度をして頂戴」

「はっ。茶菓子も出すでござる。へろ殿、ささ、お座りくだされ」

「ありがとう、ジョン君。あ、紅茶はお砂糖とミルク入れてね?」

「畏まりましてござる」

 

接待の準備に入ろうと、丈之助がキッチンに向かうその時、備え付けのダイヤル式天界電話がけたたましく鳴った。

それをすかさず丈之助が手に取る。

 

「はいはい、こちら女神エクリ……何?封印牢に異常?へろ殿はここに……拙者でござるか?ふうむ、面妖でござるが……承ったでござる」

 

がちゃんと電話を戻すと、丈之助は愛刀を手に取る。

生前に愛用していた備前物の古刀を、女神が再現した業物。

オリジナルは現在、久居留邸で家宝として保存されている。

 

「……何?仕事?」

「どうも封印牢がおかしいようでござる。拙者が指名されたので見てくるでござるよ。へろ殿、お茶も出せず申し訳ないが……」

「ううん、気にしないで?いってらっしゃい」

「何ですって?私の許可なくジョンを呼ぶなんて……ダーレーの仕業かしら」

「まあまあエクリプス、少しお話しましょうよ」

 

苛つく女神をヘロドがなだめながら、丈乃助の外出を見送る。

丈乃助がいなくなった途端にヘロドは腕を組んでその顔を歪めながら、忌々しげに女神を見やった。

 

「相変わらず貧相なせっまい小屋ねえ、ジョン君がかわいそうと思うワケよ。ウチのお城に引っ越してきたら?アンタは犬小屋だけど」

「あ?ジョンにちょっかい出したら殺すって言っただろお前?」

 

夫の前では絶対に出さない声色だった。超気性難の彼女は普段あれでも猫を被っている。

この女神の怒りの反応に気を良くし、更にヘロドが追い打ちをかけるように言葉を続けた。

 

「アンタさあ、この世界まだ見捨ててないの?ゴドルフィンがやった事で世代も運命もめっちゃくちゃ。アンタの子孫がその原因でしょ?ほんとに迷惑な一族よねえ?アンタもそのダメな子孫も」

 

そして、気付かずに逆鱗に触れた。

 

「……死ね」

 

女神の指先から、透明な光線が音を立てずに放たれる。

強烈な殺意を感じたヘロドは、寸での所でそれを避けた。

光線が家の壁を吹き飛ばし、そのまま遠くの城の尖塔に当たり、崩壊させる。

 

「えっ、危な!!ちょっとアンタ!!今のは本気で殺す気だったでしょ!!!」

「……ウチの一族には重い運命を課さない約定を破って、よりによって私に似せた寵児をあてがったのはダーレーよ。だから私がその妨害をしているのは正当な報復」

「アンタ邪魔してたの!?なんてことすんのよ!!!」

「好き放題やられて黙ってるわけないでしょう?それよりもあなた、随分と小さくなったわねえ?」

 

反撃とばかりに、女神がヘロドのその幼女の如き見目に皮肉めいた笑みを浮かべながら言及した。

彼女、女神ヘロドは本来はもっと背が高く、競走バとして全盛期の頃の姿で神として君臨していた身である。

そのはずだった。しかし現在は幼い頃の姿となっていた。

ある理由によって神の力を使いすぎたために、幼い頃の姿しか保てないのだ。

 

「ずいぶん無理したようね?お気に入りの子に奮発した加護を与えて、それであの結果。笑えるわよねえ?寵児の目なんて背伸びして与えるから」

「ッ!!!アンタ……!!」

「あの子、走れないわよ?可哀想ね、ふふふ」

「う……うるさい!!うるさい!!!うるさいいぃぃ!!!」

 

耳を塞ぎ、その場で地団駄を踏む幼きヘロド。

シリュスの視力低下は、自らの末裔である彼女へのヘロドからの誕生日プレゼントが原因だった。

運命が大きく狂った世界。神の介入する余地のある世界での、愛しい我が子への純粋なる好意。そして自らの力を大きく削がれようと、彼女の競走生活が本来の運命よりも素晴らしいものになってほしいという献身。それが、不幸を招いた。

 

「アンタには!!力を使わずに貯め込んで、自分の一族ばっかり贔屓してるアンタにはわからないわよ!!愛し子が、どれほど大切かなんて!私はあの子のためなら何でもするわ!!何もしないで邪魔ばっかりのアンタなんかと違ってね!!」

「そう……何でもするのね?じゃあこれはどうかしら?」

 

その紫の目に涙を目一杯に貯め、切実な叫びを上げるヘロドを見て女神は悦に入った。

完全に調子に乗っている。気に入らない、駆け出し時代に随分とマウントを取ってきた女をやりこめて気持ちよくなっていた。

部屋に備え付けたタンスを開く。

開けた途端、床に大量の光り輝くギニー金貨が散らばった。

貯めに貯め込んだ信仰の力を変換したものである。守銭奴の女神はこれをたまに眺めるのが趣味の一つだった。

ヘロドがそれを見て、唾を飲み込む。

これだけあれば、きっとあの子を助けられる。欲しくて堪らない物が目の前にあった。

 

「……あら、散らばっちゃったわね。誰か拾ってくれないかしら?」

「………ッ!!」

「困ったわねえ。拾ってくれたらあげてもいいのだけれど」

 

言外に這い蹲って拾え、と女神は言っている。最低の女である。

一つの宗派の主神を務めるヘロドにとって、このライバルと思っている相手の前で這い蹲り、おこぼれに預かるなど屈辱以外の何物でもない。

ゆっくりと、その身を震わせながらヘロドが床に膝をつく。

屈辱だった。落ちぶれた自分でも主神で、今も重責を担う身なのだ。

それを見て女神は口をだらしなく開き、顔に満面の笑みが浮かんだ。

 

(あああああ〜〜気持ちいいわ〜!!あのヘロドが!!私の前で膝をついて!!最高の気分ねえ!!!)

 

完全に調子に乗って気持ちよくなっていた。最低の女である。駄女神である。まるでどこかの何かに目覚めた女のようだった。

そもそもヘロドのマウントを根に持ち、適当で合理的な自らの宗派でヘロドから信仰を奪い力を削いだのもこの日の為だった。

根に持つと蛇のようにしつこい女である。

震えながら金貨をかき集めるその惨めな姿に、女神は少しだけ罪悪感が湧いた。やりすぎである。最低の女である。

 

(……この女、ダーレーから一番信頼されているというのに。あいつに相談したらあの子くらい助けてくれるでしょうに)

 

力を大きく削がれたヘロドであったが、それでも世界への影響力は強い。

そしてマウントを取る悪癖はあったが、引きこもりで一族ばかりにかまける女神よりも天界でよく働いている。

問題児ばかりの神の中でも話がわかる存在である。だから三女神のリーダー格、最高神ダーレーは封印中の神の管理など重責を信頼し、任せているのだ。

もういいわよ、と女神が制止しようとしたところで、先程空いた壁の穴から天使ウマ娘が現れた。

 

「エクリプス様!……えっ何ですかこの状況」

「あら、いらっしゃい。気にしなくていいわよ」

 

息も絶え絶えに入ってきた天使ウマ娘がきょとんと、ヘロドが這い蹲り女神がそれを眺めるという状況を飲み込めずに呆然とした。

甲冑姿の看守役の天使だった。その甲冑は一部がへこみ、先程まで何かと闘っていたような様子である。

 

「……あなた、看守ね?何があったの?」

「そうでした!大変です!!封印牢のジュビリー様が!!!」

「……すぐに案内しなさい」

 

夫の危機を察した女神が、すぐさま家を飛び出す。

這い蹲るヘロドが、静かに昏い笑みを浮かべた。

 

 

 

「……上手く行ったわ。ごめんねジョン君」

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

時は少し戻り──

 

「さて、封印牢で異常と聞いたでござるが」

「ええ、ジョン様。奥のジュビリー様の封印がどうもおかしくて……」

 

天界の奥に、封印牢は存在する。

静謐な空間に、三女神がジュエルと呼ぶ水晶のような物質の中に天界で乱闘騒ぎを起こした神、地上にちょっかいを出しすぎた神、更にはとんでもないやらかしをした神等がその罪に応じた期間封印され、反省を促す施設である。

いくつか浮かぶ水晶を眺めながら、看守と丈之助が奥に進む。

 

暴れすぎ、長期の封印を施された最も危険な神の閉じ込められた水晶を目指している道程の途中、鳥かごのような檻に閉じ込められ、がちゃがちゃとそれを揺さぶる小柄な女神と二人が出くわす。

青みがかった黒鹿毛をボブカットにした、慈愛を含んだ目が特徴的な神々しく光り輝く女神だった。

彼女は世界への影響力が強すぎ、そして運命を管理し世界をやり直すその権能により封印できない為に、ダーレーより代わりに悪さをしないようにここでお仕置きとして幼少期の姿と精神に戻され、鳥かごに入れられている。

この世界を作り上げた張本人で下手人、三女神の一人ゴドルフィンである。

 

「だして〜!だして〜〜!!」

「わがまま言ったらめっ!ですよゴドルフィン様。あとでおやつを持ってきますから」

「おやつ食べる〜!でもだして〜!!」

「めっ!大人しくしなさい!あとで遊んであげますし地上のレースも見せてあげますから」

「ホント!?看守ちゃんありがとー!!」

 

実情としては余りお仕置きになっていない。看守は甘やかすし、罰を与えた当のダーレーもよく様子を見に来てはかわいがっている。

ゴドルフィンが機嫌を直したところで、看守の隣の丈之助に気付いた。

 

「あ、ジョン君だ!まだえくちゃん怒ってる?」

「もう怒っていないでござるよ、ごどるふぃん殿。拙者も尽力する故、今しばしお待ちくだされ」

「はーい!ごめんねえ、アメリカとえくちゃんちの子がたいへんだよね?」

「何も心配ござらぬ。何がどうなってあそこまで面妖な事になったのかはわからぬが…まあ何とかなるでござるよ」

 

本来の姿とはかけ離れた子供のような外見と性格の女神ゴドルフィンだが、世界とウマ娘を慈しむ気持ちは強く、今回の自分の失態も悔やんでいる。

アメリカ競バ界に大きく関わるトレーナーの運命を、うっかりの操作ミスにより消してしまい更にその運命をとある女神の子孫に被せてしまった。

ついでに言うと男として生まれるはずだったとある名門の子孫は、ウマ娘として生まれさせてしまっている。

うっかりしすぎである。本来の彼女らしからぬ失態だった。

自分で何とかするために解放を願っているが、頼むからもう何もするなという最高神ダーレーの懇願によりここに入れられていた。頭痛の種である。

 

そんな女神と手を振り合い、二人は奥へ進む。

程なく、目的に到着した。

最強にして、伝説の超気性難の蛮神の元に──

 

「これはまた……いつ見ても恐ろしい気を発しておられるでござるな」

「ジュビリー様はダーレー様御自ら封印されています。その封印はヘロド様の手で厳重に管理されているはずですが……」

 

悪魔の気性を持ち、世界最悪の気性難として知られ、その暴虐な振る舞いと圧倒的な競走能力、そしてどんなトレーナーにも制御しきれなかったという逸話を持つ伝説の超気性難。

血でも被ったかのように赤い鹿毛の髪を腰まで伸ばし、額には楕円の流星。

その背は高く、全身は強靭かつしなやかな筋肉に包まれている。

そして、まるで血が吹き出すかのような瘴気の如きオーラが体から吹き出し、周囲を赤黒く染めている。

その口から覗く歯はまるで肉食獣の牙のようである。それとは裏腹に、その顔は整い、絵画で描かれた美女のように美しい。

世界広しと言えど、彼女以上の超気性難はいないと言われた悪魔のウマ娘。

──その名は、ダイヤモンドジュビリーと言った。

 

彼女がここに封印されている理由──それは三女神への反逆、そして自らが天界を支配した後に地上に返り咲き、地上を気性難の楽園にしようとした野望のためである。

ジュビリーの乱と呼ばれるこの大事件は天界を揺らがせた。

彼女を捕えようとする数多の神相手に、この伝説の超気性難はたった一人で渡り合ったのだ。

彼女と互角に渡り合えるであろう破壊神が、封印刑を執行中だったという間の悪さもあった。

そんな中、とある引きこもりの女神とその執行官が重い腰を上げ、彼女と闘い封印する事に成功して現在に至るのである。

 

丈之助が、封印をその超人の視力で慎重に観察する。

砕けぬはずの封印水晶の端に、わずかな亀裂が入っていた。

 

「これは……まずいでござるな」

「……えっ?まさか!?」

「割れるでござるよ、コレ。拙者が時間を稼ぐのでえく殿かサイモンを呼んでほしいでござる」

「いえ!私も闘います!」

「いや、無理でござるから!早く呼びに行ってほしいでござる!!」

 

看守も腕自慢で鳴らした天使ウマ娘である。

人間一人に任せて自分が逃げてはウマ娘がすたるとばかりに加勢を申し出るも、丈之助がそれを止めに入る。

彼女は超気性難の恐ろしさを、悪魔の強さを知らないのだ。

二人が揉めているその前で、水晶に大きく亀裂が走る。

 

「あっ!ほら、早く行くでござる!!拙者もそんなには……」

「先手必勝!!!!」

「こら!!ならぬ!!」

 

看守が愛用のメイスを取り出して亀裂ごと悪魔の頭を叩き割ろうと迫り、裂帛の気合で振り下ろす。

メイスが激突し、封印の力を失った水晶と悪魔の頭を砕いた。

──はずだった。

 

「何、この手応え………あぐぅ!!?」

 

異様な手応えに戦慄した看守だったが、次の瞬間には首を水晶の中から飛び出た腕に掴まれる。

悪魔が、目を覚ましたのだ。

 

はんはァ?ひまのは(何だァ?今のは)

 

看守のメイスは悪魔の口に捕えられていた。そのまま、バキバキと咀嚼して噛み砕く。

 

「ふぁあ、よう寝た……で、何じゃコイツ。ワシを殴ろうとしたか?お前」

「ぐうううぅう!!?」

 

悪魔が軽く、掴んだ首を締め上げる。

自分の感覚での軽く、である。相手の事は何も配慮していない。

看守の首が軋み、みしみしと音をたてる。

このままへし折れるかという所で、看守が悪魔の手から吹き飛んだ。

 

「看守殿、手荒ですまぬ!早くえく殿かサイモンを!!」

 

横から、丈之助が蹴ったのだ。看守の甲冑の一部にへこんだ跡が残る。

看守は痛みでふらつくもその背中の羽根を伸ばし、言われたとおりに飛び立った。

 

「逃がすと思うかァ?ワシを殴っておいて」

「させぬ!!」

 

一呼吸と共に、悪魔の背中目がけて丈之助の愛刀が同時に三つの斬撃を放つ。

手加減抜きの全力である。この悪魔に手加減をする余裕は、最強の超人であろうと全く無い。

この斬撃を、そちらを振り向きもせずに二つをその身で受け、最後の一太刀を指で挟んで止めた。

 

「……効かぬかあ、武の頂は遠いでござるなあ」

「おお?お前、ジョーノスケだな?結構強かった人間!」

「久しぶりでござるな、ジュビリー殿。起き抜けですまぬが手合わせ願いたい」

 

ようやく丈之助に振り向いた悪魔が、凶悪な笑みを浮かべる。

人間にしてはやる、と覚えていた男が目の前にいて、喧嘩を売ってきた。

そして報復すべきと覚えていた相手でもある。この悪魔は執念深く、用心深く、そしてずる賢い。

 

返事を返さずに、地面を強く踏み込んだ。

 

岩盤が砕け、衝撃で丈之助の体が浮き上がる。

この男の攻略法は既に知っている。玩具を使っている内に仕留めるのだ。

そして、地に足を着けさせてもいけない。狡猾な悪魔は、かつての痛い教訓を対策に変えていた。

拳に赤黒いオーラを集め、落ちてくる男に備える。

 

「おおっと!いきなりでござるか」

「こうしたらジュードーは無理じゃろ?死ね!!!」

 

「──それが、出来るんでござるなあ」

 

拳を振り上げ、にっくき男の顔面を潰したと思ったその瞬間、悪魔は手首に痛みを覚えた。

自らの拳を眺める。振り上げた腕の反動を最大限利用され、手首の関節を外されていた。

ごきりとそれを戻しつつも、悪魔は屈辱で顔を赤く燃え上がらせた。

 

「人間の分際で!ワシの手を外すか!!!」

「まあ落ち着くでござるよ、痛み分けでござるから」

 

着地した丈之助にもダメージがあった。衝撃を逃し切れず、肩が外れていた。

それを軽く握って戻し、再度向かい合う。

ここで丈之助は生来のヘタレを発揮した。

先程の攻防も薄氷の上で何とか痛み分けに持ち込んでいる。

そもそも攻撃力に圧倒的な差があった。あっちの攻撃は当たったらただでは済まない。

対してこちらの攻撃はろくに効かないのだ。神と人の圧倒的な差があった。技術で誤魔化しているだけである。

 

「あの……一応聞きたいでござる。封印に戻るか大人しくする気は……?」

「ない!!!ダーレーとエクリプスは倒すしお前もぎゃふんと言わせる!!!」

「いや、拙者達ほら、一応サイモンとも血縁あるし、お主のご先祖にも当たるわけでござるから……どうか穏便に……」

「知らん!続きをやるぞ!!!」

「あ!ぎゃふん!!ぎゃふんと言ったでござる!!ほら拙者の負け!!もう終わりでござる!!!」

「ワシをバカにしてるのか!!殺す!!!!」

 

ヘタレに命乞いをする丈之助だったが、どこかの子孫とは一味違った。

このやりとりも時間稼ぎの為なのだ。天使が飛んでいけばすぐにここから程近い目的地に到着する。

そうなれば、すっ飛んであの女神は来るだろう、という信頼があった。

すっ飛んでくる女神、すなわち──

 

「隙ありぃいいいぃい!!!!!!」

「お?グワーーーーーー!!!!?」

 

自らの妻、女神エクリプスである。

女神は卑劣にも、後ろから前傾姿勢の全力疾走から飛び蹴りを叩き込んだ。最低の女である。

頭から地面に突っ込んで滑る悪魔を追いかけ、すかさずマウントポジションを取る。

そして拳を振りかぶり──

 

「女神パンチ!」

「グワー!」

「女神チョップ!!」

「グワー!!」

「女神サミング!!!」

「グワー!!!」

「女神頭突き!!女神ビンタ!!!女神地獄突き!!!!」

「グワー!!グワー!!!グワー!!!!」

 

そのまま有無を言わせずタコ殴りにした。最低の女である。

目の前で不意打ちからボコボコにされていく悪魔を見て丈之助はドン引きした。

自分も不意打ちはしたが、ここまではやらないし武道家として真っ向から相手をしたつもりだった。最低の女である。

ぴくぴくと痙攣しだす悪魔を見て、丈之助が焦って止めに入る。

 

「トドメ!女神アームロッ………」

「えく殿!!ステイ!!!もう白目向いてるでござる!!」

「ふん、もう終わり?起き抜けでろくに力も戻ってないのに調子に乗るからよ。ぺっ」

 

夫に止められようやくマウントから悪魔を解放した女神が、その顔に唾を吐きかけた。最低の女である。

そのまま悪魔を肩に担ぎ、のしのしと歩いていく。

 

「戻るわよ。しばらくは起きないし良い機会だからもう何回かシメとくわ」

「いや、やりすぎでござるから!!一応拙者達の子孫でござるよ!!?」

「だからこそよ?一族の先祖としてどっちが上かわからせないと」

「ええー……そういうもんでござるかあ?」

 

この後、丈之助は看守と健闘を称え合い、それに嫉妬した女神に折檻される等の事件がありつつも、夫婦は家路に着いた。

しかし、そこでももう一つ事件が起きたのである。

 

「戻ったわよ、ヘロド……あっ」

「どうしたでござるか、壁に穴が空いて……タンス、空っぽでござるな」

 

壁の穴から中に入り、悪魔を適当に放り投げて転がした所で女神は言葉を失った。

タンスの金貨が全て持ち出され、そしてヘロドは姿を消していた。完全に、やられていた。

思えばこの封印牢の事件も違和感があった。最高神の厳重な封印がそうそう解けるはずがない。

それをヘロドに問い質すつもりでの帰宅だったのだ。

女神がわなわなと震え、全身から滝のような汗をかく。

女神は守銭奴だが、この貯金には目的があった。

 

(やっっっば……全部やられた。ゴドルフィンの権能を奪って、この世界の原因探る為に貯めてた信仰全部……)

 

女神は子孫の為にゴドルフィンの権能の一部を奪い、世界の混乱の原因を探るつもりでずっと力を貯めていたのだった。

それを全部、根こそぎ、ヘロドに持っていかれていた。調子に乗った結果である。

この有様を見て、女神は全て仕組まれ、嵌められた事を悟った。

怒りのままに地上を観れるテレビの電源を付け、ある地点を示す。

そこにヘロドはいた。彼女の愛し子と、そのトレーナーと共に。

 

『……べーーーーだ』

『あら、神様……?』

『えへへ、何でもなーい。行こ!』

『なあお前、本当に神さんなのか…?ちみっこすぎるぜ』

『シメオンさん!神様にそんな事言ったら……』

 

見られている事に気付いたヘロドが、こちらに舌を出してみせた。

この画面を見て、丈之助がうんうんとしたり顔で頷く。

 

「へろ殿、受肉したんでござるか。なるほどえく殿、このために力を貯めていたんでござるなあ」

「へ……?」

「いやこの丈之助、感服いたした。なんだかんだ言いつつ、へろ殿とその愛し子の事を気にかけておられるとは。さすがえく殿でござる」

「え、えーーーーと……そう!そうよ!!そのためよ!!!しょうがないヤツよねえ、自分の従属神も責任も何もかも捨てて地上に行くなんて!!」

 

自分の威厳を守るため、女神はこの話に乗った。調子に乗っただけである。

 

「さて、これから忙しくなるでござるなあ、へろ殿の業務の代行をせねば」

「なんでそうなるのよ!!?」

「いや、そうなるでござろう?送り出したのはえく殿でござるから。留守を守るのは当然にござる。ポテイトーズとサイモンにも連絡いたそう」

 

更に仕事も増えることになった。引きこもりの女神にはいい薬である。

頭を抱える妻を眺めて、丈之助はにこりと笑った。

妻の考えていること等この夫はお見通しだった。どうせ調子に乗った結果だと確信していた。

働かない妻を働かせる良い機会だから上手く乗せたのだ。

 

地上のチャンネルを変え、子孫の青年とその運命の相手をそれぞれ映す。

アメリカと英国、遠く離れている二人は、次は日本でまた共に歩むのだろう。

 

 

 

いつか、共に走れるその日まで──

 

 

 

 

 

「へろ殿とその愛し子、きっと手強いでござるが……まあ心配いらぬだろう」

「いやああああああ!!!!働きたくないいいいい!!!!!」

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