中央トレセン学園、遠征支援委員会。
海外、地方問わず国内外のレースへ遠征するウマ娘達の為に、ホテルの手配から遠征計画書の作成相談まで請け負う、生徒主導の専門組織である。
単なる遠征が実り多き旅路になるように、という委員長の想いにより結成されたこの委員会は、レースへの遠征のみならず私的な旅行を計画しているウマ娘の相談にも対応している。
その委員会が管理する一室で、今──
「……また、トレーナーさんにきつく当たってしまった……」
一人のウマ娘が、耳をぺしゃりと垂れ下がらせ、なめくじのように机に突っ伏していた。
先程まで、自らの担当トレーナーを首輪で繋いで校内を闊歩していたダークブラウンの髪を持つ小柄なウマ娘、ドリームジャーニー。
今月末に行われるグランプリ、宝塚記念にも出走する現役きっての有力ウマ娘である。
「……姉上、聖剣がフランス留学中の今が好機、と言っていたではないか……何をした?」
その前にはもう一人、呆れた顔で姉であるドリームジャーニーを眺めるウマ娘がいた。
プラチナの前髪とオレンジブロンドのロングヘア、そして金細工のような右耳飾りが特徴的な、ウマ娘の中でも際立つ美貌を持った長身のウマ娘、オルフェーヴル。
まだトレーナーとの契約を結んでいないが模擬レースにおいては負け無し、最も三冠に近いウマ娘として校内で注目を集めている。
この固い絆に結ばれた姉妹は、毎朝授業前にこの遠征支援委員会で集まり、短い間ながら二人で語り合う一時を大切な日課としていた。
今日もいつも通り委員会室に立ち寄ったオルフェであったが、このなめくじと化した姉を見なかった事にして教室に向かおうか悩んだ。この状態の姉上は処置無しである。
「……違うんだ、オル。そんなつもりは無かったんだよ」
「罪を犯した者は皆そう言うらしいぞ、姉上。怒らないから申してみよ」
少し身じろぎした後に、ドリジャは垂れ下がりすぎて机にくっついていた耳を上げた。頭を上げる気力は無いらしい。
「今日は、朝からトレーナーさんと会って……」
「昨夜に朝練と言っていたからな、当然であろう」
「朝練中、合間合間に、スマホを覗いて、ニコニコと笑っていたんだよ」
「……おお、もう……姉上、もう良い。皆まで言うな」
痴話喧嘩の雰囲気を感じ取ったオルフェは頭を抱え、姉の言葉を遮ろうとした。
天上天下唯我独尊を地で行く彼女らしくない仕草である。
「フランスからの定時連絡だったよ。返信を忘れていたと……私の朝練中にだよ?私の目の前で……」
「姉上、余はもう良いと言ったぞ」
ドリジャからジメジメとした昏い情念を込めたオーラが立ち上り、オルフェは内心で「怖い余……」と呟いた。姉上の言葉は止まる気配が無い。
「……それで私は、トレーナーさんに首輪を付けて……」
「首輪」
「そのまま学園中を散歩していた」
「爛れてる余……」
余りにも爛れた姉上の暴走に、オルフェは珍しく動揺した様子を見せた。ドン引きである。
なお、当然だがこの首輪散歩は学園中の生徒達に見られており「また黄金一家よ」「爛れてるわね」等とひそひそと囁かれている。
「それから、気付いた時には校舎の裏にいて……誤魔化す為に何故オルをスカウトしないのか、と問い詰めてしまったんだ」
「待て姉上、余の話題をそこで振るのはやめてほしい」
尊大な口調で姉上に物申すオルフェだったが、内容は懇願だった。巻き込まれたくない一心である。
姉上のやらかしの概要を把握した後、オルフェは息を大きく吐き、腕を組んで椅子にもたれる。
自らとも関係深く、何やら運命のような繋がりを感じるトレーナー、川添謙二と契約した姉上は知恵者らしからぬ言動、行動が目に付くようになった。
「姉上、あの者に入れ込むのは良い、良いが……余りにも姉上らしくないぞ」
「……再会したと思ったら、トレーナーさんは既に有力な若手トレーナーで、策を練ってもあの人にだけは見抜かれるんだ。私の意図を察してくれるのは嬉しいのだけど……」
ドリジャはもう一度、机にぺたんと耳を伏せた。
担当である川添トレーナーとは、一度だけ幼少期にとあるウマ娘のレースを観戦した際に出会った事があった。
一人で観戦に来た彼に席を譲ってもらい、その時から強く運命のような物を意識していたが、学園で再会した時には既に若手の有力トレーナーとして名を馳せていた。
──傍らに忠実なる騎士、聖剣の名を持つウマ娘を携えて。
先を越された、とドリジャは感じた。計画通りならば、自分がいるであろう席に先に座っている者がいる。
知恵者であり、学園随一の策略家である彼女はその持ち得る頭脳を存分に生かし、自分以外のウマ娘との接触を断とうと試みた。
まず契約予定のウマ娘と交渉し、川添トレーナーよりも実績のある二人に上手く押し付け、それから満を持して自ら接触し、向こうから契約を持ち掛けてくるように誘導した。
ここまでは全て、彼女の術中にあった。しかし、当の本人はこう言った。
『──そうか、君はすごく賢いんだね』
この一言で、全て見抜かれているとドリジャは悟った。
普段、気性難相手に情けない姿を見せている人物とは思えない鋭い指摘は、彼女限定で何度も起きた。
本人曰く、何となくわかる、という事だった。
「それに、いつも邪魔が入るんだよ……あの、直線バカが……ッ!」
「姉上、落ち着いて余……」
過去を思い返しながら、ドリジャの髪がざわざわと蠢いた。
自分の意図した通りにはならなかったが、無事契約を結んだ後にドリジャは聖剣を排除しようと動いた。
仇敵である聖剣は既にシニア級までを終え、現在は川添トレーナーの下でドリームトロフィーに出走しながらサブトレを務め、彼と契約しているウマ娘達のまとめ役として活動している。そして、スマホの待受画像を聖剣にしている程に二人の仲は深い。
自分の仕業だと発覚しないように慎重に、確実に遠ざけなければならない。彼女は権謀術数の限りを尽くした。
しかし、謀略が成功する目前でいつも邪魔が入った。
『おおっとお!この先は直線ではないので通せませんね!どうしても押し通るのであらばこの早押しクイズに答えてもらおうか!第一問!!古代ウーマ──ぴんぽんぱんぽん!はい!カエサルより私の方が速い!ぴんぽんぴんぽん!正解です!びっくりしましたか?したでしょうが。私が答えないとは言っていません。さあ立ち去りなさい!光の速さで立ち去りなさい!』
万事この調子で、とある直線ウマ娘が現れては妨害していった。本人は何も考えずにただ後輩に絡んでいるだけである。
計画が何度も頓挫した中で、ドリジャはせめて川添が自分の事を覚えているかを確認しておこうと考えた。
『アネゴのレースはいつも見ていました。トレーナーさんは見た事がありますか?』
『そういえば、一度だけレース場で見たなあ。その時に小さなウマ娘の子と一緒に見てたんだよね。あの子、元気かなあ』
覚えていたが、それが自分だとは全く気付いていなかった。あんまりだ、とドリジャは心の中で泣いた。
その後、苦心した末に遠征支援委員長として、サブトレ業務の研究の為にフランスに留学するのはどうかと聖剣に勧め、何も知らない聖剣はそれは良い案だとドリジャに感謝して留学している。少し胸が痛んだが何とか遠ざける事には成功した。
しかし、それからも謀略は上手く行かず、川添は自分の事に気付かないまま重バ場を拗らせた結果、今日のように自分でも制御できないウマ娘の業、強い情念を抱いてしまったのである。
この事情を知っているのは学園でも数人のみだった。ディーと何となく事情を察した豊原、そして眼前の妹含む黄金一家と呼ばれる者達である。
「そういえば……オル」
「あ、ああ……どうした姉上」
ぴくり、と机に突っ伏したままのドリジャの耳が起き上がる。
過去を思い返す内に、彼女がアネゴと慕うウマ娘と妹について聞いておきたい事があった。
「最近、アネゴと会っていないかい?」
顔を起こし、ドリジャは妹の顔を眺めた。
ぶらりと現れては、また何処かに姿をくらませるアネゴとドリジャは今年まだ一度も会っていない。
今月はもう六月、いなくなる事は多いが半年も行方が知れないのは初めての事だった。
姉上の言葉に対し、オルフェは組んでいた腕を机の上に置き、目を合わせて応えた。
「──四カ月ほど前にふらりと現れ、こう言った」
四カ月前、いつものように唐突にオルフェの前に現れたウマ娘──ステイゴールドの言葉を思い返しながら、一言一句間違えぬように、オルフェは姉上に語る。
『やあ、久しぶり……今日は言伝があるだけなんだ。ジャーニーには悪いけど、すぐに行かなくちゃいけない』
『オルと川添くんの契約はまだ早い。そうだな……今年、イギリスから一人のウマ娘が来るから、その子と会っていつデビューするか聞けばいいよ』
『何でって?うーん、オルなら会ったらわかるよ。私は今デビューしても面白いとは思うけど……少しでも、誤差が無い方がたぶん良いんだ』
『──わざわざバイオリンを練習して、見世物にまでなって聞けた話なんだ。できれば言う通りにしてほしいかな。ま、好きにすればいいと思うよ』
『じゃあ、もう行くよ、すごく面倒な事になりそうなんだ。こっちはディーと先生がいるから多分大丈夫……何かあったら、二人を頼ると良いよ』
妹の語るステイゴールドの言葉を聞き、ドリジャは顎に手を当て思案する。
風来坊のアネゴが何やら含みを持った発言をするのはよくある事だが、妹が会ったアネゴは何らかの事情と決意を持って行動しているように感じる。
「バイオリン……見世物……誤差……アネゴは一体何を……」
「わからぬ。ただ……真に迫った顔をしていた。余は奴の言を聞こうと思っている」
「それがいいと思うよ、オル……ディーさんと先生という事は、教会かな?何が起きるのか、確認しに行こうか」
「──うむ、よかろう。教会に行くぞ、姉上」
*****
同時刻、トレセン学園理事長室。
浅黒い肌の精悍な男、ジョゼは自己紹介の後、豊原に手を差し出した。
「ウマネスティのトレーナー留学支援制度により一ヶ月、トレセン学園でインターンとして働ける機会を頂きました。世界に名を馳せる豊原トレーナーの下で学ばせてもらえるならば、これ以上の歓びはありません」
握手を求めるジョゼを前に、豊原は両手を上げて軽くおどけてみせる。
「悪りーな、男とは握手しねー主義だ」
「おっと、それは失礼を……では」
続いて、ジョゼは智哉に振り向き、手を差し出す。
「同じ時期に、同じ師の下で共に学ぶ同志です……宜しくお願いします、ミスタークイル」
「あ、ああ……よろしく、それとトモヤでいいぜ」
「では、トモヤと呼ばせていただきます。貴方とは何やら、他人の気がしませんので」
智哉はその手を握り、固く握手を交わした。
ジョゼの言う通り、智哉も何故か初対面にも関わらず、まるで旧知の友人と会ったような奇妙な感覚を覚えている。
そして、智哉と豊原、二人はジョゼを見て確信していた。
──只者ではない。
ウェーブのかかった黒髪を後ろに撫でつけ一つにまとめた髪型に、深い知性を秘めた眼差し。
背は智哉より少し低いが、背筋正しく重心が安定しており、何らかの競技に真剣に打ち込んできた名残を思わせる。
トレーナーとしては未知数だが、高い学力、知能を持っていると現状で判断できる材料があった。
「日本語……上手いな?何時から勉強したんだ?」
「一月ほどです。上手く話せているでしょうか?」
自己紹介からここまでの会話全てを、ジョゼは流暢な日本語で会話していた。
全く片言や母国語のイントネーションが混じっていない、ネイティブにほぼ近い発音と語彙力である。
智哉とジョゼが言葉を交わすのを横目に、豊原は理事長に目で合図を送った。
(こんな時に、一ヶ月だと?身元はちゃんと割れてんのか?)
豊原の視線で意図を察した理事長は頷き、アメリカから届いたジョゼの推薦状を、豊原から見えるように机の上に置く。
(ほー……ウマネスティアメリカ支部代表兼
続いて、豊原はジョゼの顔をもう一度眺める。
記憶の片隅に、既視感があった。
(コイツ、何処かで見た事あんだよなー。南米人っぽいが……)
直接会った類の既視感ではないが、何かの雑誌やニュースで見た覚えがある。
遠い南米のレース事情を日本で把握するのは難しく、豊原ですら情報源に乏しい。
(ま、それでも問題ねーな)
しかし、豊原はジョゼを見て既に決めている事がある。
「挨拶は済んだかー?んじゃ、二人とも俺んトコで面倒見るって事でいーよな?」
怪しい人物ならば、手元に置いておけばいい。そして智哉も手放す気は無い。
両取りすれば全く問題無いという結論に至ったのである。
「待てッッ!どっちもはダメッッ!」
だが物言いが入った。理事長が「強欲反対」と書かれた扇子を広げて猛抗議を行う。
「あー?んだよちびっこ。本人がやりたいっつってるじゃねーか」
「なら久居留君をクリストレーナーに預けろッッ!二人ともお前に預けるのはズルいぞッッ!それに私も生徒達から顰蹙を買ってしまうッッ!!」
ここで、理事長は軽く豊原の袖を摘まんだ。話を合わせろと言う合図である。
気付いた豊原がジョゼと智哉に振り向き、面倒くさそうに手を振った。
「二人とも先に第一ダートに行っといてくれるか?今は、ヴァーって言う俺の担当しかいねーはずだからな……俺はこのめんどくせーちびっこをわからせてから行くからよー」
「貴様ッッ!今日という日はただじゃおかんッッッ!!」
理事長が「かかってこい」と書かれた扇子を開き、ファイティングポーズで豊原に相対する。
しかし、退室を促されたジョゼは手を上げ、肩に提げていた鞄から何かを取り出した。
「その前に……記念すべき日です。一枚、宜しいでしょうか?」
鞄から取り出されたのは、一台のフィルム式の写真機だった。
これから争うフリをしていた豊原と理事長が唖然とし、秘書が思わず微笑んだ。
「あら、写真ですか?いいですね、撮りましょうか」
「ありがとうございます、是非、こちらに並んでいただければ……」
「お、おー……いいけどよー、お前、肝っ玉据わってんな」
「い、一時休戦ッッ!!」
「今時フィルム式か、珍しいな」
言われるがまま、理事長、豊原、秘書、そして智哉が並ぶ。
「おっと、失礼……トモヤを中央にお願いします」
「えっ、俺?」
「ええ、是非とも」
微笑を浮かべ、有無を言わさぬ様子で中央に立つように薦めるジョゼに首を傾げつつも、智哉が中央に立ち、シャッターが切られる。
ジョゼは満足気に頷いた後、写真機を鞄に戻した。
「良い絵が撮れました……では失礼いたします」
用事が終わったジョゼが速やかに退室し、続いて理事長と秘書に軽く頭を下げてから智哉も部屋を出ていく。
それを口を開けたまま見届けた豊原と理事長が、ぽつりと呟く。
「何だったんだ、アイツ……」
「わ、わからんッッ……」
「ま、それはいいとして、だ。聞かせろよ……あんな大物をサブトレに迎えたカラクリってヤツをな?」
*****
「で、第一ダートって言ってたけど……こっちで合ってるか?」
「ええ、合っていますよ。一度来た覚えがあります」
トレセン学園の練習場の一つ、第一ダートに二人は到着した。
ダートコースを一望できる丘の上から、豊原から聞いた目的のウマ娘を探す。
すぐに、見つかった。朝練中のウマ娘は豊原の言う通り、一人しかいなかった。
奇妙な、ウマ娘だった。
初夏だと言うのに赤いマフラーを巻き、白いマスクを付けた黒鹿毛の三編みのウマ娘。
日本に来る前に予習を兼ねて見た、とある年の凱旋門賞に出走した怪鳥の異名を持つウマ娘のようだった。
赤いマフラーが靡き、尾を引くそれは、まるで赤い彗星のように智哉には見えた。
ゴールを走り抜け、徐々にスピードを緩める彗星。そこに智哉とジョゼは近付いていった。
「ちょっといいか?」
彗星が、息を整え智哉に振り向く。
口元はマフラーに隠れ、白いマスク。表情は伺えなかった。
「うん……ああ、すまない。練習中でね、悪いが後で……」
「ああ、その話なんだ。今日から豊原トレーナー付きのサブトレになった久居留智哉だ……で、こっちは同じく同僚のジョゼ」
「宜しくお願いします」
「何!!!?」
今度ははっきりと、その表情が読めた。明らかに驚愕した声だった。
「あ、あの人が男のサブトレを……!!!?そ、それも二人も!!!!?」
「本人も言ってたけど、そんなに珍しいのか……」
「大変な事だぞ、これは……明日隕石でも落ちてくるんじゃないか……?」
驚愕したままの彗星が、智哉とジョゼを上から下まで見つめる。
今日はいつも練習に付き合ってくれるディーが不在の為、確かに人手が必要だった。
「成程……悪いが早速手伝って貰おう。ゲート役とタイム計測を任せる」
「では、ゲートは私がやりましょう」
「距離はどうする?」
「2000!……と言いたいが、もうすぐ講義なんだ、軽く1000mにしておこう」
「わかった。じゃあ準備するぜ」
「おっと、待ってくれ」
ゲート地点に向かう二人を、彗星は制止し、息を軽く吐いた。
自己紹介を返していない。見るからに担当と比べてまともそうな二人だ。名前をしっかり伝えておこう、と考えた。
彗星が、しっかりと目を見て口を開く。
智哉が初めてその眼に注目する。
朱色の、綺麗な色をした眼だった。
「──私は、ヴァーミリアン。人呼んで、砂塵の彗星……ヴァアと呼んでくれ」
日本編、結構話数かかりそうだから、帝王賞を区切りに一旦キャラ紹介してもいいですか?主人公とヒロインの現状とかも書いていきたいなって……。
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いる
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いらない
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全部終わってからでいいッス。早く書け。