ごめんアレクやってた。肩慣らしにはちょうどええんや。
「すいません、遅れて……どうしたの、タケル?」
智哉とジョゼが第一ダートに辿り着いた同時刻、トレセン学園、理事長室。
所用により遅れたディーが恐る恐る扉を開いたその先は、どんよりとした、まるでお通夜のような重苦しい空気が流れていた。
理事長がしょんぼりと応接用のソファに座り、その対面で豊原は顔を手で覆ったまま天を仰いでいる。
困惑した様子のディーに、秘書が近付いた。
「いらっしゃい、ディーちゃん」
「たづなさん……一体何が」
「久居留トレーナーの事で、ちょっと……」
「トモちゃんの事?何かあったんですか!?」
苦笑を浮かべて肩を竦める秘書に詰め寄るディーに対し、顔を覆ったままの豊原が心底呆れたような声を上げた。
「ディー、落ち着け。おいちびっこ、もう一度説明してやれ」
「う、うむッッ……」
しょんぼりとしたまま、理事長は「すいませんでした」と書かれた扇子を開く。
「ディー君、これはその、久居留君に関わるとても内密な話なのだがッッ……君は彼と旧知の仲のようだから、話しておきたいッッ……!!」
「トモちゃんの内密な話……?聞かせてください」
豊原の隣に座り、真剣に聞く姿勢を見せるディーに対し、とても言いにくそうに理事長は語り出す。
「まず、最初に確認したいッッ!ジョー・ヴェラスというアメリカの覆面トレーナーを知っているかッッ!?」
「……?はい、それは、まあ……有名ですよね、去年の暮れに出したUmaTubeも、すごい再生数ですし」
引退し、ドリームトロフィーリーグにも参戦していない身であるディーだったが、現在も豊原の下で競走に関わり、教会でもウマ娘の子供達に指導している立場上、世界のレース情勢については大まかに把握している。
当然アメリカ競バ界の大物である怪人トレーナーの事は知っているし、去年に暮れにUmaTubeに投稿された子供向けのトレーニング講座は、教会での指導に大いに参考になると全て見ていた。
しかし智哉の内密な話で、唐突に怪人の話題になった意味がわからないディーが首を傾げる。
「単刀直入に言おうッッ……久居留君なんだ」
「……え?」
「ジョー・ヴェラスはッッ!久居留君なんだッッ!!!」
「えええええええええ!!!!??」
再会した幼馴染のまさかの真実に、ディーの驚愕の叫びが響き渡る。
しかし、冷静に考え直すと怪人の中身であればダートレースに一家言どころか本場の専門家である。豊原が強硬に欲しがった理由に気付き、ぽん、と手を打った。
「あ、タケルはもう気付いてたんだね。ならトモちゃんにこのままヴァーの練習を……」
「気付いてたのはそうなんだけどよー……ちびっこ、続きだ」
豊原に続きを促され、理事長は怒られている子供のようにしょんぼりと俯き、「本当にごめんなさい」と書かれた扇子を開いた。
「……一年半ほど前だッッ!ある青年がッッ!トレセン学園の保健室に担ぎ込まれてきたッッ!!アメリカのチーム・カルメットでサブトレを務めている不遇な若者だッッ!!」
「はあ……?」
「アメリカで吹き矢による毒を受け、昏睡状態の彼を哀れに思った私はッッ!……サンディからも強い推薦があったのでッッ……なんというか、アメリカでそんなに大変な目に遭っているなら、日本でトレーナーになれば良いッッ、と、本当に私は好意のつもりでッッ……」
「母さんの推薦……吹き矢……あっ」
理事長の要領を得ない説明に、頭上に疑問符を浮かべたディーだったが、最近聞いた覚えのある話と符合する部分に気付いた。
広いアメリカと言えど、吹き矢に襲われた事のある人物など中々いない。
「だから、その……来季のトレーナー登録の〆切りも近かったしッッ……サンディがどうしても、と言うからッッ……昏睡中の彼が目覚める前に事後承諾でサブトレ登録を行って……」
「えっ、トモちゃん寝てたのに登録しちゃったんですか!!?母さんも何でそんな事したの!!!?」
豊原が顔を覆っていた手を外し、ソファにもたれかかって天井を眺めた。
いつもの三枚目で楽天的な彼らしくない、苦渋に満ちた表情であった。
「キーンランドで暴れた時に助けてもらったらしいぜー……借りを返したいっつーのはあの人らしいけどよー」
「ああ……母さんはそうするよね。アメリカから帰ってきたと思ったら、また逃げようとしたのはそういう事だったのね……」
「で、よく考えてみろよ?例えばクリスとかがよー……アメリカに連れ去られて、サブトレやらせるって言われたら客観的に見てどう思うよ?」
「……………あっ」
ここでようやく、ディーは今の状況の深刻さに気付いた。
特に問題なのは強奪先がアメリカという事である。
アメリカではウマ娘の意見が強く反映された世論を形成しており、アメリカで大人気の怪人トレーナーの中身が不遇な目に遭っていると知れ渡れば、ファーディナントの事件のやり直しの如く全米で日本バッシングすら起き得る。
かつて行われた日米太平洋競走、マンノウォー大統領率いるアメリカ選抜に破れた日本選抜が満州の権益を放棄し、無条件降伏という形でGHQの介入により戦後体制に移行した歴史の再現が繰り返されるかもしれない。
「幸い、母の取り成しによりカルメットのオーナーも矛を収めッ!久居留君の奉仕期間中の出向という形で統括機構とも話がまとまったがッッ……彼には本当に申し訳ない事をしたと思っているッッ!なので大事な客人として丁重に扱いたいのだッッ!!」
「どんな交渉して引っ張って来れたのかと期待したらこれだぜ……わかってると思うが誰にも言うなよ?学園が吹っ飛ぶぜー」
「う、うん……」
ディーが神妙に頷き、姿勢を正す。
天を仰いでいた豊原が体を起こし、向き直って理事長に目を向けた。
「丁重に扱いたい、って事情はわかった……ウチで使うのは問題ねーのか?」
「うむッッ!久居留君の意向があるならば、私としてもそのように計らいたいッッ!!ただし大事な客人という事は忘れるなッッ!」
「そりゃ当然だろ。あーそれと、他のヤツに付けるならケンジはやめとけよー?アイツの担当が拗らせてるからなー……」
「うん、ジャーニーちゃんは今ちょっと危ないから……」
「委細承知」と書かれた扇子を広げ、理事長が胸を張って大きく頷く。
懺悔が終わったのでいつもの調子に戻っていた。なおディーは帰ったら母を折檻する事にもう決めている。
「たづなさん、そっちの方は?」
豊原の問いに、秘書は眉を下げて首を振る。
彼女は豊原の家業における、学園側の上司である。先代である豊原の父の代から上司を務めており、その頃からまるで容姿が変わっていないと父から聞いている。
年齢が気になるが、聞くと命の危険があるので確認できていない。
「ノブちゃんに連絡しても取り次いでもらえないんです。私は世間的にはただの学園の事務員ですから……」
「あの女、何考えてんだよ?状況わかってんのか?」
「タケルちゃん……ノブちゃんは確認する、と言っていたんですね?」
「今その呼び方は勘弁してくれよ、ねーちゃん……あー言ってたぜ。どこに何を確認するかは知らねーし、それっきりだ」
豊原は幼少期、父の代から秘書とは親交があり、学園で唯一頭の上がらない存在である。
そしてノブちゃんと飛ばれる人物と秘書は先輩と後輩の間柄であり、豊原の家業における上司だった。
「ノブちゃんに心当たりがある、影を操る人物……やはり、あの方が……」
「隠し事は無しで頼むぜ、ねーちゃん?」
顎に手を置き思案に耽る秘書に対して、豊原が釘を刺した。
豊原の言葉に秘書が頷き、理事長の隣に座る。
「……そうですね、話しておきましょうか」
「まさか知り合いとかじゃねーよな?ウマ娘なのか?」
「私と同じく、その先に至った方です。偉大な、日本を愛する素晴らしいウマ娘でした」
「知り合いかよー、なら何とか止めれねーか?」
「随分昔に、袂を別れてから会っていません。私がいる間は大人しくしていると思っていたのですが……ごめんなさい、こうなる前に止めておけば……」
沈痛な面持ちで項垂れる秘書を見て、豊原は手を叩き、場の空気を変えるように振舞った。
「犯人わかってんなら後は乗り込むだけだろ?ねーちゃんやあの狐はソイツに勝てんのか?」
「もうタケルちゃん、ノブちゃんにそんな事言っちゃいけません!……私とノブちゃんどちらでも、勝てると思います。ただ……」
「ただ?」
「捕まえられません。私が目の前に立てば、あの方は躊躇いなく影を使い逃げるでしょう……逃がさない方法さえあればいいんですが」
影を操り、どこにでも現れる相手を逃がさないという無理難題を前に、豊原は深く息を吐いた。
理事長室に暫しの静寂が訪れた後、ディーが手を上げる。
「あの……その人が欲しい物で釣る、というのは?」
「それがわかりゃ苦労しねーだろ」
「………………あります。欲しい物」
苦渋の表情を浮かべる秘書に、理事長室の面々の視線が集まる。
「おいおいねーちゃん、隠し事は……」
「これは本当に、本当に窮余の策と言いますか……それをやってしまうと私がある方の怒りを買い、クビになるかもしれないのです……」
「……他の方法考えるか。それと、現実的にできる事もまとめておこーぜ」
「うむッッ!警備の増員と警察官の巡回は依頼してあるッッ!!」
それから豊原達は、学園の警備体制と今後のテロ対策について話し合った。
一段落着いたところで、豊原は机に置かれたままのジョゼの推薦状を指で軽く叩く。
「で、次はコイツだ。素性は?」
推薦状にはジョゼの名がフルネームで示されており、続いて先程も確認した通りに推薦人と大統領自筆の署名が記されている。
理事長が「心配無用」と書かれた扇子を開き、豊原の質問に自信満々のドヤ顔で答えた。
「彼については何も問題ないッッ!偶然同じタイミングでやって来た優秀なインターンだッッ!推薦人に関しても、母から信頼のおける人物だと太鼓判を受けているッッ!!」
「……偶然、ね。大統領はともかく、推薦人はどんなヤツだ?」
「聞いて驚くなッッ!かのウマネスティ創設者の遺児で、彼女の遺志を継ぎウマ娘の幸福のために日夜働いている好人物だッッ!!学園の出資者でもあるッッ!!」
「ウマネスティ創設者……あー、あのひでー規則の被害者、か」
「その通りッッ!私も会った事があるがッ!創設者と瓜二つだったぞッッ!」
「まー関係なさそーだなー。偶然も二度は続く、か」
推薦人の署名を眺めながら、豊原は今回の事件とは関与していないと結論付けた。
目の前の理事長と元から親交のある人物ならば、本当に偶然だったのだろう。
そう考えた後、もう一度ジョゼの名に目を向ける。
「こいつの名前……やっぱどっかで聞いた事あんだよなー」
「当然だッッ!!彼の名は日本ではマイナーかもしれんがッッ!学園関係者なら異名くらいは聞いた覚えがあるはずだッッ!!」
「ほー、聞かせてくれよ」
「待ってました」と書かれた扇子を開き、胸を張って理事長が立ち上がる。
「いいだろうッッ!とくと聞けッッ!南米の天才ジョゼッッ!!またの名を──」
「──
*****
「一人だとタイムも測れなくて困ってたんだ。二人とも助かったよ」
「俺達は豊原さん付きのサブトレだからな。気にする事ねえよ」
「トモヤの仰る通りです、素晴らしいスパートでした」
1000mを走りきり、練習を切り上げたヴァーと智哉、そしてジョゼの一行が並んで歩く。
結局、豊原は現れなかった。
ヴァーは今月末の大井レース場で開催されるG1帝王賞への出走を控えた、大事な仕上げの時期である。
担当トレーナーならば朝練に付き合うのは本来ならば当たり前の話だった。しかし、あのすけこましは姿すら見せていない。
現在智哉のサブトレ契約に至った顛末を聞いて、理事長室で頭を抱えている最中だった。
「朝練はいつもやってるのか?普段どうしてんだ?」
ヴァーが実力者ということを、智哉は既に見抜いている。
雷神という異名を持つウマ娘を始めとした、中央、地方の実力者が入り乱れる群雄割拠の日本ダート路線において、既にG1競走を6勝している屈指のウマ娘である事も。
それ程の実力者だからこそ、智哉は一人寂しく朝練に励むヴァーが不思議でならないのだ。
「二日に一回ってところだな。普段はもう一人のサブトレに付き合ってもらっている」
「ああ、プイちゃんの事か。それなら練習相手に困る事は無いな」
「知っていたのか……待て智哉、プイちゃんだと?」
「子供の頃にウチの親戚がやってる道場に通ってたんだよ。その時からの知り合いだ」
「そうか、なるほど……」
腕を組んで、納得したかのように頷くヴァーと智哉が並んで歩く。
その前を歩いていたジョゼが振り向き、二人は足を止めた。
「っと、どうした?」
「お二人とも……出会った記念に一枚、よろしいですか?」
「ああ、写真だろうか?私は問題ない」
ヴァーの了承を取ったジョゼが軽く会釈し、カメラを取り出す。
トレセン学園第一ダートから校舎に戻る途中の並木道には、他に誰もいない。
風に揺れる新緑の鮮やかな木々を背景に二人が並んだ。
「では、撮らせていただきます。良い背景です」
「後で撮影役変わるか?記念ならジョゼも写った方がいいだろ」
「ありがとうございます、トモヤ。ですが私はいいのです」
数回シャッターを切った後、ジョゼは満足気にカメラをしまう。
二人の下に戻る中、ふとジョゼが思い出したかのようにヴァーに話しかける。
「そういえば、学園に暗室はあるのでしょうか?フィルム式ですので……」
「写真部の部室がある、そちらで現像できるだろう……ところで」
ジョゼの質問に答えたついでとばかりに、ヴァーは朝練で感じた事を聞いておこうと考えた。
先程の練習中、二人は阿吽の呼吸で準備を整え、練習後にヴァーが息を整えている間に用具の片付けも終わっていた。
まるで熟練したベテラントレーナーのような手際の良さだった。
「二人とも、随分と手際が良かったが……ダートレースの指導経験があるのだろうか?」
「あー…‥俺はまあ、サブトレ生活長いからな」
「私は南米で少し」
「サブトレ?少しだけ?……そうは思えないが……まあいいか」
二人を見て、ヴァーがうんうんと一人で頷いた。
ここまでの会話で、智哉はぶっきらぼうだが根は真面目で、ジョゼは慇懃かつ真摯な人物なのが伺える。
自分の覆面とマフラーに動じていないのにもヴァーは好感を持った。
まともで、信頼のおける人物だとヴァーは二人を評価し、親交を深めておこうとある提案を考える。
「二人とも、昼は?」
「食堂で済ませる予定ですが」
「まだ決めてないけど……どうかしたのか?」
「ふむ、ふむ……明日、食堂で一緒にどうだ?」
「おっ、いいぜ。こっちには知り合いもいないからな、一人で飯食うのもどうかと思ってたんだよ」
「私も是非」
「決まりだな、楽しみにしてるよ」
「おう」
こうして智哉は砂塵の彗星、ヴァーミリアンと出会ったのである。
*****
中央トレセン学園附属小学校は、学園の敷地内、西端に存在している。
2000人以上収容可能なマンモス校であるトレセン学園と比べてその規模は小さく、その門は狭い。
この小学校の入学試験に合格さえすれば、中央の競走バへの道が約束されるのだ。倍率は天井知らずである。
未来の競走バ達が集う、由緒正しきエリート校──その校内の教室の一つ。
「おはよー!みんな!!大ニュース大ニュース!!!」
朝の授業前の教室に、一人の芦毛のウマ娘が息を切らしながら飛び込む。
天真爛漫と言った様子の、左耳に鯨のチャームがついた緑色のリボンと、揺れるおさげ髪が特徴的な少女。
この少女に、教室内で談笑していた二人が反応した。
「今日は何?ホエちゃん」
「いっつも大ニュースって言って何も無いやんけ!こないだの本物の仮面ボーイはどないしたんや?」
片や懐中時計を首からぶら下げた鹿毛のウマ娘、片やターゲットマークのポイントが付いた野球帽に関西弁が特徴的な栗毛のウマ娘。
この二人が、いつも大ニュースと言ってはろくな事を言わない同級生に呆れ気味の反応を示す。
仮面ボーイとは、日曜朝に放映されている国民的人気を誇る特撮ヒーローである。
華麗な変身バンク、ボーイキックを始めとした数々の必殺技、各仮面ボーイ達による群像劇が高い評価を得ている。
元競走バも出演している長寿シリーズとして、現在は仮面ボーイディスゲートが放映中である。
「今度は本当なんだって!テックちゃんもヒットちゃんも信じてよー!」
「まず言わんかい。なんやねん」
「ふふん、よく聞いてくれました!」
「ええからはよ言えや」
十分に勿体つけた後に、ホエは得意げに語った。
「なんと!今日!!マル外教室の方に!!!」
「留学生が来るんやろ?かいさーん」
「いつものホエちゃんだったねえ」
ホエの言葉をぶった斬って二人が元の位置に戻る。既出の情報だった。
「ほええぇえぇええ!!!?何で知ってるの!!?」
「昨日先生が言っとったやろ。自分寝とったで知らんやろけど」
「ホームルームはいつも寝るもんねえ、ホエちゃん」
ほっぺを抑えてショックを受けた声をホエが上げ、それを二人が笑ってなだめる。
ムードメーカーの起こす一騒動、ここまでがいつもの朝の教室の様子である。
ホエをなだめた後、野球帽の少女、ヒットが拳をぺちん、と胸の前で打ち付けた。
「マル外教室との対抗戦も最近ワイらが勝ちっ放しで、張り合いなかったもんなあ、速いヤツやと楽しめるんやけどな」
「あー、出た!ヒットちゃんのレースバカ!!」
「誰がレースバカやねん!」
「むぎゅー!?やめてー!!」
「ヒットちゃん落ち着いて〜」
余計な一言に怒ったヒットがホエの饅頭のようなほっぺを引っ張り、それをのんびり屋のテックがなだめて落ち着かせる。
これも朝のいつもの流れである。
「ふふん、ボスはもう知ってるわよ。友達なんだから」
「さすが親分!」
「さすボス!さすボス!」
わちゃわちゃと騒ぐ三人組に、子分と会議中のボスが遠くから得意げに語る。
太鼓持ちの子分たちはすかさず定番のさすボスコールで親分を鼓舞した。これもいつもの流れである。
「なんやボス、知っとるんか?」
「ほすひゃんおひえて」
「えー?どうしようかなあ?二人が子分になるなら……」
「ほなええわ」
「ちょっ!せめて最後まで聞きなさいよ!!」
ボスの言葉を遮ったヒットがホエを解放し、窓際に座るウマ娘に目を向ける。
鹿毛をお団子にまとめてカバーを被せた、人民服のような上着にスカートを合わせた細い目のウマ娘。
今年、日本語の学習の為にクラスにやってきた香港からの留学生である。
「おい留学生、自分も走るんやで?」
「ほえ、ワタシも?ワタシ、日本語勉強しに来ただけアル」
「何言っとんねん、自分レースの授業で手抜いとるの知ってるで、日本のレース舐めんなや」
「アイヤー!そんな事してないアル!ひどいアル!!」
険悪な空気を感じた留学生がとぼけた調子で頭を抱えるのを見て、ヒットは舌打ちをしてそっぽを向いた。
目の前の二人が心配そうに自分を見ているのに気付き、頭を掻いて首を振る。
「ま、ウチにもカレン先輩とボスがおるしな、負ける気せーへん地元やし。せや、カナはまだ出てこれへんのか?」
「まだおやすみだって〜、カナちゃん心配だねえ」
「そうやなあ、今度見舞いに行こか」
「さんせー!」
ヒットの提案にホエが元気に手を上げ、それをにこにことテックが眺める。
同級生の話し声を聞きながら、窓際の少女、留学生は小さく息を吐いた。
(……くだらない。折れた子は放っておけばいいのよ)
留学生は自分こそが天才、香港に帰って偉業を成す身であると確信している。
競走バの世界は、華やかな反面厳しく、シビアな世界である。
勝ち上がれなければ学園を去ることになる。その前に折れる者等その程度の存在だと思っている。
(……あの子は、競走に向いてない。早めに諦めさせてあげた方がいいでしょ)
同級生として多少の情はある。だからこそ留学生は早く他の道へ進ませた方がいいと思っていた。
ふう、ともう一度息を吐く。
(しかし、私と同じ留学生……ね。どうせ大した事ないだろうけど……こんなものなのかしらね、日本のウマ娘って)
留学生は香港で名を上げた後、日本へ遠征する日の為に附属小学校に語学留学している。
才能を持ち、努力家でもある彼女は自分を追い込むためにマル外教室ではない一般教室へ留学したが、そこにいたウマ娘の生徒達は余りにも期待外れだった。
本気を出すまでもない、と授業でも手を抜いて適当に済ませ、最近は香港に帰った後の事ばかり考えている。
(ああ、早く帰りたい……ここにいても、得る物なんて……)
張り合いの無い日々、熱い勝負を楽しめる相手もいない。
留学生は冷めた目で、日本での日々に退屈を覚えていた。
少女は、まだ知らない。
天を裂く龍王を。
そして──真なる怪物を。
*****
トレセン学園附属小学校インターナショナルスクール。通称マル外教室。
各国からスカウトを受けたウマ娘並びに、家庭の事情で日本に住むウマ娘の学び舎。
彼女達も当然、学園への入学を約束されている競走バの卵のエリートである。
その教室で朝のホームルームを、憂鬱そうに眺める芦毛の少女。
大人しそうな目尻の下がった大きな目に、ぴょこんと一本だけ飛び出たアホ毛、耳に付けられた黒いメンコ。
マル外教室五年生エースのこの少女の名は、タールタンと言った。
(対抗戦、ヤダなぁ……)
憂鬱な対抗戦の事を思い返し、タールタンの耳が垂れ下がる。
トレセン学園附属小学校では、同学年の別クラスの生徒達との対抗戦が月に一度行われている。
マル外教室も当然、対抗戦に参加している。しかし最近は負け続けで、クラスの士気も落ちつつあった。
一学年上の先輩達は、エースのロンという名のウマ娘を中心として、同学年のライバル達と激しいレースを繰り広げている。
そんな栄光の先輩達と比べ、彼女達は勝ちきれないジレンマを抱えていた。
(ロン先輩はもっとしっかりしろって言うけどさ……オイラはただの消去法エースだよ。オイラなんかよりエリーをエースにした方がいいのに)
ちらり、と斜め前の席に座る友人に、タールは目を向ける。
黒鹿毛のショートカットを首の位置でまとめ、左耳に宝石のイミテーションがついた耳飾りのウマ娘は、タールの視線に気付くや振り向いて小さく手を振った。
(ほら、エリーは気にしてない。オイラなんかよりエース向きだよ……ん?)
エリーに気を取られていたタールが、いつもと違うホームルームの雰囲気を感じる。
(あれ、みんなそわそわしてる?ああ、今日って留学生が来るんだっけ)
昨日の帰りのホームルームで、教師から留学生がやってくるとタール達マル外教室の生徒達は聞いている。
季節外れの留学生である。不思議に思いつつも、生徒達は新たな友人、そして対抗戦の救世主となる事を留学生に期待しているのだ。
(えっ、と……確か留学生って)
「じゃあ紹介するぞ、入りなさい」
タールが昨日の記憶を掘り起こす作業に入る中、教師が廊下で待機していた留学生に入室を促す。
扉が開き、そこには──
(三人……来るんだっけ)
ぎちぃ、と音を立てて一人目が入室する。
(えっ、何、この音……?)
歩く度に、奇妙な音を立てる一人目の留学生。
鹿毛をサイドテールにまとめ、青い耳飾りと爛々と燃える目が特徴的な少女だった。
音の原因は、彼女の脚にあった。
バネ仕掛けの何かの器具が取り付けられており、歩く彼女の脚の力により負荷を受けたその器具が、音を立てていた。
ゆっくりと、黒板の前に立った少女はチョークで簡潔に自分の名を書いた。
「ファーだ」
そして簡潔に自己紹介を述べた。名前しか言っていない。
教師が名前を言った切り、黙りこくるファーに続きを促す。続きはない。
「ファーちゃん、もっと何か……」
「…………以上だ。あと私は走れない。すまない」
ぺこりとファーが生徒達に頭を下げ、走れない、という言葉にやや落胆した空気が流れる。
気を取り直して、教師は次の生徒を呼ぶ。
「え、えっと……次の子、どうぞ」
がらり、ともう一度教室の扉が開く。
現れたのは、褐色のウマ娘だった。
丁寧に編み込まれたコーンロウと、サイドに流した栗毛という左右対称な髪型。
そして同年代とは思えない長身と手足の長さは明らかにこのウマ娘の特異性を示していた。
間違いなく速いと思わせる体格、そして堂々と歩くその姿は頼りがいを生徒達に感じさせるには十分であった。
褐色のウマ娘がファーの横に立ち、先程の流れをなぞるように黒板に名前を示す。
「──ヴァラエティクラブ。アフリカから来た。ヴァラでいい」
堂々と、生徒達を見下ろしながら伝えるその姿に、ほう、と生徒達からため息が漏れる。
そのままヴァラも黙り込んだ。自己紹介は終わりである。
「ヴァラちゃん、何かもうちょっと……」
「……………しゃべるの、苦手」
か細い声でそう答えたヴァラはそのままそっぽを向いた。見かけによらず目立つのが苦手な少女である。
教師は間の持たなさに絶望した。扱いにくそうにも程がある二人である。
「じゃ、じゃあ次、どうぞ………」
諦めた教師が、最後の生徒に入室を促した。
最後の一人は、立っているだけでぎちぎちと音を立てるファーと、対人が苦手なヴァラに気を使いトリに立候補していた。
「入ります!!!」
澄んだ声が教室に響き、扉が開かれる。
その瞬間、生徒達は息を呑んだ。
(うわあ、綺麗な子……)
現れたのは、滑らかな腰までの長さの金髪を靡かせ、宝石のような青い目を輝かせた美しい少女だった。
小振りな耳には宝物でもあるピンクの星が輝く水色の耳飾り、そして透き通った白い肌に、整った顔貌。
少女はそのまま優雅に歩き、黒板に向かっているはずだった。
(綺麗な子だけど……手と足が同時に出てる……)
注目される事に慣れているはずの少女が、ぎくしゃくとした様子で歩いている。
ちゃんと自己紹介すればいっぱい友達ができるかも、と考えた結果である。優勝のかかった大一番より緊張していた。
なんとなく、生徒達に少女を応援するような微笑ましい空気が流れる。
ようやく黒板についた少女は、力の入った手で何度か不協和音を奏でながら自分の名を書き、声を上げた。
「──フランケルよ!よろしくね!!」
そのまま黙り込んだ。頭の中が真っ白になり、何を言えばいいか浮かんでこなくなっていた。
教師は天を仰いだ。全員ダメだった。
「フランちゃん、何か他に言ってもいいのよ……?」
「えっ?……えっと、えっと」
教師の催促に、天然お嬢様は頭を必死に動かし、浮かんだ言葉をそのまま言った。
「ないわ!!!」
──同時刻、マル外四年生教室。
「おっきい……」
「同級生、だよね……?」
黒板の前に立つ二人のウマ娘、その内の一人であるノーブルが呆然と隣に立つウマ娘を見上げる。
隣から伸びた影にノーブルが覆われる程の長身のウマ娘である。
少し癖っぽい栗毛の髪を背中まで伸ばし、両サイドを三つ編みでまとめ、穏やかな優しげな視線で生徒達を見下ろす。
隣のノーブルにも微笑んだ後、長身のウマ娘は息を吸い、声を上げる。
「エイブルフレンドです!!!諸君、よろしくね!!!!」
「声も、おっきい……」
日本編、結構話数かかりそうだから、帝王賞を区切りに一旦キャラ紹介してもいいですか?主人公とヒロインの現状とかも書いていきたいなって……。
-
いる
-
いらない
-
全部終わってからでいいッス。早く書け。