統括機構トレセン学院──首都ロンドンより北北東約100km、英国サフォーク州ニューマーケットに存在する、
レース場、練習場、校舎、学院寮、治療施設など競走バを育成するためのあらゆる施設をニューマーケット市街全域に集約し、町全体が「競バの故郷」の異名を持つ超巨大学院施設である。
運営に関しては理事長を頂点とした理事権を持つ名士、トレーナーの大家、そして生徒会長を生徒代表とした合議制の執行機関「統括機構理事会」の定例会により、予算編成、来期の統括機構主催レースの日程、更には学食のフィッシュ&チップスの値段まで決められている。
その理事会は今、一つの問題を抱えていた。
「では、次の議題です。これは前回と引き続きですが、アスコットポニースクールの…」
「ミリィ、仔細はいい、いいんだ…」
「…はい、理事長…」
ミリィと呼ばれた、ベレー帽を被った妙齢の美しい秘書。
彼女を制止する、苦悩に満ち溢れた表情の、理事会の中央に座る人物。
「…マスコミ対策はどうなっていますか?ジュドモント理事代理」
緑のポイントがついたキャペリンを被り、足首まで覆う程のロングスカート姿。美しく、幼い顔貌を持った女性。
統括機構理事会の頂点、理事長サラ・ウェルズその人である。
「ロンドン市内のパパラッチについては、父の働きかけにより子飼いのメディアを通じて掌握できたと言っていいと思います。しかし懸念が…」
理事長の質問に応じ、席から立ち上がり応える、金髪を後ろに撫でつけたスーツ姿の壮年の男。
統括機構トレーナーの大家、ジュドモント家の次期党首、セシル・ジュドモント。
父であるヘンリー理事からの指名により、理事代理として理事会に出席している。
「懸念とは?」
「…情報源が不明瞭です。アスコットの採用担当者の個人情報が、どこから漏れたか判明していません」
アスコットポニースクールでの裏口採用問題。
一人の首席入学の生徒がポニースクールを去り、そのクラスメート達にも傷跡を残した痛ましい事件である。
その問題で、採用担当に賄賂を贈った資産家が、採用担当と接触した情報源が判明していないのだ。
「…ミリィ、市警の捜査の進捗は?」
理事長が秘書に向けて問いかける。
統括機構は、警察組織にも深く根を張っている。
ウマ娘に関わる刑事事件に関しては、司法取引により捜査中の事件でも情報を得ることができるのである。
「
「わかった…後手後手だな。捜査の進捗は随時報告するように。ジュドモント理事代理、娘さんはあれからお元気?」
忸怩たる思いを浮かべながら、理事長が話題を変える。
「…先日、静養先でやっと外出できるようになりました。友人もでき、笑顔も多くなったと聞いています」
「そう…それは何よりね…今回の件、ジュドモント理事代理には大きな借りができました。統括機構としては、いずれ何かの形であなたに報いねばなりません」
「私から一つ、よろしいでしょうか」
話に割り込む形で手を挙げる、オールバックに髪を整え、怜悧な視線の細身で眼鏡を付けた壮年の男。
ジュドモント家に勝るとも劣らないトレーナーの大家オブリーエン家、その当主であり統括機構の重鎮、エイベル・オブリーエンである。
「オブリーエン理事、許可します」
「では失礼」
エイベルは立ち上がると、セシルに目を向ける。
「ジュドモント理事代理、お嬢さんの件ですが本当に痛ましい事です。そこで提案ですが、私どもの保有する施設であなたのお嬢さんを受け入れる準備があります。いかがでしょう?」
冷たい視線に若干怯みながら、セシルは言葉を返す。
「…いえ、今の静養先で娘は良くしてもらっています。ご提案はありがたいのですが…遠慮させていただきます」
「なるほど、そうですか。それは残念です。私もアスコットに入学したかわいい娘がいます。私は娘の為なら何でもしようとさえ思う。とても自分の手元から離そうという気持ちにはなれません」
セシルの顔に若干青筋が浮かぶ。明らかな嫌味である。
「オブリーエン理事、その辺りで」
エイベルの嫌味が長くなりそうな雰囲気を感じた、理事長が制止する。
「…よろしいでしょう。私からは以上です」
「…ミリィ、アスコットのAクラスの子供達は?」
「ガリレオ会長の慰問により笑顔も戻り、新しい教師の元で楽しく授業に取り組めているそうです」
「そうか‥後はジュドモント理事代理の娘さんだな。稀代の天才と聞いている。このまま競走バの道が閉ざされるのは本当に惜しい…」
「──心配いりませんよ、理事長」
理事会一同の目が、一点に集まる。黒鹿毛の麗人へ。
額から細く伸びた流星の付いた黒鹿毛の艶やかな髪。生徒会長の証である黒い外套を身に纏い、スラックス型のトレセン学院の制服姿。そして中性的な美貌を備えたウマ娘。
統括機構トレセン学院、生徒達の頂点、生徒会長ガリレオ──
「ガリレオ、手を挙げて立ってから言いなさい」
呆れた声の理事長の言葉に肩を竦めて応え、改めて手を挙げてから立ち上がる。
「理事長、そして理事会のみなさん。これは私の持論ですが」
「輝ける星の元に生まれたウマ娘は、運命を変えられる」
「──だが、レースからは逃げられない」
「お前ら真面目にやれ!!!!!!意味深な事をすぐ言いたがるなガリレオ!!!!嫌味眼鏡はパワハラするな!!!!!!!!!」
理事長の、怒号が響いた。
*****
理事会が終わり、セシルは一人学院内の廊下を歩いている。
(マスコミはもう大丈夫だろう。後はあの子をいつ迎えるかだな…)
娘を守るために、友人の家に預けた判断は間違っていなかったとセシルは確信している。
しかし、家に帰っても娘がいない日々は彼自身辛いものだった。
妻にも心配をかけた。だがもうすぐ、娘が前を向けるようになればその日々も終わる。
そう考え歩いているセシルの前に、巨躯の男が立ち塞がった。
「よう、理事会は終わったか?」
「デンゾウ先輩…帰ってきてたんですか」
190cmを超える身長に筋肉の詰まった巨躯の肉体、鋭い眼光を持つ男。
久居留家当主、久居留伝蔵──智哉と姉の父である。
セシルの友人であり、学生時代から頭の上がらない先輩でもある。
「おう、やっと遠征が終わってな。サッちゃんとこれでイチャイチャできる。で、理事会どうだったんだ?」
サッちゃんは、母のウマ娘名から取った愛称である。これで呼ぶのは父だけであるが。
「エイベル先輩に、嫌味のような激励を言われましたよ。うちで面倒見てもいいぞ。娘くらい手元で何としても守れよって」
「あいつは変わらんな…昔っからそんな奴だからな」
理事であるエイベル・オブリーエンも実はこの二人とは古い仲の友人である。
伝蔵に振り回され、エイベルに嫌味を言われるセシルの立場が一番低い。
「そういや、うちの怠け者の息子をじいさまに会わせる件どうなった?済んだか?」
「ええ…父は随分気に入ってましたよ」
「おお、そりゃいい。持ってけ。お前んとこにやるわ」
「えっ、いいんですか?優秀なトレーナーなら大歓迎ですが…」
「あいつはうちじゃ無理だ。あんなもん持ってる奴は、大手で囲っとかねえと食いモンにされちまう。それにあいつは平地向きだ」
智哉の予測通り、老紳士と智哉を会わせたのは父の仕業であった。
息子の適正と、息子の持つ相マ眼がもたらす影響について考慮しての判断だった。
「そういえば、ミディを後継者に指名したとか」
「ああ~それな。嘘なんだよ」
爆弾発言であった。智哉が聞いていたら「クソ親父ぶっ殺すぞ!!!!」と憤怒している発言であった。
「そもそも俺があと二十年はやるつもりなのに、後継者は早すぎるだろ」
「…え?」
「あいつを平地に行かせたくてなあ…一芝居打とうとしたら、うちのかわいい娘が協力してくれたって訳よ。ミディもあいつの事平地向きだと思ってるからな」
「推薦枠はどうしたんです?」
「うちのチームのサブトレに指名したよ。あいつ気付いてももう枠ないからな。いつ気付くかねえあのバカ息子!わははははは!!!」
「…なんというか、息子さんに同情しますよ」
セシルがため息をつく。会っていない友人の息子に、振り回される同志として親近感を抱いてしまう。
「ま、フランちゃんの事は心配すんな。うちの家族はみんな、そんな子供ほっとけないからな」
優しげな視線で伝蔵がセシルに声をかける。こういう情の深さがあるからセシルはいくら振り回されても伝蔵を憎めないのである。姉の性格は明らかに父譲りだった。
「…久しぶりに飲みにでも行きますか、先輩。今日は時間もあります」
「おっ、いいねえ!遠征で勝ったから今日は俺が奢るか」
「奥さんに怒られますよ」
「だ、大丈夫だろハメ外さなけりゃ…」
「なんとかしろ!もう後には退けんのだぞ!」
「…何?居場所がわからん?なんとしても探せ!」
「あれが口を割れば終わりだ!わかっているな!」
一文入れ忘れた…許し亭ゆるして。
理事会で真面目なのはフランパッパと理事長とミル姐さんくらいでカイチョーはいつも意味深発言を言いたがるし嫌味メガネはすぐパワハラします。こいつら大丈夫か。