「ミディおねえさま、トム、ごきげんよう」
「おっすフラン、おはよう」
「おはよーフランちゃん!こっちこっち、あたしの隣おいで!」
謎多きウマ幼女、フランを
最初の陰気さはなりを潜め、いつの間にか智哉を呼ぶときはおにいさんから渾名のトムに変わっていた。
構い倒した努力が実り姉とはすっかり打ち解けている。
ちなみにミディはウマ娘名からとられた姉の愛称である。
この一週間フランと接し、遊び相手を務め勉強を教える内に智哉はいくつか彼女について気付いたことがあった。
「トム、きょうはきのうとおなじゲームがしたいわ。いなづまのコンボができるようになったの」
まず、その上品な物腰と幼いながら自制の効く性格である。
恐らく上流階級の高等な躾を受けている。
「おう…いいけど、イナヅマは火力はあるけどリーチ短いから弱キャラって言ったろ。なんでもできるコウテイかリーチの長いワンダーにしとけ」
「でもいなづまがすきだわ。えほんのいなづまみたいだもの」
「あーあたしもやりたい!あたしのコンドルでボコってやるわよトム」
「姉貴はすぐリアルファイトになるからやりたくねえよ」
「ミディおねえさま、けんかはいけないわ」
「ぐぬぬ…」
そして、世話をされること、奉仕を受ける事に慣れている。
ここから考えられる事はただ一つである。
(絶対いいとこのお嬢様だよなあ…。マジでどっから連れてきたんだよ姉貴)
久居留家も地元の名士であり裕福な部類の家ではあるが、流石に住む世界が違う。
フランが来たその日、理由を話せと姉に迫ったが聞かなくて正解だったと智哉は思った。
日本のコトワザで言う「ヤブヘビ」である。
「朝ごはんできたわよ。トムくん、配膳手伝ってくれるかしら?」
キッチンから智哉を呼ぶ母の声が聞こえる。
我が家の最高権力者の指名である。動かない訳にはいかない。
「ちょっと行ってくるわ」
「いってらー。つまみ食いすんなよー」
「しねえよ」
「わたしもおばさまをてつだいたいわ」
「頼むからじっとしてろ」
まだ矯正の余地ありだが、フランは家事下手の片鱗があった。
姉はもう終わっている。
「母さん、どれ持ってったらいいんだ?」
「キッシュとパンを頼めるかしら?」
「あいよ」
母は、英国ウマ娘統括機構、通称BUAで栄えある一勝を挙げたウマ娘である。
父曰く本当はもっと勝てたが、生来の温厚な気質が競走に向いていなかった。
父とは引退後に障害競走の観戦中に出会い、交際を経て結婚。
この出会いは父が母の大ファンで、仕組まれたものだったらしいが。
現在は現役時代の経験を活かし、久居留家の保有するクラブで幼いウマ娘に指導を行っている。
趣味は料理で、久居留家の財政事情なら家事代行を雇う事もできたが母が台所を仕切っている。
「親父は今日もフランスか?」
「ええ、昨日電話でまだ帰ってこれないって」
父は、欧州を主戦場とする統括機構トレセン学院所属の障害競走トレーナーである。
障害競走においてはなかなかの実績を誇り、一家での立場に反比例して大黒柱を務めている。
欧州全域を管理ウマ娘達と飛び回っているため家に帰る機会が少ない。
「トムくん、ちょっと話があるの」
「…なんすか?」
母が自分だけを呼んだ際に嫌な予感を感じていたため、思わず敬語で返答してしまう。
「進路、ちゃんと考えてる?」
「…ッス」
案の定だった。
智哉は現在16歳。英国における義務教育課程を修了し、先日に全国統一学力試験を受け好成績を修めた。
この男、口は悪いしクズだが頭は良いのである。
そして統括機構トレセン学院の障害競走トレーナー試験を受ける予定だった。
本来なら、チームトレーナーに雇用されるサブトレーナーとして3年間の見習経験と、トレーナーを務めるに足るという推薦が必要であったが、これを智哉は父に師事し、推薦を貰う事でクリアしている。
コネを全力活用である。
しかしここで、問題が起きた。
姉の引退、帰郷、後継宣言である。
推薦は一人のトレーナーにつき年に一度しか出せないのだ。統括機構は狭き門なのだ。
この枠を智哉は姉と争い、負けた。完敗である。
姉は専属トレーナーからの推薦も受けれたはずだが、破局したせいで無理だった。
「お姉ちゃんの件はショックだったと思うけど、あの子も色々考えての事よ。うちはお金もあるからゆっくり考えていいけど、このまま遊んで暮らすのはトムくんによくないと思うわ」
正論である。ぐうの音も出ない。
「いやホントマジちゃんと考えてるんすよ、いやマジで…」
精一杯の敬語である。何も言い返せない。
「一年待つ?」
「それも考えてます。家の手伝いはします」
「うちのクラブに入ってもいいのよ?お給料は出せるわ」
「それもいいと思ってます。ハイ」
「本当に?」
「本当です…」
これは本当である。姉の件以降、智哉は真剣にニートになる事も視野に入れたが世間体を考えて断念した。
クズだが家族に迷惑はかけない矜持はギリギリ残っていた。
「…平地は?ママの友達にお願いして推薦もらえるかもしれないわよ」
平地とは、障害競走以外のウマ娘競走の事である。
本来ならトレーナー職の花形職業で競バに関わる者全ての憧れだった。
「いや平地はムリッス」
即答である。
「…どうして?トムくんくらいの年の男の子ならみんな憧れる職業よ」
「いや…例えばだけどさ」
「何か理由があるのね?」
「ああ…障害はさ、一番危ねえし命かかってるからか、競走バも真剣で大人しいじゃん?いや平地を下に見てるわけじゃねえんだけど」
障害競走は10メートルのハードルを飛び、20ミリの壁を蹴破る事もあるハードな競技である。
それゆえに身体能力も大事だが、気性的に大人しい冷静なウマ娘が好まれる傾向にある。
「そうね…パパの管理ウマ娘もそういう子が多いわ」
「だろ?で、平地ってさ、速く走るために闘争心が強かったり気性難が多いよな?」
「そうね」
「つまりさ…姉貴みたいなやつ引いたら俺仕事続ける自信ねえんだよ」
「あらまあ」
これは本心だった。気性難の世話なんて重労働はいくら高給でも御免である。
「なるほどね、わかったわ。でもトム君、大人しい子なら問題ないのね?」
「そんなのがいたらな。でも大人しいウマ娘ってやっぱり勝ちにくいよな。母さんもそうだったみたいだし」
「…」
ナチュラルに母をディスる畜生である。本人は気付いていない。
「いやーマジで姉貴だけは無理だわ。担当さんほんと苦労したんだろうなあ」
ついでに姉もディスり始める畜生である。
口は災いの元という日本のコトワザを智哉は知らなかった。
「トムくん、やめなさい」
「あいよ。姉貴には内緒で頼むわ」
「誰に 内緒 だって ?」
「いやだから姉…お姉さまです…」
それなりの時間話し込んでいるという事実に気付くべきだった。
空腹の姉のエントリーだ。
「いつまで経っても朝ごはん持ってこないしさあ…何してんだろって見に来たらママとあたしをディスってるってどういう了見よこの愚弟…」
姉の右手はすでに智哉の頭蓋を掴んでいる。姉必殺のアイアンクローである。
「い、いやあそんな事僕言いました?」
「思いっきり言ってたわねえ…あたしの事を彼氏に捨てられた気性難の負けウマだって…」
「いやそれは絶対言ってねえよ!!!いててててマジで痛えって!!!」
智哉は母に助けを求めて視線を送る。しかし母は無慈悲であった。
「あらあらまあまあ♪」
「あらあらじゃねえってマジで死ぬからこれ!!!!たすけて!!」
智哉は必死に何か助けになるものを探す。そこに姉についてきたであろうフランが目に付いた。
しかしこの幼女も無慈悲であった。
「わるくちをいうのはいけないわ、トム」
幼女判定で智哉がアウトであった。この子もこの家に相当染まってきている。
「しねええええええええ!!!!!」
「ぎゃああああああああ!!!!!」
久居留 智哉16歳、自分の人生と向き合う時が迫ってきていた。
英国の義務教育事情は現在変わっていますがこの作品は2015年以前の時間軸と考えてクレメンス