『トム!しっかりして!トモヤ…ともやあぁ…』
ミディおねえさまがないてるわ。どうして?
『ミッドデイ!落ち着け!息はある。私が応急処置をする。お前は病院まで運転しろ。さあ立て!』
サリーもとってもつらそうだわ。どうして?
『…』
トムが、だいすきな、やさしいひとが、たおれてるわ
どうして、ちを、ながしてるの?
ああ、わたしのせいなのね──
*****
わたしには、生まれた時から名前が二つあった。
お母様やお父様やお爺様が呼んでくれる名前と、もう一つ。
不思議だった。だからお母様に「わたし、おなまえがふたつあるの」と尋ねた。
お母様は、驚いたけれど喜んでくれた。それからわたしの名前はフランになった。
本当はフランじゃないけど、男の子みたいな名前がいやだったからフランと呼んでもらった。
でも、もう一つ秘密があった。
わたしの中に、見たことも無い、知らない生き物がいる。
足が四つあって、鹿毛の、大きな生き物。
その生き物は、寝るのと、ご飯を食べるのと、走るのが大好きだった。
そして、とても"悪い子"だった。
その生き物は、わたしに嘶く。
『私は負けた事がないんだ。だから代わりに走ってあげるよ』
わたしはその悪い子が大きくて怖くて、泣いた。
怖くて、ウマ娘に詳しいお爺様に打ち明けた。
お爺様は、どこか遠くを見るような、悲しそうな顔でこう言った。
『青い目の人を探しなさい。その人がきっと、フランを助けてくれるよ』
お爺様は、昔、わたしみたいに悪い子が心にいたウマ娘を知っていると言った。
ダンシングブレーヴ、という名前のウマ娘だとお爺様が教えてくれた。
──その人は、会えたんだろうか。青い目の人に。
それから、わたしはウマ娘の学校に入った。
お母様と、わたしのお世話をしてくれるサリーは元競走バで、お父様とお爺様はトレーナー。
わたしも、競走の世界に、大好きな家族の世界に進みたかった。
競い合う友達と、夢を追う世界に行きたかった。
『もうフランちゃんとはしりたくない…』
『フランちゃんばっかりいちばん!もういや!』
『フランちゃんはひとりではしってよ!』
でも、誰もわたしと競い合ってくれなかった。わたしは速すぎたから。
誰も追いつけないわたしは、学校で一人だった。
この頃から、悪い子がよく話しかけてくるようになった。
『だから私が代わってあげると言ったんだ』
『ちょっとで良いからさ、私にも走らせてくれよ』
『はーしーらーせーろー!!!』
心が苦しくなったわたしは、先生との併走で悪い子と代わってしまった。
気付いたら家にいた。悪い子に、体をとられていた。わたしは怖くなった。
『ありがとう、楽しかったよ。先生はやっつけておいたよ』
『君は速いんだから、もっと傲慢になるべきだよ』
次の日から、わたしは一人で練習をこなすことになった。
先生のわたしを見る目が、今も忘れられない。
わたしは悪い子のやったことを謝りたくて、みんなが帰ってから先生の所に向かった。
一番えらい先生のいる部屋を通りかかったら、声が聞こえた。二人の先生の声だった。
『…の懇意のトレーナーに口利きをするだけだよ。私も、君も、生徒も得をする。何か悪い事があるかね?』
『私は確かに教師として失格かもしれません。でもフランちゃんにも、生徒の子達にも、そんな事私にはできません!』
『よく考えたまえ。君は私と君のお父さんの力で教師になれたんだ』
『…ッ!そういう事だったのね!それならこっちから辞めてやるわ!!』
先生はそう言って部屋を飛び出して行った。わたしは言い合う二人が怖くて、物陰に隠れた。
『待て!くそっ……失敗し…こちら…対処…理事…』
それから一番えらい先生は、どこかに電話をかけていた。よく聞こえなかった。
次の日から、先生は学校に来なくなった。わたしの話をしていたから、何の話か聞きたかったのに。
先生がいなくなった事で、クラスのみんなは私を責めた。
『フランちゃんのせいだよ!せんせいにあんなことするから!』
『せんせいをかえしてよ!』
わたしじゃない、悪い子がやった。なんて言えなかった。代わったのはわたしだから。
そしてわたしは、走るのが怖くなった。
誰も追いつけないわたしは、走っても一人だから。
いつか、悪い子に全部とられるかもしれないから。
心が耐えられなくなって、走れなくなった私は学校を休んだ。
しばらくお父様の別荘にいたけど、わたしの心は辛くなるばかりだった。
だからお父様の別荘からサリーのお友達のお姉さんに連れられて、わたしはデンおじ様の家にやってきた。
デンおじ様は、お父様のお友達。サリーのお友達のミディお姉様と、あの人のお父様だった。
『おう、挨拶できてえらいなフラン。俺はとも…トムってんだ。よろしくな』
最初は、目つきが悪くてぶっきらぼうで、怖いお兄さんだと思った。
でも、あの人はずっと私の目を見て話してくれた。こんな子供に向き合って話してくれた。
あの人も、辛い事があって苦しんでいる人だった。わたしと同じ、他の子と違うから悩んでいる人だった。
でも、わたしは、悪い子の話だけはできなかった。悪い子に代わらなければいいだけだから。わたしが我慢するだけでいいから。
それから、あの人とゲームをしたり、映画を見たり、一緒に走った。
走るのが怖いはずだったのに、あの人は大丈夫だった。いつもあの黒くて優しい瞳でわたしを見てくれたから。
──あの人の目が、青かったらよかったのに
そんな大切な人が、わたしのせいで大怪我を負った。
血が止まらないのに、痛いはずなのに、冷や汗を流しながら、わたしを見て笑ってた。
わたしは、この人が死んでしまうと、腕の中で怖くて泣いてるだけだった。
わたしとあの人が走ったあの日、サリーが言った言葉を思い出す。
『お前がこれから目指す世界は、使える物であれば全てを使い、全てを擲ち挑まなければならない世界だ。でなければ、競走バの横に立ち、支える資格などない』
あの人は、わたしのために命も擲ってくれた。
わたしは、全てを使っていない。全てを擲っていない。
──あの人に、報いなければならない。わたしは、全てを使わなければならない。
『レースの間だけ?いいよ!全然いいとも!私が全部蹴散らしてあげよう!』
悪い子は、喜んで代わってくれると言った。わたしが我慢すればいいだけ。
あの人の手術室の前に、デンおじ様もお父様もいる。後は、お願いすればいいだけ。
「お父様、デンおじ様、お願いがあるの──」