『い、痛い…』
『なんだよこいつぅ…』
『化物だ…』
『あ?女一人寄ってたかって裸に剥こうとした、てめえらの方がよっぽど化物だろ』
あと一歩遅かったら危なかった。
こいつらの"お遊び"のターゲットは同級生の、女友達だった。
大人しい奴で、ほっとけなくてよく話してたら仲良くなった子だった。
『な、なんだ君は…もう許してくれよ…』
『なあ?こいつに手出したらどうなるかわかったよな?』
引き起こしたクズを、そのまま持ち上げる。
うちの学校はウマ娘がほとんどいないから、こういう馬鹿が調子に乗りやすい。
ただ、こいつは確か優等生のはずだった。こんな事する奴だったとは思わなかった。
『わ、わかったよ。もうしないから…』
『そっか、じゃあもういいわ』
持ち上げたクズをそのまま投げ捨てる。
バウンドしてたけどまあ生きてるだろ。死んじまってもどうでもいい。
それよりもあいつだ。
『おい、平気か?』
『…ひいっ!』
…なんでオレを見て怯えてるんだ?
ああ、さっきまで怖い目にあってたしな。
きっとそうだ。
『もう大丈夫だぞ。あいつらはオレがぶちのめしたからな』
優しく声をかけたはずなのに、後退りされた…?
わかった、そういう事か。さっきまで男に怖い目に遭わされそうだったからだ。
悪い事したな。離れよう。
『先生!あそこです!』
『クイル君、なんて事を…』
クラスのみんなも来てくれたみたいだ。ウマ娘の同級生もいる。
来るのが遅えよ。オレが助けた後だぜ。
──何で、みんなオレを見てるんだ?
『た、助けてくれ!彼が──
*****
むくり、と智哉が怠そうに起床する。
最悪の目覚めだった。
フランと過去の自分を重ねて以来、頻繁に過去の記憶に苛まれているのだ。
(…首突っこまなけりゃよかったんだよ。今もそうだ)
顔を洗おうと自室を出る。
すると、すぐそこにメイドがいた。手にタオルを持ち、智哉を凝視している。
「おっ、サリーさん。おはようっす」
「…ああ、おはよう」
できるだけ平然として見せて、横を通ろうとする。
そこに、メイドから声が掛けられた。
「…ひどい顔だ」
「ちょっとだけ寝不足なんすよ。顔洗って目覚ましてきます」
「嘘をつくな」
メイドは一度ある事のためにジュドモント家の邸宅に戻っていたが、それからまた久居留邸に滞在している。
そこから数日、智哉の顔を見て気付いた事があった。
朝だけ、以前見た覚えのある憔悴した顔をしていた。
「お嬢様もな、別荘におられた間は今のお前のようだった」
「そうなんすか。でも今は大丈夫だし、よかったじゃないすか」
「…とぼけるのはやめてくれ」
メイドが、手に持ったタオルを智哉に差し出す。
その顔は札付きの気性難とは思えない程に、ばつが悪そうな顔をしていた。
「…お前が気を配る必要はもう無い。お嬢様は表面上は元気を取り戻されている」
「どもっす。今ああなってるの、たぶん俺のせいなんすよ」
「クイル夫人から話は聞いている。だがもう十分だ。問題があるなら旦那様と大旦那様だ。先日締め上げたが全く口を割らん」
タオルを受け取りながら、智哉の顔がひきつる。
しばらく見なかったメイドが主人に反逆していた。
「…いいんすか、それ…?」
「私は元々はジュドモント家の養女だ。戸籍上はお嬢様の義叔母にあたる」
「マジで!?」
衝撃の告白に智哉が思わず元のテンションに戻る。
「勘当されたところを大旦那様に拾っていただいてな。受けた恩を返すために、メイドの真似事をしている」
「それ、フランは…?」
「知らんぞ。言うなよ」
驚愕ではあったが、合点のいく話でもあった。
メイドは、オークスを獲った名バである。当然貯蓄もあるだろう。
わざわざ使用人をやっている理由が無かったのだ。
唖然とした顔の智哉を眺めて、メイドが満足げに口角を上げる。
「…少しはましな顔になったな。顔を洗ってこい」
智哉は、顔が熱を帯びる感覚を覚えた。
世話を焼かれた事に気付いたのだ。弱った心に見事に効いてしまった。
(ずるいわ、これは…この人、姉貴と喧嘩する時以外はマジでいい人なんだよな…)
心の中で感謝しつつも、智哉にはメイドに訂正せねばならない事があった。
「正直、首突っ込んだの少しだけ後悔してるんすけどね。ほっとけないんすよ。あいつを俺みたいにしたくないっつうか…」
「…そうか、そうだな」
メイドは智哉の言葉を聞いて、自らの過去を回想する。競走バだった、あの日の痛みを。
『あんた舐めてんの!?あたしとは走れないっての!!?』
一度目は、あの好敵手は怒り狂っていた。
無理もない。あの日、ヨークシャー州のあの場所でメイドはゲートから一歩も外に出なかった。出れなかったのだ。
『なんで何も言わないのよ。何があったか言ってよ…』
二度目は泣いていた。失意の中、もう走れないメイドが無駄な努力をし、再起をかけたフランスまで追ってきて。
青ざめたメイドを抱きしめながら、懇願するように泣いていた。
今はもう、二人の喧嘩の煽り文句に使えるまでに乗り越えた過去だった。
フランには、あのような経験をさせたくないという思いをメイドは強く抱いている。
(あの時、全てを失った私にはミッドデイがいた。業腹だが…お嬢様にはこの男、か)
智哉の過去について、メイドは知らない。
しかし、今こうやって顔色を悪くする程の何かがあったことはわかる。
それでも逃げないと目の前の少年は今、意思表示をしたのだ。
(優れた資質がある割に、情けない素振りが目立つ男だが…あと数年もすれば見れた男になるかもしれんな)
その時には少しからかってやってもいいかもしれない、と考えながらメイドが智哉に口を開く。
「それならもう何も言わん。今日も行くのだろう?」
「そうっすね、今日はオブリーエンとこで3チーム合同でやります」
フランの蹄鉄を買ってから一か月、智哉はクラブマッチに帯同していた。
*****
(って、朝サリーさんの前で決意を新たにした訳だが)
「トム!わたしがんばったわ!ほめてちょうだい!ほめて!」
(こいつ、めちゃくちゃ元気なんだよなあ…俺のメンタルが弱いのか?俺の精神力って六歳児以下なの?)
あの頃のわたしは、悪い子に代わる当初は決意やある種の悲壮感のような物を持っていた。
しかし、はっきり言うと一か月ほどでわたしは状況に慣れてしまっていた。
この後、仲良くなったオコナーちゃんの言葉を借りると「余裕ぶっこきすぎ」だった。
口調もたまに元に戻ってしまっていた。子供のわたしにずっとシリアスなのは無理だった。
今のあの人には「お前今もそんな感じだからな?」って言われた。
悔しいから併走してもらった。わたしが勝った。
(つぎは、もっとトムにほめてもらえるように、つかれないていどにかっこよくすえあしをみせてちょうだい)
『最近注文多いな!?ウマ使い荒すぎないかい?』
おまけに、悪い子がわたしの意に沿ってくれるのを良い事に、無茶なお願いをする事も多くなっていた。
わたしはまだ走れないのにこの子は走れてずるい、という気持ちもあった。
わたしは走る事は大好きだったから。今も、昔も。
「あーもう、お前見てたら何かどうでもよくなってきたわ」
あの人はそう言うと、わたしの頭をくしゃくしゃに撫でてくれた。
幼稚なわたしは全部上手くいっていて、あの人にほめてもらえてうれしいし、みんなをポニーステークスに連れていけると完全に調子に乗っていた。わたし自身はまだ走れないのに。
目の前の人が苦しんでいる事も、わたしの隠し事に気付いている事も全く頭になかった。
──そのせいで、わたしは手ひどい報いを受ける事になる。あと悪い子は絶対許さない。
*****
「な~ん~で~あの子と走らせないんですか!!!!!」
「しょうがないだろ!お前で勝てるとこ勝たないとポイント取れないんだよ!」
オブリーエン・レーシングの若手トレーナー、ライエン・モアは自チームのエースに胸倉を掴まれて必死に弁明していた。愚かなヒトミミはウマ娘の幼女の拘束を解けないのである。
たった一か月では自チームのエースがまだ仕上がっていないと判断し、相手エースとの直接対決を避けたのだ。
前回のデータを元に、フランに3本はとられたが何とか他で引き分けに持ち込んだのである。
嫌味眼鏡の嫌味を聞きたくない一心の徹夜作業であった。
「あの子ともう一回やってお近付きになりたいんですよ!!仲良くなってイチャイチャしたいんです!!させろです!!!」
「普通に言えばいいだろ!!!」
「それもそうですね」
盲点を突かれた、という顔で納得したオコナーがライエンを解放する。
そしてのしのしとクイル・レースクラブ側のベンチに歩いて行くと、目標を見るや絶句した。
堂々とあの美幼女の頭を撫でているヒトミミがいる。うらやましすぎてその場で転げ回りそうになったのである。
しかしギリギリの所で踏み止まった。
この幼女は競走においてもそれ以外でも計算高いのだ。あの様子だと、あの目付きの悪いヒトミミとあの美幼女は親しい関係だ、糾弾するのは悪印象と判断したのである。
「なによオコナー?試合は終わったでしょ?」
「パイセンちょっとどいてほしいです。そっちの子に用があるです」
気性難と優等生のニックスがオコナーの目の前に現れたが、今日は退く訳にはいかない。
次対戦するのは更に一月後である。もう待てないのだ。せめて連絡先だけでもオコナーは欲しかった。
「あなたまさか、またフランさんに何かする気?それなら通さないわ」
「何もしないです。どいてくれたらパイセンの靴をなめるです。どうしてもあの子と話したいんですお願いするです本当にお願いするです」
目が血走り、尋常でない様子のオコナーに流石のエスティも怯んだ。
そしてこの様子に最初に智哉が気付いた。
(なんかすげー危ない目した子がいるんだけど…こっち見てる…)
ドン引きである。しかも目線がフランに行っている。
「?どうしたの、トム?」
「あー、いや、あそこの子がな…」
首をかしげるフランに、智哉が目線でオコナーを示す。
フランの反応は劇的であった。
見るや否や、オコナーに突撃していったのである。
「おいフラン!あれはやめとけ…あー行っちまった」
慌てて智哉も追い駆ける。あの様子だとフランに何か言いに来たのかも、と心配になったのだ。
「オコナーあなた目が危なすぎるわ、紹介するの躊躇うんだけど…」
「なんですか!!今パイセンの靴舐めればいいんですか!!あー上等です舐めてやるです!!」
「ちょっとあなた本当に舐める気でしょ!やめなさい!やめろ!!」
優等生から気性難が飛び出すギリギリの所でフランが到着し、オコナーに頭を下げつつ謝罪した。
「ごめんなさい!」
「へ…?」
エスティの前に跪いたオコナーが、気の抜けた声を上げる。
まさか本人が自分に会いに来るとは、思ってもみなかったからだ。
「前のレースで、酷い事してごめんなさい。許してほしいとは言いません。でもあやまらせてください」
少し涙目で謝罪するフランに対し若干興奮しながら、オコナーは高速で思考を巡らせていた。
(あのナメプの事を謝りにきたんですね?好都合ですこれをネタにゆすって連絡先その他もろもろ頂きつつお近付きに…いやパイセンがいるです。悪手です。ここは素直に許して友達になるのが最善!)
答えはすぐに出た。前門の気性難を前にしては元々許す以外に無いのだ。
「全然気にしてないし、そもそも私も他の子にやってるから許すです!ああいうのはクラブだとよくあるから、そんな気にしなくていいですよ」
「えっ、そうなの…?」
「そうですそうです。それよりも私オコナーって言うです。フランちゃん、お友達になってほしいです」
この発言にフランが目を見開く。
今まで、走った後で友達になってほしいと言われた事は無かったからだ。
青天の霹靂であった。
思わず、追いついた智哉にどういうこと?と目で訴える。
「…フランと走って、すごかったから友達になりたいって事だよ。よかったな」
優しい目で智哉が応える。
しかし誤解である。オコナーはただのウマ娘限定の面食いである。
フランがすごかったのも確かにあるが、それは理由の二割程度だ。
「ふわあ…」
フランがうれしくて目を輝かせる。
厳密には自分が走った訳ではない。
しかしそれでも、走った相手にこう言われた事はフランの救いとなっていた。
しかし誤解である。オコナーの理由は邪であった。
「うん…うん!オコナーちゃん、私もお友達になりたいわ!」
「いよっしゃああああ!!!!じゃあ早速二人でご飯食べに行くですフランちゃん!!!今すぐ!!!」
オコナーは歓喜の声とガッツポーズで全力で喜びを表現した。ナンパも忘れない。
しかしこの後、ジェームス氏とライエンの申し出で、全員でオブリーエンのクラブハウス食堂での交流会となった。
オコナーは目付きの悪いヒトミミの横にべったり座るフランを見て心で泣き、ヒトミミいつか殺すですと誓った。
智哉とライエンはお互い通ずる物を感じて意気投合した。