統括機構トレーナーの大家であるオブリーエン家は、偉大なる統括機構三大チームの一つ、チーム・クールモアを率いるトレーナーの一族である。
チーム創設者であり、今も英国競バ界全体に影響力を持つ総帥ジョセフ・マグニアからチームの運営を一任されており、欧州競バ界を牽引する、競バの王たる名家なのだ。
その権勢を誇るかのような巨大な邸宅の一室に、オブリーエン・レーシングの若手トレーナーことライエン・モアは呼び出されていた。
──目の前の白毛の令嬢によって
「映像はこれで全部です」
「そう…ご苦労様でした」
令嬢──ジェシカ・オブリーエンは、ウマ娘であった。
だが、一般的なウマ娘と比べると多少の差異を感じる風貌をしていた。
その容姿は美しく、きめこまやかな白い肌にルビーのような赤い瞳を持っている。
容姿で見れば間違いなくウマ娘である。
だが、彼女にしかない特徴があった。
まず、ウマ耳が異様に小さく、垂らすと髪の中に隠れるほどの大きさしかなかった。
そして、尻尾も細く、短い。
ズボンを履く際に、尻尾穴が開いているウマ娘用の物が必要ない程に。
まるでウマ耳のついた人間のような美しい令嬢であった。
「…この男…」
ライエンから提出された映像、先日のクラブマッチのレース記録を眺めていたジェシカが、レースの映像に映るとある男を指差す。
映像の中に、知っている顔の男がいた。
整った容姿をしているが目が酷く荒み、目付きの悪さが印象的な男。
先日、大事な妹との楽しい買い物に水を差した男だった。
「はあ、トモヤ君が何か?」
交流会で意気投合した同好の士が、オーナーの娘に指摘された事に対してライエンが怪訝な声を上げる。
「…知り合いかしら?」
「ええ、先日話す機会がありまして。良い奴ですよ、彼」
「あなたの個人的な意見は聞いていません」
意見を一刀両断されてライエンが渋い顔を作る。
彼女の父であるエイベル氏とは、また違った性格のキツさを持つこの令嬢をライエンは苦手に思っていた。
オーナーの娘が気性難なんて聞いてない、とクラブに残った時に絶望したのだ。
「どういう人物?」
「名前はトモヤ・クイル、障害競走のクイル氏の御子息です。年齢はお嬢さんと同じ16歳。トレーナー資格取得を目指しているそうですが…少し育成論を話した印象ですが優秀ですね。推薦枠さえあればすぐにトレーナーになれますよ、彼は」
「ふぅん…それは私よりも?」
試すような質問に、ライエンの顔が更に渋くなる。
ジェシカは、今年父の推薦によりトレーナー試験を受ける事が決まっている。
ライエンも彼女が優秀なのは知っているし、父の明晰な頭脳を受け継いだ彼女は資格を十分に取れる、いや成績一位すら狙える才女なのも理解していた。
しかしライエンから見て、彼女は現場経験に乏しい印象があった。
体が弱く、トレーナーとしての実務面にハンデがあるのだ。
対して最近親交を結んだ友人は、明晰な頭脳を持ち現場経験も豊富な印象がある。
つまり智哉の方が現状上ではないか?と判断していた。
こういう場合、ライエンが取る手段はただ一つであった。
「それはもちろん!お嬢さんですよ~~!!お嬢さんに比べたら彼も流石に気の毒になりますよ!!」
揉み手で全力で媚びを売る──彼の処世術、おべっかであった。
「そう、もういいわ。映像記録の提出、ありがとうございました」
「それでは失礼します!お嬢さんのトレーナー試験合格、この不肖の身でありますが、影ながらお祈りしております!」
ため息をつきながら、ジェシカが話を打ち切り退出を促し、待ってましたとばかりにライエンが高速で退出する。
このライエンという優秀な若手トレーナーについて、ジェシカは父から聞いていた癖があった。
返答に詰まったら、世辞を言うのだ。
(彼は卑屈な男だけれど、トレーナーとしての見立てに間違いはない。つまり、私よりあの男の方が上と見たという事ね…あんな男が…)
失礼な男だった。
ぶつかっておいて、不躾にこちらを眺める態度に腹が立つ男だった。
妹と水入らずの買い物のために、使用人を使わず自分が荷物を持ったからちょっとだけ、本当にちょっとだけふらついたのは確かにある。
しかしそんな男が自分より、血の滲む思いで最年少トレーナーになろうという自分より優秀だと言う事実は許せるものではなかった。
(…あのような男、どうせろくな契約も取れないでしょう。私達二人の敵にはならない)
ジェシカには夢があった。今はもう、叶わないと諦めた夢が。
だが、その夢を託した最愛の妹がいる。
二人なら、どんな障害も越えて、夢に辿り着ける。
そう、信じている。
一方、退出したライエンは──
(あれはお嬢さんに目を付けられたな…トモヤ君、恨まないでくれよ。君も俺と同じ立場なら、同じ事してると思うから…)
最近できた友人に、健闘を祈っていた。
*****
私──ジェシカ・オブリーエンは、トレーナーの大家、競バの王オブリーエン家に生まれた「出来損ない」のウマ娘だった。
自分が出来損ないだと知らなかった頃の私には、夢があった。
それは、世代の頂点の競走バになる事。
かのガリレオやロックオブジブラルタル、父の下で私が見てきた名バ達のように。
けれど、三女神は私に残酷な運命を与えていた。
私は──どうしようもなく出来損ないだった。
力が弱い。足が遅い。命名も受けていない。そして日差しに長く当たっていられない。
頼れるのは、父から受け継いだ頭脳だけだった。
幼い日の私は、それでも諦めなかった。
そんな私を見た父と生前の母は、ある日私をオブリーエン家と懇意の病院に連れて行った。
そこでの診断が、私の夢に止めを刺した。
『お気の毒ですが…お嬢様のお体はほぼ人間に近いです。いや、身体的なハンデの分人間よりも…』
仮称ウマソウル欠乏症──それが診断結果だった。
全く未知の症状だと医師は言った。それが私の体に起きているという事実と共に。
私の体には、ほんのわずかなウマソウルしか宿っていない。三女神から何も与えられていない。
16歳になった今でも、命名を受けていない事がその事実を物語っていた。
幼い私は苦しみ、泣きながら三女神を呪った。
体の弱い母は、私を抱き締めてくれた。
父は、ただ一言だけこう言った。いつもの無表情なままで。
『もう、走るのはよしなさい』
それから私は、せめて夢を近くで見たいとトレーナーを志す事にした。
父はそんな私に便宜を図ってくれた。
私は父に愛されているかわからない。ただの跡継ぎとしか見られていないかもしれない。
それでもありがたかった。私は最高の環境でトレーナーを目指せるから。
そんな時だった。
母が亡くなった。幼い妹を残して。
妹は、母をほとんど知らないまま育った。
私はせめて母代わりとして妹を大事にした。愛していた。
けれど、またしても残酷な現実に私は襲われた。
妹は、競走バとしての才能に満ち溢れていた。天才だった。
まるで私のウマソウルを全て持って行ったようで、私は妹に嫉妬した。
ウマ娘は、嫉妬という感情をあまり抱かない。
私が人間に近いという事実を更に突き付けられて、私は苦しくてたまらなかった。
そんな時だった。
『あねうえのゆめ、我がひきつぐ!あねうえは我のトレーナーになればいいのだ!ともに、ははうえのぼぜんにほうこくすればよい!』
妹、エクスはいとも簡単にそう言った。
その時の私は、まるで空が晴れ渡るかのような感覚を覚えた。
私、いや、二人の夢が決まった。
私と妹、トレーナーと競走バ、二人で一人、ともに世代の頂点に立つ──
それからは、妹の成長を間近に見ながらの楽しい毎日だった。
ある日の妹は、Aクラスの子にひどい事を言って泣かしてしまったと落ち込んでいた。
私は悪いと思ってるなら謝りなさいと伝えた。後日、仲直りできたとうれしそうに教えてくれた。
別の日には、家臣が出来たと喜びながら教えてくれた。
友達ができたなら家に呼んでもいいのよ、と許可を出した。
妹は、競バの王の家だから堂々とした王者であるべき、という理屈で王様っぽい行動を好む。
少しだけ将来が心配になった。
更には、ナサニエルというすごい子と知り合ったと教えてくれた。
将来のライバル候補として私は脳裏に刻み込んだ。
そして今、私は先ほど提出されたレース映像を見て苦心していた。
怪物が、そこにはいた。
(まず加速が異常に尽きるわね。追込から逃げまで脚質も自在…それに何より底が見えない)
片田舎の中堅クラブに突如現れた新エース、改造メンコを付けたフランという少女。
今までどこで、何をやっていたのか。何故これほどの才能がポニースクールに入っていないのか。
謎ばかりの存在。でも本当に厄介なのはそこじゃない。
この子は、ハーフマイルが主戦場だ。つまり妹と選抜戦で当たる事が確実視されている。
妹でも、勝てるかわからない才能を見るのは初めてだった。
私は妹を確実に勝たせなければならない。あの子と共に夢を追う者として。
(一つ気になるのは、この改造メンコ。これは確か…)
ノートPCを開き、この子の弱点かもしれないこのメンコを調べる。
程なく、メンコの正体は判明した。
(…思った通り、イップス治療の医療用ね。クラブでは着用可能だけど…)
選抜戦、ポニーステークスでは医療用メンコの着用は認められていない。
報道陣に未来の名バ発掘に来るトレーナー、更には今年はアイルランドの公女殿下も来られたはず。
これらの前で治療中のウマ娘など走らせる訳にはいかないから。
その為に改造しているのだろうけど。
──これはきっと、悪い事じゃない。競走ルールは厳正に守るべきだから。
「お父様?少しお伝えしたい事が──」