何とか誤解が晴れて、家に帰って来れたオレは、あれから家に引きこもっていた。
片田舎のこの町は、噂もすぐに広がる。オレがやった事も。
今日も母さんと、クラブの子の親が話している声が聞こえた。
『すいませんが、うちの子は隣町のクラブに移籍させていただきます。やっぱりねえ、お子さんがそんな事されるクラブにうちの子を任せるのは…』
『…わかりました。ですが、息子の婦女暴行未遂の件は冤罪です。そこだけはわかってください』
『でも、暴力を振るったのは事実なんでしょう?奥さんも大変ですね。娘さんはあんなに立派なのに息子さんは…クイル家の恥──
『やめてください!息子はそんな子じゃありません!』
オレはもう、限界だった。辛そうな母さんを見ていられなかった。
だから、親父と話をして、親父の遠征についていく事を決めた。
オレがいても迷惑なだけだからさ、母さん、わかってくれよ。
だからさ、そんなに泣かないでくれよ。母さん──
家を出る前にまだやる事がオレにはあった。
あの助けた女友達。あの子ともう一度話しておきたかった。
あの子はあれから嘘をついてから家に引きこもって、証言してくれるまでオレはひどい目にあったけど。
ウマ娘の刑事さんに締め上げられたのと、仲が良かったウマ娘の友達に殴られたのが、マジで辛かったな。
それでもオレが助けたくて助けたんだ。
気にしていないと伝えたかった。
『…はい』
『おっす、元気か?』
『ッ!ひいいいい!!いやああああ!!!』
『お、おい、待ってくれよ。オレは何も…』
『ごめんなさい!ごめんなさい!!嘘ついてごめんなさい!!』
『いやだからさ、オレは気にしてな…』
『殺さないでください!!!ごめんなさい!!』
『おい、待てよ…そんな事、オレはしねえよ!!』
『だ、だってトム君、人をあんなに振り回して…ウマ娘の子はあんな風にやらない…』
『そんなの…そんなの──人間じゃない!!!!』
*****
「うあああぁぁぁ!!!!!」
魘された智哉が飛び起きて、自分の顔が映った窓ガラスを叩き割る。
あれから更に一か月──智哉の精神に限界が来ていた。
母は異変にすぐに気付いた。息子がまだ過去に縛られていた事に。
しかし智哉は逃げなかったのだ。
フランの姿を見て今度こそ、過去を乗り越えると決心して。
しかし、結果は残酷であった。智哉はまた、自分に負けそうになっていた。
「ちょっと!どうしたの!」
姉がノックもせず部屋に飛び込んでくる。
後ろには母、メイド、フランまで来ていた。
フランにだけは、弱った自分は見せられない。
智哉はそう思い、全力で平静を保った。
「ん?おお、寝惚けてたわ。母さんごめん窓割っちまった」
「…トム君…」
青褪めた顔で虚勢を張る息子に、母が痛々しい面持ちで声をかける。
姉も、弟の異変に気付きつつあった。
「…あんた、顔が真っ青よ。何があったの?」
「ちょっと嫌な夢見ただけだよ。全然なんでもねえし」
姉は、情の深い女である。
弟やフランがまだ過去を引きずっている事に気付いたら、余計な心配をかけるだろう。
そう思い姉には黙っていた。メイドも、母もその意を汲んでくれた。
「あんたまさか、まだあのヒトミミ女の事件を…」
姉も智哉に隠している事があった。姉がヒトミミと言う蔑称を使う女は一人しかいない。
姉が、引退して間もない頃。あの弟に濡れ衣を着せた女友達が、久居留邸を訪れていたのだ。
どこからか智哉が帰ってきていると聞き、一言、謝りたいという目的であった。
姉はそれを聞いて怒り狂った。智哉がいなかったのが幸いであった。
彼女も確かに被害者であろう。だが、弟の人生を滅茶苦茶にした女が、のうのうと自分が楽になりたいだけでそう言った。姉にはそうとしか聞こえなかった。
姉は怒りのままに彼女を追い返した。母に止められなかったら確実に手を挙げていた。
「そんな訳ねえだろ、何年前の話だよ。姉貴にウナギの煮凝り食わされた時の夢見て、気分悪くなったんだよ」
今回は嘘だがこれは本当に見る悪夢であった。この件はまだ根に持っていた。
姉は真に受けてちょっと悪い事したかな、と反省した。珍しい光景であった。
「あー…そういう事。あれはちょっとあたしも悪かったし掃除手伝うわ…」
「姉貴が掃除したら散らかりそうだしいいわ。俺がやる」
「いや、私がやろう。お嬢様は危ないので部屋の外に出ましょうね」
智哉が心の中でメイドに感謝する。この二か月、メイドには本当に世話になっていた。
フランが退室を促されつつも、智哉を見て心配そうに声をかける。
「トム、本当に大丈夫なの?お顔が真っ青よ…」
「大丈夫だって。大事な時に余計な心配するんじゃねえよ」
ポニースクール、クラブ選抜戦。ポニーステークスを間近に控えた出来事であった。
*****
「よっしゃ、音頭は取らせてもらうぜ!我がレースクラブの…何年振りだっけか?何でもいいな!明日の選抜戦出場を祝って!!」
「「「かんぱーい!!!!!」」」
ポニーステークスの前日の夕方。クラブハウスにみんなが集まってささやかなパーティーが開かれた。
ジェームスおじ様の挨拶で、みんなで大騒ぎ。
わたしもまたもみくちゃにされそうになった。今回はあの人とサリーが助けてくれたけど。
「全く今年はフランちゃんに感謝しかねえ!でもギリギリでルールを厳正にって、まるでフランちゃんを狙い撃ちされてるみてえだよなあ。あのメンコ無しで本当に大丈夫かい?」
「ええ、心配ないわ、ジェームスおじ様」
今年は、日本から帰国されたアイルランドの公女殿下が来賓として観覧されるので、各クラブはルールを厳正に守るように。
そんな案内が、開催の数日前に通達された。
わたしの改造メンコは、本来は医療用のもの。
だから使用は認められないと、統括機構の運営事務局からクラブへ連絡があった。
わたしは少しだけ不安だったけど、走るのは悪い子に任せるつもりだし大丈夫だろうと思っていた。
本当は他の子に枠を譲るつもりだった。わたしはただ恩返しがしたいだけだったから。
でも、一番速い子が出るべきだと、ジェームスおじ様は貴重なハーフマイルの出場枠をわたしにくれた。
これも恩返しになるならと、わたしは了承した。
「フランさんの加入で今年は選抜戦に出れるのよ!私、一度でいいから出たかったの!」
「今年はアスコットだしみんなで応援に行くからなー!!エスティ緊張しすぎんなよー!」
「うるさいわねえ!わかってるわよ!…応援、ありがとう」
エスティちゃんも1200mで出れるのを感激していた。
エスティちゃんの親友のアンナちゃんも見に来てくれると言ってくれた。
わたしが頑張った証拠。見たかったものがそこにあった。
でも、ここまでだった。わたしがうれしかったのは。
「…フラン、ちょっといいか?」
あの人が、声をかけてくれた。
きっと、わたしが頑張ったからほめてくれると思って、うれしくてわたしはあの人についていった。
クラブハウスの外、周りに誰もいない芝コース。夕焼けの空だった。今もまだ目に焼き付いている。
「なあ、フラン、ここで走った時の事覚えてるか?」
もちろんよ、覚えてるわ。
「違う…俺と走った時じゃない。あの子だよ。ナサって子とだよ」
ええ、とても辛かったわ。でもわたし、ナサちゃんのためにも頑張ったわ。
「何でだよ…何で走れてるんだよ…何で…」
?どうして?トム、わたし、もう大丈夫よ。みんなのために、走りたいの。
「違う!お前、本当は走れないだろ!!明日はメンコもないんだぞ!!どうするんだよ!!」
…どうして?わたしは、走ってはいけないの?
「俺はもうわかんねえ、お前がどうなってるかわかんねえんだよ…ただ、辛いなら一言辛いと言ってくれよ…じゃないと俺は…」
やめて、もうやめてあげて。あの頃のわたし。
(どうして?トムがつらそうだわ。ないてるわ)
『私にはよくわからないけど、彼は何かあったんだろうね』
(あなたにはしってもらえば、わたしはだいじょうぶなのに)
『そうだね。それより今気付いたんだけど、彼の中には…』
(ほんのり、トムのめがあおいわ。なにかしら。おじいさまのおはなしみたい。でもそれよりも、トムにはっきりいわなきゃ)
これがわたしの後悔。ずっと心残りの、あの言葉。
「全然平気よ!だから見ててちょうだい!トム!!」
*****
ポニーステークス当日。
姉は、全く起きてこない弟を叩き起こそうと部屋の前まで来ていた。
「トム!当日に寝坊してどうすんのよ!開けるわよ!」
軽くノックをして、姉が部屋に突入する。
そこには、酷い顔をした、智哉がベッドに座り込んでいた。
「あんた、何よその顔…もしかして寝てないの?」
「姉貴、悪い──俺はもう無理だよ。動けねえよ…」
あと3話くらいで山場迎えてその後いろいろ解決させて二部(史実レース)なんだけど、その前にどうしても書きたい事があるから1.5部として書かせてクレメンス。読んでる人たちに知ってほしい名馬がおるんや…。