(…すっげえ気まずい…クールモアの娘ってこの女かよ…)
(何でこの男がここに…?同期なら挨拶くらいしなさいよトモヤ・クイル…!)
第二小隊室、パーティションの奥の小さな休憩所は今、気まずすぎる空間となっていた。
智哉にとっては二度と会わないと思っていた女が今目の前にいる。
トレーナーの大家の娘、ジェシカ・オブリーエンであった。
この女が例の同期とかそんなんありかと智哉は言いたくて仕方なかった。
そもそもの初対面が、謝ったのに後ろから追い討ちをかけられたのでその印象は最悪である。
向こうは何故か自分を知っていたが、その心当たりもない。一つあるなら合格者の順位公示だろうか。しかしそれも名前だけなのだ。顔と一致しないはずである。
そしてお互い挨拶するタイミングを失ったまま、少し離れた場所で本日の訓練の準備に入ったジャック小隊長を待っているのである。
(……首席のあなたは、自分より格下でしかもあんな無様を晒した私など眼中にないってこと?なんて傲慢な男…!!)
(この女、体力測定全部落ちてたのに次席なのかよ…よっぽど筆記と実技の成績がよかったんだな。フランの同期の担当になったら手強いかもな…)
お互い、考えている事は正反対であった。智哉は評価を上げ、ジェシカは評価を下げた。
あの試験の日、自分の体力測定を手早く終わらせた智哉は、全員の結果が出るまで見ていたのだ。
智哉の目の前でジェシカは、ダート走で転んで砂まみれになりタイヤを引っ張り切る事もできずサンドバックを叩こうとして手首にダメージを受けていた。全滅である。智哉はこいつ落ちたなと確信していた。それなのにここにいるのだ。
(
懸念があった。
(こいつマジで死なねえ?流石に目の前で同期に死なれるの後味わりいんだけど…)
そんなエリート達の訓練を、このもやし少女に一週間やらせたら本当に死にかねない危惧があった。
(いや待て…クールモアの娘がここで死んだりしたら、同じ研修来てた同期の俺の立場やばくねえかこれ…いや絶対やべえよ…一応何か言っとくか…)
(この男に勝つために決死の思いでここに来たのよ…!それなのにこの男は…!一言文句でも言ってやらないと気が済まないわ…!)
一方は保身、一方は怒りから行動を起こした。
「なあ」
「ねえ!」
同時であった。
気まずい沈黙が起きる。
(なんだよこの女何か言えよ…言いにくくて仕方ねえよ…)
(…この男、今私に声をかけようとしたの?怒りにくいじゃない…!何か言いなさいよ…!)
そんな中、沈黙を破る声が上がった。
「お待たせ!さあ訓練の準備できたから!二人とも着替えて訓練場に行こうか!」
準備のできたジャック小隊長である。
この男、長年腕自慢の気性難どもに悩まされてきた結果として、空気を読む能力に長けている。
この重苦しい気まずさを敏感に感じ取った。
「………何かあった?」
認識は逆であった。何もなかったのである。
智哉が無言で、ジャックの肩に手をかけて外に連れ出す。相談があるのだ。
「クイル君?どうしたのかな…まさかやりたくないとか…?」
「いや、違うんすよ、ジャックさんに相談が…」
「…?わかった、聞こうか」
ジャックの認識では、ジェシカはウマ娘のはずである。ジェシカはもやしだが外見はウマ娘なのだ。
ここが問題であった。
智哉がジャックに耳打ちする。
「あの、同期のあいつなんすけど…見た目ああだけど体力ないんすよ。人間レベルのでもキツいはずっす」
「ええ!?そうなの!!?参ったなあ…」
「ああ…やっぱりウマ娘用のメニュー組んだんすね…」
智哉が、肩を落とす。こうなるともうやる事は一つしかなかった。やりたくない事であった。
「くそお…くそお…何でよりによって来てるのがあの女なんだよお…」
「クイル君…?」
「あいつのメニュー、俺がやります………」
*****
ロンドン警視庁、訓練場──
「おりゃあああああああ!!!!!!」
「へー人間なのにすごいね」
「やるじゃねえか!次オレと格闘訓練頼むわ!!」
智哉がウマ娘用のタイヤを引っ張りながら、目の前に並んだ杭を一本ずつハンマーで埋めていく。
警察ウマ娘用のパワー訓練である。もやしがやったらタイヤに括りつけた時点で死にかねないメニューであった。
超人の智哉でも死ぬ程きつい内容である。
「クイル君、人間なのかあれは…?」
ジャックがもやしの訓練相手を務めながら、智哉を見て唖然とした表情になる。
もやしは軽く腹筋を数回行ったら起き上がれなくなったのでクールダウン中である。
ジャックは知らずに本来の訓練メニューをやらせていたら、最悪死亡事故で懲戒免職モノだった事に気付いて智哉に感謝した。
「ぜぇー…ぜえぇー…ヒュー…」
もやしは過呼吸を起こしていた。もはや死にそうである。
ジャックは何で来たのこの娘と頭を抱えた。幼児用のメニューを1から組む必要があった。
(また…!またあの男との差を見せつけられた…!!悔しい……!)
ジェシカが、こんな無茶をした理由──それはあの体力測定で、智哉のウマ娘並の超人的な体力を見せつけられたからであった。
出来損ないとは言えウマ娘の自分が、人間であるはずのあの男にそれを見せられる。
屈辱と、強烈な嫉妬をあの日抱いたのだ。
自分が欲しい物を、諦めた物を人間であるはずのあの首席は全部持っていると知らしめられたのだ。
羨ましくて仕方なかった。悔しくて仕方なかった。
そうして、いくら無茶でも、自分でもわかっていてもそうせずにいられなかったのだ。
しかしそんな所にまでこの男が来た。現実に打ちのめされていた。
「ジェシカさん、ゆっくりでいいから続けようか」
「は…ヒュー…い……」
辛くて、仕方なかった。
「これ死ぬ!!!マジで死ぬ!!!警察ウマ娘やべえって!!!」
一方智哉は肉体的に辛くて仕方なかった。あの女寝てんじゃねえとブチ切れそうである。
*****
「ダスティさんとの格闘訓練、何で俺にやらせたんすか……?」
「クイル君ならいけそうだなあって、あはは……」
訓練終了後、警察ウマ娘達をクールダウンに行かせ、トレーナー組3人は訓練場で訓練の所感を話していた。
最後に智哉は抗議した。エリートウマ娘部隊のフォワード担当とガチの格闘訓練をさせられた怒りがあった。
智哉は全力で逃げに入って粘ったが、ダスティのタックルで5mほど吹っ飛んだ。もう帰りたくなった。
「うん、今日は軽く訓練して解散するつもりだったからね。後は待機中に書類や室内訓練を見せたい所だけど…明日からでいいかな…」
「軽く…………?」
智哉は絶望した。今日の地獄は序の口であった。
ジャックが今日の研修終了を告げる理由は今二人の横で寝ている。
「ジェシカさん、動ける………?」
「………すいません………」
もやしは横座りで俯いていた。全く動けないのである。
こいつ本当に死ぬんじゃねえかと智哉は不安になった。寝覚めが悪すぎる。
「クイル君…ちょっといいかな…?」
ジャックがここで智哉をちょっと離れた所に呼び寄せた。明らかにもやしの件である。
「クイル君、帰りはどうするの……?」
「俺に何とかしろって事すか…」
「話が早くて助かるよ…待機任務中は離れられなくてね…」
特殊部隊は緊急出動対応の為に待機も重要な任務である。もし勝手にいなくなったら減俸である。
彼は給料を満額貰える方が珍しいのだ。
「今日だけっすよ…連れ出してあいつの家から迎えよこさせます」
「助かるよ…明日はクイル君も人間レベルにしたいけど…ウチの連中、止められなかったらごめんね…」
「止めてくださいよ…………」
思わず敬語になった。もやしの命の心配以前の話になってきたのだ。
気性難と合同訓練を一週間やるのは超人でもデッドラインをまたぐ恐れがある。
ジャックと別れ、智哉がジェシカに近付く。
(そういやこいつとまだまともに喋ったことねえな…プライド高そうだしどうすっかなあ…)
姉を始めとして気性難との付き合いが長い智哉は、その習性をよく知っている。
下手に声をかけるとへそを曲げるのは確実である。
「今日は終わりらしいぜ。帰るけど動けるか?」
悩んだ末に、無難に声をかけた。他に思いつかなかったのもあるが。
「……何よ、笑いに来たの?」
しかし今の打ちのめされたジェシカは地雷でオセロができる状態である。
踏まずに声をかけるのは無理な話であった。
「いや、笑うも何もお前の事よく知らねえし…」
更に地雷を踏んだ。お前なんて眼中に無いとジェシカは言われているように聞こえた。
「そうでしょうね!首席で何でもできるあなたは!こんな私なんて眼中に無いんでしょう!?」
「いや…だから知らねえから…」
「まだ言うの!?私の…私の欲しい物!!全部持ってるくせに!!!」
「知らねえよお前の欲しい物とか!!立てるかだけ答えろ!!」
智哉もブチ切れた。ほぼ面識の無い相手にここまで言われる筋合いは無いのである。
当然の話だった。
「立てないからって何よ!!それでまた私を笑うんでしょう!!?」
「ああああめんどくせえこの女!!!!立てねえんだな!?わかったよ!!」
「何するのよ!!離しなさい!!はなせええ!!!」
ブチ切れた智哉が怒りのままにジェシカを肩に担いで運ぶ。
めんどくさい女に付き合いきれなくなったのだ。
肩でジェシカが全力で暴れるが、もやしの反撃など超人にはそよ風のようなものだった。
「てめえの家はクラブの本拠地の近くだろ!!このまま運んでやる!!荷物は明日にでも取りに来い!!」
「降ろして!!!あなたにだけはそんな事されたくない!!!やめろ!!!」
そのまま二人で罵り合いながら、ロンドン警視庁を後にした。
──そして歩いて10分ほど、オブリーエンの邸宅前である。
(ムカついてやっちまったけど、冷静になって考えたらやべえなこれ…クールモアの娘を肩に担いで運んでるって見ようによっては誘拐じゃねえか…)
ジェシカは暴れ疲れ、肩で「なんでこんな奴に…悔しい…」と泣いた後に担がれたまま寝てしまった。
もやしは体力の限界が来たのだ。冷静になった智哉はおんぶに切り替えた。通行人に見られているので既に遅い。
(これ、クールモアの代表とか出てきたら俺詰むよな?門の前にでも置いとくか…?いや、この季節にそれはまずいな…何かあったらじいさんに責任取らせるか)
季節は11月である。ロンドンは寒い。流石に死にかねないので、智哉は何かあったらこの状況の遠因であるヘンリー理事に投げる事にした。
覚悟を決めて、オブリーエン邸のインターホンを押そうとした所である。
「……君、それはうちの娘のようだが……?」
後ろから声がかかった。智哉は全身の血の気が引いた。
智哉は新米トレーナーで、勿論競バは趣味としても好んでいる。よく観戦もしている。
その際の記者会見や勝利インタビューで何度も聞いた、獲ったトロフィーでジェンガのできかねない男の声だったからだ。
恐る恐る振り向く。もう言い逃れのできない状況であった。
振り向いたその先には、予想通りクールモアの代表、エイベル・オブリーエンがいた。
いたのだが──
(今この人、俺の顔見た途端に眼鏡が勝手に動いてずれたぞ!?どうなってんのこれ!!?)
自動で眼鏡が斜めにずれていた。物理法則を無視した感情表現であった。
対して、エイベルは状況を正確に把握した。
もやしの我が娘が、この自分が謝罪する必要がある少年に迷惑をかけた事を察したのだ。
「あーえっと…俺、娘さんと同じ研修先で…」
「…いや、把握はできている。すまないな」
「…わかってもらえて助かるっす…任せてもいいっすか?」
智哉が背中を向けて、ジェシカを預けようとする。
しかし、エイベルは手で制止した。
「…悪いが、そのまま来てもらえないか?」
「えっ、どういう事すか」
「家に、上がっていきなさい」