「すまない。待たせたようだ」
「いえ…こっちこそこんな格好で申し訳ないっす」
智哉は、オブリーエン邸の応接室に案内されていた。
ジュドモント程ではないが大きな邸宅である。
ジェシカは、玄関で使用人が預かろうとしたがエイベルが自ら横抱きにして、彼女の私室に運んで行った。
何よりも大切な、繊細な宝物を運ぶような扱い方だった。
肩に担いでたのバレたらアメリカから帰って来れねえな、と智哉は覚悟した。
覆水盆に返らずという日本のコトワザを智哉はまだ知らない。
奥から幼女が騒ぐ声も聞こえた。恐らくもやしの妹か何かと察せられた。
とても心配そうな、悲鳴を上げるような声だったからだ。
そうして今、彼女を寝かせてきたエイベルと対面している。
「……デンゾウは元気かね?」
エイベルは、本題に入る前に軽く雑談を始めた。
目の前の少年が、何やら緊張している雰囲気を感じたからだ。
愛娘を肩に担いだ件をもうここで謝るべきか悩んでいただけである。
「え?親父?今はシーズン入って…ってなんで知ってるんすか?」
「同期だ。奴とセシル君と私はよくつるんでいた」
「えっマジっすか?そんなの親父から聞いた事も…」
クールモアの代表で、統括機構においてもその名を轟かせる大トレーナーと、父が同期で友人という事実に智哉は驚いた。セシルならまだわかるが、あの父にそんな縁があるなんて考えも及ばなかった。父の威厳は地に落ちているのだ。
「はー…そんな縁があの親父に…あ、そうだ、俺からも聞きたい事が…」
「なんだね。言ってみなさい」
「俺の友人で、オブリーエン・レーシングのライエン・モアって人なんすけど…選抜戦後からクラブにいないらしいんすよ。連絡もつかないしどうなってるのかご存じかなって」
智哉の聞きたい事、それは友人で苦労人仲間のライエンの行方が知れなくなっている事だった。
きっかけはジェームス氏から、オブリーエンのジュニアの担当が変わっていると聞いた話だった。
連絡も全くつかない状況で智哉は心配していた。
「ああ…彼か」
「ご存じっすか?」
「アメリカに行かせた」
「えっ…」
飛ばされてた。
「…統括機構が現在トレーナー不足だという話は、知っているかね?」
「はあ…まあ…アスコットの件すよね」
「私のチームでもその影響を受けていてね…そこで彼をクラブからの出向という形で、トレーナーを失った競走バと組ませてアメリカのレースに出した」
知らない内に友人がとんでもない目に遭っていた。
苦労人の面目躍如である。
当の本人は現在担当の気性難相手に遠い地アメリカで泣かされている。
「マジっすか…あの人すげえ優秀っすもんね。それはわかるんすけど…」
「ああ…有能な彼がクラブに残っていてくれたのは感謝していたが、そんな彼に報いたいと思っていた。良い機会とも言えるな…」
余計なお世話である。
彼は気性難の担当が嫌すぎて、子供の世話した方が楽だと残っていたのだ。
エイベル理事直々の長々とした激励のつもりの嫌味を受けて、彼は出荷されていった。
不憫すぎて智哉は同情した。
「他にはあるかね?」
「いや、これだけっす。答えてもらってありがとうございました」
智哉は珍しくしっかり敬語を使った。
エイベルは名トレーナーの一人である。
尊敬すべきであるし、しっかり敬意を表したいと思ったのだ。
「…ならば、本題に入りたい」
「……?何すか?」
エイベルは、対面する智哉の前で、深々と頭を下げた。
智哉は気が遠くなった。クールモアのトップがこんな新米に頭を下げる心当たりがないのだ。
「まずは娘の件だ。連れてきてくれてありがとう。迎えをよこす予定だったが、こんなに早いとは思わなくてね…」
「いや!頭上げてくださいよ!俺ちょっと運んできただけっすよ!」
「これは私のけじめだ。もう一回下げるつもりでいるが…」
「なんで!?俺何かしました!!?」
「その認識は違う。やったのは私だ」
ここで智哉はようやく落ち着いて話を聞く準備に入った。
心当たりは無いが、頭を上げたエイベルの真剣な表情でそうすべきと思ったのだ。
「下げるのは一回で勘弁してください…心臓に悪いんで…代わりに話聞かせてください」
「……わかった。私の気が済まないが、君の意向に従おう」
そうして、エイベルは理事会での顛末を語り始めた──
*****
「はあ、そんな事が…」
「…それだけかね?君は怒っていいと思うが…」
「ガスデン理事、俺が世話になった人なんすよ。わざわざ嫌がらせでそんな事する人とは思えないんで…」
「…彼があの前例なのは理事長が記録から抹消していてね…それを知っていればと悔やまれるな」
理事会での自分の処分の話を聞いた智哉だが、怒りは湧いてこなかった。
わざわざあの自由人のオヤジが普段出席していない理事会に参加してまで、くだらない嫌がらせをするとは思えなかったからだ。
恐らく何か理由があるだろうと考えた。
それよりも聞きたい事があった。
「……俺を、クールモアに迎えるように動いたのって何の為っすか?」
「率直に言おう。君とフランケルがどうしても欲しかった。ガリレオはまた別の理由が何かあったようだが」
「…え?フランはわかるっすけど俺もっすか?」
エイベルは、どうしてもあの天才少女と智哉を欲していたのだ。
最初はフランのみの為に動こうとしたが、調べるにつれて智哉も欲しくなってしまっていた。
「2~3年程前だ。学院のトレーナー寮にいたのは君だな?」
「ああ、いましたけど…」
「クレアヘイブンで、サブトレーナーをしていたな?」
「してたっすけど…」
「だからだよ。君はその時点で、他のトレーナーと遜色ない能力があると評判だった」
智哉がジョエルに師事していた頃、彼のチームである三大チームの四番目とも呼ばれる、大手チームであるクレアヘイブンでサブトレーナーをしていた時期があった。
それを調べていく中でエイベルは知ったのだ。
「いや、俺そんなつもりじゃ…普通くらいっすよ」
「ガリレオも言っていたが…君はどうも客観的に自分を見れないようだな。13歳か14歳の子供が周りの大人と同じは普通とは言わない」
「あっ……」
友人のいない智哉の致命的な欠点であった。
人並みであろうとして、周囲の大人に合わせた結果だった。
大人と同レベルの子供になってしまっていた。
「……やはり欲しいな。我がクールモアに来ないか?」
「返事は勘弁してもらえないっすか…どうなるかわかんないんで…あ、それと会長にも気にしてないと伝えてください。あの人気にしてそうだし…」
「良い返事を期待している。ガリレオには必ず伝えよう」
話も終わりかという所で、応接室の扉がゆっくり開いた。
入ってきたのは、悲しそうな様子の、小ぶりな流星の鹿毛の幼女であった。
「ちちうえ…ここにいるって……あ」
智哉と、目が合った。選抜戦最終レースで二位だった子だとすぐ智哉は思い出した。
バ群の抜け方が抜群に上手く、印象に残っていた。
「なんだ父上、客人がいたのか!お客人、よく来てくれたな」
目の前の幼女が虚勢を張り、強くあろうとしたのが智哉にもはっきりわかった。
それと共に、ここにいてエイベルを父と呼ぶという事は、この幼女はあのもやしの妹であろうと当たりを付けた。
「ああ…ジェシカを連れてきてくれたのは彼だ」
「本当か!?助かったお客人!ゆっくり…お客人、どこかで見た顔だ」
「確かエクスだったよな。選抜戦で乱入したって言えばわかるか?」
そう言われてすぐにエクスは思い当たった。
姉が対抗意識を燃やしている相手である。
試験後にもあの乱入男許さないとベッドで唸りながら言っていた。
「…ああ!あの時の!という事はまさか貴様がトモヤ・クイルか?」
「……お前の姉ちゃんもそうだけど、何で知ってるんだ?」
「クラブでのフランケルの映像を、うちの娘はモア君から仕入れていた。恐らくそこからだろう」
そこでようやく智哉は合点がいった。
そして漏らしたのあの人かよ同情して損したと、現在アメリカで苦しんでいる友人への評価を下げた。
「そういう事かよ、あの人は…ところで、これ首突っ込んでいい話かわかんないんすけど…」
もやしの話が出た所で、智哉はどうしても確認したい事ができた。
あのもやしがあんな地獄の研修に来た経緯と今後どうするかである。
「…………上の娘の事だな?私からも、とても言いにくいのだが…」
エイベルも察しがついた。他にするべき話も無い。
そして先ほどから話すべきか悩んでいた事もある。迷惑をかけた上で申し訳ない話だった。
「あの、娘さん、なんであの研修にいるんすか…冗談抜きで命に関わると思うんすけど…」
「…私に相談なく自分で登録していた。無茶をする」
「……自分からっすか?マジで…」
自ら死地に飛び込むなど、智哉にとっては余りにも謎な行動である。意味が分からない。
「…姉上は、トレーナー試験から帰ってきてから何やら思い詰めていた。我にも教えてくれない」
堂々と腕を組んでエクスはそう言った。
しかし、その耳は垂れ下がっていた。
客人の前で強くあろうとしているが、今の姉の話になると隠しきれないのだ。
「今も疲れ果てて起きる気配が無いし、姉上は泣いていた。何があったのか…」
(やべえそれ俺が担いだからだ……)
智哉はここで謝るべきか真剣にもう一度悩んだ。
しかしオブリーエン邸から出れなくなる危険性を考えて、黙っておくことにした。保身に走ったのである。
「再研修って、予備試験の後っすよね。それじゃダメっすか?」
トレーナー研修制度の再研修は予備試験後に用意されている。
予備試験合格者と同じタイミングなのだ。
その間は、資格は認められるが契約はできない。
「……娘は、絶対に行こうとするだろう」
珍しく苦渋の表情をエイベルが顔に出した。
娘の心配もあるが、目の前の少年に迷惑をかける事が間違いないからだ。
「……トモヤ・クイル。我から頼みたい事がある」
口火を切ったのは、幼き王者だった。
姉の為という一心だった。
「…あー、うん、言いたい事わかるわ…」
智哉も察していた。嫌な話だがそうするしかない気がしていた。
同期に死なれるのは流石に寝覚めが悪すぎるし覚悟していた。
「──姉上を、助けてやってください」
王者が、自分を曲げて敬語を使い、智哉に頭を下げた。
智哉はそこまでさせる気は当然なかった。目の前の誇り高い幼女がここまでするとは思わなかった。
「お、おい、頭上げてくれよ」
「私からも、お願いする。申し訳ない」
続いてエイベルも頭を直角に下げた。
娘がここまでしたのだ。父親も続くべきだと考えたからだ。
智哉は気が遠くなった。
「姉上は、トモヤ・クイルに負けたくないと言っていた。きっと嫌がるだろう。貴様も腹が立つかもしれない。でも…お願いします」
「すまない。お願いします」
「もういいって!頭上げてくれよ!!わかったよ!!」
エイベルまで敬語を使い始めて智哉は居た堪れなくなった。
返事を聞き、父娘が頭を上げる。本当に申し訳なさそうにしていた。
「……本当にすまない。君に何かあったら必ず力になると誓おう」
「ありがとう!我も父上にならってそうするぞ!」
「だから心臓に悪いんすよ…じゃあ、やる事やりましょうか、エイベルさん」
「……君は本当に話が早くて助かる。向かうとしよう」
「どこに行くのだ?」
智哉とエイベルが、そのまま外に出ようとするのにエクスが疑問を投げる。
二人が出る理由は、一つだけである。
「あれ?クイル君……ちょうどよかった。ジェシカさんの事について……えっ!?」
「失礼、私は研修中の娘の父だが……」
「──娘の訓練メニューについて、協力させてもらえないだろうか?」