敬虔なるフランドールは祈りたい   作:センゾー

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全てが失われようとも、まだ未来が残っている。
        クリスチャン・ネステル・ボブィー


第一話【やがて時は動き出す】

 幼い容姿に反して、思索に耽る事の多い人であった。

 少なくとも、お世話をさせていただいた十数年を前提とした私の所感はこれに尽きるのである。

 美鈴やパチュリー様に聞けば、恐らくは異なる返答がある事だろう。それでも、時を止める能力を持ちながらもひたすらに人間である私にとっては、あまりにも異質なその人に対してこれ以上の具体性のある言葉はないのである。それほどに、特異な人なのである。

 吸血鬼である。お嬢様と同じで、ワイルドハントを率いるに足るカリスマ性を持ち合わせる。妖における上位種たる吸血鬼らしく、その能力は破壊そのものである。羽は蝙蝠や悪魔のそれでなく、七色の宝石を宿すものであるが、それもまた夜の王にはかえって相応しいように感じられる。

 これほど言葉を尽くせるけれど、所感を問われれば最初のあれに終わるのである。

 

 繰り返すようだが、思索に耽る事の多い人である。

 

 聖書を誦じ、文学を嗜み、哲学に馴染む。知性ある人であり、それゆえにじっと目を閉じて難しい顔をしている事が多かった。ただ、そうしていても、用意した紅茶が冷めることを気にする程度には気遣いがあって、どこか人のような感情の存在を思わせた。

 聖書を誦じる吸血鬼はいない。神は敵で、聖書は人が吸血鬼を倒す為の拠り所だ。

 文学を嗜む吸血鬼はいない。自身こそがその物語の中の空想と同じで、人の作る文字列に対して強烈な関心を抱く事はない。

 哲学に馴染む吸血鬼はいない。哲学とは人間という生物種の個の弱さゆえに存在する定義付けであり、存在があまりにも強い吸血鬼には関係がない。

 総じて、吸血鬼らしくない人だと思う。ただ、人間というには心が強く、どこか歪で悲観的に見えた。

 

「咲夜、あなたも私にはあまり関わらない方がいいわ」

 

 最初の頃に、まだ幼い私の頭を優しく撫でて、その人は言った。

 どうしてですかと聞くと困ったような顔をして、言い淀みながらも答えた。

 

「私は普通じゃない。普通じゃない人には普通じゃない事が起こるものよ。人間のあなたが吸血鬼に仕えているようにね。咲夜にはこれから先、少しでも穏やかに過ごして欲しい。お姉様のそばならそれが叶うわ。だから、ね?」

 

 私の手にチョコチップクッキーを握らせて、微笑んだ。穏やかな月の光のような表情だった。月といっても、少しも狂気を思わせるものではなかった。お食べと言われて頬張ったクッキーは、少しだけ苦く、大人の味がしたような気がした。

 お嬢様にそれを報告すると、お嬢様は悲しげに俯いた。

 

「変わらないのね。いっそ、いつのまにか変わってくれていればよかったのに」

 

 呻くように漏れた言葉。しかし、自身の言葉にお嬢様はすぐに後悔したように両の手に顔を埋めた。

 その言葉と行動の意味を当時は理解できなかった。今ならわかる。その人は吸血鬼としては異端に過ぎたから、地下に居続けるのだ。それをお嬢様はずっと心苦しく思っていたし、その人の在り様がその生涯を苦しめることを知っていたから、変わってしまうことを微かに望んでしまった。それがその人の否定であるにもかかわらず。

 少しの間、静かだった。やがてお嬢様は顔を上げて、私の頬を撫でた。優しい手は姉妹だからか随分似ていた。

 

「あの子はそう言うのだけれど、あなたには世話をしてあげて欲しいの。大丈夫よ。あの子はきっと何かがあったとしてもあなたを守ってくれる。何も危ないことなんてない。だから、紅茶やクッキーを届ける時、少しだけでも優しくしてあげて。お願いね、咲夜」

 

 私はそれを了承し、翌日、少し申し訳なさがありながらも地下室の扉をノックした。

 どうぞという声。少し動揺が滲んでいるように聞こえた。扉の向こうには、相変わらず安楽椅子に腰掛けて分厚い本を読んでいるあの人がいた。いつもと違って、こちらの方を向いてはいなかった。

 

「そう、お姉様はそうする事にしたのね」

 

 悲しそうな声だった。少し俯いた様子はお嬢様に似ていた。

 お嬢様と同じくらいの時間を沈黙に過ごして、やがてこちらを向いた。微笑みをたたえた顔が、穏やかなように見せる為の強がりであることは明白だった。

 

「これからよろしくね、咲夜。色々と迷惑をかけるけれど、何かがあれば私の事は放っておいてくれて構わないから」

 

 静かな言葉が、私がここにいるという現実に対する最後の抵抗だった。

 それ以降、その人は私を遠ざける事をしなくなり、日頃届ける食事に感謝し、時折パチュリー様への本に関する要望のメモを渡されるようになった。

 それから十年ほど経って、私は今もその人に仕えている。

 お嬢様と同じくらい敬い、尊び、忠している。

 少女らしい姿に対して、性別を感じさせないその人に。吸血鬼という生れに対し、人間であるかのような生き方をする、人間らしくないその人に。

 

 紅い霧が幻想郷を覆った日、お嬢様より告げられた。

 

「フラン、今日地下室を出ることになったわ」

 

 永遠に叶わないと思っていた事は唐突に実現した。

 

「えっ、それはどういう……こと、でしょうか」

「こちらでは吸血鬼の体裁など気にする必要もないからね。あの子が外に出てもいいのよ」

「もう、あそこを出られたので?」

「それがまだでね。フランは賢いから、私が異変を起こす事も察していた。この世界の住人に連れ出してもらう形にするんだと」

「フランドール様のお考えは私には推察しかねますが、その行動の何か意味が?」

「それが、あの子、ここでは気の触れた吸血鬼を演じるんですって」

「……え?」

「頭のおかしい幼く悪い吸血鬼を演じて、正しい事に良さを知らしめるって言ってたわ」

「それは、フランドール様自身の幸福はどうなるのですか?」

「普通に考えれば、損なわれるでしょうね。……咲夜、お前の言いたい事はわかるよ。ただ、フランはただの善人じゃない。聡く思慮深い吸血鬼な上で、善良よ。だから、あの子のしたいようにさせてあげましょう。これまで自由を取り上げ続けた私には、あの子を止める資格などない気がするの」

 

 お嬢様は切なく笑った。その言葉は全てが正しく、否定する言葉など一つも持たなかった。ただ、私はこれまでの十年余りを思って、どこかそこに欠けているように感じられていたことは何であったかに気づいた。それは、手を差し伸べることに違いなかった。フランドール様の願いを否定せぬままに拠り所にしていいとその手を取ることである。

 今日も私は血液入りの紅茶と少しビターなチョコチップクッキーと共に、地下室の扉をノックする。いつも通りのどうぞが私を部屋へと招いた。

 

「フランドール様、お嬢様より外に出ることが許されたと伺いました」

「そうね、私はもういつでも外へ出られる。あぁ、この世界では悪人を演じることにするから、私に関して聞かれたらそんな風に答えて欲しいの。面倒だろうけど、お願いね」

「承知いたしました。ただ、申し上げたいことがございます」

「どうしたの、そんなに改まって」

「私はフランドール様がとても善き方で、知性に富んでいると知っておりますわ。ですから、どうか、悪であることに疲れた時は私を頼ってください。苦痛を吐露してくださいまし。フランドール様とのこの十年余りはその為にあったように、少なくとも私は思うのです」

 

 私の真摯たらんとする言葉に妹様は呆気にとられたような顔をしていた。

 そして、やがて私に歩み寄ると、私の頭を優しく撫でた。昔と違って私の方が高いから、私を見る顔がよく見えた。相変わらず月光のように穏やかな表情だった。そこには、昔は気づかなかったけれど、祝福するかのような紅い瞳の煌めきがあった。

 

「咲夜は良い子に育ったのね」

 

 そんな顔で、そんな風に言えるあなただから。そんな言葉が脳裏を過ったけれど、きっとこれは重荷にしかならないのだと知っているから、口にすることはしなかった。

 

「大丈夫よ、私は大丈夫。心配はいらないわ。ほら、伊達に495年も監禁されてはいないから、心の強さには自信があるのよ」

 

 いつものように心配させまいとする言葉を少し続けた。けれど、再び私の顔を見て苦笑した。

 

「……あぁ、でも……そうね。どうしようも無くなったら、あなたを頼るわ。だから、どうかその時は、瀟洒に私を助けてみせてね」

「はい、勿論です。私はフランドール様の従者でもあるのですから。完璧で瀟洒なメイドとして、役割を全うします」

「フフ、格好いいわね。そんなあなたに仕事みたいよ」

 

 フランドール様の言葉の直後、ベルの音が聞こえた。同時に、妖精メイドの大きな声が廊下から地下室まで響いた。

 

「侵入者、侵入者です! 美鈴様が現在交戦中!」

「弾幕勝負なら、素人の我々は不利ね。美鈴が負けるのも時間の問題でしょう。そうしたら、パチュリーが倒されて、次はお姉様かしら。さぁ、完璧で瀟洒なメイド長はどのように対応してくださるのかしらね?」

「当然、迎え撃ちますわ。これが敗北を前提としていても、全力で挑みます。ですから、フランドール様の下へ来る時、奴らはスカーレットへの畏怖を少なからず抱いているでしょう。どうか、それ以上の恐怖を刻みつけてください。それがなさりたい事への近道でしょうから」

「ありがとう、咲夜。気をつけて」

「ありがとうございます。では、失礼いたします」

 

 次の瞬間、フランドールの前からメイド長の姿は消えていた。その時、既に彼女は大図書館の先の廊下に陣取っており、侵入者を待つばかりであった。

 静かに深呼吸をし、ナイフの状態を確かめた。完璧で瀟洒な彼女の用意したものに不備があるはずもなく、いつ侵入者が来ても問題はない。ただ、妙な緊張感をもって彼女は迎え撃つ。それは敗北への恐れでも、未知との邂逅への困惑でもなく、ただフランドールの旅路を思ってのことであった。

 やがて、パチュリーを倒したらしい侵入者が光と共に廊下を駆けて、咲夜の方へと迫る。

 最後に咲夜は瞳を閉じて、両の手を合わせた。具体的な意味を持つ行動ではなかった。全くしたことのない仕草であった。彼女は吸血鬼の従者であるから、するはずもなかった。それでも、彼女は人間だから、そうする事ができるのである。

 

 これで三度繰り返すことになるが、フランドール様は思索に耽る事の多い人である。

 聖書を誦じ、文学を嗜み、哲学に馴染む、知性ある人である。ただのメイドで幼子の私を気にかけて、きっと後悔しているほどに善良な人である。吸血鬼らしからぬ人である。人間のような生き方をするけれど、人間らしくはない人である。

 

 私は、十六夜咲夜は、そんなフランドール様の幸福をいつだって祈っている。












更新が遅くて申し訳ありません。
よくわからない話になってしまいました。

この作品を読んでいて良いと思う部分

  • シナリオ
  • キャラクター
  • 台詞回し
  • 地の文
  • 語彙・表現
  • 考察可能な点
  • 世界観への解釈
  • シリアスの部分
  • ギャグの部分
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