苦難は忍耐を、忍耐は練達を、
練達は希望を生むということを。
ーローマの信徒への手紙第五章三-四節よりー
「こうしてお会いするのは初めてかしらね。ご機嫌よう、パチュリー女史」
「ご機嫌よう、フランドールお嬢様。女史などと堅苦しい呼称は結構よ」
「では、御言葉に甘えて。そちらもお嬢様などと忖度は結構よ」
大きな机を挟んで、本を開いた二人の会話であった。
初対面であるにもかかわらず二人とも本から視線を外すことはなかったが、そこに驕りや相手に対する侮蔑は微かにもありはしなかった。寧ろ、そういった否定的なものではなく、人格の理解と知性の信頼から来る無遠慮ですらあった。
「うん、想定していた人柄と大きな相違はないわね。図書館はあなたを歓迎するわ」
「見定められていたとは、いい気がしないわね」
「微笑みながら言うことではないのではなくって?」
「そちらこそ、顔も見ずにそんなことは言えないのでは?」
「そうね、フフ」
「フフフ」
理知的な会話である。相手がどう反応するか、どのように考えるかをわかっている。
しかし、最初に語っていたように、二人は初対面であった。顔を見るのも声を聞くのも、全てが今日という日に始まった。
それでも彼女らがこのようにできるのには理由があった。
「要求する書籍の傾向や咲夜に渡すメモの文面からあなたがそういう人なのはわかっていたわ。お会いできて光栄ね、良き友人」
「こちらこそ、紅魔館一の賢人に会えて光栄よ」
「賢人とは随分良い評価をもらってしまったわね。では、ここらで一つ問答でもどうかしら」
「急な話。でも、大丈夫よ。答えられる問いには答えましょう」
ここでようやく、両者ともに本を閉じ視線を合わせた。
賢人の革装丁の古びた本は魔導書で、お嬢様の読むものはそれと比べれば少し小さい哲学書であった。
この事実に大した意味はない。少なくとも、彼女らは互いに相手の持つ本を読むことはできるし、十分な理解が得られるに違いない。ただ、二人が自身で選び読む本がそうであることは、これからの問題の立ち位置に少しだけ補助的な視点を与える可能性があった。
「神はいると思う?」
「その問いに意味があると思う? 私の読んだ書籍の全てを知るあなたにとってはわかりきっていること」
「神学に通じることは神を信じることと同義ではないわ。少なくとも、現代においては。信仰と知識は既に乖離し、ある種人類学的な理解の為に神学を学ぶ人もいるのよ。昔からすると中々考え難いことかもしれないけれど」
「なるほど。では、答えましょう。主は御座におわすわ」
吸血鬼とは思えない言葉である。少なくとも、冗句であろうがこれに類する言葉を吸血鬼が発したことは未だかつてなかった。
しかし、その答えを聞いてなおこの場に動揺は存在しなかった。その信仰を知っていたからなのか、あらゆる思想を認めるだけの心があったからなのか。彼女にはそのどちらもが根拠たり得たから、どちらであったとしても、大した意味はなかった。
「丁寧な答えをどうも。必要な質問が二つ減ったわ。では、どうしていると思うの?」
「その問いへの答えは二つあるわ」
「二つともどうぞ」
「一つは私自身の存在。これに関しては詳細を伏せるから理解は求めないし、大事なことではない」
「もう一つが本質ということね」
「私は主の存在を感じている。伝わるように言えば、私は主の存在を信じている」
「それは神の証明になるのかしら?」
「あら、質問の意図が変わっているじゃない。私は存在証明を問われた覚えはないわ。ただ、存在を信じるかどうかと、その理由を答えただけ」
「フ、その通りね。失礼、試すような言葉を選んでしまったわ」
「お姉様相手にやってはいけないわよ。気分次第では随分嫌がるだろうから」
「忠告感謝するわ。問答に戻りましょうか」
「えぇ、どうぞ」
問答は再開される。少し前に飲み終えた紅茶がカップ一杯に注がれているのを見て、従者の気遣いを感じながら。
「あなたが存在を信じるから神はいると言ったけれど、あなたはそもそもなぜ信じるのかしら。吸血鬼であるのに」
「それは吸血鬼が神の敵である事と、吸血鬼には信仰という寄る辺を必要としないだけの力がある事、どちらを意図しての言葉かしら」
「どちらでもいいし、どちらもでもいいわ。いえ、せっかくだから両方考慮してもらおうかしら」
「うん、そうね……まず、敵であるという観点から見れば、私が異端だからというのが最も端的な言葉ね。吸血鬼が神の敵である事は疑いようもなく、我々を救い給う事はないでしょう」
「そうね。信仰に対する対価が何もない」
「そもそも、対価という考え方が信仰においては不協和音ね。主がおわすから、主に祈りを捧げたいのよ」
「なぜ、その異端に辿り着いたのかしら」
これまでほとんど間を置かずに話していた少女がここで少し沈黙した。
それは返答に窮するからではなく、適当な言葉を探しているように思えた。だから、賢人も急かすようなことはせず、ただ待っていた。
「そうね、これに関しては残念ながら論理的な答えは持ち得なくて、私が異常だからよ。私は最初からそうだった。生まれついて主の存在を感じ、主への信仰を知覚した」
「先天性のもの。よりにもよって吸血鬼になんて、神がいるなら残酷なものね」
「それも、普通ならば環境によって薄れていくはずよ。性善説のようにね」
「しかし、そうはならなかった」
「私は吸血鬼らしくない吸血鬼だった。思い上がれど見下さず、種族より知性を重んじ、血統より哲学に学んだ」
「結構な自己分析ね」
「だから、大人しく異端は異端として地下に封ぜられた。適応など選択肢になく、私は私であることを選んだ」
「強情という他ないわね。それで五百年近くを地下で過ごすことになるなんて、恐ろしいこと」
500年。これを賢人は尋常ではない時間であると、当たり前のことと分かりながらも再認識する。
それは普通なら気が狂うほどの時間。知性も理性も押し潰す膨大な時計の針。或いは思考の壁を越え神秘にすら到達し得る時間であると理解していた。よって、いくら文面での交流があろうとも初対面である少女の言葉に耳を傾け、その経験があってなおこうして会話している少女のことを対等以上の存在として見ていたのである。
「実の所、私は吸血鬼という種族に大した価値は感じていなかった」
「……レミィには聞かせられない言葉ね」
「勿論。これは内緒話よ。どれほどの強者であれ、いつか人の世が進めば転換点があると思っていた。結果的には正解だったわね。だから、私は客観的に見れば他に心の拠り所を見出すべき人だった」
「その言い方だと、まるでそれは建前の言葉のよう」
「いいえ、これは事実よ。真実ではないかもしれないけれど」
「問答は終わりということかしら」
「そういう事。ほら、お迎えが来たからね」
少女は図書館の荘厳な入り口を指差した。
知性なき者を否定する冷たさすら感じられるようなそれは、その在り様に反して粗雑に開かれた。
「フランドール、庭の花が随分咲いたらしいわよ。見に行きましょう」
「えぇ、勿論よ、お姉様。楽しみね」
姉の言葉に微笑みながら立ち上がり、そのまま会話などなかったかのように歩き出す。
そして、何かを思い出したかのように振り返った。
「そうそう、この前の異変の時に侵入してきた霧雨魔理沙がまたやってくるかもしれないから、その時は適切なアドバイスを差し上げて」
「試練でも与えたのかしら」
「試練は主が与え給うものよ。私は試練かもわからない苦悩に向かい合うように話しただけ」
「迷える仔羊ということね」
「金羊裘のね」
「翼はあるのかしら」
「乗り越えれば翼の一つでも生えたような心地でしょう」
姉妹が図書館を去った後、静寂だけが残った。
賢人はため息を一つ吐いて、本棚から一冊の本を取り出して、おもむろに開いた。
それは埃を被りがちな本棚にあって新しい綺麗さがあった。その理由は、先ほど出て行った少女が幾度となく借り駄目になるまで読んでは新しいものを購入していたからであった。
「世界一のベストセラーねぇ」
とある場面を探してページを捲り、やがてそこへ辿り着く。
賢人は苦笑した。
「果たして、その仔羊の苦悩は本当に神の御心ではないのかしらね」
大変お待たせしました。
前回の魔理沙の話の続きは時系列など考えた都合で少し先になります。
この作品を読んでいて良いと思う部分
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シナリオ
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キャラクター
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台詞回し
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地の文
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語彙・表現
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考察可能な点
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世界観への解釈
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シリアスの部分
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ギャグの部分