苦しみを人に分かつと苦しみは半分になる。
クリストフ・アウグスト・ティートゲ
-『ウラーニア』より-
とある穏やかな昼過ぎのことである。
幻想郷の片隅の湖畔に佇む一つの屋敷。そこの門の前で、一人の女性が座っていた。
どこか中華を思わせる服装に赤い髪、少し抜けたような雰囲気をした彼女は、木製の簡易な椅子に腰掛けて煙草を吸っている。
門のすぐ横にいる辺り、門番であるらしいが、その様子から察するに休憩中らしかった。椅子の下には包み紙とカップだけが入ったバスケットが置かれていて、足元にはパン屑を食べにきた小鳥が小さく跳ねている。
煙草を咥えて大きく吸ったかと思うと、少しずつ吐き出し、紫煙をくゆらせながらぼんやりと空を見上げた。
空は雲一つない快晴である。目を洗う煙だけが、まるで雲のように揺らめいていた。
すると、そんな彼女の顔を影が覆った。視界いっぱいには傘、そして、中心には金髪の少女の姿があった。
「お話しましょう? 美鈴」
「おや、フランドール嬢。今日は外でですか、初めてですね。お嬢様に言えば私が行きましたのに」
「私が外にいることに驚かないのね、残念」
「なんとなく予感はしていましたから。世の中、あり得ないなんて事はあり得ないと思えば大抵のことは平静に受け入れられますよ」
美鈴と呼ばれた女性は大きく伸びをすると立ち上がり、ハンカチを添えて少女の前に椅子を差し出した。あくびをしながらの間抜けな姿だったが、不思議と品位は損なわれていなかった。
それに、いつのまにかその手からは煙草も消えており、それどころか紫煙もその香りさえもなかったかのよう。門の前には、館の庭の花の匂いだけが漂うばかりである。バスケットは残ったままであったから、少なくとも十六夜咲夜の仕業ではないらしかった。
「私の手作りなので出来は悪いですが、無いよりはマシでしょう。どうぞ」
「いいよ、休憩中でしょ?」
「今、休憩がちょうど終わったんです。いつまでも休んでいると、咲夜さんに怒られてしまいます。ですから、遠慮なく」
「ふーん、相変わらずね」
「変わらないのが私の良いところですから」
「そうね、あなたは何も変わらないものね」
フランドールと呼ばれた少女は微笑みながら椅子に腰掛けた。美鈴はその横に立ち、少女と向き合うことなく、門の正面をぼんやりと見ていた。
「今日から外に出ることになったの」
「よかったじゃないですか、毎日ここから見送りますよ。フランドール嬢の元気な姿を見られるのは、中々幸せなことです」
「そうね、とても嬉しい。だから、まずはあなたに会いにきたの」
「へぇ、私なんかでいいんですか? 私はたかが門番ですよ?」
「あなただから会いに来たのよ。あなたがいたから、私はこれまであの地下室に居続けたのだから」
「まるで恨み節ですね」
美鈴は苦笑した。フランドールの言葉だけを見れば青ざめてもおかしくないものだが、彼女は特に焦る様子もなかった。
それはフランドールも予想していたことであったようで、口元から笑みが絶えることはなく、険悪な関係は少しもなかった。ただ、不思議な関係性がこの二人の間にあることだけがはっきりと察することができた。
「今回のような場合を除いて、私が外に出るということは紅魔館が危機に瀕しているということ。私を地下に入れておくお姉様達の身が危ないということ。そうならなかったのは、あなたが守り続けてきたからよ。ありがとう、美鈴」
「いえいえ、お礼を言われるようなことではありません。これも仕事ですから」
「まぁ、こちらは建前みたいなものなのだけど」
「では、本音があると」
「あなたなら何を言うか察していそうだけれど」
「皆目見当もつきません。一体何を言われるのでしょう」
随分粗雑な無知を気取って、飛行機雲を追うようにして視線を泳がせた。
それすらも、二人の関係性においては問題なかったことは最早言うまでもないだろう。
「あなたがいなければ、私は正気でいられたかはわからない」
「……おや、何の話でしょう」
「あなたが私を見守ってくれていたから。私を対等な人として尊重し、私をその腕のうちに抱いてくれていたから、私はこれまで私であることができたのよ」
「ふむ、そんな覚えはありませんよ。話し相手にはなりましたけれどね?」
少し前に正午を過ぎて、太陽が少しずつ西に傾き始める。
それに合わせるようにして、美鈴はフランドールより傘をそっと受け取って、少女を日差しから守るようにして傘を持った。
「私はただの門番ですから。今も昔も、どこからかやってきた妖怪で、お嬢様についてきただけですよ」
「それじゃあ、ここからは私の独り言」
「どうぞ。誰にも話したりはしませんからね」
その言葉の数秒後、美鈴の口に少女の手から何かが放り込まれた。
焦ることなくそのまま口に含むと、いちごの甘い香りがたちまち喉や鼻腔を通った。どうやらそれはいちご味のキャンディであるらしかった。
美鈴は少女の意図を理解する。つまりは、これを舐めて静かにしているように、ということである。喉を鳴らすようにして笑って、その甘さを楽しんだ。
「あなたという存在が私の横にいたことは察していたの。お姉様に頼まれて、私が安息のままいられるように、本来はお姉様の玉座に侍るはずのあなたがこの数百年地下に幽閉された気狂いの安楽椅子に侍っていたことをね」
フランドールは優しい手つきで、美鈴の椅子を撫でた。極めて単純で飾り気のない椅子であったが、どこか温かみのあるものだった。
「あなたは権威に侍るもの。あなたが侍るものが素晴らしいもの。あなたが侍れば、安泰を約束される。それは夏の頃から変わらない。象徴であり、威光であり、繁栄であり、そして終には没落となり得るあなた」
飴をコロコロと転がす美鈴の顔を、ここでようやくフランドールは見た。
「もう私の安楽椅子に侍る必要はないわ。私は自由で、何も必要ない。これからはお姉様をよろしくね」
ニコリと笑ったフランドールの前に美鈴は跪き、穏やかな顔のままキャンディを噛み砕いた。
「フランドール嬢の言うことはよくわかりました。そして、私から一つ訂正をさせてもらおうと思います」
「訂正?」
「えぇ。さっき、お嬢様に頼まれて、と言いましたが、実のところそこに関しては真実は全く異なるんです」
フランドールの手を、両手で包むように握った。
「あなたを選んだのは私です。私が、フランドール嬢という人物をいたく気に入ったんです」
「地下室に幽閉される私を?」
「地下室のあなたをです。ついでに言えば、お嬢様からはそれでいいと言われていますし、なんなら私がその玉座に侍ることを拒否されています」
「……それなら、あなたはこれから自由になれるじゃない。誰にも侍らず、ただの妖怪を気取っていられる」
「残念ながらそうはいきません。まず、私は誰かのもとに侍らずにはいられない。数千年やっていますから、もうそういうものになっているんです。そして」
「そして?」
「私は離れたくはありません。フランドール嬢がどういう素性であれ、何を隠しているとしても、私はあなたが気に入っています。それに、時折交わす言葉の数々が気に入っているんです」
それは、フランドールには真摯な言葉であるように感じられていた。
何かを少女が心の奥に秘めていることを知っていることを言及していることも、何かを匂わせるような素振りではなく、日々の気遣いの一つであると緩やかに理解することができた。
「ですから、一つ提案があります」
「ここで提案だなんて、とても嬉しいことか悲しいことに違いないわね」
「勿論前者です、と少なくとも私は思っています。フランドール嬢、私と友達になりませんか?」
「友達に?」
「えぇ。もうあなたは自由です。私が侍らずとも生きていける。だけれども、まだこの関係を続けたい。ならば、新たな関係性に適切な言葉は友達でしょう?」
そこまで言い終えて、美鈴は立ち上がり、また門の正面を向いた。
中々に大きなことを言ったはずだが、存外にその表情は大きく変わることはなく、相変わらず穏やかなままだった。
「どうですか? 友達、なりませんか?」
美鈴の再度の提案に、フランドールは数秒の沈黙の後、静かに頷いた。
それに対し、正面を向いているはずの美鈴は小さく微笑んで、傘をフランドールに手渡した。
「少し待っていてください」
そう言うと、美鈴は門の奥へと消えていった。しかし、戻ってくるまでに30秒もかかりはしなかった。
その手には、二つの真っ赤ないちごの花托があった。十分に甘さを蓄えたであろう花托の一つを、フランドールに手渡した。
「どうぞ、庭に実ったいちごです。一緒に食べましょう」
「庭のものなら美鈴が育てたのだろうけど、勝手に食べても大丈夫なの?」
「勿論駄目です。見つかったら咲夜さんに怒られると思います。けれども、友達は秘密の一つくらい共有するものでしょう?」
「そうね、そういうものかもしれない」
二人は赤いいちごを口に含んで笑い合った。
砂糖入りのいちごキャンディの方が糖分はたくさん含まれているはずなのに、それよりもずっと甘く感じられたのは気のせいだったのだろうか。
この作品を読んでいて良いと思う部分
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シナリオ
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キャラクター
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台詞回し
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地の文
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語彙・表現
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考察可能な点
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世界観への解釈
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シリアスの部分
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ギャグの部分