9月15日(水) AM 5:21:46
心地よい微睡みと気温の中で目が覚めた。歯を磨いて水を一杯飲んだ後にTVをつけて朝食を食べる。この世界の酔っ払いの吐瀉物を全てかき混ぜたような酷いニュース番組を見ながらトーストをかじり、ココアを飲む。理不尽な事件と悲劇ばかりが耳にこびりつく。
僕が思うに食事は読書と似ているところがあると思う。水分とタンパク質その他の栄養素を補給して人間の活動を支えるというのが食事の役割というのが一般的な栄養補給の定義、一方読書は他人の価値観や考え方そして生き方などに独自の意味を見出してそれを脳の海馬から意識の内側へとデフォルメし、吸収していく。ある意味消化だ。僕はこの一連の構造に食事と似た構造を感じざるを得ない。
ニュースキャスターの報道を無視しながらあれこれ考えている間に、脳裏に突如として不思議な音と無機質なアナウンスが流れる。
ピッ ピッ ピッ ピッ ピッ ピッ ピッ ポーン
『AM 5:30:00をお知らせします。』
定刻だ。僕は温くなったココアを一気に飲み干して流水のように滑らかな足取りで身支度をすます。僕が現実の狂気から唯一隔離された涅槃へ行くための準備。鏡の前で歯を磨き直し、髭を剃り、髪型を整える。そして僕は画面いっぱいに映し出される無数のチューブに繋がれた患者とその患者の家族の事についてを報道しているニュース番組を消して家を出た。
僕は10分ほど歩いて駅に到着し電車に乗って灰色に変色した炭のような町を離れて行く。S市立ライブラリー、僕にとっての涅槃だ。そのライブラリーは少し離れたところに立地している。そこに到着するまでの約40分間電車のうねりを感じながら目的地の直近の駅に着くのを待っていた。
K公園駅のプラットホームに足を踏み入れた僕は早い足取りでS市立ライブラリーへと向かう。朝日が昇り日常が夜のシッポを完全に断ち切り新しい一日に生まれ変わった。そんな生まれ変わりたての朝の空気を思い切り吸い込み小走りで向かう。そして1分後、涅槃へと到着した。
自動ドアを通り抜けると一面の本棚。もちろん平日だったのであまり人はいない様子だった。そして僕はまるで初めてビュッフェの食事を目の当たりにする子供のような気持ちで様々なジャンルの本を手に取り、窓から日が差し込む席へと座って本を読もうとしたのだが、目の前に人がいた。黒髪の女性で明らかに日本人ではなくアジア地域の国々から来た外国人女性だ。僕は少し気まずさを感じながら席に座り推理小説の文庫本を読み始めた。すると少し経ってから女性がこう言った。
「ごめんなさい。あなたは今何歳かしら?」
唐突な質問だったので少し驚きつつ冷静に答えた。
「あ、僕は今16歳です。」
僕は何故そんな質問をしてくるのだろうと考えていたら、すかさず彼女がこう言った。
「今日は水曜日よね?何故学校に行ってないのかしら?」僕はこう言った。
「苦手なんです、学校が。」
「いじめられてるの?」
「いえ、決してそういうわけではないんです。ただ教室の空間にいると頻繁に倒れてしまうんです。」
「頻繁に倒れる?」彼女は復唱した。
「はい。頭の内側から奇妙なアナウンスが聞こえてくるんです。それでよく苦しくなって...」
「どんなアナウンスが聞こえてくるの?」
彼女はしつこく質問してくる事に疑問を持たざるを得なかった。彼女は明らかに僕よりも年上で、初対面であり、その上ここは図書館だ。何故こんなに唐突に話しかけてくることができるのだろうかと神経を疑った。
「えっーと、NHKのFM時報の音声ってラジオとかで聞いたことあります?あの音と同じ音が無機質なアナウンスと共に流れてくるんです。頭の中に。」
こういうことを言うと必然的に脳に何らかの障害か病気を患ってるのではないかと思われる。でも当然だろう、普通の人間には感知できないのだからそう思われても仕方ない。勿論僕は健常者だ。脳に障害を持っているわけではない。
「その音が途切れるのと同時に意識が遠のいていくんです。だから、途切れる前に何らかの行動を起こして、体を動かして、意識を保てるように日頃から心がけているんです。」
「でも今あなたの体は止まってる。」
「この場所は別ですよ、ライブラリーだけはなぜか落ち着くんです...音が流れることもありません。まるでWi-Fi環境の無い森の奥地みたいに。自分でもよく思いますよ、つくづく不思議な脳みそだなって」
そろそろ本を読み進めたい気持ちが溢れてきたので無理矢理話を終わらそうかと目を背けて他の場所に移動しようとしたその時、彼女はこう言った。
「私ならその音、消すことできる。」
彼女はそう言うとそっと僕の額にキスした。