十一月十日
どうやら母が狂っている。
最愛の母が知らないうちにこんなことに、とショックだし、気づきたくはなかったし、いずれわたしも母と同じ道を辿るのかと思うとふざけるなよとしか言えない。
わたしはケイカ。うちはケイカ。”うちはの生ける炎”うちはトウカのただひとりの娘。
今日から日記をつけることにした。
その日にあったことを、感じたことを、できるだけ客観的に見つめるために。
いつかわたしが母のように狂い果てたとき、過去を見て正気に戻ってこられるように。
炎の邪神とやらに心奪われることのないように。
わたしは今日九歳になった。
九歳になったら、戦場へ出してくださいと頼むと決めていた。
うちはは女を戦場へは出さない。女は家を守り、子を産み、次代の戦力を生み出す存在であって、よほどの例外でなければ男衆に混じって戦場に立つことはない。
その「よほどの例外」が母だった。
母は幼少から忍の才に恵まれ、特に火遁の才能は常軌を逸していたのだという。
母を見た当時の頭領は、敵を、特にあの千手一族を滅ぼすために母を戦忍として使うことを決めた。
そのとき母は九歳だった。
それから母は敵を殺して、殺して、とにかく殺してきたのだという。その卓越した火遁の才で。
わたしの父と番い、わたしを産み、夫を亡くして尚、母はまだ戦場に立っている。
「うちはの生ける炎」という異名を轟かせ、敵を屠り続けている。
憧れた。強く美しく、いつも微笑んでいる母に。
家を守ることにも子を産むことにも興味は持てず、わたしは母と同じように戦場に立ちたいと、立つのだと、いつからか決めていた。
敵が憎い訳ではない。殺したい気持ちはない。
わたしは同胞を殺した敵を、最大の宿敵である千手一族を憎いとは思っていない。
だって母様がいつも言っていたのだ、人間に上下も貴賤もないと。
「人は焼ければ灰になるの。どれだけ強くても、賢くても、どれほどの名声があったとしても」
「燃えて仕舞えばみんな同じなのよ。ケイカ、あなたにはそれをわかっていてほしいの。あなたが生まれや育ちで人を区別することのないように」
口癖のように「人は燃えれば同じ」と言う母を尊敬していた。敵を、千手を憎いと思わなくなった。
けれど母は、これから戦場へ出してほしいと願ったわたしに言ったのだ。
「この世でもっとも尊いものは、全てを燃やす炎そのもの」と。
それまでも薄らと感じていた母への違和感が形を持ちはじめた。
押し黙るわたしに母は言った。
この世に炎ほど尊いものはない。
炎ほど偉大なものはない。
炎の輝き、その強さに比べれば、うちはと千手の諍いも、散っていった同胞の命も、些細な事象に過ぎないのだと。
「あなたは私と同じ、火の才を持っている。きっといつか、私と同じように
何を言っているんだこの女───と、わたしは母に対して初めて思った。
冗談を言っているようにはまるで見えなかった。母は相変わらず美しく、泰然として、娘であるわたしが明らかに怯えているのに微笑んでいた。
そして何ごともなかったかのように「明日にでもタジマ様に、あなたを戦に出す許可をいただきましょうね」と言った。
言うべきことがたくさんある気もしたけれど何も言い出せず、わたしは結局、「あの方」は何なのかと聞いた。
聞いたことを後悔している。
その時の母の顔が、眼が、
思い出したくもない。
それは古い神なのだという。
かつて母の前に降臨し、その圧倒的な力で全てを焼き尽くし、母に炎を残したのだという。
秋の夜空に輝く南のひとつ星に封じられたその神の名を、わたしはここに記さない。
母はその神を愛している。娘であるわたしを愛するよりもずっと。
そう言われたわけではないけれど、わかってしまった。気づいてしまった。
そして、わたし自身がいつかきっと母のように成り果てるだろう奇妙な確信があった。
火の熱に、何もかも飲み込むその強さに、惹かれているのはわたしも同じなのだから。
ひどく疲れた。
今日はもう寝る。
うちはトウカ(灯火)
うちは一族の女性。理性的な狂信者。
うちはケイカ(蛍火)
トウカの一人娘。母が静かに狂っていることに気付き自分の正気度が削られた。
火が大好き。結構口が悪い。
ケイカの父
トウカの夫。炎の神に魅せられた妻に魅せられたうちは一般男性。故人。