四月二十七日
マダラ様の一発ギャグに笑いすぎて傷を開くというご機嫌なことをしてしまった。
笑いながら血を流すわたしにドン引きのマダラ様、という面白いものを見られたので良しとしようか。
そのマダラ様はわたしを笑い止ませようとしたが叶わず、涙目で医者を呼びに行っていた。
なお医者は笑うわたしを見て、発狂したのかと思ったらしい。
してない。狂を発しているのは母であってわたしではない。
なんとか半身を起こせるくらいにまで回復していたというのにまた絶対安静状態になり、今日やっと、こうして筆を取っている。
しかし医者にわたしだけ怒られたのは納得がいかない。マダラ様が面白すぎたのがそもそも悪いというのに。
責任を取って嫁に貰う、その思い切りの良さは天晴だが「言うとしたらわたしに庇われたテン様では?」と思う。いや決してテン様に求婚されたいわけではないが。六歳児だぞ。
前提として宗家に嫁ぐのがもう嫌だ。絶対色々なことが面倒臭い。
マダラ様はわたしが開いた傷を治療されている間にどこかに消え、その後三日ほど姿を見せなかった。
その間にわたしも「あれはギャグとかじゃなくて本気で言っていた可能性が高いな」と気付き、流石に傷が開くレベルで笑ったのは悪かったかな……とわたしとは思えないほどに反省した。
なのでまた見舞いに来てくれたマダラ様に「笑ってごめんなさい」と謝罪した。
マダラ様はもうめちゃくちゃに拗ねていた。謝らなくてもよかったかと思うほどに拗ねていた。
どうやらかなり本気で、勇気を出して言った言葉だったらしい。
だというのにわたしは笑うし、笑うだけならまだしも出血するしで一度に様々なトラウマができたようだ。
お前はどうせオレの言葉なんて真剣に聞きやしない、いっつもそうだ、オレばっかりバカみたいだとかなんとかぶつぶつ言っていて、ああ面倒くさい子だなぁ、可愛いなぁ、と思った。
思えばマダラ様のことを、本当に心底可愛いと思ったのはこれが初めてだったかもしれない。今までもかわいらしさは感じてはいたが。
マダラ様に黙って手を伸ばしたらかなり警戒しつつもじりじりと寄ってきて、頬を撫でさせてくれた。
どうやら100%つねられると思っていたらしく、撫でられたことに驚愕していた。
というか、つねられると思いつつも寄ってきたマダラ様の今後が不安だ。加虐趣味の気がある女性に惚れたりしないよう気をつけてほしい。
最近のわたしはマダラ様をからかうことに悦びを見出し始めたので、わたしみたいなやつはやめておいた方がいい。
マダラ様はしばらく黙って撫でられていたが、調子に乗ったわたしが「よちよち、いい子ですねマダラ様」と言ったら飛び退いて「ばか、お前なんて嫌いだ」と言い放った。
ちょっと前にはわたしを嫁にもらうだの言ったくせに随分な言い草だ。情緒不安定か?
そう言いながらも部屋を出ていくこともせず、ずっとぷりぷり怒っていたのが面白かった。
数日おきに若君が見舞いにやってくる。テン様を連れてくることが多い。どうやらわたしに庇われたことを相当気に病んでいるらしい。わたしが勝手にやったことなので気にしないでほしいし何なら今すぐ忘れてほしい。
なんでも、テン様のすぐ下のカゴメ様も、末弟のイズナ様も、わたしを心配してくださっているらしい。
凄いなわたし、大人気か。
まぁ長兄である若君の馴染みの小娘ということで気にかけてもらっているだけだろうが。
◇ ◆
四月二十八日
タジマ様が来た。
頭領が来るなよ。
どうやら御子息を庇っての負傷だとタジマ様の耳にも入っていたらしい。見舞うのが遅れてすみませんねとまで言われた。
来られてもこちらが気を遣うだけだから、気持ちだけで充分なんだよなぁ
と思ったら集落では希少な、果物を乾燥させたやつだとか日持ちする菓子だとかを置いて行ってくださったので全てを許した。
毎日来てくださっても構わない。
◇ ◆
五月六日
かなり回復してきた。が、医者に「まだ歩き回るな、走るなんてもってのほか」と言い付けられ、流石にここで無茶をするのは悪手だと思い大人しくしている。
戦闘の勘が鈍っていそうだが大丈夫だろうか。大丈夫じゃないな。マダラ様との稽古も長いことできていない。
そのマダラ様が何かを大事そうに持っていそいそやってきた。
イズナ様が描いたという絵だった。
白い紙の上に、六人の笑顔の子供が描かれている。
ど真ん中にいる、他の五人の少年に纏わりつかれている少女はもしかしなくてもわたしじゃないか?
と訊ねたら本当にわたしだった。わたしと五兄弟を描いた絵だった。
イズナ様、絵が上手すぎる。ちょっと慄くくらい上手すぎる。少なくともわたしより上手い。四歳児の絵か? これが。
忍よりも画家に向いてるんじゃないか。
ただそうだとしても、イズナ様には画家になる道などないわけだが。
忍の家に、それも宗家に生まれてしまった以上、本人の意思に関わらず戦場へゴーだ。
せめてこんな、右を見ても左を見ても敵、な情勢でなければまだ、忍以外の人生もあったのかもしれないが。
マダラ様が「イズナがお前に、と描いたものだ。大事にしろ」と言って絵をくれた。
おう任せろ額縁に入れて飾るわ、と思ったものの我が家には絵を飾る習慣などなく額なんてない。
マダラ様に「なんかいい感じの額が余ってたら持ってきてください」と言ってみたところ「今更だがお前はオレに気安すぎる、うちはタジマの次男だぞ、そんな気軽にものを頼んでいいと思ってるのか、思ってるんだろうな」とぷりぷり出て行ってしまった。
◇ ◆
五月七日
マダラ様が額縁を持ってやってきた。
しかも三種類も持ってやってきた。
怖い。
もしかしなくてもマダラ様、一度懐に入れた人間にはダダ甘になるタイプか? その生き方は危険だからやめた方がいいと思う。相手に裏切られたり狂人に惚れ込んだりしたらおしまいだぞ。
試しに金を貸してくれと言ってみようかなとも思ったがやめた。多分貸してくれるからだ。
マダラ様はちょっと引いているわたしに構わず絵に額を当てはめ、これが一番いい、と独断で決めて満足そうにしていた。
おもしれー男の子だなと思いました。
◇ ◆
六月八日
元気になった。
正確には少し前からそこそこ元気ではあったが、医者から「大人しくしていろ、泣いたり笑ったりするな」とわたしの人格を無視した指示を出されていたのでその通りにしていたのだ。
サイコパスドクターかよと思ったが、笑い過ぎで閉じかけていた傷をご開帳した前科があるわたしに言えることなどなかった。
というわけでマダラ様との稽古も再開である。
自由に動く身体が嬉しすぎて、マダラ様をちぎっては投げちぎっては投げした。
男子三日会わざれば刮目して見よとはよく言ったもので、少し目を離した隙にマダラ様はまた強くなっていた。
わたしに放り投げられずに済むくらいの体術スキルはもうある筈なのだが、抵抗せずにぽんぽん投げられていた。
なんでだろうなぁと思っていたが、もしかしなくてもあれはわたしを気遣っていたのか。
抵抗すればわたしの身体に負担がかかるかもしれないと考え、あえてされるがままだったのか。
だとすれば許しがたい。
舐められたもんだなという話である。
しかし死にかけたのは事実だし、わたしの未熟さ故でもある。
次回から戦では先手必殺、「まず焼く」姿勢を大切にしたい。
◇ ◆
六月十一日
稽古の日でもないのにマダラ様がやってきて、心なし涙目で「お前がオレの姉さんだなんて認めないからな」と言った。
人生で二番目に狼狽した。
なお一番は母の狂気を目の当たりにしたあの日である。
お前はタジマ様の不義の子だ、と言われたと思ったのだ。
わたしがマダラ様の姉ということは、父か母が同じということで、母がマダラ様を産んだとは考えられず、となるとわたしの父が実はタジマ様だったということになる。
なのでわたしは内心「タジマ様お前、妙にわたしたち親子に甘いなと思ったらそういうことかよこの野郎が……」と思ったしその感情が顔に出ていた。わたしの顔を見たマダラ様が慄いていたから多分そうだ。
名状しがたい空気の中、若君が慌ててやってきた。
結論から言うとわたしは不義の子ではないし、マダラ様と血も繋がっていないらしい。
紛らわしいこと言ってんじゃねぇよとマダラ様を物理的に振り回したわたしは許される。
じゃあなんなんだと言うと、一族の誰かがマダラ様に「ケイカはあなたのお兄さんのキセノさんにいずれ嫁ぐので、あなたの義理の姉になりますね」的なことを言ったらしい。
おい聞いてねえぞ。
と思ったので若君に「聞いていませんが?」と言った。
ここで「だって聞かれなかったから……」とか言われたらグーで殴ろうと思っていたのだが流石にそうは言われず、「一部の者が勝手に言っているだけだ、確定じゃない、お前が嫌がったらそうはならないから」と宥められた。
よかったー。
「俺に嫁ぐのは嫌か?」「嫌です」と若君と話していたらマダラ様が「お前っ、お前ー!」と言いながら突っ込んできた。そのまま背負い投げてもよかったのだが、マダラ様のタックルくらい軽々受け止められるわたしアピールをしておこうと思い真正面から受け止めた。
マダラ様はしばらく無言でわたしの胸に抱かれていたが、奇声を上げて走り去って行った。
情緒どうなってるの?
そのマダラ様を若君が追ったためこの話はこれで終わった。
なんだったんだよ。
◇ ◆
六月十五日
稽古の日。
マダラ様がまたぷりぷりマダラ様になっている。
ぷりぷりというのは臀部の擬音ではなく怒りの表現だ。マダラ様の尻に興味はない。
わたしが若君と結婚するのを嫌がっているのが気に食わないらしい。
「でもあなた、わたしが姉になるなんて認めないって言ってましたよね。結婚するとそうなりますが」と論理の穴を突いたところ「姉になるのも嫌だが、なるのをお前が嫌がっているのも嫌だ」と返された。
敬愛する兄に嫁ぐなんて光栄なことを喜ばないわたしに腹は立つ、しかし受け入れるのも兄さんが取られるみたいで腹立つ、と言ったところだろう。
めんどくさいし女々しいしどうしてくれようか。
「じゃあお兄様に、わたしなんかやめとけって言ってくださいよ」と進言したところ「もう言った」と言われた。
行動が早くて素晴らしいことだ。
「そもそもの話なんですが、若君とわたしがどうこうというのは誰かが勝手に言っていることであって、当事者は一切望んでないことなのでそうはなりませんよ」と教えて差し上げたら唐突に縄張り争いをする猫の物真似をされた、と思ったがそうではなく、機嫌が悪くて唸っただけらしい。
本当になんなんだ、正直割と心配になってきたが。
この年頃の男の子って全員こんな感じなのか。若君はこんなじゃなかった気がするが。
「兄さんの何が不満なんだ、兄さんの奥さんになったら絶対幸せなのに」
と実に兄思いなことを言われた。
もうお前が若君に嫁げよ、と思いつつ「若君がどうとかじゃなくて、宗家の男に嫁ぐのが嫌なんですよ」と言ったらショックを受けた顔をされた。
しかもそのまま、何を言い返すでもなく無言で稽古を再開し、その後無言で解散した。
わたしが悪いのか?
◇ ◆
六月十六日
何を隠そうわたしは友人が碌にいないのだが、友人がいなくて何が不便かというと「相談相手がいない」ことだ。
困ったな、しかしこれは親に聞くことじゃないな、という場合に話を聞いてもらう相手がいないので一人で答えを出すしかないのである。
答えが出ない場合、詰むのである。
というわけで絶賛詰んでいる。
何やらマダラ様を傷つけたことは間違いないのだが、その根本的理由、どうすればよかったのか、今後どうすればいいのかがわからない。
ほぼ唯一の友人みたいなものである若君に聞こうにも、彼が話題の中心な気がして気が引ける。
相談窓口を多く持つというのは大事なんだなあ。
マダラ様も交友関係が広い方ではないようなので、人間関係はある程度広く持った方がいいですよといつかアドバイスしたい。
ダメ元で母に話したところ「理由がわからないなら本人に聞けばいい、もし教えてくれないならそれは相手が悪いから気にしなくていいのよ」「いざとなったら全部焼け」という有益なアドバイスをもらった。
なるほどつまり火遁の印を結びつつマダラ様を詰問しろということだな?
わたし好みの展開になってきた。
次のマダラ様との稽古の日に実践しようと思う。
◇ ◆
六月二十日
刻限通りにやってきたマダラ様をさっそく「なにが不満なんだお前は」と問い詰めようとしたところ、逆に「どうしてお前は宗家に嫁ぐのが嫌なんだ」と聞かれた。
先手を取るとはやるな。
聞かれたからには答えなくてはならず、「宗家って絶対色んなことが厳格だし人付き合いもやらざるを得ないだろうし戦場に出してもらえなくなりそうだし、とにかく面倒くさそうで嫌だ、わたしは面倒なことが嫌いだ」と熱く語った。
「それはお前の想定であって事実ではないだろう」と賢しげなことを言われたのだが、嫁いでみてから「やっぱめんどくせーわ」となっても遅いのだ。じゃあ明日離婚な、とはならないだろう。
「宗家の、それも長男に嫁いだら碌なことにならなそうなのは想像つくでしょう? 次期頭領の妻ですよ」と言ったら「オレの母様は幸せそうだった」と返された。
それはあなたのお母様が人格者だったからであってわたしには適用されない。
というかなんなんだ、あなたはわたしに若君に嫁いでほしいのか?
と聞いたら苦渋に満ちた顔で「……ちがう…………」と言われた。
違うならいいでしょうが。
別にわたしは宗家を馬鹿にしたわけでも下に見ているわけでもない。ただわたしとは合わないよね、と言っているだけだ。
「相手が宗家じゃなかったら嫁ぐのか、お前の母のように」と更に突っ込まれた。
知らんそんなの。十歳だぞわたしは。
確かに幼い頃から許嫁扱いされているうちはの男女はいるようだがわたしにそんなのはいないし、その願望もない。
年頃になったら考えます。と至極もっともなことを言ったのに「けどこのままだとお前は宗家に嫁ぐことになる、きっと」と怖すぎる予言をされた。しかも長男に嫁ぐことになるだろうと。
それが嫌なら、別の結婚相手を早々に見つけて「わたしはこの人と番うので若君の結婚相手にはなりません」と言え、だそうだ。
なんでだ。わたしのあずかり知らないところで何が起こってるの?
嫌だ。若君が嫌だとかでなく宗家長男とかいうその肩書きが嫌だ。
まさかタジマ様と幼い頃から懇意だったという母がタジマ様の妻でないのは、若かった母も同じことを考えたからじゃないだろうな。
ここでマダラ様から忍界が震撼する提案をいただいたのだが、要約すると「オレで妥協しろ」とのことだった。
お前が兄さんに嫁いだら兄さんが苦労する、お前も嫌なんだろう、仕方ないからオレがお前を貰ってやると。
話聞いてました?
宗家に嫁ぐのが嫌だって言ってんだろ。あなたも宗家ボーイだろうが。
と言ったら「お前に親しい男なんて他にいないだろう」と決めつけられた。
言い切るなよ失礼な。いるかもしれないだろ密かにラブラブな男の子が。
まぁいないんですけど……。
明らかに承服していない様子のわたしにマダラ様はぷりぷり怒り、オレの何が不満だと言った。
宗家とはいえ長男じゃなくて次男だから、お前の言う面倒くさいことはそんなには起こらないだろと。
八歳児なんだよな。
八歳児に将来の話をされてもピンとこないんだよな。
と言ったら流石に泣くかもしれないと思い口を閉じていたのだが、本人が「なんだ言いたいことがあるなら言え」と仰ったので「八歳児に言われてもなとこはありますよね」と言った。
泣きはしなかったが怒られた。たいして変わんないだろうと。
だからわたしたちの年代でこれだけの年齢差は大きいんだって。誤差になるにはあと十数年は必要なんだって。
あとマダラ様、わたしよりちっちゃいし。サイズが。
わたしはこの年にしては長身で、マダラ様は平均だ。そもそもわたしたちくらいの年齢だと女子の方が大きいこともあり、わたしとマダラ様の体格差は結構ある。
その後も言い合いになり結論が出なかった。
マダラ様が引かないのでわたしは言った。
あなたがわたしとの年齢差が気にならないほど年を重ね、背もわたしより高くなって、わたしより強くなって。
その時まだわたしを嫁に貰う気があったなら、改めて言ってくださいと。
そうしたらわたしも真剣に聞きますと。
マダラ様はとりあえず納得して引き下がった。
チョロくて笑う。
どうせその頃にはマダラ様はわたしのことなんてどうでもよくなっているだろう。
今日の日のことも消し去りたい過去のひとつになっているはずだ。
そうなったら「あなた八歳の頃わたしを嫁にしようとしてましたよね」とマダラ様の前で反復横跳びしながら言おうと思う。
マダラ様は宗家次男という血筋に加え才能に溢れ、このまま順当に成長したら美男子になると思われる。年頃になったらそれはモテるだろう。
女性なんて選び放題になるだろうから、その中から好みの女の子を選べばいい。
変な女には引っかかってくれるなよ、とは思うが。わたしにだって可愛い弟子を想う心はあるのだ。
なんか根本的なことが解決していない気もしたが、マダラ様がなにやらやり切ったような、満足した顔をしていたのでよしとする。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そもそもわたしが「宗家の嫁」と内定しているようなこの空気はおかしい。
と、やっと気づいたうちはケイカは母に尋ねた。
まさかとは思うけれど、母さんのところに「ケイカを宗家に嫁に出せ」的な要請は来ていないか、と。
母は娘に言った。
結構前からタジマ様に打診されているわよ、と。
ケイカはでかい声で「おい!!!」と言った。
彼女が腹から声を出すのは珍しい。常にローテンションな彼女は常になく必死な顔をして「そういうのは、本人と共有して。すぐに」と言った。
それに母であるうちはトウカは「だって、聞かれなかったから」と言った。
しれっとした顔が娘そっくりだった。
ケイカは頭が痛そうな顔で「聞くわけないでしょう、なに、『わたしに嫁入りの話が宗家から来てない?』とでも聞けばよかったの? どんなレベルのナルシストならそんなこと聞くんだ、自意識の怪物か」と言った。
トウカはにこにこしていた。
何を言っても無駄と判断したケイカは、力なく「それで、タジマ様にはなんて返したの」と尋ねた。
「なんにも。だってわたしが決めることじゃないものね」
「…………ああ、うん。そう……」
ケイカが振り上げた拳の下ろし先を見失ったみたいな顔をした。
トウカは変わらずにこにこしている。
ケイカは「タジマ様もこの笑顔を前に何も言えなくなったんだろうな」と思った。
「……。ねえ、母さん」
「なぁに」
「どうしてわたしが宗家の嫁に、なんて話が出たの」
「だってあなたは強いでしょう? 宗家はね強い跡取りが欲しいのよ。そのために強い母親が必要なの」
「その理屈なら母さんはタジマ様に嫁いでいないとおかしくないか」
「そうね、でも断ったから」
「────母さんにも嫁入りの話、あったんだ。やっぱり」
若い頃からその忌名を戦場に轟かせていたうちはの生ける炎は、少女のように微笑んだ。
「あったわよ。でもねわたしはタジマ様より、あの人と、あなたのお父さんと結婚したかったの。だからそうしたの」
「なんでタジマ様じゃ駄目だったの」
「タジマ様はとっても強くて優秀で、わたしがいなくても大丈夫そうだったから。わたしもタジマ様がいなくても大丈夫だったし」
ケイカは渋面を作った。彼女にはまだ人間関係の複雑な機微がわからないし恋愛も縁遠いが、それでも、母が残酷なことを言ったのは感じ取れたためだ。
「……当時のタジマ様は、母さんを…………いやなんでもない」
わたしには関係ない、何より今更だと頭を振ったケイカは最後にひとつだけ母に問うた。
「……父さん、普通の人だったって聞いてるけど。特に強いとか優秀だったとかじゃないって。どうして父さんを選んだの?」
「火よりも美しいと思ったのは、あの人だけだったから」