ヤードの浜辺に、幽霊船の破片が打ち上げられ、波の白い泡を弾いている。その中に混じって使えそうなものがないか物色している村人たちを他所に、一行は地図と睨み合いながら、今後の予定を組み立てていた。
「いくらなんでも今日明日でアークティカまでは無茶だよ、ザック! あそこは雪国だし、距離もあるし、準備だっているんだからね!」
「クソ、やっと内海を渡る手段が手に入ったばかりだってのに、歯がゆいったらありゃしないぜ……。」
「とすると……途中でタウンロゼッタで停泊し、コートセイムを経由してアークティカまで向かうのはどうでしょうか。──巨人のゆりかご、という遺跡の噂も、気になるところではありますが……」
ロディ、どうしたい、とザックがロディの方を向き直った。唐突に話を振られたロディは多少あたふたとしながらも、こくりと頷いて、「セシリアの案がいいと思う」と言う。決まりだ、とザックが地図を畳んで鞄へと仕舞っている横で、ニコレットは物思いに耽っているようだった。
「ニコレットさん? どうなされたのですか……?」
「──いや。タウンロゼッタか、と思っただけ」
昔一度だけ立ち寄ったことがあってね、と遠くを眺めるニコレットの表情は、僅かに複雑なものだった。セシリアは相槌を返し、昔なにかの書物で見た、タウンロゼッタの概要を思い返してみる。
アークティカ領とアーデルハイド領の中間地点に位置し、船による交易が盛んになったことにより、近年になって急速に発展を遂げた町。年中穏やかな気候で、比較的富裕層の世帯が住む割合が多い。……確か、そんなところだったはずだ。
昼頃に出発して船に数時間揺られた一行がタウンロゼッタに着く頃には、夕方を過ぎて夜に差し掛かっていた。西側に存在しヤードとロゼッタを隔てる山脈が、それに連なる森に、暗く重い影を落としている。
宿屋は夕飯を食べに来た住民と渡り鳥達でごった返していた。女性店員が齷齪と働いているのを尻目に、四人テーブルの席に着く。セシリアはいつも通り大量のヤキソバを、ザックとハンペンはひと皿のポークソテーとサラダを分け合い、ハンペンは己のサラダの多さに文句を言った。
ニコレットはエールを頼み、ロディが注文を迷っていた時、喧騒の中に紛れて話し声が聞こえる。
「──あのエルゥ、全く嫌になるぜ。一体いつまであの森に居座るつもりなんだろうな?」
「さあね──町長を呪い殺すまで、ここに居るつもりなんじゃないか。どっちにしろ妙な噂のせいで、客足も遠のいてるんだ。このままじゃ営業に差し支えが──」
「──失礼。噂ってなんだい?」
突如、立ち上がったニコレットは、隣のテーブルで話し合う男達に割って入り、話しかけた。男達は一瞬の戸惑いを見せるも、酒が入って気が大きくなっているのか、その戸惑いもすぐに消え失せ、意気揚々と語る。
「このタウンロゼッタのはずれにある森に、ひとりのエルゥが住んでるって話さ。」
「町長が最近病気でね。シスターの薬もどんな治癒呪文も効かないってんだから、そのエルゥが見せしめに、町長に呪いでもかけてんじゃねえかって噂だよ」
眉唾もんだがね、と男たちはジョッキに注がれていたエールを呷ると、そのまま話題は別へと移り変わり、食事を再開させていた。ニコレットは一行のテーブルに戻ると、口をつけていなかったエールをザックに譲り、置いていた楽器ケースを手に取る。
「少し、用事ができた。先に部屋取っといてくれ」
「お、おお……一体なんだってんだ?」
そのまま宿屋を出ていったニコレットを、残された面々はぽかんとした表情で見送る。
「──怒ってた、のかな」
「怒るぅ? あいつが? あの年中無休でニコニコニヤニヤしてるあの面が怒りで歪むたあ、ちょっと想像つかねえな」
「穏やかな人ほど、怒らせると分かり辛く恐ろしいものですよ……それにしても、」
何故、怒っていたのかしら。セシリアの呟きだけが、喧騒の中でぽつりと転がった。
ニコレットは、ロゼッタのはずれの森を、抜き身の銃を提げて進んでいた。暗闇の中で、目の中の赤い光がちらりと輝いたかと思えば、銃口から放たれた実包に、急所を貫かれた魔獣が倒れ伏す。遠くからそれを伺っていた魔獣は、相手が手練で夜目も効くことを悟れば、それ以上手出しをすることはなかった。
獣道を進めば、人の歩いた形跡が散見される道を見つける。それに沿って進めば、開けた場所に月明かりが差し込んで、それに照らされる小さな一軒家が見えた。花壇に植えられた色とりどりの花が、可憐に力強く咲き誇っている。
ニコレットは、木造の扉をノックする。数秒後、ぱたぱたと小さな足音が聞こえ、間もなく扉が開かれた。
小さく扉を開けた少女は、日の暮れた庭で佇む黒尽くめの女に驚いたようだった。ニコレットは、なるべく穏やかな声で、やあ、久しぶりと声をかけると、少女は何かを思い出すように考え込む。
「──もしかして、ニコちゃん?」
「マリエル、……何年ぶりだっけ。最後に会ったのは、九年だか十年だったっけ?」
「十一年、だったと思う、確か……、あの……えっと、本当に久しぶり……!」
久々に会う旧友に、エルゥの少女──マリエルは、心底嬉しそうに微笑み、入って、とニコレットを促した。彼女の家はこじんまりとしていながらも、手作りの温かさがほっとする。
マリエルは、家にある唯一の椅子にニコレットを座らせると、マグカップにハーブティーを注いで、ニコレットに差し出した。来客用がなくて、と謝るマリエルに気にしないでくれと返しながら、カップに口をつける。湯気立つそれが喉を通って、夜風に冷えた体を温めた。
「美味しいよ、マリエル」
「あ……ありがとう」
「──噂を聞いたんだ。きみの噂だ」
びく、とマリエルが肩を震わせる。怯えきった目でニコレットの姿を見詰める彼女が、十一年にロゼッタの町を出ていってから、何も変わっていないことはすぐに察しがついた。町の人々からの扱われ方さえも、なにも、変わっていない。
「やはりあの時、私はきみの手を取って、この町から出ていかせるべきだったかもしれない」
「ニコちゃん、……」
「──すまない。きみを呪いでどうとかの件について疑ってるわけでもないし、今更きみに一緒に旅を、とか言うつもりでもないんだ。きみはここで、やるべきことをしているし、それの邪魔はしたくないんだよ……」
「いえ、そんな……ううん、ありがとう。そう思ってくれていただけでも、嬉しい」
それからしばらく、沈黙が続いた。先に口を開いたのはマリエルだった。ハーブティーの容れられたポットを握り、俯いて目を伏せている。
「あの……ニコちゃん。『方法』は……」
それに、ニコレットはゆるゆると首を横に振る。マリエルは、そんな、と動揺を顕にして、ニコレットの顔を見た。
「私のルーツを知ったよ」
その言葉に、マリエルははっとして、開きかけた口を閉ざす。どうして、とだけぽつりと言った。
「千年前の大戦の戦艦に、データが残ってた。全部読むのは至難の業だったけど……『目』は便利だ。──納得がいったよ。遺伝子を弄られているなら、どんな薬もどんな魔法も、効かないのは当たり前だ。産まれるよりもずっと前から、寿命が決定付けられている」
「──ごめん、なさい。ごめんなさい、ニコちゃん……わたしが……わたしたちが、あの時、命の価値を軽んじていなければ……、」
「マリエル。泣かないでくれ、マリエル。もういいんだ、今は、もっと大事なことができた」
頬の涙を拭い、ニコレットはマリエルの顔を上げさせる。大きな翠の瞳は、キャメル色の向こうの光を捉えることは叶わなかったが、その光がとても優しいものであることは、雰囲気でわかった。
「いくつか、伝言を頼まれてくれないか。」
すっかり人がいなくなった宿屋の扉を開くと、席の隅の方で、ランプの灯りだけが暖かく点っているのが目に留まった。そちらを見れば、机の上に何かの作業をしているロディが座っている。
「ただいま。何してるんだい?」
「あ……おかえり。夕飯、食べてないだろうから、取ってあるんだ。残り物で悪いけど……、」
「ああ、ありがとう。お腹すいてたんだ、助かるよ」
隣のテーブルに置かれたいくつかの皿の上には、パンと副菜のサラダ、主菜に魚のホイル焼きが置かれていた。触れてみるとまだ僅かに暖かい。ロディは隣のテーブルで、いくつかのカートリッジの整備をしているようだった。
ニコレットは、とロディが問う。整備を終わらせたカートリッジを仕舞い、同刻に食事を終えたニコレットが、ロディに振り向いた。
「ニコレットは、この町に来たことがある?」
「ああ、そうだね。十一年前に一度だけ。──この町のシスターに用があってね、殆どの病気を治せる薬を作れるって聞いて……取り越し苦労だったけれど。」
「──サーフ村に来ていたのも、同じ理由? ベリーケイブのホーリーベリーを探して──? ニコレットは何かの病気なのか?」
ロディの赤茶けた目が、真っ直ぐにニコレットを射抜いている。ニコレットはサングラスの向こうで、一瞬だけその色から目線を外した。
「病気、ではないよ。ただ──長生きがしたかったんだ」
父のように死にたくなかった。それだけは、口にしなかった。
それだけさ、浅ましい理由でがっかりしたかい、と肩を竦めてみせれば、ロディは首を勢いよく横に振って否定した。
「町外れの森に住むエルゥ……ねぇ」
随分な扱いを受けてるみたいだ、とハンペンがザックの肩口で呟いた。翌朝になって、一行は噂の真偽を確かめるがてら、町長の家を訪れた。床に伏せった町長は紛れもなく病に侵されていて、町外れのエルゥが呪いをかけたのだ、としきりに言っていた。
「呪いとかなんとか、考えにくいけどなあ。エルゥってんなら魔術みたいな高度な化学文明があるじゃないか。千年間で風化して失われたとはいえ、呪いにかけてチマチマと、それも町長だけなんて、回りくどいことするかなあ?」
「──彼女ではないよ。彼女はなにもやってない。……ただ、治らない病気ってのは確かみたいだ」
「お知り合いなのですか?」
友だちなんだ、とニコレットは言った。
昼間に見る森は夜と違って、木漏れ日が細い筋のように降り注ぎ、腐葉土の地面を照らしている。獣道を抜けて辿り着いた小さな家の花壇には、露に濡れた色とりどりの花が、陽に照らされてみずみずしく咲き誇っている。
「なんて綺麗な花……! こんな素晴らしい花、修道院の記録の中でしか見たことはありません」
「ファルガイアに、まだこんな綺麗な花が咲く土地があるなんてね……」
きい、と扉の開く音がする。見れば、厚手の手袋をはめた幼い少女が、扉の向こうから覗き込むようにして一行を見ている。
「──やあ、マリエル。昨晩ぶり」
「勝手やっちまって悪かったな。あんまり珍しいもんだから、つい見とれちまった」
いえ、と首を横に振る。
「あの……お花、好きですか?」
恐る恐る、といった様相で、マリエルが尋ねた。セシリアが、ええ、と力強く頷いて、数々の賛辞の言葉を述べると、マリエルは黙り込んで、俯いてしまう。
「こういうタイプってどう接したらいいのか掴めてないんだが……俺、なんかマズいことやらかしちまったか?」
友だちなんだろ、何か言えよと、ザックが肘でニコレットをつつく。
「ザックは無神経でガサツだからね。その可能性は否定しきれないな」
その肩で、ハンペンがあっけらかんと言い放ち、その物言いにニコレットはくすくすと笑った。ザックはハンペンの首根っこを掴みながら、「花の肥料になりたいならそう言え」と、花壇に放り投げようとする。
「ごめん、騒がしくて。悪い人達じゃないんだ」
「いえ……あの……、お花を大切に想ってくれて、ありがとうございます……ですが、此処から立ち去った方が、良いかもしれません」
「……どういうことですか?」
「わたし──わたしは、皆さんとは違うのです。あの、わたし──」
「──エルゥってんだろ。前に遺跡の中でお目にかかったことがある」
立体映像だけどね、とザックの手から抜け出したハンペンが、肩口でそう言った。マリエルは目を丸くして、驚かれないのですか、と聞く。
ザックは一瞬だけハンペンと目を合わせると、なんてことないように肩を竦めた。
「色んな所を旅していれば、行った場所と同じ数だけ、色んな奴に出逢う。
おかしなヤツ、腹の立つヤツ、ケンカの強ェヤツ、すぐ見せたがるヤツ、言う事が全部嘘のヤツ、チャリ漕ぐの速いヤツ──たくさんの出逢いの中で、花を咲かせるのが上手なエルゥがいたって、おかしくはないと思うんだがな」
「それに輪を掛けて、ここしばらく特殊な出逢いが続いたからね」
伝承の彼方からの嫌な奴がいたんだ、良い奴だっているさとザックは笑う。
「けれど……エルゥ達は、千年前の戦いの後、ファルガイアからその姿を徐々に消していったと聞きました。でもこうして貴女がいるという事は、他のエルゥの方々も、ファルガイアのどこかにおいでなのでしょうか?」
「──あの、わたし、ひとりだけなのです。このファルガイアに──エルゥは、わたしひとりだけなのです」
「ひとり? ひとりだけって──」
「……わたしは……傷付いたこの大地に、償いをしなければならないのです。仲間のみんなが、ファルガイアを棄てて、離れても──わたしには此処を去るなんて、できなかった……」
ひとつひとつ、糸を紡ぐように、言葉を紡いでいく。そんなマリエルを見て、一行は顔を見合せるその直後、マリエルの庭に知らない声が響く。
「お前たち、どこの余所者だッ?」
「お前ら、見たことあるぞ! 昼間っからビョーキのダディにズケズケとホーモンしてきたヨソモノの渡り鳥だッ!」
上質な子供服を身に纏った少年二人が、ずかずかと庭に立ち入る。
「そいつはボク達が見つけたオモチャなんだ。とっととこっちによこせよッ!」
「ショユーケンはこっちにあるんだッ!コクソもジさないカクゴだぜッ!」
「そいつは人間じゃないんだッ!エルゥなんだぞッ!エルゥに近付くと、病気になるんだぞッ!!」
ザックが鞘に入った剣を持ち上げて、子供二人の前に割って入る。
「──見た目だけじゃなく、頭の中身も一緒のお子様だな。双子の兄弟か? 意地の悪さは二倍と言うより二乗だな」
「なんだ、お前ッ! ナニサマッ?!」
ロディがザックの横に立ち塞がり、子供は一歩後退した。子供は「ボクたちのダディはロゼッタの町長なんだぞッ!」と高い声で喚き、立ち塞がった二人を指差す。ニコレットの肩で、ハンペンがまずいよ、と声を洩らしていた。権力嫌いのザックの前で権力そのものを振り翳すなど、子供と言えどザックが何をするかわからない、と青ざめる。
「オトナがボク達に手を上げるのって、ギャクタイって言うんだぞッ! 社会にキューダンされるんだぞッ!!」
それでも尚、武器を持った大人達が退かないのを見て、子供は庭の出口へと駆け出す。
「お、お前達なんか、エルゥの呪いに掛かってしまえばいいんだッ!」
「リンリと言う名の、テッツイを下さればいいんだッ!」
「あいつら、将来、絶対ェ道を踏み外すぞ……。」
子供が出ていった後を眺めながら、ザックが溜息混じりに呟いた。何事も起こらなかったことを案じて、ハンペンがほっと息を吐き、黙り込んでいたニコレットを見上げる。ニコレットは、獣道に消えていく子供二人が居なくなったあとを、じっと見ている。
どうして、とエルゥの少女がささめいた。
「どうして──わたしを、庇ってくれたのですか? わたしは、今までもこれからも、ひとりぼっちのマリエルなのに──……」