エルゥの遺跡とはまた違う趣の木造の塔は、元は灯台だっものを改造したのだという。『大地』『空』『人』の三つのエリアが迷路のように複雑に絡まり合って、進む者を撹乱させる。
しかしエルゥの遺跡と違い放置されれば脆くなり、どこかに穴でも空いているのだろう、外部から侵入した魔獣が蔓延っているのをひとつひとつ処理し、謎掛けや物理法則を利用したギミックで罠を解いて、一行は順調に先へと進んだ。道中未だ一度もニコレットの目に頼ることはなく、ハンペンの頭脳とセシリアの閃き、力が必要な時はザックとロディが率先して働く。
「『ワルプルギスの夜』を持たぬ者、この先に進む資格なし……だって。この扉の鍵かな?」
「このセンス、多分トカナクだな」
「この形を見るに、大きくて四角い……本でしょうか? 本を鍵にするだなんて、ユニークですね」
「多分、この塔の何処かに『ワルプルギスの夜』ってタイトルの本があるんだろ。探そうぜ!」
既に幾度か天才的な勘と悪運で罠に引っかかってはそれを切り抜けたザックは、初めこそニコレットの目に頼りたがったが、ここまできたら意地でもやり通してみたくなったのか、意外にも謎解きに積極的だった。
「本……ということは、本棚にあるのかもしれない。まだ開けてない部屋を探しながら、見つけた本棚を見ていこう」
ロディが大まかな行動指針を決め、一行がそれに便乗していく。まずはここにある本を、とロディが本棚に手を伸ばしたのを、ニコレットが後ろから制す。
「ニコレット? どうかした……?」
「ロディ、まああの、なんだ。この本棚は駄目だ」
「ん? ……ああー、なるほどね。ロディ、この本棚はほら、プライベートなものみたいだから、ちょっとやめとこうか」
ロディの肩に飛び乗ったハンペンが、本棚をざっと眺めて何かに合点がいったらしく、そうロディを促して、ロディは首を傾げながらも素直にそれに従った。次いでザックが本棚の中身を眺め、その一冊を手に取ったところで、ははあ、と唸る。
「ニコレット、お前、そういうネタ*1は案外駄目なんだな?」
にやにやとほくそ笑みながらザックはニコレットに耳打ちした。ニコレットはじろりとザックを睨み、無言で軽く頭を叩く。そうしてじゃれあっているのを、少し先からハンペンとセシリアと共にそれを眺めていたロディはぽつり、仲がいいな、と呟いた。
「ザックにニコレットを取られたみたいでイヤ?」
「そ、………」
ロディは肩に乗るハンペンをぱっと見て、しばらく黙りこくると、俯きながら「そうかもしれない」と言った。ハンペンはおや、と思う。
「セシリアも……アースガルズの件から、ニコレットと仲良くなったみたいだ」
「あら! ロディも仲がいいではありませんか。……それは、例えば、ゼペットおじいさんが誰かに取られちゃったみたいで嫌、という感情に似ていますか?」
「ううん……どうだろう。よく、わからない」
そうですか、とセシリアは頷いたが、微笑ましそうな顔をしている。
ロディは、もしも自分がセシリアやジェーンのような少女であれば、彼女を渾名で呼ぶような関係になれたのだろうか、と考えた。しかし少女のような自分というものがまるで想像できなくて、結局考えるのをやめる。
「でもザックは、誰かから想われてる人を取るようなことできないと思うよ。女のコを口説くことは好きだけどね」
一行は、廊下の奥まった方に一冊の本が机に置かれた部屋に辿り着く。興味を引かれたハンペンがセシリアと共にその本を覗き込み、ぱらぱらと内容を見流した。
「……流体力学……航空理論……これ、飛空機械についての本だ。もうちょっと先……ストップ! ───エネルギー増幅装置『ルーンドライヴ』……すごいもの開発するんだなあ。研究はかなり大詰め段階まで来てたに違いないよ」
「……ハンペンお前、アースガルズの一件からなんかエマ博士に似てきたよな。要するにわかりやすく言うと、どういうことだ?」
「この『ルーンドライヴ』ってのが、アースガルズに取り付けて完成させられる最後のひと押しってこと。受け取ったエネルギーを何倍にも何十倍にも増幅させて外部に出力することができる、この本くらいの大きさの平たい板だ」
「……この本、タイトルはなんだい?」
「え? ……あッ! 『ワルプルギスの夜』です!」
やりました、とセシリアがロディとハイタッチをして喜びを分かちあっていた。ザックはルーンドライヴの説明を受けて少し考え込むと、「これ、魔族の手に渡ったら不味いんじゃねえか」と呟く。
「……では、早急にわたしたちの手で見つけ出さねばならないのですね?」
「そうだね……この塔には確実にあるんだから、見つけること自体はそう難しくないんじゃないかな。これの情報が外部に知れ渡っているわけじゃないんだし」
「まあ、警戒するに越したことはないさ。あまり気を張りすぎて疲れてもいけないから、ほどほどに行こう」
しかし、突入した最後の部屋で空っぽになった箱の中身を見て、一足遅かったと悟るのはその直後のことだった。ニコレットは即座に塔を『見る』。自分たちと魔獣以外の存在がどこかにまだ居るはずだ。鐘の音が鳴り響いたと同時に、ニコレットが「誰か」の存在を見初めた。
「これは……ッ!?」
「ニコレットッ! 誰がいた!?」
「魔族だ。ここのすぐ外にいる」
それを聞いたザックは部屋を飛び出し、それを追いかける。外部に通ずる窓辺には、鍼から吊り下がった巨大な鐘が、夕陽の光を受けて鈍く輝き、逆光が黒く足元に影を伸ばしている。
「出てこいッ! 魔族ってのは隠れてコソコソやんのが流儀か!?」
「──少なくとも、俺はそういう手合いではない」
鐘の吊り下がった鍼の上に立つ誰かがいた。影は一行の前に降り立ち、一匹の獣を従えさせ、獲物を抜く。刃のついたブーメランだ。
「だがお前たちは、どのように戦っても構わん。如何な戦いでも受けるのが俺の流儀だ」
「あなたは……この気配、まさか、守護獣……!? でも、どうして……!」
「戦場にて、己が乾きを満たすことが俺の目的だ。俺の乾きは戦いでのみ癒される───如何にも、ルシエドはこの星の守護獣のひとり。欲望の守護獣───だが、お前達の味方ではない」
「何故……ッ! 何故そのような享楽目的で戦いを楽しむような者に、与しているのですか……! わたしは戦えません、あなたと戦う理由がありませんッ!」
「ならば、戦う目的が必要か?」
ルシエドは低く構えながら一行を見据えて唸り、ルシエドを従えた魔族は懐からルーンドライヴを取り出すと、見せつけるようにそれをひらひらと振った。
「あれは……! ルーンドライヴッ!」
「アルハザードあたりなら、面白がりそうな玩具だな。───そこの黒い女」
「……呼んだかい?」
「お前は、先程から俺を『見て』いるな。……面白い、お前のような手合いは滅多に出会えるものじゃない。本気を出してみろ」
お言葉に甘えて、とニコレットはARMを取り出した。それを皮切りに、各々の武器を構えた一行は戦闘態勢に移る。
その魔族との戦いは苦戦を強いられた。鞘から剣を抜いたザックは目にも止まらぬ速さで切迫するも、ブーメランによっていなされる。ルシエドは後方で魔法を唱えようとするセシリアに襲いかかり、その腕を深く噛んだ。詠唱が止まり、セシリアが痛みで呻き声をあげたのに気を取られ、ロディの照準がずれる。銃弾は外れ、鐘に当たって跳弾する。その瞬間ザックを吹き飛ばした魔族はブーメランを投げ付け、それは最も後方にいたニコレットの首を刈り取らんとしたが、間一髪で避けたニコレットの黒髪を何本か削るだけで済んだが、サングラスは床に落ち、キャメル色のレンズは粉々に割れる。
しかしブーメランとは戻るものだ。背後から迫り来るそれを避けきることができず、ロディが被弾し、その衝撃で地面に倒れ込む。そしてブーメランは魔族の手の中に収まった。セシリアを影にして死角から飛び出してきたルシエドの心臓を、咄嗟に照準を変えたニコレットのARMが獣の悲鳴と共にルシエドの体を撃ち抜いたが、即座に回復したルシエドは、魔族と共にニコレットを挟むようにして地面に降り立つと、唸りながら今にも噛み付かんとするばかりに牙を剥き出しにした。
「時間切れのようだな」
ぽた、と床に血が落ちる。夕陽の貫くような光はニコレットの開かれた右目を攻撃する。右目から伝う血液が頬を汚し、ニコレットが大きくよろけた。ニコレットが向けるARMの照準は出鱈目な方角へと向けられ、地面から立ち上がろうとロディが呻く。
「ぐ、ぅッ……ニコレット……!」
「……それは、どうかな。まだ左目がある」
そう言うと、ニコレットは閉じていた左目を見開いた。瞳孔は即座に縦に割かれ、夕陽ではない赤が十字を切る。
出鱈目な方角へ向けられていたARMの引き金が引かれ、発砲した。鐘に当たって跳弾した弾丸は魔族の肩を撃った。一瞬の不意打ちによる判断の遅れが命取りとなって、死角にいたザックの太刀筋を避けきることができず、その刃を受ける。反撃のため手に持っていたブーメランを振るったがしかし、何かの障壁に阻まれたかと思えば斬撃が反射して、魔族にそのまま向けられた。視界の端に杖を構えた紋章魔導師の姿が見えた。
「今だよッ、ロディッ!!」
ハンペンが合図を出す。ARMと深く精神を繋げたロディの腕が青い幾何学模様に光り、赤茶色の目は同じく青く輝いた。
「───ARM、フルコンタクトッ!!」
───音を置き去りにして、銃弾が放たれる。
全員が膝を着く。服についた埃を払った魔族は一行に背を向け、立ち去ろうとする。
「逃げるのかッ!?」
「膝を着いたお前達を前にして、この俺が逃げるのかだと?」
「───待ってください、ルシエドッ!」
ルシエドは何も答えず、去ろうとする魔族の男の隣へと歩く。去り際に懐からルーンドライヴを取り出した魔族は、それを一行へと放り投げた。
「安心しろ、決着はつける。だが、それは今ではない。お前達が俺に討たれる強さを身に付けた時に、改めて引導を渡してやろう。───俺の名はブーメラン。やがてお前達を殺す者の名だ。覚えておけ」
足音を響かせながら、魔族───ブーメランは堂々と去っていく。誰もが疲労困憊で立ち上がることが出来ない。
「ニコレット!!」
ロディが悲鳴にも似た声でニコレットを呼んだ。両目からぼたぼたと血を流して座り込んでいるニコレットは、意識こそあるものの、それも限界が近いようだ。
「まったく、ひどいリバウンドだ………意識があるのが、不思議なくらいの………」
「ニコレット、動いちゃダメだ……ッ!」
「ああ……ロディ、ごめんね、今、何も見えなくて……」
そう言い残してぷつりと意識を飛ばしたニコレットは、ロディに抱えられながら倒れ込んだ。沈み掛けの陽が、散らばったキャメル色を照らし、硝子質の側面が光を反射して、きらきらと輝いていた。