人のいない静まり返ったコートセイムで、遅えな、とザックが呟いた。その顔には焦燥感がありありと滲み出て、幾度も時計を確認したセシリアが、「正午、過ぎました」とだけ言った。
ロディたち4人と一匹はコートセイムの警護とアルハザードの迎撃、ジェーンと流れの渡り鳥達は、バリアシェルターで避難者たちの護衛を担うことになって、朝方に既に発った。ニコレットは立ち上がる。
「……しくじったかもな。アルハザードはバリアシェルターに向かったのかもしれない」
「……しまった……急いで向かおうッ!」
コートセイムの南西の森の中に、目立たない出入口のバリアシェルターがある。しかし、森は不自然なまでの静けさに包まれ、獣の声ひとつしない。
唐突にバリアシェルターの入口から誰かが飛び出した。フリルのあしらわれた黄色いドレスは僅かに汚れている。彼女はこちらを見初めると、丁度良かった、と息を吐いた。
「バリアシェルターの内部に、魔獣が現れたのよ! 全然そんな気配も無かったのに……、あたしとマクダレンだけじゃ対処しきれないから今呼ぼうと思ったところ!」
「なるほど、わかった。コートセイムには何も現れなかった、すまない」
「今はいいのッ! とにかくあたしたちで対処するわよ!」
ジェーンと共にバリアシェルターに突入した一行目掛けて、物陰から魔獣が飛び出し、鋭い牙で襲いかかってくるのを、ザックが剣でいなす。
「こいつら、一体どこから沸いてきやがったッ……!?」
「………、魔獣がいなかったところから現れるなんて……これではまるで、セントセントールの時のような……」
セシリアがそう呟いて、ハンペンとニコレットが黙り込む。仮説があるんだ、とニコレットが言った。
「奇遇だね、ニコレット。多分オイラも、同じことを考えてる」
「ああ、まったく……当たって欲しくないタイプの、嫌な予感だよ」
ジェーン達と手分けしてバリアシェルター内を探る。ニコレットはバリアシェルターの障壁を透過して見ることができないため、臨機応変に立ち回りながら探索した。
「あれ……犬?」
突き当たりの奥に一匹の犬がいる。セシリアが動物の声を聞くことができる杖を取り出した時、突如、犬は吠え、地面を転がりのたうち回る。何事かと警戒する間もなく、犬は忽ち膨張し、バリアシェルターの一角を埋め尽くすほどの巨大な魔獣へと変貌し、襲いかかる。
ザックとロディが前衛で鞭のようにしなる触手を躱し、隙を見て攻撃を叩き込む。セシリアは魔法による補助と回復に回り、最後にはニコレットが叩き込んだARMの弾丸が脈動する心臓のような場所を撃ち貫くと、犬だったものは沈黙した。
「……あの犬、孤児院の番犬だった」
ロディが、青い顔でそう呟く。
「……魔獣が犬に化けていた……? ですが、それにしてはあまりにも、魔獣の気配がしなさ過ぎです……」
ジェーン達と合流し、簡潔に現状を報告し合う。ジェーン達もまた、魔獣へと変貌する生き物を見たと言い、一体どうなってんの、と頭を抱えた。
「……あんまり面白い推理じゃないけどね。この状況、セントセントールのものとよく似てるよ。あのときオイラ、街に入るためにザックの反応に紛れて、あそこの障壁を抜けたよね」
「つまり……この障壁を抜けるために、魔獣が人の反応に紛れて、内部へと入り込んでいるのですか?」
「アルハザードはあの時、セントセントールを実験場だと言っていた。……ここ数日、コートセイムで虫に刺された腫れと痒みが引かないという報告がいくつか挙がっていたのを聞いた。……多分、その時、小さい魔獣が体内に侵入して、それが急激に肥大化して、この場で魔獣になったんだ」
「待ってよ……じゃあ一体いつからこんなことに……ッ!?」
「……アンソニーって秘書も、虫に刺されたって言ってたよな? 報告が出て見つかってないのはそいつだけだ。今何処にいる?」
「……パパのところだわ。見張りしてもらってる……パパが危ないッ……!」
お嬢様、とマクダレンが叫ぶよりも早く、風のようにジェーンは走り出した。バリアシェルターの最奥へと駆け、辿り着いた時、ニコラの秘書である初老の男性は武器代わりとして持ち出した農耕具を下ろし、ジェーン様、と安心したように呼びかける。
「どうされたのですか? もしや見張りに加勢してくれるのですか?」
「アンソニー、体調はッ!!」
「えッ? ええ、そりゃ、緊張はしていますが…………、」
「──ジェーンッ! 彼に近寄るなッ!」
突如。ごぼり、という何かがかき混ぜられるような音が聞こえて、アンソニーの腹が大きく膨らんだ。ニコレットは、アンソニーの皮膚の下に埋め込まれた小さな種子が芽吹き、著しい速さで根を張って、それが魔獣の姿を象るのを『見た』。
「あ、あ…、何、腹の下を何かが這いずり回って……──黒く、塗りつぶ、されて、もう、自分…が…何であった…か…どうでも、いい……───」
口、目、鼻、臓器という臓器を綯い交ぜにされて血をぼとぼとと吐き出したアンソニーは、ぐるりと目を裏返し、やがて肥大化した肉に埋もれていく。
状況を呑み込めず唖然とするジェーンを、ニコレットが突き飛ばした。魔獣へと変貌したそれの、ニコレットへと向けた触手が、ニコレットの脇腹を貫く。
「──ニコレットッ!!」
「構うな! 早くやるんだッ!」
ザックが鞘から抜いた剣で触手を切り落とし、セシリアに向けてよろけたニコレットを投げる。それを受け取ったセシリアは即座に腹部を貫く触手を抜いて、回復魔法で傷を塞いだ。
「応急処置ですから、動かないでくださいッ……!」
「───いいや、ニコラの所に行く。ここは頼んだ。マクダレン、着いて来てくれ」
「了解いたしました。」
ザックとハンペンが無理やり切り開いた道を、ニコレットはマクダレンと共に突き進む。それを見たジェーンがはっとして立ち上がり、追従した。
「───なんで庇ったのよ! また誰かのためとか言うつもりッ! あんたたちってホントにそっくり母子だわッ!!」
「───違うよ、ジェーン。あれはアンソニーのためだった。正気を失っても敬愛する雇い主の娘を攻撃したとあってはアンソニーが気の毒だろう?」
「そんな理由───どっちにしろあたしを庇う理由にはなってないわよッ!」
「それに、マクダレンのためでもあるし、ロディのためでもあるし、ニコラのためでもある。君が傷付けば悲しむ人たちのためだ。そしてきみは、きみのせいで人が傷付くのを悲しむタイプだろう? だから、きみのためでもあった。
──それに、きみはきみの母の忘れ形見でもあったから」
走り続けて扉を蹴破れば、白いマントをはためかせた魔族と壁際に追い詰められたニコラが相対し、ニコラはこちらの姿を見初めると、胸元に抱いた箱の中のルーンドライヴを強く抱いた。
ジェーンが威嚇射撃を発砲する。アルハザードがこちらを振り向いた瞬間に、ニコラはその脇を走って通り抜け、ニコレット達の後ろに回った。
「来てくれたんだな! すまない、こんなことになるだなんて……ルーンドライヴも、私も無事だ!」
「わかった。下がっていてくれ、守るから」
「クカカカカ……思ったよりもお早い到着ですね。あのニンゲンはどうされましたかな? 魔獣に孵化するよう合図を出しましたが。味方に任せて突破したのですかな?」
「パパとみんなに手を出したわねッ! 容赦しないんだからッ!」
「おお、怖い怖い。貴方がたが大人しくルーンドライヴを渡せば、手を出すようなこともしなかったというのに」
「よく言うよ。入念に準備して、魔獣の種まで植え付けていたくせに。元よりそのつもりだったんだろう?」
アルハザードはそれに答えず、ただ不気味に笑っている。
「ああ、そうそう───あの小さな鼠が推理したこと、概ね当たっておりますよ。この作戦を思い付いたのは我々と貴方がたニンゲンとの、大きな共通点が切っ掛けでして。貴方がたニンゲンが有機生命体だとすると、我々魔族は無機生命体なのですよ。つまり、根本的に生命のあり方としては変わらないのです」
「──てめえらが血も涙もないってのは、てめえらの血が水銀でできてるからってなッ! そんなのは子供でも知ってる御伽噺だッ!」
遅れて到着した三人と一匹が、獲物を構えて敵を睨む。
「クカカカカ……さて、役者は揃いましたかな。要求を飲まぬと言うなら、力尽くで奪いましょう」
白の布の内側から、羽虫のような魔獣が姿を表し、一行へと襲いかかる。倒しても倒しても次から次へと湧いて出て、アルハザード本体への攻撃が阻まれ続け、歯痒さに唇を噛む。
だが、アルハザードからの攻撃は、戦闘に突如として乱入してきた魔族によって遮られた。
「ジークフリードッ! 何故ここに……!」
そう呼ばれた魔族は、青く反射する金属とよく似た物質の鎧を身に纏う、槍を手にした大男のように見えた。
ジークフリードは無言で槍を横にしてアルハザードを遮る。
「退けと言うのですか? ここで退けばルーンドライヴも手に入らず、その力をもって推し進められるわたくし共の望みは、果たせぬこととなるやもしれませぬぞッ!」
「そうだ。その『望み』を叶えるため、今は退くのだ、アルハザード」
ジークフリードは、不意に読めない視線をロディとニコレットへと向ける。正確には、二人の持つARMへとだ。
「奴らの手にはARMがある。『同族殺し』と呼んだ忌まわしき兵器がな。───我らが『望み』、進めるには相応しい役者とは思わぬか?」
「……然り、得心いたしました。ならばこの場は退くと致しましょう」
「勝手に話を纏めんじゃねぇッ! ゴチャゴチャやる前に、てめえら二人でかかって来やがれッ!」
目線をARMから外したジークフリードは、そう叫んだザックを眺め、勝機すら見出せぬか、と言う。
「ならばその履き違えた闘志、我等の居城にて十全に発揮するが良かろう。───フォトスフィアに来い。かつてのアークティカ領、北の大地に
そう言い残し、ジークフリードはアルハザードと共に、空間を歪め消え去った。
「
「クソッ、好き勝手言いやがって……!」
「……とにかく、ここを出ましょう。怪我人も沢山居ます。彼らの治療をしなくては……」
ニコレットが膝を着いて、ARMを杖代わりに体を支えながら、ぜえぜえと荒い呼吸をしている。抑えた脇腹から血が滲むのが見えた。
「ニコ! いけない、傷口が……ッ!」
「……もうッ、バカッ! ちょっと、そっち持って! 抱えてくわよ、まったくもう、無駄に足が長いんだからッ!」
「無駄に……とは、…はあ、ひどいなあ。」
「全くだよッ! 今回は運良く退いてくれたから良かったものの、あのまま続けてたらゼッタイ死んじゃってたんだからね! ザックみたいに足の長い木偶の坊に───」
「オイ、そいつはどういう意味───」
「ニコレット、」
ロディに名を呼ばれ、ニコレットはそこで初めてロディの目を見た。キャメル色ではない、暗い茶色に阻まれた目は、瞳孔の形も赤い光も見えない、灰色の目だ。その灰の目が、ふっと笑みの形に細まった。
「──ごめんね。どうにも、約束を無下にしてばかりだ」
「……本当、だよ。無茶しないって言ったのに」
ロディは、ぺち、とニコレットの頬を、掌で軽く打った。その力は弱々しく、打ったと言うよりはもはや、手を頬に当てたという言葉に近かったが、ニコレットはそれを受けて、へらりと困ったように微笑んだ。