「ちょっといいか」
エマによって新たに発足されたファルガイア自警団の会議の終了後、ザックが一行を呼び集める。ニコレットはアーデルハイドに連れ帰られてから、一時は命すら危うい状態だったが、やがて持ち直し、今もまだ眠ったままだった。
「ニコレットは、ここで置いていこう」
「えッ……!?」
「元よりあいつの戦闘スタイルに見合わない戦いに巻き込んだのは、あいつ自身の希望でもあるが、俺達の目的のためのエゴだ。そのせいで、あいつは死にかけたんだ」
「で、……でもッ!」
「……分かってるんだろ、姫さん。あいつは勝利のためなら自分の命も厭わない。次こそ死んじまうぞ───公女としての姫さんの役目が果たされたんなら、ニコレットも、公女の目的から解放されていいはずだ」
セシリアとロディは、思い詰めた顔で考え込み、やがてセシリアは頷いた。
「……わかり、ました。彼女はアーデルハイドが責任を持って保護しましょう。……さみしいですけど、お別れです」
「……おれは、……」
「ロディ。あなたも、この旅を降りても良いのですよ……あなたのことも巻き込んでしまいました。魔族の母は討ち滅ぼされたのですから、ここで、ニコと一緒に……」
ハンペンは、ただ黙って、成り行きを見守っている。
ふと、ロディがARMに手を触れた。指先に触れる何かが、目覚めたような気配がした。気配は微睡みに浮かぶ夢見人のようで、また眠りにつくようにして、消えた。
「……?」
「……どうかしたのか?」
「いや……なんでもない。───セシリア、ザック。おれはまだ、その旅についていきたい」
「……いいのですか?」
「ここにニコレットを置いていくなら、尚更この世界を守りたいよ。巻き込まれたものだったとしても、それもおれの意思だ。この世界にたくさん、守りたい人ができた、……それじゃ、駄目かな」
「いいえ……いいえッ! 勿論です、ロディ。一緒に旅をしましょう!」
「……なら、これから忙しくなるぞ。パーティ編成から一人欠けた状態での戦闘に慣れなきゃいけないんだからな。──まあ、なんとかなるだろ」
成り行きを見守ったハンペンは、彼女が寝ている間に置いていかれて、はいそうですかと素直に引き下がるようなタマかな、と思い直したが、何も言わなかった。
引き際こそ見極めているが、彼女はあれでいて負けず嫌いで頑固な面もある。素直に受け止めて療養に専念するか、むきになって追いかけてくるかのどちらかだと、ハンペンは考えていた。
エマ博士が、説得に成功して、ニコレットが素直に頷いてくれたらいいんだけど。
戦闘時の役回りについて話し合う一行を横目に、ハンペンは心の中で、そうひとり言ちた。
結局、旅立ちの日まで、ニコレットが目覚めることは無かった。
目を開ける。視界が酷く眩しくて、まるで久々に目覚めたような感覚だ。
部屋の窓は分厚いカーテンで遮られ、極力光が目に入らぬように配慮されていることがわかるが、それでも開けたばかりの眼球は光にどうしても過敏で、ニコレットは掌で目を覆った。
「おはよう。目覚めたみたいね、眠り姫」
「………おはよう、エマ。……私は、なんにち……」
「四日間よ。マザーは倒されたけど、残された魔族がファルガイアの守護獣破壊って宣戦布告して、それに応戦することになって……ロディくん達はまた旅に出たわ」
「………ハハ、置いていかれた、かあ。」
「説得してって言われちゃった。私がそういうこと出来ると思う?」
「あんまり……」
「失礼ねッ」
じきに光に目が慣れて、エマの顔が見えてくる。平静を装っているが、安心が見え隠れしている。
「───ねえ。旅をやめろ、とまでは言わないけど。世界のことは彼らに任せて、もう休んだ方がいいんじゃないかしら。戦い方が違う人達と無理に組んで、死にかけるまで頑張ることはないでしょ」
「……そうだね。」
「あら、案外素直」
「なんか誤解してないかい? 私だって引き際は弁えるよ。ここ暫くは連続して無茶をして迷惑をかけていたし、苛烈する戦いに着いていけるかどうかは難しいところだった。たぶん、ここらが潮時なんだろう」
このぶんだとハンペンにも似たような誤解されてそうだ、とニコレットが呟いた。エマは心中で大当たり、と思う。
「これからどうするの?」
「どうしようかなあ。下手に旅に出るとなると危険そうだし……暫くここで考えるよ」
「そう! じゃあ私の研究手伝ってくれるわよね? もうすぐ実を結びそうなんだけど遺跡調査とかがいくつか必要なの。勿論報酬は払うし、ここにいる間はARMの調整も弾丸の補充もタダでしてあげるわ」
「……なんかすごく有無を言わさぬ姿勢だね?」
「モチのロンよッ!」
ほぼ頷かざるを得ないので、ニコレットは諦めて、エマの要求に頷いた。労働力ゲットよ、と無邪気に喜ぶエマは、齢三十九には見えない、少女のような無邪気さなのに、言っていることはえげつなかった。
それからそう何日もしないうちに、ニコレットは復活し、エマの依頼で扱き使われてはへとへとになって彼女の部下と共に帰ってくる。一刻も早く旅に出たい、このままでは忙殺されてしまう、と思うものの、案外心地好いその暮らしは、悪くないように思えた。
けれどきっと、また近いうちに旅に出るような気がしている。どうあっても、己は渡り鳥だからだ。
その日は、エマが研究室に籠ってしまって、仕事もなく暇だった。アーデルハイドは随分と復興して、商人が店や露店を開くまでになっていて、仕事のない日はそういうものを眺めたり、珍しい木の実なんかを買って、齧り付いてみたりする。
「────魔族だぁッ!! 魔族が襲ってきたぞッ! みんな逃げろぉッ!!」
それは何の前触れもなく、唐突に訪れた。柑橘系の木の実を口の中に放り投げて咀嚼すると、程よく甘酸っぱい果汁が口中に広がった。
大通りは人でごった返し、城の方へと駆けていく。やがて往来から人は消え失せて、ニコレットだけが立っている。
もくもくと果実を食べていれば、アーデルハイドの関所から、コツコツと靴裏で石畳を鳴らしながらこちらへと歩いていく、魔族の影があった。陽炎に揺れるその影は、一匹の獣を従えて、手には巨大な武器であるブーメランが握られている。
「───ニコレット」
「やあ、きみか。久方ぶりだね。調子はどうだい?」
「お前の『目』は危険因子だ。排除させてもらう」
ふうん、と適当な相槌を返し、食べ尽くした果物の皮を、ゴミ箱の中に向けて放り投げた。完璧なコントロールで投げられたそれは難なくゴミとして棄てられる。
武器を抜け、とブーメランが言った。
「お前と相見えるこの瞬間を、楽しみにしていた。───さあ、どちらかが死するその時まで、戦い続けろ。戦場と闘争こそが、貴様と俺の真実だ」
「ニコの姉御ぉッ! ARMです、受け取ってくだせえッ!」
エマの工房から彼女の部下によって投げられたスナイパーライフルを、ニコレットが片腕で受け止める。
「───結局のところ、私もきみも、戦いのために生まれた種族なんだろうな。いいよ、やろうか」
濃密な殺気が肌を焼く。風が服を靡かせて、砂塵を舞い上がらせる。互いに睨み合うだけの、静かな時間が続く。
風が止んだ瞬間に、銃口は向かれ、火蓋は切って落とされた。
「どうした? あの日戦ったお前は、こんなものでは無かった筈だ。」
「っゲホ、……一回死にかけたせいかな。どうにも調子悪くてさ」
「……もう良い。結局お前も、俺の乾きを癒せない」
「───待ちなさあいッ!!」
ARM工房から飛び出したエマが、なにかの機械を両腕で抱えて、ブーメランとニコレットの間に立ち塞がり、それを突き出した。
「小規模ブラックホール発生装置よッ! 今すぐ退かなければこれを起動させるわ!」
「死ぬ気か?」
「死なば諸共よッ! 起動させればあんたも私もおじゃん、仮にあんたたちが生き残ってもあんたたちの支配したいファルガイアがタダじゃ済まないわよッ!」
「ハッタリか? ……いや……良いだろう。ここは退いてやる。 ───ニコレット。次に見える時こそお前を殺してやる。それまでに調子を取り戻しておけ。万全の状態では無いお前との戦いなど、つまらんことこの上ない」
ブーメランはそれだけを言い残し、姿を消す。ルシエドは一瞬ニコレットを見詰めると、後を追って同じように消えた。
「一体いつの間にそんなもの開発してたんだい?」
「ウソに決まってるでしょ。ハッタリよ」
「なるほどね、でも助かったよ……───予定変更だ、エマ。すぐにでもここを発つ。ロディ達を追いかけるよ」
エマは目を見開いてニコレットを見るも、やがて諦めたように首を振り、そんな気はしてたのよね、と言った。
「私がここにいれば、またアーデルハイドが襲われるだろう。アルハザードあたりじゃそのハッタリも通用しない。彼のことだ、もっと下劣で下衆な手段を取る可能性も大いにある。」
「ロディくん達を追いかける理由は?」
「私は接敵専門じゃないからね。こちらから赴くならともかく、向こうから来られる限り限界がある。だから世界を守るついでに戦ってもらおうかと」
「……そ、なるほどね、わかったわ。紹介状書いたげる。あと、ARMの威力が落ちたわよね。調子出ないの?」
少なくとも、日々の点検では何も異常は見られなかったと、エマがニコレットのARMを眺める。外から見る限りではわからない。
「───多分、私自身のARMへのシンクロ率が落ちてる。だから威力が落ちたんだ」
「………まさか、ニコあんた、」
「……ずっと考えていたことだ。ARMが精神と繋がる機械なら、私自身の精神───言うなれば『魂』を、ARMに保存できないかと。実行することになるとは思わなかったけど、」
「馬鹿ッ! とんでもない大馬鹿だわ! 下手したら死んでたのよッ! 魂が削れてるんだから、寿命縮むどころじゃ済まないわよッ!!」
「元より短い寿命───いや、ごめん。こういう言い方をするべきじゃなかった」
「ああもう───じゃあ今、ロディくんのARMに取り残されてるのね? 可笑しいと思ったのよ、あんたがロディくんのARMに適合するはずないもの。魂使って強引にコンタクトさせたんでしょ?」
死ななかったのが奇跡的だわ、とエマは頭を抱えた。ARM非適合者がARMと無理矢理コンタクトすることによって、精神を取り残されたまま廃人になる事件は、ARMマイスターにとって定期的に起こる厄介な難事だった。
「ごめんねエマ。考えてたことだけど実行する気はなかったんだ。するとしても自分のARMでやろうと思ってて、他人のARMでやるだなんて以ての外だよ、もうしない」
「当たり前よ、全くもうッ! 自分のARMでもやるんじゃないわよッ! ───はあ、とにかく、過ぎたことは仕方がないわ。ARM貸して、最後の整備してあげる。これ以降は有料だからね。その間に旅支度しなさい」
「うん、───ありがとう、姉さん」
仕方がないと言わんばかりに、エマはニコレットのARMを持って、工房へ戻っていく。城へ避難していた人々がちらほらと家に戻り始め、パニックで投げ出してしまった仕事や家事に手を付け始め、アーデルハイドは普段より僅かに大人しいものの、いつも通りの活気を取り戻し始めた。
それから、ニコレットは一行の数日遅れで、旅に出ることになる。