魔槍が、空間の歪を切り裂いた。
地面に突き刺さった魔槍に連なるようにして、青き騎士が姿を現す。消耗激しく、その外骨格で作られた青い鎧は金属光沢を失い、僅かにくすんで見えた。
「くッ……消耗が激しい。戦える状態ではないか……」
そう呟いたジークフリードは、地面に突き刺さった魔槍を抜いて、周囲を見渡した。そこは海へと沈んだフォトスフィアであり、マザーの玉座の前だった。足首まで浸かる程度の海水がばちゃりと響く。
「ここは……一体なんの冗談だ? 忌まわしき
声は響く。沈黙と水の音だけが満ちる。フォトスフィアは完全にその機能を失い、ただの巨大な鉄の珠に成り下がっているのみだということは、これが沈んだ時から分かりきっていることだった。
ジークフリードは、直前のことを思い返す。ゲートジェネレイターの暴走と、荒れ狂う次元のうねり。吹き飛ばされた鋼糸の巻き付く腕は次元の彼方へと消え去り、代わりにジークフリードは、ここにいる。どうやら次元間を彷徨う亡者にはならずに済んだらしいと、ジークフリードはフォトスフィアを去ろうと歩き出した。
「───我は潰えず。我は選ばれたのだ───この星を統べるために。我は導かれたのだッ! 我の支配を望む未来───導かれた?」
立ち止まる。水が跳ねて音が反響し、今も尚どこからか水が注がれているのか、弱々しく細い水面の音がする。
「───そうだ。次元の狭間にて我は聞いた……我を呼ぶ昏き声。我をここへ、導く声……」
ばちゃん。水の音がする。ばちゃ、ばちゃん、ばちゃん。水に何かが落ちる音がする。それは断続的にマザーの玉座に響き、やがて音は、質量を持った何かが蠢くものに変わっていく。
「まさか───甦るか、マザー───ッ!!」
ぐじゅぐじゅと蠢く肉塊がジークフリードへと襲いかかる。槍を構えて応戦しようとするも、消耗の激しいジークフリードはあえなく魔槍を弾き飛ばされ、ぶわりと広がった肉塊が、ジークフリードの鎧の隙間から形を変えて侵入し、喰らわんとする。
「───させぬッ! 我は喰らわれぬッ!! 喰らうなら、逆に喰らってくれるまで───」
ジークフリードの雄叫びが、フォトスフィアの割れた硝子を震わせていたが、やがて再び沈黙が訪れ、辺りには水の注がれる音しか聞こえなくなった。
「鎮静剤が効いてくれるなんてね……それだけが幸運だわ」
ベッド代わりにもなる椅子に寝そべらせたロディを、エマが診察する。エマは一通りロディを触診し、一先ずの治療を施して、これ以上は打つ手なしだわ、と首を振った。
「そんな……それじゃロディはどうなるんだよッ!?」
「骨格や筋肉、神経系等……全て私達人間と同じ構造をしてる。ただ一点根本的に異なるのは、それらが全て極小サイズの機械群体によって構成されてる点。これは、伝承に記されてる魔族の身体構造と、そっくりだわ」
「嘘言わないでよッ! ロディが魔族なんて、そんな訳ないじゃないッ!!」
階段の上から、今しがた到着したジェーンが、髪を振り乱しながら叫んだ。泣き腫らして目元が赤いのを、化粧で誤魔化している。
「嘘なんか言わないわ。でもね、「そっくり」ってことと「同じ」ってことは、全然違うのよ。───ロディ君は、現在に喪われた技術で創造されたと考えて間違いないわね。ARMを制御する能力の高さがそれを裏付けてるわ」
「それでは、ロディは魔族では無いのですねッ? ロディも、ファルガイアに生まれた命なのですね……?」
「確定要素はないけど、恐らく、千年前の大戦期が生んだ人工生命体……ってところじゃないかしら」
「───ホムンクルス、だ」
ロディをじっと見つめたままニコレットが言った。一様に彼女に視線が集まる。
「……
頭を抑えながら、ニコレットは大きく溜息を吐いた。顔色が酷く悪い。
「……エルゥがロディを創ったってことは、創った奴に尋ねれば、腕の治し方もわかるんじゃねえか?」
「そうかッ! マリエルだね! 彼女に聞いてみれば、何かヒントが得られるかもしれない……!」
「……ニコ、一度ここで休んでいかれてはどうでしょうか。顔色がとても悪いですよ……」
「……いいや、じっとしてる方が体調が悪くなりそうだ。一緒に行くよ」
そう言って立ち上がったニコレットに、エマが手を叩き仕切り直す。
「そうと決まれば、ニコ達はそのマリエルってエルゥに話を聞きに行って。私達は彼の怪我が治った後のことを考えましょ。手伝って欲しいことがあるの」
「どゆこと?」
「快気祝いにプレゼントくらい用意してあげなくっちゃね───秘密基地に案内するわ。執事さんと、ふたりして着いてきて」
エマはジェーンとマクダレンを引き連れて、工房から歩き去っていく。秘密基地、とセシリアは首を傾げた。
ニコレットは、時折悪夢に呻くロディの前髪を手袋のない指先で梳いてやりながら、額を撫でた。水銀の血液が染み込んだ手袋は洗おうにも洗えず、復旧は難しいだろうとされて、外したまま剥き出しになっている。
「……ロディ。きみは人望があるね。みんなが、きみのためを想って行動している……───もう、ひとりぼっちではないんだな、きみは」
「───ニコレットッ!」
階段から顔を覗かせたジェーンに、ニコレットは振り返った。
「あんたがどれだけ認めたがらなくっても、あんたはロディのことを心から想ってるし、ロディもあんたのことそれ相応に想ってるわ。だから、「自分が居なくても」とか、チンケなこと考えるんじゃないわよ」
「……勘がいいね、きみ」
「オンナのカンってやつよッ! あたし───あたしだって、ロディのこと想ってる。あたしは大切に想ってるもののために頑張れるから、だからあたし───負けないからッ!」
「───ありがとう、ジェーン。どうかそのまま、ロディを……想い続けてやってくれないか。きっと、励みになるからさ」
「───おっまかせ!」
ジェーンは意気揚々と、エマのARM工房から去って、マクダレン達の後を追いかける。
道中は、顔色の悪いニコレットに配慮して、ザックとニコレットが交代制でロディを抱え、惜しみなくスイートキャンディ号の船に乗りながら、ロゼッタの町へ向かう。
森を抜けて花園で花壇の様子を見ていたマリエルが、ロディの様子に驚いて、一行とロディの腕を交互に見回した後、とにかく家へ、と招き入れた。
マリエルの家のベッドにロディを寝かせた時、ロディが呻きながら、ないはずの腕を抑えている。
「いけない、鎮静剤が……ッ!」
「鎮静剤……! ええと、少し待ってください」
マリエルがてきぱきと棚に仕舞われた薬草を取り出して、それを調合したものをロディに処方すると、暫く後にロディの容態は落ち着いた。穏やかな顔とは言い難いが、少なくとも痛みに呻くことはない。
「あ、あの、ロディさんは……この腕は……」
「……順番に話すよ。聞いてくれないか」
暫く後、マリエルは「お話はわかりました」と頷きながら、黙り込んでロディの横顔を見つめる。
「───……薬草を使えば痛みもひきます。ちょっとした傷くらいならすぐに塞がるし、回復魔法も効くでしょう。……それが、『命ある金属』ですから」
マリエルは、棚の下段から銀色の金属片を取り出す。いつか見た破片だ。
「……これは、皆様に一度話したとおり、わたしたち兄妹が犯した罪の証……。この金属片も、ロディさんと同じ『命ある金属』で作られた、ある剣の欠片です。……魔族と同じ体を有し、命のカタチを模した肉体でも、失ったものは取り戻せません」
「それじゃ……ロディの腕は……」
「……現在のファルガイアの技術では、命ある金属は造れません」
死刑宣告を受けたような気持ちで、一行は静まり返る。しかしマリエルはどこか決意を秘めた面持ちで、一行を見回した。
「……でも、千年前と同じ世界なら、あるいは」
「千年前と同じ? そんな世界があるのか?」
「聖森の塚の奥に、その場所はあります。一緒に、来ていただけますか」
マリエルは、金属片を紙と布で何重にも包み、懐に提げたポシェットの中へ仕舞い込むと、花園の出入口で一行を待った。一行は一瞬の逡巡の後、ロディを背負い、マリエルに着いて歩く。
辿り着いた先は一度来たこともある聖森の塚だ。マリエルはその奥へ奥へと草木をかき分けて、迷いなく進んでいく。じきに開けた場所へ辿り着き、堕ちた聖域と似た雰囲気のエルゥの遺跡が鎮座していた。
「ここから、千年の時を隔てるのですか?」
「……千年前、エルゥは、魔族との戦いで荒廃したファルガイアを棄て、世界の一部を切り取って、亜空間に保存し、そこへ移り住みました。この場所は、その亜空間とファルガイアを繋ぐ、唯一の場所なのです」
「棄てた……って、どうしてさ?」
「自然と共に生きるエルゥにとって、荒廃したファルガイアは厳しく、つらい世界でした。わたしたちエルゥは、元々出生率が他の生物と比べると著しく低く……このまま大量の同胞が倒れ、死んでいくことを良しとしなかった」
マリエルは、ポシェットの中に入れていた金属片の布と紙を一枚一枚剥がしていく。陽の光に照らされた金属は、鋭利にきらりと輝いた。
「エルゥ達は、切り取った遮断空間を『エルゥ界』と名付け、そこを第二の故郷としました。エルゥ界にならば、ロディさんの腕を治せる技術が、今も残されているかもしれません───この遺跡は、使用者がエルゥであることを伝えなければ扉を開きません。……エルゥの命でもって」
マリエルが僅かな間目を閉じて、覚悟を決めた顔を上げ、手袋を外した。人間のものとは違う茶色の毛で覆われた腕の手首を、金属片で切り付けた。
「マリエルッ!? あなた、手を───!」
「静かにッ!」
マリエルの鋭い声が飛ぶ。普段の様相からは想像もつかない声の鋭さに、セシリアはびくりと立ち止まった。
ぱた、ぱたた、と絶え間なく赤い血が流れ落ちていく。遺跡の溝を走る血は瞬く間に何らかの紋様を描き、光を発する。急速な失血によりマリエルの顔が青ざめていく。
紋様の隅々まで血液が行き渡り、空間が歪みをあげた頃、マリエルがよろめいたのを、ニコレットが受け止める。そして、瞬きの間に、周囲の様相は完全に様変わりしていた。
一先ず衰弱の激しいマリエルの手当ができる場所に、とセシリアが進言し、ファルガイアのものよりもずっと清涼な空気の森を進む。やがて道が見え始め、その道の向こうから、何者かが駆けてくるのが見える。
「───塚を起動させたなッ!? なんて事をッ!」
「我らエルゥは、人間との関わりを絶った。人間は早々に立ち去ってもらおう」
「怪我人がいるんだッ! あんたたちじゃなきゃ治せない怪我人なんだよッ!」
「それに、あなた方と同じエルゥも、手当を必要としているのですッ!」
エルゥ達は、貧血で顔を青ざめさせ、息も絶え絶えのマリエルを見初め、露骨に顔を顰める。
「……その娘は、咎人の妹だッ! 同じエルゥと言えど我らが助ける道理はない……元の世界へ引き返すが良いッ!」
「待て……このまま戻られると、塚の存在を広く知られる恐れがある。………一度、村に連れ帰ろう。この者共の扱いは、フルカネルリ老の指示を仰ぐべきだ」
エルゥの二人組はそう言って、森の奥へ続く道を歩みながら、こっちだ、と一行を案内した。
「……どうにも、保守的というかなんというか。予想はついてたけど……」
「……長く時を生きるものは、現状維持をしたがるものだ。変化に着いていくことは人間の想像よりもずっと、難しいことなんだと思うよ……」
ハンペンとニコレットは、そう小声でひそひそと話す。エルゥの世界の森は美しく、しかし崖際の向こうは只管に雲海が続き、海も大地も見えない。それを、どこか異質だと感じた。